デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.539-544(DK060150k) ページ画像

明治35年4月28日(1902年)

是ヨリ先、栄一欧米巡遊ヲ企図ス。即チ是日東京銀行集会所、東京交換所、東京興信所及銀行倶楽部四団体連合主催シテ栄一及随行員諸氏渡欧送別会ヲ東京銀行集会所ニ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三五年(DK060150k-0001)
第6巻 p.539 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
四月廿八日
六時銀行集会所ニ抵リ集会所興信所手形交換所及銀行倶楽部四団体ノ催フセル送別会ニ出席シ、一場ノ演説ヲ為ス、畢テ一同ト共ニ立食ノ饗餐ヲ亨《(享)》ケ夜十時王子別荘ヘ帰宿ス
   ○五月一五日。栄一、夫人同伴米国ニ向ケ出帆ス。随行セシハ市原盛宏・萩原源太郎・渋沢元治・梅浦精一・清水泰吉・八十島親徳等ナリ。十月帰朝


銀行通信録 ○第三三巻第一九九号・第八九一―八九三頁〔明治三五年五月一五日〕 渋沢男爵一行送別会(DK060150k-0002)
第6巻 p.539-544 ページ画像

銀行通信録
 ○第三三巻第一九九号・第八九一―八九三頁〔明治三五年五月一五日〕
    ○渋沢男爵一行送別会
東京銀行集会所にては東京交換所、東京興信所及銀行倶楽部と連合して東京銀行集会所会長、東京交換所委員長、東京興信所評議員会長及銀行倶楽部委員たる男爵渋沢栄一氏欧米漫遊に付き男爵を始め随行員市原盛宏、萩原源太郎、梅浦精一(当日欠席)、渋沢元治、八十島親徳五氏を招請し、四月二十八日午後六時より東京銀行集会所に於て送別会を開けり
 - 第6巻 p.540 -ページ画像 
当日東京銀行集会所外三団体代表者たる豊川良平氏は男爵以下一行に向て先づ左の挨拶をなしたり
 今般渋沢君の洋行致さるゝに付き、東京銀行集会所、東京交換所、東京興信所及銀行倶楽部連合致して同君御送別の為め今日の会を開くことに相成りましたに就て私は玆に四団体を代表し一言御挨拶を申上げます
 今日は東京銀行集会所の創立者であつて現に東京銀行集会所会長たり、東京交換所の創立者であつて現に東京交換所委員長たり、東京興信所の創立者であつて現に東京興信所評議員会長たり、銀行倶楽部の創立者であつて現に銀行倶楽部委員たる男爵渋沢栄一君御送別の為め玆に同君の御来臨を請ひ、同時に渋沢君に随行せらるゝ市原盛宏君、萩原源太郎君、渋沢元治君、及八十島親徳君――夫から梅浦精一君を御招き申上げて送別の会を開きました訳であります
 私は諸君と共に渋沢君始め御一同の此度の御旅行に付き、海と云ひ陸と云ひ随分気候の変もあることでありますから折角御厭ひありて無事御巡回の上御帰朝あらんことを切に希望致しまする、特に渋沢君に対しては御無事に成るたけ早く御帰朝あつて従来の如く我々共の指導者たらんことを切に希望する次第であります、此一言を以て御挨拶に代へます
 夫から諸君に向て序に申上げます、梅浦精一君は急に郷里の方へ御出でになりまして残念ながら今日御出席下さることが出来ないから皆様へ宜しく申上げて呉れと云ふことでありました、併せて是丈申上げて置きます
夫より渋沢男爵は左の答辞を述べられたり
 諸君に向て一言御礼を述べます、斯う改まると何だか物言ふのが甚く口が硬くなつて御互の間に平生御喋舌すると違つて申上げ方が前後致さうかと恐懼に堪へぬのであります、玆にお集りの諸君は私が従来実業界に出ましてから殊に長い間お世話に預り、且つ御懇親も厚く所謂相提携して終始を共にするお方である、然るに私の魯鈍をも捨てられず長く此場所に於ては常に委員長とか若くは会長とかいふやうな名を負はされまして、共に百事を図つて世の進歩我業体の発達を努めつゝある間柄でございます、斯様に親しき諸君が私の此旅行を企てたるに就て特に斯る盛会をお開き下すつて送別をして其行を壮にして遣りたいと思召さるゝは此上もない悦びでございまして、私は実に歓喜に堪へぬのでございます
 此度私の企てました旅行は何か少しく意味のある事であつたならば諸君に対して是ほどの事は為し遂げて参る積りであるからお待ち下さいませとか、又は斯る事柄を調べて来やうと思ひますが如何でございませうかと御相談も申し御指導を仰ぎたいと考へますけれどもそれ程深き考を以て此旅を企てたと云ふ程ではありませぬ、極く平たく申しますると私はまだ亜米利加といふ国を残念ながら見た事がないのであります、然るに同国の段々発達し居る事は我国が長足の進歩をしたと云ふけれども中々及ぶ所てないのである、之を例するに我国は五寸宛の進歩でありますけれども、向ふは五尺宛進んで行
 - 第6巻 p.541 -ページ画像 
くと云ふ有様でありますから誠に羨しく考へる、併し私は言葉も通ぜず書物も読めませんから彼の国に対しての見聞は別段ありませぬが、何うか米国を見たいと云ふ念慮を持て居りました、デ欧羅巴の方には丁度三十六年以前に極く書生旅を致しました、彼燕趙悲歌の士が俄かに翻つて欧羅巴旅行と云ふやうな有様で、極て滑稽な旅を致しました、又種々なる部分から刺戟されて随分困難な旅を致しましたが、其後殆ど四十年の経過は大陸にあれ英吉利にあれ模様が非常に変つて居る趣であります、で私も所謂老境に到らぬ内に尚ほ一度行つて見たいといふ念慮を持て居つたのであります、殊に此頃は幾らか経済界も先づ小康の時期に向つたといはうか、或は回復の機運に再会したといはうか、当年などは玆にお集りの皆様及私も共に此金融に就ては懸念も薄く商業上の変動も――果然皆無とは申されませんが昨年あたりに比したならば先づ安穏であらうといふ時期に向ひました、そこで斯ゝる時期を逸しましては他日海外に旅行を為し得る時も得難いと存じまして、種々なる事に関係をして居りまするから或場合には私の体を退けては困難に感ずる事がありますけれとも皆満足と云ふ事は期して待つべき事でありませんから、此辺の時機に於て旅行をしたい、所謂自由漫遊でありまして視察調査などといふことは決して企て及ぶことではありません、唯だ目で見て心で驚くだけのお話を致すに止まる旅行であるのでございます
 丁度其様な考を持つて居る処へ御承知の如く一方には商業会議所に関係して居りますから、全国の商業会議所のお方が寄合ひました処で、此旅行を機会としてどうぞ我国の経済界乃ち実業界の意思を成るべく欧米に疏通せしむるに努めよ、といふ決議を以て私に委托するといふことでございました、それは広い意味で如何に解釈して宜いか、或は其任に当るといふことを深く心配したならば殆ど為し得難いことであらうと思ひますから御免蒙りたいと申したいが、さればといふて此意思を疏通せしむることは勿論望むことでありまして、成るべく我が実業界の真相を彼に知らせ、又彼の商業上の真相を我に通じたいといふ意思からいふと全体の趣意としては至極結構でありますが、唯私に於ては其方策に苦しむ訳でありますけれども仮令万分の一なりともお請申したいと云ふことで、先づ夫等が此度の旅行に就て一の仕事らしく見えると云ふ次第でございます、斯の如き漫然たる旅行でありますから帰朝しても我が実業界を補益する事があらうとは殆ど自分にも期し難うございまする、で諸君に対して何かお土産を持つて帰つてお話を申し又御利益になるやうな仕事をするといふことは甚だ望みない事であると云ふ事を御記臆を願つて置く次第でございます
 或は悪るくしたら御馳走の食ひ逃げで、帰つた時分に何で旅行をしたかと謂はれるのであらうかと今から斯く皆様方の厚意を以て御送り下されたに就いて甚だ面目を損しはせんかと思ひます、旅行の概略は左様でございます、デ決して此旅行が何等の有益な旅行には成りますまいけれども併し半年位はどうしても消費すると思ひます、此多忙な世の中に半歳の歳月を皆様と御別れするに就ては、どうぞ
 - 第6巻 p.542 -ページ画像 
御互の間に斯もありたい斯うもしたいと云ふ希望を甚だ失礼ながら此処に一言申上げ置いて、私が旅に立つて半歳遊ぶに就ては、私の遊ぶだけどうぞ御同業者諸君には余計に御勉励下すつて、内の百種の事業に就て整理すべきは整理し拡張すべきは拡張し、此経済界の主脳となるべき銀行業者は益々我実業界を鼓舞し、又一方に過ち無からしむるやうに御務め下さる事を切に望むのであります
 我国の経済界は四五年以来甚だ不況であつて吾人共に憂慮して種々心配したこともございまするが、今申します通り今年などは幾分か小康の時代と申して宜いやうである、併し是が果して全く恢復して真に順当の時期であると云ふことは決して御同様申し兼ることであらうと思ひます、若し内にして或は株式の景気が好いとか、物の売買が景気付くと云ふたならば直に金融が切迫を来さうか、或事業に対して蹉跌を惹き起しはせんかと云ふ憂慮はお互に種々あるやうに思ひます、而して数年来やり来つた事業がそれぞれ大に進む傾嚮になつて居るかと云ふと僅に持続して居ると云ふ事ほか申されぬと思ひます、されば日本の有様はどうであるかと云ふと、国を挙げて東洋に於ける主人位地に立て商売を活動させたいと思つて居るのは吾人共に同じ考である
 然るに欧米有力な国々の仕向けは如何であるかと云ふに、支那に対する鉄道も其他の事業も英吉利であれ亜米利加であれ白耳義であれ伊太利であれ露西亜は勿論のこと、殆ど大抵主もなる場所には相当の権利を占め、相当の権利を占むるのみならず駸々として進んで来るのは常にお互の目前に観て居るではございまぬか、此北清であれ若くは長江であれ海に対する運送に於てもが独逸等も北清の航路を有つて進んで行く有様はなかなかの盛大な勢である、尤も長江筋には日本郵船会社或は大阪商船会社等が多少の航路を有つて居りまするけれども蓋し微々たるものでございます、或は「バタフヒールド、スワイアー」「チヤーデン、マゼソン《ヂャーデン、マゼソン》」諸会社の経営して居るものに較べたならば大に遜色ありと謂はなければならない、重立つた商売が上海であれ芝罘であれ牛荘であれ日本人の力でどう云ふものが成立つて居るかと云ふと、銀行にも会社にも二三の有力家があるのみで相当の業体は開いては居るとはいふものゝ其多数は他国の力に拠つて遣つて居る、実に我々商売の領分は甚だ狭く且乏しいのである、朝鮮と雖も未だ以て満足な進みを為したとは決して申されませぬ、幸ひ一二の鉄道は日本人の手に依つて成就し且つ起業に際して居ると云ふ事はまだしも幾らか外に対する有様として私共聊か面目ある事と思ひます、けれども是れ以て其成効《(マヽ)》を見るのは未だ歳月遥かなりと云はなければならぬであらう、殊に前申上げました如く支那に対する鉄道若くは其他の重立つた事業に就ては何等の着手も為し得られぬといふ有様であつて、唯口にのみいふて実地に於て何等為す事も出来ぬではないかと云はれるではありませんか、歳月は人を俟たず清国に於ける事業が何時までも日本が手を着けることを安閑として待つて居らぬであらうと考へます、如何に我々力少なしと雖も無為に傍観座視して居る時期ではあるまいと考へる、凡そ
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世の中の事業は今申上げるやうに或は敵愾の心とか大体の政略のみから考へると得て過ち易いから、或は其過ちを再びするとは思ひます、けれども亦果して石橋を叩かんければ世の事業を為し得られぬかと云ふに――今日までの此経済界の発達は皆石橋主義だけで来たものであるかと云ふ事を考へたならば或はさうでないと申さねばならぬのでございます、元来お互に此銀行業に従事して居る者が石橋主義にやるのは宜い事であつて、或場合までは勿論必要でありますが或場合には又相当なる所へ眼を着けて多少の誘導をすると云ふ事も、亦我が本分として未来の事業を拡張せしむるに於ても必要と考へなければならぬと私は思ふのでございます、斯く考へて見ましたならば実に此歳月は空しく出来ぬ次第と思ひまする、で諸君と共に種々なる方面に就て多少手の伸びる事に進んで行くと云ふ事は是非今日も考へねばならず、未来に於ても大に考究したいと思ふのでございます
 私が此度の旅行は前に申します通り勿論夫等の意味を持ちませんし又持つて見た処が我々は何等の手段を尽すと云ふ事もございませんが、併し世の中に対して未来を考へて見ますると右等の希望は独り私が自分で思ふのみならず諸君と共に相当な方法に就ては力を尽すだけの位地を占めるやうにも致したいと考へます、左様な事を考へましたならば己れ自身は気楽に歳月を費すやうではあるが、私の失ふ閑日月はどうぞ諸君に於て空しくお費し下さらぬやうに願はしう考へまする、で玆に暫くのお別れを致すに際し此世の中はお互に重要な時間であるといふ事を考へ、一言申上げて御注意を請ひ置くのでございます、デ私の旅行は凡そ半年と予期し居りまするで、来月十日に出立致しまして亜米利加及英吉利に参りまして、八月頃から大陸を少々旅行して或は再び英吉利へ帰つて来ますか、或は印度海を帰りますか、都合に依つては其帰途せめて南清を少し旅行し十一月位に帰りたいと云ふ予想でございます、併し体の健康が都合克くそれだけの旅行を遂げさして呉れるかどうかは分りませんが今年一杯は此集会所に於て御会話を申上げると云ふ事は為し得られぬやうに思ひます、暫くの間でございますが、幸ひ自分も健全に縦令充分な調査研究は出来得ませんでもせめて大きな家を見て来たとか、交換所に於ては斯ういふ取扱をして居るとか、欧羅巴の銀行は斯う云ふやうな有様であると云ふ事は、耳に覚へ目に覚へなりともして参りまして諸君にお話をしたいと考へます、但し短い時間に粗末な取調をするので或は彼の長崎人の腿引を云ふ間違を惹き起すか知れませんが、私は成るたけ間違を惹き起さぬやうに注意致さうと考へます、玆に聊か感謝の意を表すると同時にどうぞ暫くの不在中貴重なる此歳月を空費していつまでも我々を待つて下さらぬであらうと云ふ事を御記臆を望む為に一言希望を申上て置きます
次に随行の一人市原盛宏君より左の答辞ありたり
 今晩は渋沢男爵が欧米に漫遊せらるゝに就き斯く多数の諸君が御会合下され盛んなる送別の宴をお張りなされるに就て、私共随行致します者までも此処にお招を受けました段は誠に感佩の至りでござい
 - 第6巻 p.544 -ページ画像 
ます、旅行中も此事を記臆致しまするに毎に、必ず愉快な念を呼び起して草臥れました時にも必ず之を起たしむる元気が付くぢやらうと考へます、私共が随行致すに就ては、所謂読んで字の如く随行の外何も義務のない訳合であつて目的もなければ趣意もございませぬ、唯此度の旅行の趣旨に就ては只今男爵より御話あつた通りで、私共は馬の脚となりまして出来るだけ骨折をして参る積りであります、尤も一行中の二人は彼地に滞在致して夫々の目的を達して来ることでございますが、私は唯だ随行するだけであります、重々諸君の御厚意を謝し暫くお目に掛りません間、諸君の益々御健在ならう事を希望致し、更に又目出度帰朝致しましたならば諸君の尊顔を拝したいと存じます、一同に代つてお礼を申し上げます
右にて式を終り夫より宴会を開き席上園田孝吉氏は一場の挨拶を為して男爵の健康を祝し男爵の答辞あり、大谷嘉兵衛、末延道成諸氏の送別演説もありて近来の盛会なりき

銀行通信録 ○第三三巻・第二〇〇号・第一〇六三頁〔明治三五年六月一五日〕 渋沢会長の届出(DK060150k-0003)
第6巻 p.544 ページ画像

 ○第三三巻・第二〇〇号・第一〇六三頁〔明治三五年六月一五日〕
    ○渋沢会長の届出
当集会所会長渋沢男爵は欧米欧遊の為め五月十日出発、凡そ来る十月頃帰朝の予定なる旨、五月三日附を以て届出でられたり