公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第11巻 p.45-47(DK110008k) ページ画像
明治9年8月(1876年)
製紙会社、紙幣寮ノ註文ヲ受ケ地券紙ノ製造ニ従
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事ス。是ヨリ漸次創立以来ノ損失ヲ補塡スルコトヲ得タリ。
王子製紙株式会社回顧談(男爵 渋沢栄一) 第二八―二九丁(DK110008k-0001)
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王子製紙株式会社回顧談(男爵 渋沢栄一) 第二八―二九丁
八、社名変更と地券状紙の抄造
○上略
偖て段々苦心研究の結果、紙は漸く出来るやうになつたが、其の頃に於ける紙の需用は如何であるかといふと、維新以来至つて日も浅いことであるから洋紙を用うる者が誠に少ない。印刷局の外は一二の洋紙商と二三の新聞社だけで、販売の困難は実に想像の外であつた。故に当事者の身の上は所謂板挟みの形で、一方には紙を抄造するに苦しみ、一方では販路を拡張するに勉むるといふ有様であつた。然るに偶然なことではあるが会社に取つて大に仕合せとなつたのは、明治九年八月から紙幣寮の註文を受けて地券紙を漉いたことである。其の頃政府の計画で日本の地面に対して一々証券を与へた。此の証券を地券状と称したが会社は註文を受けて其の地券紙を漉くことになつた。此の地券状といふものは今日は行はれて居らぬが、併し中年の人は誰も知つて居るであらう。美濃半紙位の大さで性質の良い厚い紙であつた。所が会社は紙漉を業とすれど未だ新前の不慣であるから、薄い紙の註文には当惑するが厚い紙の方なら御手のものである。所謂稽古中の器械の動きの極く不完全な頃ひでも、漉出すに甚だ都合の好い仕事である。此の事は当時の製紙会社に取つては救ひの神であつた。それで専ら地券紙の抄造をやつたが、此等の事業の経営中に前に述べた経費の損耗なども追々償却することが出来る様になつた。○下略
(製紙会社)明治九年上半期考課状抄本(DK110008k-0002)
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(製紙会社)明治九年上半期考課状抄本
一金弐拾壱万六百円 資本金(明治九年六月現在)
一金四万七千八拾参円弐拾弐銭弐厘 損金
以上
製紙産額
一拾九万六千四百四拾九听五分
此価額金弐万四千壱百七拾七円弐拾六銭六厘
(製紙会社)明治十年上半期考課状抄本(DK110008k-0003)
第11巻 p.46-47 ページ画像
(製紙会社)明治十年上半期考課状抄本
明治十年上半期損益勘定
一、金弐拾六万壱千六百円 資本金
一、金四万弐千九百五拾弐円弐拾八銭参厘 利益金
内
一、金参万九千八拾五円弐拾六銭七厘 前期損金補塡
差引
金参千八百六拾七円壱銭六厘 純益金
以上
製紙産額
一、四拾五万弐千壱百八拾六听弐分五厘
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此価金五万六百五拾円八拾九銭弐厘
東京分社損益之部
一、金壱千六百四円七拾七銭弐厘 明治十年上半期利益金
但資本金七千参百四拾壱円拾弐銭九厘ニ対シ年四割参分七厘余ニ当ル
横浜分社損益之部
一、金壱千参百拾五円七銭四厘 明治十年上半期利益金
但資本金六千七百弐拾四円参拾四銭八厘ニ対シ年三割七厘余に当ル