デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.628-630(DK060166k) ページ画像

明治39年2月17日(1906年)

銀行倶楽部第四十九回晩餐会開カレ、来賓トシテ韓国財政顧問目賀田種太郎出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK060166k-0001)
第6巻 p.628 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
二月十七日
午後五時銀行倶楽部晩餐会ニ出席ス、稲垣公使・目賀田顧問来会ス、食卓上演説ヲ為シ、夜十時過散会王子別荘ニ帰宿ス


時事新報 第八〇二三号〔明治三九年二月一九日〕 銀行倶楽部晩餐会(DK060166k-0002)
第6巻 p.628-629 ページ画像

時事新報 第八〇二三号〔明治三九年二月一九日〕
    銀行倶楽部晩餐会
銀行倶楽部にては既報の如く十七日午後六時より同所に於て晩餐会を開きたり、招待を受けたる来賓中出席したるは目賀田韓国財政顧問、稲垣暹羅公使のみにして、加藤外務大臣、小村前外務大臣等は欠席したり、会員の参会者は渋沢栄一、豊川良平、園田孝吉、早川千吉郎、添田寿一、三村君平、志村源太郎、山中隣之助、桐島伝二、池田成彬
 - 第6巻 p.629 -ページ画像 
松方巌、成瀬正恭、原六郎、有島武、鈴木梅四郎諸氏五十有余名にして、渋沢男爵は「日露戦争の結果、我国の財政経済は欧米列強と密接の関係を馴致したり、戦後の経営を完了するに就ては従来の如く国内の事情のみに拠る能はざるの時勢に際会せり、即ち今夕海外に関係ある諸公を招請したる所以なり」と懇切なる挨拶を為し、次で目賀田顧問は韓国の総ての政務は其日暮しにして一貫の系統なきこと、政府の歳出入は実際の収支と伴はざるも課税は決して過重に非ず、整理の実を挙ぐれば財政の前途は多望ならざるに非ず、刻下の急務は交通機関の発達と産業の発展を促進するに在りと論結し、次に稲垣公使は暹羅の財政の存外鞏固なる所以を説きて、同国に於ては昨年春倫敦及び巴里に於て無担保にて発行価格九十五磅二分の一、利率四朱半を以て百万磅の外債を募集したるに四十五分間に八倍の応募を得たるは全く駐在公使の機転を利かしたるに在り、今後の外交官は財政経済を基礎として辣腕を振ふ人物を選出せざる可からずと云ひ、次に同国の財政、農産山林、貿易の頗る有望なる状況を説明し、我国が戦後の経営を完うせんとせば啻に満韓のみならず熱帯地方を殖民地とするか、但しは其マーケツトを支配するの計画を立てゝ商工業立国の基礎を開かざる可らずと論結し、渋沢男の謝辞あり、別室に移りて有益なる談話を交換し、散会したるは十時過なりし


銀行通信録 第四一巻第二四五号・第四五五―四五六頁〔明治三九年三月一五日〕 銀行倶楽部第四十九回晩餐会(DK060166k-0003)
第6巻 p.629 ページ画像

銀行通信録 第四一巻第二四五号・第四五五―四五六頁〔明治三九年三月一五日〕
    ○銀行倶楽部第四十九回晩餐会
銀行倶楽部にては二月十七日午後六時より加藤外務大臣、小村前外務大臣、青木駐米全権大使、高平前駐米全権公使、栗野駐仏全権大使、稲垣駐暹全権公使及目賀田韓国財政顧問等を招待して第四十九回会員晩餐会を開きしに、稲垣・目賀田両氏の出席あり(他は差支の為め欠席)会食後渋沢委員長の挨拶に引続き前記両氏より各一場の演説を為し、夫より別室に移り互に談話を交換して午後十時散会せり


竜門雑誌 第二一三号・第三五頁〔明治三九年二月〕 ○銀行倶楽部晩餐会(DK060166k-0004)
第6巻 p.629-630 ページ画像

竜門雑誌 第二一三号・第三五頁〔明治三九年二月〕
    ○銀行倶楽部晩餐会 銀行倶楽部に於ては本月十八日晩餐会《(七)》を開き加藤外務大臣、青木大使、小村枢密顧問、栗野大使、高平、宮岡、稲垣の三公使及目賀田顧問を招待したるが来賓の欠席甚多く僅に稲垣、目賀田の両氏のみ出席したり、主人側にては青淵先生を始とし園田孝吉、原六郎、早川千吉郎、佐々木勇之助、添田寿一、志村源太郎、左右田金作、山中隣之助、有島武、佐々木慎四郎等凡そ六十余氏、軈て七時頃一同食堂に入り青淵先生は
  戦後商工業発展の必要上銀行家は大に目を海外に注がざるを得ずとの趣旨を以て今又外交家諸氏を招待したるに、欠席の多きは甚遺憾に堪へず、玆に稲垣、目賀田両君の出席を得たるを幸とす、而して緩々両君の説を聞くことを得るが為には或は却て欠席の多かりしを宜しとするやも知れず
と一場の挨拶を述べ次に目賀田氏は韓国財政事情より説起し
  韓国には脱税甚多く其額五百万円或は其以上にも達すべし、是は主に韓国財政機関の備はらざる罪なり、今や着々機関の整理中に在り、又商工業機関としては二三の本邦銀行あり、倉庫業及手形組合の如きも正に其緒に就けり、若し韓
 - 第6巻 p.630 -ページ画像 
国の財政及商工業機関を整理し且農業を勧むるに於ては財源発達し、財政の鞏固を得ること容易なり、農業の主なるは棉花、麦等なるが此等の奨励には鉄道に沿へる道路の改修を要す云々
次に稲垣公使は暹羅の財政事情を説き、昨年春同国が外債を募集して欧洲に対する財政上の信用如何を試たりとて右外債一百万磅か四分半利九十五にて成功したり、又目下内債募集を試みつゝあり、其条件は五分利九十五の条件なりとて暗に本邦公債と暹羅公債の対比を傍聴者の胸中に浮かはしめ夫より
  今日の日暹貿易は甚僅少なれども若し香港新嘉坡等の仲次貿易及密貿易等を加算せば其額案外多くして或は一千万円にも達すべし、今や世界の各国は工業材料を自国の産出に俟たんとし、英国の如きさへ棉花の試作をなせり、我国が戦後商工業の発展を図るに就ても彼の砂糖其他の原料及商工業の発達に伴ふて起るべき食料を其最得易きの地に求めんと欲せば、暹羅の如き恐く其随一のものなるべし、近頃邦人にして印度米の臭気を除くべき発明をなしたる者あれば、是より米の輸入愈々盛なるべし、而して日暹貿易を盛ならしめんには航海の奨励を要す、目下暹羅国は日本船航路開始を希望しつゝあり云々と
とて頗る長演説を試み、最後に青淵先生両氏の演説に謝する旨挨拶し別室にて雑談に移り散会したるは九時頃なりき