デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
29款 鉄道国有問題
■綱文

第9巻 p.579-630(DK090060k) ページ画像

明治39年2月27日(1906年)

是ヨリ先、侯爵西園寺公望内閣ヲ組織シ第二十二回帝国議会ニ臨ムヤ鉄道国有法案ヲ提出スルノ意アリ。栄一、是日首相ト会見シ鉄道国有ニ関スル意見ヲ述ブ。爾後屡々首相及ビ阪谷蔵相ト討議セシノミナラズ伯爵井上馨・豊川良平・園田孝吉等トモ会合シ対策ヲ協議ス。三月二十七日議会該法案ヲ可決シ、同月三十日鉄道国有法公布セラル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK090060k-0001)
第9巻 p.579-580 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
二月六日 晴 軽暖 起床七時就蓐十二時
○上略十時過兜町事務所ニ抵リ、矢野由次郎来リテ鉄道国有ニ関スル意見ノ問ニ答フ○下略
二月二十四日 曇 風ナシ 起床八時就蓐三時
起床後書斎ニ於テ日誌ヲ整理シ新聞紙ヲ一覧ス、九時朝飧ヲ為シ、十時阪谷芳郎ヲ官舎ニ訪ヒ鉄道国有ニ関スル得失ヲ談話ス、十二時第一銀行ニ抵リ午餐ス○下略
二月二十七日 雨 寒 起床八時三十分就蓐十二時
起床後直ニ朝飧ヲ喫ス、長崎氏ヨリ英国皇族ノコトニ関シ電話来ル、十時半東京海上保険会社ニ抵リ重役会ニ出席ス、畢テ十二時西園寺総理大臣ヲ官邸ニ訪ヒ、鉄道国有ニ関スル利害ヲ討議ス、午飧後迄種々ノ談話ヲ為シ、午後二時日本興業銀行株主総会ニ出席ス○中略午後五時
 - 第9巻 p.580 -ページ画像 
築地瓢屋ニ抵リ、井上伯・豊川良平氏ト会シ鉄道国有ニ関スル談話ヲ為ス、夜食後再ヒ事務所ニ抵リ、同族会ヲ開キ決算ノコトヲ承認シ議事ヲ決ス○下略
二月二十八日 雨 寒 起床七時就蓐十一時三十分
○上略正午銀行集会所ニ抵リ、園田・早川・豊川・池田諸氏ト臨時事件公債ノコトヲ協議ス○下略
三月一日 晴 風 起床七時就蓐十二時
○上略午後六時西園寺総理大臣ヲ官邸ニ訪ヒ同業者来会ス、鉄道国有ニ関スル談話アリ、共ニ夜飧ヲ為シ食後モ種々ノ談話アリ、夜十一時帰宿ス
三月二日 晴 風ナシ 起床六時三十分就蓐一時三十分
○上略午前十一時三井集会所ニ抵リ大阪・四日市等ノ紡績会社ヘ書状ヲ裁ス、十一時半井上伯及園田・豊川・早川・安田・池田・相馬・馬越ノ諸氏来会シ、鉄道国有ニ関スル要件ヲ談ス、政府ヘ提出スヘキ覚書ヲ作リ、募債ニ関シテノ申合ヲ為ス○下略
三月七日 晴 風寒シ 起床八時就蓐十二時
○上略正午銀行倶楽部ニ抵リテ午飧ス、園田・早川・豊川・池田其他ノ人々ト曾テ其筋ニ書面ヲ出セシ鉄道国有ノ件及銀行条例改正ノ件ヲ協議ス○下略
三月八日 晴 風寒シ 起床七時就蓐十一時三十分
○上略麻布ニ井上伯ヲ訪ヒ昨日同業者ト協議セシ顛末ヲ報告シ、爾後ノ手続ヲ協議ス○下略
三月九日 晴 風ナシ 起床六時二十分
○上略午前十一時貴族院ニ抵リ、西園寺総理大臣ニ面会シテ鉄道国有ニ関シ公債証書発行ノ時期ヲ談話ス、阪谷大蔵・山県逓信共ニ之ヲ談ス○下略
三月十日 曇 風 起床六時三十分就蓐十二時
起床後井上伯ニ電話ヲ通シ、七時朝飧畢テ書類ヲ一覧ス、九時井上伯ヲ訪ヒ、昨日総理大臣其他ノ大臣ト会見ノコトヲ報告ス○下略


官報 第六八二三号〔明治三九年三月三一日〕 ○法律(DK090060k-0002)
第9巻 p.580-583 ページ画像

官報 第六八二三号〔明治三九年三月三一日〕
  ○法律
朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル鉄道国有法ヲ裁可シ玆ニ之ヲ公布セシム
  御名御璽
   明治三十九年三月三十日
            内閣総理大臣   侯爵 西園寺公望
            陸軍大臣        寺内正毅
            大蔵大臣   法学博士 阪谷芳郎
            逓信大臣        山県伊三郎
法律第十七号
    鉄道国有法
 第一条 一般運送ノ用ニ供スル鉄道ハ総テ国ノ所有トス但シ一地方ノ交通ヲ目的トスル鉄道ハ此ノ限ニ在ラス
 - 第9巻 p.581 -ページ画像 
第二条 政府ハ明治三十九年ヨリ明治四十八年迄ノ間ニ於テ本法ノ規定ニ依リ左ニ掲クル私設鉄道株式会社所属ノ鉄道ヲ買収スヘシ
 一 北海道炭砿鉄道株式会社
 一 北海道鉄道株式会社
 一 日本鉄道株式会社
 一 岩越鉄道株式会社
 一 北越鉄道株式会社
 一 甲武鉄道株式会社
 一 総武鉄道株式会社
 一 房総鉄道株式会社
 一 七尾鉄道株式会社
 一 関西鉄道株式会社
 一 参宮鉄道株式会社
 一 京都鉄道株式会社
 一 西成鉄道株式会社
 一 阪鶴鉄道株式会社
 一 山陽鉄道株式会社
 一 徳島鉄道株式会社
 一 九州鉄道株式会社
 前項ニ掲ケタル各会社ハ他ノ私設鉄道株式会社ト合併シ又ハ他ノ私設鉄道株式会社ノ鉄道ヲ買収スルコトヲ得ス
第三条 前条ニ掲ケタル各鉄道買収ノ期日ハ政府ニ於テ之ヲ指定ス
第四条 政府ハ兼業ニ属スルモノヲ除クノ外買収ノ日ニ於テ会社ノ現ニ有スル権利義務ヲ承継ス但シ会社ノ株主ニ対スル権利義務払込株金ノ支出残額並収益勘定積立金勘定及雑勘定ニ属スルモノハ此ノ限ニ在ラス
第五条 買収価額ハ左ニ掲クルモノトス
 一 会社ノ明治三十五年後半期乃至明治三十八年前半期ノ六営業年度間ニ於ケル建設費ニ対スル益金ノ平均割合ヲ買収ノ日ニ於ケル建設費ニ乗シタル額ヲ二十倍シタル金額
 二 貯蔵物品ノ実費ヲ時価ニ依リ公債券面金額ニ換算シタル金額但シ借入金ヲ以テ購入シタルモノヲ除ク
 前項第一号ニ於テ益金ト称スルハ営業収入ヨリ営業費賞与金及収益勘定以外ノ諸勘定ヨリ生シタル利息ヲ控除シタルモノヲ謂ヒ益金ノ平均割合ト称スルハ明治三十五年後半期乃至明治三十八年前半期ノ毎営業年度ニ於ケル建設費合計ヲ以テ同期間ニ於ケル益金ノ合計ヲ除シタルモノノ二倍ヲ謂フ
第六条 借入金ハ建設費ニ使用シタルモノニ限リ時価ニ依リ公債券面金額ニ換算シ買収価額ヨリ之ヲ控除ス
 会社カ鉄道及附属物件ノ補修ヲ為サス又ハ鉄道建設規程ニ依リ期限内ニ改築若ハ改造ヲ為ササル場合ニ於テハ其ノ補修改築又ハ改造ニ要スル金額ハ前項ノ例ニ依リ買収価額ヨリ之ヲ控除ス
第七条 資本勘定ニ属スル支出ハ借入金ヲ以テシタルモノヲ除クノ外順次ニ建設費及貯蔵物品ニ対シ之ヲ為シタルモノト看做ス
 - 第9巻 p.582 -ページ画像 
 借入金ノ支出ハ前項ノ支出ノ後ニ之ヲ為シタルモノト看做ス
第八条 会社カ明治三十八年前半期ノ営業年度末ニ於テ運輸開始後六営業年度ヲ経過シタル線路ヲ有セサル場合又ハ第五条第一項第一号ノ金額カ建設費ニ達セサル場合ニ於テハ政府ハ其ノ建設費以内ニ於テ協定シタル金額ヲ以テ第五条第一項第一号ノ金額ニ代フ
第九条 左ニ掲クル場合ニ於テハ政府ハ審査委員ヲシテ決定ヲ為サシムヘシ
 一 権利義務ノ承継ニ関シ又ハ計算ニ関シ会社ニ於テ異議アルトキ
 二 前条ノ場合ニ於テ協定調ハサルトキ
 審査委員ノ決定ニ対シ不服アルトキハ会社ハ主務大臣ニ訴願ヲ為スコトヲ得
 審査委員ニ関スル規定ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
第十条 買収ノ執行ハ審査委員ノ審査中ト雖之ヲ停止セス
第十一条 会社カ買収ニ因リテ解散シタルトキハ主務大臣ハ解散ノ登記ヲ登記所ニ嘱託スベシ
第十二条 買収代価ハ買収ノ日ヨリ五箇年以内ニ於テ券面金額ニ依リ五分利付公債証書ヲ以テ之ヲ交付ス但シ五拾円未満ノ端数ハ之ヲ五拾円トス
 会社残余財産ノ分配ハ前項公債証書ヲ以テス
 買収後公債証書ノ交付ヲ終ル迄ニ要スル清算人ノ職務ニ関スル会社ノ費用ハ命令ノ定ムル所ニ依リ政府之ヲ支弁ス
第十三条 政府ハ買収ノ日ヨリ公債証書交付ノ日ニ至ル迄買収価額ニ対シ一箇年百分ノ五ノ割合ニ相当スル金額ヲ従前ノ決算期毎ニ会社ニ交付スヘシ
 前項ニ依リ交付シタル金額ハ清算中ト雖主務大臣ノ認可ヲ受ケ之ヲ株主ニ配当スルコトヲ得
第十四条 政府ハ鉄道買収ノ執行ニ必要ナル額ヲ限度トシ公債ヲ発行ス
第十五条 政府ハ前条ニ依リ発行シタル公債及第四条ニ依リ承継シタル債務ノ整理ニ必要ナル額ヲ限度トシ公債ヲ発行スルコトヲ得前項ノ場合ニ於テ利率募集ノ方法規約据置年限及償還年限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
第十六条 前二条ノ公債ニ関シテハ本法ニ別段ノ規定アルモノヲ除クノ外整理公債条例ヲ適用ス
第十七条 第五条第一項第二号及第六条ニ規定シタル公債時価ハ買収期日前六箇月間ニ於ケル帝国五分利公債ノ平均相場ニ依ル
 前項平均相場ハ日本銀行ノ証明ニ依リ政府之ヲ定ム
第十八条 買収ヲ受クヘキ会社カ兼業ヲ営ム場合ニ於テハ其ノ兼業ニ属スル資産ヲ併セテ買収スルコトヲ得
 前項ノ場合ニ於テ買収価額ハ協定ニ依ル
 第九条乃至第十六条ノ規定ハ本条ノ場合ニ之ヲ準用ス
   附則
第二条ニ掲クル会社ノ本法発布以後ニ於ケル貯蔵物品ノ購入建設費
 - 第9巻 p.583 -ページ画像 
ノ増減及債務ノ負担ニ付テハ主務大臣ノ認可ヲ受クヘシ
前項ノ認可ヲ受ケサルモノニ付テハ政府之ヲ承継セス但シ政府ハ其ノ額ヲ査定シ又ハ相当ノ補償ヲ徴シテ之ヲ承継スルコトヲ得


竜門雑誌 第二一三号・第六―八頁〔明治三九年二月二五日〕 ○青淵先生の鉄道国有談(DK090060k-0003)
第9巻 p.583-584 ページ画像

竜門雑誌 第二一三号・第六―八頁〔明治三九年二月二五日〕
    ○青淵先生の鉄道国有談
 本編は青淵先生が時事新報記者に談話せられたるものにして、二月十日の同新聞より転載せり
鉄道国有の事柄は実に久しい問題で、私も度々意見を徴された事がある、併し私は最初から国有論に同意を表さなかつた、其表さない理由は凡そ政府が総ての事業を専売の形に一手に取扱ふと云ふことは或点に於ては便利であるけれども、多くは所謂官の権利を濫用して例へば乗客を圧迫するとか、国民の便否に充分注意せぬとか、或は繁文褥礼の弊を生ずるとか、入費が多く掛るとか、種々なる弊害必ず生じはせぬか、総て事業と云ふものは競争と云ふことが世の便益と改良とを産み出すもので、総ての進歩は競争より外ないものであるから、此鉄道をして国有たらしむる利益も勿論数へられるけれども、其弊害は将来に恐るべきものであると云うことを憂慮して私共は反対したのであります、殆ど明治二十年頃から鉄道を国有にすることは軍事上甚だ必要であると云ふて、或る元帥のお方が頻りに主張された時に、私は大いに反対説を唱へて大変に忌諱に触れたことがあつた位です
爾来国有論は或は起り或は止み、幾度か議論の花を咲かせたが、昨年あたりの有様を見ると前内閣は是非とも鉄道を国有にせんければならぬと云つて総ての閣員が相一致して現内閣に引継がれたと斯う聞えます、畢竟今日の内閣の意見は最初私共が懸念した点は無いでせうけれども、一は戦後経営即ち国の発達を謀るにはドウしても商工業品の運賃等に大いに注意を加へて便益を謀らなければならぬ、例へば重なる輸出品を奨励するには其運賃を安くせんければならぬとか、或は工業の原動力となるべき石炭抔には成たけ便利を与へ、運送の費用を安くして供給せねばならぬ、如何に政府が監督権を有して居つても私設の営利会社に在りては中々政府の命令通りに言ふことを肯かぬ、斯くては満足なる効果を挙ぐることが出来ぬ、寧ろ其れよりは国有にした方が宜かろうと云ふことも今日国有論の重なる理由のやうに聞える、若し斯の如き論拠であるならば、私共も是れには同意を表せざるを得ぬ今日の場合、一意専心保護政策を執り、外国の物品は総て入れぬ、又自国の物品はドンナ粗悪の物でも保護を与へて輸出するが宜いと云ふ程にまで極論はせぬが、併し只其自由貿易と云ふ議論にのみ拘泥することも出来ぬ、此場合少しく輸入に注意し、同じ割合なれば内地の生産品を使ひ、又或は多少試験費抔の損失があらうとも政策上租税若くは其他の補助を与へて之を補ひ、我生産品を奨励して而して輸入を防ぎ併せて輸出品には前に申す如く運賃其他の便宜を与へて輸出を増すと云ふことに努めなければ、殆ど十数年以来の輸出入のバランスの喰違ひは如何にして之を補ふことが出来ませうか、若し現状の儘にて推移せんには極論すれば遂に国家は殆ど不換紙幣ばかりになツて仕舞ひ
 - 第9巻 p.584 -ページ画像 
はせぬかを虞れざるを得ぬ、尤も経済の原則として外国から借金して居る間は輸入超過は免かれぬ、併し其根源を絶てば自ら貿易はバランスを得るやうになるではないか、其れを顧みず保護政策に依て貿易のバランスを合せやうと云ふのは政策の可なるものでないと云ふ、其道理は経済原則としては余り非難は出来ぬでせうけれども、併し現に独逸或は亜米利加でもソウ云ふ学者も相当にあらうけれども、矢張自国の産物を成たけ多く外国に輸出すると同時に成たけ輸入を防ぐと云ふ政策が、論より証拠現に両国の富を造りつゝある所を見れば、英吉利の如き国柄のみを我々が手本にして其他の国は手本にせぬと云ふ考は蓋し思案の到らぬものではないか、現に今日の日本の状態は決して英国を模範とすべき時機ではなからうと思ふ、現政府が若し鉄道政策に依て輸出入抔の上に注意を加へ国力を増進すると云ふ見地から鉄道国有を主張するものなれば止むを得ず、自分等も最初は反対した政策であるけれども今日の場合或は同意せざるを得ぬかと思ふ、但し前に申す通りの弊害は仮令左様の理由であツても屹度免かれまいと思ふ、御覧なさい、政府ならざるも一人一己で占有して居る事業でも、モノポリーになると段々我儘が強くなツて一般に妨害を与へつゝあると云ふ例は現に眼前に歴々と見えて居る、鉄道事業にあれ、其他の事業にあれ、今日他に競争者がないと云ふ事業に於ては土台の勉強心が廃れて改良とか進歩とか云ふ精心も自ら滅却して仕舞ふ、左すれば一方に利益はあるにもせよ、若し私が今述べた如き弊害が伴ふものとすれば、其利益をば抹殺して却て差引弊害が残ると云ふ場合に立到らぬとも云へぬ、若し今日鉄道が国有に為るとすれば、其弊害の強き点に対しては或は世の耳目たる新聞紙とか若くは政事の監督を為すべき議会等が其弊害の在る所を指摘して着々改良せしむるの手段を執り、政府も亦ソウ云ふ場合には胸襟を披いて其説を容れ、モノポリーより生ずる弊害を洗滌するやうに努力して貰ひたい、其買上の方法を如何にするか要するに株券が債券に代る迄の事であるから金融上には変化はあるまいと思ふのです


日本鉄道史 中篇・第八一四―八五〇頁〔大正一〇年八月〕(DK090060k-0004)
第9巻 p.584-593 ページ画像

日本鉄道史 中篇・第八一四―八五〇頁〔大正一〇年八月〕
  第十七章 鉄道国有始末
    第一節 国有案ノ由来
○上略
明治三十七年末ヨリ三十八年初ニ亘リ、大浦逓信大臣ハ鉄道国有ノ法案ヲ具シテ閣僚ニ協議スル所アリシモ財政ノ関係調査未タ成ラズシテ決定ニ至ラズ、依テ第二十一回帝国議会ノ閉会ヲ待チテ特ニ調査委員ヲ設ケ、鉄道局長山之内一次ヲ主任トシ、鉄道作業局長官工学博士平井晴二郎ヲ顧問トシ、逓信技師工学博士野村竜太郎・逓信書記官藤田虎力・鉄道事務官原田真義等ヲ委員トシ、後委員ニ鉄道作業局部長図師民嘉ヲ加ヘ、次回帝国議会ニ法案ヲ提出スルノ目的ヲ以テ調査ニ従事セシメタリシカ、委員等ハ調査ノ末鉄道国有ノ趣旨概要及私設鉄道買収調査概要ヲ撰シタリ、鉄道国有ノ趣旨概要ハ運輸ノ疏通、運賃ノ低減、設備ノ整斉ノ三条ヲ挙ケ、鉄道経理上ニ影響スヘキ利便トシテ
 - 第9巻 p.585 -ページ画像 
総係費ノ節減、運輸費ノ節約、設備上ノ節約、貯蔵品ノ節約、運転上ノ利便ノ五条ヲ統計数字ヲ以テ説明セリ、而シテ鉄道国有統一ノ直接ノ結果トシテ経費ニ於テ約一百二十五万円ヲ節約シ得ヘク、尚ホ運輸ノ疏通、運搬力ノ増加、設備ノ整斉及運賃ノ低減ニ因リ公衆ノ享クル利益ノ大ナルモノアルヘキヲ以テ速ニ国有ヲ断行シ、鉄道政策ノ本旨ヲ貫徹スルヲ経世ノ要務ナリトセリ、而シテ財政上ニ関スル鉄道国有ノ趣旨概要ニ曰、国家財政上ヨリ謂ハハ戦後国庫財源ヲ求ムルコト急ナルニ当リ鉄道国有ニ由リ後来其収入ヲ一財源ト為スノ計画ハ必要ナリ、識者或ハ買収鉄道ノ収益ハ買収代価ノ公債利子ニ充当シテ剰余ナカルヘシト為スモ、鉄道収入ノ年々増率スルハ統計ノ明示スル所ナルヲ以テ数年ノ後ニハ余剰ヲ生シ、年々其量ヲ増シテ国庫収入絶好ノ源泉タルヘシ、更ニ転シテ戦時公債ニ就テ謂ハハ十三億円ニ達セル戦時公債ヲ平和克復ノ暁ニ於テ整理センカ為低利ノ公債ヲ募集センニハ確実ナル抵当ヲ要ス、若シ能ク之ニ応シ得ヘキモノヲ求ムレハ、全国鉄道約四千五百哩ヲ国有管理ノ下ニ抱括シテ新外債ノ担保ニ供スルニ若クハ無シト、又曰、我主要鉄道会社ノ株券ノ如キモ其確実ニシテ有利ナルコト明ナルニ至ラハ、利ヲ見ルニ敏ナル外国人等ハ進テ之ヲ取得シ、遠カラズシテ会社ノ株主中ニ多数ノ外国人ヲ見ルニ至ルヘシ、若シ主要幹線鉄道ニシテ彼等ノ掌理ニ帰シ、其制御スル所ト為ルニ至ラハ内国人ノ管理スル私設会社ニ在リテスラ行ハレ難キ産業振興、輸出奨励ノ為ニスル運賃低減ノ如キハ到底実行ヲ見ルコト能ハザルヘシ、且ツ一朝事アルニ当リ軍事輸送上ノ秘密ハ能ク之ヲ保ツコトヲ得ヘキ乎、車輛係員等ノ徴用ニ於テ之ヲ円滑ニ行ヒ得ヘキ乎、是レ皆外人ノ掣肘ヲ受クル会社ニ望ムヘカラザル所ナリト、次ニ私設鉄道買収調査要項トシテハ十三箇条ヲ列挙セリ、其一、買収方法ハ法律ヲ以テ強制買収ヲ断行セントス、其二、買収線路ハ局部運送ノ用ニ供スル鉄道ヲ除キ、其他ノ鉄道全部三十二会社三千百五十三哩余(若クハ十八会社二千八百三十八哩余)又ハ全国鉄道中ノ主要幹線並ニ右幹線ノ属スル会社ノ各支線及水陸連絡上必要ナル支線十三会社二千六百三十六哩余ニ就キ審査スルニ其差約五百哩、価格約四千万円ニ過キザレハ将来鉄道網発達及完成ニ便ナラシムル為範囲ノ大ナルヲ良トス、其三、買収価格ハ最近三箇年度間ニ於ケル各鉄道開業線建設費ニ対スル益金割合ヲ算出シ、之ヲ最近年度ノ開業線建設費ニ乗シタル金額ノ二十倍ト同算出法ニ依ル純益金ノ二十倍トノ二法ニ依リ算出スレハ三十二会社ノ額、前者ハ四億千四百八万四千五百十三円ト為リ、後者ハ三億七千九百八十六万二千六十九円ト為ルモ、前者ナラハ負債ハ会社自ラ之ヲ清算スヘキモノニシテ、三十二会社ノ負債総額二千三百余万円ナルカ故ニ同額ノ公債ヲ一時ニ処分スルヨリ勢其価額ヲ下落セシメ、経済界ヲ撹乱スルノ恐ナキヲ保シ難シ、故ニ後者ヲ採ルヲ可トス、其四、社債借入金等ハ益金ノ率ニ依リ買収シタル場合ニ於テハ会社自ラ之ヲ処理シ、純益金ノ率ニ依リ買収シタル場合ニハ政府之ヲ引受ケ、貯蔵物品工場勘定ニ属スル財産ハ実費ヲ以テ政府之ヲ買収シ、買収ノ結果ヨリ生スヘキ外国註文品其他工事契約等ノ解約ニ伴フ損害ハ政府之ヲ負担シ、兼業アルモノハ併セテ買収シ、兼業ノ買収価格ハ本業ト同一算法
 - 第9巻 p.586 -ページ画像 
ニ依リテ算出シ、最近年度以後ニ増加シタル建設費ハ実費額ヲ補償ス、其五、線路ノ現況ハ甚シキ不良不備ノモノ無キヲ以テ其ママ直ニ引受クルモ害ナシ、其六、未成工事ハ其ママ政府ニ引受クルモ直ニ之カ建設ニ著手スルヲ要セズ、全国鉄道系統計画ヲ立テ緩急ニ応シ漸次著手スヘシ、其七、建設規程ニ依リ改築ヲ要スル工事ハ其期限ヲ経過シテ改築セザル分ハ之ニ要スル費用ヲ買収価格ヨリ控除ス、其八、事業ノ将来ニ就テハ先ツ営業成績ヲ推算スルノ法ヲ定ム、其法、客車収入・貨車収入ハ既往五箇年度間ニ於ケル平均営業線路一哩ニ対スル人哩及噸哩ヲ算出シ、各前年度ニ対スル増減割合ヲ求メ、其平均割合ニ依リ将来ノ人哩・噸哩ヲ算出シ、最後ノ年ノ平均一人哩ノ客車収入、及一噸哩ノ貨車収入ヲ乗シ算出ス、雑収入ニ就テハ既往五箇年度間ニ於ケル一人哩・一噸哩ノ合計ニ対スル雑収入ヲ算出シ、之ヲ客車収入・貨車収入ノ算出ニ用ヰタル人哩・噸哩ノ合計ニ乗シ算出ス、営業費ニ就テハ既往五箇年度間ニ於ケル一人噸哩ニ対スル平均営業費ヲ算出シ、之ヲ将来ノ人噸哩ニ乗シ算出ス、此方法ニ依リ三十七年度以降五箇年間ヲ推算スルニ毎年益金ノ平均増加割合ハ九分三厘三毛ト為ル、此増加割合ヲ基礎トシ公債額ヲ四億千四百八万四千五百十三円トシ、初年ヲ明治三十九年度トシテ事業ノ将来ヲ推測スレハ数種ノ成績ヲ得ヘキモ就中最モ控目ニ計算シタルモノヲ採リ、即チ当初三箇年ハ益金毎年二百九万円ツツ増加スルモノトシ、次ノ五箇年ハ増加ノ割合一割ツツ減シ、又其次ヨリハ五年目毎ニ逓次二割ツツ減スルモノトシテ算出シ当初五年ハ益金ヲ以テ公債利子ヲ仕払ヒ、其残額ヲ改良費ニ充テ、六年以降ハ其残額ヲ三分シ、各其一ヲ以テ改良費・国庫納付・公債償還ニ充ツルトキハ三十七年目ニ公債全部ヲ償還シ、若干ノ余剰ヲ生ス、其九、買収ノ時期ハ此際ヲ以テ最モ必要トシ、復タ得難キ機会トス、其十、財源ニ就テハ五分利附公債証書ヲ発行シ、代価トシテ額面ヲ以テ交付ス、其十一、事業授受ニ障礙ナキコトヲ期スルニ注意シ、詳細ノ規程ヲ設クヘシ、其十二、事業管理ノ方法ハ中央ニ一ノ部局ヲ設ケ全国ヲ数区ニ分チ、各区ニ管理庁ヲ設ケ、中央ニ於テ作業ノ大体ヲ統理シ、現業事務ノ大部ハ各区管理庁ノ権限ニ委スルヲ便トス、其十三、会社職員ノ処分ハ重役ノ外ハ特別任用令ヲ設ケ、政府ニ引受ケ、又職員ノ救助方法ハ会社ノ規程ニ従ヒ引継ノ際之ヲ処分スルモノトス云々
明治三十八年十一月三十日、大浦逓信大臣ハ内閣総理大臣・大蔵大臣及陸軍大臣ニ協議シ、鉄道国有ノ大体ヲ決シ、十二月五日覚書ヲ以テ閣批内定ヲ経タリ、依テ十七日山之内鉄道局長主宰ノ下ニ調査事項ヲ逓信技師工学博士野村竜太郎・鉄道作業局長図師民嘉・逓信書記官藤田虎力・鉄道事務官原田真義・同井上正進ニ分担セシメ、二十二日鉄道国有法案並ニ鉄道国有ノ趣旨概要、買収価額ニ関スル調書、買収線路調書、買収公債償還ニ関スル調書ヲ具申シテ正式ニ閣議ヲ請ヘリ、而シテ同月二十五日ノ閣議ニ於テ法案十八条ヲ十六条ニ短縮シ、条文ヲ前後シ若干ノ修正ヲ加ヘテ閣批ヲ下セリ
明治三十九年一月七日内閣更迭シタルモ、後継内閣亦鉄道ノ国有ヲ以テ要務ト認メ、二月十七日山県逓信大臣ハ鉄道国有法案及関係書類ヲ
 - 第9巻 p.587 -ページ画像 
具シテ閣議ヲ請ヘリ、其案ニ依レハ買収スヘキ私設鉄道ハ北海道炭砿北海道・日本・岩越・北越・甲武・総武・房総・七尾・関西・参宮・京都・西成・阪鶴・山陽・徳島・九州ノ十七会社ニシテ其開業哩数二千八百十三哩十鎖、総資金二億二千四百七十三万千八百五十円、建設費二億二千七百五十七万二百四十一円、営業成績ヨリ算出シタル総益金一千九百九十八万七千八百六十円、其買収見込総価格ハ四億九百九十三万五千十二円ニシテ、買収見込額カ建設実費ニ満タザル鉄道ハ建設実費トノ平均額ヲ採ルモノトスレハ、四億千二百九十万六千八百八十一円ナリトス、尚ホ該関係書類ニ依ルニ鉄道統一ノ為生スル経費節約額ハ一百八十一万九千三百一円ニシテ、公債償還ノ最長年限ハ三十五年ナルコトヲ示セリ、然ルニ閣議ニ於テハ該法案ヲ修正シ、十七会社ノ外川越・成田・東武・上武・豆相・水戸・中越・豊川・尾西・近江・南海・高野・河南・中国・博多湾ノ十五会社ヲ加ヘ三十二会社ト為シ、従テ買収価格ヲ四億五千八百六十七万七千九百四十二円乃至四億七千九十八万六千七百七十五円トシ、公債償還年限ヲ延長スルモノトシ、尚ホ未タ運輸ヲ開始セザル鉄道亦買収スルコトヲ得ルノ一項ヲ附シ、其他若干ノ修正ヲ加ヘ、三月三日之ヲ第二十二回帝国議会ニ提出シタリ
    第二節 鉄道国有法
明治三十九年三月六日鉄道国有法案衆議院ノ議ニ上リ、西園寺内閣総理大臣ハ提出理由ヲ説テ曰、鉄道国有ノ主義ハ夙ニ鉄道創工ノ際ニ端ヲ発シ、明治二十五年鉄道敷設法ノ制定ニ依リ全国重要ノ線路ヲ予定シ、鉄道公債ヲ以テ之ヲ経営スルノ大綱ヲ明示セリ、但シ其一部ヲ民業ニ委シタルコトアルモ是レ当時財政ノ状態直ニ其全部普及ノ急務ニ応シ難キニ由レルモノニシテ、一時ノ権宜ニ外ナラズ、而シテ民業ニ特許スルノ際ハ皆将来国有ニ帰セシムル条件ヲ保留シ、明治二十七八年戦役後巨額ノ国費ヲ官線敷設ニ投セシモ、三十三年ノ私設鉄道法ニ民業買収ノ原則ヲ明示セシモ、皆此主義ニ拠レリ、今ヤ戦後ノ画策ヲ立ツルニ当リ産業ノ発達ヲ図リ財政ノ基礎ヲ鞏固ニスルハ運輸交通ノ発展ヲ根本トスヘシ、然ルニ国内ノ鉄道ハ官設以外三十有余ノ私設鉄道アリテ北海道ヨリ九州ニ至ル二千哩ノ縦貫幹線スラ尚ホ且ツ官私数箇ノ管理ニ分レ、其他ハ系脈錯綜シテ殆ト統一スル処ヲ知ラズ、為ニ共通ヲ欠キ冗費ヲ生シ運輸ノ便ヲ妨クルニ至ル、依テ鉄道ノ経営ヲ統一シ運輸ノ疏通ト運搬力ノ増加トニ由リテ生産力ノ勃興ヲ誘導シ、設備ノ整斉営業費ノ節約ヲ計リ、運送費ノ低廉ヲ期図セントス、而シテ国家財政ノ方面ヨリ見レハ四十余年後ニハ公債ノ全額ヲ償還シ尽スヘシ、故ニ鉄道国有統一ハ民業ノ勃興ニ資シ、且ツ財政ノ鞏固ヲ図ルノ良策ニシテ、加フルニ軍事上偉大ノ効益アレハ、要スルニ戦後経営ノ急務ト謂フヘシト、是ニ於テ該法案ハ四十五名ノ特別委員ニ附託セラレ、八日議員長谷場純孝ヲ委員長トシ、九日ヨリ十五日ニ亘リテ連日之ヲ討議シ、委員浅野陽吉・加藤政之助・早速整爾・金岡又左衛門ハ原案ニ反対シ、大戸復三郎・長晴登・岡田治衛武・小田貫一ハ賛成シ結局原案反対者十四名ニ対スル三十名ノ多数ヲ以テ逐条審議ニ入ルニ及ハズシテ原案ヲ可決シ、十六日委員長之ヲ議場ニ報告シ、議場ニ於
 - 第9巻 p.588 -ページ画像 
テ議員武富時敏・浅野陽吉・島田三郎ハ原案ニ反対シ、佐々友房・竹越与三郎・望月小太郎ハ賛成シ、一百九票ニ対スル二百四十三票ノ多数ヲ以テ之ヲ可決セリ
是月十九日該法案貴族院ノ議ニ上リ、二十七名ノ特別委員ニ附託セラレ、特別委員会ニ於テ委員子爵曾我祐準・法学博士桑田熊蔵・伯爵徳川達孝等ハ原案ニ反対シ、子爵堀田正養・男爵松平正直・工学博士古市公威ハ賛成シ、終ニ原案ニ修正ヲ加ヘテ之ヲ可決シ、二十七日委員長侯爵黒田長成之ヲ議場ニ報告セシニ、法学博士桑田熊蔵・村田保・子爵谷干城等ハ原案ニ反対シ、工学博士古市公威・男爵田健次郎等ハ之ニ賛成シ、六十二票ニ対スル二百五票ノ多数ヲ以テ委員会ノ修正案ヲ可決セリ、修正ノ要点ヲ挙クレハ、原案ニ買収期間『明治三十九年ヨリ四十四年迄』トアリシヲ『明治三十九年ヨリ四十八年迄』トシ、買収鉄道ハ三十二会社ナリシヲ十五会社ヲ削リ又『本法発布ノ日ニ於テ未タ運輸ヲ開始セザルモノモ亦前条ノ規定ニ準シテ之ヲ買収スルコトヲ得』トアリシヲ削リ、之ニ関聯スル条項亦之ヲ削リ、十七会社ハ『他ノ私設鉄道株式会社ト合併シ又ハ他ノ私設鉄道株式会社ノ鉄道ヲ買収スルコトヲ得ス』ノ一項ヲ加ヘ、並ニ会社ニ於テ異議アルトキ又ハ協定調ハザルトキ、政府カ審査委員ヲシテ決定ヲ為サシムル場合ニ於テ『審査委員ノ決定ハ終局トス』トアリシヲ『審査委員ノ決定ニ対シ不服アルトキハ会社ハ主務大臣ニ訴願ヲ為スコトヲ得』ト修正シ、『買収後公債証書ノ交付ヲ終ル迄ニ要スル清算人ノ職務ニ関スル会社ノ費用ハ、命令ノ定ムル所ニ依リ政府之ヲ支弁ス』トノ一項ヲ加ヘタリ
是日恰モ議会ノ最終日ナリシカハ可決セシ修正案ハ直ニ衆議院ニ回付セラレシカ、衆議院ニ於テハ時間切迫ノ為唯其修正シタル箇条ヲ朗読シ、内閣総理大臣ハ政府ハ本来原案ノ成立ヲ希望スルモ大局ニ鑑ミテ修正案ヲ容レント述ヘ、議員長谷場純孝ハ討論ヲ用ヰズ賛否ヲ決スヘシトノ緊急動議ヲ提出シ、議長ハ之ヲ起立ニ問ヒタルニ議場喧囂ヲ極メタルモ議長ハ動議ノ可決ヲ宣シ、更ニ本案ニ就キ記名投票ヲ以テ採決セント宣スルヤ、反対議員ハ皆退場シ、投票総数二百十四票ハ総テ賛成票ニシテ本案ハ可決確定シタリ
是月三十一日法律第十七号ヲ以テ鉄道国有法公布セラル
    鉄道国有法○前掲ニ付略ス
○中略
    第四節 私設鉄道ノ買収
鉄道国有法第四条ニ依レハ明治三十九年ヨリ四十八年ニ至ル十箇年間ニ於テ十七会社附属鉄道ヲ買収スルモノトセリ、然ルニ斯ク長期ニ至ルトキハ其間種々ノ弊害生シ、並ニ財政上大ナル損失ヲ来シ、併セテ交通上ニ阻礙ヲ与フヘキニ由リ、三十九年七月十八日山県逓信大臣ハ鉄道国有ヲ速ニスルノ議ヲ具シ閣議ヲ請ヘリ
    鉄道国有ノ実行ヲ速ニスルノ議
 第二十二回帝国議会ニ於テ政府ハ戦後経営ノ急務トシテ鉄道国有法案ヲ提出スルヤ一時内外ノ耳目ヲ聳動シ、是非ノ評論朝野ニ喧ク、数月ノ間幾多ノ困難ニ遭遇シタルニ拘ラス、鞏固ナル決心ハ牢乎ト
 - 第9巻 p.589 -ページ画像 
シテ抜クヘカラス、終ニ上下両院ノ協賛ヲ経、玆ニ維新以来ノ宿論タリシ鉄道国有法ノ成立ヲ見ルニ至リタルハ、帝国将来ノ為メ深ク慶賀ニ堪ヘサル所ナリ
 鉄道国有ノ基礎ハ已ニ定マレリ、今ヤ之レカ実効ヲ収メ其実績ヲ挙クヘキ緊要ナル時機ニ際会セリ、思フニ鉄道国有ノ事タル其関係スル所極メテ博ク、其影響ノ及フ所決シテ尠少ナラス、之レカ実行ニ関シテハ須ク事ノ軽重ヲ計リ、緩急宜シキニ適シ慎重ノ用意ヲ以テ時機ノ如何ヲ察セサルヘカラサルハ当ニ然ルヘキ所ナレトモ、而カモ戦後ノ経営ハ一日ヲ緩フスルヲ得ス、産業ノ発達、貿易ノ振作ハ今ヤ上下ノ汲々トシテ唯其ノ及ハサランコトヲ恐ルルノ日ニ於テ之レカ興隆発展ニ資スヘキ鉄道経営ノ統一ハ速ニ其効ヲ全フシ、大ニ其機能ノ発揮ニ努メ以テ法案提出ノ理由ヲ上下ニ明カニシ所期ノ目的ヲ遂行スヘキハ実ニ帝国現時ノ情勢ニ於テ必要ナルノミナラス、之レヲ法案提出ノ情態ニ鑑ムルモ亦当ニ一日ヲ忽ニスヘカラサルノ要務タルヘシ、然ルニ該法発布後其ノ実行ハ之レヲ何ノ日ニ於テ期スヘキカ、漠トシテ其津涯ヲ知ラサルノ状勢ナルニヨリ、今ヤ鉄道事業ニ従事スルモノハ何レモ危惧不安ノ間ニ彷徨シ、諸般鉄道ノ経営ハ啻ニ改善進歩ニ資セサルノミナラス畏縮退嬰僅ニ一日ノ安ヲ貪リ、滔々トシテ萎靡不振ノ境ニ沈睡スルモノ及他ノ一面ニ於テハ上下交モ利ヲ争ヒ、此時会ニ乗シテ種々ノ計策ヲ案シ、以テ貪婪ノ慾ヲ逞フシ、弊害百出、殆ント拾収スヘカラサルノ兆ヲ顕ハスニ至レリ、此趨勢ニヨリテ将来ヲ察スレハ前途洵ニ寒心ニ堪ヘサルモノアリ、試ニ其顕著ナル事例ヲ挙クレハ
    一 買収遅延ノ産業上ニ及ホス損害
 抑モ国有統一ノ趣旨タルヤ已ニ帝国議会ニ於テ屡々明言セラレタルカ如ク、鉄道運輸ノ連絡ヲ便ニシ、運賃ヲ低廉ニシ、以テ我産業ヲ振作鼓舞シ、海外貿易ヲシテ大ニ隆昌ナラシメンコトヲ期スルニ在リ、然ルニ国有統一ノ議決定スルモ之ヲ実行スルコトナク、徒ニ時日ヲ遷延スルニ於テハ戦後一日モ空クスヘカラサル此緊切ノ時機ニ於テ、予期ノ目的ハ毫モ之ヲ収ムルコトヲ得ス、内ハ産業ノ振作、外海外貿易ノ奨励ハ殆ント之レカ実行ニ由ナク、加フルニ会社ニ於テモ既ニ国有ノ議決セラレタル今日ニ於テハ、事業将来ノ為メ深ク計画スル所ナク、唯僅ニ其現状ヲ維持スルヲ以テ足レリトシ、偸安苟且ノ状態ニ在ルヘキハ自ラ然ルヘキ所ニシテ、若夫レ斯ノ如クニシテ曠日弥久荏苒歳月ヲ経過スルニ於テハ、其一般産業ノ上ニ及ホスヘキ弊害ハ果シテ如何ナルヘキカ、啻ニ興隆発展ヲ期スヘカラサルノミナラス却テ其萎靡衰退ヲ招クノ原因トナルニ至テハ、其局ニ当ルモノ豈恐懼堪フヘケンヤ、況ンヤ空前ノ戦役ヲ経、人心大ニ奮ヒ、諸般ノ興業将ニ起ラントスルノ時機ニ於テ、該法律発布ノ為ニ却テ鉄道事業ニ従事スルモノヲシテ頽然惰気ヲ帯ハシメ、漸次荒廃ニ傾カントスルノ趨勢ヲ顕ハスニ至ラハ、遺憾蓋シ之レニ勝ルモノアラサルヘシ
    二 鉄道運賃ノ高騰ヲ誘致ス
 鉄道運輸ハ独占的事業ナルヲ以テ動モスレハ運賃ノ《(ヲ)》引上ケ多大ノ収
 - 第9巻 p.590 -ページ画像 
入ヲ貪ラントスルノ惧アリ、故ニ政府ノ鉄道運賃ニ対スル監督ハ最モ厳密ナラサルヘカラサルハ勿論ナリト雖モ、元来運賃ノ騰貴ハ運輸数量ノ減少ヲ来シ、其低廉ハ数量ノ増加ヲ誘致スヘキハ争フヘカラサルノ道理ニシテ、鉄道ノ如キ永続事業ニ在リテハ目前ノ増収ニ惑ヒ、永遠ニ数量ノ増進ヲ阻礙スルカ如キコトハ其事業ノ発達ノ為メ得策ナラサルニヨリ、思慮アル理事者ハ監督官衙ノ干渉ヲ俟タスシテ運賃ノ低減ヲ講シ、数量ノ増進事業ノ発達ヲ促スコトヲ努ムルヲ常トセリ、然ルニ国有ノ議決シ、其鉄道ハ早晩他ニ買収セラルルノ運命ニ遭遇セル今日以後ニ於テハ、運賃ヲ低減シテ数量将来ノ増加ヲ図ルカ如キ永遠ノ策ハ之ヲ抛擲シ、従来運輸奨励ノ為メ設定セル割引割戻ノ如キ方法ハ其適用ヲ減却シテ単ニ一時ノ増収ヲ計ラムトスルニ至ルハ自然ノ趨勢ナリ、而シテ会社ノ運賃割戻ノ規程ニ付テハ政府ノ認可ヲ要スヘキコト私設鉄道法ノ規定スル所ナルモ、割引ノ増減ハ監督官庁ノ認可ヲ要セスシテ会社ノ随意ニ処分シ得ヘキ範囲極メテ広大ナルカ故ニ、政府ノ監督厳密ナルモ尚ホ運賃ノ高騰ニ対シテハ之ヲ禁止スルコト能ハサルナリ
    三 買収遅延ノ財政上ニ及ホス損失
 将来国有タルヘキ十七会社所属ノ鉄道中日本・山陽・九州・関西・甲武・総武・炭礦及参宮ノ八鉄道ハ国有法第五条ニ依リ算出シタル価格ヲ以テ買収セラルヘキ有利ノ鉄道ニシテ、其建設実費ニ対スル買収価格ノ増加割合ヲ見ルニ左ノ如シ

図表を画像で表示--

 公債時価ハ百円ニ対シ九十円トス     建設費ニ対スル益金割合  建設費百円ニ対スル買収価格  建設費百円ノ増加ニ対スル会社ノ利益  会社ノ利益ヲ公債時価ニ換算シタルモノ       割            円               円                  円 日本  一、一九八       二三九・六〇〇         一三九・六〇〇            一二五・六四〇 山陽  一、〇〇八       二〇一・六〇〇         一〇一・六〇〇             九一・四四〇 九州    九五〇       一九〇・〇〇〇          九〇・〇〇〇             八一・〇〇〇 関西    五七〇       一一四・〇〇〇          一四・〇〇〇             一二・六〇〇 甲武  一、四六六       二九三・二〇〇         一九三・二〇〇            一七三・八八〇 総武    九九四       一九八・八〇〇          九八・八〇〇             八八・九二〇 炭礦  一、二四六       二四九・二〇〇         一四九・二〇〇            一三四・二八〇 参宮    九九六       一九九・二〇〇          九九・二〇〇             八九・二八〇 



 従来会社ハ設備ノ改良増設ニ付テハ政府ノ督促アル場合ト雖、其収益配当ノ減少ヲ顧慮シ其実施断行ニ躊躇セシ実例尠カラサリシト雖今ヤ各社ノ投資ニ対シテハ必ス一定ノ利益アルヘキコト国有法ノ規定ニ依リ確実トナリシヲ以テ設備ノ増設、支線ノ延長、又ハ複線ノ敷設等従来抛擲シテ顧ミサリシ施設ニ対シ俄ニ著手施行セントスルノ趨勢ナリ、現ニ本年四月以後各社カ国有法附則等ニ依リ政府ノ認可ヲ申請セル工事費ノミヲ計上スルモ僅々一ケ月余ニ於テ其額一千二百十余万円ニ達セリ、此金額ヲ買収代価ニ換算スレハ二千三百五十余万円タリ、仍ホ今後続々新設工事及工費ニ関スル申請提出セラルヘキコト疑ナシ、而シテ此等改良増設ノ計画タル縦令直接其利益ヲ見ル能ハサルモノトスルモ公益上将又産業ノ振興ニ関シ必要ナル計画ナリトスレハ、買収価格ハ大ニ増加スルコト明瞭ナルモ、斯ル
 - 第9巻 p.591 -ページ画像 
理由ヲ以テ之ヲ否認スヘキモノニ非サレハ政府モ亦速ニ之ヲ認許セサルヘカラサルコト勿論ナルヘク、若シ政府カ一日モ速ニ鉄道買収ヲ実行シ国有ノ後ニ於テ政府自ラ起工セハ実費僅ニ百円ヲ以テ弁スヘキ同一事物ニ対シ、甚シキハ二百九十余円ヲ買収代価トシテ支払フノ割合トナル、現時ノ情勢ヲ以テ将来ヲ察スレハ其積集スル総額ハ決シテ尠少ナラサルヘシ、買収一日遅延スレハ一日損失ヲ増加シ数年ナラスシテ買収価格ハ驚クヘキ鉅額ニ達スルニ至ラン、果シテ然ラハ法案提出ノ当時ニ於テ予想シタリシ公債償還年割ノ如キ総テ其根底ニ於テ差違ヲ生シ一切ノ計画ハ終ニ之ヲ遂行スルノ期ナキニ至ルヘク、其国家財政上ニ及ホス損失ハ決シテ容易ナラサルヘシ
    四 買収ノ遅延ハ鉄道設備ノ改良ヲ阻止ス
 有利ナル鉄道ニ付テハ前ニ述フルカ如ク其施設ニ付財政上ノ損失アリ之ニ反シ国有法第八条ニヨリ建設費以内ニ於テ其価格ヲ協定スヘキ鉄道ニ付テハ会社カ将来改良増設等ノ工事ノ為支出スヘキ資金ハ其買収セラルル場合ニ当リ少クトモ公債額面ト其時価トノ差額ハ必ス会社ノ損失ニ帰スヘキ計算ナルヨリ私設会社タルモノ誰カ好ンテ明ニ損失ヲ生スヘキ施設ヲ為スモノアランヤ、為ニ鉄道運輸ニ必要ナル改良計画ハ一切之ヲ行ハス緊要ナル設備モ亦之レヲ全フセサルニ至ルヘク其社会一般ニ及ホス弊害ハ是又決シテ尠少ナラサルヘシ
    五 買収ノ遅延ハ運輸上ニ危険ヲ来スノ虞アリ
 買収予定会社ハ今後買収実施ニ至ルノ間ハ力メテ営業費ヲ節約シ、以テ株主ノ配当ヲ増加セントスルハ勢免レサル所ナリ、之カ為線路及車輛等ノ修繕保存等ニ於テ目前必須ノ事ニ係ルモノヲ除クノ外自ラ之ヲ閑却スルノ傾向ヲ生シ、後日ノ不利ヲ来スノミナラス、延テ運転上ノ危険ヲ醸スニ至ルヘシ、勿論監督当局ニ於テハ其機関ヲ拡充シ、一層ノ督励ヲ加フルコトヲ怠ラサルヘシト雖、如上ノ営業方針ハ事々物々ニ纏綿スヘキカ故ニ監督如何ニ厳密ナルモ、竟ニ毫末ノ遺漏ナキヲ期スルハ殆ント不可能ノ事ニ属スヘク、随テ公衆ニ危険ヲ及ホスヘキ機会ノ発生漸ク滋キコトヲ免レサルナリ
    六 係員不安ノ念ハ職務ノ曠廃ヲ来スノ虞アリ
 現業従事員ハ鉄道ノ買収ト共ニ之ヲ引継クヘキヲ以テ此等係員ハ其地位ノ安固ヲ害セラルルコトナキカ如シト雖、会社職制ノ下ヨリ転シテ政府ノ官紀ニ服スルハ係員身分上ノ一変動ニシテ、其俸給及給与ノ如キモ亦従前ト異リタル規程ニ依ルカ故ニ、係員個々ニ在リテハ引継ノ際如何ナル変動ニ遭遇スヘキヤノ掛念ナキ能ハス、此不安ノ念ハ自ラ職務ノ上ニ影響シ乗客及貨物ニ対シ取扱上充分ノ便ヲ与フルヲ怠ルノ虞アルヘシ、是亦前項保存修理ノ懈怠ト共ニ鉄道業務発達上決シテ之ヲ等閑ニ付スヘキモノニアラス
    七 買収ノ遅延ハ国有法ノ改廃ヲ来スノ虞アリ
 曩ニ第二十二議会ニ於テ国有法案賛否ノ声囂々タルニ際シ、二三大鉄道会社ハ法案中ノ価格算定方法ニ関シ改正案ノ提出ヲ企図セシハ事実ニシテ、或ハ該法第五条ノ益金二十倍トアルヲ進メテ二十二三倍ニ改正セムコトヲ計画スル等其他種々ナル画策ヲ為セシコトアルモ当時ノ事情ハ之ヲ容サス、遂ニ議場ノ問題タルニ至ラスシテ已ミ
 - 第9巻 p.592 -ページ画像 
タリト雖、若シ今後国有法ノ実行ヲ躊躇シ更ニ着手スル所ナクシテ空シク次ノ議会ヲ迎フルニ至ラハ曩日鬱積シタリシ種々ノ計画ハ一時ニ紛起シ、改正修正ノ諸法案ハ続出シ、再ヒ渾沌タル渦中ニ投入シ、社会全般ニ及ホスヘキ紛擾ノ因タルヘキハ今ヨリ之ヲ逆睹スルニ難カラス、況ンヤ已ニ秘密ノ間暗ニ志ヲ同ウスルモノヲ糾合シ、窃ニ時ノ至ルヲ待ツモノアルニ於テオヤ、顧レハ万難ヲ排シテ漸ク成立シタリシ国家大策ノ基礎タルヘキ国有法ナルニ再ヒ之ヲ紛擾ノ裡ニ投シ、万一ニモ一部ノ修正成立スルカ如キコトアレハ是レ即チ全部崩壊ノ端ニシテ此緊要ナル法律ハ終ニ其存立ヲ失フニ至ルコトナキヲ必スヘカラス、実ニ将来ノ為ニ転タ憂懼ニ堪ヘサル所ナリ、惟フニ鉄道国有法中特ニ買収時期ヲ十箇年ノ長期ニ亘リ規定セシ理由ハ一時ニ数億円ノ公債ヲ発行スルニ於テハ為ニ市場ニ於ケル公債ノ価格ヲ低落センコトヲ憂ヒ、其公債市価ニ及ホス影響ヲ避ケンカ為メ此規定ヲ設ケタルニ外ナラスト雖、元来会社株券ト公債トハ均ク市場ノ流通証券ナルヲ以テ単ニ公債ヲ株券ニ引換フルモ其価格ニ対シ甚シキ影響ヲ及ホスコトナシトハ従事屡々論述シタル所ナリ、然レトモ今仮ニ多少ノ影響ハ之ヲ免レサルモノト仮定シ、而シテ尚買収遅延ノ理由ナキコトヲ弁センニ今ヤ国有法ハ已ニ発布セラレ、鉄道株券ハ将来必ス公債ニ交換セラルヘキコト確定シ且其公債ニ対スル換算価格モ亦略ホ一定セシ場合ナレハ、果シテ影響ヲ及ホスヘキモノナリトスレハ公債価格ハ之カ為メ既ニ其ノ受クヘキ影響ハ最早之ヲ受ケタルモノナルコト疑ナシ、然ルニ其影響タルヤ予想以外ニ微弱ナリシコトハ事実ナリ、此ニ於テカ更ニ言ハン、株券ト公債トハ現ニ其形ヲ異ニシ加フルニ其ノ引換手続ハ未タ之レヲ了セサルヲ以テ其影響モ亦未タ甚シカラサルナリト、果シテ然ラハ将来仮令鉄道買収ニ著手スルモ、株券ト公債トノ交換ヲ実行スルハ買収後尚ホ五箇年ノ長期間ヲ有スルヲ以テ此間ニ於テ市場ノ状況ヲ斟酌シ、適宜公債ノ交付ヲ為スニ於テハ其及ホス影響ハ決シテ多大ナラサルヘシ、約言スレハ現在国有法ノ制定発布ニ依リ公債市価ニ影響スル所甚微弱ナリシカ如ク、買収時期ノ指定モ亦甚シキ公債市価ノ下落ヲ招クカ如キコトナキヤ蓋シ疑ナカルヘシ、然ルニ公債市価ニ及ホス影響ニ関シ徒ニ杞憂ヲ懐キ之カ実行ヲ遅延シ、公益上及財政上尠カラサル損害ヲ招クカ如キハ決シテ策ノ得タルモノニ非サルナリ
 上来叙述シタルカ如キ次第ナルヲ以テ冀クハ此ニ大体ノ方針ヲ決定セラレ、一日モ速ニ買収ノ時期ヲ定メ以テ将ニ起ラントスル諸般ノ弊害ハ之ヲ萌芽ノ中ニ刈除シ、一般鉄道ニ従事スル者ニ対シテハ其ノ適従スル所ヲ知ラシメ、大勢ノ向フ所到底之ヲ回スヘカラサルモノナルコトヲ固ク天下ニ知了セシメ、将ニ来ラントスル種々ノ紛擾ニ対シ予メ之ヲ制シ一面維新以来ノ宿論ヲシテ之ヲ実際ニ其効果ヲ収メ、一面戦後経営ノ急務ヲ全フスルコト実ニ刻下ノ要務タリ、曩ニ本案ノ議会ニ提出セラルルヤ異論百出、盛ニ政府ノ提案ニ対シ弁難攻撃ヲ試ミタリシ新紙論客モ今ヤ国有ノ一日モ速ナラシムルコトヲ唱導シ、其遷延ノ非常ナル害毒ヲ貽スモノナルコトヲ呼号スルニ至レリ、是レ所謂機ノ熟シタルモノナルヘク之ヲ断行スルニ於テ最
 - 第9巻 p.593 -ページ画像 
モ其時ヲ得タルモノナルヘシ
該議ハ七月二十日ヲ以テ閣批ヲ得、即日買収期日ヲ当該会社ニ通告シ翌二十一日逓信省告示ヲ以テ左ノ買収期日ヲ公示シタリ
 北海道炭砿鉄道株式会社所属鉄道  明治三十九年十月一日
 甲武鉄道株式会社所属鉄道     明治三十九年十月一日
 日本鉄道株式会社所属鉄道     明治三十九年十一月一日
 岩越鉄道株式会社所属鉄道     明治三十九年十一月一日
 山陽鉄道株式会社所属鉄道     明治三十九年十二月一日
 西成鉄道株式会社所属鉄道     明治三十九年十二月一日
其他ノ鉄道ニ対シテハ翌四十年四月一日閣議ヲ稟請シ、二日閣批ヲ得四日左ノ如ク告示セリ
 九州鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年七月一日
 北海道鉄道株式会社所属鉄道    明治四十年七月一日
 京都鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年八月一日
 阪鶴鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年八月一日
 北越鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年八月一日
 総武鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年九月一日
 房総鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年九月一日
 七尾鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年九月一日
 徳島鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年九月一日
 関西鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年十月一日
 参宮鉄道株式会社所属鉄道     明治四十年十月一日


東京経済雑誌 第五三巻第一三二五号・第二八〇―二八一頁〔明治三九年二月二四日〕 鉄道の買収価格に就て(日本鉄道会社専務取締役久米良作君談)(DK090060k-0005)
第9巻 p.593-595 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三二五号・第二八〇―二八一頁〔明治三九年二月二四日〕
    鉄道の買収価格に就て(日本鉄道会社専務取締役久米良作君談)
今回政府が大小鉄道を統一せんとするに就て、予輩は素より何等の異議を懐く者に非ず、政府が之を統一するは財政上大に得策なりとするに於ては其統一計画に対して毫も反対すべきものに非ずと信ず、然れども近く政府が議会に提出すべき鉄道国有案の内容なりとして伝ふる所の私設鉄道買収標準に就ては、予輩大に異論を挿まざるを得ざるなり、但し予輩は鉄道の当業者たるの故を以て其統一に向つて反対を叫ぶものに非ず、之を国有とする固より可なり、蓋し鉄道法によれば、私設鉄道が其一定の年限を経過する時は政府は任意に之を買収し得る権能を有するの規定あればなり、然るに政府が私設鉄道会社に賦与したる特許営業年限の未だ経過せざる間に於て、猥りに之を買収せんことを企図し、而も強制的手段に出て、私設鉄道会社の株主に対し損耗を負はしめて、其国有の目的を遂行し是を以て国家の財源を増殖せんとするが如きことあらば、予輩は鼓を鳴らして其非を攻撃せざることを得ざるなり、政府が私設鉄道買収価格を評定するに就ては、明治卅五、卅六、卅七年の三ケ年間に於ける各会社の純益を平均したる額の二十倍の価格を以て買収すべしといふ、今該標準に拠り各鉄道株の価格を附すれば実に左の如し
 日本鉄道株百十七円余、炭礦鉄道株百二十七円余、甲武鉄道株百六十六円余、参宮鉄道株百〇八円余、関西鉄道株五十八円余、九州鉄
 - 第9巻 p.594 -ページ画像 
道株九十一円余、山陽鉄道株九十五円余
政府は三ケ年間の平均利益の二十倍を以て買収すといふに当り、何故に昨三十八年分を除外せられたる乎、其理由頗る曖昧に属するなり、又明治三十五年は我国の不景気の頂点に達したる年にして、翌三十六年に至つては東亜の風雲暗澹として国民は一般に何事も手控へ勝ちなりし為め、総ての事業頗る静沈せる時なりしを以て、各鉄道会社の収益極めて減少したりしと雖も、鉄道が年々其収益の増進するは明白なる事実なりとす、然るに今回政府の国有案なりと称するものを見るに殊更に卅八年を除去して鉄道会社に取分け収益の尠少なりし其以前の三ケ年の純益の平均額を以て標準と定めたるは、是れ其株主に損耗を負はしむる者ならずや、故に予輩は敢て国有案に反対の意を表する者に非ずと雖も、其之を行ふに当り株主の利益をも犠牲に供し、政府独り利益せんとするが如きは、非道の挙措なりと謂はざるを得ず
又各私立鉄道会社が其収益金を算出するに就ては各其計算方法を異にするを以て、各会社が発表したる純益金と称する者を標準と為すは極めて杜撰の方法なりと謂ふべきなり、例へば日本鉄道会社の如きは従来補給関係と財産の鞏固を図るが為め、他の鉄道会社に比して別段の計算法に依り、其設備の如きも改善を為すこと頗る多く、且つ其改善を計るには、概ね純益金を以て支弁するか故に年々其目的の為めに支出する改良準備金の如きは極めて巨額に達せり、是れ必しも収益の増加を主眼とするに非ず、主として財産の安固改善を期するに出てたる者なり、而して他の会社にありては当然興業費として財産に編入し居るものをも営業費に決算し、若くは無代価の儘にて放擲して専ら財産の原価の低廉を図り居るを以て純益金の減少せるもの頗多し、されば是等の事実の存在する以上は単に利益金の平均額を以て買収価格の標準とするに於ては、株主たるもの誰れか之に反対せざる者あらんや
加之、政府が民業を収用するに於ては、特許営業期限に於ける事業の発達より増加し来る利益に値する代償なくして之を強奪するは苛酷不法の措置ならずとせず、即ち日本鉄道の如きは其特許年限に依れば来る明治六十五年迄営業の継続を為すことを得るを以て、将来に於て剰余する年間に於て生すべき利益の代償を、既往の利益増進率を以て之を推算すれば、非常なる巨額の算額を得可く、到底過去三ケ年間の利益の平均額を以て打切り直ちに之を売却し得るものに非ざるべし、既に過去三ケ年を見る以上は、将来も少くも三ケ年間の利益増進率を以て計算すべきは固より当然なるべし、若夫れ此の計算法に拠れば株券の買収価格は上述の推定価格の二倍に達し、日本鉄道株の如きは其買収価格凡そ二百数十円の高価に上る可きや明なり
而して政府が私設鉄道を買収するに当り、公債を発行して以て鉄道株券と交換せん乎、公債は市場に充溢して時価の下落を誘致す可きを以て、政府は相当の割引を要する事は勿論、株主の計算を為すに於ても亦其減額を見込まざる可らず、又鉄道の配当金に対しての所得税は之を会社にて支弁するものなれども、公債にありては其所有者は自ら其所得税を負担せざる可らず、且又鉄道株を以て公債に換ゆるに至らば鉄道株は悉皆市場より撤去せられ、四品取引所の市場より塩を取去り
 - 第9巻 p.595 -ページ画像 
し時の如く、株式取引所の市場は僅に郵船株、紡績株其他多くの公債証券を残留するのみにして頗る落莫なる形勢を呈するに至る可し
惟ふに政府は従来民業たりし煙草業を奪ひ、塩営業を奪ひ、今回又鉄道会社を奪ひ、其勢に乗じて酒も砂糖も皆官営となすに至らば、既に有利なる事業其跡を絶ち、民業の発達は遂に杜塞するに至る可し、国民経済の発展上是れ豈に策の得たるものならんや


東京経済雑誌 第五三巻第一三二七号・第三五三―三五七頁〔明治三九年三月一〇日〕 鉄道買収は断じて非なり(乗竹孝太郎)(DK090060k-0006)
第9巻 p.595-599 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三二七号・第三五三―三五七頁〔明治三九年三月一〇日〕
    鉄道買収は断じて非なり (乗竹孝太郎)
西園寺内閣は終に鉄道買収法案を議会に提出したり、今や未曾有なる大戦役の後を承けて、財政の整理及び民業の発展を最も急務とするの時に当り、現内閣が如何なる藩閥内閣、如何なる蛮勇大臣にても、敢て為さゞるほどの、軽挙妄動を是れ事とし、殆ど国利民福を眼中に置かざるの状あるは、余輩国家大計の為めに謀りて、実に浩歎に堪へざるなり、又之を常識に訴へて、大に怪訝せざるを得ざるなり
鉄道買収法案理由書の冒頭に曰く、鉄道は国家自ら経営すべきものにして云々」と、嗚呼何人が之を斯く定めたるや、是れ一箇の臆断たるに過きずして、天の命令にもあらず、憲法の命令にもあらざるなり、鉄道の民有官有は各国多年来の問題なりと雖も、今日に於ては主として実利実益の上より論議せられ、官民の権義に関する純然たる理論の如きは、敢て重視せられざるなり、然るに政府の法案は、全く此の一箇の臆断に基けるものなり、而して西園寺首相の説明演説に依れば、鉄道国有を以て戦後経営の急務中の急務なりと為し、之を実行するには今日を以て逸すべからざるの好機と為せり、余輩玆に至て更に首相の詭弁に驚かざるを得ず、唯議会の多数党に盲従の形勢ある一事の外は、今日を以て実行の好機と為すべき何等の理由なきのみならず、反て其の時機を得ざること今日より甚しきはなきなり、何となれば今や我が内外の国債は非常に激増し、明治四十年度の初には、臨時事件に関する分十八億二千二百万円余、旧来の分五億七千二百万円余、合計約二十四億円の巨額に達せんとするに当り、更に鉄道買収の為めに四億乃至五億円の公債を発行するは、財政の鞏固と国債所有者の利益とを害すること甚だ大なればなり、且他日戦後の財政計画確定するの結果、尚ほ此の外にも国債の増募を必要とすることあるべく、又国民は既に過重の租税負担に呻吟しつゝあるが故に、万一臨時非常の事起るに会せば、国家は殆ど毫も財源を求むるの余地なきに至るべし、余輩は我が国力の将来に関して、決して悲観説を抱くものにあらずと雖も日露の大戦役は我が経済上に何等の悪影響をも与へざりしとは云ふこと能はず、否な其影響を蒙ること甚だ大なりしは、彼の講和談判の大屈辱を意とせざりし、所謂首脳政治家や之に雷同せる輩の最も能く了悉せる所なるにあらずや、然るに何事ぞ、此等政治家は千戈一たび擑まるや、国民に対しては放縦殆ど至らざる所なく、果ては終に鉄道買収法案をも軽々に提出し来り、黒雲を以て実業界を蔽ひ、一世の人心をして、国富を開拓し、実力を涵養するを忘れて、徒に投機攫利の末に走らしめ、民業を擾乱し、財産権を侵害し、以て戦後経営の大成を
 - 第9巻 p.596 -ページ画像 
妨碍するあらんとは、実に惑へるの甚しきものにあらずや、故に鉄道買収は不急務中の不急務にして、今日は決して之が実行を許すべからざる、最悪の時機なりとす
不換紙幣を濫発して其の価格暴落せば、凡そ紙幣を有するものは、其の暴落に応じて財産を失ふべし、是れ明白にして何人も之を疑ふものなかるべし、国債を濫発して其の価格暴落するの場合亦何ぞ之と異ならんや、銀行会社にまれ箇人団体にまれ、凡そ国債を有するものは、為めに其の財産を失はざるを得ざるなり、唯鉄道買収の場合には、国債増加する代りに鉄道株式減少するが故に、自ら其の影響を緩和するに相違なしと雖も、而かも結局国債の下落を招くべきは必然なり、米の供給如何に豊なるも、麦の供給乏ければ、米価下落せずと云ふべきか、是れ決して然らず、両物品互に其の需要者を異にすればなり、今鉄道株式の需要者は、決して悉く国債の需要者にあらざるなり、殊に国債は年々一定の利子を生ずるのみにして、事業の盛衰に従ひ収益増減するが如き妙味なし、況や国債は借替の為めに利子を減少せらるゝの危険あるに於てをや、多少実業思想あるものは、豈晏然として国債を有することを楽まんや、男子の恥游食より大なるはなし、従来鉄道株式を有せるものは、鰥寡孤独と相伍し、事なくして食するに甘んずる無骨者無力者のみと見做すこと能はざるなり、故に此等の株主は国債を売りて他の株式を買ひ、若くは実業を計画するあるべし、加之相場の甚しく下落せざる間に、之を売抜けんとして互に先を競ふあるべし、約五億の国債新に民間に落つる以上は、到底相場の暴落を起し、一般に国債所有者の財産を殺くを免れざるべきなり、外国に於ける我が国債は、投機者の手許に存し、未だ真正所有者の手許に落付かざるもの頗る多額なるが故に、外国人が此の上無限に我が国債を吸収せんことは蓋頼むべからず、而して内国債の外国に輸出せらるゝこと多大なるに従ひ、我が政府今後の外債募集力は益々減少し、金貨年々の流出高は益々増加することを覚悟せざるべからず、首相は漫然鉄道買収を以て、財政の鞏固を計るの良策なりと云ふも、余輩は其の何の故たるを了解する能はざるなり
我が官設鉄道は、明治五年に於ける開業哩数十八哩、益金六万一千円余より、二十七年度に於ける開業哩数一千四百六十一哩、益金一千一百九十四万二千円余に発達し、之に対して私設鉄道は、明治十六年度に於ける六十三哩及び十八万九千円余より、二十七年度に於ける三千二百三十二哩及び二千三十六万三千円余に発達したり、是れ官民鉄道発達の概要なり、而して民設鉄道が此の発達を遂げたるには、経営惨憺辛苦曲折の歴史あり、然るに其の漸く発達して前途益々好望あるに及び、政府一朝之を買収して官営に移さんとす、是れ民業を蹂躙し私設会社の既得権を褫奪するものに非ずして何ぞや、ビスマークが普仏戦争後、日耳曼全帝国の鉄道を官有に統一せんとして失敗するや、独り普露士州に限りて之を決行したり、一千八百七十八年に於ては、同州の鉄道中官有のもの約三千哩、民有官営のもの二千哩余、民有民営のもの六千哩なりしに、漸々之を買収したるが為め、一千八百八十四年に於ては、官有のもの約一万三千哩、民有のもの僅に一千哩となれ
 - 第9巻 p.597 -ページ画像 
り、而して政府は価格を評定して、民設鉄道を買上ぐるの権利を保有したるにも拘はらず、実際の買収は協定法を以てし、決して法律上の権利に基き強制するを為さゞりき、又買収代価は概ね四分利公債を以て交付したれども、其の条件は甚だ寛大なるものありき、然るに今我が政府の為さんと欲する所は如何、政府は法律を以て明定せる会社の特許年期未だ尽きざるにも拘はらず、政府所定の条件に依り、強制的に之を買収せんと欲するものにあらずや、是れ株主の財産権と会社員の職業権とを侵害する者にして、彼の鉄血宰相すら為すを憚りたる暴断に出づるものなり、然れども協定法を取るとせんか、薄利なる会社のみ買収に応じ、鞏固なる会社は之に応ぜざるべし、其の結果国庫に非常の不利益を招き、且鉄道統一の目的を達する能はざるは、余輩の既に論したるが如し、強ゐて之を買収せんとせば、非常に寛大なる条件を以てするを要す、而して是れ亦国庫の堪へ難き所なり、然らば則ち強制法固より非なり、妥協法亦非なり、只一の光明ある方針は、全然此の無謀なる法案を抛擲するにあるのみ
首相は鉄道を政府の経営に統一し、運輸の疏通と運搬力の増加とに依り、生産力の勃興を誘導すと云へり、而して此の説に何の根拠あるかを示さゝるなり、今近く我が鉄道の成績を見よ、明治十六年度より三十七年度まての収入百円に対する経費割合を平均すれば、官鉄は四十六円にして、民鉄は四十四円なり、而して明治四年より十五年度までの官鉄の平均経費割合は五十一円十銭なるが故に、之を三十七年度まで通算すれば平均四十八円五十銭となるなり、又三十七年度に於ける鉄道作業局及び北海道鉄道部の職員は二万五千四百二十四人、其の俸給月額は三十九万五千八百五十三円にして、民設諸会社の職員は四万一千十四人、其の俸給月額は五十四万五千四百四十円なり、今之を各自の開業哩数に対照すれば、官鉄は一哩に付十七人四と二百七十円九四とを要し、民鉄は一哩に付十二人六と一百六十八円七六とを要せり此等の事実は歴々として、官鉄の比較的失敗と、民鉄の比較的成功とを証するものにあらずや、官鉄の経費多大と、経営拙劣とを証するものにあらずや、官鉄は東海道の如き利益多き線路を有して尚ほ然り、民鉄競争の健全なる刺激を受けて尚ほ然り、況や全国の各線路政府の掌握に帰したる後に於てをや、官風吏俗忽ちに瀰蔓し、浪費冗員は益益増加し、経営は敏活親切を失ひ、吏員の態度は傲慢不礼となり、改良進歩は殆ど阻止せられ、其の弊害の及ぶ所真に測るべからざるものあらん、而して経験に富み熟練を積みたる民設会社の職員を失ひ、新参の職員各線路に現出すべし、余輩は鉄道「アクシデント」の如きも一事或は増加するあらんを恐るゝなり
又外国の実例を見るに、普露士は官営主義を実行したりと雖も、其の得失は尚ほ試験中に属し、決して官営の優勝を証明したりと云ふを得ず、白耳義に於ては政府自から幹線を建設し、支線及び接続線は往々之を人民の企業に委したりしが、政府は一千八百五十年に於て、其の最初の布設計画完了したるを以て、一時鉄道の建設を中止したり、是に於てか、民設鉄道勃然として起り、官民両鉄道の間に劇烈なる競争行はれたりしが、同国の鉄道経営に著大なる改良発達を告げ、永く其
 - 第9巻 p.598 -ページ画像 
の余恵を後年に遺したるは、全く此の競争の結果にてありき、而して政府は終に民鉄の競争に堪ふる能はずして、一千八百七十年以来之が買収に着手し、同八十年に於ては、全国鉄道の大半を掌握するに至れり、然るに統一の結果たるや、経営上活動を失ふて遅鈍となり、収益減少し随て賃率騰貴し、車輛欠乏し、手続上繁文縟礼を加ふるにありき、又伊太利に於ては鉄道会社の困難と政治上の理由との為めに、其の四大鉄道は政府の有に帰したれども、官営の得失如何は多年の難問題となり、終に一千八百七十八年に至り、委員を撰定して之を調査せしめたり、該委員は両三年に亘りて、懇到周密なる調査を遂けたりしが、委員は其の決論に於て、鉄道官営の主義を排斥したり、其の理由の一に曰く、官営は民営に比して一層低廉なりと唱ふるものあれども是れ誤謬にして、事実は全く之に反せり、私設会社は顧客の為めに、政府の為し能はざる所を為し得るなり、政府は実業を奨励するよりも反て之に課税せんと務むるの恐れあり、而して政府にして実業に課税せんと欲せば、民設会社に比して一層大自在力を有し、一層無責任なり、二に曰く、各国に於ける官営と民営との実績に徴するに、官営は民営よりも一層多費なり、三に曰く、官営制度に於ては、政治は鉄道経営を腐敗せしめ、翻て鉄道経営は政治を腐敗せしめ、政治上の危険頗る大なり」と、委員の決論斯の如し、而して更に数年の討議を積み結局政府は官有鉄道の経営を二大会社に委託することとなりしが、其の経費及び収益の分配に関する規定の如きは、極めて複雑なるものなりとす、之に反して英国及び米国は、超然として民営主義を固守し、其の鉄道事業駸々として発達しつゝあるは、著明なる事実なり
叙上の如くなれば、我が国の実験と外国の実例とは、全く首相の所論に反するなり、余輩は大に恐る、不幸にして官営説実行せらるゝあらんには、少なくも当分は鉄道の収益大に減少し、国債の利子をも産むに足らずして、既に窮乏せる国庫に非常の累を及ぼさんことを、而して政府は成るべく此の損失を軽減せんが為めに反て賃率を引上げ、生産力の勃興を挫折するに至るべし、是れ必ず免れざるの結果ならん
官営論者は軍事上の便否を以て、最後の支柱と為すが如し、勿論我が現行の鉄道制度は完全無欠なるにあらず、故に軍事当局者をして之を論せしめば、不便を訴ふべきもの必ず尠なきにあらざるべし、然れども日清戦争に於ても、又今回の日露戦争に於ても、我が鉄道は能く軍隊大輸送の任務を完うし、格別の支障なかりしは、中外の共に認むる所なり、而して官鉄は平生の経営に於て既に民鉄に劣るとせば、何故に戦時に於て之に優るべきか、若し純然たる官営制度に於て非常の大輸送を試むるの機会ありとせば、余輩は軍事当局者が翻然として、官営の一層不便甚しきを悔悟するあらんを信ずるなり、而して官営制度の下に於て斯の如き事変に遭遇せば、商業上産業上の運輸交通は、恐は全然断絶せらるゝに至るべし、且欧洲大陸諸国の如く、其の境界犬牙錯雑するものと、我が国の如く四面海を環らすものとは、敢て同日に論するを得ざるなり
私設鉄道に於ても弊害なきにあらざるは、余輩固より之を認む、一方に於ては専横に流るゝの弊害あり、一方に於ては共通聯絡を欠くの遺
 - 第9巻 p.599 -ページ画像 
憾あり、故に法律を以て必要の制裁と監督とを加へ、其の弊害を矯正するは至当なり、英米の如き自由国と雖も、今日に於ては此の主義を採らざるはなし、而して我が国に於ては法律の文字は略ぼ完備し、唯実際の運用に於て遺憾あるのみ、故に全力を尽すべきは実に此の点にあるなり、鉄道の民営に多少の弊害あるを恐れて、忽ち官営を実行せんとするは、所謂る悪魔を怖れて、直に深海に飛込むものなり、此の両極端の間に、必ず濶歩すべき坦々たる大道あるべきなり
余輩は鉄道買収法案が、果して如何なる動機に出でたるかを了解する能はず、或は恐る、是れ政治か鉄道経営を腐敗せしむるの大発端たるにあらざるかを、然れども其の動機は何れにありとするも、要するに是れ非常の悪法案なり、須らく速に之を否決して、実業界を蔽へる妖雲を払拭せざるべからざるなり


東京経済雑誌 第五三巻第一三二八号・第四三五―四三六頁〔明治三九年三月一七日〕 ○鉄国案と鉄道業者の意向(DK090060k-0007)
第9巻 p.599-601 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三二八号・第四三五―四三六頁〔明治三九年三月一七日〕
    ○鉄国案と鉄道業者の意向
鉄道国有案は、刻下の大問題にして賛否の議論区々として喧しく、昨十六日を以て愈々衆議院の議事日程に上りたるが、委員会は多数にて之を可決したれば、衆議院を通過するは必然なるが如き形勢あり、之に対する鉄道家の意向如何を見るに、去る九日関東・東北の各鉄道会社間に組織せられたる隔月会の人々は逓信大臣を訪問し、鉄国案に付き逐条質問する所あり、要するに
 一、鉄道審査官は之を官民双方より任命し、貴衆両院議員・実業家等をも参加せしむる事
 一、其規模は出来得る丈大にして且つ公平無私なるべきを期す
 一、現に各会社の現業従事者に対しては総て特別任用令を以て官吏の資格を与へ依然職務を執らしむべき事
 一、本法案通過の上は直に施行細則を発布して万遺憾なからしむべき事
 一、買収の前後其他に関しては是亦本案通過後買収局なるものを設け、同局に於て審査したる上之を決定すべき事
等の答弁を得、同五時三十分に至り漸く散会したるが、其結果翌二十日午後五時より、上野精養軒に日本・北海道・総武・甲武・成田・東武・房総(炭砿鉄道を除く)の各鉄道会社の社長・幹事・課長等十数名会合し、左の決議を為せり
 第一 鉄道国有法案附議の場合に於ては
 (一)買収価格の標準は、建設費に対する益金の平均割合を買収当時の建設費に乗じたる二十二倍と為す事
 (二)明治三十八年前半期営業年度末に於て運輸開始後六営業年度経過したる線路を有せざる場合は建設費を以て買収価格と為す事
 (三)買収に対する公債の交附は総て時価に依り公債券面金額に換算したる金額を以てする事
 (四)特許権に対する賠償条項を設定する事
以上四項は該案成立せんとする場合に修正を要する事
若し又該案にして不成立の時は、左の方針を取ることに決せり
 - 第9巻 p.600 -ページ画像 
 第二 鉄道国有法不成立の場合に於ては
 (一)出席者中の有志者発起となり、関東・東北・北海道に於ける各鉄道会社の大合同に就て研究する事
  (二)右大合同は略ぼ左の方針に拠る事
  (イ)合同価格及其他一切の計算は鉄道国有法案の示す所に準拠して協定する事
  (ロ)前項に依り計算したる代価の支払は株券を発行して之に充つる事
    ○鉄国案と議員別
鉄国案と衆議院党派別を見るに、昨今の形勢大略左の如しと云ふ

       賛成 百十余名         賛成 十余名《(マヽ)》
 政友会   反対 二十余名     進歩等 反対 八十余名
       曖昧 十四五名         曖昧 三四名

       賛成 十三名          賛否 相半
 政交倶楽部 反対 八十余名     無所属
       曖昧 四五名          曖昧 二三名
大同倶楽部は其の概算すら困難なれども賛成者二十余名、反対者十余名は確実なるべく、進歩党の賛成者を十三名と明記せしは幹部の見込に依る、今之を通算するに賛成者百四十余名、夫れに大同派の二十余名を加へ、百六十余名、反対者は大同派の十余名を加へて百二十余名に過ぎず、尚ほ態度の曖昧なる大同派を除きて三十名内外、仮に之を全然反対と見るも尚ほ賛成者十余名の多数あり、斯く計算し来れば議案の運命を決するは残れる大同派四十余名の向背に依りて左右せらるる訳なるが、兎に角全部反対するか如きは同倶楽部成立当時の事情に鑑みれば決して之れなかるべし、故に之を賛否相半はするものと見るも賛成者尚ほ十余名の多数なるを以て、如何に内輪に見積るも該案は通過すべしと推測するものあり、貴族院に於ても政府側の運動其効を奏すべしと云ふ、果して如何にや
如上記し終りたる後、政友会は去十三日の政務調査会に於て全然原案に賛成することに決し、以て大同派に交渉したるが、大同倶楽部は十四日に至り代議士総会を開き全会一致にて政府案賛成に決し、特り進歩党は反対の態度を取ることゝなれり、随て衆議院の本会議に於ては百余の多数を以て通過せん乎
    ○鉄道国有と財政経済
鉄道国有案委員会に於ては、種々の質問出て、就中財政経済上の影響に関するもの多きことなるが、之に就ては阪谷蔵相親しく答弁せられつゝありて、結局公債を発行するも格段の影響を金融市場に与へざるべしと云ふにあり、而して去三十二年の鉄道国有調査会の求めに応じ時の大蔵省は理財局長松尾臣善氏の名義を以て論じたる中、左の如き言あるを見る
 此の如き時に際して鉄道買上の為め公債を発行して金融市場に動揺を与へざる如きは頗る難事に属するのみならず、強て其発行を為さば之に依りて公債の供給増加することゝなりて、今後既定の計画によりて募集すべき公債の募集に著しき障害を為すの危険あり
 之を要するに私設鉄道の買上に公債を発行して交付するは今日の場合にありては経済上並に財政上安全の方法にあらずと認む
之を今日に比較して果して如何なる結論を生ずるにや、大に慎重の研
 - 第9巻 p.601 -ページ画像 
究を要する所なり


東京経済雑誌 第五三巻第一三三〇号・第四九四―四九六頁〔明治三九年三月三一日〕 鉄道買収案の通過(DK090060k-0008)
第9巻 p.601-603 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三三〇号・第四九四―四九六頁〔明治三九年三月三一日〕
    鉄道買収案の通過
鉄道国有法案は貴族院に於て修正を受けたりしが、衆議院にては討論を為さずして、貴族院の修正に従ふの緊急動議成立したるを以て、終に両院協議会をも開かずして、貴族院の修正通り決定せらるゝこととなり、斯くて此の重大問題は兎に角に一段落を告ぐるに至れり、蓋し衆議院に於ける多数盲従党の卑劣暴横なる挙動は、改めて彼是評するまでの価値もなく、反対党は憤慨の余、一人も投票に加はらざりしが故に、此の大切なる議事は、盲従党のみ全会一致を以て、決定せらるるの奇観を呈し、戦後第一の議会に千秋拭ふべからざるの大汚点を印したるは、返す返すも歎息の至に堪へざるなり
貴族院が鉄道国有法案に修正を加えたる最も重要なる点は、買収すべき鉄道会社三十二箇の中より、一地方の交通を目的とする如き小鉄道会社十五箇を削除したるにあり、買収期間は明治三十九年より四十四年迄なりしを、四十八年迄に延長したるにあり、買収代価たる公債証書交附期間の二箇年以内なりしを、五箇年以内に延長したるにあり、而して斯く買収すべき鉄道会社の数を減少したるが為めに、従て買収代価は聊か減少したり、今政府の調製したる買収見込価格表に拠り、之を計算すれば左の如し
 買収すべき十七会社買収価格  四四二、七四三、三一九円
 削除したる十五会社買収価格   二八、二四三、四五六円
  計             四七〇、九八六、七七五円
故に修正の為めに、買収価格は二千八百万円余を減少したるものにして、政府は炭砿鉄道会社の炭砿部を買収せざるものとせば、更に一千八百七十万円余を減少すべきなり、既に無謀なる鉄道買収を実行する以上は、此の減少の如きは誠に些々たるものなりと雖も、而かも窮乏せる国庫の為めには、幾分の救済たるを失はざるべし、且其の範囲は甚だ狭隘なれども、尚ほ鉄道民営の余地を存し、全体を挙げて政府の専占に帰せしめざりしは、多少好みすべき者なきにあらざる也
買収期間の延長に至ては、之が為めに公債の激増を緩和するの効なきにあらざるべきも、十箇年の間は政治上社会上の状態に、随分の変化あるを免れざるのみならず、各鉄道会社の収益にも大に変化を生ずべければ、今日定めたる条件を以て買収を実行するときは、意外の不公平を来すに至るべし、又公債交付の期間を五箇年以内と為すときは、公債を領収せんと欲する株主に在ては、此の期間株券を移転するの自由を失ひて、非常の不便を感ずべし、要するに買収既に定まるも、実行未だ決せざるが故に、不安の雲は実業界を蔽ひ、経済上の発展を阻害すること頗る大なるは勿論、鉄道の修繕改良は実際全く停止せられ其虐使殆ど至らざる所あらざるべし
今や鉄道買収は一応決定せり、政府は之を実行するに於て、果して如何なる処置に出でんとするか、国民たるもの須く刮目して、之を監視せざるべからざるなり
 - 第9巻 p.602 -ページ画像 
    日本に於ける所有権の不安 (塩島仁吉)
人民所有権の安全を保つは政治の最大要件なり、左れば帝国憲法は其の第二十七条に於て、我日本臣民の所有権に関し左の如く保障せられたり
 日本臣民は其の所有権を侵さるゝことなし
 公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依る
此の憲法の保障は夫の鉄国法案に於て如何に解釈せられたる乎、是れ余輩が玆に観察せざるべからざる所なりとす、抑々現在の私設鉄道は皆明治二十五年五月勅令第十二号私設鉄道条例を遵奉して営業せるものにして、此の条例は憲法実施以前に発布せられたるが為に、勅令を以てしたりと雖、其の性質に於て法律たることは敢て論を俟たざるべし即ち此の勅令は今日に於ては法律と看做すべきものなり、而して私設鉄道条例は其の第三十五条に於て、私設鉄道買収に関し規定して曰く
 政府は免許状下付の日より満二十五箇年の後(特に営業期限を定めたるものは、其の満期後)に於て鉄道及附属物件を買上るの権あるものとす
即ち既定の法律に於て政府が私設鉄道を買収し得るは、免許状下付より廿五ケ年の後に在るものにして、其の以前には之を買収するの権なきものとす、而して此の規定は私法人たる私設鉄道会社の所有権を保障せるものなり、然るに鉄国法案は此の保障を無視し、今方に営業期間中に在る私設鉄道を買収せんとするものなり、然らば則ち人民既得の所有権を侵害するものなることは、前外務大臣加藤高明氏の弁明を要せずして明かなるべし
又明治二十五年六月法律第四号鉄道敷設法は、私設鉄道の処分に関し第十一条に於て左の如く規定せり
 既成私設鉄道にして第二条に依り敷設すべき線路の為買収の必要ありと認むるものは、政府は其の会社と協議の上価額を予定し、帝国議会の協賛を求むべし
此の第二条に依り敷設すべき線路の為買収の必要あり云々と云ふは、鉄道敷設法第二条に列挙せる予定線路を政府が敷設する為に、私設鉄道を買収する場合を云ふものにして、是れ実に已むを得ざるものなり而かも其の買収の手続は会社と協議の上価額を予定し、而して帝国議会の協賛を求むるを要することゝ為せり、然るに鉄国法案に於ては、会社との協議を以て買収価額を定めず、法定の価格を以て強制的に買収せんとするものなり、左れば其の人民既得の私権を侵害すべきものたることは何ぞ疑を要せん哉
斯く既定の法律を蹂躙してまでも私設鉄道を買収せざるべからざるの理由果して如何、帝国憲法第二十七条第二項に所謂公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依るとあるに該当すべき理由ある乎、余輩は之を国務大臣・政府委員及び本案協賛論者の説明に求むるに之を発見すること能はざるなり、其の発見すること能はざるは怪むに足らざるべし、何となれば初より皆無なるものなれば発見せらるべき理由あるべからざればなり
故に鉄国法案の実施は、憲法法律を蹂躙し正当の理由なくして人民の
 - 第9巻 p.603 -ページ画像 
所有権を侵害するものと断言せざるを得ざるなり、而して更に其の手続の如何を観察する時は、吾人国民は悚然と戦慄せざるべからざるなり、否独り吾人国民のみならず、苟も我が邦に於て財産を所有するものは、所有権の不安を感せざらんと欲するも得べからざるなり、夫れ鉄国法案は其の第一条に於て、一般運送の用に供する鉄道は総て国の所有とすと云へる原則を設定し、其但書に於て一地方の交通を目的とする鉄道は此の限に在らずと為せり、而して貴族院が削除したる川越鉄道・成田鉄道・豊川鉄道・高野鉄道・博多湾鉄道等が此の但書に該当すべきものなることは、政府委員平井晴次郎氏の説明を俟たずして明かなり、然るに政府は衆議院に於ては、此等の鉄道が一地方の交通を目的とする者たることを説明せざるのみならず、白白シクも自ら之を法案に掲載し、而して一たび衆議院を通過して貴族院に送付せらるゝや、平井政府委員は前記の鉄道は一地方の交通を目的とするものたる旨を説明して、其の削除を貴族院に於ける本案特別委員に諷し、彼等は忽ち政府の真意を察して之を削除せり、而して政府は表面此の削除に反対を表したれども、一たび貴族院を通過するや、忽ち其の削除せる修正に同意を表し、衆議院の同意を得んが為に極力運動せり、政府は何を以て一地方の交通を目的とする所の鉄道を本案に掲げたるや、其の対衆議院策たることは、「ジヤッパン、ヘラルド」記者の機敏なる観察を俟たずして知るべきなり
斯くて貴族院の修正を経たる鉄国法案の衆議院に廻付せらるるや、政友会は其の賛否を以て西園寺総裁の意見に一任し、大同倶楽部は幹部の意見に一任したりと云ふ、左れば西園寺総裁は首相として衆議院に於て真先に政府は貴族院の修正説に同意するの外なき旨を演説して、政友会及び大同倶楽部に方向を示し、反対党の攻撃を防止する為には長谷場氏討論を用ひずして採決するの緊急動議を提出したるものなり故に貴族院の修正は衆議院に於て二百十四名の賛成を以て通過せりと雖、其の実は全く政府の意見に盲従したるものにして、恐くは領袖連の外は、首相の演説を聴くまでは賛否を決すること能はざりしなるべし、斯の如き事情を聴くもの誰か悚然として恐れざるものあらんや
聞くが如くは、米人ジヨージ、ケナン氏は、一日西園寺首相を訪ひ、鉄国法案に対し日本人は賛成するや否やを知らずと雖、「アングロ、サキソン」人種に於ては到底成立を許すべからざる者なりとて首相に再考を促されたりと、首相は之に対して何と答へたるや、余輩之を聴くを得ずと雖、勿論「アングロ、サキソン」人種は之を許さゞるべし、我大和民族たる吾人も決して之を許すべからざるなり、今や我が邦は資本を世界に求めて財政を救ひ、経済を進めざるべからざるの時に際するを以て、日本に於ける所有権の不安を唱ふるは余輩の避けざるべからざる所なりと雖、之を矯正するにあらざれば国家の滅亡を免かるべからざるを奈何せんや、即ち国家の滅亡には代へられざるを以て、敢て其の事実を明にして之が矯正を求むと云ふ


東京経済雑誌 第五三巻第一三三一号・第五五二―五五五頁〔明治三九年四月七日〕 公債相場の将来(第百銀行取締役池田謙三君談)(DK090060k-0009)
第9巻 p.603-607 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三三一号・第五五二―五五五頁〔明治三九年四月七日〕
    公債相場の将来 (第百銀行取締役 池田謙三君談)
 - 第9巻 p.604 -ページ画像 
政治経済界の重大問題たりし鉄道国有案も、竟に議会を通過し、既に鉄道国有法の公布せられたるに及んでや、政府は其買収の実行に当り陸続巨額の公債を発行するなる可きを以て、今後公債は市場に充満すべきこと明なり、故に数の上より之を見れば公債価格は勢ひ下落するに至らん、見る可し、英国は「トランスヴアール」戦争の為め多額の公債を発行したれども、其需要の大ならざる故にや、現今英国公債の価格は尚下落し居れるを、是を以て推考するも、公債の増発が其価格を下落せしむるの傾向を有するは避くべからざる所なるを知るに足る可し
然れども我国在来の市場のみに、是等多額の公債の取引せらるゝに至らば、是れ或は公債の価格は日に暴落を告げざるを得ざる可し、されど翻つて考ふるに戦後殖産興業の勃興に伴ひ、取引市場も従来に比し面目を一新して益々拡張せられ、其需要者も亦従つて多きを加ふ可きを以て、心配する程に暴落を来すこと無からん乎、蓋し戦争前は戦争後に比すれば、政府の財政も稍余裕あり、予備金の存するあり、国民の負担せる租税も幾分か軽少なりしを以て、当時の公債の価格は当然高価格を保持せざるを得ざりしと雖も、之に反して戦後に於ては急転して租税も重きを加へ、戦争前に五億七千二百万円余なりし公債も、戦争後臨時事件に関する公債十八億二千二百万円余に加ふるに更に鉄道買収の為めに四億乃至五億円の公債を発行する時は、合計二十二億二千二百万円余乃至二十三億二千二百万円余の巨額に激増する所以なるを以て、一見公債の価格は甚だしく暴落せざるを得ざるが如しと雖も、二十億円余と云ふ巨額の公債の増加したりし割合には、甚だしき暴落を誘致すること無かる可しと見得べきなり、何となれば上にも述べたる如く向後新取引市場の増加を来し、大に取引市場の発展を見る可きこと疑なきを以て、能く此の多額の公債を此等市場に供給し得るのみならず、戦捷の効果として近来我公債は倫敦・紐育の市場は更なり、独・仏並に其他の小国に至る迄も其売買を見るに至りしを以て、将来に於て我国公債の需要の減退するものありと断ず可らず、寧ろ其増加を来すべしと信ずればなり
左れど今後政府は、鉄道株券に代ふ可き巨額の公債及び軍人軍族に賦与する多額の公債を発行すべきを以て、全然公債価格の低落を告げずと断言すべからず、其結果多少供給過多に傾ける以上は必ずや公債価格に影響すべければ、是非とも其時に当り、財政経済の信用を鞏固ならしめ、一方に其需要の途を啓くこと亦肝要なりとす、加之ならず、政府が公債を発行するに当りてや、能く其需要者の需要奈何を予測して十分慎重に其需要に適応するだけを供給するの方針に出ん乎、公債奈何に増発し来るも其価格に大なる変化を招致すること無くして止まん、而して又恁くの如く政府が能く民間の経済其他万般の事情を達観して之に耐ふるの公債を発行し毫も濫発の弊なくんば、公債は却て騰貴するに至るべし、若夫れ公債が斯く信用を得昂騰の傾向を有するに至らん乎、頓に其需要者を増加し、価格上れば或者は売却し、或者は争ふて之を買占めんとし、売る者も買ふ者も共に是れ利を得んと競ふを以て、公債価格は益々騰貴するのみなり、之に加ふるに、我財政経
 - 第9巻 p.605 -ページ画像 
済の依然として信用を保つに於ては、欧米の資本家は亦之に放資するや明にして、爰に更に層一層の需要者を増加する訳なるを以て、公債価格は盛に昂めらるゝに至る可しと謂はざる可らず
然れども又公債の将来に就て恁くの如く強ち楽観して安んじ得べきにもあらず、将来に於ける軍事上及び財政上の変還奈何《(遷カ)》に拠りて或は其公債価格に多少の低落を起すやも量る可らず、奈何なる風雲を起すや是等の事固より予言し得る所に非ざるなり、故に此際銀行業者は勿論一般国民たる者は宜しく財政経済の鞏固を図ることを努めざる可らずと信ずるなり、然るに政府たる者にして自ら計らず、時の緩急需要の多寡を度外視し、妄りに一時に多額の公債を発行する如きことあらんには、縦令日英同盟なる鎖鑰を有すと雖も、財政の基礎をして紊乱せしめ、外国の信用を失ひ、公債価格の下落するのみならず、遂に外資の流入も杜塞するに至らん
然れども恁くの如く外資流入の杜絶するに至りしとするも、内地に有する在来の資金のみを利用して事業経営に放下すれば足れりと謂ふ者あらば、是れは畢竟小成に甘んずるの人なり、左れども今や我国は戦後新進国として大に飛躍すべき地位を有するに非ずや、然らば即ち大に資本の潤沢なるを要す、資本潤沢ならずば何事も為すこと能はず、我国に於て資本の欠乏するあるは、其利息の高率なるを以て見るも推知すべきなり、故に予輩は一般の金利を低廉にして大に商工業を起し利源開発の道を講せざる可らず、啻に内地に於ける利率の低安を企図し資金の充実を計るのみならず、延いて其資金を海外に放下するの余裕をも生ぜしめんことを冀望して已まざるなり、公債相場の高低は甚だしく商工業に影響を及ぼすのみならず、直接財政に大関繋を有するを以て、予輩は公債相場に就ては一刻も其注意を忽諸に附す可らず、加ふるに公債は国際貿易に大関係を有し、其他あらゆる方面に波動を及ぼす者なれば、弥々益々公債の濫発を警戒せずんばあらず
人或は今後公債の市場に充溢することあらんには、宜しく之に裏書保証を為し海外に輸出すべきなりと論ずる者あれども、予輩の考ふる処にては、公債に裏書して輸出し以て我公債を世界的の者たらしむるは不可なりと思惟するなり、蓋し公債の激増するより侵来すべき其価格の下落を防止するに於ては、該方法も亦一策として妙なるに相違なかる可きも、裏書保証を為すに当りては、其相場を一定せざる可らず、欺く相場を一定するは不利益の場合を生ぜざるを保せず、概して言へば、縦令公債の増加を来すと雖も、裏書保証の必要なしと思惟せらる若し夫れ裏書保証を為さゞる可らざるの必要を感得するに於ては、初めより外債を発行するに如かざる可し、何となれば初めより外債に依れば其計算も明瞭にして便なるを以てなり、然れども是れ予輩が刻下に於て懐抱する見解なれど、今後整理公債・五分利付公債等の増発を見たる後に非ざれば、断然裏書保証の可否を確言すること能はざるなり、今後の成行果して奈何ぞや
    鉄道国有善後策 (原六郎君談)
予輩は素より鉄道国有には反対せる者なれど、今は該法案も苦もなく議会を通過し、鉄道国有法として既に公布せられ、爰に此の重大問題
 - 第9巻 p.606 -ページ画像 
の一段落を告ぐるに及んで、更に該法の不法を追及するに及ばざるに似たりと雖も、該問題は尚ほ大に研究すべきものにして、今後政府が執るべき可き方針は重要にして、頗る注意すべきものあるが如し
最初政府が三十二会社の鉄道買収法案を提出したるは一時の権略にして、内心は今回修正せられたる十七会社を望みしならんが、上院の修正に遭ひ忽ち同意したるは本色を現はせり、買収期間は五箇年に過ぎざりしを、貴族院は之を修正して十箇年とし、又其買収代価たる公債証書交附期間の二箇年なりしを延長して、之を五箇年以内とし、以て公債の一時に激増する弊を緩和せんとするの思慮に出でたりと称すと雖も、実際は頗る迂遠なる修正案なりと謂はざるを得ず、五箇年を十箇年とし、二箇年を五箇年間に延長したるも、又延長せざるも結果は均しきものにて、公債増発の結果、其暴落を来すの度は同様なりと信ずるなり、何となれば其買収期間の奈何に係はらず、該国有法案既に議会を通過し法律となり、引続き買収施行の時日決定する場合と同時に、株券は公債となれるものにして、鉄道株券は従前の鉄道株券に非るなり、就ては買収の時日決定せらるれば、即日より鉄道株券は五分利付公債証書と毫も異なる事なしと見做さざるを得ず、故に多額の公債が一時に出るを防ぐ為に買収期間を延長したるも其効なかるべし、何んとなれば今該株券即ち五分利付公債を所有して其利息に甘んじ、或は之を以て世襲財産とし、猶引続き公債を所有せんとする株主は兎も角も、多額の株券を有する所謂事業家は、他に新事業を発見するに及ばゞ、此等の公債は市場に出るものと見做さゞる可らざればなり、故に買収の為め発行すべき公債の増加を調和せん為め、買収期間を延長して十箇年間と修正したるは解すべからざる無益の修正と云はざるを得ず
今後愈満韓・台湾・北海道等の新事業の勃興を見るに至らば、世評の如く公債価格の甚しき暴落は是れ無かるべしと雖も、需給の関係上他の公債と共に多少下落は免れざるべし、若し斯くの如くんば政府の信憑は益々減ずるならん、予輩の見る所にては恁かる経済社会に処するの道としては、公債にして我が国に過剰したる額に対し裏書保証の方法を講じ、以て海外市場に輸出するの途に出でざる可らず、若し如上の方法を執らずんば、必ず公債は一時市場に充溢して、其価格の低落は避く可らざる所なりと信ずるなり
抑々今回政府が私設鉄道を買収するに至りし目的は、運輸の統一軍事上の必要にありと標榜せりと雖も、買収する鉄道は十七会社の鉄道に過ぎずして、其他の鉄道を除外したり、而して政府の買収の目的は、之を揚言せる以外に存するものと思惟せらるゝなり、最初より幹線の最も利益ある鉄道を望みたるは申す迄もなき事にして、除外せられたる十五会社は全く雄鳥に使はれたるなり、日露開戦以来、政府は有らゆる担保を提供し未曾有の国債を負へり、今後再び不幸にして国難に遭遇する場合を慮り、予め債務の担保を造り、又一方には収入の増加を企図するの必要より、竟に国有法案を提出せられたるに至りしにはあらざる歟、且つ政府が自営するも遠き将来はいざ知らず、今後数年間に於て其鉄道の改良拡張等は当分期待し得べきに非ず、将た又運賃
 - 第9巻 p.607 -ページ画像 
の如きも低廉を企図し得べきものに非ず、何となれば政府は私立会社計画の如く必要に応じ、直ちに線路改良拡張等の事業をなすこと甚だ疑はし、譬へば電話架設の如き毎年度の予算不足の為め、政府は之を拡張増加することを得ず、需要者の困難一方ならず、此の一例に拠るも推測する事を得べし、今回政府が買収する鉄道は設備の稍完全なる大鉄道を買収し、辛ふじて営業せる小鉄道は、皆之を除外したりしを以て、従来発達の機運に進みつゝある大鉄道は、爰に姑く其発達に一頓挫を来し、買収せられざる小鉄道は益々悲境に陥るなるべし、政府が稍完備せる大鉄道をのみ買収するに至りしは、大小何れの鉄道にも悪影響を及ぼす者と謂はざるを得ず、今や時運の進歩に伴ひ其の速力も設備等も総て改良拡張せざるべからざる時機に際し、昨年来重なる四五の会社は其準備の為め各多額の借入金契約を為しつゝありしに、今回国有案可決したるに付ては、自今政府に於て夫れ等の設備をなすべき筈なれども、現今の財政にては充分なる改良、並に拡張等は迚も行はれざるものなるべし、故に予輩は私設鉄道が其の鉄道を政府に譲渡するに先んじ政府と協定する所あらん事を望む者なり、其協定とは何ぞや、これ他なし、会社が其鉄道を買収せらるゝ前に政府に申請して、必要の延長複線又拡張等は成べき丈け会社に於て処理し、政府は之を認容する所あるべしと云ふにあり、幸に政府之を認可せば、政府の手に移るまでに会社は不完全なる所を拡張改良すれば、交通運輸の便益々開け、収入も随ふて大に増加すべきは疑ひなし、山陽・九州鉄道の如き本年は大なる改良拡張計画定りたれ共、国有案可決したる上は今更致方なし、然れ共政府は欺の如く進みつゝある民業を買収して今日電話事業の不便を感ぜしむる如く、鉄道にも同じ失望の及ぼさゞらん事を只管希望するのみ


東京経済雑誌 第五三巻第一三三二号・第五九五―五九六頁〔明治三九年四月一四日〕 鉄道国有法案に就て(福田太一)(DK090060k-0010)
第9巻 p.607-609 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

東京経済雑誌 第五三巻第一三三二号・第五八九―五九〇頁〔明治三九年四月一四日〕 鉄道株券に替るべき公債(一五銀行頭取園田孝吉君談)(DK090060k-0011)
第9巻 p.609-611 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三三二号・第五八九―五九〇頁〔明治三九年四月一四日〕
  鉄道株券に替るべき公債(一五銀行頭取 園田孝吉君談)
既に鉄道国有法の公布せられたるの時に方り、該問題の可否を評隲するは徒に無益の言論を弄するに過ぎず、唯々予輩が該問題に関聯して今後尚攻究を要するの点は、従来予輩が資産として所有せる鉄道株券が公債と交換せらるゝ場合に於て、如何にして該新資産の晏然なる保護を為し得るやにあり、今後鉄道株に替るべき公債の増発に就ては或は悲観し、或は楽観し、諸説紛々たるが如しと雖、予輩の見解を以てすれば、政府が私設鉄道を買収するに当りてや、非常なる多額の公債を発行するにあるを以て、市場に於ける其数の激増は之を如何に見るも、其価格に多少の下落を免かるべからず、故に予輩は今よりして其覚悟なかる可らずと信ずるなり、左れど我十五銀行は、従来多額の鉄道株券を所有して其資産と為し、之より生ずる収益を以て鞏固なるものとなせしが、今後株券に換ふるに公債を以て資産とせば、猶能く之を以て鞏固なる資産とし、之より生ずる収益を以て、確実なる収入と見做し得べき乎、是れ予輩が講究を要する所なりとす、今若し予輩の考ふる所を明にせんが為め、其例証を日本鉄道株に執らん乎、該会社最近の利益配当の割合を見るに、実に一割二分なりしを以て、払込五十円株に対し六円の利益配当に該当す、然るに既往七八年間に於ける日本鉄道株の平均相場は凡そ七八拾円余なる可きを以て、予輩の銀行に於ては、其平均相場を以て計算し、以て其資産を見積り居れり、若夫れ翻つて今回発布せられたる鉄道国有法によれば、該払込五拾円の株券に対し、大略百二拾円の公債と交換せられ、而して該公債たるや五朱利付なるを以て、一見株主に取りては急に其収益を減退せしめたるが如しと雖、払込五拾円株に対し、二倍以上の価格を有する公債に替るにあるを以て、其利付僅に五朱なるに拘はらず、株主の収得する所は依然として一割二分の配当を受くるに均しく、矢張六円の利益を獲得することを得べし、加之ならず、之を銀行の資産として見る時に於て、将来公債価格の暴落を来し、仮りに其価格の三割の下落を告げたりとせん乎、百二拾円の価格を有せし公債が、八拾余円の相場と為るに外ならざるを以て、此の割合を以て銀行の資産を算するに至らば
 - 第9巻 p.610 -ページ画像 
頓に其資産の減少を来し、銀行に取りては甚だしき恐慌を来さゞるやの如く推測せらる可しと雖、是亦恁る杞憂を抱く可きに非ず、何となれば曩に述べたる如く、銀行は既往七八年間の平均相場を以て株券の価格を定め、其価格を標準として銀行の資産を算せるなれば公債暴落し、為に百二拾円の公債が僅に八拾余円の価格を保つに過ぎざるに及ぶも、尚能く銀行資産の見積標準たる七八年間の株券の平均相場を保持するを以て、縦令公債が株券に替ると雖、之を収入の点より見るも将又資産の鞏固を維持継続する点より見るも、株主たる銀行には何等の影響を与ふ所なしと謂はざる可らず、且又該公債価格が三割の下落を告ぐるが如きは、予輩の慮外とする所なれども、若し更に四割五割の暴落を告ぐることあらん乎、是れ我が国一般の経済社会に大激変を涌出したるの時にして、政府は公債利子を支払ふ余力なく、国民は租税を納むるの資力なきの時なり、依然として今日の如き政府の財政鞏固を以てするに於ては、三割以下の下落を為すが如きことは万無かる可しと信ずるなり
政府の株券買上に就ては、先づ叙上の如き計算を得るを以て、予輩は別に政府の買上措置に異議を挿まず、是を以て能く予輩の資産の鞏固を保つことを得べきなり、加之ならず鉄道株券に替へて公債を所有するは、其確実なること毫も鉄道株券と相譲る所なしとす、抑々鉄道事業は年を逐ふて進歩するを以て、其進運に伴ひ其収益の増加し行くは明白なりと雖、素より私設鉄道は営利を目的とし、其事業に就ては株主の意思により左右せらるゝに拘はらず、一面より見れば鉄道なるものは国家の公道なるを以て、国民の便益を図らざる可らざれば、向後に於ても猶一割五分乃至二割の配当を為し得べきや否や、予輩は頗る之を疑はんとす、されば鉄道が多分の収益ありとするも、其利益を悉く是れ貪らんとし、諸般の改良を施すことなくんば社会公益上不徳の誹謗を免れざる可し、故に一割二分の配当あらは、配当の上乗なるものとして甘ぜざる可からず、欺く思考し来れば、鉄道株券に替ふるに公債を所持するに至りたりとて、敢て不平を言ふ可きに非ず、而も鉄道は国家の公道なり、政府は国民の代表なり、故に鉄道株券を所有するも、公債を有するも、何れも是れ安全なるものなりと謂はざるを得ず、唯々国有と為すに及んで運賃の低廉、設備の改善を施し得るや否や将来実験に徴せざれば予知し得べからずと雖、予輩は切に斯くあらんことを冀望に堪へさるなり、又政府の発行する公債も種々目的を異にし、或は新事業を興すが為にするものあり、或は軍事上の為に発するものもあらん、然るに新事業を起さんが為に発行する公債と、今回の鉄道株券に替るべき公債とは、其確実なる点に於て、宵壌《(霄)》の差ある可し、何となれば、新事業を起すが如きは、是れ固より容易の業に非ず、其前途に於て果して能く成功するや否やを知るべからず、恁る事業の為に発行する公債は勢ひ其価格の下落を為し易しと雖、鉄道株券に換ふるの公債の如きは、将来の収益明なるものゝ為に発行する者なれば、該公債所有者も安堵して能く之を所有す可きを以て、公債価格の甚だしき下落を来すことなかる可しと思惟するなり、然るに該公債の多額を有するは多く事業家なり、故に新事業起らば直ちに之を売却
 - 第9巻 p.611 -ページ画像 
すべきを以て、爰に公債の暴落を招致すべしと憂ふる者ありと雖、是れ亦謬見たらざるを得ず、新事業の勃興の為め該公債を売却する程ならば、鉄道株券を所有し居るも、猶之を売却するなる可し、之を以て公債下落の原因と為すに足らず、されば予輩の銀行に於ても、今後鉄道株券に交替して公債を所有するに至るも、別に之を売却す可しとも企図せず、猶鉄道株券の如く公債を以て銀行資産の一部を形成せしめんとす

東京経済雑誌 第五三巻第一三三三号・第六三六―六三七頁〔明治三九年四月二一日〕 公債及び株式の現況(東京株式取引所理事伊藤幹一君談)(DK090060k-0012)
第9巻 p.611 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻第一三三三号・第六三六―六三七頁〔明治三九年四月二一日〕
公債及び株式の現況(東京株式取引所理事 伊藤幹一君談)
公債 目下の株式市況は頗る沈睡閑散にして、更に捗々しき取引を見ず、従来九十五円の相場を保ちたる公債は昨今に至り低落して遂に九十二円の相場となれり、是れ果して如何なる原因に由る乎、蓋し九十二円の相場は寧ろ相当の相場にして、従来公債相場が九十五円台に居りしは、思ふに或銀行筋が九十五円以上の相場を以て常に買占め居り、買方は其相場の低廉なるを欲し、売方は成る可く高価に売却せんとし双方に於て互に躊躇する所ありしを以て、其相場は自然高直にして、九十五円以上の価格を保ちしなり、故に向後我が経済界に於て金融の逼迫を招致することあらん乎、更に公債の下落を見るべし、されど目今の金融界は頗る静穏無事にして、別に資金の需要を起すことも無かるべければ、昨今の九十二円は先以て恰好の相場にして、当分持続するなる可し
鉄道株 国有法案の議会に提出せられたる前後に於て、一時百十円以上に昂騰したりし日本鉄道株も昨今に至りては、頓に其勢力を挫き下落して百五六円となり、同じく其当時百十円近く迄暴騰したる炭砿鉄道株は、是亦低落して百三四円となれり、恁く鉄道株が下落するに至りし所以を考ふるに、鉄道は今に於て予想するが如き有益なる価格を以て買収せらるゝ者なるや否や、其買収価格一定せず、単に予想に過ぎざるを以て、頗る懸念あり、又一方には政府が鉄道買収を実行するに方り、其買収より五ケ年以内に公債を以て其株券に換ふることと為り居るを以て、鉄道株券に換ふるに公債を以てしたる場合に、公債が果して其価格を持続し得べきや否や疑惑する所あり、是を以て鉄道株は何れも下落を告げたるなり○下略


東京経済雑誌 第五六巻第一四一四号・第九〇七頁〔明治四〇年一一月一六日〕 ○鉄道国有審査会と被買収会社(DK090060k-0013)
第9巻 p.611-612 ページ画像

東京経済雑誌 第五六巻第一四一四号・第九〇七頁〔明治四〇年一一月一六日〕
    ○鉄道国有審査会と被買収会社
買収鉄道に関する例の六問題に就ては、当局者と被買収会社との交渉到底無事に纏まる見込立たざるを以て、政府は近々審査会を開設すべき模様あり、就ては被買収十七会社の幹事会社は去る七日左の件々を当局者に覚書として提出したり
 一、審査委員会は官吏のみを以て組織せらるゝ事なく、例へば官吏、貴衆両院議員の職に在る者、商業会議所議員、銀行業又は鉄道業に経験ある者の類の如き各方面の有力者を公平に配合せらるゝ様致度事
 二、審査委員会は裁判所の判決文の如く国有準備局被買収会社双方申立の趣旨を
 - 第9巻 p.612 -ページ画像 
列記したる決定書を公表せらるゝ様致度事
 三、審査委員会は委員全数の三分の二以上の出席を以て開会せらるゝ様致度事
 四、審査委員会は出席委員の三分の二以上を以て採決せらるゝ様致度事
    ○買収鉄道公債下附建議
東京手形交換所が去る五日の例会に於て買収鉄道公債下附の建議を大蔵、逓信両大臣に提出することに決したることは既報したる処なるが右建議書は愈よ去る九日を以て提出し、同時に大阪外四ケ所の手形交換所へ建議の次第を通知したり、建議書全文左の如し
   建議書
 本年四月東京外五ケ所手形交換所聯合会の決議を以て私設鉄道買収公債証書御交附方の儀及建議候処、爾来買収概算額御決定益金御下附の儀は御処分相成来り候得共、各私設鉄道買収の実額及公債証書御下附の時期等は未だ窺知するの場合に至らず、是等の遅滞遷延は徒らに旧会社株主をして疑懼の念を懐かしめ候而已ならず延て金融の円滑を欠き一般経済界に及ぼす影響尠少ならざるもの有之候に付此際速に買収実額御確定の上公債証書御交附相成候様致度、右現下経済界の状況に鑑み当交換所組合銀行全会一致の決議に依り更に建議仕候也
  明治四十年十一月九日       東京交換所委員長 豊川良平
    大蔵大臣 法学博士 男爵 阪谷芳郎殿
    逓信大臣      山県 伊三郎殿


明治史第五編交通発達史(「太陽」臨時増刊)第一五三―一六一頁〔明治三九年一一月〕(DK090060k-0014)
第9巻 p.612-620 ページ画像

明治史第五編交通発達史(「太陽」臨時増刊)第一五三―一六一頁〔明治三九年一一月〕
  ○第三篇第二章鉄道国有顛末
    五 西園寺内閣の国有案
 超えて卅八年、西園寺内閣の第二十二議会に臨むに当り、死灰は忽焉として再燃し、閉会間際の甚だ不用意なるに乗じて、鉄道国有等《(案カ)》は人々驚奇の間に提起せられ、突差之れを成立せしめたり。事尚ほ世の記憶に新らしく、細叙の要なしと雖、帝国鉄道の政策は玆に全く一変を遂げ、我鉄道史上に裁然たる一時期を劃する、最も重大なる事件に属するが故に、左に其経過の概要を述ぶべし。
  政府に鉄道国有案を提出する意志あることの一般に知らるゝに至りたるは、二月廿七八日の交に在り、之より以前にも多少其噂さなきに非らざりしも、国民は戦後の予算問題、減債基金問題、非常特別税継続問題の如き大問題の送迎に遑あらずして、殆むど何等の注意をも払ふことなかりしなり。かゝる際に於て加藤外相(高明)の辞職沙汰あり、其理由の鉄国問題に関して閣僚と独り意見を異にしたるに出づること明白となりて、世は初じめて事態の容易ならざるに驚かさる。蓋し二月廿八日の臨時閣議は鉄道国有案提出の廟議全く決定したる当日にして、加藤は大勢到底回らしがたきを見て、此日断然辞表を提出したりしなり。首相西園寺以下強て之れを止めす、其去るに任せぬ。新内閣成立後僅に二箇月余のみ、而して閣中重位を占むる外相を犠牲とするも、鉄国法案を貫かむとす。西園寺首相等の此の問題に対するの熱心、寧ろ度を超えたるものなきにあらず。玆に於て乎、揣摩臆説は勃然として起り、世は新内閣の心事何れに在るかを知らむと欲せしも何人も其実相を捉へ得たるものなかりき。但し桂内閣を継承するの一条件――即はち山県系と迎合の一条件――武人の跋扈――と呼べる声は、中にも世の最も心を動かせる所なりき。
 - 第9巻 p.613 -ページ画像 
 加藤が辞職理由として新聞記者に語りたる所は、又毫も其内情に亘らず、彼れは飽くまでも紳士的態度を以て鉄国問題以外に出でざりき。曰く、該案は法律上大に議すべきものにして私権を尊重せず、人民既得の財産権を侵害するものなりとの理由に於て閣僚と意見を異にしたり、政府は民間会社に対し二十五年間の営業既得権を認むるに拘らず其年限経過を待たずして強制的に買収を行ふは即ち人民の権利を侵害するものなり、殊に我国の現状に考ふるに今後外資に待つ所甚だ多きに当つて財産権の安固を法律の確保に待つに付、之を思ふの念厚き外国人をして自ら疑惧の心を抱かしむる如くむば、我国家に対する信用の基礎を動揺せしむるものにして其事甚だ重大なり、曰く、該案は経済財産上《(マヽ)》より亦大に議すべきものあり、今や朝野共に公債の増加を憂ひ政府は其信用価格の維持に努めて国債整理基金すら予定したる程なるに、此上私鉄買収の為め四億乃至五億の公債を発行すといふは実に由々敷大事にして之が為めに公債の下落を見るは論なく、延て経済財政に及ぼすべき影響の重大なるに至つては逆め睹るべきものあり。曰く、将来の経理に関し甚だ懸念に堪えず、即ち当局者は該案に拠り買収したる鉄道を経理して其効用を完うせしめ能く公益に適はしむると同時に多大の収益を得て国庫の財源に供する胸算ある由なれど、之を既往及今日の鉄道経営と実際に照らし果して能く其目的を達し得べしとは信ずる能はず、玆に於て所管外の問題なるも、事は国家の重大案件たり、行政上一省の長官なるも憲法上国務大臣として輔弼の任を完うし難きを思ひ、遂に辞表を闕下に奉るに至りしなりと。彼れの進退の立憲大臣たるの面目に慙づるなきは、世の概ね認めたる所なりしも独り山県系の機関紙は、舞文曲筆して、毒嘲悪罵を極めたり。
 加藤去りて数日の後、即ち三月一日を以て西園寺首相は重なる政友会役員を官邸に招きて、国有案の内容を示し、又時を別にして日本銀行正副総裁、渋沢、安田、早川、相馬、馬越其他重立ちたる銀行業者を招待して同じく案の内容を示し、其成立を希望して懇談する所あり。超えて三日、案は愈よ正式に衆議院に提出せられたり。案の大要は一般運送の用に供する鉄道は、一地方の交通を目的とするものゝ外総て国の所有とするを以て原則とし、この原則により政府は明治三十九年より明治四十四年迄の間に於て左の各私設鉄道三十二会社を買収せむとす。
    北海道炭礦鉄道  北海道鉄道    日本鉄道
    岩越鉄道     北越鉄道     甲武鉄道
    川越鉄道     総武鉄道     成田鉄道
    東武鉄道     上武鉄道     房総鉄道
    豆相鉄道     水戸鉄道     七尾鉄道
    中越鉄道     豊川鉄道     関西鉄道
    尾西鉄道     近江鉄道     参宮鉄道
    京都鉄道     南海鉄道     西成鉄道
    高野鉄道     河南鉄道     阪鶴鉄道
    山陽鉄道     中国鉄道     徳島鉄道
    九州鉄道     博多湾鉄道
 - 第9巻 p.614 -ページ画像 
 即はち政府の見て一地方の交通を目的とするに過ぎずとする既設私設鉄道は、全国鉄道中他に僅かに五個の小会社を残すに過ぎざるが故に、事実に於ては殆むど全国私設鉄道を買収せむとするに同じ。又た本法発布の日に於て未だ運転を開始せざるものも亦此規定に準じて之を買収し得ることゝなし。買収価格は会社の明治三十五年後半期乃至明治三十八年前半期の六営業年度間に於ける建設費に対する益金の平均割合を買収の日に於ける建設費に乗じたる額を二十倍したる金額とし。貯蔵品は実費を時価に依り公債券面額に換算したる金額但し借入金を以て購入したるものを除き。借入金は建設費に使用したるものに限り時価に依り公債券面に換算して買収価格より控除し。買収代価は買収の日より二箇年以内に於て券面金額により五分利付公債証書を以て之を交付し。政府は之れが買収執行に必要なる額を限度として公債を発行し、又該公債及会社より継承したる債務の整理に必要なる額を限度として公債を発行するを得べく。買収は強制にして審査委員の審査を以て終局とす。といふに在りて、提出理由は左の如くなりき。
 鉄道は国家自ら経営すべきものにして従来之れが私設を特許せしは交通政策上権宜の措置たるに外ならず、今や国家経済の一大発展を計るべきの時機に際し、全国鉄道の管理を統一し之が機能を発揮し軍事上及経済上遺憾なきを期するは刻下の急務なりと認む、是れ本案を提出する所以なり
 政府之れと同時に、又た京釜鉄道買収法案を提出したり。
両案の日程に上れるに当り、西園寺首相衆議院に於て演説して曰く、
 諸君、此鉄道国有法案に付きまして玆に聊か諸君の清聴を煩はしますが、抑も我邦の鉄道に於ける鉄道国有の主義は、諸君も御承知の如く敢て今始まつたのではございませぬ、維新当時に於て新橋・横浜間及京都・神戸間の鉄道を起工しましたのに端を開いたのでございます、而して鉄道公債を以て之を経営するの大綱を明示せられたのでございます、然れども鉄道の普及は経済上軍事上一日も猶予のならぬ急務であつたにも拘らず、当時財政の状態が之が実行を許さなかつたのであります、それが為めに一部を民業に委するの政策を執つたのでございますけれども、之は鉄道の速成を図る権宜の措置に外ならぬのでありまして、所謂一時便宜であつたことは明々白々であると思ひます、故に民業を特許するに当つても皆行く行くは国有にせしむるの条件を保留して其主義を明かにしてございます、即ち明治二十七八年戦争後大に官線の拡張を計画しまして、建設改良に巨額の国費を投じたのも亦以て官営主義の遂行に外ならぬのでございます、又明治三十三年、私設鉄道法に民業買収の原則を明示したのも同様でございまして、我邦の鉄道政策は終始一貫して以て今日に至つたのでございます。
 諸君、今や戦後画策を建つるときに方つて国富の充実を図り国力の発展を期するは第一の要義と考へます、本大臣は曩に諸君に対して太政《(大)》に関する意見を陳述致しまするときに当り、産業の発達、財政の鞏固は共に大に攻究せざるべからずと申して置いたのでございます、実に産業の盛衰消長は運輸交通の如何にあるといふことは論を
 - 第9巻 p.615 -ページ画像 
俟たぬ所でございます、然るに翻つて我邦鉄道の現状を見れば如何の有様でありまするか、官設の外に三十有余の私設鉄道があつて、北海道から九州に至るまで僅々二千哩に足らぬのであります、斯の如き主要の幹線に於てすら尚ほ官私数個の管理に分れて居ります、其他官私大小の鉄道各々区劃を定めて割拠して居る有様であつて、其経路相錯綜して統一する所がありませぬ、其冗費を来し、材料の共通を欠ぎ、遠距離直通運輸の便を妨ぐる如き数の睹易きものでありまして、運送費の不廉なるか如き又運輸を遅滞するか如き敢て怪むに足らぬ、鉄道国有は即ち之を政府の経営に統一しまして、一方に於ては運輸の疏通と運搬力の増加とによりて生産力の勃興を誘導するのでありまする、又他方に於て設備の経済、営業費及貯蔵費の節約を計りまして運送費の低廉を企図し、而して更らに国家財政の方面より見ますれば、鉄道法案参考の資として諸君に配布しました諸表に現はれて居る通りであります、四十余年の後に至りましては公債金額をも償還し尽す次第でございます、鉄道国有統一は実に民業の勃興に資するは申す迄もなく財政の鞏固を計る良策の一であります、況や軍事に関しても偉大なる効益あることは云ふ迄もないことであります、要するに我国鉄道政策の本旨を貫徹するは戦後経営の急務中の急務でございます、而して今日を以て逸すべからざる好機と考へて居るのでございます
 韓国に於ける私設鉄道、軍用鉄道を並び存して其運用監理に於て統一を欠くは韓国経営上甚だ遺憾であります、彼の京釜鉄道の如きは同国鉄道中重要なるもので一日も此儘にして置かれぬのでござります、依て之を国有に帰して対韓政策と支吾する所なからしむるは必要の事と考へます……諸君深く国家将来の得失のある所を洞察ありて、慎重審議速かに協賛あらむことを希望致します
 首相の演説了はりて五六の質問応答ありたる後、両案は一括して四十五名の特別委員に附托されたり。
 委員会は九日より開会したるが、質疑百出して、賛否の議論甚だ旺むなりき。左に特別委員と政府委員間の質問応答中主要なる点を録すれば、委員会劈頭第一に質問の矢を放ちたるを反対者の領袖大石正巳とす、彼れは曰く(一)鉄道国有の理由らしく思はるゝ点は軍事上、国防上に在る如くなるが、若し今日の儘にて民有と為し置くときは如何なる危険ありや、(二)政府が買収せむと欲せる鉄道中には一地方に限れる不利益なる鉄道を算せり、如斯き鉄道を買収するは財政上甚だしき不利に非らざる乎、(三)臨時満韓地方に経営すべき鉄道少からず、而して若し緩漫に付し置くに於ては折角の権利をも喪失し去る虞れなしとせず、故に政府は寧ろ拙速に失するも満韓の鉄道を速かに経営し、我国民の発展を同地方に促すべき筈にして、内地の鉄道買収の如きは寧ろ後廻はしとすべきに非らざる乎、(四)日露戦争の為め既に多額の国債を有する上に今後数年の間に更らに五億に近き公債を発するは経営の基礎を危くするものに非らずや、延て益々正貨を流出せしめ兌換制度の基礎を動揺せしめずとする乎、(五)政府は内治及外交に於て失敗を重ねつゝあるに拘らず更らに民有鉄道を買収して政
 - 第9巻 p.616 -ページ画像 
務の渋滞を来すことなき乎、(六)国有実行は運賃を低下するか、又狭軌を広軌に改むるや如何と。此質問に対し首相以下各大臣の答へたる所は、
 (一)寺内陸相曰く、国防上鉄道を国有にするの問題は我国に於ても数十年来論議を経たる所にして、其議論は世人も善く承知の筈なり、国防は分ちて受身的と進出的との二とし、受身的の国務《(防)》は未だ実験せざるも今日の儘にて民有とするときは受身的の国防にも多大の不利益ありと信ず、進出的の国務《(防)》に至りては実験上既に多大の不利益あり、外国に向つて行動するには船舶に依頼せざるを得ざれども多数の船舶を動かすには之れに相応せる鉄道の力を備へざるべからず、今日の如き脈絡系統を欠ける鉄道にては十分に其力を用ゆる能はず、且つ民有に帰し置くときは会社によつて材料の悪しき車輛を用ゆる為めに軍事上非常の不便を感じたり、之を国有に移すときは是等の不便を除き得べし。
 (二)何人も答弁せるものなし
 (三)西園寺首相曰く、鉄道国有は戦後経営の基礎にして又戦後経営の一着手なり、今後国力及民力の発達を促がす為には一日も速かに鉄道を国有にする必要あり、若し今日之を断ぜずんば今後国防の経営、満韓の経営等に力を用ひざるべからずして却て其時機を失すべし。
 (四)坂谷蔵相曰《(阪谷)》く、財政上の計画は逓信大臣の調査を基礎とす、於調査《(マヽ)》に依れば鉄道国有の為めに国家の負担増加することなく、今後四十ケ年にして公債の元利を償還し、五千万円の利益を生ずる計算なり、又公債の増加は喜ぶべきに非らざるも実力のある財産を所得する公債は些かも懸念するを要せず、即ち鉄道は特別会計を以て収支を行ふを以て実施後国民の負担を増加すべき危険なく、否却て国力を養ふ基礎なり、併し一時に公債を増加するは禁物なれども買収期をも五ケ年とし、又買収の日より二ケ年以内に公債を発するのなれば適当の時機を見て漸次公債を発するを得べし。
 (五)山県逓相曰く、管理の方法に就ては不都合の起らぬ様充分注意すべきは勿論なり。
 (六)同上、運賃は引下ぐる見込なり、然れども其割合は尚ほ調査中なり、軌条を広軌に改むるは好ましきことなれども、巨額の費用を要するが故に之れ亦調査中なり
 続て加藤政之助より、鉄道改良費は四十ケ年に一億六千万円の予定なるが、今度四億七十万円《(千)》を投じて買収すべき其鉄道の改良を僅かに一億四千万円にて行ふを得べきや、尚ほ提案に依れば将来鉄道の改良、延長の計画充分に立ち居らず、此点に関する政府の会計如何又五箇年に鉄道を買収すると決する上は会社は必要の修繕及改良を怠りて鉄道を虚便《(虐使カ)》すること必然の結果なり、政府は之れを管督するの方法ありやの諸問を起したるが、将来の計画に就ては逓相は別に調査を遂げて提出する積りと答へたるに過ぎず、鉄道虐使の事に関しては、今日の鉄道局と今後設置さるべき鉄道買収局と一致して監督を厳にし、且命令を以て改良修繕を行はしめ、尚ほ不可なるとき
 - 第9巻 p.617 -ページ画像 
は私設鉄道法によりて政府にて必要の改修を施し、其経費を当該会社に払はしむべし(山の内鉄道局長)と答へたり。
  引続き武富時敏、政府委員(仲小路逓信次官主として之れに答へ山内局長又間々之れに任ず)間に交換せられたる質問応答あり、反対派の意志と政府の主張とを一目瞭然たらしむ、左に其要点を列記すべし。
  問 三十二鉄道買収の順序は如何
  答 順序は決定し居らず
  問 五ケ年の期限は如何にして打算したる乎
  答 財政の都合上相当の年限を置くの必要あり
  問 財政上如何なる変動起るも必ず此年限内に買収を了はる見込なる乎
  答 然り
  問 最後に買収さるゝ鉄道は其買収価格の基礎となるべき卅五年後半期乃至三十八年前半期と、其買収の時期と距る遠く、其間会社の利益増減ありて実際の価格と買収価格との間に非常の差を生ずべし、政府は如何に此間に処せむとする乎
  答 若し買収価格を今後の収益によりて定むるときは会社は買収価格を増加せむが為めに鉄道を虐使するも辞せざるに至るべし此弊害を避けむが為めに買収価格は法律発布以前の収益を標準としたり、他に方法を有せず
  問 各鉄道会社は二年間の戦役中無理使ひを為したる結果、其修繕を必要とし現に九州・山陽両鉄道の如きは其修繕改良の為め既に外資に依る計画なりと聞く、買収後改良継続に要すべきもの必らず多かるべし、是等の改良修繕に要する金額見積は如何
  答 修繕に要する費用の多かるべきは政府も之れを認め居れり、されど修繕は年々営業費を以て支弁する性質のものなれば買収の為めに修繕費を要することなし
  問 政府は鉄道国有の為に営業費百二十七万円を節約したる計算なれども、是れ迄の統計により官私鉄道一哩の営業費を比較するに官設は私設よりも一千円乃至二千円の多きを示せり、然らば今三千哩の私設を官有とする結果、営業費は総体に於て三百万円乃至六百万円の増加を来すべき勘定なり、政府は如何にして此営業費を節約する積りなる乎
  答 営業の仕振は官私の長短を取捨して適切にする筈にて調査中なり(仲小路次官)営業費なるものは運輸の種類線路の状態によりて定まるものにて官線は概して曲線支線勾配多く、又運輸貨物は手数を為するもの甚だ多きこと他会社の比に非らず、随つて多少の営業費を要する次第なり(平井作業局長)
  問 鉄道は将来特別会計とし建設費改良費は右特別会計より行ふ筈なりと政府委員は言明したるが、従来政府は鉄道の益金一千万円を年々一般会計に繰入れたり、然るに今度は特別会計として其益金を一般会計に繰入れざる方針なりや
  答 特別会計の可なることは既に決定し居れども其方法は尚ほ調
 - 第9巻 p.618 -ページ画像 
査中に属するを以て決定の上は更に成案を提出すべし
  問 軍事上より鉄道国有を必要とする理由を実例によりて具体的に説明ありたし、過日陸軍大臣が此点に関し答へたる所は要領を得ず、更めて其説明を聞かむとす
  答 例へは紀州半島に敵軍襲来すと仮定せむか、大阪・広島其他の各師団を動員し、同半島に集中するに際し、一発の命令を以て官線・山陽・関西の各鉄道を使用せざるべからず、而して是等の各鉄道を一糸紊れず五指の如く使用するは平常よりして鉄道の材料機関すべて統一し置くを要す、客車及貨車の大小によりて搭載力各異なるを以て、一列車に甲会社は六百人を容るべく、乙会社は七百人を容るべく各々一定すること能はず、然るに軍隊の方にては大隊の単位は一定し居るを以て、此一定せる員数を搭載力相違せる列車に搭載するには甚だしき不便を感ぜざるを得ず、然も此等材料の制限は営利の小会社に強ふること能はざるも、今全国鉄道を統一するときは規模自から大にして其経営も軍事の目的に副ふことを得べし、又た停車場の如きも其設備不十分なるが為めに二十七八年戦役に多大の不便を感じ数百万円を投して之を改良し、一時の急に応じたる始末なり、其後鉄道徴用令を定めたるも大規模の動員を行ふには国有を実行し運輸を統一するの外なし(寺内陸相)
 委員会は九日より初まりて十五日に終はり、(四回会合)、審議の結果は、十四名に対する二十九名の大多数を以て原案(京釜買収案に関しては異論なし)の一字一句も修正せずして之れを可決したり。試みに賛否両派を党派別にして示せば左の如し。
△賛成者(二十九人)大岡育造、山本幸彦、恒松隆慶、北村佐吉、大野久次、野田卯太郎、中倉万次郎、渡辺修、後藤文一郎、新井章吾、柳田藤吉、牧野元、竹越与三郎、長晴登、高橋安爾、奥野市次郎、(以上政友会)
 大戸復三郎、藻寄鉄五郎、南条吉左衛門、岡田治衛武、服部小十郎、安達謙蔵、石塚重平、久保伊一郎、雄倉茂次郎、(以上大同倶楽部)
 松本恒三郎、大網久雄、(以上政交倶楽郎)
 小田貫一、板東勘五郎、(以上無所属)
△反対者(十四人)加藤政之助、武富時敏、根津嘉一郎、金田又左衛門、鈴木久二郎、西村丹次郎、坂口仁一郎、村松亀一郎、井上要、西村要太郎、(以上進歩党)
 浅野陽吉、菊池武徳、早速整爾、(政友倶楽部)
 石田貫之助(無所属)
  (進歩党の大石正巳は当日欠席し、政友会の長谷場純孝は委員長なるを以て可否の数に入らず、又委員の各党割当は所属代議士数の案分比例に取れり)
 かくて翌十六日直ちに本会議に入り、委員長長谷場純孝委員会の経過を報告し、本案は天下の宿題なるを以て委員会は非常の勉強にて審議を重ね、結局十四に対する三十(委員長を加へて)一字一句の修正を加へず政府案通りを可決し、京釜買収案は満場一致にて可決したりと述べ討論に入る、劈頭演壇に立ちたるは反対派の驍将武富時敏なりき。彼れは先づ、西園寺首相は明治四年政府が京浜鉄道を敷設したる歴史を繰立てゝ鉄道に対する国是は玆に在りと謂へるも、炭礦鉄道の如きは二束三文にて切売りしたるに非らずや、何をか国有は維新以来一定の方針といふ、否な政府従来の方針は全く無定見なりと謂ふを適
 - 第9巻 p.619 -ページ画像 
当とす、仮りに一歩を譲りて民設を許したるは一時権宜の措置なりとせむに、今日は果して此権宜の措置を改むべき適当の時機といふを得ず、寧ろ今日鉄道の速成拡張は従来よりも更に一層の急を加へたるものあるに非らずやと喝破し、従来官私鉄道の発達設備の得失を論じて政府に全国の鉄道を挙げて管理経営するの危険に及び、軍事上の理由に至りては、敵を国内に引受けたる時は如何といふ如き万々有り得べからざる妄想を列ねて国家の財政経済と大関係を有する鉄道を国有とせむとするは暴挙も亦極まれりといひ、政府が鉄道を国有とするも特別会計とするが故に財政経済の上に何等の影響なしといふは、無を有に変する魔術の如きものにして信ずるに足らざる妄言なりと論じ、統一論に至りては国有を待つに及はず私設鉄道法の範囲に於て充分之を統一するの道あり、之を統一する能はざりしは畢竟政府が監督を怠りたる結果のみ、其実能はざるに非らずといひ、理論より一々実例を挙げて政府の計画の信用するに足らざるを断じ、立論該博、快弁滔々として言々皆肯綮に中らざるなかりき。次て佐々友房は賛成派を代表して之れが弁駁の衝に当りたるが、言ふ所は既に委員会に於て政府委員の繰返したる所を繰返へせるに過ぎず、別に斬新なるものを見ず。夫より島田三郎、浅野陽吉の両名各々反対の意見を拡充し、竹腰与三郎等賛成側に立ちて弁する所あり、就中島田の反対演説は一時間半に亘り、論旨は既に武富の論破し尽したる所なりしも、反対派の為めに気焔を挙げたること寧ろ彼れに優りて言々政府党の骨を刺すものありしかば、彼等は叫喚怒号を以て之れに対し、耳を掩ふて多く聞かざらむことを努めたり。
 やがて討論終結となり記名投票にて採決したるに、其結果は総数三百五十二名の内、否とする者百九名に対し可《(と脱)》する者二百四十三名の大多数にて、二読会に移り三読会を省略し、鉄道国有案は政府予期の如く無事に衆議院を通過したり。(京釜買収案は異議なく確定したり)
 案は直に貴族院に廻付せられ、三月十九日の日程に上り、西園寺首相は衆議院に於けると同一意味の説明演説を為したるが、質問群起して議場は頗る活気を添へたり、然れども其要旨は概ね已に衆議院に於て反対派の討尋したる所に属せり。只稍々新奇ならむと思はるゝは伯爵広沢金次郎が、昨年は私設鉄道を奨励するが為めに鉄道抵当法案をも提出して外資輸入の便宜を謀り、今日は其方針を一変して鉄道を国有にせざるべからずといふ、僅々一箇年間に政府の方針に如斯き変化を来すは如何なる理由に基くか、政府は将来国家社会主義を執らむとするかと詰れるの一事あり、而かも首相の之れに答ふる所は甚だ単純なりき、曰く鉄道抵当法案を提出したるは亦一時の権宜にして今後は国有の主義を貫徹する政府の方針なりと。蓋し従来の政策は悉く一時の権宜一点張りにて抹殺し去られたるなり。
 結局二十七名の議長選挙の委員に附托され、委員会は翌日より直ちに開会し、爾来五回の審議を経て八名に対する十六名の多数を以て本案の大体を是認し、逐条審議に入るに及びて伯爵正親町実正より全体に亘れる修正意見提出されるより更らに修正委員七名を撰みて修正案を編成し、多数を以て之れを可決したり。修正の要点は、
 - 第9巻 p.620 -ページ画像 
 一、公債の発行に余裕を与へて成るべく経済界の動揺を少からしめむ為め、原案第二条の買収期限明治三十九年より四十四年迄とあるを四十八年迄に延長する事
 二、買収すべき鉄道は重もに鉄道敷設法の予定に属する線路に採リ原案の三十二会社を十七会社と改め、且つ買収すべき各会社は他の私設鉄道と合併し又は之を買収するを得ざるの規定を設けたる事
 三、原案第九条の審査委員の決定を終局とするを改めて、其決定に不服あるものに訴願を許すことゝし、私権を保護したる事
 四、鉄道公債交附期を改めて原案買収の日より二箇年以内とあるを五箇年以内とし、以て公債増発の結果を緩和するの方法を執り、且つ買収後公債証書の交附を了はる迄に要する清算人の職務に関する会社の費目は政府にて支弁せしむることゝ定めたる事
 本会議は寧ろ衆議院の本会議に於けるよりも光彩あり活気ありしが結局六十二名に対する二百五名の大多数を以て修正案を通過したり。修正案は即時衆議院に廻附せられ、直ちに議事に付せらる、西園寺首相は登壇して政府は今日の場合大局に鑑み貴族院の修正案に同意せむとす、諸君に於ても速かに此修正案に協賛を与へられむことを望むといひ、政友大同両派の大喝采を以て壇を下れり、政友会院内総理は其機を逸せず提議して曰く貴族院の修正を見るは遺憾なり、然れども此場合之れに同意するの外なきを認む、本案に対する議論は既に討究を尽くしたれば此際宜しく討論を用ゐずして採決すべしと、彼れの提議は初め賛成演説をなすらしく聞えしかば、反対派は一斉に議長を呼び反対演説の通告あるを差措き賛成演説を為さしむるの無法を詰りて止まず、議場は忽ち喧囂の声に葬られ、長谷場の提議なるもの未だ十分に議場に徹底せざるに杉田議長の早く之れを聞き分けて議場に諮れるにより、喧囂は変じて紛擾となり、やがて叱咜怒罵の叫喚と化し、更らに議長席の突貫となり、賛否両者の格闘となり、コツプは微塵となり、番号標は雨と飛び、椅子は顛倒し、三百議員の総立となり、議場は宛ながら阿修羅の巷と変じたり、結局守衛の非常召集となりて必至鎮撫に尽力したるにより漸やく秩序を回復したるも、議長が改めて貴族院の修正案に同意すべきや否やを記名投票によりて採決せむと宣言したる時は、反対党は袂を連ねて議場を去り殆むど片影を止めず、かくて指名点呼の結果は投票総数二百十四、可とするもの二百十四といふ空前の奇観を現はして、玆に狂態を極めたる鉄国案は全く貴族院修正通り成立を告ぐるに至りたり、実に会期満了当日(三月廿七日)の午後七時三十分なりき。
 超えて同月三十日法律第十号《(十七)》を以て鉄道国有法公布せらる(京釜鉄道買収法も同法律第十八号を以て公布せらる)。


運輸五十年史 第一二〇頁(DK090060k-0015)
第9巻 p.620-621 ページ画像

運輸五十年史 第一二〇頁
 顧れば、幾度か現はれて、幾度か失敗に終りし鉄道国有は、明治三十九年、西園寺内閣が第二十二議会に臨むに当り、突如として現はれ突如として決定を見たり、実に文字通り突如の出来事なりしことは、世人の是を知りてより正式に議会の問題となりしまで僅々六七日を出
 - 第9巻 p.621 -ページ画像 
でず、而してその衆議院より貴族院に廻付せられ、貴族院の修正可決により、案の全く確立するに至れるまで一ケ月に足らざりしに徴すれば、半面の消息を窺知するに足らん。
先是、世人は未だ政友会内閣に鉄道国有法案提出の意ありしを知らず。その初めて是を噂にし、多少の疑惑を抱くに至りしは二月廿七八日の頃となす。此の時外相加藤高明の辞職するあり、事の係りて、鉄道国有問題に存し、加藤が他の閣僚と意見を異にせる為め、断然冠を掛けし真相の明かとなるや、世人は始めて此意外なるに喫驚したりき。加藤去りて数日、即ち三月一日に至り、西園寺首相は重なる政友会員を招致し、国有案の内容を示すところありき。更に同日時を別にして有力なる実業家を招待し、又之を示しその賛意を得んと務めたりき。
   ○西園寺内閣ノ閣議ガ鉄道国有法案ヲ議会ニ提出セシメントセシ時、大臣ノ職ヲ賭シテ之ニ反対セシハ外相加藤高明伯ナリ、其国有反対理由トナス所ハ一憲政破壊私権蹂躙、二国債ノ負担加重、三官営ノ多分拙劣ナルコト等ナリ、以テ政府ト政党、軍部ノ強行的主張ト当時ノ国内及ビ国外ノ情勢トノ関係ヲ知ルベシ、加藤外相ノ閣内ニ於ケル孤立的反対ハ遂ニ伯ヲシテ辞職セシムルニ至レリ。「加藤高明」上巻第五六三―五八一頁〔昭和四年一月二八日〕ヲ見ヨ。



〔参考〕加藤高明(加藤伯伝記編纂委員会) 上巻・第五六三―五八一頁〔昭和四年一月〕(DK090060k-0016)
第9巻 p.621-628 ページ画像

加藤高明(加藤伯伝記編纂委員会) 上巻・第五六三―五八一頁〔昭和四年一月〕
 ○第九編第二章
    (一)独り鉄道国有案を阻ばむ
        (内閣と釣替への強調)
 毀誉両方面に於て、極めて輪廓鮮やかに、『主張人としての伯』を世人に印象したものは、鉄道国有案に反対して外相の地位を抛つた其決断であつた。
 鉄道の国営を提唱する声は、夙に第十三議会に衆議院の建議となつた事もあり、殊に軍部側は常に強く之を主張して居た。夫れで日露講和の気運動くや、桂内閣は此人気に乗じ、戦争継続を思へば五億円位の買収費は何でもないと云ふ見地から、鉄道国有案を退却前の最後の閣議で議決した。而して内閣を西園寺公に明け渡すに当り、此案の踏襲を一条件として提言した。
 併し乍ら西園寺公も、この鉄道案だけは余りに重大であるから十分研究の必要があると唱へ、結局単に考慮すると云ふだけで確約せずに話を纏めたのである。之は両公の取引に立合つた阪谷男が今に銘記する所である、即ち西園寺公が、全然桂内閣の遺策を踏襲したと云ふ説も又悉く西園寺内閣の発意に出たといふ説も、共に正鵠を射ない、即ち西園寺内閣組織の初めには鉄道国有案は尚ほ未定の問題であつた。伯も此問題の引つ懸りの事情は知つて居たが『考慮の余地』を諒解して敢て之を入閣の条件には数へなかつた。
 明治三十八年末の第二十二議会は、桂内閣の下に開かれ、その休会中に西園寺内閣は予算案踏襲其他の政策を条件として成立した。併し単に夫れだけでは内閣の維持は困難であつた。即ち三十九年一月下旬休会明け当時の衆議院は政友会百四十九人、憲政本党九十八人、大同
 - 第9巻 p.622 -ページ画像 
倶楽部七十五人、政交倶楽部三十六人、無所属二十一人の形勢であつて、其中憲政本党と政交倶楽部とは政府反対の立場にあつた。即ち西園寺内閣は、政友会の外に何うしても桂公一派の大同倶楽部を味方にしなければ議会を切り抜ける確信がつかなかつた。そこで鉄道国有案は大同倶楽部との関係上最早や考慮の余地なき必要条件となつた。
 玆に於てか西園寺内閣の首脳部では、いよいよ鉄道国有法案提出の肚を固めた。山県逓相は四億三千万円を以て全国十七の私設幹線鉄道を買収する案を具して、閣僚に諮り又元老に諒解を求めたのである。元老の側は軍部出身の人々は熱心な賛成者であり、松方公、井上侯も亦政府側の説明に傾聴し、財政に就いては常に此二老の意見に同ずるを常とした伊藤公も、亦敢て反対を唱へなかつた(伯の日記に拠れば公が鉄道国有問題に関して『非常に心配して居られた』とある)
 然るに、閣内に於て独り敢然と反対を疾呼したのは外務大臣たる伯であつた。為に閣議は行脳《(悩)》み、二月中旬に至るも国有案は議会に提出が出来なかつた。
 西園寺首相・原内相・寺内陸相は交々伯を説いたが伯は寸歩も譲らなかつた。殊に原敬氏は伊藤内閣以来伯と相畏敬する親しき政友であつて、懇々として伯の譲歩を勧説し、殊に『外務大臣の所管事務でもないのに職を賭してまで反対論を唱へるにも当るまい』との理由で、伯の説服に努めた。左れど伯は飽くまで『一国務大臣として反対する』と断言した。西園寺公は最早や伯の意思を翻へす事の出来ないのを確かめた。此上は閣内不統一を理由に総辞職するか、鉄道国有案を思ひ止どまるか加藤外相に罷めて貰ふかの三途に一途を択ぶの外なきに至つた。否な鉄道国有案の廃止は内閣の運命に関するので、結局は西園寺内閣の倒壊か、伯の辞職か、即ち伯の主張は西園寺内閣と釣替へになる可き運命にまで固執された。而して此決を採る可き閣議は二月十七日に開かれた。
    (二)私権に対する強迫に抗す
        (伯が国有案に反対した三理由)
 『予が鉄道国有に対し、主義に於て賛成し、方法に於て反対すと言ふものあるが如きは是れ既に誤解なり、誤解に非ざれば曲解なり』と伯が東京日日新聞(三月十日)に述べて居る通り、伯の鉄道国有官営に対する反対論は、実に伯の自由主義的信念に立脚するものであつた。
 先づ原則的に鉄道官営を不可とし、その立憲政治に及ぼす悪影響を考へて、鉄道が党勢拡張の好餌となる可き弊害を予見して居たのである。即ち『政党内閣制に於て、何十万の従業員と幾多の地方的利害に関係する鉄道を国有とすれば、時の政府党の権勢が余りに強くなり過ぎて、立憲政治を毒する情弊を生ずる』と云ふ意見を、当時多くの眤近者に語つて居た。この伯の心配は政党の陥り易い政策として後年に実証された観がある。
 併し伯が西園寺内閣に於て主張した反対論は、前記の原則的学説論よりは寧ろ当面の実際政治論に在つた。而して之が正式に表明されたのは実に二月十七日の閣議であつた。当日の伯の日記に云ふ(編者訳)。
 『問題の鉄道国有法案いよいよ閣議に上る。余は此問題を殆んど三
 - 第9巻 p.623 -ページ画像 
時間に亘り詳細に論議し、(一)私権蹂躪、(二)国債の負担加重、及び(三)官営の多分拙劣なること、の三理由を以て此法案の撤回を勧告した。閣僚中には余と同意見のものも在つたに違ひない。阪谷蔵相の如きは、明かに財政の関する限り全然余と同意見であつた。併し彼等は敢て反対意見を吐露せぬ。余は孤立無援であつた。結局此問題の決定は後日に延期された』
 三月初旬、辞職後に至つて、伯が各新聞記者に語つた左の声明は、右の三理由を一層明かに示すものであつた。
 『鉄道国有法案の既に衆議院に提出せられし今日、貴問に対し語る所あるも、閣議の内情を漏洩する次第にあらざるを以て、敢て不可なきを信ず。抑も該案は、知らるゝ如く大要法律に依り、一定の年限内私設鉄道の営業を許可しあるに拘らず、之を強制に依り買収するの原則を定めたるものにして其結果、買収実行の為め四億乃至五億の公債を発行することゝなり、之が実行は、国家に重大なる関係を生ずるものなり。国有・私有の可否に関する事の如きは机上に闘はすべき学説論として、今日の場合之を問ふの遑なきものとし、実際政治上の見地より云ふに
 第一、該案は法律上大に議すべきものにして、即ち私権を尊重せず人民既得の財産権を侵害するものなりとの理由に於て、閣僚と意見を異にしたり。該案に拠るときは、政府が鉄道私設法に於て、民間会社に対し二十五箇年の営業既得権を認むるに拘らず、該年限の経過を待たずして私設鉄道の買収を強制的に行ふは、即ち人民の権利を侵害するものなり。殊に我国の現状に考ふるに、今後外資に待つ所甚だ多き時に当つて、財産権の安固を法律の確保に待つに付き、之を思ふの念強き外国人をして自ら疑懼の心を抱かしむるが如くんば、我国家に対する信用の基礎を動揺せしむるものにして、其事甚だ重大なり。然かも此の如く人民の私権を蹂躙するは、国家の安危存亡上、已むを得ざる場合稀れに見るべきも、唯だ便否得失の問題に於て之を冒すは最も不法なり。故に該案は之を賛する能はず。
 第二、該案は経済財政の上より亦大に議すべきものあり。今や朝野共に公債増加を憂ひ、政府は其信用価格の維持に努めて懈怠なく、国債整理基金すら設定したる程なるに、此上私設鉄道買収の為め四億乃至五億の公債を発行すると云ふは実に由々敷大事にして、之が為め公債の下落を見るは論なく、延て経済財政に及ぼすべき影響の重大なるに至ては、逆め睹るべきものあり。経済財政の点よりするも、該案には到底同意する能はず。
 第三、将来の経理に関し甚だ懸念に堪へず。即ち該案に拠り買収したる鉄道を経理して、其効用を完うせしめ、公益に適はしむると同時に多大の収益を得て、国庫の財源に資するの胸算ある由なれども之を既往及び今日の鉄道経営の実際に照して果して、其目的を達せんことは信ずる能はず。
 以上三点に於て、予が意見は不幸にして閣僚の容るゝ所とならず、是に於て所管外の問題なるも事は国家の重大案件たり、行政上一省の長官なるも、憲法上国務大臣として輔弼の任を完うし難きを思ひ
 - 第9巻 p.624 -ページ画像 
遂に辞表を闕下に奉り聴許の恩命に接したり。不肖大任を奉じ在職日浅く何等貢献する所なくして事此に至る、洵に恐懼に堪へず』
 伯の反対理由は斯くの如く三箇条を数へるけれども、就中最も力説したのは第一の理由、即ち危急の際でもないのに、人民の享有する私権を蹂躙する強迫買収の非立憲であつた。私権擁護に就いて伯の堅固なる信念と、英国流に養はれた自由主義的見解は、理論として透徹せるもので、何人も正面から反対の出来ぬ正論であつた。伯の舌端火を吐くが如き三時間の論鋒は、閣議の一座を慴伏するには足りたが、由来、政治は正論のみに導かれるものではなく、伯は結局、孤立無援の闘士たらざるを得なかつたのである。
    (三)在任僅に五十六日
        (伯を犠牲に鉄道国有案決す)
 伯の反対論は、政界の所謂玄人には一種の法律論と考へられたかも知れないが、輿論は殆んど挙げて伯を支持した。大新聞は挙つて鉄道国有案反対を熱論した。此間に在つて、伯の有する東京日日新聞は如何に伯の廟堂に於ける所論を援護したであらうか。
 然るに事実は意外であつた。伯は、社説と編輯の当事者に鉄道国有案反対の主張を語り、反対論拠の蒐集は命令して置いたが、『自分の持つて居る新聞で先づ反対するのは、公人として政治家の徳義に反する。故に自分が閣議で正式に反対してからでなければ書いてはいけない』と、此問題に関しては社説のみならず、雑報さへも封じてしまつたのである(当時の編輯部長高木氏の談)。
 持主たるが故に其新聞に書かぬとは、堅過ぎる義理立てゞある。新聞を政治的勢力に役立てやうとして経営した当初の目的は、玆に逆作用を営んだ。然も利害を度外に置いて政治家の徳義を立てる所に、伯の本領はあつた。
 斯くて伯は自分の新聞さへも封じつゝ、孤立無援のまゝ閣内で反対論を戦つた。それで二月十七日の閣議以前には、新聞に伝はる情報は閣内に異論ありとのみで、其異論者が何人であるかは明示されなかつた。甚だしきは伯と原内相とが反対論の急先鋒であるとさへ伝へられた。原氏が原案に修正を唱へたのは事実であつたが、夫れは全然伯とは反対の方向に向つての修正であつた。
 即ち閣議(二月十七日)の案は、幹線十七鉄道の買収案であつたが、政府の買収を目当てに経営されて来たボロ鉄道は、買収の猛運動に出で、新に地方的の十五鉄道を加へなければ、与党の中さへ治まらない形勢になつた。原内相は党人である。此形勢は山県逓相(伊三郎公)に熱説され当局は之をも買収範囲に入れることになつた。即ち原内相の修正運動は、伯とは逆の方面に働らいたのであつた。
 斯かる間に、井上侯は、高橋日銀副総裁(是清氏)が帰朝して、公債の加重と対外信用の下落を説くに及んで、翻然として国有反対論に陣を替へたので伯は玆に一人の知己を得、内閣は夫れだけ難を増した。併し二月下旬、西園寺首相は遂に国有案を貫徹することに決し、加藤外相の犠牲を忍ぶ決心をしたのである。
 二月十七日の閣議の翌日、伯は岩崎久弥男・豊川良平氏等に対し辞
 - 第9巻 p.625 -ページ画像 
職の外ないことを語り、十九日には高木信威氏をして辞表を起草せしめた。此夜伯は、辞表を懐にして首相官邸の地方官招待宴に列し、宴果てゝ後西園寺首相に向つて『鉄道国有案が飽くまで固執されるならば、自分は辞職の外はない』と語つて辞表を手交しやうとした。けれども首相は『此件に関しては未だ全般に亘つて考慮中であるから、暫らく待つてくれ』とて伯の辞表を受けとらなかつた。
 恰度、此十九日の朝以来、伯が英国皇族コンノート殿下の接伴に朝夕忙殺されて居る間に、西園寺首相の『考慮』は、前記の如く鉄道国有案貫徹に決した。
 伯の辞職が決まつたのは、二月二十八日の閣議であつた。伯の日記に云ふ。
 『本日閣議開かれ鉄道国有案を確定す。余は去十七日に述べた議論を繰返し、且つ今度改案の結果、或点に於ては原案よりも悪くなつたと述べた。十九日以来懐中を離したことのない辞表を西園寺侯に渡して、天皇陛下に捧呈せんことを求めた。侯は之を承諾したが、早くとも来月二日以前には、此一件を秘密にして置いて貰ひ度いと語つて居た』
 翌三月一日も常の如く外交団を外務省に接見した伯は、約に従つて三月二日に至つて初めて辞職を公表し、三日辞表の御聴許があつた。明治天皇に於かせられては、鉄道問題は外務大臣の職務範囲外に在るとの理由で、伯の辞表聴許を御躊躇遊ばされた。伯は其聖旨を西園寺公から伝へられたとき、陛下の御推重に背き、宸襟を悩まし奉るを恐懼するの念に堪へなかつた。依つて五日、宮内省に徳大寺侍従長を訪ひ『存在短くして陛下と国家とに尽すことを得なかつた遺憾』の伝奏を依頼した。まことに伯の存在は僅かに五十六日、颯々と主張に殉じて、未練気もなく台閣を捨てたのである。
    (四)政治家の本分を全うしたるもの
        (伯が辞職の反響)
 伯の辞職は、朝野両方面に稀有の衝動を与へ、国有是非の輿論に絶大なる刺戟を与へたこと勿論であつた。終始、伯を敵視して攻撃に努めた国民新聞は,伯の辞職が許された三月三日『さるにても非常特別税・減債基金には賛成し、仮令賛成せずとするも反対説を固執せざりし加藤氏が、鉄道国有問題に就いて辞職するに至りしは、其の入閣を奇異なりとしたる世人が更に怪訝の感に堪へずとする所なるべし』と言つた。此種の批評は其後も伯の進退が議せらる毎に繰返された。
 又伯の反対説が外間に伝はることが遅かつた為に、伯が何等かの事件により、急変して鉄道国有に反対したかの見当違ひの批評も行はれた。例へば、全然内国鉄道と性質の違ふ京釜鉄道買収案に賛成し閣議決定書に調印したことを以て、矛盾を責むる脱線論さへもあつた。併し乍ら輿論の大多数は伯の公明なる進退を賞揚し、種々不純の動機を附会して伯を傷つけやうとする政敵の議論を叱責するのであつた。就中、三月四日の時事新報社説は
 『鉄道官有の一事は我輩の兼ねて反対する処にして、加藤氏の意見の如きも、亦其反対の一理由として主張したる所なれば、今加藤氏
 - 第9巻 p.626 -ページ画像 
が此意見を執て閣僚と争ひ、遂に辞職に及びたりとあれば、自ら同情の感なきを得ず。唯外務大臣として、外交上に其技能を現はすに至らず、鉄道問題のために其職を去るは、氏のために惜まざるを得ずと雖も、氏が持論を屈せずして其主張のために辞職を憚からざりしは、進退公明自ら政治家の本分を全うしたるものにして、台閣の上には政友を失ふと雖も、一方に之を失ふと共に、又一方に之を得るに難からず、氏に於ては毫も遺憾とする所なかるべし。而して現内閣の地位より見れば加藤氏の辞去は兎に角閣員中の一有力者を失ひたるものにして、云々』
と知己の言を以て同情を表した。政友中に於ても、伯の進退に当つて相談を受けた大石正巳氏などは、主張に殉ずる伯の意気を大いに壮とし、政友の得喪に遺憾なしとする時事の社説を裏書するのであつた。
 加藤外相辞職し、鉄道国有案議会に提出されると共に、反対輿論は更に熱した。時事・朝日諸紙の熱論に加へて、今までの伯の掣肘に依つて遠慮して居た東京日日新聞は、伯の外相辞職と共に、いよいよ心置きなく国有案攻撃の巨砲を放つた。然らば此輿論と、伯の職を賭した主張は、果して桂系新聞の所報の如く『余り重きを置かざる』を得たのであらうか。
 伯が辞表を提出し、会議半ばにして退出した其日の閣議で、鉄道国有案は決せられ、三月早々衆議院に提出された。即ち今後六年間に三十二鉄道をば、最近六期間の平均利益率を、買収当時の建設費に乗じた額の二十倍を以て、買収の日より二箇年以内に公債を交付して買収する原案であつた。衆議院は政友会及大同倶楽部の支持に依り、百九対二百四十三の多数を以て通過した。
 然るに伯の反対論は期せずして大いに貴族院に共鳴者を発見した。此鉄道国有案を葬らんとする気勢は、伯の辞職後、日毎に増大し、三月中旬には、貴族院の一致する輿論となつた。但だ此案を否決する結果、内閣倒壊の責を負ふことは貴族院の伝統的に欲しない所であつたから、玆に一策を案じ、衆議院の容認する筈のない程度の大修正を加へることになつた。結局、閣議中途にして買収範囲に加へられた地方的交通の十五鉄道を削除し、買収年限を四箇年、買収代償支払を三箇年延長することにして此案を通過し(二百五対六十二)議会の最終日に衆議院に送附し、以て審議未了に終らしめんとした。
 衆議院の議に附せられたのは会期剰す所僅に数時間に迫つた一刹那であつたが、政府党領袖の斡旋が効を奏し喧囂と乱闘の裡に、衆議院は貴族院案鵜呑に決し、反対党退席の後に二百十四の白票を以て鉄道国有法案は遂に成立して了つた。即ち貴族院の反対論者の画策は成功せず、随つて伯の反対論の実際的反響は、結局実《み》を結ばなかつたけれども、地方の不純なる十五鉄道の削除、その他、案其ものを浄化するだけの効果はあつた。而して斯くも政府の心胆を寒からしむるまでに反対論の気勢を煽つたに就いては、伯の辞職が重大な素因となつたこと、言ふ迄もない。けれども伯自身は、辞職直後は殆んど政治に干与せず、東京日日の議論にも全く関知する所がなかつたのである。
 要するに伯の辞職は、主張の人、信念の人として、最も明かに其面
 - 第9巻 p.627 -ページ画像 
目を描き出した事件であつた。余りに理に偏するを嫌ふ批評と、其非妥協的戦闘力を快とする讃嘆と、毀誉両面の印象は、之を見る人々の心に依つて様々であつた。然も主張に殉ずると云ふ強味は、伯にして初めて実証し得たものと確認された。
    (五)当らざる辞職動機の邪推
        (三菱の利益を代弁したとの流言)
 主張の政治家としての伯の性格を信ずることの出来ない世人は、或は為にする所あつて、或は理由なき邪推に依つて、伯の辞職の動機を其主張し公表された『鉄道国有案反対理由』の以外に求めんとする。就中、其の最も酷なるものは、伯が三菱の利益を代弁せんが為に反対したいと云ふ説であつた。而して我国政界の潮流を、一切合財、財閥の作用に帰納せんとする、流行の唯物史観的推論は、正確なる材料に拠らずして、近年尚ほ、此流説を放送する。
 此伝記を読んだ人は、伯の性格に鑑みて、此種の想像を一笑に附するの材料を念頭に有するであらう。事実、其当時、伯の反対と辞職とに依つて最も迷惑を蒙つた筈の閣僚でも、伯に対する反対宣伝が『三菱は郵船の株を売つて鉄道株に乗り替へんとし、殊に九州鉄道を其の手中に収めんとして居る。この海より陸に転ぜんとする商策を妨げる鉄道国有案に対しては、憲政本党を動かし、殊に女壻加藤外相を動かして反対せしめて居る』と伝へたのを、余りの捏造中傷として唾棄し伯の政治的徳性を疑ふものは一人も無かつた。伯が姻戚の利害の為に自己の政治的名声を汚すことを肯んずるの性格か否かを知つて居たからである。
 伯の義叔父岩崎弥之助男は、此問題に就いて切に伯を気の毒に思つた。其頃、男は末延道成氏に告げて云つた。
 『加藤は意見が違つた為に内閣の分裂を招いた。何うも加藤は実に英国流儀で徹底する。それに加藤が姻戚関係から三菱の為に主張する様に噂されることは、誠に気の毒に堪へない。加藤としては三菱の姻戚でなければ、もつと強く主張するだらうに』
 此問題に就いて伯の主張と三菱の利益の関係を論ずる者の挙げる具体的事実は、九州鉄道である。併し、当時九鉄社長の仙石貢氏は、独逸・白耳義諸国に国有の成功せる実例と、国家的に投資の濫費を防ぐ点に於て、鉄道国有の修正案には賛成したではないか。仙石氏の反対は、買収方法の点にあつたもので、根本的に伯とは相異なる意見であつた。のみならず、仙石氏は此問題に就いて伯と話したことは、五十年の交友中、唯の一度も無かつた事を断言して居る。是れも、九鉄に於ける三菱の利益と、伯の関係を附会するの不当なるを証する活きた材料である。また伯自身も、辞職後、東京日日新聞を通じて(三月十日『鉄道問題と前外相』の結尾)
 『三菱の運動と云ふが如き、予の之に関係ありと云ふが如き、其有無は予の言を待たずして、事実に於て世間之を明にする筈なり。予は唯だ然る事実なしと云ふの外あらず。若し事実之ありと言はゞ、言ふもの先づ其の証拠を挙示し来るが順序なり。然らずんば、予は自ら弁護すべき所以を知らず。此際妄に浮説流言を放つて、相動か
 - 第9巻 p.628 -ページ画像 
さんとするが如きは、甚だ取らざる所なり』
と断言して居る。又三月二十七日の伯の日記は、鉄道国有法案の両院通過に関し『議員の恥』《シエーム・オブ・ゼ・メンバース》と誌るして居る。明治四十一年一月、西園寺内閣に内訌起り、阪谷蔵相と山県逓相とが辞職した事を聞いた時も伯の日記は『鉄道国有の致命的結果』と吐き出すやうに書いて居る。何人にも見せる積りの無い日記の中にてこそ、如実に伯の心事は明かにせられて居るではないか。


〔参考〕園田孝吉伝 第二六七―二六八頁(DK090060k-0017)
第9巻 p.628 ページ画像

園田孝吉伝 第二六七―二六八頁
○上略明治四十一年政府は全国の各営利会社経営の鉄道全部を買収し鉄道院の管下に属せしめて国家の事業とする策を建てた。その事業の実業界に及ぼす影響が大きいだけに可否の議論も区々てあつたが、単に十五銀行の立場から見ると事の成否は同行の発展計画上実に至深至大の関係を有するのであつた。従つて西園寺内閣成立と共に愈々鉄道国有断行を発表すると、例の十五銀行経営といつてもよい程の持て余し物であつた日本鉄道株式会社の全権利が劈頭第一に絶好の有利条件で買収されることになり、其際十五銀行がその持株に対して受領した鉄道公債額面実に三千百四十八万四千円の巨額を示したのである。玆に於て同行株主三十年の苦心は遂に報いられ創立の主旨は遂にその実を挙げたと同時に、園田氏の計画に成る根本的革新もこの時を以て名実共に完成の域に入つたのであつた。○下略


〔参考〕井上角五郎君略伝 第二〇七―二〇九頁〔大正八年一一月〕(DK090060k-0018)
第9巻 p.628-629 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕竜門雑誌 第四四九号・第五八―五九頁〔大正一五年二月二五日〕 鉄道国有当時の回顧(中)(山田英太郎)(DK090060k-0019)
第9巻 p.629-630 ページ画像

竜門雑誌 第四四九号・第五八―五九頁〔大正一五年二月二五日〕
    鉄道国有当時の回顧(中)(山田英太郎)
○上略明治三十九年二月、政府が鉄道国有法案を議会に提出したる当初に在ては戦勝の余勢、事業勃興、株式沸騰、諸公債の価額は何れも高値を保ちて帝国五分利公債の如き九十七円の時価に在りしを以て、政府が鉄道買収に関する諸計算を為すに当りても新規に発行すべき買収公債の時価を九十円と仮定し、夫以下の低落を予想せざりし様子であつた。然るに鉄道国有法両院を通過し発布せられて未だ幾何もなきに諸株崩落の時期に会し、買収公債は未だ一枚も発行せられざるに諸公債は早く已に一斉崩落の道程をたどり、帝国五分利公債の如き三十九年内に於て業に已に九十円に下落し、四十年に入りては八十円台と為り、四十一年に至りては低落の勢益々凄じく、遂に七十八九円に激落すると云ふ惨状を呈した。是に於て朝野の論難、一層の噪然を来した計りではない、政府各般の経営に齟齬を生じ、一般財政の経理に困難を来し、之が弥縫に苦慮の情あり、殊に被買収十七会社の当事者は相結んで聯合研究会なるものを組織し、鉄道公債価額維持問題を標榜し下の二ケ条を政府に要請する事を決議した。
  一、鉄道公債の価額九十円以下に低落する場合には政府をして之を買上げしむる事
  二、鉄道公債には左の通り裏書を為さしむる事
   甲、鉄道公債は鉄道益金を担保と為す事
   乙、鉄道公債の元利は金貨を以て支払を為す事
 而して尚ほ渋沢・豊川・原・園田・早川諸氏等重立たる銀行家と謀り西園寺首相に迫りて悃言するに至れり、是れ四十一年五六月の事にして、当時東京手形交換所及商業会議所聯合会に於ても各々其の立場立場として建議する所ある等、物情常ならざるものあり。是より先き四月頃であつたか政府部内に於ても、山県逓信・阪谷大蔵の二相、議
 - 第9巻 p.630 -ページ画像 
相諧はざるものありしやに伝へられ、相共に辞職せられたが、七月十四日に及びては、遂に西園寺内閣の総辞職、桂内閣の再現を見るに至つた。そして此時に及でも鉄道公債は未だ一枚も発行せられざりしは勿論、一面買収価額の計算に就ても政府側と会社側との間、多般の違議あり、双方間の協議調ひて価額の決定を見たるは、同四十一年の四月の事であつた、根本の立法当時から無理な力任せでやつてのけた仕事は末始終六ケ敷ものと見える。