デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.563-565(DK060154k) ページ画像

明治36年5月21日(1903年)

是日銀行倶楽部清国貝子載振殿下ヲ招宴ス。栄一出席シテ演説ス。


■資料

銀行通信録 第三五巻第二一二号・第九二四―九二五頁〔明治三六年六月一五日〕 清国貝子招待(DK060154k-0001)
第6巻 p.563-565 ページ画像

銀行通信録 第三五巻第二一二号・第九二四―九二五頁〔明治三六年六月一五日〕
    ○清国貝子招待
銀行倶楽部にては五月二十一日午後六時より清国貝子載振殿下を始め奉り侍郎那桐、左丞瑞良、左参議陳名侃、翰林学士毓隆、副総税務司裴式揩(ブレトン)、候補五品京堂曾広銓、候補道陶大均、候補知県祝瀛元、戸部郎中張允言、同員外郎瑞豊、候補県丞祝書元、富士英諸氏及小村外務大臣、目賀田主税局長、丹羽式部官、蔡清国公使、沢村繁太郎、黒沢礼吉等諸氏を招待して宴会を開き宴酣にして委員長渋沢男爵の殿下並に来賓に対する拶挨あり沢村繁太郎氏之を清語に通訳し次に殿下の御答辞あり陶大均氏之を日本語に通訳したり、当日は主客を合し約百名の集合あり近来の盛会にして殿下にも最も御満足に思召
 - 第6巻 p.564 -ページ画像 
されたりと承はる、今左に渋沢委員長の挨拶及殿下の御答辞を掲ぐ
    渋沢委員長挨拶
 殿下閣下並諸君、私は当銀行倶楽部を代表致し玆に恭く殿下の尊臨を賜はりしことを謝し奉り、併せて一言御挨拶を申し上げやうと思ひます
 殿下今回の御渡来は第五回内国勧業博覧会御観覧旁々、我日本の事物を御観察の為めと承はります、而して御一行中には先年専使として渡来せられたる戸部侍郎那桐閣下、又現に副総税務司の職に在らるゝ裴式揩氏等も加はられて居ります、依て当市中に於ける銀行業者の会合に成れる本倶楽部に於きましては、此機会を以て殿下の尊臨を仰ぎ一同拝謁の栄を辱ふし、且つ御一行各位の枉駕を得て一夕の款話を請ひたいと存じ、私は会衆を代表して去る十七日殿下の御旅館に伺候し右の希望を殿下に申し上げました処殿下には快く御聴許遊ばされ、遂に今夕尊臨を辱ふし又諸閣下諸君の枉駕を得て玆に此小宴を開くに至りましたる次第であります
 抑々大清国と我国とは僅に一衣帯水を隔つるのみにして相互の交通最も古く、特に同文の国として其関係の親密なることは今更申すまでもありませぬ、けれども通商上に於きましては従来其関係未だ十分なることを得ぬのでありまして、此一点は我々常に深く之を遺憾として其進歩を希望して已まざる次第であります、今回殿下の御渡来を機とし、商工業の枢軸たる金融機関に当れる我々が玆に殿下の尊臨を請ひ奉りました所以も、決して偶然に出でたる次第ではありませぬ、其微志全く前に述べたる点に在つて存するのであります、而して殿下の快く我々の請ひを容れさせられて此宴に尊臨を賜はりたるも、亦或は玆に存せしことゝ窃に御推察申し上ぐるのであります、且つ承はる所に依れば大清国に於ても近年商工業の発達に関しては鋭意之を計画せられ、既に今回の御一行中にも銀行及幣制調査の任を帯びられたる諸君もある趣で、其御調査の事項は他日貴国の内外通商上に漸次其効果を見ることゝ信じます、果して然らば此小宴が単に一夕の歓迎会たるに止まらず今後愈々両国の通商を拡張するの端緒となりて独り吾々の幸福のみに止まらず、延て両国の鴻益となること尠少ならずと考へるのであります
 今夕は殿下の尊臨を辱ふし、且つ各位の枉駕を得ました処諸般の設備も甚だ不充分なるは誠に恐縮の至に存じます、終に臨み私は重ねて会衆を代表して殿下に対し謹んで敬意を表し奉り、諸君と共に玆に殿下の御健康を祝します
    貝子殿下答辞
 本爵大臣。於上年来東。為日無多。未克与諸君一叙為歓。此次本爵大臣等。欽奉本国大皇帝恩命。観覧貴国博覧会。因得与貴会長及会中諸君握晤叙談。已愜素願。乃復承貴会長与諸君特設盛筵同申款曲。並表明我両国数千年以来之交際関係重要。丞望清国工商業進歩足見。貴国与清国。属在同洲。情誼日臻親密。快慰尤深。那大臣。又奉命考察財政。夙仰貴国理財握算章程。本極精詳。玆者博訪周諮。実所佩服。回国後。尚擬規仿貴国制度。参以清国情形実力奉行。務期我
 - 第6巻 p.565 -ページ画像 
両国彼此有益。本爵大臣等。惟願我両国交誼。愈益敦篤。使亜東大局得以長享太平。此則本爵大臣等。与貴会長。応有同心所為。当筵祝祷而惓惓不能自已者也。謹挙一觴。為同座諸君寿。