デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
23款 京阪鉄道株式会社
■綱文

第9巻 p.324-328(DK090031k) ページ画像

明治32年7月9日(1899年)

是ヨリ先明治三十年、栄一、加東徳三・岡部広・河村隆実・佐分利一嗣・渡辺嘉一等ト京阪鉄道ノ創立ヲ発起シ、後創立委員長トシテ奔走、特ニ軍当局ト屡々折衝スルトコロアリシガ、是日桂陸相ニ大阪停車場用地トシテ陸軍所轄地ノ下附ヲ請願ス。引続キ尽力シ仮免状ヲ得タルモ、明治三十五年外遊ノタメ中断シ、栄一帰朝前ノ同年十月失効シテ止ム。


■資料

青淵先生公私履歴台帳 明治三十三年五月十日調(DK090031k-0001)
第9巻 p.324 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳 明治三十三年五月十日調
                    (渋沢子爵家所蔵)
明治三十二年
一京坂鉄道株式会社ノ創立委員長トナル
  同鉄道ハ大坂・京都間ニ一新線路ヲ開キ、両地ノ交通ヲ便ニスルヲ目的トシテ、元近畿鉄道ノ創立ニ等シキ趣旨ヲ以テ発起シタルモノニシテ、撰ハレテ其創立委員長トナリ、専ラ其成立ニ力ヲ尽シツヽアリ
   ○本章第十三款京北鉄道明治二十八年十月一日ノ項所掲ノ「青淵先生公私履歴台帳」ノ記事(本巻第九〇―九一頁)参照。


青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九九七頁 〔明治三三年六月〕(DK090031k-0002)
第9巻 p.324 ページ画像

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・九九七頁〔明治三三年六月〕
○上略 近畿鉄道ハ官設鉄道ニ接近スルヲ以テ許可ヲ与ヘサリシカ、其後軍事上必要ナリトノ論起リ、明治三十二年京阪鉄道会社ニ許可スルコトヽナレリ、京阪鉄道会社ハ即チ近畿鉄道会社ノ相続者ニシテ、先生亦其発起人タリ
   ○後出「日本鉄道史」ニ依レバ仮免状ヲ下附サレシハ明治三十三年ナリ。ココニハ訂正ヲ加ヘズ。


中外商業新報 第四五四五号〔明治三〇年四月一四日〕 近畿鉄道の再願(DK090031k-0003)
第9巻 p.324 ページ画像

中外商業新報 第四五四五号〔明治三〇年四月一四日〕
    近畿鉄道の再願
近畿鉄道は鉄道会議にて却下と決したるに付、創立委員諸氏は去る九日東京銀行集会所に委員会を開き、種々協議の末、線路を多少変更して名称を京坂鉄道と改め再願することに議決し、去る十二日願書を逓信省に差出したりと云ふ。


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 ○(明治三一年)四月三〇日(DK090031k-0004)
第9巻 p.324-325 ページ画像

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (八十島親義氏所蔵)
 ○(明治三一年)四月三〇日
 - 第9巻 p.325 -ページ画像 
○上略 釜山迄京北鉄道会社より之電報相達し、一昨廿八日之創業総会ニて京坂鉄道之許可模様も大ニ望ある様子ニ付兎ニ角本免状御下付之申請致候事ニ相決し候、就而ハ委任状差出候様との事詳細ニ申来候、就而米倉氏へ不取敢電報相発し、委任状ハ貴兄へ申遣候間受取可申と相答遣し候、依而貴兄へも其段打電仕候ニ付、夫々御取扱被成候事と存候
○中略
  四月三十日
                      渋沢栄一
    八十島親徳殿

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 ○(明治三一年)五月一三日(DK090031k-0005)
第9巻 p.325 ページ画像

 ○(明治三一年)五月一三日
○上略 岡部広より京坂鉄道許可可相成旨電報有之候、是又御序木村より挨拶申通候様可被成候
○中略
  五月十三日
                      渋沢栄一
    八十島親徳殿


東京経済雑誌 第三九巻第九七五号・第八二一頁〔明治三二年四月二二日〕 ○京坂・京北両鉄道合併の協定(DK090031k-0006)
第9巻 p.325 ページ画像

東京経済雑誌 第三九巻第九七五号・第八二一頁〔明治三二年四月二二日〕
    ○京坂・京北両鉄道合併の協定
去十一日京坂鉄道創立委員会を開き、同鉄道を京北鉄道に合併することに関し、左の協定書を処決せり
   協定書
京北・京阪両鉄道を合同し一会社の事業となすため、京北鉄道株式会社専務取締役由利公正と京阪鉄道株式会社創立発起人惣代渋沢栄一との間に於て、左の協定をなす
一京北鉄道株式会社は、京阪鉄道株式会社の本免状下付の前に於て会社設立登記の手続を了すべし
一京北鉄道株式会社《(阪カ)》は、其出願線路全部の仮免状を受け、京北・京阪両線路の連絡を全くしたる場合に於て、京北鉄道株式会社と合併すべきものとす
一京北鉄道株式会社は、前項合併の後に於て更に京阪鉄道株式会社と改称すべし
一前項合併の時期に達するまでは、両会社各別に其事務を進行せしむるものとす
一新京阪鉄道株式会社(京阪・京北合併後の会社を云ふ)の総資本金は、京北・京阪両会社に於て起業目論見書に記載したる資本総金額を合算したるものとす
一京阪鉄道株式の分配は、惣数九万四千株の内、元近畿鉄道の株主にして同会社解散の際京阪鉄道株式会社の申込たる株主に対し、其申込二万八千六十株を頒与し、残余の株式は京阪鉄道株式会社創立委員に於て適宜分配するものとす
  但資本額減少したるときは頒与株数を減少することあるべし


渋沢栄一 日記 ○明治三二年(DK090031k-0007)
第9巻 p.325-327 ページ画像

渋沢栄一 日記
 - 第9巻 p.326 -ページ画像 
 ○明治三二年
三月十九日 晴
午前十時河村隆実・佐分利一嗣二氏来リ、京坂鉄道ノコトヲ談ス此夕東京皆川氏ヘ電報シテ明日来磯ノコトヲ促ス○下略
三月二十一日 晴
○上略 皆川四郎氏ヘ京坂鉄道ノ事ヲ談話ス○下略
四月八日 曇
朝岡部広・河村隆実氏来、京坂鉄道・京北鉄道ノコトヲ談ス○下略
四月九日 曇
○上略 午後四時川上参謀長ヲ番町ニ訪フテ、京坂鉄道ノコト及京仁鉄道ノコトヲ談ス
四月十一日 曇
○上略 十時過、京坂鉄道創立委員会ヲ開キ、加東徳三・岡部広・河村隆実、佐分利一嗣・林策一郎諸氏来会ス○下略
五月六日 晴
朝、京坂鉄道会社創立委員会ヲ開ク、渡辺嘉一・佐分利一嗣・河村隆実、林策一郎氏等来会ス○下略
六月十七日 曇
○上略 此日京坂鉄道会社創立委員会ヲ帝国ホテルニ開ク○下略
六月廿六日 曇
午前○中略佐分利一嗣来リ、京坂鉄道大阪駐車地置《(位脱カ)》ニ関シ陸軍省ニ具申ノコトヲ話ス○下略
六月廿九日 曇
○上略 午後○中略大生大佐ヲ麹町ニ訪フ、逢ハス、更ニ桂陸軍大臣ヲ官邸ニ訪ヒ、京坂鉄道ニ関スル故参謀総長トノ談話顛末及韓国京釜鉄道ノコトヲ談話ス○下略
六月三十日 雨
午前九時参謀本部ニ於テ大生大佐ニ面会シ、京坂鉄道ニ関スル事由ヲ陳フ、更ニ大迫次長ニ面シテ同シク京坂鉄道ノコトヲ請願ス○下略
七月五日 晴夕雨
午前○中略大森○敏寛氏ト共ニ、天満橋南詰ナル陸軍偕行社及衛戍病院地所ヲ一覧シ、京坂鉄道停車場敷地ノコトヲ協議ス○下略
七月六日
午前内貴甚三郎氏来ル、京坂鉄道ノコトヲ談ス○下略
七月九日 雨
午前十時桂陸軍大臣ヲ官邸ニ訪ヒ、京坂鉄道大坂停車場位置ニ付、陸軍所轄ノ地所下付ノコトヲ請願ス○下略
七月十五日 曇
午前京坂鉄道会社創立委員会ヲ兜町邸ニ開ク、加東・河村・佐分利諸氏来ル、頃日来桂大臣ニ面話ノ顛末及京都ニ於テ内貴市長ト談話セシ次第、且去ル二日田中源太郎氏来議ノコト等ヲ談ス
十月廿六日 晴
○上略 午後一時第一銀行ニ抵リ、重役会ヲ開ク、岡部広来リテ京坂鉄道ノコトヲ談ス○下略
 - 第9巻 p.327 -ページ画像 
十月三十一日 曇
午前○中略京坂鉄道会社創立委員会ヲ開ク、加東徳三・河村隆実・林策一郎・岡部広・木村総介来ル○下略
十一月一日 雨
○上略 午後○中略大生大佐ニ面会シテ京坂鉄道線路ニ係ル大坂鎮台ノ土地衛戍病院輜重兵営ノコトヲ談話ス○下略
十二月十四日 曇夕雨
○上略 午後○中略四時築地瓢屋ニテ京坂鉄道会社委員会ヲ開ク○下略
十二月二十七日 晴
午前兜町宅ニ於テ平沢・河村二氏ト会シテ京坂鉄道ノコトヲ話ス○下略

渋沢栄一 日記 ○明治三三年(DK090031k-0008)
第9巻 p.327 ページ画像

○明治三三年
三月二十四日 雨
○上略 午後一時兜町宅ニ於テ京坂鉄道会社委員会を開ク、加東・河村・佐分利・渡辺嘉一氏等来会ス○下略
六月十一日 雨
午前○中略京坂鉄道創立委員河村隆実・加東徳三・渡辺嘉一・林策一郎佐分利一嗣諸氏来会ス、要件数項議決ス○下略
六月十三日 曇
○上略 午後四時三井集会所ニ於テ催シタル台湾糖業会社創立ノ談話会ニ出席ス○中略児玉総督モ出席セラレシヲ以テ、彼ノ京坂鉄道ノコトニ関シ、大坂停車場ノ土地譲与ニ付テノ配意ヲ托ス○下略
六月十四日 晴
午前河村隆実来ル、昨日児玉総督ニ依頼セシ大坂陸軍省ノ土地ニ関スルコトヲ詳話ス○下略
八月十八日 大雨
○上略 午後東京ニ於テ京坂鉄道起発人会ヲ開クノ約アリシモ、降雨強キヲ以テ電報出席ヲ謝絶ス

渋沢栄一 日記 ○明治三四年(DK090031k-0009)
第9巻 p.327 ページ画像

○明治三四年
四月二十三日 曇
午前○中略十一時商業会議所ニ抵リ京坂鉄道発起人会ニ出席ス、加東徳三・渡辺嘉一・佐分利一嗣・林策一郎出席ス、善後方策ヲ議決シ○下略
○栄一、明治三十五年五月十五日東京発欧米巡遊ノ途ニ上リ、十月三十一日帰朝ス。


日本鉄道史 下篇・第七五八頁〔大正一〇年八月〕(DK090031k-0010)
第9巻 p.327-328 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

東京経済雑誌 第四八巻第一一九〇号・第三七頁〔明治三六年七月四日〕 ○関西鉄道の京阪線買収談(DK090031k-0011)
第9巻 p.328 ページ画像

東京経済雑誌 第四八巻第一一九〇号・第三七頁〔明治三六年七月四日〕
○関西鉄道の京阪線買収談 京阪鉄道と云ふは、京都より伏見を経て大阪に達する、官線と併行するものなるが、先年同鉄道の技師長佐分利一嗣氏沿線実測以来、財界不振の為め一時中止ともなり、容易に敷設の模様なきに付、沿道の住民は之を不便とし、頻りに速成を希望し、昨今は右速成の一手段として、関西鉄道の網島駅より山城国大住に達する線中八幡分岐線を延長して伏見及京都に達せしむ可しとの意見を唱ふる者あり、関西鉄道の株主中之に賛成する者少なからずとのことにて、或は同鉄道より京阪線買収談を持ち込むに至るやも知れずと云ふ、併し同線は交通最も頻繁なる京阪両地を接続するものにして前途頗る有望なれば、京阪鉄道会社に於て多分買収に応ずまじきかといふ