デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
9款 参宮鉄道株式会社
■綱文

第8巻 p.737-745(DK080066k) ページ画像

明治25年7月25日(1892年)

同会社ノ起工頗ル延引シ株主中創立中止ヲ主張スル者アルニ至リシガ、栄一中止ノ不利ナル所以ヲ説キ、会社諸般ノ改革ニツトム。是日栄一株主総会ニ於テ相談役ニ推サレテ就任、数次相談会等ニ列シ、之ヨリ諸事進捗シ、同会社ハ二十六年十二月三十一日ヲ以テ開業セリ。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九六八―九六九頁 〔明治三三年六月〕(DK080066k-0001)
第8巻 p.737-738 ページ画像

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九六八―九六九頁〔明治三三年六月〕
会社発起後工事ノ着手頗ル遅延シ、其間ニ四万余円ヲ徒費セリ、依テ株主中ニ中止ヲ主張スルモノアルニ至レリ、先生以為ラク、今日ニシ
 - 第8巻 p.738 -ページ画像 
テ中止セハ之マテ払込ノ資金ニ対スル利子ヲ損スルノミナラス、彼ノ四万余円モ株主之ヲ負担セサルヘカラス、抑モ此ノ線路ハ充分利益ノ見込アリ、工事ノ遅延ハ当事者ノ所為宜シキヲ得サルニ由ル、今ニシテ改革ヲ断行セハ進ムニ利アリテ退クニ利アラス、衆議之ニ従ヒ諸般ノ指揮ヲ先生ニ一任ス、先生即チ一方ニ於テ資金融通ノ道ヲ求メ、一方ニ於テ技師其他ノ役員ヲ精選シ、一挙工事ニ従事セシム、既ニシテ株主会議ニ於テ、先生堤出ノ議案中借入金利子ノ歩合ニ修正ヲ加フ、先生曰ク、此ノ事小ナリト雖モ株主等前日余ニ一任スルノ言ヲ忘レタルナリト、依テ其約ニ違フヲ責メ、株主ヨリノ委任ヲ辞セントス、株主等大ニ驚キ、其不都合ヲ謝ス、之ヨリ諸事円満ニ進行シ、速ニ工事ノ落成ヲ告ケ、明治廿六年十二月三十一日ヲ以テ開業セリ、而シテ運輸ノ利益頗ル増進シ、会社ノ株券ハ払込額ノ一倍以上ノ価格ヲ有スルニ至レリ、株主深ク先生ヲ徳トシ、贈ルニ伊勢新名所図絵屏風一双ヲ以テシ、謝意ヲ表セリ


東京経済雑誌 第二六巻第六三〇号・第二六頁〔明治二五年七月二日〕 ○参宮鉄道会社大株主の協議(DK080066k-0002)
第8巻 p.738 ページ画像

東京経済雑誌  第二六巻第六三〇号・第二六頁〔明治二五年七月二日〕
    ○参宮鉄道会社大株主の協議
参宮鉄道会社の重もなる株主二十余名は、去月二十九日当市帝国「ホテル」に集合し、同鉄道前途の方針に就いて協議せり、一派は従来の実況に依るときは株金の払込意の如くならずして、到底竣功の見込なきを以て断然解散すべしと云ひ、他の一派は同鉄道は大廟参詣者に便益を与へ、且つ其の株式は帝室財産となり居るものあれば、飽までも維持せざるべからずとて維持説を唱へ、協議に時を遷せしが、結局維持することに決したりと云ふ


中外商業新報 第三〇九九号〔明治二五年七月七日〕 参宮鉄道会社相談会の決議(DK080066k-0003)
第8巻 p.738 ページ画像

中外商業新報  第三〇九九号〔明治二五年七月七日〕
    参宮鉄道会社相談会の決議
 参宮鉄道会社大株主諸氏か一昨五日帝国ホテルに於て相談会を開きたる由は前号に記せしか、聞く処に依れは、当日は五十株以上の大株主中渋沢栄一・渡辺洪基・大倉喜八郎・伊集院兼常諸氏外二十余名、並に宮内省より内蔵助飯田巽氏出席し、同社将来の事を協議し、午後九時頃散会せしか、当日決議の事項は左の如くなりし。
一、七月二十五六日頃伊勢津市に於て株主総会を開く事。
一、社長伊集院兼常氏辞職に就き、右総会に於て補欠撰挙を行ふ事。
 但し後任社長撰定迄は伊集院氏が従前通り社長の事務を取扱ふ事。
一、線路は来八月初旬起工し、明二十六年中に竣工し、来る二十七年一月より開発の事を予定する事、尤も払込金十三万円に満たざる内は、仮令起工予定の時に達するも起工せさる事。
一、不足株五百余株は之を二十株以上の株主の現在新株に割当て凡そ二十株毎に一株の割合を以て補充せしむる事。


中外商業新報 第三〇九九号〔明治二五年七月七日〕 渋沢栄一氏(DK080066k-0004)
第8巻 p.738-739 ページ画像

中外商業新報  第三〇九九号〔明治二五年七月七日〕
    渋沢栄一氏
 同氏は一昨五日帝国ホテルに於て開会したる参宮鉄道会社相談会に
 - 第8巻 p.739 -ページ画像 
於て株主諸氏の推撰に依り同社相談役に任じたる由。


中外商業新報 第三一〇八号〔明治二五年七月一七日〕 参宮鉄道総会議案(DK080066k-0005)
第8巻 p.739 ページ画像

中外商業新報 第三一〇八号〔明治二五年七月一七日〕
    参宮鉄道総会議案
 同鉄道の在東京の主なる株主諸氏は去五日を以つて帝国ホテルに会合し、種々協議の上、弥よ敷設の事に決定せしに付、同会社は来二十五日午後一時を期し、勢州津市安濃倶楽部に於て定式総会を兼ね臨時総会を開く由なるが、其の議案の要領は左の如し。
一、本会社の営業を他動的方法(機関車其他一切の車輛を他より借入れ其損料を支払ひ運輸営業するを云ふ)に依つて実施する事。
一、右実施の為更に株高七百六十七個を増加し、内二百四十七個は此際新規の引受人有るに由り、残り五百二十個を現在株主(一万二百三十三個)中二十個以上の所有者へ各々其持株に応じて割付け、総株高は一万一千個(五十五万円)となす事。
一、金十五万円の高を限り、利足年九朱以内、償却年限十五ケ年以内の制限を以て、社債を募集する事。
一、社債募集の方法及時期等は総て重役会議に委任する事。
一、社債発行に至る迄の間、右制限内の高を一時借入るの必要あれば重役会議に於て便宜之を取扱ふ事。
一、度会郡川端村停車場を同郡小俣村へ移転する事。
一、株金払込期日は予め左記の時日に定る事。
但し其払込時期は定款第十二条に拠り其都度之を通知すべき事。
  十円     二十五年十一月三十日。
  九円     二十六年二月二十八日。
  九円     同年五月三十一日。
  九円     同年十一月三十日。
    但し外金十三円は本年七月中払込済の積り。
一、監査役三名改撰の事。
一、社長伊集院兼常氏辞職に付後任者撰挙の事。
一、渋沢栄一氏に本会社の相談役を嘱托する事。


中外商業新報 第三一二九号〔明治二五年八月一一日〕 参宮鉄道工事着手の期(DK080066k-0006)
第8巻 p.739 ページ画像

中外商業新報 第三一二九号〔明治二五年八月一一日〕
    参宮鉄道工事着手の期
 参宮鉄道は過般の総会に於て起工する事に決したるに付ては、株金の払込督促中なりしが、已に八九分通り捗取りしを以て、此程太田社長上京し、常議員今村清之助・相談役渋沢栄一・森重固の諸氏と渋沢栄一氏の宅に於て工事の手順を協議し、愈々不日起工する事に決したりと云へり。


中外商業新報 第三一三七号〔明治二五年八月二〇日〕 参宮鉄道会社常議員会(DK080066k-0007)
第8巻 p.739-740 ページ画像

中外商業新報 第三一三七号〔明治二五年八月二〇日〕
    参宮鉄道会社常議員会
 参宮鉄道会社にては去る十四、五日の両日津本社にて常議会を開き昨二十四年六月三十日附を以て払込の通知を為したる(証拠金五円以外の分)一株に付八円の払込金を本年七月以前に払込たるものには、
 - 第8巻 p.740 -ページ画像 
払込翌日より本年七月三十一日迄年利七分の割合を以て利子を附する事、昨年中沿線各村に向ひ談判したる土地買入れの件を実行する事、関西鉄道会社と線路を聯絡するに就ては実測の上線路延長の議を出願する事、村田彬氏を支配人に推し、庶務・会計其他社内一切の事務を担当せしむる事(但庶務課長たる旧の如し)、同会社重役と相談役渋沢栄一氏との間に取換すべき約定書の草案を作り、渋沢氏に宛て発送する事等を議決したる由、尤も村田氏を支配人に推す事は同社定款及営業申合規則等に支配人の目なきを以て之を追加する筈なりと云ふ。
   ○右文中ノ栄一重役トノ間ニ取結ブベキ約定書ハ事務協議ニ関スルモノニシテ、後掲栄一書翰ニ記ス約定書トハ異ナルカ。


中外商業新報 第三二四四号〔明治二五年一二月二八日〕 参宮鉄道会社の重役会議(DK080066k-0008)
第8巻 p.740 ページ画像

中外商業新報 第三二四四号〔明治二五年一二月二八日〕
    参宮鉄道会社の重役会議
 参宮鉄道会社は一昨二十六日午後四時より銀行集会所に於て重役会議を開きしが、聞く処によれば太田社長・今村・藤井・井阪の三常議員、渋沢相談役、森監査役、渡辺技師等の諸氏出席し、物品買収規則及び工事請負規則を議定し、且工事請負人選定方を議したるが、請負人は候補者六七名を予定し、其内より更に三名の請負人を選択して、夫々入札せしめ、来る一月十日頃迄に開札するに決し、昨二十七日午後二時頃に至り散会せしとなり。


中外商業新報 第三五〇六号〔明治二六年一一月九日〕 参宮鉄道会社の決議(DK080066k-0009)
第8巻 p.740 ページ画像

中外商業新報 第三五〇六号〔明治二六年一一月九日〕
    参宮鉄道会社の決議
 同会社にては去二十八日勢州津市公園倶楽部に於て臨時株主総会を開きしが、相談役渋沢栄一氏も臨会せる由にて、工事報告の後議事に移り、定款第三条の起点津市とあるを小俣村と改め、一株五十円として増株金五十五万円を募り、資本総額を百十万円に増加すること及役員は現在のまゝに据置く事等の決議をなしたりといふ。


渋沢栄一 書翰 中川知一宛(明治二五年)八月五日(DK080066k-0010)
第8巻 p.740-741 ページ画像

渋沢栄一 書翰 中川知一宛(明治二五年)八月五日 (中川欽作氏所蔵)
爾来御清適奉賀候、然は玆ニ一事御依頼申上候義は、此度参宮鉄道会社株主総会ニ於て、小生を会社之相談役ニ嘱托之義議決致し、此程新社長太田小三郎氏出京種々被申聞候ニ付、是迄重立候株主ニも有之候旁、不得已其請求ニ応し、向後社長常議員ニ於て処理すへき事務之相談ニ関係いたし候都合ニ相成候、就て右会社帳簿組立方ハ関西鉄道会社之雛形ニ倣ひ取扱居候趣ニ候得共、社長及会計課之人々も帳簿上之事ハ不案内之様子ニて、記載方ハ勿論、各種科目之類別等も或ハ適当せさる哉と懸念仕候、依て乍御手数、貴兄一応会社ニ罷越、各種之帳簿御一覧被下、もし銀行とも異り候ニ付一見御判断被成兼候件も有之候ハヽ、篤と事理御聞合之上、可成精細ニ御審案ニて其体裁を定め、且其記載方迄夫々と御教示被下候様被成下度候、且又前書相談役へ毎月又ハ毎季之報告手続も有之候ニ付、右報告表之雛形も御考之上御作成被下度候、尚委細ハ太田社長又ハ庶務課長村田彬と申人より可申上候ニ付、御聞取之上可然御添心可被下候、右は銀行事務上ニ於ても取引先ニ付、何卒御入念御取扱可被下候
 - 第8巻 p.741 -ページ画像 
此段書中申上候 匆々不一
   八月五日
                        渋沢栄一
 中川知一様
   ○中川知一ハ第一国立銀行々員ナリ。当時四日市支店長カ。右書簡ニ於テ同会社ト第一国立銀行トノ間ニ取引アリタル事ヲ知ル。
   ○栄一相談役辞任ノ年月ハ不明ナリ。


渋沢栄一 書翰 斎藤峯三郎宛(明治二五年)一〇月二二日(DK080066k-0011)
第8巻 p.741 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤峯三郎宛(明治二五年)一〇月二二日
                  (斎藤峯三郎氏所蔵)
○上略
参宮鉄道会社約定書案ハ、水野之取調至極適当と存候、但第十二条ノ遅引ニ対シ損害賠償トアルヲ、一日ニ付金高五百分ノ一ヲ徴収ト改メ当初ヨリ制限ヲ設クル方可然ト存候
又十六十七条ノ渡辺氏心附ハ、追加ノ方可然と存候間、右之通リ貴兄より太田氏ヘ御申通し可被下候、尤も明朝拙宅ヘ来訪被下候ハヽ、無理ニも面会可仕旨をも御申通し可被下候
○中略
  十月廿二日
                      渋沢栄一
    斎藤峯三郎様
   ○此書簡ニ記ス約定書ハ同会社ガ第一国立銀行トノ間ニ取結バントスル借入金ニ関スルモノカ。該約定書未ダ得ズ。


渋沢栄一 書翰 斎藤峯三郎宛(年月未詳)(DK080066k-0012)
第8巻 p.741 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤峯三郎宛(年月未詳) (斎藤峯三郎氏所蔵)
参宮鉄道会社ニて至急金三万円入用之由、利足も年七分ニ相願度、期日ハ来年四月之払込ニて返却之都合ニて宜敷由今村清之助より被申聞候依而昨夜阿部・益田等打合候得共、差向当坐預金少く相成候ニ付、可成ハ両社《(者カ)》と当方とニて壱万円宛と相定め、両社之分ハ当方定期預ケニて相弁し呉候様致度と被申候、佐々木支配人へ御打合有之度候


今村清之助君事歴 (足立栗園著) 第三二一―三三一頁〔明治三九年九月〕(DK080066k-0013)
第8巻 p.741-744 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕日本鉄道史 中篇・第四五九―四六一頁〔大正一〇年八月〕(DK080066k-0014)
第8巻 p.744-745 ページ画像

日本鉄道史 中篇・第四五九―四六一頁〔大正一〇年八月〕
参宮鉄道社ハ明治二十三年八月津・小俣間ノ免許状ヲ受ケ、二十五年十一月関西鉄道ニ連絡ノ為、津市大字阿漕町ヨリ同市下部田ニ至ル二哩四十六鎖延長ノ認可ヲ受ケ、渡辺嘉一ヲ聘シテ主任技師トシ、翌二十六年二月下旬工事ヲ起シ、之カ為田丸及松坂ニ出張所ヲ設ケタリ線路ハ当初勾配百分ノ一ノ設計ナリシカ、関西鉄道線亀山・津間六十分ノ一ナルニ鑑ミ、認可ヲ経テ之ヲ六十六分ノ一ニ改メタリ、二十六年十二月工事落成シ、小俣ニ於ケル停車場ヲ宮川ト命名シ、三十一日津・宮川間二十三哩五十八鎖開通シ、宮川・亀山間直通運転シタリ
明治二十七年十二月小俣ヨリ宇治山田町ニ至ル延長ノ免許ヲ申請シ、二十九年一月二十四日免許状ヲ受ケ、三十年八月出張所ヲ宇治山田町大字宮後町ニ設置シ、之カ工事ニ従ハシム、十一月十一日宮川・山田間二哩三十七鎖開通ス、是ニ於テ津・山田間二十六哩十五鎖全通ス
○中略
会社ハ当初其位置ヲ津市中新町ニ定メタリシカ、明治二十六年十二月津・宮川間開通ニ際シ之ヲ小俣村ニ移シ、翌二十七年八月宮川停車場
 - 第8巻 p.745 -ページ画像 
構内事務所落成シ、之ニ移転シ、三十年十二月宮川・山田間開通ニ際シ更ニ山田停車場構内ニ移シタリ
○中略
会社ノ資本金ハ当初六十五万円ナリシカ、後之ヲ五十五万円ニ改メ、明治二十六年度ニ於テ之ヲ一百十万円トシ、二十八年度ニ於テ之ヲ一百三十五万円トシ、三十年度ニ於テ之ヲ一百六十五万円トシ、三十四年度ニ於テ更ニ之ヲ一百九十万円トセリ、之ニ対スル払込額ハ、三十八年度ニ於テ全額ニ達シタリ、開業線路ハ三十年度以来二十六哩十鎖〔訂正又ハ線路変更等ノ為五鎖ヲ減セリ〕○下略

渋沢栄一伝記資料 第八巻 終