デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
3款 日本郵船株式会社
■綱文

第8巻 p.168-184(DK080007k) ページ画像

明治26年12月1日(1893年)

是年七月一日ヨリ我商法施行セラレタルニ依リ、同会社其組織ヲ改メントシ、定款改正ノ審議及ビ重役ノ選定ヲ為ス。栄一亦之ニ参与ス。是日臨時株主総会ヲ開キ定款ヲ議定シ、新定款ニ従ヒ取締役並ニ監査役ヲ選任セシガ、栄一取締役ニ当選セリ。


■資料

青淵先生公私履歴台帳 明治三十三年五月十日調(DK080007k-0001)
第8巻 p.168 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳 明治三十三年五月十日調
                   (渋沢子爵家所蔵)
明治二十六年
一日本郵船株式会社ノ取締役ニ選挙セラレ、現ニソノ職ニアリ
  同社事業拡張ノ為メ現重役以外ニ若干ノ新任者ヲ要スルコトヽナリ、株主ノ希望ニ依リ取締役ニ選挙セラル、爾来経営ノ要議ニ参シ、現ニソノ職ニアリ


竜門雑誌 第四八一号 第六五―六九頁 〔昭和三年一〇月〕 渋沢子爵と郵船会社(伊藤米治郎)(DK080007k-0002)
第8巻 p.168-171 ページ画像

竜門雑誌  第四八一号 第六五―六九頁 〔昭和三年一〇月〕
  渋沢子爵と郵船会社 (伊藤米治郎)
 - 第8巻 p.169 -ページ画像 
    第三節 日本郵船会社新組織の産婆役
 明治二十六年十二月一日、彼阿会社代表懇請拒否の直後、渋沢子の郵船会社取締役に就任せられた事は既に記したが、今此の機会に於て、当時子爵の会社に致されたる労と、時の首相伊藤博文伯が郵船会社の為めに尽されたる好意とを、追憶記述するを得るは予の甚だ光栄とし且つ欣幸とする所である。
 条約改正と会社法の実施 明治二十六年九月二十六日の事であつた。川田日本銀行総裁より「郵船会社重役全部明朝浜町の日本銀行役宅に来会すべし」との電話があつた。そこで翌二十七日、副社長吉川泰二郎理事内田耕作・同浅田正文・同近藤廉平・同加藤正義の五氏は相携えて指定の場処に出頭した。
 川田日銀総裁は先づ列席者に対し「昨日伊藤首相が予を官邸に招致して云ふには、条約改正の事は今当局に於ても専ら其の進行を計つて居るが、列国が未だ我国を以つて完全なる法治国と承認せず、為めに交渉の停頓を招致しつゝある、而して今政府は法典の完成に努力しつつあるも、民・刑法は未だ調査結了せず、唯だ幸にして商法の一部たる会社法・手形法及破産法は去々月より実施の運びとなつて居る。惟ふに、外人の最も憂ふる所は、我国に於て生命財産の安固を得らるゝや否やの点にあり、生命の安固は事実に於て危惧するものなきも、財産の安固に至つては尚ほ多少の疑惧を抱いて居る。条約改正の進捗せざるは主として之れに由るのであつて、政府が鋭意商法の発布を急いだ所以であると説かれた」と述べ、更らに、伊藤首相から「斯うした理由に依つて会社法の発布を見る上は、諸会社をして総て之れに準拠せしめなければならぬ、さうして之れを誘導せんが為め、先づ日本郵船会社をして其の組織を自治的に改めしめ、重役の官選を廃して株主自身をして幹部を選ばしむるようにしなければならぬ、若し郵船会社にして範を示さば、他会社をして之れに倣はしめる事左まで難事ではない。されば貴下は郵船会社重役を招致して此の旨を諭し、先づ新定款の原案を作成せしめよ、予は親ら議長として原案の評議に参加し模範を示すであらう、貴下も取締役・監督役《(査)》の人選等に関し専ら考慮斡旋せよ」との内命があつた旨を語られた。
 川田日銀総裁は又た「予は首相の旨を諒し、退いて熟々惟ふに、首相は郵船会社を非常に重視して居られる、就いては諸君も之れを光栄とし、速かに首相の意に副ふよう勉めなければならない。然し首相自ら定款の評議に臨席するの意向を有するのは、一面から見れば諸君の経験と素養を危ぶんで、適当なる援助を与へようとする事を意味するものであるから、諸君も大いに発奮する所がなければならぬ」云々と列席者を激励せられた。
 会社定款の改正 郵船会社重役も首相及日銀総裁の此の好意と激励とを深く感銘し、先づ加藤正義氏をして新定款の原案を起草せしむる事となり、加藤氏は堀達氏を助手として専ら是に当つた。所が川田日銀総裁は同行の行務に関し重要使命を帯びて京都に出張しなければならぬことゝなり、首相からの委託に応じ難い事情となつた為め、同総裁は翌二十八日首相を訪問し、其の同意を経て一切の事務を渋沢子爵
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に託せんと決し、其の旨を懇請すると子爵は之れを快諾し、川田総裁に代つて其の事に当ることゝなり、総裁は安心して京都に出発した。
 越えて十月四日、郵船会社の改正定款の稿完成し、重役の合議を経たる後、六日、子爵の来社を乞ふて検閲を求めたが、子爵は両三日熟慮の上、更らに岩崎弥之助氏と協議すべしとて稿を携えて去つた。思ふに子爵は首相の意を体し、慎重なる熟議を経て事を決せんとしたものであらう。斯くて十日に至つて漸く其の審査が了へた。
 重役の詮衡 次で子は株主総会に於て公選さるべき取締役、監査役等の人選に関し奔走する所あり、岩崎弥之助・森岡昌純両氏と協議して適当の人物を詮衡し、川田日銀総裁の同意を得んが為めに、郵船理事内田耕作氏を京都に急行せしめた。然るに此の人選に関し重役間に多少の異議があり、交渉数日の後、結局、官選の正副社長・四理事を其の儘株主選挙による取締役とし、新たに実業界の重鎮として渋沢栄一、三菱系の荘田平五郎、三井系の中上川彦次郎、横浜正金銀行の園田孝吉、及伊藤首相の指名に依る海軍少将磯辺包義の五氏を取締役に加ふる事となり、監査役には明治生命保険会社の阿部泰蔵氏、十五銀行の山本直成氏が推されたが、是等は当時我国に生れた株式会社の幹部としては押しも押されもせぬ最高標準の人物であつた。時に明治二十六年十月十三日。
 新定款協議会 斯くの如くにして総ての準備が成り、新定款協議会は翌十四日、伊藤首相の伊皿子私邸に開かれた。首相先づ自ら議長席に著き、時の内閣書記翰長伊東巳代治氏其の左席に著き、原案起草者加藤正義氏は番外席に著いた。列席の協議員は首相の指定に依つたもので、渋沢栄一・岩崎弥之助・逓信次官鈴木大亮・郵船会社森岡昌純吉川泰次郎・内田耕作・浅田正文・近藤廉平の諸氏であつた。此の議席に伊東翰長の参加したのには相当の理由があつた。即ち翰長は明治十八年、日本郵船会社に交付したる政府の命令書、並びに同時に定められたる同社定款原案の起草者であつた為めである。
 議事の光景 軈がて伊藤首相は儼然たる態度で開会を宣し、起草者をして逐条原案を朗読せしめ、協議員の質問を求むること、首相が曾て貴族院議長たりし時と異らず、飽くまでも審議検討して模範的定款を作成せんとするの誠意は面上に溢れて居た。然るに各議員は首相の態度の余りに荘重なるに予想外の感を抱きたると、加ふるに其の多数が法制の事に通ぜざりし事の為めに萎縮して、多く発言するものは無かつた。そこで首相は、自ら逐条質問を試み全く剰す所がなかつた。
 首相素より天才的な政治家であり、加ふるに往年憲法調査の為めに欧米各国に遊び、汎く碩学を訪ひ、ひろく群書を蒐集して帰朝し、我国法典の完成に其の心血を濺いだ程の法制通であつたから、其の説く所は典拠詳密、引証極めて該博、一々肯綮に中らずと云ふことなく、細些の点と雖も反覆して弁難論究した。時折りは翰長を顧みて其の意見を糺されたが、翰長も殆んど言葉を挿むの余地を発見する事が出来なかつたらしく、新定款起草者たる加藤正義氏も首相の博識に驚嘆せざるを得なかつた、曩きに川田日銀総裁から発奮を促されたる事を思ひ出し、背に汗しながら自ら鞭つて答弁に力めたけれども、辛ふじて
 - 第8巻 p.171 -ページ画像 
其の塁を守るに過ぎなかつたと云ふ。
 首相は各項に就き訂正、補足、自ら力め、早朝より午後五時に至つて議事は漸く結了した。斯うして条約改正促進の一助たる模範的な新定款は、伊藤首相の尽力に依つて出来上り、又た模範的な新会社組織は、産婆役たりし渋沢子爵の不断の斡旋努力に依つて完成する事を得たのであつた。
 其の後、他の諸会社も亦た皆之れに倣ふて、其の組織を改め、新定款をつくると共に、一方政府に於ては更らに各法典の実施を急ぎ、翌明治二十七年七月、初めて日・英両国間に維新以来の一大懸案となつて居た条約改正の一端を実現する事となつた。


(岩崎弥之助)書翰 渋沢栄一宛(明治二十六年)十月十二日(DK080007k-0003)
第8巻 p.171 ページ画像

(岩崎弥之助)書翰 渋沢栄一宛(明治二十六年)十月十二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
爾来倍御安泰奉恭賀候、先日ハ□方江御光駕難有奉拝謝候、其節御下命之伊藤伯邸御寄合、弥来十四日午前九時と御取極相成候旨御下命之趣拝承仕候、小弟も御命刻より参上可仕奉存候、内田氏より之電報御まわし被遣拝見仕候、此へ封入返上仕候、貴答迄 匆々謹言
  十月十二日                 弥之助
   渋沢先生閣下


日本郵船会社第八期株主例式臨時総会議事録(DK080007k-0004)
第8巻 p.171-172 ページ画像

日本郵船会社第八期株主例式臨時総会議事録
                  (日本郵船株式会社所蔵)
○上略
会長森岡昌純ハ一同ニ向ヒ、是ヨリ取締役及監査役ノ選挙ヲ執行スヘキ旨ヲ告ク○中略会長ハ四百四番三宅豹三君ノ指名選挙ノ説ヲ賛成スル者ニ起立ヲ命シタルニ、起立者殆ンド総数、依テ取締役及監査役ハ左ノ諸君指名ニヨリテ当撰ニ決ス
                取締役 森岡昌純君
                    吉川泰二郎君
                    内田耕作君
                    浅田正文君
                    加藤正義君
                    近藤廉平君
                    園田孝吉君
                    中上川彦次郎君
                    渋沢栄一君
                    荘田平五郎君
                    磯辺包義君
                監査役 阿部泰蔵君
                    山本直成君
百五十一番山中隣之助君曰ク、今日ノ役員選挙ハ投票ニアラスシテ指名ナルカ故ニ、万一当選者中不承諾ノ人アルトキハ、投票ノ場合ニ於テ次点者ヲ取ルト云フカ如キ便法ニヨルヲ得ザルニ付、更ニ総会ヲ開キテ補欠ノ選挙ヲ為サヾルヘカラズ、故ニ会長ハ速ニ当選者ニ
 - 第8巻 p.172 -ページ画像 
照会シ、此席ニ於テ諾否ヲ報告セラレタシ
二百十二番渋沢栄一君曰ク、余ガ諸君ノ推薦ニヨリテ今日本社取締役ノ席末ニ列ナルコトヲ得タルハ光栄之ニ過キス、余ノ海運事業ニ経験ヲ有セサルコトハ、苟モ余ノ平生ヲ熟知セラルヽ諸君ノ兼テ詳知セラルヽ所ナリ、然ルニ今諸君ノ推選ヲ蒙リタルハ光栄ト云ハンヨリハ寧ロ恐悚ニ堪ヘサルナリ、過刻指名選挙ニ賛成セラレタル諸君ノ中ニ、海運ノ事業ハ国家的事業ナレバ、当選者ハ此観念ヲ以テ其職ヲ勉ムヘシト云ハレタル者アリ、今当選ヲ得タル者ガ自ラ之ヲ口ニスルハ、或ハ不遜ニ渉ルノ嫌ナキニアラズト雖トモ、余モ亦此海運事業ノ実ニ国家的事業ナルヲ疑ハス、是蓋シ政府カ明治十八年ニ郵船会社ヲ創立シ、爾来其事業ヲ保護奨励セラレタル所以ナリ、然リ而シテ、本社創立以来玆ニ九年、其間旧役員諸君ガ切瑳琢磨ニヨリ、社業年ヲ逐フテ駸々進歩シタルハ、特ニ旧役員諸君ニ謝スル所ナリ、然リト雖トモ今顧ミテ従来本社ノ組織ハ果シテ完全ナリシヤト云フニ、決シテ然リト謂フヲ得ス、夫レ民設会社カ自治ヲ以テ其事業ヲ経営スルハ自然ノ本体ナリ、如何ニ政府ヲ信認スレバトテ、役員ノ選任ト云ヒ、会計ノ検査ト云ヒ、挙ケテ政府ニ一任スルカ如キハ、豈其組織ノ完全ナルモノナランヤ、是我々株主ガ多年私ニ遺憾トセル所ナリ、然ルニ時機玆ニ始メテ到来シ、本社ガ今月今日定款ノ改正ヲ決行シテ自治ノ本体ニ復シ、今後其事業ヲ経営スルニ際シ、復タ政府ノ干渉ヲ要セサルニ至リタルハ本社ノ光栄ナリト謂ハサルヘカラス、余ハ諸君ト共ニ明治二十六年十二月一日ヲ以テ本社ノ一大紀念日トシテ永ク記臆ニ存センコトヲ望ム、是余カ今日諸君ノ推選ニヨリテ上任スルニ際シ特ニ之ヲ明言シ置ク所以ナリ、而シテ余ハ不肖ナガラ一旦就任ヲ承諾シタル以上ハ、仮令朝夕此会社ニアリテ職務ニ従事スルヲ得ストスルモ、国家的観念ヲ以テ力ヲ本社ノ為メニ尽シ、以テ諸君ノ信認ニ酬ヘンコトハ余ガ諸君ニ明約スル所ナリ、想フニ只今当選セラレタル他ノ十名ノ諸君モ、現社長ヲ始メ出席ノ諸君ハ必スヤ就任ヲ承諾セラルヘク、又欠席ノ諸君モ現社長ヨリ照会セラルヘキニ付、是亦必ス就任ヲ承諾セラルベシト信ス
○下略
  ○右挨拶ハ明治二十六年十二月一日開カレタル日本郵船定時総会ニ於テナサレタルモノナリ。


中外商業新報 第三五二五号〔明治二六年一二月二日〕 日本郵船会社の定式及臨時総会(DK080007k-0005)
第8巻 p.172-175 ページ画像

中外商業新報  第三五二五号〔明治二六年一二月二日〕
    日本郵船会社の定式及臨時総会
 日本郵船会社第八期定式総会は予期の如く昨一日午前九時より木挽町厚生館に於て開かれたり、株主の来会するもの三百五十九名、例の如く社長森岡昌純氏会長席に就き、一同に挨拶し書記をして、昨二十五年十月より本年九月に至る一週年間の業務及び諸勘定の要領を報告せしむ、今其の報告に就き会計の概要を上ぐれば左の如し。
   損益勘定表(明治二十六年九月三十日)
収入之部
                       円
運賃            三、九八九、三一〇・三二五
 - 第8巻 p.173 -ページ画像 
    内訳 荷物運賃   三、三六二、四七一・四九九
       船客運賃     六二六、八三八・八二六
貸船料             一一〇、一〇四・八六五
艀下舟利益               一三五・三一二
雑収入             一四八、一一一・九五七
航海補助金            一八、二〇〇・〇〇〇
政府補給金           八八〇、〇〇〇・〇〇〇
総計            五、一四五、八六二・四五九
支出の部
店費              三五九、六〇一・六九六
営業費           一、〇〇二、六五四・五五一
船費            一、六三〇、五三一・八五二
利息                七、二九七・六六一
雑費                三、〇〇三・八七三
 小以           三、〇〇三、〇八〇・六三三
差引益金
役員賞与金           一〇〇、〇〇〇・〇〇〇
減価引除金           三五七、七九八・八六一
保険積立金           三五七、五四五・三四七
大修繕積立金          二一〇、三五二・九八三
第七期保険積立不足補充金    一〇〇、四五一・〇四六
第七期大修繕不足補充金      六〇、二七〇・六二八
社債利息            一二八、九二一・五一〇
準備積立金           一二〇、〇〇〇・〇〇〇
配当金(年八朱の割)      七〇四、〇〇〇・〇〇〇
後期へ繰越高            三、四四一・四五一
総計            五、一四五、八六二・四五九
   財産目録
船舶代価          六、七五五、七三三・一〇四
小蒸滊船倉庫船及艀下舟代価   一三七、〇〇〇・五八七
地所建物代価        二、七一八、三一六・三三七
鉄工所資本金          一五〇、〇〇〇・〇〇〇
東京艀下係資本金        二五四、九〇〇・三〇五
公債証書                六四八・九〇〇
金銀有高          一、〇〇二、四九一・〇六九
貸金              三二六、八四七・八六三
貯蓄品             四六一、九七七・九三五
取引勘定            六九九、七九七・四〇五
総計           一二、五〇七、七一三・四九六
業務及勘定の報告終り、会長は之を一同に諮《はか》りしに、一の異議なく可決し、随て配当は年八朱に決せり、是にて定式総会は結了したるを以て、会長は更に是より臨時総会を開く事を告げ、且同社定款改正の必要を認《みと》めたる所以を簡説《カンセツ》し、書記をして定款改正《カイセイ》に係る説明書(去月一日の中外商業新報所載)を朗読せしめ、続いて会長は該改正案の議
 - 第8巻 p.174 -ページ画像 
事は三読会の煩《はん》を省き、一応討議の上直に採決するの可否を衆に問ひしに、異議なければ、直に書記をして
   定款改正案 (去月一日中外商業新報所載)
を朗読せしむ、朗読終るや渡辺治右衛門氏より役員賞与金の件に付質問あり、加藤理事起つて説明を為す、渡辺氏亦起つて該案第二十二条に規定する総会《そうかい》に於ての株主の議決権に就て異議を申立たるが、其主意は原案に株主の議決権《ぎけつけん》は十株迄一株毎に一個とし、十一株以上五株毎に一個を増加するとあるを、十株迄一株毎に一個、十一株以上百株迄五株毎に一個、百一株以上千株迄十株毎に一個、千一株より三千株迄二十株毎に一個、三千一株以上三十株毎に一個と改む
るに在りて数名の賛成者もありしが、岩谷松平氏原案を賛成し、朝吹英二氏・馬越恭平氏更に原案賛成を大呼せり、会長は渡辺氏の修正説に就て賛成者《さんせいしゃ》の起立を乞ひしに頗る少数にて、渡辺氏の修正説玆に消滅せり、次に加東徳三氏も原案の至当なるを述べ、渋沢栄一氏亦起て原案を賛成し、且つ速に採決せん事を求めたり、依て会長は原案該改正原案賛成者の起立を乞ひしに、大多数にて原案に決せり、会長は続いて書記《しょき》をして該改正願書草案を朗読せしめて一同の賛成を得、直に之を副《そ》へて使を逓信省に馳せ、認可《にんか》を乞はしめ暫時休息せり、午後零時再び開会(今時出席株主千三百三十七名なるを報ず)会長は
   新定款は逓信大臣の認可を得
たる趣を述べ其指令書を読上げたり(喝采堂を動かす)於是会長は新定款第八条に就き演述する所あり、結局
   取締役十一名・監査役二名
を選定するの可なる旨を告げ、賛成を求めしに取締役七名監査役三名説並に取締役七名監査役二名説出でたれば、会長は各別に之を一同に問ひしに、竟《つい》に両説とも少数にて成立たざりし、依つて会長は更に取締役十一名・監査役二名の可否を起立に問ひしに大多数にて可決せり次に投票を以て重役選挙を行ふ筈の処、馬越恭平氏の建議により
   取締役監査役給料及報酬の件
即ち取締役中社長給料月額四百円、副社長同三百円、専務取締役同二百円とし、其他の取締役及監査役は報酬年額八百円とするの件に付可否を問ひしに、是亦原案に可決す、次に
   重役の選挙
に着手したるに岩谷松平氏起て、予は重役の候補者を得たれば之を読上ぐとて
取締役には
森岡昌純・吉川泰二郎・内田耕作・浅田正文・加藤正義・近藤廉平・園田孝吉・中上川彦次郎・渋沢栄一・荘田平五郎・磯辺包義
監査役には
阿部泰造・山本直成
と読上げ、投票の煩を用ふるに及ばず、直に此の十三氏を以て重役に選定するの可なる旨を述ぶ、会長之を一同に問ひしに、大多数にて遂に岩谷氏提議の通りに選定されたり、是れ乍併我中外商業新報の去月一日の紙上に予告したる所なり、是にて重役に選ばれ当日出席《たふじつ》したる
 - 第8巻 p.175 -ページ画像 
荘田・阿部・浅田・加藤・磯辺・近藤・内田等の諸氏就任の挨拶《あいさつ》を為し、渋沢栄一氏は壇に上りて郵船会社の従来の組織に就き諄々述《じゅんじゅん》ぶる所あり、今日其自治躰《じぢたい》の実を挙げて玆に重役会議を遂げたるを慶《けい》し、猶ほ就任の挨拶を為し、終に会長出て又挨拶を為し、是にて目出度閉会を告げたり。


(岩崎弥之助)書翰 渋沢栄一宛(明治二六年)十二月一日(DK080007k-0006)
第8巻 p.175 ページ画像

(岩崎弥之助)書翰 渋沢栄一宛(明治二六年)十二月一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
倍御安泰之御旨奉恭賀候、陳郵船会社之総会も弥先刻首尾克相済候由大ニ安堵仕候、全ク老台万事ニ付御詮意御尽力被成下候より斯ク平穏ニ相運候事ト深ク奉謝上候、小弟も先日来少々不快ニて引籠居候間、不取敢以腐墨一応之御礼迄申上度、何レ快気之上参上万々御礼申し上候
                          匆々拝熙
    十二月一日 夜             弥之助
  渋沢様
      閣下


中外商業新報 第三五三〇号〔明治二六年一二月八日〕 郵船会社重役の初会議(DK080007k-0007)
第8巻 p.175 ページ画像

中外商業新報  第三五三〇号〔明治二六年一二月八日〕
    郵船会社重役の初会議
 同会社に於ては重役会議日を先に毎水曜日と改定せしが、一昨日は其初会議を為せしに出席者は森岡・浅田・加藤・近藤・中上川・渋沢磯辺・荘田・園田の各取締役(吉川氏欠席)及び阿部・山本両監査役等なりと云ふ。


日本郵船株式会社事業報告書 第九回〔明治二七年一一月〕(DK080007k-0008)
第8巻 p.175-176 ページ画像

日本郵船株式会社事業報告書  第九回〔明治二七年一一月〕
    第二 株主総会
一明治二十六年十二月一日、東京市京橋区木挽町二丁目十四番地厚生館ニ於テ、日本郵船株式会社例式総会ヲ開ク、拾株以上株主出席ノ人員弐百五拾九名、此株数九万四千三百株、社長森岡昌純会長席ニ着キ、明治二十五年十月一日ヨリ明治二十六年九月三十日ニ至ル一周年間、本社ノ業務及諸勘定ノ要領ヲ報告セリ
 右報告ヲ了リ、続テ臨時総会ヲ開キ、定款改正ノ件及改正定款認可願書案ヲ夫々原案ノ通リ議決シ、直ニ左ノ通リ逓信大臣へ願書ヲ差出セリ
 当会社ノ儀ハ去ル明治十八年九月中、政府ノ特許ヲ得テ創立致シ、爾来御下附ノ命令書ヲ遵奉シ、業務相営ミ来リ候処、今般商法施行セラレ候ニ就テハ、当会社儀モ法律ノ規定ニ従ヒ、法人トシテ適当ニ享有スヘキ権利義務ヲ判明ニ致サステハ不相成候ニ付、随テ法律上会社ノ自治ニ任スヘキモノハ、此際政府ニ於テモ御認可相成候様致度、素ヨリ当会社ニ在テハ、政府ニ対スル義務若クハ管束ノ幾分ヲ減免セラレンコトヲ相望ミ候次第ニハ無之候得共、法律ノ規定ニ従ヒ、其組織ヲ新ニスルニ於テハ何分旧態ヲ存続致候訳ニハ難相至仍テ法律ニ循由シ、時勢ニ斟酌シ、玆ニ株主総会ヲ開キ、新定款ヲ議決致候ニ付、謹テ其全部ノ御認可ヲ仰キ、併セテ従来ノ御命令中
 - 第8巻 p.176 -ページ画像 
或ハ新定款ト牴触致候モノモ可有之候得共、畢竟商法ノ規定ニ遵由致候結果ニ付、政府ニ於テモ自ラ御命令ヲ変更相成候モノト御認定相成度、且命令書第十九条但書ニ、既製ノ船舶ハ二箇年以上経過シタルモノヲ許サストノ明文アリト雖トモ、是レ創立ノ際ニ在リテハ必要ノ制限ナリシモ、既ニ今日ニ及テハ啻ニ必要ナキノミナラス、却テ僅ニ二箇年ヲ経過シテ売渡ス如キ船舶ハ危険多キ事実有之候ニ付今後ハ年数ニ拘ハラス、堅牢廉価ナルモノヲ撰ヒ購入致候様相改メ度、又命令書第三十二条ニハ総会ニ於テ決定致候事件ト雖トモ、政府ノ認許ヲ得ルニアラサレハ執行スルヲ得サルコトニ相成居候得共、既ニ上文ノ如ク会社ノ組織一変致候上、今後益々業務ノ進張ヲ期シ居候儀ニ付、今後ハ単ニ継続セル義務ニ関スル事項ニ対シテノミ、其都度政府ノ認許ヲ請ヒ候義ト予メ其範囲ヲ御認定相成度、此段株主総会ノ決議ニ依リ、別紙改正定款相添ヘ、御認可奉願上候也
  明治二十六年十二月一日
                日本郵船会社社長
                    森岡昌純
    逓信大臣 伯爵黒田清隆殿

右ニ対シ即日逓信大臣ヨリ左ノ通リ指命セラレタリ
                      日本郵船会社
 本年十二月一日附出願命令書心得方ヲ聞届ケ、改正定款ヲ認可ス
  明治二十六年十二月一日
              逓信大臣 伯爵黒田清隆
是ニ於テ同日、更ニ改定定款ニ依リ、日本郵船株式会社株主臨時総会ヲ開ク、出席人員三百三拾二名、此株数拾四万弐百三拾七株、出席株主森岡昌純臨時会長席ニ着キ、改正定款第八条ニ依リ選定スヘキ取締役ノ数ハ十一名、監査役ノ数ハ二名ト為ス事、又役員給料及報酬ハ社長給料月額四百円、副社長同月額三百円、専務取締役同月額弐百円、其他ノ取締役及監査役ノ報酬ハ年額八百円宛ト為ス事ヲ議決シ、次テ役員ノ選挙ヲ行ヒシニ、取締役ニハ森岡昌純・吉川泰二郎・内田耕作・浅田正文・近藤廉平・加藤正義・渋沢栄一・荘田平五郎・中上川彦次郎・園田孝吉・磯辺包義ノ十一氏、監査役ニハ阿部泰蔵・山本直成ノ二氏当選セリ


日本郵船株式会社五十年史 第七四三頁〔昭和一〇年一二月〕(DK080007k-0009)
第8巻 p.176 ページ画像

日本郵船株式会社五十年史  第七四三頁〔昭和一〇年一二月〕
 (役名)(氏名)(就任年月日)(退任年月日)(摘要)
  取締役 男爵渋沢栄一氏 明治二十六年十二月一日 明治四十二年六月八日 自大正六年五月一日至大正六年五月三十日相談役


近藤廉平伝並遺稿 (末広一雄著) 第一五九―一六一頁〔大正一五年二月〕(DK080007k-0010)
第8巻 p.176-177 ページ画像

近藤廉平伝並遺稿 (末広一雄著)第一五九―一六一頁〔大正一五年二月〕
 明治二十六年の十二月、恰かも「郵船」の整理一段落を告けた頃、会社組織の変更があつた。さうして君は取締役に選挙せられ、互選に依て専務取締役に就任した。
 組織変更といふのは、従来郵船会社が政府の管轄に属してゐた為
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め、重役たる社長・副社長・理事が何れも官選であつたのを、此年商法が実施せられたので、之に拠つて定款を改め、重役は株主の選挙に依ることとなつたのか即ち其れである。乃で株主総会を開き、新定款に依て取締役十一名を選挙したのである。其互選に由つた重役の顔触れは、社長森岡昌純・副社長吉川泰二郎・専務取締役内田耕作・浅田正文・近藤廉平・加藤正義・平取締役渋沢栄一・荘田平五郎・中上川彦次郎・園田孝吉・磯辺包義であつた。此内専務取締役四名は、従来の官選理事であつた。
 新任平取締役五名の内、渋沢栄一は財界の棟梁、荘田平五郎は三菱の代表、中上川彦次郎は三井の代表、園田孝吉は十五銀行の代表、磯辺包義は予備海軍少将で、先づ各方面を代表した勢力を「郵船」の埒内に引入れた形であつた。是等の有力者を羅致したのは主として吉川泰二郎の画策した所であつた。
 伊藤博文と日本郵船 当時「郵船」が組織を変更したのは内閣絡理大臣伊藤博文の勧告に出でたもので、博文自ら議長となり、同社の定款を議したのであつた。
 当時政府は日本の法律を制定し、外人を安心せしめて、条約改正の目的を達成しやうと云ふ見込が付いたので、頻りに法典の完成を急ぎ民法・刑法・商法の改正案を脱稿したのであつた。けれども民刑の二者は非難の声が高かつたので、此年再調査に付せられることゝなつた。唯幸にして商法の一部たる会社法・手形法・破産法だけが議会の議決を経たので、公布せられ、此年(二十六年)七月から実施せられることとなつたのである。
 固より郵船会社は諸会社の筆頭と目されてゐた。殊に国庫から年額八十八万円の補給金を受けて居るので、先づ之を新会社法の下に建て直して、一般会社の手本にしやうといふことに廟議が決したのであつた。
 乃で伊藤内閣総理大臣から日本銀行の川田小一郎を通して、其旨を「郵船」に諭し、会社では加藤正義が主任となつて新定款の原案を作成した。さうして森岡・吉川・内田・浅田・近藤・加藤の外に岩崎弥之助・渋沢栄一・鈴木大亮(逓信次官)の九名を議員とし、内閣書記官長伊東巳代治も立会つて、伊藤総理大臣の伊皿子私邸で会議を開き総理大臣自ら議長となつて、一日掛りで逐条審議を遂げたのであつた。箇様にして新定款が出来た。乃で爾来諸会社は皆「郵船」を手本として其定款を改めるやうになつた、さうして条約改正は翌二十七年の七月から先づ日英両国間に実行された。斯くて永い間我邦官民を悩ませた条約改正も漸く其端緒を啓いたのであつた。


近藤廉平伝並遺稿 第二四七頁〔大正一五年二月〕(DK080007k-0011)
第8巻 p.177-178 ページ画像

近藤廉平伝並遺稿  第二四七頁〔大正一五年二月〕
○上略「郵船」は明治二十六年になつて、商法に準拠し、始めて取締役を選挙するの際に方り、岩崎弥之助・川田小一郎斡旋の下に、財界の重鎮渋沢栄一・三菱の代表荘田平五郎・三井の代表中上川彦次郎・十五銀行の代表団園田孝吉に、各々取締役たることを請ひ、それに依つて会社其者に重きを加へ、且つ外部との交渉を密にせんと試みた時代
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であつた。仮りに之を耆宿幹部の時代又は外様幹部の時代と呼んで置かう。
 此時代の彼等財界耆宿の勢力は宏大なもので、彼等は「郵船」の四本柱として近藤社長・加藤副社長の後見をなして居た形であつた。正副社長は之に依て縦横に驥足を伸ばし得たのである。


日本郵船株式会社五十年史 第一〇四―一一〇頁〔昭和一〇年一二月〕(DK080007k-0012)
第8巻 p.178-181 ページ画像

日本郵船株式会社五十年史  第一〇四―一一〇頁〔昭和一〇年一二月〕
 政府の管理 当社の定款は、創立当時農商務卿の命令書に準拠して制定したるものなることは既に述べたる所なり。而して命令書中に利益補給期間即ち開業の日より十五ケ年間は正副社長及び理事は政府に於て任命し、業務の監督・会計の監査悉く政府に属し、株主総会に於て決定したる事も認許を得るにあらざれば之を執行することを得ざるの明文ありて、株主は唯毎年度の報告を受くるに過ぎざりしなり。
 会社自治 其後政府の命令と株主総会の決議とに依り、資本の増減、収入の多少に拘らず、補給金は其期限中毎年八拾八万円に限定され、損益の責任全く会社に帰することとなりたり。されば其補給金に対する当社の責務は素より動かすべからざるも、当社の組織は会社自治の制に改むるを当然と為したり。然るに商法施行前にありては、命令書の外循由すべき一定の準縄なきを以て姑く旧に依れるも、其後商法中会社篇が明治二十六年七月一日より実施となるや、当社は役員の選任・業務の監督・会計の監査・及び株主の会社に対する権利義務等総て商法に従ひ会社の自治制に改正するを至当と為し、二十六年十二月一日臨時株主総会を開催して定款の根本的改正案を決議したり、改正定款全文左の如し。
    日本郵船株式会社定款
   第一章総則
第一条 会社ノ社名ハ日本郵船株式会社ト称ス
第二条 会社ノ本店ハ東京市内ニ設置シ、各要地ヘ支店ヲ設ケ、支店ヲ設ケサル場所ハ出張所又ハ代理店ヲ置クヘシ
第三条 会社ノ目的ハ海運ノ業ヲ営ムニ在リ
第四条 会社ノ資本金ハ八百八拾万円トシ、之ヲ拾七万六千株ニ分ツ
第五条 会社ハ政府ノ特許ヲ得テ設立シタルモノナルヲ以テ、既ニ政府ノ発セラレタル命令条款及将来之ニ基テ発セラルル時々ノ命令ヲモ遵守スヘシ
第六条 会社ノ存立時期ハ明治十八年十月一日ヨリ満三十ケ年トス
  但シ満期ノ後ハ、総会ノ決議ヲ以テ、政府ノ認許ヲ得テ継続スルコトアルヘシ
第七条 会社ノ定款ハ、第二十七条ニ規定シタル総会ノ決議ヲ以、政府ノ認可ヲ経之ヲ変更スルコトヲ得
   第二章 取締役及監査役
第八条 総会ニ於テ、百株以上ヲ所有スル株主中ヨリ、五名以上十一名以下ノ取締役及二名以上ノ監査役ヲ選定ス
第九条 取締役ノ任期ハ三ケ年トシ監査役ノ任期ハ二ケ年トス、但満期再選スルハ妨ナシ
 - 第8巻 p.179 -ページ画像 
第十条 取締役ハ法律、命令、定款及総会ノ決議ニ遵由シ、会社ヲ代理スル権利義務ヲ有ス
  取締役ハ代理権ヲ以会社一切ノ業務ヲ施行ス
  取締役ハ取締役会ニ於テ職分上ノ事ヲ議定ス
第十一条 取締役ハ同役ノ互選ヲ以社長一名・副社長一名・専務取締役若干名ヲ置キ、主トシテ業務ヲ取扱ハシム
第十二条 取締役会ノ議事ハ社長ヲ以会長トシ、多数ニ依テ決議ス、二説同数ノトキハ会長之ヲ裁決ス
第十三条 監査役ハ取締役ノ業務施行カ法律・命令・定款及総会ノ決議ニ適合スルヤ否ヤヲ監視ス
  監査役ハ計算書・財産目録・貸惜対照表・事業報告書及配当金ノ分配案ヲ検査シ、総会ニ報告ス
第十四条 取締役及監査役中不時ニ欠員ヲ生スルトキハ、次回ノ総会ヲ待テ補欠員ヲ選定スルヲ通例トス、然レトモ取締役ニ於テ必要ト認ムルカ、又ハ総株金ノ五分一以上ヲ有スル株主ヨリ請求スルトキハ、臨時総会ヲ招集シテ之ヲ選定ス
  補欠員ノ任期ハ前任者ノ期限ニ従フ
第十五条 取締役及監査役ハ各自所有ノ株式百株ヲ其在任中会社ニ預ケ置クヘシ
第十六条 取締役及監査役ノ給料又ハ報酬ハ総会ノ決議ヲ以之ヲ定ム
   第三章 株主総会
第十七条 総会ハ取締役・監査役又ハ其他法律ニ依リテ招集ノ権ヲ有スル者之ヲ招集ス
  総株金ノ五分一以上ヲ有スル株主ヨリ、会議ノ目的ヲ示シテ請求スルトキハ、取締役之ヲ招集ス
第十八条 通常総会ハ毎年十一月ニ於テ之ヲ開キ、臨時総会ハ必要ノ場合ニ於テ之ヲ開ク
第十九条 通常総会ニ於テハ前事業年度ノ計算書類・報告書類及配当金ノ分配案等取締役ヨリ提出スル所ノ議案ヲ決議ス
  臨時総会ニ於テハ目的タル臨時ノ事項ヲ決議ス
第二十条 通常総会・臨時総会ヲ問ハス、凡テ議案以外ノ事項ヲ議スルコトヲ得ス
第二十一条 総会ノ通知ハ総会ノ日時場所及目的事項ヲ記載シ、開会日ヨリ少クトモ十四日以前ニ之ヲ発スヘシ、但定款ノ変更ヲ目的トスルモノハ其議案ヲ添付ス
第二十二条 総会ニ於テ株主ノ議決権ハ十株マテ一株毎ニ一箇トシ、十一株以上五株毎ニ一箇ヲ増加ス
第二十三条 株主未成年其他ノ事故ニ依リ無能力ナルトキハ、後見人又ハ他ノ正当ナル代理人之ニ代テ議決権ヲ行フコトヲ得
第二十四条 株主自ラ総会ニ出席スルコト能ハサルトキハ、委任状ヲ以他ノ株主ニ代理セシメ、議決権ヲ行フコトヲ得
第二十五条 代理ヲ委任シタル株主ハ其人員及株金トモ凡テ出席数ニ算入ス
第二十六条 総会ハ少クトモ総株金ノ四分ノ一ヲ有スル株主出席セサ
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レハ決議ヲ為スコトヲ得ス
  第二十七条ノ場合ハ前項ノ限ニアラス
第二十七条 定款変更又ハ任意解散ハ、総株主ノ人員半数以上ニシテ総株金ノ半額以上ヲ有スル株主出席シ、議決権過半数ノ同意アルニアラサレハ、決議ヲ為スコトヲ得ス
第二十八条 総会ニ於テ出席定数ニ満タサルトキハ、其総会ニ於テ仮ニ決議ヲ為シ、之ヲ総株主ニ通知シテ再ヒ総会ヲ招集ス、其通知ニハ若シ第二ノ総会ニ於テ出席株主ノ多数ヲ以第一ノ総会ノ決議ヲ認可シタルトキハ之ヲ有効ト為スヘキ旨ヲ明告スヘシ
第二十九条 総会ノ会長ハ社長之ニ任ス、社長事故アルトキハ副社長之ニ任シ、副社長事故アルトキハ他ノ取締役之ニ任ス
第三十条 総会ノ会長ハ議事ヲ整理ス、又会議ヲ延期シ会場ヲ移スコトヲ得、但延期会ニ於テハ初会ニ議了セサル事項ノ外他議ニ渉ルコトヲ得ス
第三十一条 総会ノ決議ハ、第二十七条ノ場合ヲ除クノ外、議決権同意ノ多数ニ依ル、数説同数ナルトキハ会長之ヲ裁決ス、此場合ニ於テモ会長自己ノ議決権ヲ妨ケス
  会長ハ同意ノ数ヲ知ルニ起立、挙手其他便宜ノ方法ヲ用フルコトヲ得ヘシト雖モ、二人以上投票ヲ望ム者アレハ之ニ従フヘシ
第三十二条 総会議事ノ要領ハ総会議事録ニ記載シ、其総会ノ会長記名捺印シテ会社ニ保存スヘシ
   第四章 株式及株券
第三十三条 株式ハ会社資本ヲ一定平等ニ分チタルモノニシテ、一株ノ金額ヲ五拾円トス
  株券ハ一株一通、二株一通、十株一通、二十株一通、二百株一通ノ五種トス
第三十四条 会社ハ株主名簿ヲ備ヘ、株式ノ売買譲渡其他株主ノ異動ヲ登録スヘシ
第三十五条 株式ノ売買譲渡ヲ為サント欲スル者ハ、会社ニ於テ定ムル所ノ書式ニ依リ、双方連署ノ書面ヲ添ヘ、其株券裏面ニ双方記名捺印シテ会社ニ差出スヘシ、会社ハ相当ノ手続ヲ経テ、社長取締役記名捺印シ、株主名簿ニ登録割印シテ之ヲ証明スヘシ
  前項ノ場合ニ於テハ、会社ニ於テ定ムル所ノ登録手数料ヲ払フヘシ
第三十六条 株主ノ死去、婚姻等其他法律ノ作用ニ因リ、其株式ノ所有権ヲ取得シタル者其事実ヲ証明スルトキハ、会社ハ之ヲ株主トシテ株主名簿ニ登録スヘシ
第三十七条 株券ノ毀損又ハ株数ノ分合ニ因リ書換ヲ請求スルトキハ会社ハ相当ノ手続ヲ経テ、前株券ト引換ニ書換株券ヲ交付スヘシ株券ノ紛失又ハ滅失ニ因リ更ニ株券ノ交付ヲ請求スルトキハ、会社ハ其事実ノ証明ヲ得タル後三日以上新聞紙ニ公告シ、尚ホ発見セサレハ更ニ株券ヲ交付スヘシ
  前二項ノ場合ニ於テハ、公告料及会社ニ於テ定ムル所ノ手数料ヲ払フヘシ
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第三十八条 株式ノ所有権ヲ取得シタル者ハ、前数条ノ手続ニ依リ其氏名ヲ株券ニ記載シ株主名簿ニ登録スルニアラサレハ、会社ニ対シテ其効無シ
第三十九条 株主死去スルトキハ、会社ハ其相続人、遺言執行者若シクハ遺産管理人ヲ以、其株式ノ所有者ト看做スヘシ
第四十条 会社ハ総会ノ前ニ於テ、相当ノ日限ヲ定メ公告シテ株主名簿ヲ閉鎖シ、株式売買譲渡ノ登録ヲ停止ス
   第五章 会計
第四十一条 会社ハ複記ノ法ヲ以会計帳簿ヲ整理シ、営業時間中望ニ応シ株主ノ点検ニ供スヘシ
第四十二条 会社ハ毎年十月一日ヨリ翌年九月三十日マテヲ以事業年度トス
第四十三条 会社ハ船舶維持ノ為メ毎事業年度収益ノ内ヨリ左ノ金額ヲ控取スヘシ
 第一 船舶保険積立金 総船価百分ノ五
 第二 船舶大修繕積立金 総船価百分ノ三
 第三 船舶減価引除金 総船価百分ノ五
第四十四条 会社ハ毎事業年度ノ終リタルトキニ於テ、其年度ノ会計ヲ決算シ、計算書・財産目録・貸借対照表・事業報告書及配当金ノ分配案ヲ作リ監査役ノ検査ヲ受ケ通常総会ニ提出シテ認定ヲ求ムヘシ
  総会ノ認定ヲ得タルトキハ其財産目録及貸借対照表ヲ公告スヘシ
第四十五条 配当金ハ毎年一回通常総会ノ後ニ於テ、其年十月三十一日午後第四時株主名簿閉鎖ノ時現在ノ株主ニ払渡スヘシ
  株主ハ配当金ノ利息ヲ請求スルコトヲ得ス
   第六章 任意解散
第四十六条 会社ハ法律ニ準拠シ、第二十七条ニ規定シタル総会ノ決議ヲ以、任意解散スルコトヲ得



〔参考〕中外商業新報 第四二一二号〔明治二九年三月八日〕 日本郵船会社の移転祝(DK080007k-0013)
第8巻 p.181-182 ページ画像

中外商業新報  第四二一二号〔明治二九年三月八日〕
    日本郵船会社の移転祝
 日本郵船会社にては昨七日午後二時より新築移転祝として朝野の紳士を招待《せふだい》したるが、当日来会中の主なる人々は、川上中将・寺内正毅・野田豁通・石黒忠悳・柳谷謙太郎・中橋徳五郎《はし》・早川千吉郎《せんきちらふ》・志村源太郎・和田垣謙三・渋沢栄一・大倉喜八郎・浅野総一郎・奥三郎兵衛・安田善次郎・高田慎蔵・渡辺治右衛門・原六郎・田中市兵衛・阿部彦太郎・堀越角次郎・前川太郎兵衛・菊池長四郎・磯野小右衛門《いその》柿沼谷蔵等の諸氏、其他郵船会社の荷主、各銀行会社等無慮二百余名にして、近藤・加藤の正副社長以下一々迎接して、先づ楼上の休憩室に誘ひ、夫《それ》より楼上楼下各室を案内したるが、内部は四層《しさう》にして中央にエレベートルを設《もう》けて昇降し、社長室・副社長室より会計・文書・庶務・調査各課室並びに食堂・金庫等規摸整然として備はり、最下層は平は地下室に入り、白昼なほ瓦斯を点す所等有りて、此処に印刷製
 - 第8巻 p.182 -ページ画像 
本部等有り、軈て各室の巡覧終れば楼上に於て立食の饗応あり、其間海軍楽隊の奏楽あり、一同歓を尽して退散せしは午後四時過なりき。
  ○日本郵船会社ノ本店ハ
   一、明治十八年十月一日 日本橋区南茅場町十六番地
   二、明治十九年十月一日 横浜尾上町六丁目八十六番地
   三、明治二十年四月三日 再ビ日本橋区南茅場町十六番地
   四、明治二十九年三月一日 東京市麹町区有楽町一丁目一番地
   ニ置カレタリ。(昭和十年十二月刊「日本郵船株式余社五十年史」年表ニヨル)


〔参考〕財界太平記 (白柳秀湖著) 第一〇一―一〇七頁〔昭和四年一月〕(DK080007k-0014)
第8巻 p.182-184 ページ画像

財界太平記(白柳秀湖著)  第一〇一―一〇七頁〔昭和四年一月〕
    川田小一郎常盤に渋沢氏を訪ふ
 右に述べた如き事情で、日本郵船会社成立当時の役員に渋沢栄一氏の名の見えなかつたことは、一方に於いては、合同運動の有力な尻押であつた政府部内の薩派が、三菱と暗黙の裡に提携して、如何に成立後の新会社から三井系統の勢力を駆除することに努めつゝあつたかを語るものであるし、又、他の一方に於いては、渋沢・益田の両氏が此結果を如何に心外のことに思つて居たかを想像する材料ともなる。併し三井の代表者である益田氏のことは兎も角もとして、三井と最も親密な関係を持つて居つたとは云へ、その実業界に於ける指導的地位は全く別格であつた渋沢氏を役員として逸したことは、三菱の作戦から云つても、決して永遠の利といふべきでなく、策の得たるものと云はれなかつた。其処で此時既に弥太郎は世になき人であつたが、三菱の幹部間には、再び渋沢氏をその陣営に招致しようとするの運動が起つた。
 明治十九年一月二日、吉例により、渋沢氏が中心となつて浜町の常盤楼に新年宴会を催して居る時のことであつた。川田小一郎が飄然と常盤楼にやつて来て、渋沢氏に面会を求めたもので、渋沢氏は此思ひもかけぬ訪問者に怪訝の眉を顰めながら別室で会つて見ると、川田のいふには、三菱と貴下ともとより何等の宿怨あるにあらずして、明治以来端なくも屡戦陣の間に相見えなければならなかつたのは洵に遺憾千万のことである。此事に関しては先代はもとより、当主弥之助も平生から常に心を痛めて居たが、今回両社の合同が成り、貴下と意志の疏通を計るには絶好の機会であると信じ御訪ねした次第である。弥之助は切に貴下と会見して親しく意見を交換せんことを望んで居る。貴下の御考へは如何であるかとのことであつた。三菱の方から駕を枉げて、かやうな態度に出られて見ると、素より敦厚な渋沢氏のことであるから直に之に応じ、イヤそのことであれば自分は先代弥太郎氏と向島の植半に会合して、会社組織の根本精神に就いて論議したこともあつたが、不幸その主義を異にしたる為め久しく親交を訂するの機会を得なかつたまでである、弥之助氏にしてさやうな御考であらば、自分として何処に反対すべき理由があらう、近年三菱と旗鼓の間に相見えたのは、全くその財界に於ける立場を異にしたまでであると答へたので、川田も大に悦び、その日はそれで別れたが、それから数日の後、氏は共同運輸の計画に最も関係の深い益田孝・渋沢喜作の外に、大倉
 - 第8巻 p.183 -ページ画像 
喜八郎・福地源一郎の両人を加へて駿河台に弥之助を訪ひ、弥之助及び三菱会社の幹部と膝を交へて驩談し、玆に積日の不快を水に流して固き握手を交換した。かやうにして三菱と渋沢氏との和議はともかくも成立した。
 併し、それは要するに唯一片辞令の上の和解であつて、両者の間にはまだ何等利害の共通するものがなかつたのであるが、明治二十六年に至り三菱はモツト確実に堅固に渋沢氏を自分の味方に抱込んで置く必要を感じて来たといふのは、例の航路拡張の問題である、明治十八年に初めて日本郵船会社の成立した時には、その航路はまだ内地の沿岸を主とし、海外線と云つても、横浜上海間、長崎浦塩間、神戸仁川間の三線に過ぎず、新興日本の勢力も海上に於いて微々たるものであつた。然るに明治二十四五年の交に至ると、人口も大に増加し、産業も漸く発達して来たので、朝野の間にも、海外航路の拡張を論ずる声が次第に高まり、少くとも欧洲、濠洲、アメリカ大陸の三線には、日本の国旗を掲揚した船舶を航行させなければならぬ、一千一百万円の資本金に対し、年々政府から八十八万円の配当を保障せられて居る日本郵船会社が、今や創立七八年にもならうとするに此有様は何事であるかといふ議論が囂しくなつて来た。
 乃ち自由党は明治二十五年の議会に先づ航路拡張案を提出し、明治二十六年には政府も航路奨励法案を提出した。自由党の航路拡張案と政府の航路奨励法案の間に如何なる関係があつたか、当時に於ける三菱と自由党との関係、政府と自由党との関係が如何にあつたかは後の研究に譲るとして、日本郵船会社は、此両案の議決を見るに先ち、自ら進んで孟買航路を開始し、政府の新しき補助を期待するものの如くであつた。渋沢栄一氏がその私邸に川田小一郎の訪問を受け、尋いで岩崎弥之助の訪問をうけ、礼を厚くし、辞を重くして、日本郵船会社に重役の一員たらんことを懇請せられたのは正に此時であつた。
    弥之助自ら渋沢に援助を乞ふ
 明治二十六年、それは日本郵船会社が孟買航路を開始し、航路奨励法案による数百万円の牡丹餅が棚の上から落ちて来るのを口を開いて待ち焦れて居る日のことであつた。川田小一郎は事ありげに渋沢氏の私邸を訪れて、日本郵船会社はもと三菱と共同運輸との合同したもので、決して岩崎家個人の事業ではない。然るに、合併前岩崎家が共同運輸の株を多く買収した関係等があつて、世人は往々之を岩崎家個人の事業と視る傾きがある。之は吾々の平生から甚しく不本意とする所で、さやうな誤解を避ける上からも、共同運輸の創立と関係の深い貴下に是非その重役の一員となつて戴きたいといふことを述べた。之は渋沢氏に云はすれば、甚だ人を馬鹿にした申分で、若し岩崎家にそれ程公平な心があるならば、此問題は既に七八年も以前に起つて然るべきものである。それを合同後足かけ九年目で、日本郵船会社の実権が全く三菱の手に帰し、世人が共同運輸との関係などを全く忘れてしまはうとする時分になつて、事新しくそんな問題を持出して来るといふのは甚だ心得ぬことで、例の航路奨励法を成立させようとする運動の一端であるといふことは、聡明な渋沢氏のことでもあれば、分らぬ筈
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はなかつたが、此時日本の事情から云ふと、海外航路の拡張といふことは、何さま焦眉の急を要する大問題であつたので、氏も私情を忍んでよきほど挨拶をして置くと、翌日岩崎弥之助が自身氏の私邸に乗出して来て、切にその承諾を懇請した。さうしてその云ふやうは、亡兄及び自分等は、夙に貴下の万屋主義を誹詆して、その一事に専念せざるを笑つて来たものであるが、今や貴下の前に節を屈して、貴下の助力を求めなければならぬことになつた。それは外でもないが、昨日川田を以て事の大意を述べさせた日本郵船会社の問題である。惟ふに航海運輸のことは我が国力の充実、文明の発達と密接の関係を有するものであつて、之が進歩改善を期する為には国民挙つて心を一にし、力を戮せ、以てその完成に努めなければならぬ。是れ自分が有らゆる従来の行がかりを棄てゝ、切に貴下の来援を求むる所以であるとの事であつた。素より感じ易い渋沢氏のことであるから、今まで傲岸自ら持し、苟も他と協調して事に当るを欲しなかつた先代弥太郎の精神を、そのまゝに継続した三菱の幹部連が、斯く節を屈し、屐を倒にして来り、襟懐を披瀝して援助を求むる熱心に動かされ、且つは経済的にも軍事的にも日本の死活を制する朝鮮半島に対する清国の圧迫が漸く甚しきを加へ、何時彼との間に大事の爆発を見んも計られざる形勢にあつた当時の国情から推して考へると、何を措いても海上の輸送力を充実して置くことが必要のやうに感ぜられたものらしく、此日、氏は快く弥之助の懇請を容れ、日本郵船会社の取締役としてその名を列することとなつた。玆に至つて、三菱と渋沢氏との提携が、事実の上に成立し、多年の反感が全く水に流された次第であつた。
 果然、明治二十七年には渋沢氏を会頭とする東京商業会議所が孟買航路保護の必要を政府に建議し、同時に政府からも、再び航海奨励法案を議会に提出した。
  ○ナホ栄一ト三菱家トノ和解ニ付テハ、本節第二款共同運輸会社明治十八年八月十五日ノ項中ノ東京日日新聞所載ノ「故岩崎男爵」ト題スル栄一談話(本巻第一二三頁)ヲ参看セヨ。