デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
4節 毛織物業
2款 東京毛織物株式会社
■綱文

第10巻 p.769-770(DK100072k) ページ画像

明治42年6月6日(1909年)

是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK100072k-0001)
第10巻 p.769 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四二年
六月六日 雨 冷
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、諸関係会社ノ業務担当者ヲ会シテ、都テ其職務辞退ノコトヲ懇話ス、来会中種々《(者脱カ)》ノ論説アリシモ、切ニ之ヲ慰諭シ、一同ト共ニ午飧シ、後更ニ談話ヲ継続セシモ、一同ハ尚各会社将来ノコトヲ懸念シテ止マサリキ ○下略


竜門雑誌 第二五三号・第四七―四九頁 〔明治四二年六月二五日〕 青淵先生の各種関係事業引退(DK100072k-0002)
第10巻 p.769 ページ画像

竜門雑誌  第二五三号・第四七―四九頁 〔明治四二年六月二五日〕
    青淵先生の各種関係事業引退
我青淵先生 ○中略 本月六日従来関係深かりし左の諸会社の諸氏を兜町の事務所に招き、其旨○職任辞職を発表して、懇ろに趣旨の在る所を説明せられ、尋いで同日附を以て、左記の如き辞任書及書状を発送せられたり
○中略
           東京毛織物株式会社
              常務取締役 鈴木純一郎君
○中略
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何何役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
    書状
拝啓、時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及ひ候に付ては関係事務を減省致度と存し、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共向後とて従来の御交誼上必要に臨み御相談に与り候事は、敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及ひ職任は左の如し
○中略
 東京毛織物株式会社同上 ○相談役
○下略

 - 第10巻 p.770 -ページ画像 

実業之世界 第七号〔明治四二年七月〕 余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)(DK100072k-0003)
第10巻 p.770 ページ画像

実業之世界 第七号〔明治四二年七月〕
 余が今回辞任したる六十会社の運命観 (男爵 渋沢栄一)
    ◎東京毛織物株式会社
         (明治三十九年十一月設立払込資本五十万円配当最近なし渋沢男は当会社の相談役)
是は鈴木純一郎(常務取締役)と云ふ人が主として経営の任に当り、諸井恒平(常務取締役)などが補助してやつて居る。私は伜篤二が無理に勧められて重役の一人になつて居る関係から已むなく相談役になつて居たのである。事業の前途は深く知らないけれども経営者の人格から見れば、さう心配もなからうと思ふ。


竜門雑誌 第二二五号・第一七頁 〔明治四〇年二月二五日〕 財界の将来(青淵先生)(DK100072k-0004)
第10巻 p.770 ページ画像

竜門雑誌  第二二五号・第一七頁 〔明治四〇年二月二五日〕
   財界の将来(青淵先生)
 此編は先生が毎日電報の為めに語られたる所にして本月四日の同紙上に掲載せられたるものなり
○中略
予の関係せる事業中、彼の毛織物会社の如きは外人互に競争して遂に成立するに至らざらんとするの際、双方を妥協せしめ自ら其創立委員長として之れが創設に努めたるもの也 ○下略