デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第7巻 p.123-130(DK070016k) ページ画像

明治42年4月15日(1909年)

是日銀行倶楽部第七十三回晩餐会開カレ来賓トシテ統監伊藤博文・大隈重信等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

銀行通信録 第四七巻第二八三号・第六六三頁〔明治四二年五月一五日〕 行倶楽部第七十三回晩餐会(DK070016k-0001)
第7巻 p.123 ページ画像

銀行通信録  第四七巻第二八三号・第六六三頁〔明治四二年五月一五日〕
    ○銀行倶楽部第七十三回晩餐会
銀行倶楽部にては四月十五日午後五時三十分より伊藤公、大隈伯及韓国統監府員を招待して第七十三回会員晩餐会を開きたり、当日出席者は主賓伊藤公、大隈伯及陪賓村田少将、荒井賢太郎、古谷久綱、斉藤秀治郎、児玉秀雄、小山善等諸氏の外会員八十余名にして、食後渋沢委員長起て一場の挨拶を述べ、之に次で伊藤公及大隈伯の演説あり、夫より別室に於て歓談の上午後十時散会せり


銀行通信録 第四七巻第二八三号・第六二九―六三五頁〔明治四二年五月一五日〕 銀行倶楽部晩餐会演説(四月十五日)(DK070016k-0002)
第7巻 p.123-130 ページ画像

銀行通信録  第四七巻第二八三号・第六二九―六三五頁〔明治四二年五月一五日〕
  ○銀行倶楽部晩餐会演説(四月十五日)
    ○伊藤公爵の演説
 - 第7巻 p.124 -ページ画像 
渋沢男爵及当場に御列席の諸君、従来も屡々韓国より帰朝の際に当つて当銀行集会所の諸君の御招待に応じて御款待を蒙りたる御好意は平素謝して居る次第であります、今夕も亦旧に依つて御招待を蒙り諸君に久し振にて御面晤を得るのは頗る諸君の好意に対して自ら快楽を感ずる次第であります、又特に当倶楽部に御招待を蒙るときには諸君の御紹介に依つて何時も明治維新の際に於ける私の旧友たる大隈伯に面会することを得て、而かも健康にして且愉快なる顔色を見るは自分の維新当初の事を回顧するに当つて最も喜び且感慨に堪へない、是皆当銀行倶楽部の諸君の好意の致すところと存じて之に対しては深く諸君に感謝せざるを得ぬのであります
今晩は渋沢男爵より、特別の御会合でなく常に御集会になることであるから別段の饗応はせぬが、当時帰朝して居る次第であるから案内を致した訳である、幸に大隈伯も臨席に相成つて居るから、懐旧談でもして楽しめと云ふことでありました、然るに饗宴に列して御款待を蒙り、又唯今大隈伯と私が維新草創の際に於て事を共にしたる時代の懐旧談は既に渋沢男爵に依て演説された訳でありますから私の責任は已に解除せられたものと思ふ(ノウノウ)又私は目下韓国に奉職して居るに依つて、韓国の事に談話を及ぼさんと欲するが、私も既に三年有余職務を奉じて今日に至つて居る、昔より書経を読んで見ても三載績を考ふと云ふことがありますから、先づ人の功過は三年に及べば績ありや或は過ありやと云ふことは聖人も大凡期限を定めたものである、然らば既に三年に越して居れば今日は績ありしや否や自分は敢て問ふところあらず、不才を顧みずして重任に当つて身力の及ぶ限を尽した積りであるから之に対し功過の議論は敢て顧みるところではない、故に今夕は韓国の事情及韓国に於て自己の干与する所は故らに演説致さぬ積りであります、唯渋沢男爵の御注文通り是から大隈伯と共に懐旧談でも致すことは敢て辞せざるところであります、此食卓を倶にして相互に既往を談ずることを得るのは無限な喜びを感ずることであります恐らくは大隈伯も大分百二十五迄生きると云ふても自分免許通りにばかりいくものでないから(大笑)是は御異存がないことと思ひます、諸君の御好意に依つて今晩の御款待を蒙つたのを厚く感謝すると共に、又大隈伯と私が十分の懐旧談を致す自由も許されることと考へますから、どうか之を以て諸君の御好意に御答へ申すの一言として御聴取あらむことを希望致します(拍手喝采)
    ○大隈伯爵の演説
会長閣下及諸君、今夕当銀行集会所の大会に際しまして伊藤公爵閣下が韓国から御帰朝になつたを幸ひ席を倶にしたならば懐旧談を試みて最も集会所の為に都合が好からうと云ふ所から私も御案内を受けました、ただに一度ならず既に曾て公爵が統監の大任を帯びて韓国に臨まれんとする時にも私は此集会所に御案内を受けました、然るに爾来玆に三載韓国の治績は如何と云ふ今公爵の御話もあつた様な訳でありますが、今日再び公爵の御出席の会に列するのは私に取つて衷心喜びに堪へぬ次第で全く会長及銀行集会所会員諸君の御好意であると深く感謝の意を表します、凡そ旧友に会する程どうも心持の好いものはない
 - 第7巻 p.125 -ページ画像 
のである、偶々友達に会つても尚且喜ばしいものであるが、随分古く維新後の有様を考へて見ると実に困難な時である非常に困難な時であつたのであります、或場合には殆ど死生の巷に立つと云ふやうな時もあつたのである、さう云ふ最も吾輩の尊敬する旧友に此席で御目に懸ると云ふことは古い昔を回想するにつけて実に愉快に堪へぬ訳である懐旧の談は少し後に残して是迄度々此集会所に御案内を受けると御承知の通り私は何時も批評家の地位に立つて居る、批評家の地位といふものは誠に自由を得て居る、直接事に当つて居る者は誠に窮屈であつて局外の批評家から時々残酷なる批評を受けて困ることが多い、私は常に無遠慮なる批評を繰返したやうな訳で、余り斯の如き席では面白くないが、是は持つた癖で時々やるのである(笑)多分公爵閣下も批評家の地位に御立ちになつたら随分好い加減な悪口を言はれるだらうと私は思ふ(笑)其処になると先づ同じことである、凡そ人間と云ふものは必ず事に当ると誠に用心深く心配するものである、批評家程気楽なものはないのであります、併し批評家其者がなければ世の中と云ふものは進むものではないのである、今晩はどうも批評の対手が御出でになつて居ないから少し物足らぬやうである、若し此処に大蔵大臣が御出でになつたならば、例に依つて多少批評を試みて見たいと思ふけれども、御出でのない時に敵無くして矢を放つと云ふことは勇者の為すべからざるところであるから誠に物足らぬ、公爵に向つて韓国の批評をするなどは――是は余程私の如き無遠慮の男も一度外国に向ふと案外用心深い(大笑)国民として外に向ふと、此方も当局者だからナカナカ臆病である、臆病と云ふよりは先づ近来の流行の言葉で云ふと慎重の態度を執る、そこで今日はどうか此集会所の席上に於て私は商売繁昌の御目出度い事を言つて見たいと思ふ、是は私に取つては誠に不似合なことで、悪口は稽古して少しづつ上達したが、御祝を言ふと云ふことはどうも不得手である(大笑)不得手であるに拘らず今夕の如き誠に愉快なる集会に臨んで私は歓び極つて、どうか御目出度い事を言つて見たいと存ずるのである、極く簡単な言葉で私は祝詞を言はうと思ふ
先づ私の思ふには近来此実業社会には種々の不幸な事が起つて大分実業家諸君は攻撃を御受けになつて居るやうである、殊に銀行なども其働き振りが不謹慎である、そこで斯う云ふ騒動が起るなどと云はれて居るが、どうせ勢の強い所には強風が当る所謂喬木風多しで銀行者が皆金持である、金持に風が強く当つて来た、是は甚だ間違き《(マヽ)》つた話で斯の如き風当りの強くなる原因は何であるかと云へば、銀行の発達即ち銀行の盛大になつた証拠である、是が微々たるものならば決して攻撃も何も来らぬのである、又大蔵大臣などから御注意を御受けになるなどと云ふことも無いのである(笑)是は疑もなく銀行の発達した証拠である、是に於て銀行の種子を蒔いたところの、銀行の母たるところの公爵は此小供の盛なる成長を見て必ず御満足であらうと思ふのであります、吾輩も矢張其仲間の一人で、母であるか父であるか分らぬがマア兎も角も銀行業者に向つては先輩である、それに次いでは銀行業者の指導者である、此資本を集合して働くと云ふ上に付いては渋沢男
 - 第7巻 p.126 -ページ画像 
爵は非常な力を注いで、殆ど三十五年全力を注がれたと云ふことは吾輩よりも諸君の親しく御承知のことであらうと思ふのである、さうすると先づ銀行業者の保護者とでも言つて宜いか、固より伊藤公の立法の作略に依つて此基を開かれたのであるが、これはナカナカ紙の上のみでは往くものでない、之を事実の上に顕はして、三十五年の間に斯の如き発達を為したのは、是は渋沢男爵の功多きに因ると私は信ずるのである、又私は之れを断言するに少しも憚からぬのである(拍手)ところが段々成長して盛になるとどうも大分攻撃が多い、日本銀行、三井、三菱、或は興業銀行――此処に添田さんも御出でになつて居るが、是が新手であるけれどもナカナカ攻撃が強い(大笑)それは怪しむに足らぬのである、全体今日盛大になる国、勃興する国に於ける銀行は決して英国のやうな銀行は少いのである、亜米利加の銀行、独逸の銀行などは沢山事業をやるのである、さう云ふやうな国に於ては「パニック」が度々起ると云ふことを、私は何んでも一昨年であつたと思ふ銀行集会所であつたか経済会であつたか何方かで演説した、其筆記は何かの雑誌に明かに出て居ると思ふのである、当時は少し世の中が浮かれて最早日本には「パニック」は起らぬ、資本は内外共通、国の富は非常に増した、曾て日清戦役後の経験を持つて居るから之に鑑みて「パニック」などは決して起らぬと云ふ、斯う云ふ時に私は殆ど一世紀間の統計を挙げて独逸と英国と亜米利加の「パニック」の歴史を御話したことがあると思ひます、必ず「パニック」が来ると云ふことを言つたのである、全体「パニック」が来るやうな国でなければいかぬのである、「パニック」が来ないやうな国は駄目である、仏蘭西は「パニック」は来ない、どうも若気の余りで活動するときには時々失策がある、実は失策のあるやうな国でなければいかないのである(拍手)そこで私は頗る今日の経済界に於て楽観的の観察を持つて居るのである、更に今一つ大なる楽観的な観察を持つて居るのは、最早世界は英国、独逸、仏蘭西、亜米利加と云ふ国の状態はどう云ふ状態であるかと云へば頗る困難に陥つて居る、其困難の主なるものは何であるかと云ふと、即ち此社会の問題である、之を約めて言へば労働の問題である、労働の問題はどう云ふ状態であるかと云へば、即ち英国若くは欧羅巴大陸及び亜米利加に於ける「レーボル」に依つて資本家の苦められて居る状態は実に憫れ至極である、此勢を以て進んだならば欧羅巴の工業は頗る危険の地位に臨んで居る、斯う云ふことを私は信じて疑はぬのである、是は吾輩が独断で言ふのでない、百二十五の独断でない(大笑)決して独断でない、是は総て学者も立法者も実業家も若くは銀行者も均しく心配して殆ど煩悶して居るのである、御覧なさい、どうも初め八時間労働などといふことは空想で決して出来ないと云つて居つたものが、到頭是れが実行されたではないか、労働の時間を短縮した上に尚ほ「レーボル」の価が増して来たのである、さう云ふ状態だからナカナカ使ひにくいのである、殊に資本家の跋扈を制するために労働者の「ユニオン」が起つたのである、是は一国の「ユニオン」に止まらずして国際間の「ユニオン」が起つて来たのである、資本家と殆ど相対して此労働者の勢力と云ふものが非常に強くなつて来たの
 - 第7巻 p.127 -ページ画像 
であるからナカナカ労働者が使ひにくゝなつた、使ひにくゝなつた結果はどうなるかと云ふと、何としても生産費が高くなると云ふことである、日本も将来或はさう云ふ時が来るかも知れぬが、ナカナカ欧羅巴は先輩で、今男爵の御話の通りに吾々も老人だ、老人が早く凋落して若い者が代るのである(笑)欧羅巴は先づ老国で亜米利加は新国である、新国と云ふが日本に較べると余程旧国だ、日本は今将に丁年に達せんとする時に当つて、欧羅巴は吾輩位の年になつて居る、必ず百二十五歳の空想を描いて居るか知れぬが、是は公爵の言ふ通りに独断では分らぬ(大笑)そこで私は日本の是からの工業は有望である、工業が盛にならなければ何としても国が盛にならない、工業が盛になつて此品物を売つて外国から金を取つて来ねば借金の元利は払へないのである、どうして借金を払ふか、之を三年前に伊藤公が非常に御心配なすつた、日本を立つて韓国に行かれる時に、国の経済の状態が実に危険に臨んで居るのを見て去るに忍びぬと御心配なすつたことは、諸君の記憶に存して居るだらうと思ふ(拍手)其時に井上侯爵の非常に心配されたのが四十二年と云ふ年であつた、実に早いものだ、日月流るるが如く井上侯爵の予言の四十二年に達したが、まだ四十二年は持てさうである、当時私は井上侯の議論に全然同意しない、併し或一部の真理は私は十分認むると云ふことを其時断言したのは諸君の記憶に遺つて居るだらうと思ひます、何としても借金は持つて居る、而して其借金はどう云ふ状態かと云ふと年々増しつゝある、諸君は有価証券の売れるのを喜んで居るが実は其喜びは無意義である、日本の生産が盛になつて外資が入れば宜いが借金だ、借金で日本の有価証券を買はれて行き居るところであるから余り御目出度い話ではない、是は何としても買戻さなければいかぬ、マアさう云ふ状態であるから何としても国の生産力が盛になつて来なければならぬ、世界中一番廉く生産して高く売つて其間に借金を払つてしまうのである、さうして其蓄積した富はどうであるかと云ふと是から盛に軍艦も拵へる、兵器も拵へる、若し必要があれば強大なる軍隊も拵へる、併し其時分には多分さう云ふものが要らぬことになるかも知れぬ、若し必要があれは如何なる強大な如何なる富んだ国にも敗けぬやうに出来るのである、即ち国際的競争の間に優秀の地位を占めることが出来るのである、ところがそれは実際出来さうに私は思ふのだ、吾輩の主張する百二十五歳は姑く措いて先づ二十年の後に於て、日本は世界に冠たる生産力を起して、十分に国力を発達さすることが出来ると思ひます、何故に出来るかと云へば善良なる労働者、且悧巧なる器用なる労働者、同時に日本は資本家と労働者とが欧羅巴の如く衝突して居ないのである、是は日本の従来の美風が存して居るのである、日本は欧羅巴の個人主義と大分其性質が異つたところの、従来の善良なる風俗が今尚存して居るのである、是も段々法律の世の中となつて所謂利己主義が発達して或は無限の欲望を出して衝突するやうになるかも知れぬが、若しさう云ふことをやれば資本家の損である、資本家の良心は従来の習慣を破ることは自分の不利である、自分を愛する上からは何してもさう云ふことは出来ないと私は思ふのである、此善良なる風俗は世界に冠たるものである、世
 - 第7巻 p.128 -ページ画像 
界に冠たる善良なる労働者を率ひて、所謂忠義の国民に軍事的教育を与へて戦場に向ふが如きものである、戦闘に勝つところの国民は他の事にも十分優等なる地位を占むるに相違ない、之は漠然たる抽象的の議論であるが吾輩は深く信じて居るのである、さうすると是から二十年辛抱する、二十年辛抱すれば借金位何でもない、さう云ふ勢になれば商売繁昌、銀行は素晴しい盛なものになる、是迄は借方の国であるが、二十年後には貸方の国になる、債権国になる、其時は添田君などの御心配なすつた、諸方の市場に廉い金の貸手がないかと頭を下げて御辞儀をやらないでも、今度は傲然と諸方から金を借りに来るの侍つて居るといふ有様、其時分には諸国の皇帝から贈られた勲章をぶら下げて、傲然と銀行の二階に構へて(笑)もう少し利息を出したら貸して遣らう、もう少し割引したならば貸して遣らうと、まるで地位を反対に置くことが出来ると思ふ(拍手大笑)誠に有望である、而して斯の如き働きを為すところの中心は何処にあるかと云ふと銀行である、銀行の鍵の力は強いものである、是は私は決して銀行者諸君に御世辞を言つて、何か無利な借金をしやうと云う政略ではない(大笑)又私は今学校の経営を為すに学校が貧乏だから諸方に寄附金を募りつゝあるが、其寄附金を御願するための政略で斯く言ふのでは決してない(大笑)正直に私は諸君に私の予言が中るや否や、又此予言が実現するやうに諸君が尽力されんことを私は望むのであります(拍手)
それから又伊藤公が御自分自ら韓国に於ける三年の功労で、成績は大に挙つたである、ゑらいと云ふことを御自分からは言ひにくいだらうと思ふ、伊藤公は決してさう云ふことを御好みではない、又私が諸君に向つて私の最も畏敬する旧友の伊藤公はゑらいと褒めても、諸君は承知しないだらうと思ひます(笑)殊に新聞社の方々、新聞社の方々と云ふものは誠に宜い時もあるが、併し時々困ることもある、若し韓国に行つたならば統監から叱られるが(大笑)日本は誠に御目出度い故に新聞社諸君も夫程心配はないが、実は正直に言ふと誠に宜い、宜いが時々厄介である(大笑)そこで私が公爵の韓国に於ける三年の成績を余り大仰に云ふと、新聞社の諸君は屹度悪口を言ふに相違ない、吾輩も智恵を持つて居るからソンな悪口を言はれないやうにする(大笑)人の言葉を藉りて言ふ、二三日前の「タイムス」の通信を諸君は読んだであらう、あれに何と書いてあつたか、日本には大分統監の政治に不満を言ふ者があるやうに見えるが吾輩甚だ気に入らぬ、決して旧友のために気に入らぬのではない、国のために気に入らぬのである、時として吾輩の所へ新聞社の諸君が来て、どうも統監はいかぬと悪口を云ふ、之に向つて吾輩は散々に小言を言ふたことがある、多分此中に吾輩の小言を聴いた人が居るであらう、沢山の新聞社から来て居るから吾輩の小言を聴いた人が居るに相違ない、それで吾輩から言つては危険だから外国人の言葉を藉りて言ふ「タイムス」はどうである、更に一月か二月に倫敦で有名なる雑誌、多分「レヴィユー、オブ、レヴィユー」であつたかと思ふのである、之を又其儘新聞に出すと韓国の外交政略に余り面白くないが、是には日本の植民政略の成功と云ふことが書いてある、其成功には第一に台湾に於ける成功を非常に賞讃され
 - 第7巻 p.129 -ページ画像 
て居る、此処には児玉さんも御出でになつて居るから親父さんに言伝して御遣りなさい(大笑)大層誉めて居る、是は吾輩の言葉ではない、吾輩の言葉では人が信用せぬ、外国人だと云ふと幾らか最もらしく聞える、批評家は傍観者だから大分日本のことを悪口言ふ者が多いが、其中に僅の間に韓国に於ける日本の保護権を行つた此成功を非常に賞讃した、日本人は此植民と云ふことは迚も出来ぬだらうと思つて居つたが――それに一番最初には琉球のことなども書いてある――十分に植民の能力があると云ふことを云つて居るのである、斯の如き批評の起るのはどうであるかと云へば無論児玉伯だ、併し是は今日の目的ではない、即ち伊藤公が三載績を考へと云ふのは、多分 陛下が必ず伊藤公の治績を御考になつて、実に偉大なる国の名誉を現はしたと御思召されて居らせられるだらうと、畏れながら遥かに察し奉る次第である(拍手)世界の批評はどうかと云へば、韓国に於ける日本の保護権に付いては、小さな事に於ては多少の批難があるに拘はらず、全体が大成功であると云ふことは、殆ど世界が一致して居ると思ふのである、政略上何か日本を嫉妬し猜疑し、或は外交政略上何か傷けやうと云ふものがあるに拘はらず、多数は日本の政策の成功を幾らか敵も認めたと思ふ、況や同盟国其他の公平なる観察では、私は十分認めたと信ずるのである(拍手)それで無論伊藤公が如何に才略があらうとも、如何に驚くべき精力――精力と云ふのは即ち「エネルギー」である、吾輩から見ると弟である、年は少いけれどもナニさう余計違ひはない、矢張御爺さんであるが(大笑)――なかなか老いて益々盛である、さうして大なる希望を持つて居る、大なる欲望を持つて居る、欲望と云ふと語弊があるか知らぬが、一の「アンビシヨン」を持つて居る、功名心を持つて居る、人間は功名心を持たなければ役に立つものでない、そこで十分の元気がある、屹度吾輩の百二十五の仲間に入るだらうと思ふ(大笑)
同時に渋沢男爵も其仲間で、曾て四十年前に一つ釜の飯を食つて議論をしたが、元はナカナカ壮士的の論客――素晴しい論客でナカナカ壮んな御方であつた、それが今日は大層尤もらしくなつた(大笑)年は大切である、そこで諸君が老人などと軽蔑するけれども四十年の経験だ是は諸君は何としても老人に譲るより外はない、是は吾輩等の老人が若い者に向つて威張る一の大なる武器である(大笑)決して老ひても衰へぬ、ナカナカ渋沢男爵の記憶の盛なるには驚く、唯少しばかり唯今の御話に付いて修正することがある、伊藤公爵の公債と云ふことは、即ち亜米利加の「ナシヨナル、バンク、システム」が公債を大蔵省に抵当にして紙幣を公債に替へやうと云ふ方の、即ち亜米利加の国立銀行組織を日本に採用して、不換紙幣を段々公債に替へてしまはうと云ふので五分利付の公債に替へてしまつて、それを以て国立銀行はそれを抵当として紙幣発行権を得やうと云ふ、斯ふ云ふ訳であつたと思ふのである、併ながら要するにそれが即ち日本で初めて公債の基を開いたと云ふことは伊藤公の説である、兎に角渋沢君の記憶の強いには驚くそれで私は今夜は誠に御目出度い、私は之を深く信じて居るのである決して御世辞ではない、政略でもない、必ず二十年の後には借金を払
 - 第7巻 p.130 -ページ画像 
つて今度は借金どころではない、御互が勉強して蓄積したるものを外に貸す、即ち貸方の国に廻るのである、其間には無論波瀾曲折があつて又幾度も支払停止も起るのである、どうかすると間違つて会社の重役が取つゝかまへられると云ふこともあるか知らぬが(笑)是は怪しむに足らぬ、亜米利加などにもある、英国などにもある、独逸にもあるのである、此国の先生達はハシッコイから其前に「ピストル」で死んでしまう、此「ピストル」で死ぬと云ふことは日本は武士道などが近来流行するが昔は腹切だ、腹切は今日は帯刀が無くなつたからやらないが、是はマア已むを得ぬ、物の進む時は必ず波瀾曲折は避くべからざるものである、斯んなことは驚くには及ばぬ、嘆息するには及ばぬ、何でも制裁だ、法律も制裁の無い法律は役に立たぬ、道徳も制裁の無い道徳はいかぬのである、遣り損なつたら切腹するなり「ピストル」なり、華厳なり、然らざれば縛られて牢に入れられる(大笑)牢に入れられたために実業界が段々健全に発達する、それがために妨はない、青年達は兎角過のあるものである、過の無い時になると墓に近寄るのである(笑)先づ日本の総ての銀行は将来有望なり、さうすると銀行集会所の御集会を祝するのは、敢て宴会上の唯御儀式ではないと私は思ふのである、渋沢男爵及諸君の銀行の将来の繁栄と併せて諸君の健康を祝します(拍手喝采)


東京日日新聞 第一一六一七号〔明治四二年四月一六日〕 銀行倶楽部晩餐会(DK070016k-0003)
第7巻 p.130 ページ画像

東京日日新聞  第一一六一七号〔明治四二年四月一六日〕
    ○銀行倶楽部晩餐会
      △伊藤公大隈伯の演説
銀行倶楽部にては既報の如く十五日午後六時より晩餐会を開催したるが主人側には渋沢、松尾両男爵、豊川、早川、添田、松方、久方等の諸氏八十七名にて来賓は伊藤統監大隈伯爵の外新井財務官、古谷秘書官、村田少将、斉藤大佐、小山技師、児玉書記官等あり斯くて晩餐の席に移り
△渋沢男 先づ起つて一場の挨拶と共に明治維新後我財政整理の必要より伊藤侯《(公)》が米国に航して理財の研究を逐げ、之れが結果左しも紊乱せる我国の財政も漸く整理の緒に就くを得たると共に銀行業も当時公の建議に依りて起りたるものにして、又大隈伯爵は当時政府に在りて熱心に助力せられたるが故に公伯両閣下は実に我銀行業者の開祖とも言ふべし、然るに爾来我銀行業は漸進の勢力を以て今日の発展を見たる上其開祖とも言ふべき公伯両閣下の臨席を得て高説を拝聴することを得たるは此上もなき快事とする処にして、両閣下が多忙を顧ず我等の希望を容れて臨席せられたるは実に感謝に堪へざる処希くは懐旧の談と共に十分の歓を尽されん事を望む旨を述べ、終つて公伯の健康を祝して杯を挙げ○下略