デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
25款 其他ノ鉄道 4. 南豊鉄道株式会社
■綱文

第9巻 p.357-359(DK090037k) ページ画像

明治29年7月1日(1896年)

南豊鉄道株式会社設立セラル。栄一株主ノ一員タリ。後三十一年六月十日会社解散ス。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九九九―一〇〇一頁 〔明治三三年六月〕(DK090037k-0001)
第9巻 p.357-358 ページ画像

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第九九九―一〇〇一頁〔明治三三年六月〕
    第二十一節 南豊鉄道会社
南豊鉄道株式会社ハ明治廿八年ノ交創立シタルモノニシテ、豊後国大
 - 第9巻 p.358 -ページ画像 
分郡大分町ヲ起点トシテ、南ハ同国直入郡竹田町ニ至リ、西ハ豊国前国宇佐郡長洲町ニ達スル延長七十余哩ノ間ニ鉄道ヲ布設セントスルモノナリ、同鉄道敷設発起ノ趣意書ニ曰ク
 豊後国ハ気候温和ニシテ土地肥沃海陸ノ物産饒多ナリ、沿海又数口ノ港湾アリテ出入ノ旅客貨物尠ナカラス、唯従来運輸ノ便未タ十分ナラサルモノアリ、為メニ商路ヲ阻塞シ、生産ノ発達ヲ妨害スルコト甚シ、近時道路ノ開修セラレタルト汽船ノ出入稍繁ヲ加ヘタルトニ依リ大ニ面目ヲ改メタルカ如シト雖モ、尚ホ靴隔掻痒ノ憾ナキ能ハス、更ニ進テ鉄道ヲ敷設シ、改良サレタル運輸機関ヲ備具セン乎乃チ生産力ノ大ニ増進スヘキハ勿論、旅客ノ出入貨物ノ集散之ヲ今日ニ比シテ其幾何ノ多キヲ加フルコトヲ測ル可ラス、地方開発ノ点ヨリ之ヲ観ルモ鉄道事業経営ノ点ヨリ之ヲ察スルモ好望海ノ如クニシテ一日ヲ空フスルニ堪ヘサルモノアリ、是レ吾輩カ今回南豊鉄道ノ敷設ヲ計画シ、本年十一月五日ヲ以テ出願ニ及ヒタル所以ナリ
 南豊鉄道ハ豊後国大分郡大分町ヲ起点トシテ、南ハ同国直入郡竹田町ニ至リ、西ハ豊前国宇佐郡長洲町ニ達シ、豊州鉄道ノ終点ニ接続スルモノニシテ延長七十余哩ナリ、豊州鉄道ハ九州鉄道ニ接続シ当南豊鉄道ハ則チ豊州鉄道ニ接続スルカ故ニ、九州西北部ノ各都邑ト東南ノ要部ト数百哩ノ間爰ニ始メテ連絡ヲ通スルコトヲ得ヘク、東ニ竹田線ヲ延長シ、西行シテ熊本ニ達シ、九州鉄道ニ接続スルトキハ、乃チ九州ノ一大横断線ヲ形成シ、軍事上ニ経済上ニ其便益ヲ与フルコト頗ル大ナルヘシ、又九州ノ縦貫線トシテ、法律上ニ予定サレタル日向線ノ完成ヲ見ルニ至レハ、東南ノ要地ヲ経過シテ、近ク日隅薩ノ諸国ト相接続シ、地方ノ商線大ニ拡張スルト同時ニ鉄道営業ノ利益愈々大ナルヘシ、九州将来ノ鉄道系統ニ於ケル当南豊鉄道ノ関係実ニ斯ノ如シ、前途ノ益々多望ナル多弁ヲ要セサルナリ
 九州ノ商売ハ概ネ大阪ヲ以テ中心トス、其商線多クハ此ノ一大中心ニ向テ集注ス、而シテ豊後ノ港湾ハ九州ト大阪トヲ接続スヘキ最短距離ノ海路ニ当レルカ故ニ、鉄道ノ完成ニ伴フテ海運ノ設備整フトキハ、当鉄道ノ利用更ニ大ナラサルヲ得ス
 豊後ノ地素ト温泉ニ富ム、当鉄道ノ経過スル所、繁昌ナル浴場点々相望ム、霊泉ノ効ト山水ノ美ト両ナカラ多ク類ヲ見サルノミナラス魚介ノ潤沢ナル、鳥獣蔬菜ノ豊富ナル、浴客ヲシテ容易ニ快楽ノ物ヲ得セシムルコト、是レ豊後温泉ノ特長ナリ、鉄道ノ全通ニ至レハ浴客倍蓰シテ数十万ノ多キニ至ランコト期シテ望ムヘシ、又当鉄道ノ一大利源ナリ
 吾輩カ今回ノ企ヲ促サレタル所以ノモノ凡ソ以上所述ノ事情ニ因レリ、然レトモ別項掲ル所ノ収支ノ概算ハ皆既往ノ実地調査ニ得タル結果ヲ其儘ニ表出シタルモノニシテ、即チ鉄道ノ未タ通セサル今日ノ現計ナリ、鉄道開通ノ後ニ至リ更ニ其幾何ノ増加ヲ見ルヘキ乎、今敢テ之ヲ推測誇張セサルノミ、云々
同会社ノ資本額ハ二百八十万円ニシテ、先生ハ株主ノ一人ナリ


日本鉄道史 中篇・第六八五―六八六頁〔大正一〇年八月〕(DK090037k-0002)
第9巻 p.358-359 ページ画像

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