デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
6款 日光鉄道会社
■綱文

第8巻 p.639-644(DK080057k) ページ画像

明治22年6月21日(1889年)

是ヨリ先、明治二十年四月、栃木県民有志者日光宇都宮間ニ鉄道ヲ敷設セントス。栄一発起者ノ依頼ニヨリ諸事相談ニ与リ、後創立委員長ニ推サル。然ルニ同会社其建設ノ困難ニ逢ヒ荏苒時ヲ経テ終ニ成立ノ目途ヲ失フニ至ル。是日鉄道局長官井上勝、日本鉄道会社理事委員会ニ臨ミ日光線ノ引受ヲ慫慂シ、栄一亦同会社始終ノ事情ヲ開陳ス。之ニ基キ日本鉄道会社ハ該支線ノ敷設ヲ決シ、後日光鉄道会社ニ諸調査費額トシテ二万円贈与ヲ議決ス。


■資料

青淵先生六十年史 第一巻・第九六九―九七〇頁 〔明治三三年二月〕(DK080057k-0001)
第8巻 p.639 ページ画像

青淵先生六十年史  第一巻・第九六九―九七〇頁〔明治三三年二月〕
日光鉄道株式会社ハ、明治二十年四月ノ交、下野ノ有志矢板武・安生順四郎等ノ発起スル所ニシテ、其目的ハ日光・宇都宮間ニ軽便鉄道ヲ布設シテ、日本鉄道ノ奥羽線ニ連絡シ、日光遊覧人ノ便ヲ計ラントスルニアリ、青淵先生亦株主ニ加入シ、発起人ノ依頼ニヨリテ諸事相談ニ与レリ
是ヨリ先キ、発起人等ハ該鉄道敷設ニ関シ願書ヲ鉄道局ニ提出シ、且測量設計等ノ事ヲ乞ヒシモ、時ノ長官井上勝其軽便式ナルノ故ヲ以テ応セス、依テ発起人ハ外国技師ダイバツクニ測量設計ヲ依嘱シ、且一切ノ器械鉄材等ヲ同人ノ手ニヨリテ買入ルヘキ約ヲ締結セリ、然ルニ事意ノ如クナラス、為ニダイバツクニ対シ契約ヲ履行スルコト能ハスシテ、終ニ違約金八千余円ヲ出シ解約ヲナスノ止ムヲ得サルニ至レリ、此間殆ント二星霜、徒ラニ歳月ト創業費トヲ費スノミニシテ、鉄道ノ計画ハ殆ント廃止スルノ外止ムナキ場合ニ臨メリ、先生大ニ之ヲ遺憾トシ、一日井上長官ヲ訪ヒ日光線路布設ノ必要ヲ説キ、共ニ日本鉄道ニ買収ヲ勧誘シ、其目的ヲ達スルニ尽力センコトヲ約シ、終ニ同社ノ重役ニ謀リ、従来費ス所ノ調査実費弐万余円ヲ以テ同社ニ買収スルコトニ協議ヲ調ヘタリ、時ニ二十二年九月ナリトス、即チ同社ニ於テハ技師足立太郎ニ命シテ此ノ線路ノ建設ヲ担当セシメ、僅々八九箇月間ニシテ工事ノ完成ヲ告ケタリ、即チ其方法ハ変シタルモ、先生ノ尽力ニヨリテ当初ノ目的ヲ達スルニ至リタルヲ以テ、地方発起人大ニ先生ヲ徳トシ、贈ルニ七宝焼花瓶一対ヲ以テシ、深ク感謝ノ意ヲ表セリ


渋沢栄一 書翰 尾高幸五郎・芝崎確次郎宛(明治一九年)八月五日(DK080057k-0002)
第8巻 p.639-640 ページ画像

渋沢栄一 書翰 尾高幸五郎・芝崎確次郎宛(明治一九年)八月五日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
昨夜伊藤大臣と同行、高岡《(マヽ)》より金沢ヘ相廻リ一泊仕候、然処日光鉄道之
 - 第8巻 p.640 -ページ画像 
事ニて大臣より井上局長ヘ可申通義有之、小生ニ相廻リ候様被申聞候間今日ハ内本《(ゆカ)》又ハ塔ノ沢一泊、井上局長相尋用向済、明日ハ箱根ニて一同ニ面会同所一宿、明後日ハ出立帰京之積ニ候、其段今日電報仕候間銀行へも王子へも御申通し可被下候、もし遅くも十八日ニハ必らず帰京可仕候、万一急用有之候ハヽ明夕ニ候ハヽ箱根茗荷屋ヘ御電信可被成候、右之段申入度、如此御坐候 匆々
  十五日
                       栄一
    尾高
    芝崎


中外物価新報 第一九三三号〔明治二一年九月六日〕 日光鉄道創立委員会の決議(DK080057k-0003)
第8巻 p.640 ページ画像

中外物価新報  第一九三三号〔明治二一年九月六日〕
    日光鉄道創立委員会の決議
曾て資本金三十万円を以て、野州宇都宮・日光の間に鉄道を敷設し、宇都宮に於て日本鉄道会社の東北線路に接続せしめ、以て日光への行旅及足尾銅山へ貨物運搬の便利を謀らんとの目的にて設立したる、日光鉄道会社ハ、爾来久しく何の音沙汰もなかりしが、右発起創立委員諸氏ハ去月廿六日を以て相談会を野州宇都宮に開き、種々協議する所ありしも、何分其敷設費等も最初の予算とハ余程相違し、曾て三十万円にて事足るべしと思ひし敷設費も実際四十三万円を要すると云ふ如く、随て総ての収支予算も大に齟齬する所あれハ、尚充分の協議を遂げて其成否を定むべしとて更に創立委員を改撰せしに、渋沢栄一・川村伝衛・種田誠一・矢板武・野村惟一の五氏当選したり、依て此等の新創立委員諸氏ハ昨五日更に東京第一銀行楼上に於て其委員会を開きしが、今其決議の趣意に拠れば、何分にも前記の如く同鉄道の敷設費及収支等の計算に付き其実際を調査するときハ大に最初の予算と相違する所もあれば、此の金融緩かならざる折柄其実際の調査を疎かにして着手するハ甚だ得策にあらざる事故、兎に角今一応諸般の事を取調べんとて、地方の新委員ハ行旅の数、貨物集散の摸様より収支の実況を調査し、東京新委員ハ其道の者に就て普通鉄道の敷設費を調査し、而して双方の調査を相参照したる上にて、更に収支勘定の予算を製し若し其資本金に対して年六分の利益に当らざるときハ普通鉄道の敷設を見合せ、更に又軽便鉄道若くハ電気鉄道にても敷設すべきか、夫れにしても此等ハ其道の技師に依頼して充分実際の摸様を調査せしめ、然る上にて計画せざれば他日又違算なしとせず、故に軽便鉄道の事ハ之を工学士久米民之介氏に、電気鉄道の事ハ之をシーメンスの技師に委托して、其調査を為さしむる筈なり、将た当日創立委員長にハ渋沢栄一氏を選挙し、又創立事務所ハ当分宇都宮第三十三銀行支店内に設置し、其取引条約等ハ第一銀行・第三十三銀行其他一銀行(名前ハ忘れたり)の本支店にて取扱ふ由


中外物価新報 第一九七四号〔明治二一年一〇月二六日〕 日光鉄道布設相談会(DK080057k-0004)
第8巻 p.640-641 ページ画像

中外物価新報  第一九七四号〔明治二一年一〇月二六日〕
    日光鉄道布設相談会
日光鉄道ハ曩に三拾万円の資金を以て宇都宮・日光間二十五哩の間へ
 - 第8巻 p.641 -ページ画像 
普通鉄道を布設する積りなりしが、何様此間へ普通鉄道を布設せんには、少くも五十万円の工費を要すべく、去りとて此巨額の資金を投じてハ到底収支相償ハざるの恐れあるより、創立委員諸氏にハ更に当初の考案を抛ち、新たに軽便鉄道を布設せん事を思ひ立ち、則ち明二十七日午前兜町第一銀行の楼上に於て其下相談会を開く由、聞く所に拠れば、軽便鉄道ハ一哩平均一万円にて布設することを得べしと云ふ


中外物価新報 第一九八〇号〔明治二一年一一月二日〕 日光鉄道敷設相談会(DK080057k-0005)
第8巻 p.641 ページ画像

中外物価新報  第一九八〇号〔明治二一年一一月二日〕
    日光鉄道敷設相談会
兼て屡々我が紙上に報道せし如く、日光・宇都宮間廿五哩の鉄道敷設ハ、資本金三十万円を以て為すとのことなるが、其工事に要する費用ハ、他の箇所と違ひ其線路中橋梁を架する処もなければ、峻坂を切り下る場所もなく、又隧道を穿つ等の困難もなく、人夫の賃銀ハ固より安く、軌条の枕木(スリツパ)ハ日光山より切り出す等にて、其費用ハ大に低廉なるべけれども、何分該鉄道より収入する処の金額ハ僅に足尾銅山の銅を運搬するか、或ハ夏期中日光見物の内外客若くハ避暑客往復の賃銀にして、既に曩に該鉄道創立委員会の決議に依り、地方創立委員なる野村惟一・矢板武の両氏が実地に就て詳細其取調をなしたりしに、漸く一ケ年平均十三万四五千円を得る位に過ぎざるとのことにて収支相計算すれば、最初の目的通り年六朱の利益を得るハ中々困難なれば、寧ろ普通鉄道を敷設すると云ふの計画ハ中途之れを変じて軽便鉄道か電気鉄道か馬車鉄道を敷くならんと云ふの議もありたりと聞及びたりしこともありしが、畢竟之れハ世間の想像説と見へ、既に去月二十七日第一銀行楼上に開きし創立委員会に於てハ、愈よ収入額予算の十三万四五千円を得ると云ふことの慥かなりと認むる以上ハ、其敷設費の予算を精密になし、これを鉄道局に差出して取調を仰ぎ、果して其費用の予算収入額の予算に照して年六朱の利益を得ることもあらば、無論当初の目的なる普通鉄道を敷設すべく、若し其利益を得難ければ其際に当り其目的を変ずることあるやも計られざるとのことなれども、兎に角創立委員中の見込にてハ、阪界鉄道位《(堺)》の鉄道を敷設すれば、先づ年六朱の利益を得るハ敢て難からざるべしと云へり


渋沢栄一 書翰 安生順四郎宛(明治二一年)一一月七日(DK080057k-0006)
第8巻 p.641 ページ画像

渋沢栄一 書翰 安生順四郎宛(明治二一年)一一月七日
                   (白石喜太郎氏所蔵)
○上略
日光鉄道会社之事ニ付、井上局長と面会之義者両度計罷出候得共不在ニて、漸本月二日面会いたし、種々談話いたし現今之情況逐一申述候処、局長之考案ハ軽便鉄道も電気鉄道も相好不申、日光鉄道会社ニ於て計算上起工之見込無之上ハ、日本鉄道会社ニ引受させ、日光迄之聯絡ハ相付候様致し度と申意味と存候、依而其次第ハ矢板・野村両氏へ詳細書通仕候間、御聞取可被下候、右者乍延引拝答旁書中奉得貴意候
                          匆々頓首
  十一月七日               渋沢栄一
    安生順四郎様
 - 第8巻 p.642 -ページ画像 

日本鉄道株式会社沿革史草稿 第二篇・第三二七―三六六頁(DK080057k-0007)
第8巻 p.642-643 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

日本鉄道史 上篇・第七三三―七三五頁〔大正一〇年八月〕(DK080057k-0008)
第8巻 p.643-644 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕添申録 会社明治二十二年(DK080057k-0009)
第8巻 p.644 ページ画像

添申録 会社明治二十二年          (東京府庁所蔵)
宇都宮・今市間ヘ支線布設之義ニ付、別紙ノ通内閣ヘ出願仕候間、御進達被成下度、此段奉願候也
  明治廿二年九月五日       日本鉄道会社々長
                      奈良原 繁
    東京府知事 男爵 高崎五六殿
(別紙)
下野国日光街道今市宿ヨリ弊社第二区線宇都宮駅ニ接続スルノ鉄道線路布設之義、曩ニ日光鉄道会社発起人ヨリ出願仕リ、願意御諒容相成候ニ付、線路実測ヲ了リ、免許状御下付之義更ニ出願中之処、其後発起人ニ於而種々内情有之、到底成功之見込無之解散致候、然処該線路之義ハ同地方ニ希望之場所柄ニ付、右鉄道事業弊社ニ於而施行之義今般発起人ヨリ依頼有之候間、先月十七日株主臨時総会ヲ開キ、定款第一条之精神ニ基キ、日光街道ヘ支線布設之事ヲ議決仕候、就而者右建設ニ要スル興業費之義ハ弊社積立金ヲ以而支弁仕候見積リニ御坐候ニ付、別段御補給ヲ仰キ不申候、依而発起人ニ於而該線路実測仕候絵図面譲受ケ、相添申候間、何卒該支線布設之義御許可之上免許状御下付相成候様仕度、此段奉懇願候也
  明治二十二年九月        日本鉄道会社々長
                      奈良原繁
    内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆殿
(朱書)
 内閣 批第六〇号
(朱書)
明治廿二年九月五日出願
日光街道鉄道支線布設ノ件ヲ認許シ、免許状ヲ下付ス
  明治廿二年十月卅一日
          内閣総理大臣 公爵 三条実美