デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
2款 東京手形交換所
■綱文

第7巻 p.446-468(DK070060k) ページ画像

明治40年3月23日(1907年)

東京交換所創業満二十年紀念会ヲ開催ス。栄一一場ノ演説ヲ為ス。又創業以来ノ功労ニ対シ感謝状並ニ純銀製花瓶一対ヲ贈ラル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK070060k-0001)
第7巻 p.446 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四〇年
三月二十三日 雨午後晴 軽暖
○上略 夜六時再ヒ帝国ホテルニ抵リ、交換所紀念会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜十一時散会、帰宿ス


創業満二十年紀念会記事【東京交換所】(DK070060k-0002)
第7巻 p.446-464 ページ画像

創業満二十年紀念会記事
 明治四十年三月二十三日東京交換所創業満二十年紀念会開催ノ次第ヲ略叙シ之ヲ報告スルコト左ノ如シ
    開催決議及準備ノ事
明治四十年一月十六日、東京交換所組合銀行第百十九回定式会議ニ於テ、本年ハ当交換所創業満二十年ニ相当スルヲ以テ、祝意ヲ表セン為メ紀念会開催ノ件ヲ議ニ付セシニ、全会一致ノ賛成ヲ以テ之レヲ可決シ、特ニ五名ノ協賛委員ヲ置キ、右ニ関スル諸般ノ準備ヲ委托スルコトヽナリ、委員長ノ指名ヲ以テ左ノ諸君ヲ協賛委員ニ推選セリ
    協賛委員(いろは順)
           三井銀行     早川千吉郎君
           第三銀行     原田虎太郎君
           浪速銀行支店   山中隣之助君
           十五銀行     松方厳君
           横浜正金銀行支店 松尾吉士君
爰ニ於テ協賛委員ハ常置委員ト共ニ数回ノ協議ヲ遂ケ、左ノ如ク開会時日其他ノ準備ヲ整頓セリ
 一開会時日 三月二十三日午後六時
 一会場 帝国ホテル
 一装飾 玄関入口ニアーチヲ設ケ、廊下左右ヨリ待合室並ニ食堂全体ニハヴヰアナ式ニ依リ各種ノ生花造花ヲ以テ装飾ヲ施シ、且ツ其間ニイルミネーシヨンノ装置ヲナスヘキコト
 一服装 燕尾服
 一来賓 内閣大臣並ニ元老各位、其外朝野縉紳凡三百名位ヲ招請スルコト
    祝宴会場ノ事
三月二十三日来賓案内ノ時刻ニ先タチ、委員長及各委員並ニ会員一同
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ハ玄関ニ駢列シ、来賓ヲ待受ケテ之レヲ迎ヘ、休憩室ニ案内シ、午後七時食堂ヲ開キ、宴酣ニシテ委員長豊川良平君起チテ一場ノ挨拶ヲ為シ、且ツ名古屋交換所ヨリノ祝電ヲ披露シ、又更ニ起チテ天皇陛下ノ万歳ヲ三唱シ、夫レヨリ来賓阪谷大蔵大臣・松尾日本銀行総裁・大隈伯爵・金子男爵・末松男爵ノ演説アリ、次ニ渋沢男爵ハ来賓各位ニ対シ謝辞ヲ述ヘ終リニ臨ミ来賓加藤高明君ノ謝辞アリ、主客歓ヲ罄クシテ十一時下散会セリ、当日来賓並ニ出席会員人名及其演説左ノ如シ
    来賓(次第不同)
伯爵           大隈重信君    大蔵大臣           阪谷芳郎君
農商務大臣        松岡康毅君    男爵             金子堅太郎君
男爵           末松謙澄君    男爵             清浦奎吾君
             加藤高明君    特命全権公使         内田康哉君
日本銀行総裁       松尾臣善君    宮内次官           花房義質君
陸軍次官         石本新六君    内閣書記官長         石渡敏一君
文部次官         沢柳政太郎君   大蔵次官           若槻礼次郎君
海軍次官         加藤友三郎君   海軍経理局長         村上敬次郎君
商工局長         森田茂吉君    大蔵主計局長         荒井賢太郎君
外務通商局長       石井菊次郎君   煙草専売局長         仁尾惟茂君
大蔵大臣秘書官      森賢吾君     銀行課長           永浜盛三君
逓信経理局長       関宗喜君     郵便貯金管理局長       下村宏君
大審院長         横田国臣君    控訴院長           長谷川喬君
東京地方裁判所長     渡辺暢君     警視総監           安楽兼道君
海軍軍令部長       三須宗太郎君   参謀次長           福島安正君
樺太司令官        楠瀬幸彦君    関東民政局長         石塚英蔵君
韓国財務顧問       目賀田種太郎君  統監府総務長官        鶴原定吉君
韓国警務顧問       丸山重俊君    貴族院議員          松平正直君
貴族院議員        山本達雄君    貴族院議員          浅田徳則君
貴族院議員        鎌田勝太郎君   衆議院議長          杉田定一君
衆議院副議長       箕浦勝人君    衆議院書記官長        林田亀太郎君
衆議院議員        犬養毅君     衆議院議員          大岡育造君
衆議院議員        栗原亮一君    衆議院議員          佐竹作太郎君
衆議院議員        森本駿君     衆議院議員          永見寛二君
衆議院議員        鈴木摠兵衛君   東京帝国大学教授法学博士   梅謙次郎君
東京高等工業学校長    手島精一君    法学博士           和田垣謙三君
東京帝国大学教授法学博士 金井延君     東京高等商業学校長法学博士  松崎蔵之助君
東京帝国大学助教授    河津暹君     東京帝国大学助教授法学博士  山崎覚次郎君
東京高等商業学校教授   佐野善作君                   大倉喜八郎君
日本郵舶会社々長     近藤廉平君    日本郵船会社副社長      加藤正義君
日本郵船会社       須田利信君    東京商業会議所会頭      中野武営君
東京商業会議所副会頭   大橋新太郎君   東京火災保険会社々長     武井守正君
東京海上保険会社々長   末延道成君    明治火災保険会社々長     阿部泰蔵君
             浅野総一郎君   東京鉄道会社々長       牟田口元学君
東京株式取引所理事    伊藤幹一君    三菱会社庶務部長       荘清次郎君
三井物産会社専務理事   渡辺専次郎君   国民新聞社          徳富猪一郎君
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中外商業新報社      野崎広太君    日本新聞社          伊藤欽亮君
二六新報社        秋山定輔君    東京日々新聞社        本田精一君
東京朝日新聞社      池辺吉太郎君   万朝報社           山県五十雄君
ヂヤパン・タイムス社   高橋一知君    東京毎日新聞社        石川安次郎君
時事新報社        中村梅治君    日本銀行理事         首藤諒君
日本銀行理事       山口宗義君    日本銀行理事         木村清四郎君
日本銀行営業局長     井上準之助君   日本銀行国債局長       土方久徴君
日本銀行国庫局長     生田定之君    日本銀行調査役        桜田助作君
日本銀行調査役      林養三君     日本銀行調査役        長岡長君
横浜正金銀行取締役    相馬永胤君    横浜正金銀行副頭取      山川勇木君
横浜正金銀行取締役    小田切万寿之助君 横浜正金銀行取締役      川島忠之助君
横浜正金銀行支配人    戸次兵吉君    横浜正金銀行副支配人     宮川久次郎君
横浜正金銀行副支配人   鍋倉直君     日本勧業銀行副総裁      志村源太郎君
日本興業銀行理事     井上辰九郎君   住友銀行支配人        志立鉄次郎君
三井銀行神戸支店長    小野友次郎君   横浜七十四銀行取締役兼支配人 森謙吾君
第二銀行支配人      山県量次君    第百銀行横浜支店長      大久保正策君
第一銀行横浜支店長    石井健吾君                   渋沢篤二君
合資会社田中銀行頭取   田中平八君    村井銀行社長         村井吉兵衛君
村井銀行業務執行社員   村井貞之助君   今村銀行頭取         今村繁三君
日本通商銀行頭取     籾山半三郎君   日本通商銀行常務取締役    稲延利兵衛君
麹町銀行頭取       田中武兵衛君   浅草銀行取締役支配人     小池長次郎君
森村銀行支配人      諸葛小弥太君   東京貯蔵銀行支配人      本城清彦君
神木銀行代表社員     神木治三郎君   六十三銀行東京支店支配人   迫田七郎君
信濃銀行東京支店副支配人 古沢定次郎君   商栄銀行取締役        高羽惣兵衛君
東京興信所長       森下岩楠君    東京興信所理事        堀井卯之助君
東京銀行集会所書記長   戸田宇八君
    亭主方
三菱銀行(委員長)    豊川良平君    第一銀行(委員)男爵     渋沢栄一君
第百銀行(委員)     池田謙三君
第一銀行         佐々木勇之助君  第一銀行           西脇長太郎君
第三銀行(協賛委員)   原田虎太郎君   第三銀行           清水虎吉君
十五銀行(協賛委員)   松方巌君     十五銀行           成瀬正恭君
二十銀行         佐々木慎思郎君  二十銀行           山口荘吉君
二十七銀行        師岡政辰君    第百銀行           高田小次郎君
第百銀行         窪田勝弘君    三菱銀行           三村君平君
三菱銀行         桐島像一君    三井銀行(協賛委員)     早川千吉郎君
三井銀行         波多野承五郎君  三井銀行           池田成彬君
三井銀行         門野錬八郎君   安田銀行           安田善三郎君
安田銀行         安田善八郎君   鴻池銀行支店         久田益太郎君
浪速銀行支店(協賛委員) 山中隣之助君   帝国商業銀行         馬越恭平君
帝国商業銀行       今井彦四郎君   川崎銀行           杉浦甲子良君
東海銀行         菊池晋二君    東海銀行           吉田源次郎君
第七十八銀行支店     松尾謹次君    百十三銀行支店        古山数高君
中井銀行         菅沼慶蔵君    東京銀行           草刈隆一君
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八十四銀行        山田丈太郎君   第十銀行支店         山本彦吉君
明治商業銀行       安田善助君    明治商業銀行         伊沢竹衛君
第十九銀行支店      内藤尚君     横浜正金銀行支店(協賛委員) 松尾吉士君
正金銀行支店       角谷藤三郎君   住友銀行支店         加納友之介君
住友銀行支店       外山一郎君    丁酉銀行           清水宜輝君
東京交換所監事      山中譲三君
    ○豊川会長ノ挨拶
閣下、諸君、此手形交換所ノ二十年紀念会ニ手形交換所ヲ代表シマシテ一言御挨拶ヲ申上ゲマス、閣下、諸君、御忙シイニモ拘ハラズ斯ク多数御来臨下サレマシタコトハ厚ク御礼ヲ申上ゲマス。
サテ皆様、御招待状ニモ申上マシタ通リ、此手形交換所ノ成立チマシテカラ二十年デゴザイマス、二十年前ニハ手形交換所ハドウイフ有様デ厶イマシタカ、未ダ其時ハ日本銀行ガ手形交換所ノ交換尻ヲ持タナカツタノデアリマス、丁度二十四年ニ至リマシテカラ日本銀行ガ交換所ノ交換尻ヲ持ツコトニナリマシタ、其時ノ組合銀行ハ十一行デゴザイマシタ、サウシテ其二十四年ノ交換高ハ六千万円余デ厶イマシタ、続キマシテ二十七年ニ戦争ヲ致シマシタ、即チ対岸ノ支那トイフ大キナ国ト戦争ヲシマシタ、其二十七年ノ戦争ノ時ノ手形交換高ハ幾ラデアツタカト申マスルト、約二億デ厶イマス、一億八千万円デアリマスルカラ約二億ト云ツテ宜シイ、サウシテ七月ニ国家ガ公債募集ヲ致シマシタ、軍事公債三千万円、其軍事公債ヲ募ルノニハ時ノ政府時ノ実業家ニ於テ非常ニ心配サレタ、サウシテ年ヲ越エマシテ其年ノ暮ニ五千万円ノ軍事公債ヲ募リマシタ、是モ外債ニ依ラズシテ前ノ三千万円後ノ五千万円、此二ノ軍事公債ヲ以テ支那ト戦争ヲシテ勝チマシタ、是デモウ戦争ハ無イト思フテ居ツタ、所ガ三十七年ニ又戦争ガ始マツタ、二十七年ノ戦争ノ時ハ手形ノ交換高ハ約二億デ厶イマシタガ、三十七年ノ手形交換ハ幾ラデアツタカト云フト、ソレノ十倍即チ約二十億、実際ハ十八億デアリマス、三十七年ノ手形交換高ハ十八億、二十七年ノ手形交換高ハ一億八千万円デ厶イマス、サウシテ支那ヨリ大ナル露西亜ノ戦争ヲシタノデアリマス、所デ第一回ノ国庫債券一億円ヲ募リマスレバ四億五千万円、第二回ノ国庫債券一億円ヲ募リマスレバ三億七千万円、第三回ノ国庫債券八千万円ヲ募リマシテモ約三億ノ応募ガアツタ、年ガ明ケテ三十八年ニ第四回ノ国庫債券一億円ヲ募ツタ時ハ如何デアツタカ、約五億ノ応募ガアツタ、何故ニ約五億ノ応募者ガアツタカト云ヘバ、是ハ三月ニ奉天占領ノ結果、外国人ノ応募モアツテ、内外ノ応募ニ依ツテ約五億ニ達シタ、サウシテ第五回ノ国庫債券一億円ヲ募集スル時ハ、五月二十七日ノ日本海々戦ノ結果デアリマスカ、英吉利ト亜米利加ガ這入リマシタ、而シテ三十八年ノ交換高ハ二十五億六千万円デ厶イマシタ、昨三十九年ノ交換高ハ幾ラデアツタカト申シマスルト、三十五億以上デアル、ソレデ三十八年ノ二十五億六千万円ト此三十九年ノ三十五億円ト比ベルト、約十億円進ンダノデアリマス、是ハ此手形交換所ノ歴史デアリマス、今申シマスル通リ、二十年カラ四十年迄ノ間ニ大戦争ヲ二度シタノデアリマス、前ニハ日清戦争、後ニハ日露戦争――サウシテ年ガ明ケテ本年ニナリマシテハ
 - 第7巻 p.450 -ページ画像 
丁度一月二月ノ手形交換高ヲ合セマスルト云フト、七億以上デゴザイマス、又昨今一日ノ手形交換高ハ千二百万円以上デゴザイマス、是ダケハ歴史デ是ハ渋沢男ガ曩ニ手形交換所ヲ拵ヘ下サイマシテ、私ガ後ノ役員ニナツテ居リマス所ヨリ座長ヲ汚シマシタカラ、簡単ナル歴史ヲ申述ベタノデアリマス、座長ガ挨拶ヲ申シマシタカラ、続キマシテハ隣ノ現大蔵大臣阪谷閣下ガ御演説ガアラウト思ヒマス、ソレニ続キマシテ、今日ノ日本銀行総裁松尾サンカラ御話ガアラウト思ヒマス、松尾サンノ御話ガ終リマシテカラ、我明治ノ初年カラ長ラク大蔵ニモ御勤メデアツタ大隈伯閣下ガ御話下サルコトヽ思ヒマス、続キマシテ右席ノ座長ヲ早川サンガ勤メテ居リマス、左席ノ座長ヲ松方サンガ勤メテ居リマスカラ、此両座長ヲ辱メザル為ニ金子男、末松男ノ御話ガアラウト思ヒマス、一番終ニ渋沢男ガ来賓諸公ニ御挨拶ヲシテ、兼テ経済界ニ長ラク御苦労ヲサレタルニ付テ一片ノ御意見ヲ御述ベ下サルコトヽ思ヒマス、是ダケハ順序デゴザイマスガ、其間ニ衆望ヲ以テ前ノ農商務大臣清浦サン、今日ノ農商務大臣松岡サンモ必ズ御話シテ下サラウト思ヒマス、先ヅ座長ト致シマシテ御忙シイ所ヲ御出下スツタ御礼ヲ申シマス。(拍手)
    ○阪谷大蔵大臣ノ演説
閣下、諸君、手形交換所ハ大蔵省ノ監理ニ属サレテアルト云フ関係ヨリシテ、私ハ玆ニ主人側ノ諸君ニ対シマシテ、一言謝辞ヲ述ブル光栄ヲ有シマス。
今夕ハ誠ニ優美ニシテ且高尚ナル御粧飾、又山海ノ珍味ヲ尽サレタル御趣向、実ニ今夕ノ御宴会ノ盛大ナルコト近来稀ニ見ルトコロノ御催デ、感謝ノ至リニ堪ヘマセヌ次第デゴザイマス。
サテ手形交換所モ既ニ二十年ノ齢ヲ重ヌルトイフコトデ厶イマス、之ヲ既往ニ比較致シマスルニ、此手形交換トイフ制度ガ我国ニハ絶エテ無クシテ、全ク御維新後ニ生レ出マシタ制度デゴザイマス、私ガ学校ニ在ツテ手形交換ノ講義ヲ聴キマス時代ニハ、其当時ノ外国教師ナドハ、迚モ日本ニハ此制度ノ発達ハ或ハムヅカシイカモ知レナイトイフコトヲ話シテ居リマシタ、又日本人ノ先輩諸君ノオ話ヲ聴イテモ、ドウモ日本人ニハ信用ト云フコトヲ重ンズルノ念慮ガ乏シイ、決シテ道徳心ニ於テ欧米諸国ニ劣ツテ居ルト云フ訳デハナイガ、ドウモ此商業取引ノ上ニ於テ信用トイフモノガ日本人ニハ薄イヤウデアル、ソレ故ニ手形ノ発達、況ヤ此交換ノ制度ト云フモノハ、或ハ此日本ニハムヅカシイカモ知レヌ、ト云フコトヲ聴キマシタ、其言葉ハ尚耳ニ残ツテ居ルノデ厶イマスガ、今夕ハ即チ此盛大ナル宴会ヲ催サレテ、唯今委員長ノ御報告ニナリマシタ如ク、盛ナル交換高ニ達シタト云フコトハ実ニ非常ナ御成功ト存ジマス、凡ソ手形交換ノ制度ホド、商業取引ニ於テ複雑ニシテムヅカシイモノハ厶イマセヌ、此制度ガ斯ノ如ク完全ニ我国ニ発達シタト云フコトハ、非常ナル商業上ノ成功――即チ我帝国ノ商業上ノ道徳並ニ商業上ノ信用トイフモノハ、欧米諸国ニ優ルアルモ決シテ劣ラヌトイフコトヲ証明シテ余リアルノデゴザイマス、此成功ヲ賀セラルヽガ為ニハ、斯ノ如キ御催モ未ダ足ラザルヲ覚エル位ノコトデゴザイマス、此席ニハ幸ニモ陸海軍ノ諸君モ御出ニナリマス
 - 第7巻 p.451 -ページ画像 
ルガ、此手形交換所ノ成功ハ、蓋シ陸軍ノ奉天ニ於ケル所ノ御成功、又海軍ノ対馬海峡ニ於ケル御成功ニモ決シテ劣ラヌ成功デアルト云フコトヲ断言致シマス、蓋シ奉天ノ戦争又対馬海峡ノ戦争ト云フモノハ帝国ノ軍事上ニ於テ如何ニ進歩シテ居ルカ、決シテ此日本ノ軍事的発達ノ模倣ニ出ルモノデナイト云フコトヲ明カニ証明シタモノデアリマスガ、今夕ノ此手形交換所ノ成功トイフモノハ、即チ此日本人ハ商業上ニ於キマシテ、決シテ外国人ノ模倣ニノミ依ラズシテ、非常ニ進歩シタル商業発達ノ性質ヲ有シテ居ルト云フコトヲ証拠立ルモノト信ジマス、併ナガラ此貨幣ノ問題ト申シマスルモノハ、世界各国ニ於テ又経済学ニ於テモ極メテ未定ノ問題デアリマス、商業上ニ最モ此貨幣ノコトハ関係ノ深キニ拘ハラズ、又古来学者ガ非常ニ此貨幣ノコトヲ論ズルニ拘ハラズ、今日未ダ此貨幣ノ問題ト云フモノハ解決ガ着イテ居ラヌ、即チ今日行ハレテ居リマスノハ金貨単本位ト云フモノガ先ヅ宜カラウト云フコトデアツテ多クノ文明国ノ間ニ金貨単本位ノ制度ヲ採用シテ居ル、其結果トシテ金ノ奪ヒ合ト云フコトガ始マツタ、何レノ国モ成ルベク多ク金ヲ山カラ掘出シテ、自分ノ国ニ多ク蓄ヘテ置カナケレバナラヌトイフコトニ孜々汲々トシテ居リマスガ、併ナガラ経済学カラ論ズルト、何ガ故ニ金デナケレバナラヌカト云フコトハ解ラヌ学者ハ之ヲ疑フテ居ル、金ヨリモモツト善イ制度ガアリサウナモノ、金ナルモノハ即チ其価ガ時トシテハ高クナリ時トシテハ下ル、甚ダ此物価ノ標準トシテ、交換ノ媒介トシテ、純理上不十分ナルモノデアル如何セン商業上ノ知識又経済学ノ知識ガ、今日ニ於テハ此金貨本位ヨリ他ニ仕方ガナイカラ用ヰテ居ルノデアルガ、未ダ之ヲ以テ完全ナル制度トシテ解決セラレタ議論ハナイノデ、シテ見レバ将来此手形交換ノ制度――即チ貨幣ノ制度ヨリシテ此手形交換ノ制度ハ生レ出ルモノデアルガ、未ダ此改良発達スベキ余地ガアルデアラウト考ヘル、之ヲ解決シテ世界ニ於テ最モ卓越シタル融通上ノ制度ヲ樹立スル任務ハ我日本人ニアルノデハナイカト考ヘルノデアリマス、今日ノ手形交換所ノ制度ノ成功ヲ賀スルト共ニ、前途ニ於キマシテ尚此困難ナル貨幣問題ノ解決ヲ望マザルヲ得ヌノデアリマス。(拍手)
終リニ臨ミマシテ、私ハ手形交換所ノ万歳並ニ手形交換所会員諸君ノ万歳ヲ祝シタイト思ヒマス、ドウゾ御賛成ヲ願ヒマス。(一同起立乾杯)
    ○松尾日本銀行総裁ノ演説
私ハ今晩御招待ヲ得マシタ御礼ヲ申上ゲヤウト存ジマス、本夕東京手形交換所創立二十年紀念ノ祝賀会ノタメニ開カレタ此宴席ニ御招キヲ辱ウ致シマシタノハ、最モ光栄トスル所デゴザイマス、謹デ謝意ヲ表シマス。
抑々東京手形交換所ノ創立ハ明治二十年デアリマシテ、其当時ノ大蔵大臣松方伯爵閣下ガ、紙幣整理ノ困難ナル事業ニ成功セラレテ、我国ノ経済社会ガ維新以来始メテ確実ナル基礎ノ上ニ立ツコトヲ得ルニ至リマシタ時デゴザイマス、其時ニ当リマシテ、信用取引ノ根源ナル東京手形交換所ノ設立ヲ見マシタコトハ誠ニ偶然デアリマセヌト思ヒマス、爾来国会ノ開設、二十七八年、三十七八年ノ戦争、其他内外多事ナリシニ拘ハラズ、我経済ガ着々進歩致シマシテ今日ノ盛況ニ及ビマ
 - 第7巻 p.452 -ページ画像 
シタ訳デゴザイマス、此進歩ノ状況ヲ一目ノ下ニ最モ明瞭ニ示スモノハ東京手形交換所ノ事業ノ発展デゴザイマス。
今日ノ取引ニ於キマシテ、貨幣ヲ其基礎ト致シマスルコトハ是ハ申スマデモゴザイマセヌ、然レドモ信用ノ増進ト共ニ、実際貨幣ヲ用ヰル部分ハ次第ニ減少致シマシテ、信用取引ハ漸次是ニ代ルニ至リマシタルハ、国勢ノ進歩ノ徴候ト存ジマス、東京手形交換所ノ統計ハ、我国ニ於ケル信用取引ノ発展ノ状況ヲ最モ明瞭ニ示スモノデアリマス、而シテ此信用ノ取引ガ発達スルニ至リタルモノハ、此交換所ノ力与ツテ大ナルモノト信ジマス、斯ノ如ク信用取引ノ発展ノ大ナル力ヲ要シマスル手形交換所ニ付キマシテハ、吾々信用ヲ以テ営業致シマスル所ノ銀行者ガ多大ノ利益ヲ受クルハ勿論、一般ノ経済社会ノ受クル所ノ利益モ甚ダ大ナルモノデアルト信ジマス、是レ其創立以来漸次発達シテ今日二十年ノ紀念祝賀ノ盛宴ヲ挙ゲラルヽニ当リマシテ、衷心欣喜ノ情自ラ禁ズル能ハザル次第デゴザイマス、而シテ今之ヲ祝スルト共ニ尚財界ノ前途ヲ望見スルトキハ、国庫ノ収支ノ増加スルノミナラズ、民間事業ノ計画セラルヽモノモ亦少クゴザイマセヌ、将来是等ニ要スル資金ノ受授セラルヽ高トイフモノハ非常ニ増加スルモノト信ジマス信用機関タル手形交換所ノ機能益々進歩発達シテ出来得ルダケ通貨ノ節約ヲ図リ、益々財界ノ発達ニ資セラレンコトヲ望マザルヲ得ヌ次第デゴザイマス、聊カ祝意ヲ述ベテ御礼ヲ申上ゲマス、併セテ将来益々当交換所ノ発達ヲ祈リマスル。(拍手)
    ○大隈伯爵ノ演説
今夕ハ手形交換所二十年紀念ノ盛ナル宴会ニ列シマシテ、且ツ鄭重ナル御挨拶ニ与リマシタ、私モ此席ニ列ツタ以上ハ、嘗テ大蔵省ノ席ヲ汚シタ為ニ何カ演説ヲ致サナケレバナラヌ様ナ会長ノ御言葉デゴザイマス、交換所ハ松方伯ノ大蔵大臣ノ時代ニ成立セラレタノデアツテ、特ニ長ク財政ノ局ニ当ラレタ伯デアルカラ、今日御出ニナレバ私ハ此務メハ免カルヽ所デアツタガ(笑)伯ガ御出席ノナイ為ニ私ハ災難ニモ松方伯ト共ニ前世紀ノ大蔵ノ当局トシテ、玆ニ二人分ノ御話スルヤウナ訳ニナリマシタ、全体私ハ余リ御目出度イ事ヲ言フコトガ出来ナイ、昨年モ銀行集会所ノ席上、阪谷大蔵大臣カラ小言ヲ受ケタ(笑)随分面白クナイ話ヲシタ所ガ御気ニ入ラナイ、今日ハ二十年紀念ノ御目出度イ祝宴デアル為ニ、決シテ私ハ不祥ナ事ハ申サヌ、ト言ツテ殊更ニ言葉ヲ飾ツテオ世辞ヲ言フコトハ殆ド私ニ取ツテハ不可能ノ役目デアル、併シ先ヅ第一ニ御祝辞カラ申セバ、誠ニ盛ナル有様、僅々二十年間ニ殆ド百倍ニ垂々タル進歩ト云フモノハ、恐クハ世界広シト雖モ斯ノ如キ進歩ハナイノデアル、今欧羅巴ニ於テ独逸、或ハ北米合衆国ノ如キ駸々トシテ国力ノ進ム国モ尚且ツ此日本ノ交換所ノ進ム有様ヲ以テ比較シマスレバ、或ハ後ヘニ落チルノデアル、斯ノ如キ事カラ観察シテ見レバ、日本ノ総テノ進歩ハ実ニ盛ナルモノデ、恰モ陸海軍ガ光栄アル勝利ヲ得タト同様ニ、経済ノ上ニ於テ大ナル勝利ト謂ハネバナラヌノデアル、其方カラ云ヘバ、世界ノ経済学者達ノ議論シツヽアル貨幣ノ問題モ、日本人ニ由テ解決セラレテ、世界ノ商業、世界ノ銀行業ニ利益ヲ与ヘル所ノ貨幣制度ハ、日本国民ニ依ツテ発見セラル
 - 第7巻 p.453 -ページ画像 
ルト云フ大発明ガ起ラヌトモ言ヘヌ様ニ思フノデアル、併ナガラ斯ノ如キ話ヲ致スト、是カラ唯今会長ノ御見込デハ、現農商務大臣、前農商務大臣、ソレカラ両方ニ御出ニナル所ノ農商務大臣トカ内務大臣トカ色々ノ実歴ノアル清浦男爵、金子男爵、末松男爵――尚豊川君ハ加藤君即チ前ノ外務大臣ヲ落サレタノハドウイフ訳デアルカ、此四君ヲ加ヘタラ最モ妙デアラウ、斯ノ如ク多数ノ雄弁家達ガ現ハレテ御話ガアレバ、今夜ハ夜徹シダ(笑)多分御迷惑デアラウト思フ(笑)故ニ私ハ極ク手短カニ――貨幣ノ問題其他ノ事ニ就テハ他日機会ヲ見テ御話スルコトニ致シ、――多年交換所其物ニ就テ少シク論ジテ見タイ事ガアツタカラ、今ソレヲ試ミヤウト思フ、尤モ私ハ古イ前世紀ノ大蔵大臣デアルカラ、余程見当ガ違ツテ居ルカモ知レヌ、併シ私ガ熟々観察シテ見ルト、此手形交換ノ進歩ハ甚ダ喜ブノデアル、併ナガラ突然此最近二三年間ノ進歩ハ最モ急激デアルノハ少シク疑問ガアル、御承知ノ通リ世界デ一番手形交換ノ盛ナル所ハ紐育デアル、是ハ無論此処ニ御出ノ諸君ハ皆承知ノコトデアル、其交換高デ云ヘバ東京ノ交換高ノ凡ソ五六十倍乃至七十倍位ニナルデアラウト思フ、実ニ盛ナルモノデアル、其次ハ英国デアル、英国モ大方日本ノ二三十倍デアラウ、所ガ大陸ニ渡ツテ見ルト今日ノ勢カラ推測スルト今後五年ヲ出デヌ中ニ巴里伯林ハ遥カニ東京ノ交換高ニ下ルト私ハ断言シテ憚ラヌノデアル、独逸ノ今日商工業ノ盛ナルコトハ殆ド世界ヲ圧スル勢デアル、然ルニ手形交換ノ有様ハドウデアルカト云フト、余程進歩ガ遅緩デアル、商工業ノ進歩ハ僅カ三十年間ニ実ニ驚クベキ進歩ヲ為シタニ拘ハラズ、手形交換ノ進歩ハ之ニ比較シテ甚ダ遅緩デアル、然ラバ東京ハ伯林以上、日本ハ独逸以上ノ長足ノ進歩ヲ為スト言フコトガ出来ルカ、恐クハ楽天主義ノ大蔵大臣モ(笑)決シテ日本ハ独逸以上ノ進歩ヲ有ツテ居ルトイフコトハ断言出来マイト考ヘルノデアル(拍手)此銀行ノ制度、金融ノ制度、手形制度ニ於テハ殆ド世界ノ模範タル倫敦――英国ハ最モ進ンデ居ル、非常ニ進ンデ居ル、其点カラ云ヘバ無論亜米利加以上デアル、大陸ハ殆ド側ヘモ寄ルコトノ出来ヌ程進ンデ居ルノデアル、其証拠ハ少数ノ貨幣ニ由ツテ多数ノ商売ヲ為シテ居ルト云フ事ヲ以テ十分証拠立テヽ居ル、昨年ノ貿易高ヲ以テ計ルト、世界ノ最モ商工業ノ盛ナル所ノ独逸、仏蘭西ノ二箇国ノ外国貿易ノ合計ハ、英国一箇国ノ貿易高ニ相匹敵スルノデアル、然ルニ英国ノ貨幣ハ仏蘭西ノ半分モ持ツテイナイノデアル、殆ド四分ノ一ノ貨幣ヲ以テ仏、独両国ニ相対スル商売ヲシテ居ルノデアル、是モ全ク信用制度即チ手形ガ非常ニ発達シタコトヲ証拠立テルノデアル、而シテ尚且紐育ニ比ベルト、手形交換ノ高ハ半分モ無イト云フコトヲ以テ考ヘレバ、私ノ観察ハ誤ツテ居ルカ知レヌガ、紐育ノ手形ノ盛ナル所ノ原因ハ何処ニアルカ、私ハ断言スル、紐育ハ投機熱ノ世界ニ於テ最モ盛ナル所デアル、紐育程投機商売ノ盛ナル所ハ無イノデアル、否株ノ流行ルコト甚シイ(笑)ドシドシ遣ル、ナカナカ日本モ権利株ヲ遣ルガ、ソンナモノデハナイ(笑)日本ハナカナカ真似ヲシテモ追付カナイ、ソコデ紐育ノ手形交換ノ有様ニ就テハ私ハ疑問ヲ有ツテ居ルノデアル、然ラザレバ英国ノ交換高ハモウ少シ増サネバナラヌ、仏蘭西抔ハ余程多クナケレバナラヌ、今
 - 第7巻 p.454 -ページ画像 
日ノ有様デ行ケバ、多分五年ヲ出デヌ中ニ日本ガ仏蘭西ヨリ交換高ハ上ニ出ルニ相違ナイ、然ラバ日本ノ富ハ仏蘭西ヨリモ多イト言ヒ得ルカ(拍手)仏蘭西ヨリ其信用制度ガ発達シテ居ルト言ヒ得ルカ(拍手)未ダ遺憾ナガラ日本国民ハ仏蘭西ニ頭ヲ下ゲテ金ヲ貸シテ下サイト云フ憐レナル経済状態デアル(笑)交換高カラ云ヘバ仏蘭西ハ最早日本ノ後ヘニ下ル、ソコデ是非トモ手形其者ガ――此処ニハ銀行家諸君ガ御出デアルカラ御承知デアリマセウガ、真ニ商工業カラ起ル手形、若クハ一時ノ融通上カラ起ル手形ヲ区別シテ、ドウ云フ割合ニナツテ居ルカト云フ事ハ、是ハ商業上ノ秘密カラ公ケニサレヌカモ知レヌガ、銀行ノ秘密ノ帳簿ニハ必ズ載セテアルト信ズル(笑)又之ヲ知ラヌ様ナ銀行ナラバ、甚ダ迂濶ト言ハザルヲ得ヌ、之ヲ調ベタナラバ、真ニ商業上カラ起ル所ノ者ヨリハ、株券デアルトカ、権利株デアルトカ、或ハ南満鉄道ノ募集ガ始マルト一朝ニシテ何十億万トイフ金ガ集マル、真ニ其通リ集マルカト見レバ、倫敦ノ人、紐育ノ人ガ吃驚スル、而シテ此証拠金ハドウシテ出テ来タカ、俄カニ銀行ニ預金ガ増シ、貸出ガ増シ皆手形ノ払ニナツテ居リサウニ思フ(笑)私ハ銀行ノ事ハ一向不案内デアルカラ解ラヌガ、外部カラ想像シテ見ルト、サウ思ハレルノデアルソレカラ近来会社ノ起ツタコトハ夥シイ、其資本総額ハ十何億万ニ達シタトイフコトデアルガ、是等ノ権利株証拠金トイフモノハ、必ズ手形ニナツテ現ハレル、ソレカラ日々ノ株ノ取引ノ盛ナルコト何百万トイフ、随分盛ナル勢デアル、是等ノ金ハドウシテ動イテ居ルカト云フト、皆手形デアル、ソコデ此手形交換高ガ突然暴進シテ来タノデアル、殊ニ此一月、二月ノ暴進シタ有様ヲ今会長カラ聴イテ愈々疑ヲ深クシタノデアル、是ハ余程注意スベキ事デアルト思フ、併シ斯ク申スト、又例ノ悲観論者ガ悪口ヲ言フト御心配ガアルカ知レヌガ、決シテサウデハナイ、此処ニ至ルト頗ル私ハ楽観論者デアル、ドウカスルト当局大臣以上ノ楽観者デアル(笑)斯ノ如ク投機ノ起ル原因ハ何レニアルカト云ヘバ、零落スル国ハ投機少シ、モウ仏蘭西ノ如ク殆ンド商工業ノ活動ノ止マツタ国ハ、金利ノ変化モ少ナイ、サウイフ国ニ於テハ余リ投機ガ起ラヌノデアル、所ガ新タニ勃興スル国ニ於テハ必ズ技機ガ盛デアル、独逸建国千八百七十年以来、僅カ三十五六年ノ間ニ、ドウモパニックノ起ルコト夥シイ、ナカナカ盛ンニ起ル、日本ノパニックノ如キモノデハナイ、猛烈ナル惨毒ヲ流シタ、亜米利加ニ於テハ先ヅ凡ソ十年前、前一世紀間ニ十回以上、小サナパニックヲ入レルト十八回ト記憶シテ居ル――パニックガ起ツタ、而シテ今正ニ小パニックノ時代デアル、独逸モ亦小パニックデアル、其証拠ハ金利ガ七歩デアル、先日ノヤウナ日本ノ有価証券ノ高イトキハ、何デモ有価証券ヲ売飛シ、金ヲ伯林ヘ持ツテ行クト大層儲カル、マダ日本ノ投機者ハ大胆デナイ、大胆ノ働キヲスレバ余程大儲ヲシタト思フノデアル、ソコデ今世界デ勃興シテ居ル国ハ何クニアルカト云フト、先ヅ独逸、亜米利加ニ誰モ指ヲ屈スル、一番盛ニナル国ガ一番投機ガ多イ、サウスルト投機ハ余リ真似タイコトデハナイガ、国ノ勃興ニ連レテ企業熱ニ伴フ所ノ一ノ弊害デアル、大旱ノ雲霓ヲ望ムトイフノハ、雨ガ降ラナケレバ耕作物ハ枯レテシマフカラデアル、所ガ好イ按排ニ雨バカリ降ツテ
 - 第7巻 p.455 -ページ画像 
呉レヽバ宜イガ、其時ハ嵐ガ伴フトイフヤウナ訳デ、ドウモ企業ノ勃興スルトキニハ必ズ投機ガ従フヤウデアル、又人間ノ欲望トイフモノハ限リノナイモノデ、ソコデ人間ノ欲望ガ投機トナツテ現ハレル、人間ノ欲望ガ止メバ投機ハ止ムガ、同時ニ商工業ノ活動モ止マル、ソレ故ニ投機ハ免レヌ、唯其間ニ成ルベク利益ヲ多ク収メテ、害ヲ避ケヤウトイフコトガ最モ必要デアル、大分経済学者達モ、此投機ヲ止メヤウトシテ余程研究シタケレドモ、未ダ良法ヲ見出サヌノデアル、法律家モ見出サヌ無論道徳家モ宗教家モ投機ハ大嫌ヒ、余程之ヲ止メヤウトスルケレドモ六ケ敷イモノト見エル、日本モ台湾ノ彩票ハ台湾在住ノ人間ニ限ルトキメテモ、内地デモ盛ニ買フ(笑)法律ノ力モイカヌ、如何ナル名相ガ現ハレテモイカヌ、宗教家・道徳家、何トシテモイカヌ、殊ニ学理ナドヲ以テコンナコトヲ解釈シヤウトスルハ迂遠千万ノ話、ソコデドウスルカ、先ヅ当分中止(笑)所ガ彩票ハ中止デアルガ投機中止、コレハムヅカシイ、既ニ独逸デハ丁度千九百年ノパニックノ時ニ――独逸ニハナカナカ学者ガアル、法律家・道徳家・哲学者、ナカナカ議論ノ盛ナ国デアル、投機トイフ奴ハ碌ナモノデハナイ、投機ヲ征伐スルニハ先ヅ取引所ヲ征代《(伐)》スルガ宜イ、ソコデ一番初メ鉱山業ノ会社、是ガ投機ノ源ダラウト云ツテ其株券ノ定期売買ヲ停止シタ、ソレカラ引続ヒテ各種ノ製造工業ノ株券ノ定期取引ヲ停止シタパニックノ来ラントスルトキニソンナ詰ラヌ事ヲ遣ツタモノダカラ、其為メニ一層パニックノ勢ヲ激烈ナラシメ、驚クベキ惨毒ヲ流シテ大騒動ヲ醸シタノデアル、ソコデ当局者ハ自ラ其過ヲ悟ツテ、徐々ニマタ旧ニ復シテシマツタ、トウトウ法律デハイカヌ、千八百七十三年ノ亜米利加ノ大恐慌ノ時ニモ、学者・実業家・政治家達ガ一ツノ委員会ヲ組織シテ種々討議シタガ、結局法律ガ之ヲ制スルコトハ出来ヌモノデアルト云フコトニ決定シタヤウデアル、サウスルトドウスルカト云フト全然思慮アル地位アル銀行者ノ自制心ニ訴ヘルノ外仕方ガナイノデアル、而シテ自分ノ営業ノ利益ノ上カラ、余リサウイフコトヲ奨励シナイヤウニスレバドウセ投機ハ起ルガ、投機ノ利ヲ収メテ害ヲ避ケルコトガ出来ルデアラウ、全然避ケルコトハ出来ヌガ、少クスルコトガ出来ルデアラウト思フテ居ル、ソレデ手形交換ノ進歩ハ実ニオ目出度イコトハオ目出度イガ、其盛ニナル所ノ原因ヲ、モウ少シ研究スルコトガ必要デアル、突然盛ニナルトイフニハ必ズ原因ガアル、其原因ニ注意シナイト、或ハ反動ガ来タツテ不測ノ変ガ起ラヌトモ云ヘヌ、故ニ申スマデモナイ今日マデノ成功ヲ祝スルト同時ニ、今後ハ手形交換ノ上ニ十分注意シテ之ヲ御研究サレルコトヲ望ムノデアリマス、御祝辞ヤラ何ヤラ分ラヌガ、是ダケヲ以テ今夜ノ祝辞ニ代ヘマス。(拍手)
    ○金子男爵ノ演説
座長及来賓諸君、私ハ唯今座長カラ何カ今夜ノ御挨拶ニ一言セヨトイフ御命令デゴザイマシタ、併シ唯今演説ナサレタ御方ハ大蔵大臣、日本銀行総裁、前ノ大蔵卿大隈伯デ厶イマシタ、此御方々ニハ十分此事ニハ御考ガアリ、又御関係ガアルカラ、当然此席デ御挨拶アルコトヽ思ヒ、又吾々モ誠ニ有益ナ御話ヲ伺ツタ、併シ私ハ手形交換所又大蔵省ノ事ニハ未ダ曾テ経験ガナイ、デ此処ニ呼出サレテ何ト御話ヲシテ
 - 第7巻 p.456 -ページ画像 
宜イカ、実ハ当惑ヲシタ、ソレデ一昨年紐育ノ手形交換所ノ宴会ニ招カレテ、私モ列席シタカラ、紐育ノ手形交換所ノ事デモ言ハウカト思ツタラ、未ダ亜米利加ニ往カズ欧羅巴ニモ足ヲ向ケヌ大隈伯ガ、世界第一ノ手形交換所ハ亜米利加ノ紐育ダト言ハレタ、私ハ一年半紐育ニ居リマシタガ其事ハ知ラナカツタ、実ニ大隈伯ハ鋭敏ナ御方、博識ノ御方デアルト思ツタ、不断モサウ思ツテ居ツタガ、今夜益々サウ思ツタノデアル(笑)私ハ紐育デ手形交換所ヲ見タ話ヲシヤウト思ツタガ、是ハモウ大隈伯ニ先鞭ヲ着ケラレテ、折角ノ種モ大隈伯ニ打壊ハサレテシマツタ、ソコデ唯ダ一言申上ゲマスルノハ、私ガ一昨年紐育ノ手形交換所ノ宴席ニ列シタ時ニハ、今晩此処ニ御列席ノ人ヨリ人員ガ少ク、又装飾其他ノ事ニ至ツテモ、今夜程盛大デナカツタトイフ事ヲ申上ゲマシタラバ、日本ノ手形交換所ハ列席者ノ数及盛宴ノ程度ニ於テ紐育以上デアルトイフ――是ダケハ大隈伯ヨリモ一寸早イ――コトヲ私ガ知ツテ居ル、実ニ今晩ノ御席ニ列シテ、一昨年ノ紐育ノ手形交換所ノ宴会ノ事ヲ想起セバ、モウ日本ハ今夜ダケデモ紐育以上、サウスルト世界第一トイフコトニナリマスカラ、実ニ手形交換所ニ関係ノ御方々ノ為ニ祝杯ヲ挙ゲタイト思フ。
而シテ何ヲ言ハウカトイフニ、突然ノコトデ御話ヲシタイト思フテモ何モ無イガ玆ニ一ツ想起シタ事ガアル、是ハ一昨年亜米利加ニ居ツテ宴会ニ招カレタ時ニ、私ノ右ニ座ツテ居ツタ人ガ、亜米利加ノ上院ノ「チヤプリン」、即チ議会開会ノ当初ニ祈祷ヲスル職ヲ奉ジテ居ル「ヘール」トイフ人デアツタ、此人ガ私ノ隣リニ居ツテ言フノニハ、若シ宴会ニ往ツテ食後演説ニ突然呼出サレタ時ニハ、食事中隣リノ人ト話合ツタ事ヲ演説ニシロ、サウスルト演説ノ種ガ其ノ話ノ中ニ出来テ居ルカラト言ツテ、私ニ注意ヲ与ヘラレタ、ソレデ私ハ今晩先程カラ松尾日本銀行総裁ト早川三井銀行専務理事ト話合ツタ事ヲ、御二方ハ二度御聴キニナリマスカラ誠ニ御気ノ毒デゴザイマスケレドモ、此御二方カラ聴イタ事ヲ私ガ直チニ今夜ノ御挨拶ニ代ヘレバ、御二方ガ材料ヲ与ヘタノデ、ソレヲ私ハ更ニ少シ自分ノ言葉ニ直シテ今晩ノ御挨拶ニ代ヘヤウト思フ、依テ御両君ニハ誠ニ重複ノ恐ガアリマスケレドモ、暫ク御容赦ヲ願ヒタイ。
而シテ私ノ演説ハ是レカラ何処迄往クカ知ラナイガ、一向ドウイフ事ヲ言フカ分ラナイ、無暗滅法ニヤリ出スノデス(笑)ソコデ予メ諸君ニ御願致シテ置クガ、是モ私ガ亜米利加ノ或ル晩餐会ニ招カレタ時ニ、私ガ元カラ先生トシテ居ツタハーバート大学ノ総長、「エリオット」トイフ人ガ、オ前ハ是レカラ亜米利加デ食後演説ニ呼出サレルデアラウカラ、オ前ニ食後演説ノ秘訣ヲ教ヘテ置カウ、ソレハ演説ヲシ居ル中ニ、何ヲ言フカ分ラヌデモ無暗ト話セ、サウシテ人ガ手ヲ叩イタラソレハ余程名論ダト思ツテ直グ座レトイヒマシタ、ソレデ私ハ是レカラ演説スルニ付、全体ナラ名演説ニ手ヲ叩クノガ通例デアリマスガ、私ノ演説ガ若シマズカツタナラバ、諸君ハ早ク手ヲオ叩キナサリサヘスレバ、私ハ直グ座ル(笑)此二ツノ亜米利加仕入ノ食後演説ノ秘訣ニ依テ、私ハ今晩此処デ折角ノ御案内デゴザイマスカラ、御挨拶ニ代ヘヤウト思フ。
 - 第7巻 p.457 -ページ画像 
此手形交換所ノ必要ナルコト、又業務ノ発達シタルコトハ、大蔵大臣前ノ大蔵卿及ビ日本銀行総裁カラ十分ニ御話ニナツタ様デゴザイマスガ、私ハ此手形交換所ガ紐育以上ノ盛宴ヲ御開キニナツタニモ拘ハラズ、吾々ノ希望スル余地ハマダマダ此手形交換所ニアルト思フ、先刻カラノ御話ニ、世ノ中ノ金貸業者ハ、借金スル時ニ其借主ニ向テ借金証文ヲ書ケト言フガ、銀行社界デハ借金証書ト共ニ手形ヲ書ケト言フ是ハオカシイ話デ、借金証文ヲ書イテ印判ヲ押シテ印紙ヲ貼ツタラ、モウソレデ宜ササウナモノダノニ、手形迄モ書ケト言フハ何故ゾ、是ハ詰リ其借金人ハ信用ガ無イカラデアル、併シサウイフ手形ハ手形交換所ニハ往カナイ、往ツテモ拒絶サレル、又其借金人ガ少シ怪シクナツタ場合ニハ、直グ執達吏ヲ向ケテ取レルカラ、借金証書ノ外ニ手形ヲ書カセテ置クト言フ、此様ナ手形ガ早クサウイフ信用ノ少イ境遇ヲ脱シテ其手形ヲ書ク人ガ銀行ニ預金ガアル様ニナレバ、此等ノ手形モドンドン手形交換所ニ廻ツテ来ル、サウナレバ今ノ三十五億ノ手形交換高ガ三百五十億ニモナラウト思フ、ソレデドウゾ借金証書ニクッ付イテ居ル所ノ手形ガ、早ク無クナツテ、是ガ手形交換所ニ流レ込ムヤウニ私ハ希望致シマス。
モウ一ツ是モ先刻伺ツタコトデアルガ、日本銀行ニ往ツテ借金ヲスルトキニハ、手形ヲ出スト同時ニ、見返担保品トイフモノヲ要求サレルサウデス、是ハ何故カトイフト、手形バカリデハマダ其借金人ノ信用ガ足リナイカラ、何カ株券カ公債証書ヲ持テ来イト言フ、之ヲ見返担保品ト云フノダサウデ、是ハマダマダ手形ノ信用ガ足リナイカラ已ヲ得ヌ、若シ其借金人ガ期限ニ戻サヌトキハ、其見返担保品ヲ売ツテ清算勘定ヲスル、コレガ又手形交換所ニ往カヌサウデス、此見返担保品附ノ手形ガ手形交換所ニ往クヤウニナツタラ、手形交換所ノ繁栄トイフモノハ、今日ヨリ数十倍スルデアラウト思フ、故ニ此二ツノ事ヲ唯今此処デ聞イタカラ、直チニ「ヘール」氏ノ忠告ニ依テ、私ハ今晩ノ御挨拶ニ代ヘヤウト思フノデアル、若シ一個人ガ銀行ニ今取上ゲラレル所ノ、借金証文ト共ニ差出ス所ノ手形及ビ見返担保品ト共ニ日本銀行其他ノ銀行ニ差出ス所ノ手形マデモ、手形交換所ニ往クヤウニナツタナラバ、大隈伯ノ仰シヤル紐育ノ手形交換高ノ幾層倍ニナツテ、日本ハ世界第一ノ手形交換所ト誇ルコトヲ得ルノミナラズ、個人ガ辛フジテ見返担保品デ信用ヲ補フテ居ル者モ、本当ノ信用ヲ得ルヤウニナレバ、国ガ益々富ミ、且ツ手形交換所ガ今ヨリ一層繁栄ニ至リマスカラドウカ三十年ノ紀念ノ御宴会ノ時ニハ、吾々モ列席シテ、此二ツノ手形ガ唯今デハ交換所ニ往カヌ者ガ往クヤウニナツテ、今日ノ三十五億トイフ交換高ガ三百五十億ニナル程ニ、此手形交換所ノ盛大ニナルコトヲ希望致シマス。(拍手)
    ○末松男爵ノ演説
段々雄弁家ノ御演説モアリマシタガ、私モ御招キニ与カリマシタ一人デ厶イマスカラ、前諸演説者ト共ニ、会主ニ向ツテ御礼ヲ申シマス、サテ此交換所ノ発達ノ一件ニ付キマシテハ、先刻ヨリ祝辞デアルカ、御討論デアルカ、イロイロアリマシテ私ノ如キハ其適従スル所ニ迷フヤウデアリマス、併シ全体カラ申シマシタル時ニハ、日本ノ信用ノ制
 - 第7巻 p.458 -ページ画像 
度トイフモノハ、段々ニ発達シテ来タトイフノ点ハ疑ヒナイヤウニハ存ジマス、勿論窄ツテ言ヒマスレバ、決シテ是ハ最初ヨリ自然ニ発達シタノニアラズシテ、頻リニ大蔵省アタリカラ、モウ少シ手形ノ流通ヲヤルヤウニ、ドウシロ斯ウシロトイフ世話ハ焼カレタヤウニ覚ヱテ居ル、併シ世ノ中ノ進歩トイフモノハ、必ズシモ自然ヲ待ツニアラズシテ、人為的ニ上流ヨリ促ストイフコトハ一ノ政策上必要ノコトデアルカラ、当時ソンナ事ガアリマシテモ、今日ノ発達ヲ来シマシタノハ祝セザルヲ得ナイノデアル、而シテ此一局部ノ或ル手形交換所ノ発達ハ、即チ銀行ノ事務ト相関聯致シテ居ルコトハ論ヲ俟タナイ、交換所ノ発達今日ニ至ツタノハ、銀行事業ノ発達是ニ伴ツテ居ルトイフコトハ無論ノ話デアル、ソレニ就テ私ハ諸君ニ報告旁々一言致シマスルコトガゴザイマス。
彼ノ未曾有ノ大戦タル所ノ日露戦争中ニ於テ、又其以前ノ日清戦争時分モ略ボ同様デアリマシタガ、欧米各国ニ於テハ、日本ノ経済ガドウシテ此大戦ニ堪ヘルコトガ出来ルカ、トイフノガ余程問題ニナツテ居ツタノデアル、勿論日本人ハ戦場ニ臨ンデ命ヲ捨テヽ刀ヲ揮ヒ、鉄砲ヲ放ツコトガ上手ダトイフコトハ、夙ニ世界ノ認ムル所トナツタ、併シ経済上ニ於テハドウダトイフヤウナ疑ガアツタ、右ニ就テ私ハ彼地即チ欧洲滞在中ニ、大ニ気焔ヲ吐イテ居ツタ、日本ハ小デアル、又大富国トイフ訳デハナイノデアル、併シ支那トノ戦争ノ時ハドウデアツタ、日本ハ勝ツダケノ理由ヲ具ヘテ居ル、人口ノ点ニ於テハ日本ハ少ナイケレドモ、支那ガ幾億万ノ人口ガアツタ所ガ、一時ニ戦争ニ持出スコトハ出来ヌノデアル、戦争ニ出テ戦フ人間ハ極ツテ居ル、故ニ人間ノ多イノヲ吾々ハ恐レナイ、又金ノ点ニ於テドウデアル、支那全体ハ遥カニ日本ヨリ富ンデ居ル、個人トシテ金持ガ多イ、併シ支那ノ金ハ国家的ノ用ヲ為サナイ、金ノ余裕ノアル人ガ之ヲ何処ヘ預ケルカト云フト、外国人ノ銀行ニ預ケル、支那ニハ少シモ銀行制度トイフヤウナ立派ナモノガ無イ、之ニ反シテ我日本ノ制度――何ト言ツテ宜シイカ知ラヌガ、金融ノ機関、是ガ完全シテ居ル、国家的ノ用ヲ為スベク出来テ居ルノデアル、故ニ日本ハ各人ノ持ツテ居ル所ノ最後ノ一銭マデモ、国家ノ為ニ使フコトガ出来ルヤウニナツテ居ル、其為メニ日本ノ財政経済ハ決シテ侮ルコトハ出来ナイ、十分遣リ得ルト云フヤウナ気焔ヲ吐イタ、而シテソレハ何ニ依ツテ言フカト云ヘバ、即チ銀行制度ガ其主タルモノデアルト云フコトハ無論デアル、此銀行制度ニ付キマシテハ、諸君ハ私ヨリモ十分御熟知ノ通リ、随分最初ヨリ困難モアツタ、又之ヲ建テタ歴史ニ遡ツテ見マスト、国家ガ極ク詰ラナイ損ヲシタヤウナコトモアルノデアル、併シ是マデ段々経験ヲ積ンデ、兎モ角モ今日ノ状況ニ達シテ来テ、今日ハ民間ノ融通ノ機関タルノミナラズ、国家非常ノ時ノ大ナル用ヲ為スコトニナツタノデアル、之ヲ私ハ十分ニ信ジテ居ルガ故ニ、西洋人ニ向ツテモ只今述ベタヤウナコトヲ言フコトガ出来タ、私ハ此上ニモ銀行業者ニ望ム所ハ、益々此制度ヲ完全ナラシムルコトデアリマス、今日マデノ所ニ於テ私ハ決シテ遺憾ハナイノデアル、併シ今後ノ所ニ於テ尚望ムトイフ次第デアリマス、其所以ハ他人ニ向ツテハ唯今ノ如ク既ニ完全無欠デアルガ如ク唱ヘル
 - 第7巻 p.459 -ページ画像 
ガ、内実ハドウデアルカト云フコトヲ顧ミテ見マスルト、是レ等ノ点ハモウ少シ確実ニナツタラ宜カラウト云フ点ガ、局外者ノ吾々ノ考フル所ガ無イトイフモノデハナイ、彼ノ国立銀行ノ盛ナル時代ニ当ツテ彼ノ諸銀行ガ尽ク確実ノ基礎ヲ有シテ、確実ニ業ヲ遣ツテ居ツタカト云ヘバ、私共ノ耳ニシテ居ル所デハ随分検査ノ時ナドニ一ノ銀行ニアツタ品物ガ、役人ノ廻ラヌ前ニ隣ノ銀行ニ行ツタトイフヤウナ事ヲ聞イテ居ル(笑)或ハ御記憶ニナツテ居ル御方モアリハシナイカト思フ、今日ニ至テハ無論サウイフコトハアルマイガ、尚時々吾々ノ耳ニ聴キ目ニ見ルコトガアル、是ハ今夜ノ席デ斯様ナ事ヲ申スノハ少シクイカガハシイノデアリマスケレドモ諸君ニ大ニ望ヲ嘱スルガ故ニ、私ハ多少言ハザルヲ得ナイ、随分大華族アタリノ相談役等ノ間ナドニハ、余程苦ムコトガ度々出来テ居ルヤウデアル、此事ハ私ガ多ク言ハズシテ諸君ガ了解スルコトヲ望ム、斯ノ如キ状況ガアツタ次第デアレバ、私ハ欧羅巴デ我国ノ金融機関トイフモノハ殆ド完全無欠デアルト云フタ其裏面ノ事ヲ自ラ顧ミレバ、少シク躊躇セザルヲ得ナイヤウナ事ガ起リハシナイカトイフコトヲ、是マデノ所ニ於テ幾ラカ感ジタ、併シ今日ノ盛運ニ際シマシテハ、是等ノ事モ日々ニ無クナリ、既ニ皆無ニナツタデアラウト思ヒマスカラ、此後ハ尚之ヲ円滑ニ益々熟達スルコトヲ御努メニナツテ、真ニ世界ニ於テ無類ノ制度デアルトイフヤウニナランコトヲ希望スルノ外ナイノデアリマス、而シテ又細事ニ渉ツテ見マスト、成程日本ニ於テ信用ノ方法ハ余程附イテ来タ、手形切手ノ通用ナドモ余程盛ニナツテ来タニ相違ナイ、併シ私抔ハ欧羅巴ニ居ツテ欧羅巴ノ銀行ノ小切手ヲ使フノト日本ノ小切手ヲ使フノトデハ、其便利上ニ於テ余程差ノアル事ヲ自ラ感ズルノデアル、勿論「バンク、オフ、イングランド」ノ「ノート」ノ如キハ、大陸諸国ニ至ツテモ金ヲ持ツテ居ルヨリ「ノート」即チ紙幣ヲ持テ居ル方ガ便利デアリ、第一ニ信用ガ厚イカラ「ノート」ノ方ガ反テ両替ノ都合ガ宜シイ、英国抔ハソレ位ノ信用ヲ得テ居ル国柄デアリマスカラ、ソレラノ国ト日本トハ同一ニハ論ジラレナイガ、ソレニシテモ我国デハ、手形抔ノ流通ノ方法ガ随分面倒デアル、是ハ必ズ銀行ノ事務家ノ方ヲノミ咎ムルニアラズシテ、世間一般ガマダソコマデ進マヌカラ起ルコトデアラウ、併シ遣リ方次第デ一層軽ク且ツ手軽ニ流通スル方法ガナイデモアルマイソレカラ又極ク些細ノ事デアリマスガ、一寸私ノ一ノ経験ヲ言ヒマスト云フト、先頃私ガ地方ニ往クトキ、東京ノ或ル銀行カラ若干ノ金ヲ取寄セテ、ソレヲ払フテ貰ツタコトガアツタガ、私ハ旅行中ダカラ実印ヲ持ツテ居ナカツタ、又乗車券ヲ見セテ身元ヲ明ニシ、其上宿屋ノ主人ヲ証人ニ立テタ、此等ノ事実ハアツタ所ガ之レヲ新聞ニ大袈裟ニ色々ト書立ツテ、私ガ受取ツタ金高モ挙ゲ、色ヲ青クシタトカ白クシタトカイフヤウナコトマデガ書イテアル(笑)是ハ新聞紙ノ報告者ガ多少修飾シタコトモアルト思ヒマスガ、抑々銀行者自ラ新聞社ニ向ツテ話サナケレバ、コンナ種ガ出ル筈ガナイノデアル、是ニ於テ私ハ商業者ノ徳義ハ如此モノカト甚ダ疑フノデアル、私ハ東京ノ銀行者ニ斯ノ如キコトガアラウトハ思ハナイ、併シ一体個人ガ銀行カラ金ヲ引出ストカ何トカ云フヤウナコトニ付テ、銀行者ガドカドカ饒舌ツテ、ソン
 - 第7巻 p.460 -ページ画像 
ナコトヲ新聞ニ書カセルヤウナコトハ、商業上ドウイフモノカト疑フノデアル、誠ニ些細ノコトデアルケレドモ、斯ウイフ事ガ色々アルトシテ見レバ、随分御医者サンガ患者ノ家ニ招カレテ、病人ヲ診察シテ彼ハコンナ病気ヲシテ居ル、アンナ病ヲシテ居ルトイフヤウナ事ヲ言触スト同ジコトニナル、是等ノコトニ付テハ一般ノ商業上ノ風習ガ十分ニ改マツテ居ラナイト思フ、私ノ今ノ事柄ハ私ニ於テハ何デモナイコトデ気ニハシナイ、青クナリモシナイガ、類似ノ事件デ随分本当ニ青クナツタリ赤クナツタリスル人ガ出来ルダラウト思フ(笑)商業上当然ノ秘密ヲ守ラヌ為メ、他人ニ迷惑ヲカケル例ハ往々聞ク所デアル、ソレラノ事ハ十分既ニ御注意デアラウガ、サウイフコトカラ段々改メテ行ツテ、完全ノ制度ニ致シタイト思フ、サテ又先刻パニックノ事ニ付テ御話ガアリマシタガ、私モ仏蘭西ノ銀行、英吉利ノ銀行ノ歴史ヲ嘗テ読ンデ見タコトガアリマス、所デサウイフ切迫ノ際ニ当ツテハ、随分臨機応変ノ手段、悪ルク云ヘバペテンモ遣ル、例ヘバ己レノ心安イ者ニ頼ンデ、貴様ガ成ルベク早ク持ツテ行ツタ金ヲ裏口カラ持ツテ来テ呉レトイフヤウナコトヲシテ、ペテンヲ遣ツテ一時ノパニックヲ防グトイフヤウナコトハ、随分欧羅巴デモ沢山遣ツテ居ル歴史ガアルカラ、日本デモパニックガ起ツタリ、或ル銀行ニ破綻ガ生ジタト云フガ如キトキハ大蔵省ヤ日本銀行アタリニモ随分色々ナ御名案ガアラウト思フノデアル(笑)ガ其或ル銀行ガドウナツタカラ之ヲ救ツテ遣ル、之ヲ助ケルトイフヤウナコトハ、是ハ義侠心、又全体ノ市場ノ為ニハ已ムヲ得ヌコトデアラウガ、始終サウイフ事バカリ遣ツテ、所謂策略悪ク云ヘバ弥縫デ遣ツテ行クトイフコトデモアツタナラバ、決シテ完全ノ域ニ達シナイト思フノデアリマスカラ、実ハ名大将福島君ナドモ此処ニ居ラレマスガ、名大将ガ策略ヲ講ジテ戦地ニ臨ム如キ必要ノナイヤウナ時勢ニナルコトヲ、私ハ希望スルノデアリマス、又各銀行自身ハ無論此ノ如キ戦略ヲ要スル境界ニ努々接近セザルコトヲ力メ、我ガ財界ノ基礎ヲシテ磐石ノ如クナラシムルコトハ、諸君ノ自カラ任ジテ懈ラザル所ト信ジマス、甚ダ素人考デアリマスケレドモ、チヨイチヨイトシタ事ニ付テ感ジタコトガアリマスカラ、唯御世辞ダケヲ言フテ、三鞭ノ御礼ヲ言フダケデハ済マヌノデアルカラ、一言右等ノコトヲ申シテ御礼ニ代ヘマス。
今ヤ日本ノ金融機関ノ発達ニ付テハ、誠ニ諸君ノ御力ガ与ツテ多ク、殊ニ日露ノ大戦争ニ付キマシテハ、陸海軍人ノ働キハ無論ノコトデアリマスケレドモ、諸君ハ其後援ノ大ナル力トナツタト云フコトハ、私ナドモ大ニ信ジテ居ルコトデアリマスカラシテ、諸君ニ対ツテハ尚更御礼ヲ申ス次第デアリマス、此一言ヲ以テ御挨拶ト致シマス。(拍手)
    ○渋沢男爵ノ演説
閣下、諸君、今夕東京交換所ノ紀念ノ宴会ニ当リマシテ、諸閣下ノ尊臨ヲ辱ウシマシタノハ、会員一同ノ感謝ニ堪ヘヌ次第デゴザイマス、唯今座長ヨリ謝辞ハ申上ゲマシタデゴザイマスガ、ソレニ就テ大蔵大臣・松尾総裁・大隈伯・金子・末松ノ両男爵等カラ懇々ト銀行者ニ対スル、御訓戒的ノ御演説又ハ御称賛ノ言辞ヲ賜ハリマシタノハ、吾々誠ニ感喜ニ堪ヘマセヌ次第デゴザイマス、如何ニモ諸閣下ノ仰セラレ
 - 第7巻 p.461 -ページ画像 
マスル通リ、決シテ事物ガ唯ダ愉快オ芽出度デ今日ガ経過ノ出来ルモノデハゴザイマセヌ、此愉快ノ間ニ大ニ警戒ヲ加ヘネバナラヌコトガ往々ゴザイマスル、デ種々御注意ヲ賜ツタコトハ深ク服贋致シテ、将来ヲ警メヤウト思ヒマス、今日漸ウ成年ニ達スル手形交換所ガ、其生レタ時代ノ事ヲ玆ニ申シマスルハ、随分古臭イ談話ト御厭ヒニナラウト考ヘマスケレドモ、併シ人モ成長セシ後ニ子供ノ時ニハ斯様デアツタトイフ話ハ、年寄ノ能クシタガルモノデ、或ル場合ニハ多少興味ノアルコトデゴザイマス、故ニ私ハ此手形交換所ノ始マリハドンナデアツタカトイフコトヲ、極ク手短カニ申上ゲルヤウニ仕リタウゴザイマス。
唯今大隈伯ガ述ベラレタ御言葉中ニ、此交換所ニ関シテハ、松方伯ガ最モ御承知デアル、然ルニ其松方伯ハ今夕欠席セラレテ残念デアル、ソレ故其前ノ大蔵当局トシテ、私ガ二人前ノ演説ヲシヤウト言ハレマシタガ、松方伯ノ手形交換所ニ対シテ御関係ノ強カツタノハ、唯今日本銀行総裁カラ御話ノ厶イマシタ通リ、明治二十年ガ手形交換所創始ノ時代デゴザイマシテ、丁度明治十九年ニ兌換制度ノ行ハルヽト同時ニ生レ出デタノデゴザイマスカラ、松方伯ノ御関係ハ最モ深ウゴザイマスガ、併シ銀行ノ成立ハ如何デアルカト申シマスルト、全ク大蔵省ノ奨励ニヨリマシタノデ、而シテ大隈伯ガ最モ御関係ノ深カツタトイフコトハ、其十数年前カラ伯ハ大蔵省ノ事務ヲ御鞅掌ナサレタトイフコトヲ、伯ノ御強記デゴザイマスカラ決シテ御忘レデナイダラウト思ヒマス(拍手)其始メ明治五六年頃ニ、日本ニ銀行ノ生レ出タ当時トイフモノハ、実ニ微々タルモノデゴザイマシタ、其頃カラ私ハ銀行者ト自ラモ申シ他人カラモ言ハレタ一人デゴザイマスケレドモ、真ニ銀行ノ日本ニ形造リヲ致シカケタノハ、明治九年ノ条例改正ヨリトイフテヨカラウト思ヒマス、此交換所ノ生レル其前ノ起リハ、明治十年ニ択善会トイフモノガ成立致シマシタ、ソレカラ追々ト手形取引トイフコトヲ誘導スルヤウニナツタノデゴザイマス、今日手形ニ付テノ弊害ハナカナカ恐ルベキ点モゴザイマスカラ、大隈伯ノ御注意ニ拘ハラズ、吾々共モ余程警戒ヲセネバナラヌト心掛ケテ居リマスケレドモ、併シ是ハ利益ニ伴フ弊害デ、総テノ事物ノ免レヌ所デゴザイマス、若シ弊害ノミヲ見テ利益ヲ蔑スルコトデゴザイマシタナラバ、殆ド転ブヲ恐レテ走ルコトヲ絶ツ、食傷ヲ嫌フノ結果食事ヲ廃スルトイフコトニナリハセヌカト思フノデゴザイマス、而シテ其初メ此手形取引ヲ進メマスル時代ハ、ナカナカノ骨折デゴザイマシタ、其頃ハ商売ハ全ク現金取引デゴザイマシタカラ、銀行ヲ信ジテ金ヲ委託スル、手形ヲ安心シテ取引ヲスルトイフヤウナ風習ハゴザイマセヌ、甚シキハ証文ヲ書クノハ商人ノ耻辱、信用ノ害物トイフ位ニマデ思フタノデゴザイマス、此間ニ手形取引ガ追々ニ進ンデ参ルトイフコトハ、勿論其時分ノ銀行者ノ力ノ程度モ低カツタカラシテ、是ニ従事スル者ノ働モ鈍カツタニハ相違ゴザイマセヌガ、容易ナモノデナカツタトイフコトハ、ドウゾ今日アルカラシテ至ツテ軽易ナモノダトハ、ヨモ御看做ヲ下サイマスマイガ、何分御諒察ヲ請ヒタイト思フノデゴザイマス(拍手)而シテ其始メ六千万円ノ手形交換ガ、今日三十五億円ニ相成ツタトイフコトハ
 - 第7巻 p.462 -ページ画像 
銀行者ノ骨折ノミニ帰スル如ク考ヘルノデハアリマセヌ、詰リ銀行ノ左様ナ働ノ出来ルヤウニ相成リマシタノハ、種々ナル方面ノ発達、要スルニ銀行者ガ左様ニ世間カラ利用シ得ラレルヤウニ相成ツタノデゴザイマスカラ、寧ロ銀行者ノ功トイフヨリモ、社会ノ力ガ漸ク銀行者ヲ利用シ得ルヤウニ相成ツタト申シテ宜カラウト思ヒマス(拍手)唯今委員長カラシテ、日清ノ戦争以前ニ於テハ一億八千万円デアツタ手形交換高ガ、其以後十八億円ニ進ンダ、日露ノ戦争以後ハ三十五億円ニマデ進ンダトイフ例ヲ挙ゲ、数字ヲ示メシテ戦争ノ度毎ニ手形交換ガ進ンダトイフコトヲ申サレマシタノデ、是カラ先キ日本ニ戦争ガ無イト、日本ノ手形取引ハ是デ止マルカノ如ク、何ヤラ銀行者ガ戦争ヲ好ムガ如キ言語ニ聞エマシタガ、決シテサウイフ意味デ申サレタコトデハゴザイマセヌカラ、諸君ノ御聴違ヒノナイヤウニ願ヒタイノデゴザイマス、戦争ガナイカラト申シテ、是カラ尚益々進ムトイフコトハ決シテ過言デナイト信ジマス(拍手)サリナガラ前ニモ申上ゲマスル通リマダ漸ク成年ニ達シタ交換所デゴザイマス、殊ニ吾々ノ力ノ微ナルノミナラズ斯ク至ラシメタル商工業者ノ力ト雖モ未ダ以テ完全ノ域ニ達シタトハ申サレヌノデゴザイマス、故ニ是カラ先キモドウゾ尚駸々ト進ミ、且ツ其進ム間ニ相当ノ整理ヲ為シテ往キタイトイフコトニ付テハ、唯今大隈伯ノ御警戒下サレマシタ事ナドハ謹ンデ服膺致シタイト考ヘルノデゴザイマス、斯ル紀念ノ時ニ際シマシテ、種々ナル方面ノ方々ノ尊来ヲ請上ゲテ、吾々銀行者ガ交換所トイフモノヲ開イテ二十年経ツテ、漸ク成年ニ達シタヤウニ思ヒマスケレドモ、併シマダ其力モ弱シ、其働モ微カデアル、是カラ先キ各方面ノ御助ケヲ得、各方面ノ御注意ヲ請ウテ、更ニ世ノ中ニ一層ノ働ヲ増シタウ厶イマスルト共ニ、又今日ヲ紀念ノ第一回ノ席ト御覧ヲ願ヒタイ、将来又三十年五十年ト、ヨシヤ日露ノ如キ戦争ガ此向フニ厶イマセヌニセヨ、一段階ヲ経ル度ニ、十億乃至数十億ノ進歩ヲ図ツテ、而シテ其間ニ投機トカ危険トカイフモノヽ伴ハナイ、健全ナル進歩ヲ未来ニ御覧ニ入レタイト考ヘルノデゴザイマス、古人ノ言葉ニ、智者事ヲ始メ、能者之ヲ述ブ、一人ニシテ成ルニアラザルナリ、トイフコトガゴザイマスガ、吾吾ハ決シテ智者デハゴザイマセヌ、併シ事ヲ始メタ一人ニハナルデアラウト思フノデゴザイマス、追々後ニ成長スル人ガ能者トナツテ、之ヲ伸ベテ下サツタナラバ、終ニ完備ノ域ニ達スルデアラウト思ヒマス、玆ニ既往ヲ回顧シ将来ヲ希望シテ一言ノ謝辞ニ代ヘマスル。
                         (拍手)
○中略
    ○加藤高明君ノ演説
諸君、私ハ先刻座長カラ御指名ノ中ニ漏レテ居ツタトイフコトヲ大隈伯ガ御注意ニナツタノデ、先刻カラ頻ニ御使者ヲ以テ話ヲシロトイフコトデアリマス、モウ諸名士ノ御演説ガ済ミマシタ後デ時刻モ段々遷リマスカラ、再三御断リ申シマシタケレドモ、ドヲ《(ウ)》シテモ御許シガゴザイマセヌカラ、已ヲ得ズ立チマシタガ、最早段々御演説ガアツタ後デ、何モ申上ゲルコトハゴザイマセヌガ、唯ダ玆ニ英吉利流ノ宴会ニ於テ、一ツ残ツテ居ルコトガアリマス、何モ手形交換所ナルモノガ日
 - 第7巻 p.463 -ページ画像 
本人ノ始ジメタモノデハナシ、今夜ノ宴会ノ風モ、日本固有ノ宴会ノ風デモナイヤウデアリマスカラ、欧羅巴風ヲ学ンデヤツタ所ガ、決シテ不都合ハナカラウト思フ、ソレハ何カトイフト、座長ノ健康ヲ祝スルコトデアリマス、是ハ幸ニ諸君ノ中ニマダ無カツタノデアル、東京手形交換所ノ委員長豊川君ガ今晩座長ヲ御務メデ、先刻カラ段々御演説ヲ承リマシタガ、私モ曾テ銀行局長ヲ暫クシテ居ツタコトガアリ升ガ、手形交換所ノ創立当時ノ有様ハ一向存ジマセヌ、渋沢君其他ノ御話ニ依テ承ルト、二十年前ニ此交換所ガ成リ立ツテ、当初ノ委員長ガ渋沢男デアツタサウデアリマス、ソレカラドナタガ御代リニナツタカ存ジマセヌガ、今日ハ豊川君ガ委員長トシテ御務メナサル、サウシテ先刻カラノ御話ニ依リマスルト、三十五億トイフ吾々ニハ勘定モシキレヌ程ノ、大キナ交換高ニナツタトイフコトデアリマスガ、世ノ中ノ進歩トハ云ヒナガラ、交換所ノ委員長ノ御尽力ノ結果……トイフコトハ少シ言ヒ過ギルカ知レマセヌガ、マアサウ申サナケレバナリマセヌ(笑)ソレニ今夕ノ御宴会ハ誠ニ盛大ナコトデ、第一ニ装飾ノ有様ヲ見マスト、吾々黒イ着物ヲ着タ者ダケデハ少シ惜イヤウナ、婦人デモ居ツタラ一層喜ブデアラウトイフヤウナ立派ナ御装飾、御馳走モ亦此銀行者ダケニ頗ル御奮発ニナツタコトデ(拍手)其他来賓ノ顔揃無慮数百名ト新聞ニ書クヤウナ訳デ、何カラ何マデ至レリ尽セリ、少シモ間然スル所ガナイ、是ニ就テハ座長ノ労ハ頗ル大ナルモノデアリマス、ケレドモ座長御一人ノ働デモアルマイ(笑)其他ニイロイロ御尽力ニナツタ方ガアリマセウガ、代表的ニ御礼ヲ申ストキニハ座長ニ申セバ宜イ、此御礼ヲ申スト共ニ座長ノ健康ヲ祝スルコトニ付テ、諸君ノ御同意ヲ得タイト思ヒマス。(起立乾盃)
○中略
    紀念品贈与ノ事
明治四十年四月八日、当交換所組合銀行第百二十一回定式会議ニ於テ創業以来ノ委員其他功労アル諸君ニ感謝ノ意ヲ表シ、紀念品ヲ贈ルベキコトヲ議決シ、左ノ諸君ヘ感謝状ヲ添ヘ夫々紀念品ヲ贈与セリ
                  男爵渋沢栄一君
                    豊川良平君
                    池田謙三君
                    佐々木慎思郎君
                    佐々木勇之助君
                    山本達雄君
                    山中隣之助君
                   故西邑虎四郎君
                    山中譲三君
    ○
渋沢男爵閣下、手形交換所ノ事業ハ経済上重要ナル機関トシテ欧米諸国ニ行ハルヽ所ナリ、然ルニ我邦ニ於テハ古来現金取引ノ慣習盛ニ行ハレ、小切手使用法ノ如キ尚之レヲ知ルモノ稀ナリシカ、閣下夙ニ此ニ慨スル所アリ手形取引奨励ノ方法ヲ講究セラルヽモノ一ニシテ足ラス、遂ニ組合銀行ノ有志ト相謀リ、明治二十年十二月ヲ以テ東京手
 - 第7巻 p.464 -ページ画像 
形交換所ヲ創立シ、其委員ニ推選セラレ今日ニ至ル、玆ニ二十年、而シテ明治二十四年三月其組織ヲ改正シタルヨリ益々其宜シキヲ得、爾来国力ノ発展ニ伴ヒ手形取引頻繁ヲ加ヘ、交換事業長足ノ進歩ヲ呈シ今ヤ交換所ハ我邦経済上重要ノ機関タルニ至リ、創立ノ当時ヲ回顧スレハ隔世ノ感ナクンハアラス、是実ニ閣下多年或ハ委員長トシテ或ハ委員トシテ鋭意尽瘁セラレタルノ致ス所ニ外ナラスト云フヘシ、爰ニ創立満二十年ヲ祝スルニ当リ、恭シク感謝ノ意ヲ表シ別紙目録ノ品ヲ贈呈ス
  明治四十年 月 日    東京交換所委員長
                      豊川良平
    目録
一純銀製花瓶     一対
○下略



〔参考〕交換所委員廻議 第六号・明治三十五年(DK070060k-0003)
第7巻 p.464-468 ページ画像

交換所委員廻議 第六号・明治三十五年  (東京手形交換所所蔵)
明治三十五年四月五日    東京交換所監事(印)
 委員長(印)
 委員(印)
  当交換所案内別紙ノ通取調候ニ付、御差支無之候ハヽ印刷致度、此段御廻議申上候也
    東京交換所沿革
手形交換所カ経済上必要ナル機関トシテ重スヘキハ夙ニ識者ノ唱道スル処ニシテ、欧米ノ大都盛邑皆此設アラザルハナシ
我カ邦ニ在リテハ、明治十年択善会(我国銀行団体ノ嚆矢)組織ノ交ヨリ先覚者常ニ之ヲ主唱シ、手形取引ノ商業上ニ及ボス利益ノ大ナルヨリ交換所設立ノ必要ナルコトヲ奨励シタリシカ、十二年ニ至リ先ツ大坂ニ大坂手形交換所ノ設立ヲ告ケタリ
然ルニ、東京ハ古来現金取引ノ慣例ナリシヲ以テ、小切手ノ使用方スラ尚且ツ之ヲ知ルモノナク、況ンヤ商業手形割引ノ如キハ全然絶無ナリシカ故ニ、当時交換所設立ノ如キハ前途頗ル遼遠タリシカ、兎ニ角取引上最モ簡易ニ属スル小切手ノ使用法ヲ覚知セシメ、以テ漸次手形割引ノ端緒ヲ開カント、択善会同盟銀行ノ協議ニヨリ小切手ニ支払保証ノ方法ヲ定メ其授受上ノ安全ヲ示シタルハ、手形取引奨励ノ第一着ナリ、爾来商業手形使用ノ方法等ニ付注意ヲ加ヘタル事一再ニシテ止マサリシカトモ、久シク現金取引ニ慣レタル商業家ハ更ニ覚知セサルモノヽ如ク、容易ニ之ニ従フモノナカリシ
然ルニ、十五年政府ハ為替手形約束手形条例ヲ公布シテ大ニ商業手形ヲ保護スルノ法ヲ明カニシタルニ依リ、先覚者ハ又東京銀行集会所(明治十三年八月択善会ヲ継承シテ設立シタルモノ)同盟銀行ニ謀リ市内重立チタル商業家ヲ招集シ、手形取引ナルモノヽ商業上ニ及ボス利益ノ広且ツ大ナル理由ヲ説示シ、且ツ其割引ニ対シテハ同盟銀行中ニ於テ充分ノ便宜ヲ与ヘン事ヲ以テ之カ勧誘ニ尽力セラレタレトモ、折節世上一般頻年ノ不景気ニ際会シテ之ヲ実施スルノ機ナカリシ為メ
 - 第7巻 p.465 -ページ画像 
歟、敢テ観ルヘキモノナカリシカ
十九年末ヨリ一陽来復ノ兆アリ、商況稍ヤ起色ヲ呈シ、二十年ニ入リ銀行ノ増設、会社ノ新設等漸ク流行ノ傾向ヲ来シ、自然現金取引ノ旧態ニ安スル能ハサルノ事情ニ移リ、始メテ先覚者誘導ノ真意ヲ悟リタルモノヽ如クニシテ、是ヨリ小切手ノ流用、手形ノ割引等良々行ハルルニ至リタリ
爰ニ於テ、東京銀行集会所同盟有志ノ銀行申合、紐育手形交換所ノ規定ヲ参酌シテ同年十二月ヨリ東京銀行集会所附属トシテ東京手形交換所ナルモノヲ創立シ、日々組合銀行中ニ於テ支払フヘキ小切手及送金手形ノ交換決算ヲ開始シタリ、然ルニ其交換尻決算ハ交換所カ同盟銀行ヨリ預リ置キタル借方銀行ノ小切手ヲ以テスルノ方法ナリシカ故ニ常ニ交換所小切手ナルモノヲ繰越、完全ナル清算ヲ見ルコト能ハザルノミナラス、種々欠点アリシヲ以テ、二十四年二月廿八日限リ之ヲ廃止シタリ
是ヨリ先、第一・第三・第十五・第二十・第二十七・第百・第百十九(三菱)ノ各国立銀行及三井銀行・安田銀行・第十三国立銀行支店(鴻池)・第三十二国立銀行支店(浪速)以上十一行発起ニテ、更ニ完全ナル手形交換所ヲ組織センコトヲ謀リ、之ヲ日本銀行ニ商議シタルニ、時ノ総裁川田小一郎氏大ニ同情ヲ寄セラレ、其組織及交換方法ヲ協議ノ上申合規則ヲ制定シ、日本銀行モ亦組合銀行同様日々交換所ニ出席シテ交換スルコトト為シ、而シテ組合銀行ノ交換尻ハ同行ニ於ケル当坐預金勘定ノ振替ヲ以テ清算スヘキコトト為シ、其名ヲ東京交換所ト称シ、交換室ヲ銀行集会所内ニ設ケ、毎日一定ノ時間ニ於テ日本銀行及組合銀行ヨリ交換方ヲ派出シテ相互ノ持出手形ヲ交換決済スルノ場ト為シ、同年三月ヨリ之ヲ開始セリ、爾来六星霜ヲ経テ明治二十九年日本銀行新築落成ト共ニ同行内楼上ニ交換室ヲ設ケラレタルヲ以テ、同年五月ヨリ之ニ移リ、其後一時同行階下ニアリシカ、二十一年十二月更《(三)》ニ其交換室ヲ同行第二建築タル両替町一番地ノ楼上ニ移セリ、此間規則中多少ノ加除改正ヲ行ヒタリト雖、其組織ニハ毫モ変更ナク、又交換方法ハ実験ニ徴シ漸次改良ヲ加ヘ、組合銀行ノ数モ亦大ニ増加シテ現今三十五ニ達シタリ(累年交換高ハ下文第一号表ニ記載ス)○第四六七頁
    交換所成績
東京交換所組織以来金融上ノ便宜ヲ増進シタル一班ヲ挙クレハ左ノ如シ
一二十五年四月ヨリ諸官衙支払命令書ノ交換ヲ開始シタル事
一二十七年二月ヨリ支払銀行ヲ指定シタル商業手形ノ交換ヲ開始シタル事
一二十七年九月ヨリ不信用ナル手形小切手流通ノ弊害ヲ矯正スル為、不渡手形制裁ノ方法ヲ設ケタル事(統計ハ下文第二号表ニ載ス)○第四六七頁
一三十年六月ヨリ組合銀行営業周報ヲ発行シテ時々金融ノ大勢ヲ知悉スルノ便宜ニ供シタル事
一三十二年四月ヨリ東京市内ニ散在スル各銀行ヲ網羅シテ大ニ代理交換ノ範囲ヲ拡張シ、現在其数百七十四行ニ達セリ
一三十四年六月ヨリ郵便為替証書、同八月ヨリ郵便ニ依ル取立金取立
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済通知書ノ交換ヲ開始シタル事(統計ハ下文第三号表ニ載ス)○第四六七頁
     東京交換所現在組合銀行
                株式会社 第一銀行
                同    第三銀行
                同    十五銀行
                同    二十銀行
                同    二十七銀行
                同    第百銀行
                合資会社 三菱銀行部
                合名会社 三井銀行
                合資会社 安田銀行
                合名会社 鴻池銀行東京支店
                株式会社 浪速銀行東京支店
                同    帝国商業銀行
                合資会社 川崎銀行
                株式会社 東海銀行
                同    四十一銀行東京支店
                同    七十七銀行東京支店
                同    八王子第七十八銀行東京支店
                同    百十三銀行東京支店
                合名会社 中井銀行
                株式会社 東京銀行
                同    八十四銀行
                同    八十九銀行
                同    第二銀行東京支店
                同    新潟銀行東京支店
                同    第十銀行東京支店
                同    十二銀行東京支店
                同    三十五銀行東京支店
                同    明治商業銀行
                同    第十九銀行東京支店
                同    四十銀行東京支店
                同    伊藤銀行東京支店
                同    横浜正金銀行東京支店
                株式会社 肥後銀行
                     住友銀行東京支店
                株式会社 丁酉銀行
 参照
  各地交換所概況
我邦切手交換所ハ明治十二年十二月大坂ニ大坂手形交換所ヲ開始シタルヲ嚆矢トシ、漸次発達シタルト雖、其組織及交換所法ハ明治二十年東京ニ組織シタル銀行集会所附属手形交換所ト同一ニシテ、不便ノ感アリシヲ以テ、廿九年ニ及ヒ組織改正ノ議アリ、乃チ東京交換所ノ規定ニ則リ之ヲ改正シ、同年四月ヨリ大坂日本銀行支店内ニ之ヲ設置ス
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図表を画像で表示(第一号)東京交換所累年手形交換高

        項目 年次     枚数      交換高      交換差額 明治廿一年   25.289     12.281.948円        円 廿二年     36.524     19.559.400 廿三年     42.301     20.206.094     5.195.350 廿四年     52.634     64.795.621    27.844.650 廿五年     97.190    113.576.594    37.987.211 廿六年    134.505    148.018.871    40.572.870 廿七年    172.189    185.597.497    42.169.516 廿八年    223.123    289.102.424    67.738.642 廿九年    349.423    417.425.507   116.947.923 三十年    442.028    552.890.211   205.305.151 卅一年    792.151    790.247.455   268.258.599 卅二年   1.251.921   1.095.805.416   302.703.674 卅三年   1.830.601   1.405.449.664   385.613.785 卅四年   1.862.189   1.168.702.079   319.567.419 



図表を画像で表示(第二号)東京交換所不渡手形累年統計表

       項目 年次    人員    枚数    金額 廿七年     7     10    2.927円 廿八年     12     18    2.270 廿九年     7     35    8.123 三十年     66    101    62.554 卅一年    128    146    68.891 卅二年    366    455   116.841 卅三年   1.986   2.310   810.223 卅四年   1.627   1.880   696.049 



図表を画像で表示(第三号)三十四年郵便為替交換高

      項目 年次    枚数     金額 六月    7.042    44.675円 七月   13.118    70.827 八月   11.395    60.189 九月   15.336    84.062 十月   22.849   129.504 十一月  18.403   100.999 十二月  24.270   166.517 




図表を画像で表示各地交換所累年手形交換高

                 各地交換所累年手形交換高    項目      大坂           京都            横浜          神戸 年次      枚数   交換高     枚数    交換高     枚数   交換高    枚数    交換高 明治十二年   8.260    2.835.892円           円            円           円 同十三年    87.557   37.457.435 同十四年   113.830   48.065.853 同十五年   111.537   46.487.510 同十六年    77.030   31.385.877 同十七年    62.753   22.656.066 同十八年    55.968   17.737.207 同十九年    66.779   20.074.700 同二十年    75.042   24.072.164 同廿一年    94.794   28.898.848 同廿二年   112.821   64.187.151 同廿三年   123.472   37.247.780 同廿四年   137.899   39.122.501 同廿五年   161.489   49.610.070 同廿六年   174.035   63.600.661 同廿七年   180.892   67.543.807 同廿八年   208.622   79.654.118                                 卅年 同廿九年   324.816   168.409.333                                   七月一日開始 同卅年    308.624   160.967.476                              30.789   27.633.167 同卅一年   484.539   226.980.828  230.858   69.034.033        卅三年     104.790  100.843.220 同卅二年   760.976   376.853.277  406.390  133.616.955        二月一日開始  123.971  115.914.379 同卅三年  1.033.143   523.552.745  527.033  167.566.438  215.441  648.306.775   175.679  168.228.769 同卅四年  1.229.327   528.122.083  538.199  145.905.182  267.925  390.516.606   212.043  202.653.853 



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現在ノ大坂手形交換所是ナリ、尚引続三十年七月ヨリ神戸交換所ノ創設アリ、三十一年一月ヨリ京都ニ京都手形交換所ノ創設アリ、三十三年二月ヨリ横浜ニ横浜交換所ノ創設アリ、皆多クハ其摸範ヲ東京交換所ニ取リタルモノナリ、尚各地累年ノ交換高ハ別表○第四六七頁ニ載ス、但全国五ケ所総交換高ハ最近一ケ年凡二十五億円ナリ