デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
6節 製紙業
1款 抄紙会社・製紙会社・王子製紙株式会社
■綱文

第11巻 p.45(DK110007k) ページ画像

明治9年5月(1876年)

紙幣寮ノ命ニヨリ抄紙会社ヲ製紙会社ト改称ス。


■資料

社事要録 第一巻(DK110007k-0001)
第11巻 p.45 ページ画像

社事要録 第一巻          (王子製紙株式会社所蔵)
明治九年
五月 紙幣寮ノ命ニ依リ、社名ヲ製紙会社ト改称ス(紙幣寮抄紙部ト混同シ易キヲ以テナリ)


王子製紙株式会社回顧談(男爵 渋沢栄一) 第二七―二八丁(DK110007k-0002)
第11巻 p.45 ページ画像

王子製紙株式会社回顧談(男爵 渋沢栄一)  第二七―二八丁
    八、社名変更と地券状紙の抄造
さて明治九年の四月紙幣寮抄紙局の希望に依つて、工場の敷地の内を三百余坪程分割して抄紙局へ売渡した。所が其の年の五月に入つてから紙幣寮の命令で、社名を製紙会社と改めよといふことであつたから是までの抄紙会社を改めて製紙会社と称へることにした。これは紙幣寮で抄紙局を置くについて抄紙会社と混同し易いからであつた。而して後年印刷局の抄紙部といつたのは実に此の地に置かれたのである。斯くて永らく製紙会社の名称の下に事業を継続して居たが、明治二十六年商法の実施に際し其の年の十月社名を王子製紙株式会社と改称することとなり、爾来引続いて今日に至つたのである。○下略


竜門雑誌 第四八一号・第九一頁〔昭和三年一〇月二五日〕 青淵先生と製紙事業―偉大なる其の人格―(大川平三郎)(DK110007k-0003)
第11巻 p.45 ページ画像

竜門雑誌  第四八一号・第九一頁〔昭和三年一〇月二五日〕
  青淵先生と製紙事業 ―偉大なる其の人格―(大川平三郎)
○上略終りに臨んで王子製紙会社の名称に付いて一珍談を申添へる。王子製紙会社はその名は抄紙会社であつた、後年隣接地に印刷局抄紙部が出来た、そして印刷局より「その会社の名称は我抄紙部とまぎらはしき名称なれば改称せよ」との厳命が下つた、後から生れ来て先輩に改名を迫るのは随分御無理なる命令だ、これに応ずる理由はないなどと我等若人は大に昂奮して主張したのだが、老練なる谷支配人笑つて曰く、君等は「泣く子と地頭」の諭しを知らずや、大切の御客様の御註文否応申すべきものでないと、遂に若人どもの反対を排して王子製紙会社と改名したのである。会社の改名談に其頃の官権の恐ろしき事実がまづこんなものであるとわかる。○下略
  ○明治八年六月及ビ明治九年八月ノ項参照。