デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.547-556(DK060152k) ページ画像

明治35年11月27日(1902年)

東京銀行集会所ニ於テ東京銀行集会所・東京交換所・東京興信所及銀行倶楽部四団体連合主催ニヨル、栄一・松方正義・岩崎弥之助及随行員諸氏帰
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朝歓迎会開カル。栄一出席シ一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

時事新報 第六八四四号〔明治三五年一一月二八日〕 銀行集会所の歓迎会(DK060152k-0001)
第6巻 p.548-550 ページ画像

時事新報 第六八四四号〔明治三五年一一月二八日〕
    ○銀行集会所の歓迎会
東京銀行集会所・東京交換所・東京興信所及び銀行倶楽部の四団体は聯合して昨夜松方正義伯、渋沢栄一、岩崎弥之助の両男並に其随行者一同を坂本町の銀行集会所に招待して歓迎会を催せり、来会者は右来賓を始め各銀行家二百余名にして午後五時半より開会、豊川良平氏開会の挨拶を述べ、次で岩崎・渋沢・松方三氏順次大要左記の如き演説を為し終りて晩餐に移り、雑談の後一同散会したるは九時半頃なりき
    岩崎男の演説
諸君、余が出発するに当りて送別の宴を開かれ今又帰朝に際して歓迎の会を開かれたるは余の深く感謝する所なり、余の漫遊は病気療養の為めにして且つ其時日は僅に八ケ月足らずなりしかば、何等の観察し得たる所なく、従て諸君に向つて述べんとする談を有せざれども、只余が旅行中最も深く感じたる所を一言せんに、余が旅行したるは何れも先進国にして其文物制度の完備、運輸交通・金融・工業・商業の盛大なるは実に余をして驚歎せしめたり、且つ余は思へり小心なる者は驚きたる余り日本国の到底之に及ばざるを恐れ、遂には落胆し、意志の強壮なるものは之に奮慨して大に我日本の先進国に劣らずして充分の発達を遂げんことを主張し、両者共極端に感□《(欠)》するならむと余は先づ先進国の富強を見て只管我国の現状に遺憾に堪へざりし、而して先進国中最も強く余を刺戟したる者は英国なりき、英国は海中の一小嶋にして地味亦豊かなるに非ざるに然るに其領土は日没を見ず、其富は全世界を圧するに至れる其原因は如何と云ふに、唯人にありと云ふの外なかるべし、英国人は其風采厳格にして所信強く為す可きは百敗屈せずして之を遂ぐるの気慨と根気とを有し、事を為すや規則正しく人に接するや信義を重んじ、廉耻礼譲を尊び其品行や方正にして責任を重んず、是れ即ち彼が世界に雄飛せる所以に非ずして何ぞ、顧みて我国を見るに悲いかな信義廉耻礼譲破れ、人は猶立の気象に乏しく、意志は薄弱なるを免れざるが如し、余は信ず、我国富強の発達を遂げんと欲せば宜しく英国人の如くならざる可らざるを、左れども是れ言ふ可くして行い難し、故に学者、宗教家、政治家、実業家尽く打揃ふて此改革を図り、正々堂々進まざる可からず、此説や頗る陳腐なれども実際に於ては頗る必要なれば、余は敢て大声疾呼する所以なり云々。
    渋沢男の演説
岩崎男の国家発達の基礎は人に在りと説かれたるは余の双手を挙げて賛□《(欠)》する所なり、余の旅行は短日月に過ぎざるを以て其観察は実に皮相たるに過ぎず諸君之を諒せられよ、旅行中銀行業に関して見聞したる概要を述べんに、先づ米国シカゴ第一銀行にて頭取ホーガン氏は米国銀行業の欠点として銀行分立主義にして英国の如く中央銀行統一主義ならざるを説かれ又前大蔵大臣ゲージ氏も同意見を有し、日本が米国制を採りて而かも中途に現行制に改め得たるを羨むと称したり、故に余は然らば何故に早く改良せざるやと反問したるに、氏は米国人の
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頭脳は権利を一所に集中するを嫌ふが故に中央銀行制は到底実行し難しと云へり、されども米国銀行業の盛大なるは感歎の外なし、又同国トラスト業の隆盛なるは予想外にして、主として金融事件即ち社債募集等に当るものと、個人財産保管を任務とするものとの二種あり、前者は紐育に後者はフヰラデルフヰヤに多し、又米国にてブラツトストリート興信所の大なると、手形交換所の簡便にして迅速□《(欠)》を見たるが此手形交換は手形を持出すことなく添表のみを持出して決算し、其時間経済の点は英国交換所に優る所あるを覚えたり、米国を去り英国に渡りては英蘭銀行を観たるが、同行は何となく万事不釣合の感を生じたり、又市中銀行の模様をも聞きたるが、何れも預金手許金豊富にして預金高の三割以上を英蘭銀行に預入しあるを見たり、又信用貸附と抵当貸附とは同時に行はるゝものゝ如く、信用ある商人が振出したる商業手形は無担保にて割引けども、有価証券の抵当貸附も少なからず、銀行家は此信用ある商業手形をば担保附のものと同様に見て人に談ずる際には貸附は総て担保附なりと称する故、□《(欠)》問して然らば信用貸附なきやと云へば然らず大に信用貸附行はると説く、故に洋行帰りの人が我国にて或は信用貸附を為す可しと云ひ、或は担保貸附を為す可しと云ふは正に各々銀行家の半面の説を伝へたるものには非ずやと疑はれたり、手形交換は地方交換も開け居れり、独逸にて帝国銀行を訪問したるが営業の模様知れず、仏国にてはクレヂー デ リオネーが諸種の財政経済の調査に努め、其報告を得意先に為すの美風と保護預りの行届きたる長所とを見たり、我国の銀行は手前味噌の嫌あれども他の業の進歩の割合に多く進歩したるを覚ゆる次第なるが、富強の本は岩崎男の言の如く人に在れば宜しく改良を図る可きなり、云々。
    松方伯の演説
富国強兵の根本人に存するは岩崎・渋沢二男と同感なり、余は我国金貨本位の実行を各国の通貨流通の模様と対比せんと欲して旅行中通貨に注意したり、米国は金貨本位を採用し、各国立銀行個々に紙幣を発行して流通せしむるものなるが、□《(欠)》貨採用後は人心落付きて産業の安固を来したり、然れども銀行制度に就ては渋沢男の言の如くゲージ氏は中央銀行制を熱望しながら其行はれ難きを歎じたり、英独は金貨にて中央銀行制を採り、金融円満に行はる伊太利も亦金貨にて、同国の中央銀行は財政を整理し、今日にては全く恢復したるものゝ如し、又伊国の財政は意外に鞏固なり、墺国中央銀行も亦強大にして正□《(欠)》準備六億を有す、露国にも中央銀行あれども是れ政府所有にして株主なし、同国は日本と殆んど同時に金貨本位を採用したるが一時下落したる紙幣は今は全く信用を恢復したり、是れ金貨の流通するもの多く紙幣と殆んど相半ばするに因る、同国財政は又意外の鞏固にして歳出入合して十九億あるが、収入不足の場合には剰余金中より支出す、此剰余金の生ずるは仏国と同法を用ふるに因るものにして、我日本も仏国制を採り、時に或は一千四五百万の剰余金を生ずることあり、露国の出入十九億にて一億四五千の剰余あるは我国の出入二億にして一千四五百の剰余あると割合類似す、各国は金貨を以て幣制を立つるものにて、何れも円満に行はれ、経済学者は銀をば殆んど相手とせず、貨幣
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幣は必ず金に限ると断言せり、明治三十年には比価一対三十二余なりしも、今日の二十二片を金に比較すれば一対四十二に当るを以て、若しも日本が銀貨を継続せば今日は果して幾千の損害を蒙らざるを得ざるやも測り□《(欠)》かる可し、故に欧洲の経済家は何れも支那の幣制改革に就て最も頭を悩ますものゝ如し、各国の通貨は以上の如くなるが各国共金を吸収し、正貨準備を高めんが為めには裏面に人工的の方法まで用ひて其増加に務めつゝあり、日本も幸ひ此策を採らざれば後日の憂大ならむ、銀行に就て小銀行の数を減じて大銀行を多くするは今日の急務にして、且つ商業銀行をして貯蓄銀行を兼ねしめざるは頗る重要なりと信ず、終りに日本は人種言語人間の智能及び地理気候並に材料の主物たる石炭に於て他国に劣らざる所なれば、各国競争場裡に立つを難しとせず、今や正に充分奮発す可き時機なり、若し此時機を失せば後日如何なる□《(欠)》厄に逢ふやも知れず、富国は人に在り、宜しく信用を重んじ根気を強くして事に当る可し、云々


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK060152k-0002)
第6巻 p.550 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
十一月廿七日
午後五時銀行集会所ニ抵リ歓迎会ニ臨席ス、松方伯岩崎男モ来会ス、一場ノ欧米銀行業ニ関スル視察談ヲ為シテ立食ノ饗応ヲ受ケ、夜九時過浜町宅ニ帰宿ス



〔参考〕銀行通信録 第三四巻第二〇六号・第八八三―八八八頁〔明治三五年一二月一五日〕 欧米銀行談(男爵渋沢栄一)(DK060152k-0003)
第6巻 p.550-556 ページ画像

銀行通信録 第三四巻第二〇六号・第八八三―八八八頁〔明治三五年一二月一五日〕
    ○欧米銀行談(男爵渋沢栄一)
私が此度の欧米旅行は単なる漫遊であつて、特に此事を研究し彼事を調査すると云ふではなく、強て其重なる用向を申せば全国商業会議所及東京商業会議所より内外商工業者の意思を疏通する様に尽力して呉れとの依頼と、又二三会社よりは間接に事務上の調査をも嘱托せられたることもありましたが、是れとても全権を委任せられて交渉を開いたと云ふではなく誠に漠たる用向でありました、中には略ぼ其目的を達し、用向を終りたるものあれば中には尚ほ継続事業として多少心配もし面倒を見ねばならぬこともあるが、要するに此度の欧米行は久し振に海外の漫遊を試みたと云ふ迄で、彼地の商工業を学理的に深奥なる研究を遂げ、又事実的に綿密なる調査を為したと云ふではなく、極く短日月の間に大体の視察を為したと云ふに過きない、尤も内外商工業者の意思を疏通すると云ふことは私も絶へず念頭に存して機会のある度には種々なる方面から我国情を談し、我商工業者は外国の商工業者に対して斯様なる希望を以て居ると述べ、更に外国の商工業者が如何なる考を以て居るかを聞き、可成相互の意思の疏通する様に尽力致しました
右申す様の次第で銀行業の上に就ても亦是と云ふ目的を以て取調は致さゞりしも、元来私の本務が銀行業でありますから自然此方に多く注目する様になり、先夜も其大体の視察談を致しましたが、今回は多少方面の異なる点から概略欧米に於ける銀行業の状況を申述べましやう亜米利加にては紐育と市俄古に於て銀行や「トラスト、カムパニー」
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を訪問し、又其「プレジデント」や「ヴアイス、プレジデント」の如き人々と懇意も結び、会食なども致しましたから色々見聞することを得ました
亜米利加の金融機関は先づ大別して銀行と銀行類似会社たる「トラスト、カムパニー」及各種保険会社の三種であるが、先づ銀行の方から申しますれば、私が見聞したる所では其営業振は銀行に依て異なるも大体に於ては大なる商工業会社とか大商工業者などを相手として口数は少なきも巨額なる取引を為しつゝあるものと又之に反して小口の取引を厭はず多数の人々を得意として営業をして居るものがある、又別に主として会社の社債とか株式等を引受くる様のものもありました、従て其営業振の如何により顧客の出入に頻繁なると閑散なるはあれど取引の状況を聞合して見ると非常に盛なるものであります、私が第一に訪問したのは市俄古の第一国立銀行で其頭取はフオーガンと申す英人でありましたが、同銀行は市俄古第一流の銀行にして其営業は非常に盛大を極め頭取たるフオーガン氏の如きは銀行家として誠に適当なる人である様見受けました、氏は米国前大蔵長官ゲージ派の人であると後に聞きましたが、ゲーヂ氏と同じく亜米利加現時の銀行制度を頻りに非難し、是非とも中央銀行を設立して金融上の統一を計らねばならぬと申して居りました、次は紐育の「シチー、ナシヨナル、バンク」の訪問であるが、同行の総裁はスチルマン、副総裁は彼の有名なる亜米利加商工業の欧洲浸略とでも訳すべき書を著はし近頃の問題となれるヴアンデリツプと云ふ人にして、私も屡々此両人に会合しましたがスチルマン氏は亜米利加実業界に於ては非常なる勢力もあり、又十分価値ある人の様に見受けました、同氏と富豪ロツクフエラー氏とは近い親戚であり、又若ロツクフヱラー氏はスチルマン氏の女婿であつて共に会食したこともありました、同行は米国第一流の銀行にして、其取引の活溌盛大なること各銀行の上に位すること数等であり、最近の調査に拠れば資本金が二千五百万弗、積立金が千五百三十八万八千弗貸出金が一億千九百四十三万弗、預金が一億八百十七万弗、之に対する手許在高三千四百二十二万弗にして其盛なること唯驚くの外はありません、一夕右スチルマン氏に招かれて参りたる時、銀行日々の景況から重なる取引の摸様を頭取に報告する為めに拵へたる小形の計表が八九ありました、食事後にスチルマン氏は其表を私に示されて、個様個様の次第で夕方になると銀行から送附すると云はれました、之に拠ると総体の取引が幾何で残高がいくらあり、重なる貸附及預金の残高がどの位であると云ふことが一目して知れます、其内に於て確にロツクフエラー氏の当座預金の残高であつたかと思ひますが、丁度其日の残が三百六十五万弗許りであり、其他百万弗とか六十万弗乃至八十万弗程の当座預金の残高を持つて居る人が幾人もありました、以て其銀行営業の如何に盛大であるかと云ふことが知れましやう、尚紐育の第一国立銀行も見ましたが是れも亦非常に盛大なるもので、最近の資本金は千万弗、積立金は千二百廿二万弗、貸出金は七千八百卅七万弗、預金七千四百九十二万弗、之に対する手許在高二千二百九十万弗でありまして「シチー、ナシヨナル、バンク」に亜ぐ大銀行であります、
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其他銀行家又は「トラスト、カムパニー」の人々なりとて手を握り合つた方も沢山ありましたが、其銀行営業の盛なることは驚くべきものであります、多くの銀行家や「トラスト、カムパニー」又は保険会社の人々の寄合へる会食の席に於て、我第一銀行はいくらの配当をしますかと尋ねられた故廿九年に資本金を増して以来年九分であると答へたらそれは大変少ない、私の国では十割八分の配当を為すものがありますと云ひましたから、私は更に反問して普通に銀行営業を為すものが個様なる利益を収むることが出来るものでない、それは投機か何かに甘く当つたのでしやうと云たら、彼人が答ふるに、イヤ左様に真面目に御答あつては痛み入ります、実は永年利益の大部分を積立て、其高が資本金の幾十倍にも昇つたから、其積立金の内から配当をして之れを資本金に払込んだのです、即ちそれは「ケミカル」銀行でありますと云ふて、其銀行の頭取に紹介せられましたから、色々話し合ふて見ましたが、其資本金に比して積立金の多いことは非常なるもので、其一部分を配当して資本金の内に払込ました由であります、今同行最近の調査に拠れば資本金が僅に三十万弗で積立金は七百廿四万弗即ち二十四倍であり、貸出金が二千四百万弗預金が二千三百六十万弗であります、「ケミカル」銀行とは妙な名称であると思ふて聞て見たら、始め「ケミカル」の人が設立したから依然其名を襲用して居ると云はれました、次に銀行と相並んで金融業を営んで居るものは「トラスト、カムパニー」であるが、其盛況又銀行に譲らず、営業の方法も亦銀行に類似したものである、「トラスト、カムパニー」は其営業上より二大別とすることが出来る様当地に於て聞て居りましたが、彼地に参りて実地に見ました所でも左様見受られました、即ち其一は専ら遺産管理の如き信託業を営むものと、其二は会社の社債とか株式とかを主として引受くるものゝ二者にして、共に銀行と同じく多くの預金を有し殆んど銀行業者に匹敵する程の力を持つて居ります、私が親しく訪問して其状況を見たのは市俄古に於ては「イリノイス、トラスト、カムパニー」でありましたが、此会社は重に遺産管理の如き信託業を主として営み、地方の資産家を得意として非常に盛大なる営業をして居ります、又紐育に於ては前の大蔵長官ゲージ氏が「プレジデント」となれる「ユーナイテツト、トラスト、カムパニー」と、モルトン氏の経営せる「モルトン、トラスト、カムパニー」でありますが、此等は米国「トラスト、カムパニー」中第一流に位する者で、其営業振りは専ら会社が社債を募集するが如き場合に於て其媒介者となつて金の融通をすると云ふ部類に属し、紐育の大銀行を凌く程の勢力ある由であります、ゲージと云ふ人は米国の実業界で余程勢力もあり信用もある人で、今の「ユーナイテツト、トラスト」会社では十万弗とかの年俸を払つて総裁に招いたとの事であるが、是は決してゲージ氏が大金満家であり又其会社の大株主であると云ふわけではなく、全くゲージ氏の信用と手腕を買ひ、之に依て大に営業を拡張しやうとの考から高い給料を払ふものと思はれます、モルトン氏は有名なる富豪にして自己の資本を以て此営業をして居る由であります
亜米利加の銀行制度は人々の能く知れるが如く依然千八百六十年の法
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律に依り個々の銀行が孤立的に散在し、各国立銀行ともに相当の公債を政府に預託すれば、紙幣を発行することを得る様の次第で、一の中央銀行がありて紙幣の発行を宰り、又金融上の統一を計ると云ふことはないが、之れは亜米利加の金融上の大欠点であるから英吉利流の中央銀行を設立するの必要ありとの論が盛であります、此議論は私が市俄古に参りたる時第一国立銀行のフオーガン氏より先づ聞きましたが其後此論は屡々耳にしゲージ氏の如きも亦熱心に此欠点を述べられました、議論として中央銀行論は盛であるも亜米利加の国情とも申さうか又は人気とも云はふか、国民一般に人為的に権力を一方に集中することを嫌ふ気風が盛であるからとても実行することは困難でありましやうとゲージ氏も云はれました、而し私が一寸と見た所では市俄古などの変換所の如きも、前に述べたる第一国立銀行の如き最も有力なる銀行が其主脳となりて手形交換上の決済をして居る所を見ると、或は松方伯か先頃欧米漫遊の際に当たり、ゲージ氏に向て云はれたるが如く各州々に一ツの中央銀行を造ると云ふことゝすれば或は出来るかも知れませぬ、尚ほ又別に亜米利加に於て一大中央銀行の設立を見ることの困難なるは、千八百四十年に此計画ありたるも遂に失敗に終りたる一事であります、前申す通り、亜米利加の国風と此失敗の歴史とは中央銀行を設立し以て之を金融の中心とすることの困難なる事情であると思ひます
此頃世界の金融中心点が漸次亜米利加に移り、又米国今日の繁栄と資本の豊富なる情況とを見て亜米利加は資金を他国に「インヴエスト」する力十分なりと想像する方も有ますが、私の観察する所に拠れば、亜米利加が世界金融上の中心点となる迄にはまだ中々歳月のあることで、先づ近き将来に於ては見られまいと思ひます、又資本を外国に「インヴエスト」する点から見ても、亜米利加は英吉利や仏蘭西の如く資本供給国ではなく大に国内の事業に投ずる資本の需要国であります、言葉を換へて申しますれば、亜米利加の諸事業が其国の資本に対する引力は外国に於ける諸事業が亜米利加の資本に対す引力より更に一層強いから多くの資本は先づ国内の事業に投下せられて外国に漲れ出ると云ふ程度ではない、今一例を以て示すも今後亜米利加内地に於ける資金の需要が如何に大きくあるかと云ふことがわかる、そは農業上に於ても工業上に於ても、又は商業上に於ても、亜米利加には尚ほ起すべきの事業が甚だ多く、事業好の同国人は着々として種々なる計画をして居る、就中此頃の計画たる、ナイナヤガラの瀑布に依て新に三十万馬力の電力を起さんとして居るが、其設計上の費用か莫大なるは勿論其三十万馬力の電力を利用して或は灯火に用ゐるも、将又工業上の原動力とするにしても是れ丈の電力を利用する為に起る所の計画に要する資金の需要は蓋し非常なるものであると思はれます、之れは単なる一例に過ぎないが、亜米利加人が事業を経営する事に熱心にして又好んで驚くべき大計画を為すことは他国に於て容易に見ることの出来ぬ所であります、斯る次第なるを以て、亜米利加の現状はまだまだ資本需要の国にして、外国に「インヴエスト」すると云ふ次第でないと感想しました、而し私が面会した人々は東洋に手を延ばしたい、
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夫れに就ては是非日本と協力一致してやりたいと申して居り、又日本の公債なども今日はまだ亜米利加の市場には見へぬか、之も追々には持ちたいと云ふて居りましたが、是れは一場の世辞とも見受けませなんだ
次に英吉利の銀行でありますが、是れは其国風からにもあらん何となく総てのことが軽忽でなくドツシリしたる所があり、営業の振合も之に伴ふて誠に慎重なる状況が見へ銀行家も亦軽々に話をせず、どことなく奥床しき所があります、夫の英蘭銀行の如きにしても始めから非常なる勢力と信用がありしには相違なきも、自ら其の権力と信用とを以て他銀行の上に位したと云ふではなく、却て他の銀行が中央銀行たる「バンク、オヴ、エングランド」を尊重し、信用と勢力とを自然に加へたる様の次第で他の銀行も自己の信用を委托する英蘭銀行の信用と勢力とを増すは即ち自らの信用を厚ふする次第なれば互に之を尊重する様になりました、啻に之は市民が英蘭銀行に対して然るのみならず市役所の如きに対しても亦他の官衙に対しても同様にして他からして其勢力と地位とを添へたる様に見受けます、吾れの地位を高めんが為めに他のものを卑めんとするは普通の人情にして、我国抔には此弊が最も甚しく、政府は商業会議所は何の役にもたゝぬ、銀行集会所が何が出来るかと云ひ、又民間の実業家は政府は何をして居るか、役人が何の仕事が出来るものかと云ひ又実業家と実業家、銀行業者と銀行業者、普通の個人と個人、尚ほ甚しきは友人と友人間の如きに於ても彼が何が出来るものかと先づ他を卑下して而して後に己れが己れがと自分を高めんとする悪風がある、之を彼の己を高めんが為めに先づ己の知人を高め、己れの同業者を尊称し、己れと取引し己れ等の為め為政の局に当る人々を尊重するに比すれば、非常なる径庭があると思ひます、世界中英人の如く自尊自重の心強き人民はありませぬが、其己を尊重するの結果他をも亦尊重する気風は誠に学びたいものであります一寸、卑近の例で見るも自分が其友人を如何に卑下したればとて決して己れの地位が昇るものでなく、却て其人品を墜すものであるも、之に反して其友人を尊信し其地位が昇ると共に又己れの品格も一段上るものであると云ふことは睹易き道理である、然るに可成他を排斥して己れのみを高めんとするものゝ多きは歎すべきことであります、斯る次第であるからどの銀行にて何人に会ふとも一人として英蘭銀行を悪評するものはなく、皆之れを尊信して居る、「パース」銀行のシヤンドの如く、英蘭銀行現時の有様に就て多少掛念の考を以て居るものあれど、之を罵倒悪評する抔といふことはない、従て内輪喧嘩から内部の秘密まで露き出すと云ふ様なことは決してなく、互に品位と信用とを重んずる結果他の信用と品位とを重んずる美風があります
銀行家として私が面会した人々も沢山ありますが、第一は好い伝手から英蘭銀行の内部を参観して総裁其他の人々と午餐を共にして色々のことを聞きたると、其他は「パース」銀行の頭取たるダン、次に我国にも古く渡来して居つてシヤンド、「チヤータード、バンク」のグワイサー諸氏などが重なる人々で、営業振に就て聞きましたが先夜も銀行集会所に於て申上げたる通り、倫敦の貸出は見方によりて抵当貸で
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あると云へば左様にも見へ、又信用貸であると云へば左様も見へる、即ち手形に見返品たる公債や株券の担保はなきも、此手形には是れ是れの貨物が添ふて居るから慥なものである、きつと期限には返済せらると云ふ点から見れば一種の抵当貸であるも、又之に反して其手形に株券とか公債の如き見返品の附着して居ない点から見ると信用貸であるとも見へますが、我国の如く約束手形、即ち約束不確実なる融通的手形を割引するのとは大に趣きを異にし、彼国の手形は貨物に対する為替手形であるから銀行はチヤンと貨物が動いたから期限には必ず支払へるには違ひないと見当をつけてやつて居るから担保のないものでもあると同一であります、此営業振に就ては各銀行ともに質問したと云ふではありませんが、而し一般に之と大同小異であると聞及びました、其他預金準備の如きも英国の大銀行は約総預金の三割余を保有し万事非常に手堅き営業振であり、「パース」銀行の如きは其準備の大部分は英蘭銀行に当座預けにしてあると聞きました、又次に銀行の種類に依りて営業の状況を異にし、専ら公債とか社債抔の取扱を為すものと多くの得意を相手として日用の取引を主とせるものゝ二種類あり従て顧客の出入にも自ら頻繁なるあり、又閑散なるもありて其銀行の閑であるか忙しきかは外形のみを見て一概に其大小は品評されません亜米利加の現状はまだ資本供給者にあらずして需要者の地位にあることは前に述べたる次第なるが、英吉利は之に反して内地に於ける資金の需要は亜米利加の如く切ならず、外国に向て有余の資を「インヴエスト」せねばならぬ地位にあるのです、故に世界金融市場の中心は何処にあるかと云へば、紐育にもあらずして倫敦であると深く私は信じます、而して英吉利人が政治又は外交上の関係を離れ、単に経済上より日本を如何に見ているかと云ふに、彼等も頻りに我商工業者と相提携して仕事をしたいと云ふ観念は持て居り、其低廉なる資本を持て行きたいとは申して居りまするが、玆に彼等が我商工業者殊に貿易業者に対する非難は盛であります、而し之は我商工業者を徒に悪評せんとするのではなく、何とか其不信用なることを矯正して互に信義を重じて取引をしたいと云ふ親切心から起つたことかと思はれました、彼等は色々例証を挙げて我貿易業者が信義を重ぜぬ個様々々の事もあつたと云はれた、仮令は詐の「インヴオイス」を作つて呉れとのことは随分立派なる貿易業者より注文せられ、又既に約定せる物品も相場の下落せるが如き場合には一寸としたる品物の損傷などを理由として取引らぬ様のことがある、其人の名前迄申上げても宜しい、固より英人にしても米人にしても此の如き徒もありましやうが、比較的に日本の貿易業者に多いから此等は早く改善して呉れぬと安心して協同一致の事業を経営することは出来ぬと申されました
次は独逸と仏蘭西であるが、此両国には永くも滞在せず詳しきことは申上られません、扨て独逸に於ては先づ帝国銀行を見ました、其建物も荘麗であり、仕掛も大規摸にして執務の様子なども大に整頓して居つた様でありましたが、之は唯だ外部を見た丈けで別に評論する程のこともない、次にハンゼマン氏の頭取をせる割引銀行とコツポ氏の頭取をせる独逸銀行を見た、コツホ氏には誘はれてポツダム離宮のある
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所に赴き、色々の饗応を受けました、此銀行は先年横浜へ支店を開きしこともありしが、何故に之を閉鎖しましたかなども問ひ、且つ今後東洋に対する考へなども叩き、独逸に於ける銀行の営業振などを聞きました、要するに独逸の銀行はまだ英吉利の様にドツシリしたる所はありませんが、中々盛なるもので亜米利加の様な突飛的の事はなく極く手堅く着々歩武を進めつゝあると云ふても宜しい、仏蘭西に参りましては先づ「バンク、ヅ、フランス」を訪ひ、又「クレヂー、リオネー」に赴きてジエルマン氏と会談しました、氏は日本の経済及財政上に於ても十分なる調査をして居り、色々と批評を下しました、就中財政上に向て氏は日本の財政計画は余り突飛ではないかと云ひ、又日本は近来大に発達進歩せるも其発達は少しく鞏固を欠く様の点はあらずやと述べられました、「クレヂー、リオネー」が大は世界各国の財政及経済上の現況から小は一会社の信用の程度に到るまで綿密に取調べて銀行の得意先などが其余資を外国の公債なり又は内外会社の株券社債などに「インヴエスト」せんとする際には先づ其投下せんとする公債株券又は社債に就き銀行に相談すれば銀行は彼はこふ是はこふと其信用の程度利益の割合等を指示して非常なる利便を与へて居る、此等の調査は決して銀行自身の為めのみならず、其銀行と取引を開くものゝ為にして居ると云ふても宜しい、此銀行は非常に多くの支店を有し、非常に盛なる営業振であつて又其銀行か得意先の便利を計つて居ることは敬服の到りであります、又仏国は資本が裕にして外国に「インヴエスト」して居る高も多いから、日本にも投資しては如何であるかといふに就ては、仏蘭西人は誠に寸毫の事にも感情の強い方で、日本の経済界の現状か斯く斯くであると云ふと直く騒ぎ出すと云ふ性質であるから、先つは困難である、但し政府の公債ならば喜んで投資するでありましやうが唯々現在に於て日本の公債に「ブールス」の取引品となつて居らぬから、仏人をして日本公債に「インヴエスト」せしむる前に方て先づ之を「ブールス」の取引品とならしむの手数をとらねばならぬとジヱルマン氏は云はれました
以上説述致しましたる米、英、独、仏の外、白耳義及伊太利等にも参りましたなれど、誠に短日月の滞在にして十分視察する程の遑もありませなんだから別段に申述べません