デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.660-662(DK060170k) ページ画像

明治39年6月5日(1906年)

東京銀行集会所、東京交換所及銀行倶楽部三団体主催ニヨル外交官招待会開カレ来賓トシテ統監伊藤博文等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK060170k-0001)
第6巻 p.660 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
六月五日
午後五時半ヨリ銀行倶楽部ニ抵リ宴会ニ出席ス、伊藤統監・林外務大臣・小村・高平・内田・加藤高明・林権助氏等来会ス、食卓上一場ノ挨拶ヲ述ブ


銀行通信録 第四一巻第二四八号・第九〇五頁 〔明治三九年六月一五日〕 連合晩餐会(DK060170k-0002)
第6巻 p.660-661 ページ画像

銀行通信録 第四一巻第二四八号・第九〇五頁 〔明治三九年六月一五日〕
    ○連合晩餐会
東京銀行集会所、東京交換所及銀行倶楽部にては六月五日午後六時より伊藤統監、西園寺総理大臣、牧野文部大臣、林外務大臣、小村枢密顧問官、高平公使、加藤前外務大臣、赤羽公使、珍田外務次官、内田公使、林公使、石井通商局長及山座政務局長等を招待して連合晩餐会
 - 第6巻 p.661 -ページ画像 
を開きしに西園寺総理大臣、牧野文部大臣及赤羽公使を除くの外何れも出席あり、会食後渋沢会長の挨拶に引続き林外務大臣、内田公使及小村枢密顧問官の演説あり終て別室に移り、一同歓談の上午後九時散会せり


竜門雑誌 第二一七号・第三二―三三頁〔明治三九年六月〕 ○東京銀行集会所外二団体の外交官招待会(DK060170k-0003)
第6巻 p.661 ページ画像

竜門雑誌 第二一七号・第三二―三三頁〔明治三九年六月〕
○東京銀行集会所外二団体の外交官招待会 東京銀行集会所、東京交換所及銀行倶楽部の三団体は連合して本月五日午後六時より伊藤統監、林外相、小村男、高平公使、加藤高明、珍田次官、内田公使、林権助、山座政務局長、石井通商局長等の外交官を銀行倶楽部に招待し、晩餐会を催したり、出席会員の重なるは青淵先生、三井八郎右衛門男、松尾臣善、豊川良平、早川千吉郎、岩崎小弥太、添田寿一、波多野承五郎、原六郎、高橋是清、千阪高雅、木村清四郎、三村君平、佐々木勇之助、大谷嘉兵衛、池田謙三、瓜生震等の諸氏にして総員約八十名に達したり、一同晩餐を了へたる後ち青淵先生は先づ来賓の臨席されたるを謝する旨を述べ、次で手形交換所設立以来の概況を説き、尚ほ実業家の海外に対する覚悟に就き来賓の高説を聞くを得むことを希望する旨を陳べ、夫より政治には秘密主義を尊重するやも知る可らざれど或る程度迄は之を国民に知らしめられたし、又政治家及軍人のみが国運の発展に伴ふ大国民にもあらざるべし、実業家亦国運の伸暢に伴ひ大国民たるべきものなるべしと思はると論じ、杯を挙げて来賓の健康を祝したり、次で林外務大臣は組合銀行及手形交換所の発達頗る迅速なるを賞し、尚ほ外交家は軽々に口を開くこと能はざるも今後或程度迄は之を国民に知らしむる事もあるべく、又之を知らしめずして行ふ事もあるべしと述べて暗に所謂懸引なるものゝ必要を説き、内田清国公使は清国の利権回収問題に就き排外熱と利権回収とは其趣を異にする旨を述べ、尚ほ科挙の制度を全廃したる結果、新智識を養成するの外には清国青年が今後身を立つるの途なきを論じ、我国に留学せる清国学生を始め欧米留学の清国青年が其本国に及ぼすの影響は決して軽々に看過すべからざるを説き、更に漢口の発達を述べ我国民が満洲問題に熱中すると同時に長江筋並に漢口に注目し、実業家は宜しく実地を視察して之に対するの覚悟あらむ事を望むと述べて論を結び、小村男は、渋沢会長より演説を試むることを要せずとの事に付列席したるに、伊藤侯は頻りに一場の演説を慫慂せらるゝが故に一言せむと欲するも口は禍の本なれば之を戒めざる可らずと述べ、更に戦争の効果を完うするには実業家の力に待たざる可らす、既に戦争中に於ては実業家の力与りて大なるものありしが、特に戦後に於ては一層実業家の奮励に俟ちて戦争の効果を完うせむ事を望むと述べたり、林権助氏は最早時刻も追々経過したれば席を別席に移さむと述べ、巧に機先を制して演説を避けむとしたるは是れ亦外交官たるに耻ぢざるものか、斯くて席を別室に移し、歓談快語に時を移し十時頃全く散会を告げたり


時事新報 第八一三一号〔明治三九年六月七日〕 銀行家の外交家招待(DK060170k-0004)
第6巻 p.661-662 ページ画像

時事新報 第八一三一号〔明治三九年六月七日〕
 - 第6巻 p.662 -ページ画像 
    銀行家の外交家招待
東京手形交換所、銀行集会所及び銀行倶楽部の三会員は五日午後六時より坂本町銀行集会所に諸外交家を招待して聯合晩餐会を開きたり、出席者は来賓側にて伊藤侯、林外務大臣、小村男、加藤高明、珍田外務次官、高平、内田、林三公使、石井通商、山座政務両局長の十名、主人側にて渋沢男、豊川、早川、波多野、松尾及び高橋の諸氏外約六十余名にして、晩餐後先づ渋沢男は挨拶として銀行集会所、手形交換所等の歴史を説き且つ銀行家は其職務上常に外交家諸氏の指導を請はざる可からず、素より外交の事は多く秘密を要するものなれども差支なき程度に於ては之を漏され度き旨を述べ、尚ほ日露戦争に偉大の勝利を得たるは軍人の力最多しと雖も、吾々銀行業者も亦多少貢献する所ありしは自ら信ずる所なる事をも附言せり、次で来賓数名の演説あり、それより別室に席を移して暫時雑談の後九時過に至りて散会したり、来賓演説の要旨は左の如し
 △林外相 予が英国に在りし間に聞く所に依れば彼の地の銀行集会所及商業会議所等は創立以来多くは既に五六十年の星霜を経過したるものなりと云ふ、以て其発達の程度如何を察するに足らん、我邦は開国以来尚ほ未だ四十年に過ぎざる事なれば銀行集会所等の如き機関も其歴史未だ長からずと雖も今日迄の発達寧ろ驚く可きものあり、今後と雖もますます長足の進歩をなさんことを望む云々
 △内田公使 今晩は恰かも外交家と銀行家と結婚の式を挙げたるの感あり、今後は充分に相提携して国運の進歩に資せんことを希望す、目下支那に於ける利権回収問題の如き銀行家諸氏にも利害の関係浅からざる事と信ず、元来同問題は支那に於ける彼の課挙《(科)》の制度廃せられて以来、海外に留学するもの一万以上に達し、是等のものが所謂新智識を鼓吹したる結果として起こりしものならんが、其勢決して軽々に看過す可からざるものあれば銀行家諸氏も今後充分此問題に注意せられ度し、又彼の漢口は日を追うて繁栄に趣きつゝあり、是れ又大に注目す可きものなれば我国人今後の発展地は単に満韓の地なりと思ふ事なく、中央並びに南部支那の各地にも多大の注意を払はざる可からず云々
 △小村男 口は禍の門なりとの諺もあれば予は敢て多くを語るを欲せずと雖も、充分に戦捷の効果を収めんとせば戦後の経営其宜しきを得ざる可からず、殊に財界に最も重きを措かるゝ銀行業者の責任は甚だ大なるものあるを以て、諸君は常に為政家と相提携して国家の進運を期せられんことを希望す云々