デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
2款 三重紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.174-179(DK100023k) ページ画像

明治40年1月26日(1907年)

是日定時株主総会ヲ開キ、工場増設ノ為ノ資本金増加、取締役増員、定款改正等ヲ議決シ、併セテ
 - 第10巻 p.175 -ページ画像 
役員改選ノ結果、栄一取締役ニ選挙セラル。幾モナク当社ハ桑名・知多両紡績会社ヲ合併シ、尾勢地方紡績会社ノ合同凡ソ成ル。


■資料

三重紡績株式会社第四二回営業報告書 自明治四〇年一月 至同年六月(DK100023k-0001)
第10巻 p.175 ページ画像

三重紡績株式会社第四二回営業報告書 自明治四〇年一月 至同年六月
    ○総会決議ノ件
一一月廿六日 第四十一回定時総会ヲ四日市本社ニ開キ、財産目録・貸借対照表・営業報告書・損益計算書等ノ承認ヲ経、而シテ利益金処分・資本金増加・取締役増員・定款改正・取締役給料及監査役報酬額改正ノ諸件ヲ議決シ、取締役弐名及監査役三名ヲ撰挙セリ
一三月二十六日 四日市市本社ニ於テ臨時株主総会ヲ開キ、桑名紡績株式会社合併並ニ右ニ伴フ定款変更資本金増加ニ関スル修正ノ件ヲ議決セリ
一五月二十九日 四日市市本社ニ於テ臨時株主総会ヲ開キ、一宮紡績株式会社・知多紡績株式会社合併並ニ右ニ伴フ定款改正ノ件、資本金増加・新株式募集及ヒ之レニ伴フ定款改正ノ件、監査役増員及ヒ之レニ伴フ定款改正ノ件、取締役給料及監査役報酬額ノ件ヲ議決シ増員ノ監査役一名ヲ撰挙セリ、然ルニ一宮紡績株式会社ハ其総会ニ於テ合併ヲ否決シタルニ依リ、本社決議条項ノ中同社ニ関スルモノハ其効ヲ失シ、又監査役ハ即時辞任セシヲ以テ、次期改選期マテ欠員トナスコトニ決セリ
  ○右営業報告書ニヨレバ明治四〇年七月八日当時ノ取締役ハ斎藤恒三・伊藤伝七・奥田正香・九鬼紋七・渋沢栄一ニシテ、監査役ハ川喜田四郎兵衛・岡谷惣助・小津清左衛門ナリ。


大日本紡績聯合会月報 第一七四号・第二一頁 〔明治四〇年三月〕 △三重紡績総会(DK100023k-0002)
第10巻 p.175-176 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一七四号・第二一頁 〔明治四〇年三月〕
△三重紡績総会 一月二十六日四日市の本社内に開会し配当案其他は総て原案に決せしも増資案は左の如く可決確定せり
 一、現在資本金三百八十五万七千九百五十円を増加して金八百万円となし、其増加金四百十四万二千五十円を八万二千八百四十一株(一株金五十円)に分ち、現在株式と合し総数十六万株とす、但し現在資本金の内未払込残額七十五万円(一株に付金三十七円五十銭)は明治四十年四月一日之が払込を完了するものとす
 二、増加する株式の内七万七千百五十九株は、明治四十年六月一日の現在株主に対し其所有株式一株に付一株を割当て募集するものとす
 三、株主引受の残株の内二千六百八十二株は、額面以上の価格を以て公衆より募集するものとす
 四、前項募葉の残余は株式三千株は慰労の目的を以て重役其他の功労者に配当し募集するものとす
又取締役二名の増員に対しては男爵渋沢栄一・奥田正香の両氏、監査役の改選に対しては川喜田四郎兵衛(重任)・小津清右衛門・岡谷惣助の三氏当選せり○下略
  ○「青淵先生が新に取締役に上任を承諾せられしは元来同社創立以来相談役として、事実上会社百般の事務を総裁せられたる特別の縁故上、破格を以
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て衆望を容れられたるものなり。」(竜門雑誌第二二五号・第四二頁〔明治四〇年二月〕)
  ○栄一ノ取締役在任中同社ニ於テハ取締役会長ヲ置カザリシガ、株主ヘノ通知状ハ代表取締役トシテ栄一ノ名ヲ以テシタリ。


伊藤伝七翁 (絹川太一編)第二〇七―二〇九頁〔昭和一一年八月〕(DK100023k-0003)
第10巻 p.176 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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伊藤伝七翁 (絹川太一編) 第二〇〇―二〇一頁〔昭和一一年八月〕(DK100023k-0004)
第10巻 p.176-178 ページ画像

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渋沢栄一 書翰 斎藤恒三宛 (明治四〇年)四月二〇日(DK100023k-0005)
第10巻 p.178 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤恒三宛 (明治四〇年四月二〇日 (斎藤恒一氏所蔵)
○上略
過般桑名紡績会社合同談成立之後、尚又一宮・知多両会社も其相談相生し候由ニて、岡支配人もも《(衍)》出京致し詳細被申聞、其後ニ奥田正香氏出京中之由ニて相談も有之候、小生も尾勢間ニ鐘紡之分工場相生し候ハ将来之懸念ニ付少々位之事なれハ御辛抱被成、精々御取纏之方同意之旨相答置候、爾後之成行如何哉いまた承及不申候
○中略
  四月廿日
                     渋沢栄一
 斎藤恒三様
    梧下
  ○封筒消印ニ「四〇年」トアリ。


渋沢栄一 日記 ○明治四〇年(DK100023k-0006)
第10巻 p.178-179 ページ画像

渋沢栄一 日記
 ○明治四〇年
三月七日 晴 暖              起床七時三十分 就蓐十二時
起床後入浴シ畢テ朝飧ヲ喫ス、四日市九鬼紋七氏来リ三重紡績会社ノコトヲ談ス○下略
六月二十五日 曇 涼            起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 九鬼紋七氏来リ三重紡績会社ノコトヲ談ス○下略
 - 第10巻 p.179 -ページ画像 
十月二十四日 曇 冷            起床七時 就蓐十二時
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ三重紡績会社斎藤恒三氏ノ来訪ニ接ス
○下略

渋沢栄一 日記 ○明治四一年(DK100023k-0007)
第10巻 p.179 ページ画像

 ○明治四一年
一月九日 快晴 軽寒
○上略 大沢正道ヨリ書状来リ三重紡績会社営業景況ヲ報シ来ル○下略
  ○大磯滞留中ナリ。
二月四日 曇 寒
○上略 第一銀行ニ抵リテ午飧シ、三重紡績会社斎藤恒三氏ノ来訪ニ接シ要件ヲ談話ス○下略