デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
11款 北越鉄道株式会社
■綱文

第9巻 p.17-23(DK090003k) ページ画像

明治27年4月(1894年)

栄一先キニ北越地方ノ鉄道敷設計画ニ関係シ来リシガ、是月北越鉄道株式会社創立発起人トシテ、新潟県直江津官線停車場ヨリ柏崎・長岡・新津ヲ経テ新発田ニ至ル間、並ニ新津ヨリ分岐シテ沼垂(新潟)ニ至ル間ノ鉄道敷設ヲ出願ス。同年七月仮免状ヲ下付セラル。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九七六―九七八頁 〔明治三三年六月〕(DK090003k-0001)
第9巻 p.17-18 ページ画像

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九七六―九七八頁〔明治三三年六月〕
    第十三節 北越鉄道会社
○中略
明治二十年三月先生及山口権三郎等十七名《(マヽ)》ノモノ発起トナリテ、該鉄道敷設ニ関シ、左ノ願書ヲ新潟県知事ニ差出シタルコトアリ
    越後国直江津ヨリ新潟迄鉄道敷設之義ニ付願
 越後国直江津以南信州ニ達スル鉄道ノ義ハ、既ニ政府ニ於テ御起業相成、越後人民ノ幸慶不過之義ト奉存候、然ルニ、元来同国中最モ人口稠密ニシテ、且多額ノ産物ヲ出スノ地ハ、重ニ刈羽以北蒲原郡ニ有之、殊ニ新潟港ハ従来貨物集散ノ要地ニ有之候、右線路ヲシテ直江津ニ止マラシムル時ハ、終ニ越後全国ノ利便ヲ達スルコト能ハス、実ニ遺憾ノ至ニ付、此ノ際私共会社ヲ創立シ、直江津ヨリ新潟迄ノ間鉄道ノ敷設ヲ経画仕度奉存候得共、猶篤ト熟考仕候ニ、此ノ間道路僅ニ卅里ニ出テサルノ線路ヲ私設シ、之ヲ直江津以南ノ官線ニ連絡スルモノトセハ、彼此各其事業ノ管理ヲ異ニスルカ故ニ、官私両線ノ交会スル所常ニ車軸流通ノ便ヲ欠キ、業務円滑ノ機ヲ失スルノ恐アルノミナラス其他種々ノ不便モ有之、鉄道工事ノ如キ、元来私共ニ於テ経験無之義ニ付、此ノ事業ヲ挙テ私立会社ノ管理ニ属セシムルニ於テハ、営業上充分ノ収利ヲ期シ難ク奉存候、乍去今其収利ノ期シ難キヲ以テ此企図ヲ停止セハ、直江津以北ノ地ハ或ハ鉄道ノ便利ヲ永遠ニ見ル能ハサルヤモ難測、北越ノ人民ニ於テハ殊ニ痛心ノ次第ニ付、仰願クハ此ノ間ノ鉄道ハ、政府ノ御管理ヲ以テ御敷設相成度、而シテ右鉄道ニ関スル一切ノ資金ハ、私共有志者ニ於テ共同支出可仕候ニ付、右事業上ヨリ生スル純益金ハ、右出金高ニ応シ御配当被成下度、且又此ノ線路ヲ政府ニ於テ御管理被成下置候ニ於テハ、相応ノ純益可有之義トハ奉存候得共、現ニ碓氷嶺御開鑿工事ノ至難ナル義モ承リ、及ヒ中仙道線ニ連絡ノ有無等ニ付テハ不安心ヲ抱キ居候場合ニ付、当分ノ内右純益金ヲ年四朱迄政府ニ於テ御保証被成下度、想フニ此ノ線路延長ノ為メ、直江津以南ノ官線ニモ多少ノ御便宜可有之哉ニ奉恐察候間、何卒前条ノ願旨御許可被成
 - 第9巻 p.18 -ページ画像 
下候様仕度、依テ別紙請願条目相添、此段奉願上候也(請願条目略ス)


第四回鉄道会議議事速記録 第五号明治二七年五月一一日(DK090003k-0002)
第9巻 p.18 ページ画像

第四回鉄道会議議事速記録 第五号明治二七年五月一一日
(鉄道省所蔵)
    北越鉄道株式会社創立願
発起人某等謹テ奉稟請候、北越ノ地形タル、東西南ノ三方ハ山岳畳重之ヲ囲繞シ、北方海ニ面シ平陸広袤数百十里、人口蕃庶、水陸田ニ富ミ、又山海ノ産物尠シトセス、就中米穀石油ノ如キハ本邦無二ノ多額ヲ産出シ、近キハ上信羽ノ前後、遠クハ四国・九州・東京・北海道其他海運ニ拠リ輸出スト雖トモ、春冬ノ二季ハ北海ノ恒トシテ海上不穏ノ為メ航海絶無、河川ニ拠ランカ、信濃阿賀其他ノ諸川舟楫ノ便アリト雖トモ、僅ニ北越数局部ノミニ止リ、陸路ハ山岳畳重道路峻嶮ニシテ、車馬ノ便ヲ欠ク、著名ノ産物夥多春冬二季間ハ空敷庫中ニ蔵置シ、各地市場ノ商況ヲ聞クモ、前陳運輸ノ途遮断セルヲ以テ、雪窓炉辺ノ一話ニ付シ去ルノミ、又如何トモ為ス能ハス、実ニ不便不利ノ極度ニ達シ、随テ起ルヘキノ事業ヲ沮却シ、殖産発達ノ途ヲ擁塞ス、人民ノ不幸ハ勿論、国家経済上看過スヘカラサル次第ニ有之、依テ不肖等発起シ、直江津ヲ起点トナシ、柏崎・長岡・三条・加茂・新津ヲ経テ新発田ニ至ル本線、及新津ヨリ分岐シ沼垂(新潟)ニ至ル支線、併テ九拾八哩四拾五鎖ノ鉄道ヲ布設シ、前陳運輸交通ノ便ヲ開キ、又軍事上ニ於ケルモ、東京ト新発田兵営トノ連絡ヲ為スハ今日ノ急務ト奉存候抑此区間ノ鉄道タル、去ル明治十七年有志相謀リ布設出願セシモ聴許セラレス、更ニ明治二十年再願セシモ是亦採用不相成、延イテ二十一年ヨリ二十二年ニ至リ鉄道局ニ於テ実測セラレ、二十三年第一期帝国議会ニ於テ、直江津既成線ヲ延長シ、柏崎間鉄道布設ノ議政府案トシテ提出セラレシモ、不幸ニシテ成立タス、漸ク北越鉄道ノ軍事並ニ経済上ニ欠クヘカラサルノ議起リ、信越・上越・岩越或ハ豊野線等陸続トシテ其得失ヲ説クニ至ル、第四議会ニ於ケル政府案トシテ提出ニ係ル比較線ノ内ニ於テモ、直江津線ヲ賛成セラル、該線ハ地形平易ニシテ建設容易、営業上ノ収益ニ於ケルモ他線ニ優ル最上ノ線路ト確信仕候ニ付、私設鉄道条例ニ遵ヒ、右ニ関スル起業目論見書及仮定款其他ノ書類相添、奉悃願候、速ニ御認許被成下度候 頓首
             発起人
  明治二十七年四月    東京市深川区福住町四番地
                      渋沢栄一
                         外二十名
    逓信大臣 伯爵 黒田清隆殿


第三課文書類別 農商・鉄道ニ関スル書類明治二八年第一種ノ一(DK090003k-0003)
第9巻 p.18-22 ページ画像

第三課文書類別 農商・鉄道ニ関スル書類明治二八年第一種ノ一 (東京府庁所蔵)
    ○
第二十四号
    仮免状
             北越鉄道株式会社発起人
                    渋沢栄一
 - 第9巻 p.19 -ページ画像 
                        外三百六十名
右出願ニ係ル北越鉄道株式会社ノ発起ヲ認可シ、既成官線直江津停車場ヨリ新潟県下新発田ニ至ル鉄道、及該線中新津ヨリ分岐シ沼垂ニ至ル鉄道敷設ノ為メ、同線路ヲ実地測量スルコトヲ許可ス
  但、此仮免状下付ノ日ヨリ起算シ満十八ケ月以内ニ、私設鉄道条例第三条ノ書類図面及商法第百六十六条ノ書類ヲ差出シ、免許状ノ下付ヲ申請セサルトキハ、此仮免状ハ無効タルヘシ
  明治二十七年七月廿六日
              逓信大臣 伯爵 黒田清隆
      ○
鉄第六六八号
                       東京府 知事
北越鉄道株式会社発起人渋沢栄一外三百六十人ヘ鉄道敷設仮免状下付候条、同人等ヘ交付シ、該仮免状指定期限内ニ制規ノ図面書類ヲ差出サシムヘシ
  明治二十七年七月廿六日
           逓信大臣 伯爵 黒田清隆
      ○
一北越鉄道株式会社仮免状 一通
右正ニ領収仕候也
                 北越鉄道株式会社
  明治二十七年七月二十八日    発起人総代
                   波多野伝三郎 (印)
      ○
    起業目論見書
第一 当会社ハ株式組織トス
第二 当会社ハ鉄道ヲ布設シ、旅客及荷物運輸業ヲ営ムヲ以テ目的トス
第三 当会社ハ社名ヲ北越鉄道株式会社ト称シ、本社ヲ東京市、支社ヲ新潟市ニ置ク
第四 当会社ノ布設スヘキ線路ハ、新潟県中頸城郡直江津町停車場ニ起リ、同郡潟町・柿崎・鉢崎、刈羽郡柏崎・広田、三島郡宮本古志郡長岡町、南蒲原郡見付・三条・加茂、中蒲原郡矢代田・新津、北蒲原郡小島・水原ヲ経テ《(脱アルカ)》、沼垂(新潟市)ニ至ルヲ支線トス、即チ別紙略図ノ如シ、其哩程ハ九拾八哩四拾五鎖トス(本線八拾八哩、支線拾哩四拾五鎖)軌道幅員三呎六吋トス
第五 当会社ノ資本金ハ参百七拾万円トシ、之ヲ七万四千株ニ分チ壱株ノ金額ヲ五拾円トス
第六 鉄道ノ布設費用及運輸営業ノ収支概算左ノ如シ
   一金参百七拾万円        総額
    内訳
    金四千九百参拾円       線路予測費
    金七万千参百五拾七円     工事監督費
    金弐拾四万六千五百円     用地費
 - 第9巻 p.20 -ページ画像 
    金六拾七万六千五百七拾参円  土木費
    金六拾九万四千百弐拾弐円   橋梁費
    金拾六万六千六百円      コルベルト費
    金弐万四千六百五拾円     伏樋費
    金四拾九万弐千弐百五拾円   隧道費
    金七拾五万円         軌道費
    金七万五千円         停車場費
    金参拾万円          車輛費
    金弐万円           器械場費
    金壱万五千円         諸建物費
    金五万円           運送費
    金弐万五千円         建築用汽車費
    金弐万円           建築用具費
    金四千五百円         柵垣及境界杭費
    金五万参千五百拾八円     総係リ費
    金壱万円           電信架設費
   一金四拾壱万参千七百拾円    収入総額
    内訳
    金弐拾五万弐千百八拾四円   旅客収入
    金拾六万千五百弐拾六円    荷物収入
   一金弐拾壱万八千五百弐拾円   支出総額
    内訳
    金九万八千六百円       線路保存費
    金六万九千円         汽車費
    金参万五千二百弐拾円     運輸費
    金壱万五千七百円       総係リ費
      収支差引
   一金拾九万五千百九拾円 純益金
     但資本金参百七拾万円ニ対シ年五朱弐厘八毛弱

第七 発起人氏名及発起人各自引受クベキ株数左ノ如シ
   壱千株  今村清之助    壱千株  梅浦精一
   壱千株  蜂須賀茂韶    五百株  前島密
   壱千株  原六郎      弐百株  近衛篤麿
   五百株  波多野伝三郎   五百株  小室信夫
   五百株  本間英一郎    五百株  佐藤里治
   壱千株  大倉喜八郎    参百株  笹田伝左衛門
   五百株  奥田正香     五百株  銀林綱男
   壱千株  渡辺治右衛門   壱千株  渋沢栄一
   壱千株  渡辺福三郎    五百株  籾山半三郎
   五百株  笹原文治郎    壱千株  末延道成
   壱千株  高田慎蔵     ○中略
    合計  七万参千弐百株  三百六拾壱人
 - 第9巻 p.21 -ページ画像 
第八 存立時期ハ予定セス
 右之通相違無之候也
  明治二十七年 月 日
                     発起人 連署
右ハ逓信省ヘ差出タル起業目論見之写ニシテ当会社ニ於テ原本トシテ保存スルモノニ相違無之候也
  明治廿七年六月
                北越鉄道株式会社創立事務所

      ○
    発起人総代之義ニ付答申
本月二日発起人総代ニテ本会社設立免許ノ申請ニ及候理由、掛官ヨリ御尋ネニ付、左ニ
明治二十七年五月四日及六月八日本会社発起人会ヲ開キ、会長ニ渋沢栄一ヲ推薦シ、本会社設立ノ免許ヲ得テ其事務ヲ取締役ニ引渡スマデ発起人ヲ代表セシメ全般ノ事務執行ヲ委任スルカ為メニ、創立委員五名ヲ置キ、之レガ撰定ハ会長ニ専任セントコトヲ発議シ、直ニ全会一致ヲ以決定シ、会長ハ末延道成・平岡熙・前島密・山口権三郎・本間新作ノ五名ヲ指名撰定シ、尋テ同月十一日創立委員ノ互撰ヲ以前島密ヲ委員長ニ挙ケラレ、即チ発起人委任ノ権限ニヨリ、本月二日発起人総代トシテ本会社設立免許ノ申請ニ及候次第ニ御座候、依テ発起人会決議ノ抄録相添、此段及答申候也
  明治二十八年七月十六日
               北越鉄道株式会社
                創立委員長 前島密 (印)
    逓信大臣 渡辺国武殿

(別紙)
  明治二十七年五月四日
    北越鉄道株式会社発起人会決議録抄録
   創立委員之事
創立委員数名ヲ置キ、本会社設立ノ免許ヲ得テ其事務ヲ取締役ニ引渡スマデ、発起人ヲ代表シ全般ノ事務執行ヲ委任スヘシ、而テ創立委員其人ハ会長ノ指定ニ任ス
会長ハ末延道成・平岡熙・銀林綱男三氏ヲ指名シ、創立委員ニ任ス
右全会一致ヲ以決定ス
                    渋沢栄一  (印)
                    今村清之助 (印)

(別紙)
  明治廿七年六月八日
    北越鉄道株式会社発起人会決議録抄録
   創立委員之事
前会(五月四日)ニ於テ決議セル創立委員ハ、権限ヲ以其事務ヲ協議執行スルニハ五名ヲ以適当スヘシ
銀林綱男氏ハ余義無キ事由アルヲ以其辞退ヲ許スヘシ、創立委員ノ新任及ヒ補欠トモ其撰定ハ会長ニ専任スヘシ
 - 第9巻 p.22 -ページ画像 
会長ハ前島密・山口権三郎・本間新作三氏ヲ指名シ、創立委員ニ任ス是ニ於テ末延道成・平岡熙両氏ヲ合セ五名、委員トス
右全会一致ヲ以決定ス
                    渋沢栄一  (印)
                    今村清之助 (印)



〔参考〕岸宇吉翁 (小畔亀太郎編) 第九六―九八頁〔明治四四年一〇月〕(DK090003k-0004)
第9巻 p.22 ページ画像

岸宇吉翁 (小畔亀太郎編) 第九六―九八頁〔明治四四年一〇月〕
    三、北越鉄道
後二年○明治十七八年翁は直江津から新潟までの鉄道を計画された。曩に海岸線たる理由の下に信越線を排斥せる翁としては矛盾のやうに感ぜらるゝけれど、然し上越線不認可と決せる上は、上信二州を横断して現に直江津まで敷設しある官線を新潟まで延長するやう企画するは当然のことである。
翁は此鉄道計画に就て万事を渋沢男爵に相談されたが、地方に於て翁と共に尽力されたのは笠原文平・遠藤亀太郎・渡辺清松・山口万吉・小林伝作・目黒十郎の諸氏で、其他新潟にも同志があつた。然し当時の事情として全然民設の会社で鉄道を敷設するといふことは、資力及ばずして到底不可能である。依て渋沢男は、明治の初年に華族の一派が年々醵金をして京浜鉄道払下げの内諾を得たる(其後或る事情の為見合となりたれども)例を引き、其筋に交渉して大略左の条件を以て鉄道建設の内諾を得られた。
   一、政府は直江津新潟間の鉄道を他年北越鉄道会社に払下げの目的を以て急速建設する事
   一、会社は向ふ十ケ年位にて建設費を完納する目的を以て年々若干額を政府へ預け入るゝ事
   一、前項の預け金に対し政府は年六分の利子を会社へ支払ふ事
   一、預ケ金建設費に達したる時は政府は元価を以て全財産及び、設備を会社へ払下ぐる事
依て翁は右の主旨に依り、公然其筋へ願書を提出し、一方には地方にて株主を募集し、若干の払込金をも徴収する迄に至つた。然るに不幸にして時偶ま経済界の不況に会し、加ふるに万事に幼稚なる北越地方のことゝて、将来の趨勢等に顧みる者少なく、徒らに目前の急に齷齪し、予期の加入者を得ることが出来ず、遂に折角の払込金も払戻の已むなきに至り、随つて此計画は一時水泡に帰するに至つた。然しながら、時運の推移は翁の予見の如くに鉄道の敷設を要求して已まぬので、一時中止となつた此計画も、其後山口権三郎・久須美秀三郎・本間新作の諸氏が奮つて企画せらるゝことになり、翁亦極力之に助勢し渋沢男爵・大倉氏、其他京地の有力なる人々の賛助を得、明治廿八年に至つて遂に北越鉄道株式会社の組織を見るに至つた。


〔参考〕今村清之助君事歴 (足立栗園著) 第三七七―三七九頁〔明治三九年九月〕(DK090003k-0005)
第9巻 p.22-23 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。