デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
26款 東京馬車鉄道会社
■綱文

第9巻 p.378-396(DK090044k) ページ画像

明治13年12月28日(1880年)

是ヨリ先、谷元道之・種田誠一等東京市街ニ馬車鉄道ヲ敷設センコトヲ計画シ、是日東京馬車鉄道会社創立セラル。栄一、谷元・種田等トノ関係ヨリ其勧メニ応ジテ株主タリ。且ツ要務ノ協議ニ与カリシモ後チ事業盛大ヲ致スニ至リテ止ム。


■資料

青淵先生六十年史 第二巻・第三二三頁 〔明治三三年二月〕(DK090044k-0001)
第9巻 p.378 ページ画像

青淵先生六十年史 第二巻・第三二三頁〔明治三三年二月〕
東京馬車鉄道会社ハ明治十三年、谷元道之・種田誠一等ノ創立ニ係ル青淵先生ハ二人ト懇意ノ間柄ニシテ、其勧メニ応シ株主ニ加入シ、常ニ二人ノ依頼ニヨリテ会社要務ノ協議ニ与カル、後チ数年事業盛大ヲ致スニ至リ之ヲ止ム


中野武営翁の七十年 (薄田貞敬編)第八三―八四頁〔昭和九年一一月〕(DK090044k-0002)
第9巻 p.378 ページ画像

中野武営翁の七十年 (薄田貞敬編)第八三―八四頁〔昭和九年一一月〕
○上略 中野翁の最も精神を打込んだ仕事で、其の社会人として天下に名を知らるゝに至つた登竜門ともいふべきは、寧ろ東京馬車鉄道会社であつたのでせう。中野翁の馬車鉄勤務は、其代議士生活と同じ明治二十三年から始まるのです。一体此の馬車鉄道会社は、明治十三年頃、谷元道之・種田誠一氏等の創立したもので、当時渋沢栄一氏も、右両人と懇意の間柄とて其勧めに応じ株主となり、常に会社要務の協議に与かつたといふのです。其後同会社の業務が緒に就いたので、渋沢氏は協議に与かることもだんだん少くなつて居たやうです。然るに其後の会社の業績思はしからず、明治二十三年頃には到底立ち行かぬ羽目となつたのです。それといふものは、元来此の会社は資本金五十万円を算して居たものゝ、谷元社長・種田副社長が個人として十七万円の負債を作り、而も其金は此会社の資本を流用した形になつて居るのです。それで、此の両人は精算されるとなると大変困るので、何れにか救ひの手を求めて焦慮中、遂に大隈伯へ泣き付いたものらしく、同伯から牟田口元学氏へお鉢が廻つて来たのです。それで牟田口氏が此会社を承け継ぐ事となり、就ては誰れかに一人補助役が入用といふ事から河野敏鎌氏の鑑識で、中野武営翁を推挙したといふ順序です。
   ○種田誠一ニツキテハ、第四巻、第一国立銀行明治七年二月二十三日ノ項(第六十七頁)及ビ第七十六頁参照。


東京馬車鉄道会社申合規則 第一―一七頁(DK090044k-0003)
第9巻 p.378-380 ページ画像

東京馬車鉄道会社申合規則 第一―一七頁
   第一条
当会社設立ノ本旨タル、我邦海運ノ便既ニ其緒ニ就クモノアリト雖トモ、陸運ノ便ニ於ケル未タ其道ヲ得ルニ到ラズ、今ヤ物産ヲ繁殖シ、
 - 第9巻 p.379 -ページ画像 
通称貿易ヲ盛ナラシメント欲スルノ秋ニ方リ、一ノ大欠典ト云ハザルベカラス、殊ニ人力車業ノ如キ、我同胞ノ人衆ヲシテ牛馬ニ代ヘ、苦役ニ服セシム其醜体、実ニ視ルニ忍ビザルノミナラス、其健康ヲ害スルヤ亦甚シ、然ルニ今日ノ勢、人車ノ賤業日ニ盛ンニシテ、農工商各其本業アルモノ往々本業ヲ捨テ、人車ノ末業ニ趨クモノ日一日ヨリ多シ、今ニシテ之レヲ救済スルノ道ヲ求メズンバ、田野荒蕪シ、百工廃棄シ、遂ニ同胞ノ人衆相率ヒテ牛馬ノ賤業ニ斃レテ後已マントス、豈痛歎ニ堪ユベケンヤ、然ラバ則今日之レカ救済ヲ施コスノ道ト、陸運拡張ノ道ニ於テハ、欧米各地ニ施行スル所ノ馬車鉄道ノ業ヲ開クニアルノミ、此レ我輩同志者数名ト相謀リ、当会社ヲ設立シ、当府下市街ニ於テ馬車鉄道建築ノ業ヲ創起スル所以ナリ、而シテ幸ニ他日此業ヲシテ漸次各地方ニ敷及セシムルニ至ラバ、特リ陸運拡張ノミナラス、同胞ノ人衆末業ヲ去テ農工ノ本業ニ帰シ、遂ニ海陸運輸ノ便ニ拠リ、以テ物産ヲ繁殖シ、工業ヲ振起シ、国家富強ヲ致スノ万一ニ裨補スルアラントス、此レ当会社ヲ設立セル所ノ本旨ナリ
   第二条
前文ノ本旨ヲ達センカ為メ、同志発起者数名、夙トニ協同戮力、拮据黽勉、玆ニ年アリ、而シテ今日幸ニ官許ヲ賜ヒ、此業ニ着手スルヲ得ルニ至レリ、今其資本金ノ如キ、発起者数名ニ於テ其全額ヲ支出スベシト雖トモ、当会社設立ノ本旨ニ同意賛成スル者亦尠ナカラズ、依テ此同意者ノ加入ヲ許セリ、故ニ広ク株金ヲ玆ニ募集スルヲ要セザル所ナリ
   第三条
当会社ノ馬車鉄道ヲ建築スヘキ線路ハ、芝区新橋停車場前ヨリ起リ、一線ハ浅草広小路ニ至リ、一線ハ上野広小路ヲ経テ浅草広小路ニ達スルノ両線ニシテ、沿道市街ノ広狭ニヨリ、或ハ複線トシ或ハ単線トナシ、此単複両線合シテ長延凡十四英里ト定ムベシ
  但本文線路ノ外、漸ヲ以テ更ニ願済ノ上、他区市街ヘ線路ヲ増築スベキ目的トス
   第四条
当会社ノ資本金額ハ総計金三十万円ト定メ、之ヲ三千株ニ分割シ、壱株金百円トスベシ
  但線路建築増減ニヨリ、本文資本金額モ亦増減スル事アルベシ
   第五条
当会社ノ名称ハ東京馬車鉄道会社ト称スベシ、而シテ其本局ハ
                          (以下空白)
   第六条
当会社ノ営業年間ハ、開業ノ日ヨリ三十ケ年間ト定ム
  但営業満期ノ上尚ホ営業保護ヲ欲スルトキハ更ニ願ノ上継続スベシ
   第七条
当会社株主ノ責任ハ有限ト定メ、各自引受ケ株金額ヲ以テ限リトスベシ
○中略
 - 第9巻 p.380 -ページ画像 
   第三十二条
此申合規則ハ、当会社株主一同衆議ノ上決定シタル所ノ条款各相恪守シ敢テ違犯アルベカザルハ、各相承諾スル所ナリ、故ニ其証トシテ、社長・副社長玆ニ姓名ヲ自記シ、併セテ調印致候也
                東京馬車鉄道会社
                  社長
  明治十三年十二月           谷元道之 
                  副社長
                     種田誠一 


回議録 第二類諸会社明治十六年自一月至三月(DK090044k-0004)
第9巻 p.380-384 ページ画像

回議録 第二類諸会社明治十六年自一月至三月 (東京府庁所蔵)
  第一回 明治十五年半季実際考課状
            東京府芝区汐留町二丁目一番地
                     東京馬車鉄道会社
当会社明治十五年六月廿五日ヨリ同年十二月マテ六ケ月間実際施行シタル景況及創設以来ノ顛末、並出納諸勘定ノ各項ヲ蒐集シ、以テ東京府庁ヘ上呈スル左ノ如シ
    創立概略ノ事
一当会社創立ノ発端タル明治十二年十一月十五日ヲ以テ発起人等相会シ、府下市街ニ馬車鉄道ヲ布設シ、公衆一般ノ便益ヲ計ランコトヲ決シ、爾後屡々相会シ、着手ノ順序ヲ討論シ、或ハ欧米各国従来該業実際ノ景況ヲ参酌シ、又ハ海外各国ニ郵便電報ヲ以テ該地目下ノ現況ヲ探問シ、或ハ新橋・日本橋・浅草橋・万世橋等ニ於テ車馬ノ往来、行人ノ多寡ヲ測算シ、或ハ鉄線布設ノ道路ヲ査定スル為メ建築工師独逸人某ヲシテ実地ニ臨ミ該道市街ニ当ル広狭屈曲高低ヲ測量セシメ、或ハ図面及目論見書ヲ調製シ、工業ノ利害ヲ数回論究シ、又山林基材伐採等ヨリ本社設置ノ位地ヲ一定スルニ至ルマテ非常ニ拮据綢繆、以テ漸ク其見込ヲ確立シ、該費ヲ予算シテ資本金額三拾万円ト議決シ、該建築請願書及仕様目論見並ニ市街鉄線布設ノ全図ヲ製シ、終ニ明治十三年二月廿三日ヲ以テ東京府庁ヘ捧呈セシニ幸ニ同年十一月廿四日鉄路建築並営業ノ義ヲ認可セラレタリ、此間殆ント三百余日一日ノ閑ナク発起人ハ万般ノ事業ニ従事シ、客歳六月廿五日運転ヲ新橋ヨリ日本橋迄開始スルニ至ルマデ、月ヲ閲スル事三十二ケ月ニシテ漸ク今日ノ実施ヲ得ルニ至レリ
    株主集会決議ノ事
一明治十四年二月廿六日、当会社発起株主集会ヲ仮局ニ開キ、当任ノ正副社長及幹事ヲ撰挙シ、爾後建築工事其他着手スヘキ件々ヲ決議シ便宜処置スヘキ事項ヲ当任者ニ委任セリ
一明治十四年七月廿五日、株主集会ヲ日本橋区新右衛門町第三十三国立銀行ノ楼上ニ開キ、当時着手ノ景況ヲ株主各位ニ報告シ、且工事竣工ノ上ハ取締役ヲ撰任スベキコトニ決議セリ
    諸御達並願伺届等ノ事
一明治十三年二月廿二日、発起人連署シ、馬車鉄路建築ノ請願書ヲ府庁ニ上呈シ、同十一月廿四日建築並営業ノ允可ヲ蒙リ、併セテ命令書ヲ下附セラレ、尋ヒテ十二月二十八日、会社設立ノ允准ヲ得、同
 - 第9巻 p.381 -ページ画像 
日ヨリ京橋区三十間堀三丁目六番地ヘ仮局ヲ設ケ、社名ヲ東京馬車鉄道会社トス
一明治十四年一月十四日、会社規則ヲ決定シ、府庁ヘ上呈セシニ条件中校正ヲ要スヘキノ廉アルヲ以テ、二月廿六日更ニ改正増補ノ上之ヲ上呈セリ
一同年一月十九日、新橋鉄道局構内ニ於テ建物敷地借用ノ義ヲ同局ヘ出願ス、同年二月十三日ヲ以テ建物着手不苦旨井上鉄道局長ヨリ指令セラレタリ
一同年二月廿六日、正副社長及幹事上任ノ義並芝区汐留町二丁目一番地ヘ本局設置ノ義府庁ヘ上申セリ
一同年三月十一日、会社申合規則ヲ決定シ、府庁ヘ上呈セリ
一同年三月廿一日、新橋鉄道局構内ノ敷地ヲ借用シ、鉄路布設並厩停車場建築着手ノ義ニ付絵図面相添ヘ鉄道局ヘ上願ス、同廿九日ヲ以テ諸般着手不苦旨同局長ヨリ指令アリ、而シテ該地内軌道敷地ヲ除キ一万八千〇三十二坪ノ借地規約草按ヲ下付セラル、依テ其約定書二通ニ当任者記名調印ノ上之ヲ同局長ヘ上呈セリ
一同年九月十日、線路ニ係ル水道樋ノ修理、並将来保存ノ義ヲ府庁ヘ相伺ヒシ処、同年十一月十七日ヲ以テ馬車鉄道建築ノ線路ニ係ル水道腐朽ノ樋線ハ、京橋区南伝馬町二丁目其他五ケ所ハ十五年二月中旬起工ノ筈、此他ノ樋線ハ今後十ケ年保存ノ積ニ可心得旨府庁ヨリ下達セラレタリ
一同年十二月十二日、府庁ニ於テ馬車鉄路建築検査委員ヲ置カレ、三等属穂積敬重御用掛原竜太ノ両氏該委員ヲ命セラレタル旨ヲ達セラレタリ
一同十五年二月十五日、新橋ヨリ上野ニ至ル線路中昌平橋通リヲ万世橋ヘ変換布設致度旨出願セシ処、同年四月十二日允可セラル
一同年五月十二日、線路建築ニ要スル鉄線・木石・砂利運搬陸揚ノ為メ線路最寄河岸地数ケ所借用ノ儀府庁ヘ出願シ、直チニ允可ヲ得、爾後線道落成ノ都度漸次之レヲ返地セリ
一同年五月十七日、府知事ノ内諭ニ依リ馬喰町通リヘ単線布設シ、浅草橋通リノ線ヘ連絡ノ儀並万世橋ヨリ上野山下ニ至ル線路単線ノ処西黒門町ヲ除クノ外複線布線致度旨更ニ出願セシ処、六月三十日及七月三日ヲ以テ允可セラレタリ
一同年五月十九日、線路布設ニ付馬車ノ往来ヲ止メ、人行片側往来ノ儀ニ付警視庁ヘ上申シ、爾後建築着手都度其沿道警察署ヘ出願シ、其時々允可ヲ得タリ
一同年五月十九日、線路建築ノ儀来ル廿五日ヨリ第一区着手、新橋ヨリ日本橋迄起工致度旨府庁ヘ上申シ、同日允可セラル、爾後第二第三着手ノ節モ其都度上申允可ヲ得タリ
一同年六月十日、命令書中第五条第八条ノ但書第九条等更正ノ廉々別冊ヲ添ヘ府庁ヨリ下達セラレタリ
一同年六月十五日、馬車取締規則心得方ノ義ニ付警視庁ヘ伺書ヲ呈ス同廿日同庁ヨリ該規則中第七条・第十六条・第十七条ヲ除クノ外遵守スヘシ、但シ第一条中馭者馬丁ノ件及第二条・第八条・第九条・
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第十条ハ其手続ヲナスニ及ハス、其社ニ於テ適宜ノ取締法ヲ設クヘキ旨達セラレタリ
一同年六月十七日、線路運転上保護ノ為メ巡査派出乗車ノ儀警視庁ヘ上願ス、同十九日允可セラレタリ
一同年六月廿三日、当会社営業鑑札一葉警視庁ヨリ下附セラレタリ
一同年六月廿三日、本社ヨリ日本橋迄ノ線路竣工、馬車試運転ヲナシ同月廿五日ヨリ開業ノ旨警視東京府両庁ヘ上申セリ
一同年六月廿四日、乗車賃銭ノ金額、及線路ノ区域ヲ一定シ、警視庁ヘ上申シ、同廿四日認可セラレタリ
一同年七月二日、馬車運転規則調製施行ノ義ニ付更ニ警視東京府両庁ヘ上申セリ
一同年七月廿一日、命令書第十六条更正ノ旨府庁ヨリ達セラル
一同年七月三十一日、家屋税賦課規則ノ達アリ、現時ノ建坪図面ヲ以テ芝区役所ヘ届出タリ
一同年八月二日、浅草橋架ケ換工事中仮橋架設アルヘキニ付、当会社ハ鉄路ヲ該仮橋ニ布設シ営業致度、尤鉄路布設ノ為メ架設ノ資金ヲ増加シ一層堅牢ナラシムヘク、依テ該工事一切ヲ当会社ヘ命セラレンコトヲ府庁ヘ出願シ、九月十五日聞届ラレ、架設資金千九百九拾八円三拾弐銭五厘ノ内六百六拾弐円五拾三銭壱厘該仮橋損料トシテ府庁ヨリ下附セラレ、残額ハ当会社ニ於テ負担出金セリ
一同年十一月十四日、馬車行進中単線ヨリ複線ヘ移転スルノ際、旗標ヲ以テ合図ヲナシ来リシニ、市街雑沓往々過誤之レアルニ付、更ニ合図柱ヲ建設シ、昼ハ腕木ヲ上下シ、夜ハ灯光ヲ以テ合図セシメ度依テ先ツ浅草区茅町及諏訪町ノ両端ニ建設ノ義警視庁ヘ出願シ、同三十日允可ヲ得タリ
一同年十月廿七日、芝区汐留町二丁目ヨリ新橋停車場前ニ至ルノ単線路布設致シ度旨出願セシ処、同十一月六日允可セラレタリ
一同年十二月廿三日、芝区役所ヨリ今般共武政表ナルモノ調製ニ付、当会社馬匹頭数十六年一月一日調ヲ以テ差出スヘキ旨依頼セラレタリ
一同年十二月廿八日、当会社ノ都合ニヨリ来ル十六年一月ヨリ派出巡査拾六名ヲ減シ、其費額ヲ以テ更ニ馬丁三拾余名ヲ置キ、毎車ノ前駆トナシ、線路内ヘ彷徨スル老幼婦女ノ危険ヲ一層予防致シ度旨警視庁ヘ上願シ、十六年一月十七日允可セラレタリ
   起業顛末ノ事 略之
   線路建築ノ事 略之
   諸建築ノ事 略之
   厩馬匹ノ事 略之
   創立起業決算内訳表 略之
    営業ノ事
一当会社ノ営業タルヤ我邦創草ノ業ニシテ、当初言フベカラザルノ粉紜モアルベシト予想セシモ、開業已来今日ニ至リ意外ノ好結果ヲ得タリト云フベシ、抑当会社ノ営業ハ六月廿二日第一区線路ノ工事竣ルヲ以テ、同廿三日新橋ヨリ日本橋迄ノ間ニ於テ馬車ノ試運転ヲナシ、同
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廿五日ヨリ営業ヲ開始シタリガ、当時未タ世人ノ目撃セサル所ノ馬車ヲシテ新線路ヲ行進スルヲ以テ、道路観ル者堵ノ如ク、老弱男女線路内ニ彷徨スルヲ以テ馬車ノ行進甚タ危険ナリシ、爾後線路ヲ長延シ、運転ヲ開ク都度到ル所同景況ナリシ、右第一区ノ線路ニ於テハ線路ノ短縮ナルト、車ノ都合アルヲ以テ僅ニ六輛ノ馬車ヲ発セシカ、第二第三区ノ工事落成、線路延長スルニ随ヒ、車数ヲ増加シ、運転ヲナサシメタリ、故ニ此半季間ノ営業時日ハ六月廿五日ヨリ十二月迄ノ六ケ月余ニ渉リシモ、実際十一月三十日マテハ未タ工事全ク落成ニ至ラサルト線路中或ハ浅草仮橋架設ノ如キ新橋修繕ノ如キ、其他瓦斯管修理等アリテ運転上多少ノ障害ヲ与ヘタルヲ以テ、全線路発車ノ数ヲ平均セバ一日ニ拾八輛宛運輸ヲナシタルノ割合ニシテ、此半季間ハ充分ノ営業ヲナシタリト言フヲ得ザレトモ其収入ニ於テハ割合ヨリモ宜シキヲ得タリ、併シ後半季ニ於テ毎日平均車数三十五六輛、若クハ四十輛宛ヲ発スルニ至レバ随テ収穫ノ当半季ニ倍蓰スルニ至ル信シテ疑ハザル所ナリ
  六月廿五日ヨリ十二月三十一日ニ至ル(開業日一日休業ヲ除ク)
  日数百八十九日間
一乗客人員  百拾万六千六百弐拾参人
        一日ニ付平均五千八百五拾五人
一運転里数  此里程弐拾九万三千百里拾町五拾弐間
       此町数千〇五十五万千六百十町五十二間余
一車ノ速力
   新橋ヨリ浅草広小路ニ至ル 四十六分時間 但停車時間ヲ加算シ
   新橋ヨリ上野山下ニ至ル 四十二分時間 但同上
   新橋ヨリ全線路一周 二時間 但同上
   浅草広小路ヨリ上野山下ニ至ル 十六分時間 但同上
○中略
    株敷売買譲与ノ事 略之
    役員ノ事 略之
    損益勘定ノ事
一明治十五年六月二十五日ヨリ十二月ニ至ル当会社ノ損益金左ノ如シ
 金四万〇四百八拾九円四拾壱銭九厘 乗車賃金
 金参百円〇八銭四厘        馬糞料
 金三百七拾三円三拾銭七厘     明俵油明鑵並株式売買手数料下掃除料等
合計金四万千百六拾弐円八拾壱銭   総益金
 内
 金壱万弐千弐百七拾四円〇六銭八厘 給料
 金四百四拾九円五拾四銭七厘    税金
 金弐千三百四拾七円三拾壱銭四厘  常雇料
 金壱千三百八拾弐円七拾五銭壱厘  車掌駅者其他被服料
 金五千七百五拾壱円〇壱銭弐厘   飼料
 金百弐拾四円六拾弐銭四厘     病馬薬餌
 金六百弐拾七円六拾四銭九厘    営繕費
 金弐百五拾六円拾弐銭八厘     損害償金
 - 第9巻 p.384 -ページ画像 
 金弐百五拾八円九拾五銭五厘    乗車切符製造費
 金壱円〇五銭           諸損
 金弐千八百〇六円八拾九銭三厘   諸雑費
 金八百六拾九円弐拾八銭三厘    器械修繕費
 金壱千八百三拾四円三拾九銭四厘  線路修繕費
 金八百四拾四円七拾三銭七厘    臨時費
合計金弐万九千八百弐拾八円四拾銭五厘
差引
 金壱万千三百三拾四円四拾銭五厘  利益金
   利益金配当計算ノ事
一金壱万千三百三拾四円四拾銭五厘  利益金
  内
 金壱千百三拾三円四拾四銭     積立金
 金弐千弐百六拾六円八拾八銭壱厘  役員賞与金
 金七千八百円           配当金百円ニ付弐円六十銭年五歩二厘ノ割
 金百三拾四円〇八銭四厘      後半期繰込高
右明治十五年六月ヨリ十二月ニ至ル当会社実際所務ノ考課状前書之通
相違無之候也
  明治十六年二月
    社印
                東京馬車鉄道会社
               幹事  岩橋静彦 
               副社長 種田誠一 
               社長  谷元道之 (印)
    東京府知事 芳川顕正殿

     東京馬車鉄道会社株主姓名表

図表を画像で表示東京馬車鉄道会社株主姓名表

  姓名      住所       株数     金額                              円 川村鉄太郎             三〇〇   三〇、〇〇〇 五代友厚              二六〇   二六、〇〇〇 高須退蔵              二五〇   二五、〇〇〇 川村伝衛              一三〇   一三、〇〇〇 谷元道之              一〇〇   一〇、〇〇〇 種田誠一              一〇〇   一〇、〇〇〇 ○中略 渋沢栄一               二〇    二、〇〇〇 ○中略 計百十六名           三、〇〇〇  三〇〇、〇〇〇 




廻議録 第二類会社明治十三年従十月至十二月(DK090044k-0005)
第9巻 p.384-387 ページ画像

廻議録 第二類会社明治十三年従十月至十二月 (東京府庁所蔵)
  東京馬車鉄道会社規則
今般官准ヲ蒙リ、東京府下市街ニ於テ馬車鉄道ヲ建築シ、運輸ノ業ヲ経営センガ為メ、玆ニ当会社ヲ創立シ株主一同協議ノ上制定シタル社則ノ条々左ノ如シ
    第一条
 - 第9巻 p.385 -ページ画像 
一当会社ハ東京馬車鉄道会社ト称ス可シ
    第二条
一当会社ノ本局ハ芝区汐留町弐丁目ニ於テ設置スヘシ
    第三条
一当会社馬鉄路建築及運輸ノ営業等総テ明治十三年十一月廿四日東京府庁ヨリ下附セラレタル命令書ノ条々ヲ遵奉シテ履行スヘシ
    第四条
一当会社営業ノ期限ハ開業ノ日ヨリ向三拾ケ年間タルヘシ
    第五条
一当会社ニ於テ建築スヘキ馬車鉄道ノ線路ハ甲乙ノ二線トナシ、(甲)ハ芝区新橋際ヨリ、日本橋通リ万代橋ヲ経、上野広小路ニ至リ、夫ヨリ下谷広徳寺前通リ浅草広小路ニ達ス、(乙)ハ日本橋区本町三丁目ヨリ右折シ大伝馬町浅草橋ヲ経テ、蔵前通リ浅草広小路ニ達シ甲線トニ連絡ス、其沿道市街ノ広狭ニヨリ或ハ単線トナシ、或ハ複線トナシ、此単複両線合シテ長延大凡ソ六里トス
    第六条
一当会社ノ資本金額ハ三拾万円ト定メ、之ヲ三千株ニ分割シ、即チ一株金百円トスベシ
  但営業ノ実況ニヨリ線路ヲ伸縮セントスルトキハ、株主一同協議ノ上、其筋ノ許可ヲ経タル上ハ此金額ヲ増減スルコトアルベシ
    第七条
一当会社ハ命令書ノ第十三条ニ従ヒ、外国人ヲ除クノ外、何人タリトモ当会社ノ規則ヲ遵守シ株式ヲ引受ケタル者ハ、都テ当会社ノ株主タルコトヲ得ベシ
    第八条
一当会社ハ有限責任会社ト定メ、資本金額ヲ以テ限リトスベシ
  但命令書ノ条件ニ対シ経費ヲ要スル場合ニ於テ、若シ当会社資本ノ不足ヲ生シタルトキハ、各自株式ニ分賦シ出金スルモノトス
    第九条
 略之(○株式及株券ノ様式ノ件)
    第十条
 略之(○株式ノ譲渡ノ件)
    第十一条
 略之(○株式払込ノ件)
    第十二条
 略之(○株式ノ失効)
    第十三条
一当会社ノ役員ト称スルモノ左ノ如シ
  社長   壱名
  副社長  壱名
  幹事   弐名
  世話掛  八名
  雇
  但世話掛、雇ハ一等ヨリ五等ニ至ル階級ヲ置キ、書記簿記会計等
 - 第9巻 p.386 -ページ画像 
都テ此人員ヲ以テ之ニ従事セシム、尤実際ニ付テ尚人員ヲ増減スルコトアルベシ
    第十四条
一当会社社長副社長ハ五拾株以上ノ株式ヲ所持スル株主ノ内ヨリ撰挙スヘシ、尤在職年限ハ五ケ年ト定メ、上任中ハ該五拾株ノ券状ヲ当会社ニ預ケ置クモノトス
  但役員撰定ノ都度府庁ニ届出ヘシ
    第十五条
 略之(○社長副社長ノ責務ノ件)
    第十六条
 略之(○幹事ノ責務ノ件)
    第十七条
 略之(○会社印章ノ件)
    第十八条
 略之(○記名捺印ノ件)
    第十九条
一当会社ノ定式総会ハ毎年第六月、第十二月本局ニ於テ執行スヘシ
  但臨時総会ヲ開クコトアルトキハ、其時日場所事柄等社長ヨリ其五日前ニ各株主ニ報告ス
    第二十条
一凡ソ会社ノ決定ハ出席株主ノ同意多数ニ決ス、尤其会議ノ議長ハ社長ヲ以テ之ニ任スベシ
    第二十一条
一当会社ノ株主ハ各其所持ノ株数十株迄ハ一株毎トニ一個宛ノ発言投票ヲ為スヲ得ベシ、又十一株以上百株迄ハ五株毎トニ一個宛、百一株以上ハ十株毎トニ一個宛ヲ増加スベシ
  但会社創立ノ後売買譲与シタル新株主ハ、満二ケ年ヲ経過シタルノ上、本文ノ権利ヲ得ルモノトスベシ
    第廿二条
 略之(○役員ノ社名社印使用制限ノ件)
    第廿三条
 略之(○帳簿備付ノ件)
    第廿四条
 略之(○資本金額超過不可ノ件)
    第廿五条
 略之(○廃業ノ件)
    第廿六条
 略之(○勘定ノ件)
    第廿七条
 略之(○府庁株主ヘノ営業報告ノ件)
    第廿九条
 略之(○一般馬車営業取締規則ノ遵守)
    第三十条
 略之(○清算ノ件)
 - 第9巻 p.387 -ページ画像 
    第三十一条
一前条締約セル規則条件ハ、実際施行ノ上不都合アルカ又ハ要用ノコトアルトキハ、何時タリトモ株主一同ノ協議ニヨリ、其筋ノ許可ヲ得之ヲ改正増補スルモノトス
    第三十二条
一右東京馬車鉄道会社株主一同協議ノ上締盟結約セル社則ヲ各相遵守スル証トシテ、玆ニ各自記名調印致候也
                東京馬車鉄道会社
                      株主一同
  明治十三年 月 日
   ○廻議録(第二類会社、明治十三年自十月至十二月)中ニ東京馬車鉄道会社命令書アレドモ之ヲ載録セズ。
   ○東京府庁所蔵ノ願伺届録(会社明治廿二年)中明治廿二年自七月至十二月営業実際報告書府庁届書ニ於ケル株主姓名表中ニ栄一ノ名ヲ見ズ。


廻議録 第二類会社明治十三年自十月至十二月(DK090044k-0006)
第9巻 p.387 ページ画像

廻議録 第二類会社明治十三年自十月至十二月 (東京府庁所蔵)
    馬車鉄道会社設立之儀ニ付追願
私共申合本年二月中当府下市街馬車鉄路敷設之儀奉願候処、爾後十一月廿四日鉄路築造及営業之義ハ御庁命令書ニ準拠シ施行可致、会社設立之儀ハ追而何分之儀可被達旨御達相成謹而承知仕候、就而ハ右事業至急着手仕度候ニ付、爰ニ資本金参拾万円ヲ備ヘ馬車鉄道会社名称ヲ以テ会社創立仕度候間、御允准被成下度候、尤会社規則等ハ追々撰定毎件御允聴ヲ経テ施行可仕候間、希クハ右事業御諒察ノ上速ニ御許可被成下度、依之発起人引請株式金高表相添、此段出願候也
              東京馬車鉄道会社発起人総代
               京橋区三十間堀一丁目二番地
  明治十三年十二月廿八日 種田誠一 
    東京府知事 松田道之殿

    発起人引請株式金高表

図表を画像で表示発起人引請株式金高表

  金額      引請株数    住所              発起人姓名属族 金七万円      七百株   京橋区三十間堀一丁目二番地    鹿児島県士族 種田誠一 金壱万円       百株   日本橋区本材木町一丁目二番地   大坂府平民 久原庄三郎 金壱万円       百株   芝区三田町一丁目四十六番地    鹿児島県士族 谷元道貫 金七万円      七百株   日本橋区新右衛門町十六番地    東京府平民 川村伝蔵 合 金拾六万円  千六百株 



  右之通有之候也
              東京馬車鉄道会社発起人総代
  明治十三年十二月廿八日        種田誠一 


東京経済雑誌 第三巻五七号・第二九一―二九二頁〔明治一四年三月二五日〕 ○東京市街馬車鉄道の事(DK090044k-0007)
第9巻 p.387-388 ページ画像

東京経済雑誌 第三巻五七号・第二九一―二九二頁〔明治一四年三月二五日〕
    ○東京市街馬車鉄道の事
○上略 曩きに種田正一其外数名《(種田誠一)》の発起にて東京馬車鉄道会社を設け以て
 - 第9巻 p.388 -ページ画像 
此業を興さんと謀られ、乃ち之を府庁に出願せられたるに、府庁にては昨年十一月に至り之を允可せられしかば、今や方に之を実行するの期に及ひたり、其願書・規則書並ニ申合規則等は弊社へも之を送らる
○中略玆に府庁よりの命令書を掲け、以て読者の一閲に供せんとす
  馬車鉄道建築造並営業を認許するに付命令書
第一条、今般許可する所の鉄路は、新橋際より日本橋を経て上野広小路に至り、夫より下谷広徳寺前通り浅草広小路に至り、夫より同所蔵前通伝馬町本町同町二丁目角に至て、日本橋通りの線路に連絡するものとす。第二条、鉄路営業は満三十箇年を以て期限とす。第三条、馬車鉄路築造に付き之に属する基材其他建築費額の十分の二身元保証金となし、実地起業の前日当庁に領置し、工業竣工撿査済の後之を還附すべし、但し工業半途に廃し満一箇月を過き再興せざる時は、身元保証金を以て原形修路の費用に充て、剰余ある者は之を還附し、不足ある者は之を償はしむ。第四条、鉄軌は他の車馬通行に妨碍なからしめん為め一般道路の表面より昂低すべからず、但し鉄軌の横幅は内法り凡そ四尺五寸を以て定限とすべし。第五条、橋梁上及ひ道幅五間以内の場所は総て単線たるべし。第六条、鉄路線に係る橋梁幅員の狭隘なるを広め、又は脆弱にして架替を要する等の費用は、営業人の負担たるべし、尤も其狭隘なると脆弱なるとは当庁の鑑定に依るべし、但し本条起業毎に管庁の許可を受くべし。第七条、鉄路築造の間又ハ之を修理するに方り、当庁及ひ警視署の認許を得るに非ざれば道路の往来を止むへからず。第八条、鉄軌内は勿論軌外横幅二尺通りの修路及ひ掃除等は、其工業並費用共総て営業人の負担たるへし、但将来橋梁架替及ひ修繕費用も本文の割合に因り支弁すべし。第九条、当庁に於て水道・溝渠・互斯並橋梁等の架替又は修繕を要する時は、工業中其支障する箇所に限り、基材鉄軌等を撒除《(撤)》し、工業竣工の後に至り、原状に準して鉄軌其の他の復設事業並工費共総て営業人の負担たるべし、但し本条の場合に方り、当庁は該営業休止中の損失を償はさるべし。第十条、営業人は当庁の令に由り、他の鉄路営業人の該鉄軌に交叉するを要する時は、其所要の部に限り、相当の修理費を収取するを約定をなし、之に交叉通行せしむべし、但此営業人より他人の鉄路を要する時も亦本条に準すべし (以下次号)


東京経済雑誌 第三巻五八号・第三二九頁〔明治一四年四月五日〕 ○馬車鉄道建築造並営業を認許するに付命令書(前号の続き)(DK090044k-0008)
第9巻 p.388-389 ページ画像

東京経済雑誌 第三巻五八号・第三二九頁〔明治一四年四月五日〕
  ○馬車鉄道建築造並営業を認許するに付命令書(前号の続き)
第十一条、鉄路期限中満三ケ月間使用せざる時ハ、当庁に於て営業人をして該鉄路を他の能く使用するに堪ゆる者に貸さしむる歟、或は特に其業を休止せしむる事あるべし、若し満一ケ年を過き其営業再挙する能はざる時は、基材鉄軌等総て当庁に於て糶売し、原形修路の費用に充て、其過不足を生するものは第三条の但書に準して処分すべし。第十二条、基材鉄軌其他道路に布設する物品を他人に抵当と為て、金員其他共借用するを許さず。第十三条、外国人を以て株主と為すべからず。第十四条、鉄路営業期限中当庁ハ撿査員を以て常に該鉄路及其他を監督せしめ、営業人の命令書に違ひ或ハ修路等を怠り、為に往来
 - 第9巻 p.389 -ページ画像 
の妨碍を生するを認むる時は、之を督責し、若し奉せざる時は、其要旨を遂くるに至る迄其路線に限り営業を休止せしむべし。第十五条、鉄路馬車に付一般の車税を納むるの外、官庁より命令するときは相当の税を納むべし。第十六条、営業期限中たりとも、非常又は政府に於て已むを得ざる事故あるときは、政府は相当の賃金を営業者に給与し該鉄路及び馬車共悉皆又は其幾分を借入れ、或は相当代価を以て之を買上ることあるべし。第十七条、行幸行啓其他特殊の場合に於て、其通行路に当る通車を一時停止せしむることあるべし、但停車に付ては別に補償を給せざるべし。第十八条、当庁の都合に因て路線を変更することある時は、営業者は悉皆自費を以て、該鉄路を新路線内に移すべし。第十九条、営業年限満期に至るときは、鉄路は悉皆取払原形に復せしむべしと雖も、望に依ては更に営業を許可することあるべし、但当庁の都合に依ては、官に買上け又は他に営業せしむることあるへし。第二十条、駐馬場は管庁の許可を受け、予定したる場所に限るべし。第廿一条、此命令書に掲くる条件の外、法律規則を以て定めたる諸件及び将来定むる所の諸件は総て之に遵ふべし。第廿二条、此命令書中に掲くる条件に違背したる時ハ、何の日何の時を問はず、第十四条の例に依り処分すべし。 (畢)



〔参考〕今村清之助君事歴 (足立栗園著) 第二三四―二三九頁〔明治三九年九月〕(DK090044k-0009)
第9巻 p.389-390 ページ画像

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〔参考〕鴻爪痕 (前島弥発行) 後半生録・第一〇七―一〇八頁〔大正九年四月〕(DK090044k-0010)
第9巻 p.390-391 ページ画像

鴻爪痕 (前島弥発行) 後半生録・第一〇七―一〇八頁〔大正九年四月〕
 - 第9巻 p.391 -ページ画像 
    一〇 関係諸会社
○中略
更に今一つは東京馬車会社の経営である。これは今東京市中を縦横して居る電車の前身で、都下に新らしき交通機関の始つたのは馬車鉄道が第一である。其初めは薩摩出身の五代友厚、其他谷本、種田などいふ人々によつて発起されたるものであるが、何分結果が面白く行かず大いに持て余して居た処から翁○前島密や牟田口元学、中野武営両氏などがこれを継承して経営したので、牟田口が社長、翁は監査役であつたが、例の如く翁が間断なき努力は遂に廃絶に瀕してゐた馬車鉄道を隆盛ならしめ、大なる貢献を交通上に齎らすと共に、それが後に今の電車を産む母ともなるに至つたのである。


〔参考〕竜門雑誌 第三九号・第四九頁〔明治三二年一二月二五日〕 ○東京馬車鉄道会社の複線式出願(DK090044k-0011)
第9巻 p.391 ページ画像

竜門雑誌 第三九号・第四九頁〔明治三二年一二月二五日〕
    ○東京馬車鉄道会社の複線式出願
東京馬車鉄道会社にては、予てより電気単線架空式に変更の事を其筋に出願し居りしに、去廿八日突然前願を取消し、更に複線式に改むる旨内務大臣に出願したり、而して同会社が、今回斯く単線式を捨てゝ復線式《(複)》を採用するに至れる理由は、単線式は世上の非難尠らざるにより、寧ろ危険少き複線式を採り、一日も速に動力変更を実施せんとすといふに在る由なるも、更に聞く所によれば、過般来逓信省にて開会中なる電力調査会の結果は、必ずしも単線架空式を否定したりといふに非らざるも、之が漏電装置に要する費額甚だ多く、複線式に比すれば却て二割若くは三割方の多額を要し、縦し複線式の発電費は単線式に比し五分前後の多額を要すとするも、尚ほ複線式を用ゆる方大に利あり、現に東京馬車会社の線路丈にても、復線式《(複)》の方建設費に於て約四五十万円を節する割合となるにより、此際断然単線式の前願を取消て、最も安全にして非難なき複線式を出願するに至りしものゝ由なるが、複線式に就ては、内務・逓信両省其他共に別段異論あるべき筈なければ、遠からず許可の運びに至るべしとなり


〔参考〕東京経済雑誌 第四二巻第一〇五〇号・第七三一―七三二頁〔明治三三年一〇月六日〕 ○馬鉄動力変更命令書を受く(DK090044k-0012)
第9巻 p.391-392 ページ画像

東京経済雑誌 第四二巻第一〇五〇号・第七三一―七三二頁〔明治三三年一〇月六日〕
    ○馬鉄動力変更命令書を受く
先に旧憲政党が山県内閣と提携を絶つや、山県内閣は其の致せる予約を実行せざるべからざることとなりて、急に市街鉄道の布設を所謂三派の出願人に特許したりしが、今や山県内閣の交迭は、馬鉄をして急に動力変更の命令書を受領せしむるに至れり、即ち山県内閣は、市の交通機関問題を決定せんとして既に市街鉄道会社は命令書を受領したるにも関らず、独り馬車鉄道の分のみ之を次の内閣に渡すは、如何にも現内閣当局者の欲せざる所なるより、頃日来馬車鉄道会社に向て頻りに命令書の受理を急ぎ、何分の処置をなさんとの意向を示しければ牟田口社長は此機を外さず、再三当局者を訪問し、玆に初めて相互の意疏通したれば、去月廿七日重役会議を開きて命令書を受領することに決し、越えて本月二日株主協議会を開き、株主の意見を徴したるに是亦満場一致にて命令書を受領することに決したり、今内務当局者と
 - 第9巻 p.392 -ページ画像 
馬鉄会社との間に交渉の末、命令条件の適用に変更を生じたる条項を挙ぐれば、左の如し
 一、命令条件には溝渠敷地は道幅を算入せずとあるを、完全なる溝蓋ある溝渠は之を道幅に算入することゝし、尚ほ開溝と雖も之に完全なる溝蓋を加へて溝渠となすに於ては、之を道幅に算入するを得ることとなりたる結果、京橋より日本橋を経て万世橋に至る間は、道路の左右二尺余宛都合四尺余の幅員を増加し、今川橋の前後を除くの外は平均八間以上となり、別に拡築を要せざるに至れり、尤も電柱其他建物の敷地を扣除する時は、命令条件の道幅制限に達せざるも、尚ほ五ケ年猶予の部類に属するを以て、五ケ年以後に於て電柱其他を道路両端に移すに於ては別に支障なく、五ケ年後と雖も、交通に差支無しと認むる場合は、更に猶予を与へらるゝ筈なり
 一、本石町・食喰町間並《(馬)》に上野・浅草間に於ける広徳寺前は、道幅制限に充たざるも、五ケ年猶予の部類に属し、加ふるに市区改正速成線に当り居れるを以て、猶予期限中には市区改成完成すべく、若し完成せざる場合には、尚ほ猶予を与へらるべき約束なるを以て、結局馬車会社に於ては拡築を為すを要せず
 一、横山町・通本町に至る間は五ケ年猶予に属するを以て、馬喰町通りの市区改正完成するを俟て、之を同地に移して、複線となすの計画なるを以て、是亦拡築を要せず
 一、上野・浅草間に於ける合羽橋通も、五ケ年猶予に属するを以て広徳寺前の市区改正成るを俟て、之を同地に移し、複線となすの計画なるにより、前同様拡築を為すを要せず
 一、本石町・鉄砲町・小伝馬町の一区域は、道幅狭く拡築亦困難なるにより、約そ一町程迂回して、本銀町角より右折して大伝馬塩町を経て小伝馬町に至り、更に右折して小伝馬町一丁目角に至りて、現在の軌道に接続するの新線路に変更す
 一、納付金の条件を動力変更以前より適用すへき旨の附則の規定は此際廃止せらるべき筈なり
右の結果同社に於て拡築を要する箇所は著しく減少し、本件中差向拡築すべき箇所は左の数項なり
 今川橋前後に於て凡三十間、東黒門町に於て凡三十間、車坂町憲兵屯所前通に於て凡五十間、菊屋橋西に於て凡三十間、合計凡百五十間(此外品川線に於て拡築を要するもの凡九百三十間あり)
右の外車坂町日本鉄道会社横沿・下谷万年町・山伏町・松葉町・柴崎町等に於て拡築を要する箇所あるも、右の沿道下水を埋立て、又は下水蓋を設け、又は民家の庇廻を切取り、又は電柱其他の移転を行ふに於ては、別に支障無きを得べしといふ、而して馬車会社にては、資本金を五百万円に増加し、即時動力変更の準備に着手する予定なりとぞ余輩は交通機関の完備を期する為に、右交渉の成りたるを悦ばざるべからざるなり


〔参考〕東京市電気局十年略史 〔大正一〇年八月〕 ○第二―三頁(DK090044k-0013)
第9巻 p.392-393 ページ画像

東京市電気局十年略史 〔大正一〇年八月〕
 ○第二―三頁
 - 第9巻 p.393 -ページ画像 
 東京馬車鉄道会社 東京馬車鉄道会社の設立は明治十一年一月十五日、谷元道之、外数名が、東京市内に馬匹を以て動力とする市街鉄道を敷設すべく、発起人会を開きたるに濫觴す、翌年二月、新橋を起点として上野浅草を経、日本橋本町角に於て相会する軌道延長十哩余の敷設に関する願書を東京府庁に提出し、同年十二月、許可を得、資本金三十万円を以て会社を組織し、社名を東京馬車鉄道株式会社《(衍)》と称し、明治十五年其の工事に着手し、同年六月二十五日新橋・日本橋間に乗客輸送を開始す、爾来新橋・上野間、上野・浅草間、浅草・新橋間と漸次竣成開業しつゝ、同年十月全線に開通を見るに至る。其の鉄軌間距離は四呎六吋にして初めは二十四人若しくは二十七人乗二頭牽の客車三四十台を運転し、一日の収入約三百円に止まりしが、漸次改良発達して、遂に毎日二百台内外を運転し、収入亦累進し、三千六百円を算するに至れり。
 品川馬車鉄道会社 当時、品川に品川馬車鉄道会社なるものありて、初めは府下品川町を中心とし、東は大森を経て六郷橋に至り、北は八ツ山を経て新橋に至る間に、乗合馬車を営む目的を以て発起せられたるものなりしが、其後品川・新橋延長約六哩に馬車鉄道敷設を出願し、明治二十八年八月、内務大臣の認可を得て工事に着手し、三十年八月、品川・札の辻間を、同十一月に至りて札ノ辻・新橋間の開通をなせり、其鉄軌間距離二呎五吋にして、十八人乗一頭牽の客車三十台内外を運転し、一日の収入額約百五六十円の間にありたり。
 明治三十二年六月、此の品川馬車鉄道株式会社と東京馬車鉄道会社との間に合併の議起り、品川馬車会社は任意解散をなして、其事業を東京馬車鉄道株式会社に譲渡することに協議一決し、同年六月十九日之を実行せり、是に於て東京市内馬車鉄道の経営は、一に東京馬車鉄道株式会社の独占に帰し、業務を拡張して、其線路合計二十一哩余に達し、明治三十五年には馬車三百台、馬匹二十余頭、収入年額百四十万円を算するに至る。
 此の如く乗客の増加は馬車の増発を促し、其の多き場合には一時間に六十七台乃至七十台、即ち一分時間に一台以上を発車せしむるが如き状況を呈せり、然るに当時馬匹を以て一分時間に一台以上を発車せしむることは頗る難事に属し、又世運の進歩、交通機関の発達は、動力変更の要を感ずること激切なるに至りたるを以て、東京馬車鉄道会社は、明治二十六年十一月其の原動力を変更して電気鉄道となすの願出をなし、明治三十三年十月に至りて特許を得、従来漸次増加し来りたる資本を更に五百万円に増加し、以て動力変更の準備に着手し、社名を東京電車鉄道株式会社と改称せり。
   ○右冒頭ニ「東京馬車鉄道会社の設立明治十一年一月十五日云々」トアルハ誤ニシテ、前掲回議録ニ見ユル如ク明治十二年十一月十五日ガ正シ。


〔参考〕東京市電気局十年略史 〔大正一〇年八月〕 ○第四―五頁(DK090044k-0014)
第9巻 p.393-394 ページ画像

 ○第四―五頁
 東京電車鉄道株式会社 電気鉄道の我が邦に於ける濫觴は、明治二十三年第三回内国勧業博覧会開催の際、当時米国より帰朝したる藤岡市助が、此の好機を利用して電気鉄道を敷設し、世人に其の実用的効果を示さんがため、東京電灯会社の施設として、会場内なる上野公
 - 第9巻 p.394 -ページ画像 
園桜ケ岡、両大師門前間四丁にスプレグ式電車の運転をなせしにあり。這は単に見本として、博覧会に出品したるに過ぎざるも、識者は已に一般運輸に供するには、電気鉄道の優れるものなることを認めるに至れり。
 是より先明治二十二年の頃、立川勇二郎・上野幸八を初め京浜間の実業家が発起人となり、万世橋・品川間及び新橋・新宿間に電気鉄道を敷設せんとして調査に従事し、資本金十万円を以て其の筋に出願せしことあり、然るに時の総理大臣より「願の趣詮議に及び難き旨」を以て却下せられ、爾来電気鉄道の敷設は、暫く其の消息を絶ちしに、博覧会の電車が一般識者の注意を喚起したると、時代の気運とは漸次に企業家をして電気鉄道を経営するの趨勢に赴かしめ、二十五年頃に及んでは、京阪地方其他に於て一二の計画あるを聞くに至れり。電気鉄道が漸く有利の事業と認められて、其の敷設を出願するもの逐次多きを加ふるに当り、一方には又電気鉄道を以て危険なりとの疑問を懐くものも亦尠からず、而して電気鉄道敷設の請願に対して捗々しく指令をなさざるを以て、明治二十六年六月十四日、予ねてより電気鉄道に関係ある人々は相会合して協議を遂げ、電気鉄道期成同盟会を組織し、斯業の発達普及に努力すべく結束して起つに至れり、而して東京馬車鉄道に於ける動力の変更と東京市街鉄道株式会社の設立とは、実にこの年の下半期に胚胎せるものなり。


〔参考〕日本鉄道史 下篇・第七一八―七一九頁〔大正一〇年八月〕(DK090044k-0015)
第9巻 p.394 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕願伺届録 会社規則明治廿二年(DK090044k-0016)
第9巻 p.394-396 ページ画像

願伺届録 会社規則明治廿二年       (東京府庁所蔵)
    品川馬車会社創立願
今般拙者共協議ノ上荏原郡品川町元品川歩行新宿卅一番地卅二番地卅三番地ニ本社ヲ設ケ、支社ヲ芝区高輪南町卅番地ニ置キ、資本金五万
 - 第9巻 p.395 -ページ画像 
円ヲ以テ有限責任品川馬車会社ヲ設立シ、本年十月警察令第卅号ノ御布達ニ基キ改良馬車ヲ新造シ、極メテ清潔ヲ旨トシ、本社ヨリ新橋間本社ヨリ大森間及ヒ川崎間乗合往復営業仕度候間、御認可被下度、別紙規約並ニ社則相添、発企人一同連署ヲ以テ此段奉願候也
  明治二十二年十一月十一日
      発起人 荏原郡品川町元北品川宿八拾二番地
                    漆昌巌 (印)
          同郡同所二拾八番地
                    高橋平作 (印)
          同郡同所四拾番地
                    森嶋兼吉 (印)
          同郡同所歩行新宿三番地
                    鈴木半助 (印)
          同郡同所北品川宿百六拾二番地
                    若林藤太郎 (印)
          同郡大崎村元居木橋村百五拾番地
                    松原和助 (印)
          同郡品川町元北品川宿九拾七番地
                    大原郁二 (印)
          同郡同所歩行新宿五拾八番地
                    篠崎源八 (印)
          同郡同所歩行新宿三拾番地
                    山村喜兵衛 (印)
          芝区高輪南町三拾番地
                    浅子庄吉 (印)
          荏原郡品川町元品川宿百弐拾壱番地
                    萩原政蔵 (印)
          同郡同所歩行新宿六拾壱番地
                    岡田平太郎 (印)
          同郡同所北品川宿九拾六番地
                    長谷川要之助 (印)
          同郡同所歩行新宿七拾九番地
                    斎藤元頭 (印)
    東京府知事 男爵 高崎五六殿

(別紙)
    品川馬車会社創立規定
第壱条 当会社ノ名称ハ品川馬車会社トス
第二条 本社ヲ荏原郡品川町元品川歩行新宿卅一番地卅二番地卅三番地ニ設ケ、支社ヲ芝区高輪南町卅番地ニ設ク
     但シ都合ニ依リ支社ヲ増設スルコトアルベシ
第三条 当会社ノ営業ハ普ク公衆ノ利便ヲ計リ、本年十月警察令第卅号布達ニ基キ、改良乗合馬車ヲ新調シ、極メテ清潔ヲ旨トシ新橋川崎間ヲ乗合往復スルヲ以テ業務トス
第四条 当会社営業ノ年限ハ開業ノ当日ヨリ満三十年トシ、満期ニ至
 - 第9巻 p.396 -ページ画像 
リ尚ホ株主ノ協議ニヨリ次続スルコトアルヘシ
     但シ次続スル場合ニ於テハ更ニ府庁ノ承認ヲ受クルモノトス
第五条 当会社ノ資本金ヲ五万円ト定メ、一株ヲ金廿五円トシ、之ヲ二千株ニ分チ、内八百株ハ発起人ニテ負担シ、残余ハ汎ク有志者ヲ募集シ二千株ニ充ツ
第六条 株金募集ヲ別テ拾回トシ、始メ四回ノ払込ヲ以テ営業ヲ実施シ、其一回ノ払込ヲ金弐円五拾銭トシ、毎月廿五日迄一月三月五月七月ノ四回ニ、残余六回ノ払込ハ株主総会ノ決議ヲ以テ業務ノ拡張ニ依リ募集スルモノトス
     但株主ノ都合ニ依リ一時ニ払込ムモ妨ケナシ
第七条 株主申込ノ節証拠金トシテ一株ニ付金壱円ヲ払込ムヘシ
     但第四回株金払込ノ節引去ルモノトス
第八条 当会社ハ有限責任ニシテ、会社ノ負債弁償ノ為メ株主負担スヘキ業務ハ、株金高ニ止ルモノトス
第九条 資本金ノ募集高ヲ以テ当社ノ位置ニアル従来ノ家屋厩等ヲ買上ケ、及ヒ車馬整頓ノ上開業スルモノトス
     但シ馬匹馬車新造ノ都合ニ依リ出来高ヲ以テ実施スルコトアルヘシ
第十条 内国人ニシテ本社ノ定款ヲ遵守スル者ハ当会社ノ株主タルコトヲ得
右創立規約ヲ確定シ別紙定款○略スヲ設ケ発起人者記名調印スル者也
  明治二十二年十一月十一日     (発起人住所氏名省略)


〔参考〕願伺届録 会社規則明治廿二年(DK090044k-0017)
第9巻 p.396 ページ画像

願伺届録 会社規則明治廿二年
  明治廿二年十一月廿六日出 農商課
    会社設立願ニ付指令案
 東京府指令第 号
         品川馬車会社発起人
          荏原郡品川町元北品川宿八十二番地
                      漆昌巌
                         外十三名
明治廿二年十一月十一日附品川馬車会社設立ノ件ハ追テ一般ノ会社条例制定迄人民ノ相対ニ任ス
 但他管下ニ支社ヲ設ルトキハ其官庁ノ指揮に従フヘシ
 (理由)本願発起人等ノ身元ヲ調査スルニ、身代見積リ高通計金拾弐万弐千八百十円即チ資本金(五万円)四分ノ一以上ヲ負担シ得ヘキ資格アル者ト認メ、定款等検閲セシ処、敢テ差閊ノ廉モ無之ニ付本按指令ヲ付与ス
   右ニ付通知案
 大蔵省 国債局御中 東京府
今般別紙○略スノ会社承認候条、此段及通知候也
   ○明治廿一年一月廿九日株主定式総会ニ於テ定款改正ヲ決議シ、廿一年二月三日府庁ニ届出ツ。(願伺届録(会社規制明治廿一年)ニヨル)