デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.630-641(DK060167k) ページ画像

明治39年3月20日(1906年)

銀行倶楽部第五十回晩餐会開カレ、来賓トシテ日本銀行副総裁兼横浜正金銀行頭取高橋是清、日本興業銀行総裁添田寿一出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK060167k-0001)
第6巻 p.630 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
三月二十日
五時銀行倶楽部ニ抵リ晩飧会ヲ開ク、高橋是清氏来会ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜十時散会十一時帰宿ス


銀行通信録 第四一巻第二四六号・第六一五頁〔明治三九年四月一五日〕 銀行倶楽部第五十回晩餐会(DK060167k-0002)
第6巻 p.630 ページ画像

銀行通信録 第四一巻第二四六号・第六一五頁〔明治三九年四月一五日〕
    ○銀行倶楽部第五十回晩餐会
銀行倶楽部にては三月二十日午後六時より第五十回晩餐会を開きたり当日は日本銀行副総裁兼横浜正金銀行頭取高橋是清氏招待に応じて出席せられ、食後渋沢委員長の挨拶に次ぎ、高橋氏及会員添田寿一氏の演説(高橋氏の演説筆記は本号に掲げたり)ありて午後十時散会せり


竜門雑誌 第二一五号・第三六頁〔明治三九年四月二五日〕 ○銀行倶楽部晩餐会(DK060167k-0003)
第6巻 p.630-631 ページ画像

竜門雑誌 第二一五号・第三六頁〔明治三九年四月二五日〕
    ○銀行倶楽部晩餐会 銀行倶楽部にては三月廿日午後六時半より高橋正金銀行頭取、添田興業銀行総裁を招待して晩餐会を開きたり、来会者は青淵先生、松尾、園田両氏を始め百名有余にして青淵先生は起ちて今夕特に高橋日本銀行副総裁を招待したるは他に非ず、和漢古来より韓信の武功は人口に膾炙するも、帷幕裡に在りて文勲を奏したる蕭何の功績を知る者少なし、酒井、榊原の軍功は児童走卒も能く知れども鳥井強右衛門の功労を認むる者稀なり、日露戦争に於て我海陸軍
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の偉大なる武勲を感謝すると同時に外債募集の使命を全うしたる高橋君の偉大なる功績も亦感謝せざる可らず、自分は高橋君の門出に際し
  やがて咲く花の色香を異国に
     先づ手折りませ山吹の花
と云へる一首を餞したるに、予期に違はず高橋君は外債募集に於て申分なき成功を齎らして帰朝されたり、願くは荒き風の為め此山吹の花の吹散されぬやう、お互に警戒するは高橋君の偉大なる勲功に酬ゆる所以の途なりと信ずと挨拶し、次で高橋是清氏は第一回第二回の外債募集の事情は既に大蔵大臣邸に於て悉したれば、第三回以来の募集の経過を述ぶべしとて第三回外債三億円の募集に就ては紐育シツフ氏の尽力及余儀なき事情あつて独逸銀行の申出を謝絶したる次第を述べ、次に第四回外債三億募集の際には倫敦のシンヂケート及新聞記者の切なる反対ありしも、独逸銀行を我政府の代理人に加へたる結果意外の成績を得たる事情を述べ、更に第五回四分利付整理外債五億募集に就ては最初巴里の有力なる銀行は我政府の代理人たる事を快諾したるも途中露国の故障の為め表面の発行者たるを避たるも、ロスチヤイルドの尽力に依りて是又意外の好成績を収め得たる次第を詳述し了りて、第一倫敦には株式取引所用の金融市場と商業用取引の金融市場の二種類あること、第二倫敦市場が世界貿易の決算の焦点となり居る所以は(一)英国は純然たる金貨本位国なる事(二)金貨の出入自由にして他国の如く法律規則の為め制限せられざる事(三)外国為替業の発達の著しき此二点に外ならずと述べ、次に英蘭銀行と市中銀行との関係を述べて局を結び、次に添田寿一氏の韓国視察談あり、別室にて雑談に時を移し散会したるは十一時間近なりき


銀行通信録 第四一巻第二四六号・第五八〇―五八九頁〔明治三九年四月一五日〕 第三回以来英貨公債募集顛末 附倫敦金融事情(銀行倶楽部晩餐会席上演説) 横浜正金銀行頭取高橋是清(DK060167k-0004)
第6巻 p.631-641 ページ画像

銀行通信録 第四一巻第二四六号・第五八〇―五八九頁〔明治三九年四月一五日〕
    ○第三回以来英貨公債募集顛末
     附倫敦金融事情(銀行倶楽部晩餐会席上演説)
              横浜正金銀行頭取 高橋是清
会長閣下、諸君、今夕は御招を蒙りまして私に取りましては此上もない栄誉のことゝ存じまして深く御礼を申上げます、殊に唯今会長閣下より篤き御言葉を賜はりまして是れ亦身に余る栄誉と存じます、深く御礼を申上げます、実は近頃担ひ切れない程忙がしい仕事が手許に嵩まつて居りまして今夕御招を受けましても何も御話を致さうといふ用意もなく出ました処、此処に参りましてから何か話すやうにといふことを承はりました、依て見聞の一二を申上げやうと存じて居りましたが併し御馳走中は考へますと御馳走が旨くありませぬから其考も致しませぬで十分頂戴を致しました次第で、玆に立ちまして皆さまへ興味のある御話を致すといふことは甚だ覚束ないことでありますがそれにも拘はらず暫く御耳を汚したく存します
昨年一月十日に一旦帰朝を致しまして翌二月の十七日に再び当地を立ちまして倫敦へ参りました、其節にも御招を蒙りまして第一回、二回の外債募集の事情に付きましては其時既に申上げた次第であります、それで昨年三月十九日再び倫敦へ参りまして第三回の募集に着手致し
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ました所から大要の経過を申上げます、此時は先づ二億円許の公債を一回に出来なければ二回にでも宜いから募集をせよと云ふ政府の命令でございました、併し多い程が宜いといふことの附言があつた、丁度紐育へ参りました時一寸風を引いたのでありますが滞在三日の間外へ出ることが出来ぬので……前に一回、二回の発行者となつて日本の公債募集に亜米利加に於て尽力して呉れました「クーン、ロヱブ」商会のシツフといふ人が訪ねて呉れましてそこで先づ相談を致しました、序に申しますがシツフといふ人は日本へ漫遊に参りますので本月二十四五日の頃に横浜へ着くことになつて居ります、で此時は既に旅順の陥落の後でありまして日本の信用が増し国威も発揚した際でありますから最初の一回乃至二回から較べますと公債募集談も稍々容易でありました、殊に此シツフと申す人が非常に日本に同情を寄せて居りますからして倫敦の発行銀行と私との相談が纏るならば自分の方には更に異存がない、殆どお前を自分の代理者として宜い位だから十分に行つて遣るが宜い、倫敦で以て三億円の相談が出来れば自分の方では其半分を引受ける、何でも倫敦で発行するものと同額丈けは必ず自分が米国で引受けるから発行価格或は利子等はお前が倫敦へ行つて倫敦の発行者と極める所に異存なく同意すると云ふやうな非常な親切の話でありました、それに力を得て倫敦へ参りましたが其前に電報を出して置きまして僅か四日間にして大体の話を極めて三億の公債を倫敦で半分亜米利加で半分募集を致しました、是が即ち第三回の募債であります斯くて三月の二十九日に募債を終りまして最早帰朝の叶ふことゝ存じまして四月末に亜米利加へ着きました所がまだ留つて居れといふ政府からの命令がありまして遂に六月になりまして更に又三億許の公債を募集しろと斯ういふ命令でありました、此時は前に三億募集しましてまだ月日の余り経たぬ中であります、又其払込もまだ終らぬといふ時でありましてナカナカ六ケ敷ことでありました、併し第三回の時に独逸でも日本の公債を発行したいといふことの申出があつた、併しながら既に米国と倫敦との相談が纏まりまして時日の遷延を恐れましたからして、独逸を対等の権利で条約に調印する位置に立たせることは出来ない、倫敦の発行者の代理者となつて独逸が発行することなれば取計らはうと申した所が、独逸の銀行者はそれでは自分等の体面に関はる、矢張り日本政府から直接に発行銀行となつて発行するのでなければ自分等は之に応ずることは出来ないといふので遂に第三回の時は独逸は加入しなかつた、併しながら独逸の公衆は日本の公債を持ちたいといふ風がありました為に或る筋に於て倫敦の発行者の代理者となつて申込書を取次で大分独逸へも這入つた、又瑞西、和蘭、白耳義、維也納といふやうな所へも日本の公債が余程這入つたのであります、そこで第四回の募債の時には丁度亜米利加に居つたものですからシツフ氏と相談をして、唯英米二箇国で発行すると言つてもどうも人気が宜くあるまい、何か新規の事を一つ加へて景気を附ける必要がある、それには第三回の時に独逸があれだけ望んだものであるから、今度一つ公然独逸で発行する、独逸を仲間に入れるといふことにしたならば日本公債のために更に世界の大市場が開かれることになるからして一般
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の人気を引立てるのに宜しくはあるまいか、加ふるに日本政府に於きましても独逸の加入は最も望む所であります、依てシツフ氏の親戚が独逸の漢堡に居て「ウワーベルグ」商会といふナカナカ勢力のある商会であるからシツフ氏をしてそこへ先づ電信を遣つて独逸の意向を探ぐらせた、所が独逸は何時でも加入しやうといふ返辞を得まして直ぐさま六月二十四日に紐育を立つて倫敦へ行きました、然るに倫敦の銀行者は大に反対をした、どうも僅か数箇月前に三億の公債を募集して払込が未だ済まない、殊に日本政府は莫大な金を未だ倫敦に所有して居て金の入用がない、且つ又平和の談判も最早開かれるといふことに殆ど決つて居る、且つ日本政府が莫大な金を持てそれを倫敦に預けて置くときは一朝日本政府が倫敦市場の金融などを顧みずして勝手な取扱をされてそれが為に倫敦市場は恐慌を来すといふことに陥ることがないとも云へぬ、余り大きな金を倫敦に於て日本政府に持たせるといふことは独り倫敦市場ばかりではない延いて紐育、巴里、伯林等の市場にも其の金の動かし方に依つては影響を及ぼす、加之前の第三回の三億の公債が未だ十分に公衆の手に渡つて消化されて居らぬ、幾らか時を与へて公衆の手に買取られて納まるべき所に公債が納まつて然る後に新に公債を発行するは宜いが、未だそれが十分咀嚼されて居らぬ内に更に又三億を募集するといふやうなことは日本政府の為めにも宜くなし倫敦市場の安危からいふても宜くない、又日本公債の所有主の利益から云つても宜くない、日本公債の声価の上に於ても信用の上に於ても宜しくないといふ論議で倫敦の重なる新聞の経済担当の主筆なども其論に傾いて居た、それで倫敦銀行の代理者と正金銀行の倫敦支店支配人山川勇木の両人とが船中で私を説得して此第四回の募債を延ばすとか止めるとかいふことにしやうといふので、途中サウサンプトンから乗船した、それでナカナカ其論鋒が強い、併し私はもう日本政府は公債募集のことに決心をしたのである、成程媾和談判は始まるといふことは聞いて居る、併し此の媾和談判は果して其結果が平和に終るや或は戦争を継続するや今日未だ判らないことである、又此媾和談判がどの位時が掛るかそれも判らないことである、日本政府は是までの財政の取方に依つて既に明なる通り半年乃至一年先のことを慮つて軍資を用意して居るのである、媾和談判が始まつて居る最中に若し金が入用だといつて公債を募集するやうな場合になつたらドウである、是は平和の見込がないに依て戦争を継続する為に日本政府は金の用意をするのであると公衆は思ふであらう、公衆は一日も早く平和を見たい、今度の戦争では平和の端を啓くだらう今度は平和になるだらうといふ希望で大なる戦のある度毎に何時も其希望を抱いて居る、是が世界一般の心行である、それへ持つて往つて談判中に金を募るといふことは彼等をして失望せしむる、其の失望した場合に於て果して公債を募集することを得るや否や、是も考へなければならぬ、又不幸にして媾和の談判が纏まらないで戦争継続となつた時には、矢張公債募集には甚だ宜しからぬ時機となる、故に和戦何れに終るとも構はない、日本政府は今日が公債募集の好時機と認めて之に着手する訳である、又日本政府に莫大な金を海外に持たせて置いては其操縦の仕方に依て倫
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敦の市場を攪乱し延ひて欧羅巴、亜米利加の市場にまで災禍を及ぼすといふやうな懸念は是は想像に過ぎぬ、戦争始まつて外債を起して以来日本政府の如何なる処置が倫敦市場の害になつたか、一としてそんな例はないではないか、寧ろ倫敦市場を助けて居るのである、それだけ注意して日本政府は金の操縦をして居るのである、事実が証明して居る、決して其懸念には及ばぬのである、又一つはさう日本政府が金を沢山持つたならば必ず媾和談判に於て日本政府の請求が余程強くなつてそれが為に媾和になるべきものもならなくなるだらうと云ふことも彼等が云ふがそれも無用の心配である、此戦に就て発端から能く此外交の談判、日露の談判といふものを調べて見たならば日本政府はどの位まで譲歩しどの位まで忍んだといふことは解る話、決して戦が好きで起したものでない、といふやうなことを十分説明して彼等を説伏せた、新聞記者も兎に角自分等は日本には非常に同情を寄せて居るけれども日本政府の為すことならば理でも非でも一概に賛成するといふことは出来ぬ話であるが、併し高橋の着するまでは新聞には其事は出さぬ、高橋が着したならば一つ話を聴かなければならぬ、且止めなければならぬといふ訳であるといふ話を船中で聴きました、夫でリバープールに着きますと新聞記者から電報が来て居る、私の倫敦の宿屋は先年渋沢男爵の宿つて居られた旅館でありますが其処に何時に着くかといふ問合せの電報を寄越した、午前七時頃には着するから直ぐ来るやうにといふ返事を出して置いてそこで新聞記者に面会した所が丁度船中で聴いたやうな話を繰返して言ふのである、それで私も船中に述べたやうなことを以て之に答へた、処が彼等は如何にもお前の言ふ所は道理がある、けれども此公債はドウも成功の見込がない、ドウも戦時公債で日本のやうに頻繁発行したといふことは殆ど比類がない、且つ前に発行したものゝ払込の済まぬ内に又あとから発行するなどゝいふことも例のないことである、故に発行した所で恐くは十分な成功を得ることは出来なからう、是までは日本の公債は実に美事の成功をした、此成功といふものは大事なことであつて今度若し成功に終らず失敗に終つたならば此上日本政府が金を借りやうといふ時分に余程妨になる、兎に角もう少し延ばしたら宜からうといふことを又彼等が勧める、それに対して私は日本政府はもう決心して居る、今度は独逸も這入る、今までは英吉利と亜米利加とのみに依て遣つて来たが、今度は独逸の市場が日本公債の為に新たに開かれる訳であるから此新たなる大市場が日本政府公債の為に開けたといふことは大に人気を引立る動機となるから、私は今度の公債も必ず十分な成功を告げると思つて居る、それが一つの力ともなり且さう決心して居るから仕方がないと論じた、そこで遂に先も折れた、折れると又不思議なものでそれまでは反対したが彼が聴いて尤と思ひ已むを得ぬ事情であると思ひ、又独逸の新に加はるといふ事情は成程公衆の信用を博する大なる原因となるといふことを聴いた上は彼等は私の方から頼まずとも日本政府の公債の成功するやうにといふ希望を以て新聞に色々書いて呉れた、そこはドウも如何にも大国民の新聞紙だと私は其時に深く感じた、それから其新聞記者に会つたのが丁度日曜日で、其翌日から予て紐育から電報
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を出して置いて独逸の代理者が倫敦へ来て相談をするといふ手筈になつて居つた、さうして第四回は三億円―独逸に於て一億円、倫敦に於て一億円、亜米利加に於て一億円、三分してさうして是は矢張大成功を以て終つたので、此三回の三億と四回の三億、此六億円の公債は即ち煙草専売収益が抵当となつて利息は年四分半である
もう是で私は御用が済んだことゝ思ふて帰らうと思うたら又留まれといふ、まだ媾和談判がドウ終るか判らぬ、其模様に依ては又お前に申して遣ることもあるからして兎に角倫敦に留まつて居れといふこと、又一つには予て戦後には殖産興業の発達を図る為に低利の資本を供給することが必要である、それには矢張外資を輸入せねばならぬ、之を捨てゝ置けば色々な周旋人などが出て或は不確実なる事業を海外の市場に紹介し金を借りて彼等に損を掛け其の影響として日本の事業の信用を失ふといふやうなことも起るだらう、又割合に高い金を借りるやうなこともあるであらうから、政府に於て先づ玆に一の民間外資輸入の関門といふやうなものを造ることが必要である、といふことを当時の当局者は慮かられてさうしてそれには興業銀行を外資輸入関門とする考であるからして、之れを一つ外国に紹介して外国人にも株を持たせ、さうして外国に於て資本家を後ろ楯に取つて確実の事業に向つては此関門よりして安い外資の這入るやうにしたいから之を一つ結び付るやうに骨を折れといふ内命でありました、かうして其事も公債の事務の傍ら心掛けて居りまして、段々亜米利加でも倫敦でも相談を致しましたが是はナカナカ六ケ敷いことで少なくも株の半分は外国人は握らなければならぬ、重役にもなれる代表者を入れなければならぬ、或は興業銀行の発行する債券には政府は利息を保証しなければならぬ、配当の保証は寧ろ必要はないが債券の利息は政府が保証するといふやうなことをしたら宜からう、それなら先づ相談して株主にもならう、又債券発行の世話もしやうと云ふやうなことでありまして、ナカナカ事が運ばなかつた、然るに倫敦に於て既に諸君御承知の通り株券も権利数は少なく向ふから重役一人入れるではなし全く政府の監督の下にある興業銀行であると云ふことを彼等が信用してさうして無条件で這入つた、此株主となつた人は倫敦のロスチヤイルド始め仏蘭西の人、亜米利加の人、英吉利の人、即ち世界に名の知れて居る金満家が株主となつたのであります
偖第五回の外債は四分利付無抵当五億円の発行と致しまして、其の内二億五千万円は内国債償還の目的を以て現金を募集する、残りの二億五千万円は曩に関税抵当で募集致しました所の二億二千万円の公債、即ち短期の外債の切替に用ゆる―引替にするといふ意味で、媾和談判が済みますと直に政府から戦後の経営として内国債を二億円還すから其用に充てる為に外債を募集せよ、又曩に六分で起した二億二千万円の公債の切替もしやうといふのであつた、然るに此時は媾和談判の結果償金は取れぬといふことになつて、日比谷公園の騒動もあり、日本の国民は之に向つて不平を抱き失望したが亜米利加人も英吉利人も矢張償金は日本が当然取るべきものである、取れるだらうと一般に思ふて居つた、然るにそれが取れぬといふことで日本人が失望した如く
 - 第6巻 p.636 -ページ画像 
に英米人も矢張失望した、日本の公債を所有して居る人は日本が露西亜から償金を取れば、それが即ち彼等の利益になるといふことを考へて居つた、然るに其の償金が取れなければ十何億といふ戦費は尽く日本の国民が負担をなしければならぬ、即ち之を租税に依つて支弁するということになれば国民の税は益々重くなるだらう、随て生産の力は衰へるだらう、遂に自分達の持つて居る公債といふものはドウなるであらうといふことまで心配して一時人気が大に落ちた、併しながらそれは一時のことであつて段々戦時中の有様から戦時中の外国貿易――単に輸入の増進許ではない、輸出も増進して居る、実に不思議な国民である、百万足らずの壮丁を満洲に出して国の産業がそれだけ衰退すべき筈であるのに、却て輸出の増進するといふのは是は産業発達といふことを証し居る、斯の如き勉強をして勤倹なる国民のことであるからして、此戦費を甘んじて負担するであらう、又財政当局者も今日まで実に立派な手腕を現はして居る、必ずや政費も節減し不生産的に金を使ふといふやうなことはなくして、是からは十分に満洲に朝鮮に日本の資本と人民とを以て天然の富を開発し、そうして日本の国力を増進し、償金は得なくとも優に公債の元利を償還する力のある国民であると云ふ風に、又考が忽ち直つて来た、殊に戦後の経営として其当時の内閣の抱かれて居つた方針目的に増税は更らにしない、是までの戦時増税を継続して行くことは国民も甘んじて之を承諾するだらうが、更に税を増さずして此の戦後経営の処分が附くといふことは彼等も不思議がつた位である、さうして一億数千万円の公債整理基金といふものを引抜いて利息を払ひ多少づゝと雖も元金を償還して行くといふ方針を取られたといふことに付ては実に彼等は日本の財政に最も信用を置いたので、それからして此四分利付無抵当五億円の公債の発行の気運を生み出したのでございます、殊に一昨年十一月倫敦を出発する前からして私は予て仏蘭西の市場を日本公債のために拓らきたいといふ考を持つて居つた、是はなぜかと申すと御承知の通り世界中で勤倹貯蓄に富んで居る国民は仏蘭西の右に出る国はない、仏蘭西の農民は一たび公債を持ては其公債が利息が払はれて居る間は其公債が幾ら高くなつても売るといふ国民ぢやない、もう持つたらそれを放さない、戦争中露西亜が毎戦敗北をして居つて公債の価格が割合に落ちなかつたが或は露西亜政府の操縦といふことを言はれる人もあります、けれどもそれは誠に僅かの部分で畢竟は露西亜公債の大部分を持つて居る所の仏蘭西の農民が之を疑がはない結果割合に売る者がなかつた為めにあの位敗北せしにも拘らず公債が下らなかつたのである、日本の公債と較べると何れも幾らか高くなつて居た、唯媾和談判の後内乱のために公債が下つて今日では日本の公債より直段が下つて同じ四分利付の公債が日本の公債よりは下つて居る、仏国の人民はさういふ国民であるから仏国の市場を日本公債のために拓いて一たび仏蘭西人民の信用を我公債に得たならば実に頼みになる国である、借金をするのは余り好まぬけれども併しどうしても借金国になつた以上は之を回復するまでは成るべく好い得意を欲しいといふので、一昨年からして手を着けて置いたのが段々物になつて此十一月二億五千万円現金を募集する内
 - 第6巻 p.637 -ページ画像 
一億二千万円だけは巴里で引受け、六千五百万円を折半して其一半を英国に発行し残りの一半を更に折半して独逸と亜米利加に割つた、当時は独逸は金利が引締つて年六分乃至七分といふ歩合にあつた、亜米利加は二割四分といふやうな金利を現はした、倫敦も段々英蘭銀行が利息を締めて遂に四分にした、「バンク、オフ、イングランド」が戦争中はいざ知らず平和の時代に於て金利を四分にするといふことは是亦珍しいことであつた、故に仏蘭西が這入らなければ此等五回の四分の公債といふものは出来なかつた、金利の上から云つても無理であつた、なぜ是が出来たといふと、仏蘭西は募債には世界第一等の市場である、それが日本公債のために拓かれたといふことが助けとなつて外の国にも之が行はれるやうになつたのである、仏蘭西で公債を募集するに付きましては幸ひ仏蘭西のロスチヤイルドが日本政府の公債の発行者たることを承諾して呉れた、是は殆んど十三年間さういふことには手を出さなかつた、全体が露西亜の公債を専ら扱つたのであるが、そこに事情があつて露西亜の公債を世話をすることを断つた以来殆ど十三年手を出さなかつた、然るに之が今度初めて日本の公債を発行することになつたのは大変仕合せであつた、「クレヂー、リオ子ー」、「ソシエテー、ゼ子ラル」、「バンク、オフ、パリー」等が総て日本の公債の発行者たることを希望し、仏蘭西政府も亦露西亜政府から別段異存を申立てられずに――日本の公債を仏蘭西で募集して異存はないといふことの返事を露西亜政府から取つて承諾をした、併し予て露西亜政府と縁故の厚い仏蘭西の重なる各銀行者は寄々日本公債の発行者たる希望を抱いて其事は殆ど口約束が出来て居つたにも拘らず或る筋即ち露西亜の筋から之を妨げられて公然名前を出すといふことは事情出来なかつた、然るに幸にして露西亜政府と今日は関係のない所のロスチヤイルド、而も発行者として此上越す者はない所のロスチヤイルドが発行者たることを承諾して呉れた為めに日本の公債を仏蘭西で発行することが出来たのである、誠にロスチヤイルド家を発行者としたことは仕合であつて、若しそふでなかつたならば表面の相談は熟して出来るばかりになつて事実出来ないといふことになつたのである
私の海外に於ける使命を果しました経過は概略前申しました次第で、先づ日本国民の心では不満足といふこともありませうが、海外の人から言はせますると日本の戦時公債は実に比類なき成功であつて、南北戦争の時に亜米利加は六分の公債を起し、普仏戦争の時に仏蘭西が六分の公債を起し、トランスヴアールの戦争の時に英吉利が矢張公債を起したけれども、日本の公債のやうにトントン拍子に段々と利息も安く割合が能く発行せられ而も僅か十八箇月の間に十億七千五百万円という巨額の公債を発行して成功したといふことは殆ど比類がない、南阿の戦争の時に英吉利の公債は段々直が下つて、殊に亜米利加あたりで発行したものは忽ち倫敦へ戻つて来て、さうして英吉利の公債の直が下つたといふやうなことであるのに、我戦時公債は先づ外国では尽く評判が能くありました、成程近頃始めて日本の公債が発行価格より下に降つた、是れは極く近頃私が倫敦を立つて布哇へ来た時に始めて其事を電信で聞いた、併しながら一昨年の四月第一回を募集して以来
 - 第6巻 p.638 -ページ画像 
それまでといふものは必ず日本の公債は発行した価格より千分の五なり、或は百分の一なり市価が上に出て居た、即ちそれが成功といふのである、斯く成功したのは何であるかといふと即ち陸海軍の連戦連捷に依つて国威の発揚したのと、又一には此経済社会、即ち諸君の御尽力等に依つて内国債も首尾能くいつでも募集を終つた、即ち此経済社会が内には軍人の援護となり、外に対しては我経済の力の強きことを示して財政の信用を維持したといふことに諸君が貢献せられた、それに依つて私が先づ使命を果し得たのであります
募債談は是で終りまして、私が倫敦に於て見聞しましたことの二三を掻摘んで是は多少御参考にならうかと思つて御話を致します(謹聴)倫敦の金融社会が二タ通ある、一は「ストック、ヱキスチヱンヂ、マーケツト」是は即ち株式取引所用の金融をする――場所といつても家も何もないのですが、其方の金融界、是は重に貸付金、それからもう一は「アウトサイド、マーケット」、是は即ち商売用の取引の為の金融界である、是か即ち一ト口で云へば割引で行く方、一方は貸付利子で行く方、新聞などに出ます所の倫敦電報に依つて現はれる金利といふものは「アウトサイド、マーケット」即ち割引の方で、商売用の方に用ゆる金融界の利息である、「ストック、ヱキスチヱンヂ、マーケット」の方は電報で来ない、是は常に商売の金融界よりは利息が高い、而して其金は取引所の決算日に多く入用で整理公債は三十日目に決算する、故に整理公債に向つて出る貸付金といふものは期限が三十日、それから普通の株券などは或は一週間乃至二週間目で取引をするといふ組織、故に是は一週間乃至二週間定期といふ貸付で定期の貸付といふものは又再びそれを売買することは出来ない、仮令一週間でも二週間でも固定をする、一方は割引でありますから手形の期日は三箇月もあり、或は六箇月もあるけれども、是は兎に角現金同様である、市場へ出せばいつでも売買が出来る、斯ういふ風に倫敦の市場は金融界が二つに別れて居る、それで金利を高く得やうと云へば株式取引所用の方の金融界に向つて放資しなければ好い利息は取れない、けれども是は制限がある、矢張幾らか高利貸みたやうなことでさう広く巨額の金は貸付けられないといふことであつて、是は銀行が専門に遣つて居つて仲買人が凡そ二千人もある中ですから誰にはドノ位、誰にはドノ位といふ制限を置いて金を出して居る、而して商業上の金融界の方は無制限に金が出る、そこでいつでも金がダブついて困るといふのが此商売上の金融界で是はモウ何時でも金になる、今日金が欲しいと云へば其手形を持つて行けば今日直ぐに金になるといふ性質のものにばかり放資されて居る、先づ倫敦の市場には此二ツの金融界があるやうに察せられます
又もう一つ御参考に申上げて置きたいのは、御承知の通り倫敦が世界の貿易貸借の決算の場処になつて居る、なぜかといふと主なる原因が三つあらうと思ふ、第一には御承知の如く英国が始めより金単本位で他の国は金銀両本位を用ゐ、或は銀貨本位であるが英吉利ばかりは抑も初めより金単本位であつて、如何なる場合に於ても之を変へずに維持して来て居つたといふのが一つの原因、今一つは他の国では金貨の
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外に出ることを色々な手段を以て防ぐ、或は制限を附したり何かして色々な手段を執るが、倫敦ばかりは自由自在で金銀の出入といふものは法律手段に因て妨げられて居りませぬ、全く入ることも自由、出ることも自由である、是が矢張一つの主もなる原因であります、今一つは英国は海上の権を握つて居る、即ちそれがために世界の各処に殖民地がある、従つて貿易が非常に発達して居る、故に外国為替の業務といふものは独り英吉利人の間に発達した、近頃独逸あたりが大分始めて来ましたが外国為替業の本家と言ふたならば先づ英吉利人である、亜米利加の銀行などが近頃漸く外国の仕事をしたいと言つて志ある者が其処に十分考を懐いて居るがまだ人が養成されて居ない、処が英吉利人は海上の権を握つて世界の各処に殖民地を持つて居るから貿易が盛である、それに従つて自然と外国為替の業務を執る人が十分出来て居る、それがために倫敦が世界の決算所となつて居るのです、是れが主もなる三つの原因であると私は思ふ
モウ一つ銀行界の事に付て御話を致します、アチラでは大層銀行の重役の数が多い、而して此重役には先づ大別して二種類ある、一つは情実から重役になつて居るもの一つは銀行の為めに必要な人が必要といふ方から重役になるので、重役に斯う二通りある、情実から重役になるといふのは即ち其銀行の創業者の子供だとか、或は銀行に非常に功績のあつた取締の子供だとか、或は他の銀行を買取つた其買取つた先きの頭取をして居つた人が這入つて来て重役になる、さういふやうな縁故事情からして――情実と言つては語弊があるか知れませぬ、さういふ事情から重役になる、今一つ必要から重役になる方は銀行が種々の業体と取引をする、即ち鉄物商と取引をする、綿商と取引をする、雑貨商と取引をするといふやうな工合で各商に亘つて銀行が取引をする、其各業務に関係のある商売筋、其社会の人で信用ある人を其銀行の重役にするので銀行の重役会といふものがありますといふと、マア大体重役で決議すべき事は決議し、又報告するものは総支配人が報告する、其後で必要な重役が各自分の業務、商売上の事に付て銀行の為に参考となるやうな話をして支配人に聞かせる、例へば綿は今年どういふ景気であるとか此先自分はドウいふ見込であるとか、或は自分の同業者に斯ういふ成功者がある、斯ういふ失敗者がある、誰は銀行の得意だけれども以来注意をしてやらなければならぬといふやうな事を言ふて聞かせる、鉄物商亦然り、毎週一回集つて重役等が自分の商売上の智識、経験を以て銀行の参考となるべき事項を注込んで呉れる、銀行の支配人はそれを聴いて自分の不断執つて居る業務の参考に資する、さういふやうな工合に銀行の重役には二通りあるやうに思ふ
それから又中央銀行と他の銀行の関係に於ては余程日本などゝ違ふて居る、他の銀行は措て「バンク、オフ、イングランド」は是れは各銀行者即ち経済社会一般の決算所になつて――倫敦といふものは世界の決算所になつて居つて倫敦は金銀の出入が自由である、故に一朝事有れば倫敦に財産を持つて往つて置くが一番安全であるといふ事を世界の人が認めて居る、仏蘭西が少し戦でも始まりさうだと云へば、仏蘭西の金を持つて居る人が即はち仏蘭西の銀行に預けて置くよりは倫敦
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へ持つて往つて倫敦へ保存して置く、独逸も亦然り、兎に角倫敦といふものは一番安全な場処である、金銀の出入が自由である、仏蘭西に置かうが独逸に置かうが戦でも始まりさうな時には其金を持つて出ることはならぬといふやうな事を言はれるが、倫敦では決してサウいふ事はない、詰り世界決算所で又世界の資金を呼付ける力のある市場でありますから是が即ち倫敦の経済社会の為に非常な利益となつて居るのです、それ故其基礎を堅固にして置かなければならぬ、其基礎は何にあるかと云へば即ち英蘭銀行の力であります、故に各銀行が寄つてタカつて英蘭銀行の力を助ける、英蘭銀行の準備金を成るべく減らさぬやうに自分等が無利息で大きな金を預けて置く、少し名のある銀行は常に百万磅、二百万磅の預金を英蘭銀行にして居ります、で近頃は他の銀行が発達して来て尚用心を取つてどうも吾々が英蘭銀行にばかり金を積んで置いたところで英蘭銀行の預金は果して不断使はないであるかどうであるか、吾々が絶へず入れて置くのは恐慌の起つた場合の用意で万一取付や何かのために市場が恐慌を起した場合の用意として自分達が英蘭銀行に預金をして置くのであるが、英蘭銀行も株式組織であるから相当に利益を謀る、自分達が無利息で金を預けて置いても英蘭銀行が時として之を使ふ、使はれてしまへば矢張それだけ準備金が薄くなるから便りにならぬといふので、近頃大きな銀行は自分自ら現金を以て自分の金庫に貯へて置く、即ち金貨を貯へて置くのです
さうして丁度第五回の日本公債を発行する前でした、英蘭銀行の利息が三分から四分に上り尚之れを五分にも上げにやなるまいといふ勢が見へた、其時です、常に自分達の金庫に現金を積んで居る銀行が如何なる態度を執るかと思つた所が密に英蘭銀行に意を通じて、自分達は現金を持つて居るから一時の事ならば預け入れませう――預けませうと言ふものは成るたけ金利を安くして置きたい、金利の上るといふ事は単に倫敦の市場といふばかりでない、是は地方の貸借、預金などの標準になつて従つて工業、商業などの標準になる、故に資本の利息の高いといふことは商工業共に害になる、成るべく資本の利息は安くして置くといふことが彼等の精神であつて若し必要があるならば吾々の金庫に納めて置く所の現金を預けやうといふ位にまで――是は内所です、表向に新聞や何かに出てはドウか知れませぬがマア構はぬでせう
さういう訳で他の銀行が皆中央銀行に金を預けて置く、而して此中央銀行はドウして活動するかと云へば、是又ヱライ事をして居る、丁度他の銀行が自分達の持つて居る現金を預けるから此際利息を上げなくて済むならば先づ上げない方が宜からうといふ気勢を示したが、其時英蘭銀行は先づ大概預からぬでも宜からうといふて預からなかつた、けれども他にヒドイ手段を執つた、それは外ではない当時ドンドン商業界に於て金が溢れて来た、さうすると英蘭銀行が四分に利子を上げた効能が無い、利息を四分に上げただけの利き目が無い、一方に資本が溢れる、英蘭銀行の利息が四分であるのに一方では一日でも金を寝かして置いては損だから「コール、マ子ー」――利息年二分乃至二分半といふ金を出す、さういふ金が他の商売用の方に多いといふと矢張株式取引所の金融界に這入つて来て其利息を安くすると英蘭銀行が利
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息を四分に上げた利き目が無い、所で英蘭銀行が此時どういふ手段を執つたかといふと主もなる銀行の余り金を皆借上げた、年二分五厘の利息で悉く英蘭銀行に借上げた、それが丁度取引所の決算日の前日であつた、それを市場の人が少しも知らなかつた、そこで翌日決算日になつて金を英蘭銀行に借りに往くと五分でなければ貸さぬといふ、二分五厘で市中の金をスツカリ借上げて置いて五分でなければ貸さぬといふ、其時取引所界隈の人の噂には英蘭銀行が白昼盗みをするといふて悪口を言つた、けれども新聞などはサウいふ事は書かない、人が斯んな悪口を言つて居る位の事は雑報に書きますが意見としては寧ろ英蘭銀行に賛成して居るのです、ナゼかと云へば英蘭銀行が一個人、或は一会社一銀行を観てやるのではない、即ち市場の有様を観て働くのであるから若し此時にサウいふ手段を執らなければ年末即ち昨年の十二月に至つて英蘭銀行がドウしても五分に利息を上げにやならぬといふ勢いになつて来る、五分に上げたくないがために最初に四分の利息で先づ利き目を持たせるやうにしてさうして市中の余り金を悉く二分五厘で借上げて、五分で借したのです、而かも英蘭銀行が金を貸すのに借人の言ひなり放題に期日などは定めない、お前のは六日ではいけないから七日目に返せ、お前のは十日目に返せ、お前のは七日目ではいけないから六日目に返せといふやうな工合に銀行が其期日を一口指定する、けれどもソレでも決して無理だ悪いといふ者は一人も無い、英蘭銀行は自分の利益の為にやるのではない、市場の全体の為にやる処置だといふだけの信用を持つて居るのです
マアそういふやうな事が英蘭銀行と他の銀行との関係でありまして、不断他の銀行が十分英蘭銀行を助けて居るのです、それから又申上げたやうな訳で英蘭銀行が飛抜けた働きをして居ります、昨日も私は近頃倫敦から来た手紙を見ましたが、是は冷かしかも知れませぬが相変らず年が変つても思慮深き英蘭銀行の手段に因つて市中の金融が締て居るといふ手紙でありました、是は既に御承知の御方もありませうが見聞の二三を申上げました次第でございます、長々時を費やしました
                          (拍手)