デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 2. 第二十三国立銀行
■綱文

第5巻 p.266-269(DK050061k) ページ画像

明治9年12月(1876年)

是ヨリ先、明治九年秋中尾喜平等発起シテ、大分
 - 第5巻 p.267 -ページ画像 
ニ国立銀行ヲ設立セントスルニ当リ、栄一ニ指導ヲ請ヒタルヲ以テ、是月忠告文ヲ寄セタリ。翌十年十月十二日大分第二十三国立銀行開業免状ヲ下附セラレ、同年十一月十一日資本金五万円ヲ以テ開業ス。


■資料

大分合同銀行五十年史 第四―九頁〔昭和一八年二月〕(DK050061k-0001)
第5巻 p.267-269 ページ画像

大分合同銀行五十年史 第四―九頁〔昭和一八年二月〕
    第一章 第二十三国立銀行の創立
 本行は新国立銀行条例に準拠し明治九年秋中尾喜平氏等五氏の発起に係り、明治十年七月設立の許可を得、第二十三国立銀行と称すべき指令を受け、十月十二日開業免許の下附を得、十一月十一日を以て資本金五万円にて開業せるものである。左に其設立の経過を略述せん。
 明治五年の銀行条例は、銀行紙幣に全部正貨兌換の義務を負はしめたる外、制限厳に過ぎたる為め、国立銀行の設立は政府の意図に反し遅々として進まなかつた。当地有志者中銀行設立の希望を有せし向も斯る情勢下に於ては進んで設立を発起せんとする者もなかった。然るに翌明治六年、時の県令森下景端氏は普く県民に勤倹貯蓄の美風を養はしむる傍ら、金融機関と為さんとして社団の設立を慫慂せしに、当大分町中尾喜平・幸松雄三郎・長野善五郎(先代)外二、三氏が之に共鳴して、登高義会(後に登高社と改む)を設立し、預金及貸出業務を開始した。
 次で明治九年八月一日銀行条例の改正に当り、大津万次郎氏の勧説に依り、登高社役員中尾・幸松・長野(後代)の三氏が国立銀行の設立を企て、鶴崎町磯辺八郎治、別府村荒金猪六の二氏を加へ都合五氏発起人となり、資本金五万円にて設立認可を大蔵省に出願する為め発起人代理小林師善・大津万次郎の両氏を東京に派遣し出願せし際、偶々西南事変起り地方の騒擾名状すべからざるものあり、為めに準備を妨げられ遷延推移せしが、紛乱少しく静穏に帰するに及び、改めて十年六月資本金五万円にて創立を出願せしに、七月に至り紙幣頭得能良松氏より「願ノ趣聞届候条株主募集ノ上創立証書並に銀行定款可差出」旨の設立の許可を得、九月十五日創立証書、定款を作成即日之を大分県庁に進達、同日県令香川真一郎氏の奥印を得て上達、十年十月十二日大蔵卿の開業免状の下附を受け、十一月十一日を以て第二十三国立銀行と称して営業所を大分町字茶屋町に設け、中尾・幸松・荒金・磯辺・長野の五氏が取締役となり、幸松氏は頭取、磯辺氏は支配人を兼ね、玆に始めて開業の運びに立到り、明治三十年五月一日国立銀行営業満期前特別処分法に拠り私立銀行となり商号を株式会社二十三銀行と改むる迄、上下四十年度間国立銀行としての営業を継続した。其間紙幣発行高は十四万四千円である。
  (附)渋沢第一国立銀行頭取の忠告文
 第一国立銀行と本行とは不浅関係がある、本行のコルレスポンデンス約定は創立と同時に同銀行との間に締結され、又銀行事務も同銀行を模範とし、発起人代理小林師善氏を直派して之を修得せしめ、又創立当時同銀行頭取渋沢栄一氏は左の如き忠告文を本行に寄せられた。
 - 第5巻 p.268 -ページ画像 
  華士族禄券ノ制公布アリシヨリ世ノ経済ヲ談ズル者ハ多ク国立銀行ノ創立ヲ希望シ、而シテ我第一国立銀行ノ聊カ此業ニ実験スル所アルヲ以テ其ノ営業ノ順序及利害得失ノ原由ヲ詢問セラルヽヤ頻々十数人ニ至ル、余ヤ其企望ノ能ク布政ノ要旨ニ適スルヲ喜ビ公私ノ為メニ其挙ヲ賛成スベシ、然リト雖モ銀行ノ業タルヤ之ヲ通常ノ商法ニ比スレバ其ノ易キニ似テ実ハ難シ、若シ其営業正確ニ出デ事業拡伸ノ実アルモノハ蓋シ経画ノ根理ト運為ノ功用トヲ兼併スルニ非ラザレバ決シテ其完全ヲ見ルベカラザルナリ、今ヤ夫レ才学ヲ以テ自ラ任ズルノ士ハ只全体ノ経画ニ精シク勉メテ其規模ノ盛大ナランコトヲ謀リ、殊ニ其功用ノ早ク世界ニ較著タランコトヲ期スルニヨリ、其事ニ処シ物ニ接スルヤ常ニ一利ニ拘泥スルヲ厭ヒ、事業ハ未ダ一邑ニ普及セザルモ意ハ早ク全国ニ裨補セント欲シ、之ヲ以テ章程先ヅ備リ例規速カニ整ヒ、皮想或ハ燦爛トシテ観ルベキガ如キモ実務ノ運為ニ於テハ操行甚ダ拙クシテ常ニ疎大ニ失スルノ弊ナキヲ免レズ、若シ或ハ実際ニ通ジテ操行ニ長ズル人ハ、細ニ銖錙ヲ争ヒ巧ミニ貸利ヲ論ジ、経費之レ省キ殖益是レ勉メ、目前ノ算珠上ニ賢ク以テ遺ナキガ如クナルモ、恐クハ大体ノ経略ニ乏シク進ンデ止ルヲ知ラズ、伸屈スルヲ覚ラズ、其甚シキハ条理法制ヲ弁識セズシテ動モスレバ営業ノ進路ヲ誤リ、常ニ能ク小利ヲ蒐集シテ年計余裕アルガ如キモ時トシテハ不測ノ折絀アルヲ免レ難シ、是才学ノ士ト操行ノ人ト互ニ得失長短スル所ニシテ、能ク之ヲ兼備スル人ニ至ツテハ殆ド罕ナリ、蓋銀行ノ営業ハ他ノ商賈ノ忙促繁熱ナルガ如キ者ニ非ズ、宜シク先ヅ維持久シキニ耐ユベキノ実体ヲ構ヘ而後進動已ム無キノ妙用ヲ存スベシ、是故ニ新創ノ銀行事務ヲ処スルニ当ツテハ事業ノ拡伸スルヲ図ラズ、勉メテ望蜀ノ念ヲ抑ヘ、而シテ能ク事務ニ習熟スルコトヲ務トスベシ、叨リニ浮夸ノ見解ヲ以テ功業ノ速成ヲ務ムルト雖モ、其実力ノ之ニ当ルニ足ラザルトキハ只其害ヲ見テ利ヲ見ルベカラズ、且其務ニ習熟セント欲セバ亦宜シク銀行ノ本業ヲ増進スルコトヲ勉メザルベカラズ、於是乎先ヅ日常ノ細事ヨリ修整シ恒久待ツアルヲ恃ムベシ、概シテ言ヘバ其銀行ノ創業ヲ図ル者ハ先全般ノ得失ヲ大計シ、殖益ノ期程ヲ設立シ、且其従事スベキ科目ヲ予定シ、此ヲ以テ順次営業ニ着手シ、毎季ノ実験ヲ経テ其成果ヲ検覈シ、精錬ノ功ニヨリテ進歩ノ実ヲ効ハシ、漸ク振張シテ竟ニ工商ノ源資ニ任ジ、始テ融通ノ便ト物産ノ利トヲ裨補スルコトヲ得ベキナリ、是レ余ガ公私ノ為メニ其創立ヲ喜ンデ其挙ヲ賛成シ而シテ此忠告文ヲ呈スル所以ナリ……
  是レ唯余ガ管見ヲ説叙シテ、聊カ新創者ノ便ヲ謀ラント欲スルモノナレバ、素ヨリ之ヲ大方ノ具トスルニ足ラザルナリ……
  幸ニ余ガ忠告ニヨリテ其速成ヲ勉メテ真理ヲ誤ルコトナキヲ得バ余ガ区々ノ婆心モ聊カ以テ財理ノ万一ヲ裨補スル所アルニ庶幾アラン乎 明治九年十二月
 本文は明治十三年一月十一日の第六回定時株主総会席上に於て頭取幸松雄三郎氏が朗読して「希くは此旨趣を愆らず、唯目前の利益に汲汲せずして其基本を堅固にし、其目途を遠大にして一致協力懇親を表
 - 第5巻 p.269 -ページ画像 
し、益々世信を厚ふして遂に隆盛の銀行たらんことを期すべきなり」と結ばれたものである。
  ○「銀行課第一次報告」ニヨレバ、大分第二十三国立銀行ノ創業ノ状況ハ左ノ如クデアル。

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 開業免状下付年月日    資本金高      資本増減         同上年月       資本金現高     支店数 開業日          発行紙幣高                             発行紙幣現高 十年十月十二日      五〇、〇〇〇    一五〇、〇〇〇 増    十一年十二月九日   二〇〇、〇〇〇 十年十一月十一日     四〇、〇〇〇                            一四四、〇〇〇 


  ○「大分合同銀行五十年史」(昭和十八年二月刊)ニヨレバ、大分第二十三国立銀行ハ創立後二十年ヲ経テ、株式会社二十三銀行トナリ、昭和二年四月金融恐慌ニ会シ、日本銀行ノ斡旋ニヨリ同年十月、大分銀行ト合同シ大分合同銀行トナル。大分銀行ハ明治二十六年ノ創立ニカカルモノニシテ、合同セルトキ、大分合同銀行ノ資本金ハ千六十二万五千円(全額払込)ナリ。