デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
7款 金融関係諸団体 1. 大阪銀行集会所
■綱文

第7巻 p.138-142(DK070018k) ページ画像

明治11年6月9日(1878年)

栄一是月起業公債募集ノ為メ下阪セシガ、大阪銀行業者等ニ同業者ノ協議会ノ必要ヲ説ク。是日第三十二国立銀行ニ同業者十数名会合シ、爾後毎月一回例会ヲ開クコトトセリ。翌十二年八月ニ至リ集会所ヲ設ケ、九月二十八日開場式ヲ挙行シ、銀行苦楽部ト称ス。後、大阪銀行集会所トナレリ。


■資料

理財新報 第三号〔明治一一年七月八日〕 銀行集会第十二回録事○明治一一年六月二四日於第十五国立銀行桜上(DK070018k-0001)
第7巻 p.138 ページ画像

理財新報  第三号〔明治一一年七月八日〕
    ○銀行集会第十二回録事○明治一一年六月二四日於第十五国立銀行桜上
○中略
一、渋沢栄一演説シテ曰、本会ハ小子行旅ノ為メニ今マデ牽延スルハ曾テ恐謝スル所ナリ、右ノ行旅ハ専ハラ弊行支店ノ営業ヲ以テシ、又大ニ起業公債募集ノコトヲ周旋シ、京阪豪商ノ会同ニモ参列セリ。○中略大阪ノ商戸ヲ通視スルニ旧格崩解已来一時或ハ新規ニ就クガ如キ者アルモ、多クハ軽佻人士ノ為メニ誤マラルル所トナルヲ以テ、痛ク相変艾シテ寧ロ小康ニ安シテ敢テ発達スル所ナキモ堅ヲ衝キ難ヲ干シ終ニ失敗シテ他人ノ笑ヲ取ル勿レト謂フガ如キノ風俗アリ、小子甚ダ之ヲ惜ミ、頻リニ攻撃シテ、以テ其小成ニ沈滞セズ博ク交誼ヲ通ジ智識ヲ貿易シテ利用厚生ノ途ヲ弘拡スベキヲ弁説シ、即チ応ズル者数名アリ、且銀行者ハ已ニ其会同ヲ開設セリ


大阪手形交換所記録 【大阪銀行集会所の由来】(DK070018k-0002)
第7巻 p.138-140 ページ画像

大阪手形交換所記録
    大阪銀行集会所の由来
 明治十一年六月第一国立銀行の頭取渋沢栄一氏来阪の砌同氏の発議により大阪に銀行業者の社交的協議会を開く相談纏り、同月九日第三十二国立銀行に同業者十数名集り、爾後毎月一回例会を開く事を定めたり、之れ大阪に於ける銀行業者集会の濫觴なり、当日会合せしハ左の九銀行にして出席者ハ左の如し
  第一国立銀行支店    渋沢、井口、熊谷の三氏
  第三国立銀行支店    不明
  第五国立銀行支店    不明
第十三国立銀行     山中富之助、平井直三郎の二氏
  第十七国立銀行支店   不明
  第二十六国立銀行    深原氏
 - 第7巻 p.139 -ページ画像 
  第三十二国立銀行    平瀬、白木、平池の三氏
  第三十四国立銀行    野田氏
  三井銀行分店      中井、加藤の二氏
    以上九銀行
 斯くて毎月の集会ハ輪番各銀行に、又ハ市内各所の料亭に於て行ハれたりしが、翌十二年八月に至り東区大川町長田作兵衛氏の旧宅(西国橋東詰東南角現時住友ビルデング建築地)を借受け集会所に充つるの協議成立し、九月三日午後二時より同所に初会合を為し、同月廿八日に開場式を挙けたり、銀行苦楽部なる名ハ此時に始まれりと記憶す
 十二年十二月にハ同業間に手形の交換を始め、傍ら毎月有志銀行集合して東京為換の売買と同業間資金の貸借(一口を五千円と定め三十日期限を通常とす)の取引を始めたり、従つて日々の金利は自然此処に公定相場を見るに至れり、之を為換方の集会相場と唱へ居たり
 越へて十四年五月東区伏見町三丁目(三休橋筋西へ入ル北側)に移転し、同時に大阪同盟銀行集会所と改称したり、当時の加盟銀行ハ漸次増加して三十一行に及び居たりしが、都合によりて明治三十年九月十六日を限り、一先つ之を解散したり
 されど一般同業者の意向は、時々相会して互に交誼を厚ふし且ハ各自営業上の利害得失を講究すべき適当なる機関の必要を感すること切なりしを以て、改めて第一、第三、第五、第三十二、三十四、第四十二、第百三十、第百四十八、三井、三菱、鴻池、住友、帝国商業、北浜の十四行発起者となり、広く同志を募り、発起銀行を合せて六十七行の賛同を得て、大阪銀行集会所なるものを新設することゝなり、明治三十年十月五日大阪ホテルに創立総会を開き、規定を決議し、同月十一日の会合に於て左記十名の委員を撰挙したり
  株式会社第一銀行大阪支店     熊谷辰太郎
  同大阪貯蓄銀行          外山修造
  第百三十国立銀行         松本誠直
  三菱合資会社大阪支店銀行部    江口定条
  住友銀行             田辺貞吉
  株式会社第五銀行支店       野元暁《(野元一本驍)》
  同三十四銀行           山口善五郎
  鴻池銀行             芦田安三郎
  合名会社三井銀行大阪支店     上柳清助
  株式会社大阪共立銀行       金沢仁兵衛
而して委員互撰の結果外山修造氏委員長に当撰せり
 会場ハ当分大阪ホテルと定め、同所に事務所を置き、毎月廿五日を以て定例の会日と定めたり
 此集会所に於ける第一号の議案は、各行の計算に厘位を切捨ることにして、大阪貯蓄銀行を除きて満場一致三十年十二月一日より之を実施することゝせしを決議の手始めなりしと記憶す
 此時(三十年十一月)より毎月一回大阪銀行通信録なるものを発行したり、されど其二十八号迄は只加盟銀行間にのみ分配するに止めたりしが協議の上第二十九号(三十三年三月)より公刊することゝなせり
 - 第7巻 p.140 -ページ画像 
 三十四年十二月十八日会場なる大阪ホテルハ火災に罹り、全焼したるを以て、銀行集会所の仮事務所は翌十九日より東区今橋二丁目四十五番地(浪速橋通東へ入る北側にして元の北浜銀行の創立当時仮営業所に使用せし建物)に移転したり
 此頃より銀行集会所の新築は計画せられ、地を東区今橋三丁目(中橋筋西北角即ち日本積善銀行大阪支店所在地)に相して建築に着手し三十六年の五月殆んと落成に近き数日の内に移転すべき諸般の準備整ひたる折柄、同月二十日の夜半に火を発して惜哉全部烏有に帰したりしかば、協議の結果此処に再築する事を見合せ、北区中之島一丁目廿九番地即ち現在建物の敷地に新築することゝなり、直ちに起工之に移りたるハ三十七年八月の上旬なりき
 三十八年一月七日にハ別に大阪銀行倶楽部なるものを創設し、其会場を集会所内に置くことゝなれり、同四十年七月三日にハ集会所の組織を財団法人と為すことを決議し、翌八月廿二日に大蔵大臣の認可を得たり
 然るに大正八年一月十一日の朝西隣なる大阪ホテルの炊事場より火を発し、ホテル本館ハ焼失を免れたるも、集会所は全焼の厄に遭ひたるを以て、即日大阪ホテル内に事務所を設けたりしが、次いで同年七月二十七日に東区北浜二丁目廿七番地(北浜内通浪速橋筋西へ入る北側元大林組の仮営業所にして当時日本勧業銀行の所有)へ移転せり、而して中之島なる元の集会所敷地へ更に建築に着手し、大正十一年二月十三日落成移転したり、之れそ現在の銀行集会所建物なり
 附記 以上の沿革に付ては従来の記録に幾分の誤りあり、昭和三年十月渡辺監事に於て調査研究をなし、尚鴻池銀行中尾善之助氏、元帝国商業銀行大阪支店長上田常記氏等の記録或は記憶を参考として、其正誤補足を為したるものなり。
  ○此ノ記録ハ、『大阪手形交換所』ト印刷セル便牋型用牋ニ青色ニテタイプライター印書セル二種ノ殆ンド内容同ジ記録ノウチ少シク詳細ナルモノニ他ノヤヤ簡略ニ記サレタルモノニヨリ字句ノ疑問ヲ訂正シタルモノナリ。


財団法人大阪銀行集会所ニ関スル記録(DK070018k-0003)
第7巻 p.140-142 ページ画像

財団法人大阪銀行集会所ニ関スル記録
                   (大阪銀行集会所所蔵)
    一、大阪銀行集会所沿革上重要ナル事項
      イ・大阪銀行集会所ノ濫觴
明治十一年六月大阪ノ銀行業者十数名カ業務ニ対スル打合又ハ交誼ヲ厚フスルノ目的ヲ以テ、毎月一回会合ヲ催ス事ニ定メタリ、コレ大阪ニ於ケル銀行業者集会ノ最初ニシテ、明治十二年八月ニ至リ市内東区大川町(日本銀行大阪支店跡、現在住友銀行敷地)ニ「銀行苦楽部」ヲ設定セリ、コレ大阪銀行集会所設置ノ濫觴ト言ヒ得ベシ
      ロ・名称変更、事務所ノ移転及附属事業
越ヘテ十四年五月東区伏見町三丁目ニ移転シ同時ニ大阪同盟銀行集会所ト改称シ、明治十二年設立セラレタル大阪交換所ノ事務ヲ附属セシメタリ
其後二十九年三月ニ至リ大阪手形交換所ノ設立ヲ見タル以テ、曩ニ附
 - 第7巻 p.141 -ページ画像 
属セシメタル大阪交換所ノ事務ハ右大阪手形交換所ニ移転セリ
同三十年九月ニ至リ大阪同盟銀行集会所ヲ解散シタリ、サレトモ一般同業者ノ交誼ヲ厚フシ且営業上相互ノ利害得失ヲ講究スベキ機関ノ必要ヲ感シ、同年十月大阪銀行集会所ヲ設立シ、翌十一月事務所ヲ北区中ノ島一丁目大阪ホテル内ニ設置セリ
当時ノ設立者ハ第一、第三、第三十二、三十四、第四十二、第百三十第百四十八、三井、三菱、鴻池、住友、帝国商業、北浜ノ発起銀行其他ヲ併セ、総数六十七行ニシテ委員長及委員ノ氏名左ノ如シ
  委員長   大阪貯蓄銀行        外山脩造
  委員    第一銀行大阪支店      熊谷辰太郎
  同     第百三十国立銀行      松本誠直
  同     三菱合資会社大阪支店銀行部 江口定条
  同     住友銀行          田辺貞吉
  同     第五銀行支店        野元暁
  同     三十四銀行         山口善五郎
  同     鴻池銀行          芦田安三郎
  同     三井銀行大阪支店      上柳清助
  同     大阪共立銀行        金沢仁兵衛
コノ時(三十年十一月)大阪銀行通信録ヲ創刊シ毎月一回加盟銀行ニ配付シタリシガ其後三十三年ノ頃公刊トナシ一般ニ配付スル事トセリ明治三十四年十二月十八日事務所ナル大阪ホテル火災ニ罹リ全焼シタルヲ以テ、翌日ヨリ銀行集会所仮事務所ヲ東区今橋二丁目四十五番地ニ移転シタリ
当時ヨリ集会所新築計画セラレ東区今橋三丁目ニ地ヲ相シテ起工シ、三十六年殆ド竣工ニ至リタルトキ火災ノ為メ烏有ニ帰シタリシカバ、更ニ北区中ノ島一丁目二十九番地(現在建物ノ敷地)ニ新築スル事トシテ起工、三十八年八月竣工移転シタリ
明治三十八年一月七日大阪銀行倶楽部ヲ設立シ、当集会所ノ附属事業トセリ
      ハ・財団法人大阪銀行集会所ノ設立
明治四十年ノ頃ニ至リ加入銀行同業者ノ集会所トシテ経済上ノ問題及営業上ノ利害ヲ攻究シ、金融機関ノ活動ヲ図リ、公益ニ資スル所アランコトヲ期シ、同年五月六日大阪銀行集会所組合銀行臨時総会ヲ午後五時ヨリ開会、出席者三十行ニシテ大阪銀行集会所ハ土地家屋ヲ有セルニ拘ラス、何人カ此所有主タルヤ所有権ノ適帰スル所不明ナリ、例ヘハ今橋ノ所有地面ハ当時ノ委員長名義トナリ、中之島ノ分ハ他ノ委員ノ所有名義トナレルカ如ク区々一定セサルヲ以テ、其所有権ヲ永久ニ確保シ財産ノ安固ヲ図ル為メ財団法人トナスニ至リタル所以ナリ、協議ノ結果「財団法人大阪銀行集会所設立寄附行為」ヲ確定シ、午後六時三十五分散会セリ
明治四十年七月十日大蔵大臣宛ニテ設立申請書ヲ(設立申請人住友銀行支配人志立鉄次郎外四十五名)以テ提出シ、八月二十二日大蔵大臣ヨリ左記写ノ通リ設立許可書ヲ下附サレタリ
往第一二九七七号ノ一
 - 第7巻 p.142 -ページ画像 
                大阪市東区今橋四丁目
                      住友銀行
 (以下四十五行設立銀行ト同一ニ付略之)
明治四十年七月十日附申請財団法人大阪銀行集会所設立ノ件許可ス
  明治四十年八月二十二日
             大蔵大巨 法学博士 阪谷芳郎
其後大正八年一月十一日隣接ノ大阪ホテルノ失火ニヨリ集会所ハ類焼ノ厄ニ遭ヒ灰燼ニ帰シタリ、依テ即日大阪ホテル内ヘ事務所ヲ移シ更ニ同年七月二十七日東区北浜二丁目二十七番地(日本勧業銀行所有家屋)ヘ移転シ、再ヒ北区中ノ島一丁目二十九番地ノ旧敷地ニ建築ニ着手シ、同十一年二月十三日落成移転シタリ之レ現在ノ事務所ナリ
  ○「大阪市北区中之島一丁目二十九番地、財団法人大阪銀行集会所、電話北浜一六〇番、四〇六〇番」ト印刷セル便牋型用紙ニ黒色ニテタイプライター印書セルモノナリ。