デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
2款 三重紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.139-149(DK100016k) ページ画像

明治22年7月15日(1889年)

是日臨時株主総会決議ニヨリ栄一、相談役二選挙セラル。是ヨリ先当社ハ前年一月及ビ十一月、第一・二次ノ増資ヲ行ヒタルガ、更ニ是年八月第三次増資ヲ行ヒ、資本金七拾万円トナス。


■資料

三重紡績会社第七回営業実際考課状 自明治二二年七月至同年一二月(DK100016k-0001)
第10巻 p.139 ページ画像

三重紡績会社第七回営業実際考課状 自明治二二年七月至同年十二月
     株主総会決議ノ事
一七月十五日第六回株主定式総会ヲ開キ、委員長ヨリ本季事務ノ景況及ヒ付属川島工場工業ノ実況諸勘定ノ要領ヲ報告シ、而シテ同季利益金ノ内ヨリ定規ニ照シ積立金並ニ別段積立金ヲ設ケ、壱株ニ付金七円ノ配当ヲ行フヘキ事ニ決議セリ
一又同日臨時総会ヲ開キ、左ノ条件ヲ決議セリ
  相談役壱名ヲ投票撰挙スヘキ事ニ定メ、即日渋沢栄一氏ヲ撰挙セリ

 - 第10巻 p.140 -ページ画像 

三重県紡績会社第六回定式株主総会並ニ臨時株主総会要件録 明治二二年七月一五日(DK100016k-0002)
第10巻 p.140-143 ページ画像

三重紡績会社第六回定式株主総会並ニ臨時株主総会要件録 明治二二年七月一五日
明治廿二年七月十五日、三重紡績会社第六回定式株主総会並ニ臨時株主総会ヲ本社事務所ノ楼上ニ開設ス、当日来会シタルモノ左ノ如シ
  伊藤伝七殿   九鬼紋七殿   八巻道成殿
  伊藤伝平殿   中嶋左市殿   前野義房殿
  天春文衛殿   鈴木櫟翁殿   斎藤恒三殿
  船本竜之助殿  西口利三郎殿  後藤伊兵衛殿
  杉村仙三郎殿  松岡忠四郎殿  河合竹三郎殿
  吉田伊兵衛殿  村田吉兵衛殿  後藤善四郎殿
  磯部伊三郎殿  安田丑作殿   山岡小三郎殿
  堀木竹次郎殿  加藤卯敬殿
   以上二拾三名
右ノ外委任状ヲ以テ代理ヲ托スルモノ左ノ如シ
  渋沢栄一殿   但木敬之丞殿  小林吟次郎殿
  九鬼総太郎殿  柿沼谷蔵殿   下里貞吉殿
  岡田重蔵殿   伊達宗城殿   杉村仙之助殿
  長谷川一彦殿  杉野伊右衛門殿 森宗五郎殿
  山辺丈夫殿   宮崎直次郎殿  井筒新兵衛殿
   以上拾五名
又其他来会シ能ハサルヲ通知シ、及ヒ通知ナク欠席シタルモノ左ノ如シ
  中島クニ殿   田中甚兵衛殿  大塚八郎兵衛殿
  三輪猶作殿   川鍋辰之助殿  水谷孫左衛門殿
  杉村甚兵衛殿  柴田清亮殿   笠原文次郎殿
  浅野広兵衛殿  黒川幸七殿   川島伝左衛門殿
  中嶋文五郎殿  水谷耕平殿   京久保善兵衛殿
  金井八三郎殿  佐藤力二郎殿  青木文七殿
  岩本栄蔵殿   熊谷辰太郎殿  金崎嘉十郎殿
  浜野門三郎殿  寺内章明殿   柴田善左衛門殿
  室本閑之助殿  竹内文平殿   奥村長四郎殿
  米谷重之助殿  楠嘉一郎殿   恒川新助殿
  丸山藤助殿   加藤録蔵殿   中井三郎兵衛殿
  浜崎永三郎殿  下郷伝平殿   石井源三郎殿
  立川広吉殿   松浪宗七殿
   以上参拾八名
来会諸氏ハ午後二時議場ニ着席ス、此時特ニ利益金処分案一葉並ニ臨時総会議案一葉ヲ各員ヘ配付シ、委員長八巻道成氏議長ノ席ニ就キ一同ニ向ヒ、本日ハ定式総会並ニ臨時総会ヲ開クニ付各位ノ来会ヲ乞ヒシ処、已ニ株主三分ノ二以上ニ満チタルヲ以テ、定款第五十条ニ拠リ開会シ得ヘキ効力アレハ、先ツ定式総会ヲ開キ、続テ臨時総会ニ移ルヘキ旨ヲ述ヘ、書記ヲシテ委任状ヲ差出タル人名並ニ委任ヲ受ケタル人名ヲ披露セシメ、当季ノ考課状ヲ朗読セシム
書記 考課状ヲ朗読ス
議長八巻道成氏 当半季営業ノ景況ハ只今考課状ヲ朗読セシメシ如クナレハ、尚不審ノ廉ハ充分ニ質問アランコトヲ乞フ、且当季ノ営業ハ昨年後半季ノ営業ニ比スレハ割合ニ利益金少シ、然レトモ幸ニシテ紡錘ノ数ヲ増加シ、製糸高多量ナリシカ為メ、利益金額ニ於テ幾分ノ増加ヲ見ルハ、諸君ト共ニ慶賀スル所ナリ、昨年後半季間即前季ノ製糸相場ト当季ノ相場トヲ比較スルニ、当季ハ製糸百目ニ付金七厘ノ低廉
 - 第10巻 p.141 -ページ画像 
ヲ生セリ、之ヲ前季製糸高ニ積算スルモ壱万余円ノ差異ヲ見ルヘシ、加之本邦紡績ノ事業追々増加スルニ従ヒ、原料綿花ノ需用ヲ増進シ、或ハ綿花ノ買溜ヲ為ス等ノモノアリテ、綿価バ《(ハ)》割合ニ廉ナラサル等、彼此相依リテ利益金ノ減少ヲ来ス所以ナリ、玆ニ提出シタル利益金配当案ハ委員ニ於テハ相当ナルコトヲ認メシカ、尚諸君ノ意見ヲ聞キ、審議決定センコトヲ希望ス
委員伊藤伝七氏 当季営業上利益金ノ割合ニ少キハ、昨年冬ニ於テ製糸ノ売行悪ク、随テ物品ノ渋滞ヲ来タセリ、大阪其他地方ニ於テモ同様ノ景況ナリシヲ以テ、製糸ノ直段ヲ低下セシカ、一月以来弗々発行ハアリシト雖トモ充分ナラス、故ニ又々直段ヲ引下ケシカ、例年不捌ケノ季節ナル五月頃ニ至リテ、各地得意先ヨリ頻リニ注文ヲ受ケ、遂ニ製造高ヲ以テ其需用二応スル能ハサルニ依リ、各店ヘ分配シテ輸送スルノ有様ニ至レリ、且ツ本社製糸ハ其紡錘ヲ増スト共ニ、需用者ノ信用ヲ得、各地ヘ販売ノ途広カリ、目下農間多忙ノ折柄ナレトモ、発行宜シク、幸ニシテ製品ヲ貯蓄スルノ患ナシ、故ニ此際一層奮発シテ営業ナスニ於テハ、充分ノ好結果ヲ得ヘキヲ信ス
船本竜之助氏 天春文衛氏 原案ヲ賛成ス
議長八巻道成氏 各員異議ナキヲ見テ、原案ノ可否ヲ問シニ、一同原案ヲ賛成シ、原案ニ可決ス
議長八巻道成氏 定式総会ハ是ニテ全ク了決シ、是ヨリ更ニ移テ臨時総会ヲ開キ、逐条議決センコトヲ希望ス
書記 臨時総会定款修正議案ヲ朗読ス
議長八巻道成氏 只今書記ノ朗読セシ議案ハ、委員ノ資格ヲ(以下八巻氏ノ説明等ハ委員ノ資格)以テ之レカ精神ヲ各位ニ陳述センニ、抑モ此議案ニ掲ケタル相談役タルヤ、最初本社創立ノ際、定款営業規則等ハ大坂紡績会社《(阪)》ヲ模範トナシ、会社万般ノ事務ハ凡テ東京渋沢栄一君ニ相談シ、種々ノ尽力ヲ受ケタルハ、已ニ株主諸君ノ内ニ熟知セラル、先《(マヽ)》モアルヘシ、本社定款ニハ相談役ヲ置カザレトモ、其実重ニ渋沢君ノ差図ヲ受ケ居レリ、今ヤ紡績工場ノ増加スルニ従ヒ、競争等ノ起ル場合ニ至ルトキハ、世間ノ交際広キ人ニ依頼シ、表向キ相談役ノ名義ヲ顕ハシ、世上ノ信用ヲ厚クセハ、会社将来ノ為メ大ニ鞏固ナランコトヲ慮リ、本案ヲ設ケタリ、且渋濃君《(渋沢)》ニハ内国紡績聯合会ノ総代トナリ、輸入綿花免税等ノコトニ付、政府ヘ意見ヲ建議セラレタル等ノ事アリテ、紡績事業上ニ深ク尽力セラルヽニヨリ、同君ニ相談役ヲ依頼スルハ最適当ト信認セリ、諸君高見ヲ吐露セラレ、決議アランコトヲ希望ス
委員伊藤伝七氏 大阪紡績会社ニテハ同社相談役渋沢栄一君ヘ諸計算書ヲ送リ、営業上ノコトヲ相談シ来レリ、故ニ本社モ実ハ其例ニ傚ヒ計算書等ヲ一覧セシメシニ、自カラ細カニ点撿シ、費用多少等マデ注意ヲ与ヘラレシ、本年上京ノ際東京株主ニ面話ノ折、談偶渋折君ノ本社ニ尽サルヽコトニ及ヒシニ、同君ニ相談役ヲ依頼セハ、会社ノ信用ニモ拘ハルヲ以テ、相談役ノ名義ヲ掲クルコトヽナサハ如何ント勧告セラレシコトアリ、旁以テ同君ニ依頼スルノ精神ヲ以テ、本案ヲ提出スルニ至レリ、諸君之ヲ諒セラレヨ
 - 第10巻 p.142 -ページ画像 
天春文衛氏 相談役二名ノ内一名ハ渋沢君ニ依頼スルトセハ、他ノ一名ノ必用ナル精神ハ如何
議長八巻道成氏 議案ニハ単ニ二名ト掲ケタレトモ、事宜ニ依リ一名或ハ二名ヲ置ク場合モアルヘシ、故ニ本案ヲ起草セリ
天春文衛氏 相談役ノ報酬ハ如何スヘキノ見込ナルヤ
議長八巻道成氏 役員賞与金ノ内ヨリ支給スルノ見込ナリ
前野義房氏 相談役ハ一名トシ、渋沢君ニ依頼セハ如何
磯部伊三郎氏 賛成
六春文衛氏 在東京株主中ヨリト限ルヨリハ、単ニ株主中トナサハ規則上穏当ナルカ如シ、且定款第三章ニ委員トアルヲ委員相談役ト修正アリタシ
松岡忠四郎氏 在東京ノ文字ハ不穏当ナルユヘ之ヲ削除シ、相談役ハ一名トナス方適当ナラン、如何トナレハ立案ノ精神ハ渋沢君ニ依頼スルニアレハナリ、尚第三章ノ委員トアルハ委員相談役トナスコトヲ賛成ス
天春文衛氏 在東京ノ文字ヲ削除スルノ精神ハ、其場合ニヨリ、尚又大阪ニモ相談役ヲ依頼スルヲ要スルカ如キコトアルトキハ、為夫又々定款ニ修正ヲ加ヘサルヲ得サレハナリ
西口利三郎氏 在東京ノ文字ハ少ナ《(シ)》ク偏頗ニ渉ルノ嫌アレハ之ヲ削除センコトヲ希望ス
船本竜之助氏 東京ノ文字ヲ削除シ、相談役ハ一名トスルコトニ賛成ス
議長八巻道成氏 在東京ノ三字ヲ削除シ、相談役一名ニ修正スルコトヲ衆議ニ問フ、一同賛成シ、修正説ニ可決ス
船本竜之助氏 第廿四条中相談役ハ委員ニ代リテトアルハ、委員ト共ニ謀リテトナサハ或ハ可ナランナレトモ、寧ロ全条ヲ削除スルノ方実際上差支ヲ生スルコトナカルヘキヲ以テ、全条ヲ削除アランコトヲ望ム
松岡忠四郎氏 天春文衛氏 前野義房氏 西口利三郎氏 船本氏ヲ賛成ス
議長八巻道成氏 右各員ニ可否ヲ問フ、一同削除説ニ賛成ス、故ニ之ヲ可決ス
船本竜之助氏 第六拾四条ノ委任状ハ幾何ノ間トカ委任スルノ期限ヲ定ムル精神ナルヤ
議長八巻道成氏 本条立案ノ精神ヲ述ンニ、東京或ハ大坂ニ於テ株式ノ売買ヲナストキ、一々本社ニ書替ヲ申越サヽルヲ得スシテ、其手数ノ煩シキノミナラス、数日ノ後ニアラサレハ事ヲ弁セス、殊ニ東京大坂ノ株式取引所等ニアリテハ、其不便尠カラサレハ、其他《(地)》ニ於テ重立タル信用ノ厚キ人ヲ依頼シテ、株券書替ノ際委員支配人ノ代理トナリ、書替ノ事ヲ処理セシムルノ便ヲ計ランカ為メ、本条ヲ設ケシモノニシテ、其期限ノ如キハ予メ期セサルナリ
船本竜之助氏 委托セシ重ナル株主カ、万一所持ノ株券ヲ売却スル等ノ事アルトキハ、委托者ヲ交換セサルヲ得ス、依テ其地ノ信用アル銀行或ハ会社等ヘ依頼セハ、終始変換ノ煩ナクシテ大ニ便益ナルヘシ
 - 第10巻 p.143 -ページ画像 
議長八巻道成氏 銀行或ハ会社等ニ在テハ、其定款外ノ事業ヲ営ムコト能ワサルモノナレハ、仮令委托セントスルモ委托ヲ受クルモノナシ、故ニ本社株主ニシテ始終保護ヲ与フル人ヲ撰テ委托スルノ見込ナリ
支配人伊藤伝七氏 代理店ヲ置クコトニセハ、東京大阪等ニアリテハ株券書替等其他万般ノコトニ便益少カラサレトモ、其運ニ至ラサル事情モアレハ、旁以本条ヲ提出スル所以ナリ
一同原案ヲ賛成ス
議長八巻道成氏 然ラハ原案ニ可決ス、次ニ相談役ノ投票ヲ行ハン
前野義房氏 船本竜之助氏 投票スルヲ要セス、簡便法ヲ以テ渋沢君ヲ指名シ、相談役ニ撰挙セラレタシ
満場ノ諸氏 之ヲ賛成ス
議長八巻道成氏 之ヲ議決ス、是レニテ臨時総会決了ス
議長八巻道成氏ハ右ニテ本日総会ノ全ク決了セシ旨ヲ告ケ、更ニ談話《(会脱カ)》ヲ開キ、当季営業ノ実況ヲ談話シ、並ニ当季諸計算表等ヲ会員諸氏ノ回覧ニ供シ、散会セシハ午後八時ナリ
右之通議決候也
                  議長 八巻道成

    明治廿二年七月十五日株主臨時総会決議書
一定款第三章ヲ修正シ、同第三章第廿二条ノ次ヘ左ノ第廿三条、同第拾章第六拾三条ノ次ヘ左ノ第六拾四条ヲ増補シ、従前ノ条号ヲ改正ス
   第三章
 委員相談役ノ事ト修正スル事
   第二十三条
 当会社ノ業務ヲ確実ナラシムル為メ、特ニ五拾株以上所持セル株主中ヨリ相談役一名ヲ投票撰挙シ、会社重要ノ事務ヲ商議シ、其全面ヲ監督セシムヘシ、尤モ此相談役ノ任期モ二ケ年ト定ムル事
   第六十四条
 当会社株式書替ノ便ヲ計リ、本社ノ外東京大坂ニ於テ其取扱ヲ為スヘキ為メ、委員会ノ決議ヲ以テ、同地ノ重立タル株主ヘ委員ノ委任状ヲ付シテ、之ヲ委托スルヲ得ヘキ事
  但本文取扱手続ハ委員会ノ決議ヲ以テ之ヲ設定スヘシ
右之通決議致シ候也
  明治廿二年七月十五日
                  議長 八巻道成


青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇七七―一〇八四頁 〔明治三三年六月〕(DK100016k-0003)
第10巻 p.143-144 ページ画像

青淵先生六十年史(再版)第一巻・第一〇七七―一〇八四頁〔明治三三年六月〕
 ○第十九章 綿糸紡績及織布業
    第三節 三重紡績会社
○上略
相談役ヲ置クノ事タルヤ、最初同社創立ノ際、定款営業規則等ハ大阪紡績会社ヲ模範トシ会社万般ノ事ハ凡テ青淵先生ニ相談シ種々ノ尽力
 - 第10巻 p.144 -ページ画像 
ヲ受ケ居リ、同社定款ニハ相談役ヲ置カサレトモ其実重モニ先生ノ差図ラ受ケ居レリ、今ヤ紡績工場ノ増加スルニ従ヒ競争ノ起ル場合ニ臨ミ、相談役ノ名義ヲ顕ハシ世上ノ信用ヲ厚クセハ会社将来ノ為メニ大ニ鞏固ナランコトヲ慮リ、且ツ先生ハ内国紡績聯合会ノ総代トナリ紡績事業ニ尽力セラルヽヲ以テ先生ニ依頼スルノ精神ヲ以テ、明治二十二年七月十五日臨時株主総会ニ於テ相談役ヲ置ク事決議シ、且ツ同会ニ於テ満場一致青淵先生ヲ相談役ニ推挙セリ


聯合紡績月報 第一二号・第四五―四七頁 〔明治二三年四月〕 三重紡績会社(DK100016k-0004)
第10巻 p.144 ページ画像

聯合紡績月報 第一二号・第四五―四七頁 〔明治二三年四月〕
    三重紡績会社
○上略
是ヨリ曩キ明治廿一年一月ニ於テ資本金八万円ヲ増募シ資本金ヲ補足シテ三十万円トナシ、尚又同年十一月ニ於テ更ニ五万円ヲ増募シ、木造二階建二百廿坪ヲ新築シ本工場内ニ装置ノ綛繰場ヲ移シ、此処ヘミユール精紡機四台(錘数二千八百本)リングフレーム精紡機三台(錘数千○三十二本)及ヒ之ニ附属スル前紡機等ヲ増設スヘキコトニ決議シ、該機械ハ前例ノ如クプラツト兄弟商会エ注文セシニ、明治二十二年六月ニ至リ該機械到着シ因テ据付ニ着手シ、同年十月ニ至リ悉皆運転就業セリ
明治二十二年三月十五日委員ノ任満期ナルヲ以テ定款第廿条ニ依リ抽籤ヲ行ヒ、八巻道成・伊藤伝七ノ両氏解任、更ニ補欠員ノ選挙投票ヲ以テ、八巻道成・伊藤伝七ノ両氏当撰再任セリ
明治二十二年七月渋沢栄一氏ヲ同社ノ相談役ニ選定ス、明治廿二年八月同社第二工場ヲ増設スヘキ事ヲ可決シ、資本金三十五万円ヲ増募シ同年九月ヨリ工場建築ニ着手ス、其建坪ハ煉瓦石二階家五百九十六坪二合四勺平家二百五十九坪八合六勺ニシテ、諸器ハ前例ニ倣ヒ蒸滊機械ハ(実用四百馬力ノコンパウンドタンデム形ニシテ滊鑵三個ヲ供フ)英国ヒツク、ハアーグリーブス会社エ、紡績機械ハ(リングフレーム精紡機四十台此錘数一万四百本及ヒ之ニ附属スル前紡機認繰機等)同国プラツト兄弟商会ヘ注文シ、明治廿三年十一月ヲ期シ悉皆整頓スヘキ予定ナリ


青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇七七―一〇八五頁 〔明治三三年六月〕(DK100016k-0005)
第10巻 p.144-146 ページ画像

青淵先生六十年史(再版) 第一巻・第一〇七七―一〇八五頁 〔明治三三年六月〕
 ○第十九章 綿糸紡績及織布業
    第三節 三重紡績会社
○上略
一、第一次増株ノ理由
 同社ハ最初資本金弐拾万円ヲ募集シテ工場ノ建築器械ノ買入ヲ支弁シ、尚ホ多少営業資本ヲモ存スヘキ予算ナリシカ、工場ノ建築ハ実際着手ニ臨ミ更ニ改良スヘキ部分ヲ増シ、器械ノ買入ニ至テハ各項内予算ニ超過スルモノ少ナカラス、其外運賃等為替相場ノ高低ニ依リ概シテ予算ヲ超ヘ、則チ一切ノ支出ヲ総計シテ金弐拾七万五千円トナリ、既ニ資本額ヨリ超過スルモノ金五万五千円ニシテ、此ノ外別ニ運転資本ヲ要セサルヘカラス、今此ノ不足額ハ之ヲ特別ノ負債
 - 第10巻 p.145 -ページ画像 
トシテ漸次償却ノ方法ヲ設クヘキヨリハ、寧ロ之レヲ増株トシテ募集補塡スルヲ以テ将来利益ノ計ナルカ如シ、依テ金八万円ヲ増募スルコトヽシテ明治二十一年一月廿五日、臨時株主総会ニ於テ之レヲ決議セリ
一、第二次増募株ノ理由
 同会社ノ蒸汽機械ハ其石炭ヲ消費スルコト予算外ノ少量ニシテ、紡機全体ヲ運用スルモ馬力尚ホ余リアルカ如キハ同社幸福ノ基礎ニシテ、同社嘗テ工業上ニ期スル所ノ望ハ勉メテ工費ヲ節減シテ其利ヲ糸価ニ及ホサント欲スルニ在リ、故ニミユール精紡機四台、リング精紡機三台、此ノ錘数参千八百参拾弐本ヲ増添シ、此ノ増錘ヲ為スニハ金五万円ヲ要スヘキヲ以テ、明治廿一年十一月五日臨時株主総会ニ於テ決議セリ
一、第三次増募株及器械増添ノ事
 同社工場及附属川島工場ノ現在錘数ハ合計壱万弐千四百四拾本ニシテ、之レニ目下据付ニ係ル増錘三千八百三拾弐本ヲ加ヘ総数壱万六千百七拾弐本《(マヽ)》ナレハ、当時我国紡績業ニテ大工場ニ列スルヲ得タリ然ルニ方今内外紡績業ノ情態ヲ審査シテ将来ノ得失ヲ推測スル時ハ復タ現今壱万六千余ノ錘数ヲ以テ安全ヲ保ツヘカラサルノ虞ナキヲ得ス、因テ玆ニ第三次株式一倍ノ増募ヲ為シ、合計金七拾万円ノ資本ヲ以テ第三工場ヲ建設シ、錘数壱万四千四百本ヲ増添シ、合計三万零五百七拾弐本《(マヽ)》ト為シ、玆ニ営業用資本トシテ若干金額ヲ常備シ該社工業ノ基礎ヲ安全ナラシメント欲スルノ精神ヲ以テ、明治廿二年八月廿日臨時総会ニ於テ之ヲ議決セリ
 ○中略
同社ハ新事業トシテ更ニ綿糸網撚糸製造ノ事ヲ初メタリ、抑モ本邦漁業ニ使用スル麻糸網ハ品質跪弱、価格不廉ナルヲ以テ之ヲ綿糸網ニ改善スルニ於テハ、啻ニ漁業者ニ利スル而已ナラス、会社ニ於テモ一ノ新事業ヲ起シ随テ其利益ヲ得ル意見ナリシニ、此ノ事ハ青淵先生ノ大ニ賛同勧誘セラルヽ所トナリ、明治廿五年ノ頃始メテ試製ニ着手シ実験改良ヲ加ヘ、之レカ原料タル撚糸ノ英国製作ノ撚糸器械ニ依リ製造シ得ルト雖モ、製網編成機械ニ至テハ内外国製作ノモノト雖トモ、孰レモ不完全ナルヲ以テ熟慮撰択中ニ属セリ、故ニ已ムヲ得ス手絓ヲ以テ編成従事セシム、抑モ試製以来僅々数年ヲ出サルニ需用大ニ増進シ其販売セシ数量ハ七拾弐万五千百六拾四封度余代価ハ弐拾参万弐百九拾参円余ノ巨額ニ達セリ、是レ全ク先生ノ勧誘ニ依ルニアラスンハ焉ソ能ク斯ノ如クナルヲ得ンヤ
  ○「青淵先生六十年史」中ノ三重紡績全社ニ関スル記述ハ伊藤伝七ノ取調ニヨリシモノナリ。
  ○「斎藤氏(恒三、明治十九年紡機購入及ビ紡績業視察ノ為英国ニ派遣サル)は帰途米国に廻はり、同国の綿業をも視察した。その結果綿糸を以て漁網を製造するの利なるを発見し、之を伊藤伝七氏に相談したるに直にその設備をなすベく賛成を得た。伊勢地方は全国唯一の漁網地と称するほど盛大を極むるに拘らず、従来の漁網は総て麻糸製にして価格は頗る不廉のものであつた。欧米方面で使用する綿網は価格低廉にして耐久力も相当多いので、三重紡は遂に若干の撚糸機械と製網機械とを注文し漁網製造に着手し
 - 第10巻 p.146 -ページ画像 
た。そして北海道方面にも手を廻はして売捌の方法を講じた。然るに本邦麻網業者の反対と同時に漁業家も遽に習慣を破りて綿漁網を求めんとしないので最初は頗る持て余した。併し漸次漁業家も綿網の有利なるを知るに至り前途大に有望でありしも、何分此事業は漁網の種類の雑多なると作業の複雑であるとの為め、能率を本位とする当時の紡績会社に適当せざるやの傾向を有する折から、三重紡も遂には漁網業を分離して現在の三重製網会社に移した次第であつた。即ち右分離は時勢の然らしむる所とはいへ三重紡の為め聊か遺憾とする所であるが、併し之が為め二重紡は本邦唯一の製網機設備の紡績会社となつた訳である。」(絹川太一編「本邦綿糸紡績史」第二巻第五四三―五四四頁)


本邦綿糸紡績史(絹川太一編) 第二巻・第五五〇頁 〔昭和一二年九月〕(DK100016k-0006)
第10巻 p.146 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一 書翰 斎藤恒三宛 明治二三年七月六日(DK100016k-0007)
第10巻 p.146-147 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤恒三宛 明治二三年七月六日 (斎藤恒一氏所蔵)
 (別筆)
    明治廿三年七月六日
去月廿三日付御状過日相達し拝見仕候、御書中緊急ニ係リ候件は当時已ニ伊藤氏より大沢迄屡次通報有之事情領悉致し候ニ付、小子之意見も尚大沢より回答ニ及ひ伊藤氏ニ決心為致置候折柄他事湊雑致し候故貴兄へ之御答は今日ニ及ひ候段御諒意可被下候
御来示柴田清亮辞職願出候ニ付引続き横尾・山岡等同情申立之次第及ひ八巻ニ対する貴兄並ニ伊藤氏等之御精神、八巻之挙動ニ至る迄縷々御細告之趣了意仕候、柴田之事は説諭を尽し引留可申事情ニ無之ニ付願之通断然聞届之処分可致事ニ決議致し、他二人之事も此際会社ニ於て跌躊致し候様ニ而は全般之取締上にも関し候ヘハ、一応其非を説諭し右ニ而反省不致候ハゝ断然辞職可為致覚悟ニ而取扱候様申通候処、果して両人は改悟謝罪致し候由ニ付、柴田退身ニ付而之一事は先つ右ニ而片付候得共、今後もし右様之挙有之候節は、聊仮貸《(借)》せす厳重ニ取計、同盟強迫之如き侮を不受様御注意被下度、此儀は伊藤氏へも申通
 - 第10巻 p.147 -ページ画像 
し置せ候間兼而御申合置可被下候
八巻身事ニ付貴兄並ニ伊藤氏御心配之儀ハ、畢竟会社之為め御誠意より発し候儀ニ而、同人を御保護被成候処も諒意仕候、実は同人は極めて紡績会社之事業ニ必適と申ニも無之、曩時は曩時之事情ニ応し候儀ニ而既ニ同人身事今日之如く相成候上は、種々之事業ニ参し候より純然一途ニ従事致し候方本人之為めと被存候間、本社之委員長は此際辞退致し候可然《(方脱カ)》、而して其後任は九鬼氏ニ委托し別ニ委員ニ三輪氏を任し候ハゝ差支無之被存候間、此上八巻ニ於て辞任可致事を申立候共、敢て御心配ニは及ひ不申、此段伊藤氏へも御話し置可被下候
爰ニ一事御相談申上候は大阪紡績会社佐々木豊吉事、今回辞職致し度旨申立評議之上不得已聞届候事ニ相決し候処、同人儀敢て他ニ有為之訳ニも無之趣ニ付貴兄之補助として同人雇人候而《(入)》は如何と相考へ申候蓋貴方之工務は最初以来貴兄御担任被下業務も追々相進ミ候処、第二号工場之起工も追々近つき全体之工程前日之比ニ無之、貴兄之任も蓋重大ニ相成候ニ付、現今より将来ニ捗り外ニ内外之強敵を引受、内ニは製糸之進歩を計り紡績業之戦国を凌き候ニは、工務ニ於ては是非貴兄之補助相成候ものを置き、商務其外全般之事ニ於てハ伊藤氏之職務を今一層督励可致方法を不相設候而は十分目的を不可達と存候ニ付、佐々木儀は其長所は紡績よりは寧、建築ニ有之候得共、紡績事業も大坂紡績会社之創業より従事致し候事故、普通之実学は十分相足り候ニ付貴兄之補助ニ従事致し候ニは適当と可申被存候間、貴方ニ於て篤と御勘考且伊藤氏とも十分御協議被下、御同意ニ候ハ、未た本人之意中は承り不申候得共、小子より懇切ニ申遣し貴方ニ従事候様説着可致と存候、至急御回示可被下候
頃日製糸発行は大坂尤もよろしく東京次き名古屋も余程捌方敏捷之趣続々報道有之候処・其原因は種々複雑致し居候共到底地方実際之元気を復し購買力を生し候訳ニ無之、或は藍相場之安きより此処ニ而少しく冬物之染方を試ミ、或は例年之仕入時を以て販路之如何を推究之暇なく少しく仕入を為し、又は右等之影響よりして思惑を為し候等之現象ニ外ならさるニ付、此気配は決して維持不致して恐くハ本月之尽日を俟たす售路塞り可申、而して真誠之銷售は他日出来秋之兆を認めさる中は相開け不申ニ付、此際景気之好きニ乗し叨りニ直上を為して他糸と競合候よりは、他ニ比し一分安直を以て他之販路を引取候方得策と布候間、今日は常之如く景気ニ応し叨りニ直上致し候は甚不利ニ帰し可申、此段伊藤氏へも御申聞可然売捌方ニ御注意相望申候
右之段貴答旁申進候也
                      渋沢栄一
   斎藤恒三様


竜門雑誌 第三六号・第二九―三三頁 〔明治二四年五月二五日〕 ○三重紡績会社概況(DK100016k-0008)
第10巻 p.147-149 ページ画像

竜門雑誌 第三六号・第二九―三三頁 〔明治二四年五月二五日〕
    ○三重紡績会社概況
本社第二工場増設ノコトハ廿二年八月廿日株主臨時総会ノ決議ヲ得ルヤ、即日英国ニ電報シ器械ノ注文ヲナセリ(其以前本社ヨリ数々英国ニ文通シテ設計ノコトハ遺漏ナク往復シ、本社決定スレハ電報シ英国
 - 第10巻 p.148 -ページ画像 
注文先二於テハ直チニ製作ニ着手スヘキ約束ヲナシ、暗号電文モ取替セ置ケリ)、既ニ建築及器械ノ種類等皆ナ設計ヲナシアルニヨリ、廿三年七八月頃ニハ悉皆落成セシムヘキ見込ナリシ故ニ、工場建築ハ三重県属タリシ田中良七氏ヲ本社ニ聘シ、之ニ建築ヲ担任セシメ手仕立普請トナシ着手廿三年三月ニ於テ落成セシム、然ルニ英国エ注文ノ器械ハ製造所ノ種々事故アリシ為メ非常ノ延着ト相成、其初メ到着器械ノ作業セシハ廿三年五月ニシテ、全然ノ落成作業セシハ廿四年二月廿七日二至レリ、此落成ノ延引セシハ器械ノ延着、其原因英国製造所ニ於テ魯国ノ注文多キト同盟罷工ト「インフレヱンザー」流行病ノ三因ニシテ如何トモ為ス能ハサル事情ナリ、故ニ第二工場ノ為メニ費消セシ時日ハ十八ケ月ヲ要セシナリ
其蒸気器械(四百馬力)電灯器械及紡績器械ハ据付外国工師ヲ聘セス本社委員兼技術長工学士斎藤恒三氏、技術方藤原保之助氏ヲ指揮シ、本社技男ノ重ナルモノヲシテ全然器械ノ据付ヲ整頓セリ、今マ其器械ナルハ何レモ改良ノ点少々ナラス、殊ニ「リング」精紡機(壱基三百六十錘立)四拾基、紡錘数壱万四千四百錘ニテ之ニ打綿部ニ二三ノ新式器械ヲ添属シ、全般加減宜シク良糸ヲ紡出スルノ好結果ヲ得タリ
玆ニ於テ第一工場(紡錘壱万四千二百七十二錘)第二工場(壱万四千四百錘)川島工場(二千錘)ヲ合計スレハ三万〇六百七拾二紡錘ノ一大会社タルノ地位トハナレリ、製出スル処ノ綿糸ハ各地ニ販路ヲ拡張セシニ、目下尾張地方・伊勢・伊賀・越中・加賀・東京ニシテ大ニ信用ヲ博シ、現在工場ノ製額ニ対シ需用(即チ注文)超過シ製額不足ヲ告クルニ至レリ、殊ニ目下東京ニ於テ天竺糸代用赤商標左撚二十手ノ如キハ非常ノ好評ヲ得テ注文ニ製額不足ヲ告ク、是全ク工場ノ整頓ト第二工場器械ノ善良ナルニ起因スルニ外ナラサルナリ
又玆ニ他ノ会社ニ一種特別ナル件アリ左ノ如シ
一、四日市港ハ人口ノ割合戸数少ナク下宿屋ノ如キハ僅少ニシテ、本社使用スル職工モ宿所ノ為メ迷惑ヲ感セリ、故ニ木社内《(本)》ニ男工及女工ノ寄宿舎ヲ設ケ年老ノ社員夫婦ヲシテ之ガ取締ヲナサシメ、之ニ賄事ヲモ会社勘定ヲ以テ取扱シム(富岡製糸場ノ如シ)今其寄宿職工七百名余ナリ、其他ハ通勤セシム、斯クノ取扱ヲナスニヨリ各地ヨリ会社ニ寄宿シテ職工ヲ志願スルモノ甚タ多シ、随テ無頼ノ職工モ増加セサルナリ
一、本社重役ハ委員長九鬼紋七氏、委員伊藤伝七・斎藤恒三氏ノ三人ニシテ相談役渋沢栄一氏ナリ、而シテ伊藤伝七ハ支配人ヲ兼勤シ斎藤恒三ハ技術長ヲ兼ネ両人日々会社ニ従事セリ、九鬼氏ハ日々会社二稟議シ、他ノ会社ニ於テ重役会議ト称スルモノハ月何回トセス、本社ハ只々会議シテ日々ノ事務ヲ決議処弁セリ、而シテ重要ノ事件ハ皆ナ渋沢相談役ヘ稟議シ同意ヲ得サレハ決行セサルナリ、故ニ常務ハ九鬼委員長日々決裁シ重務ハ渋沢相談役決裁シ、重役四人ヲシテ支配人モ技術長モ社長モ取締モ監査役モ支障ナク処弁シ一大会社ナルモ確実安全ノ業務ヲ経営スルヲ得ルナリ、為メニ経費ヲ節略スル少々ナラサルナリ、又支配人技術長ハ毎日午前六時或ハ七時ヨリ出勤シ午後六時或ハ八時迄実務ニ専心従事ス、故ニ会社全体ノ監督商工務ノ処置モ速カニ
 - 第10巻 p.149 -ページ画像 
シテ所謂一家ノ主人奉公人ト共ニ労役勤勉スルニ等シ、今日困難ノ工業会社ニシテ至当ノ勤務ナラント存セリ、是皆ナ渋沢相談役ノ英断ニ出ルモノナリ
職工現数技工男三百六拾二人技工女千百廿壱人合計壱千四百八拾三人ナリ、製糸高ハ細太紡出ノ都合ニヨリ一定セサレトモ概シテ一日弐千弐百貫目内外ナリ(二十手過半)
製糸種類ハ英糸代用二十八手三十手三十二手、天竺糸代用右撚左撚二十手、普通一等糸及二等糸ナリ



〔参考〕本邦綿糸紡績史(絹川太一編)第二巻・第五四五―五四六頁〔昭和一二年九月〕(DK100016k-0009)
第10巻 p.149 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。