デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
7節 製革業
2款 日本熟皮会社
■綱文

第11巻 p.165-171(DK110032k) ページ画像

明治20年12月22日(1887年)

是日栄一、西村勝三・益田孝等八名と連署シテ日本熟皮会社ノ設立ヲ東京府知事男爵高崎五六ニ出願ス。二十四日追テ会社条例制定セラルルマデ人民相対ニ任ス義ト心得ベシト指令セラル。翌二十一年三月十五日栄一相談役ト為ル。当会社ハ創立以来連年損失ヲ重ネ資金ノ不足ヲ告ゲタル為メ、二十五年九月遂ニ解散ス。


■資料

願伺届録 明治二十年(DK110032k-0001)
第11巻 p.165-167 ページ画像

願伺届録 明治二十年 (東京府庁所蔵)
    日本熟皮会社創立願
従前本邦獣皮類之義、生産ノ儘輸出シ来候処、若シ之ヲ半製ト致候得者、途中腐触ノ憂ヲ免カレ、且価格ヲ増加スル等、其裨益鮮少ニ無之候、依之今般私共一同発起トナリ、資本金拾五万円ヲ以テ一会社ヲ創立シ、日本熟皮会社ト称シ、別冊定款ニ遵ヒ営業仕度候、且其製造材料ハ内地産出夥多ナルニ付、営業ノ傍一般ノ製革者ヲ勧奨シテ其製法ヲ伝習シ、追々獣皮生産ノ儘ニテ輸出不致様仕度素志ニ御座候間、会社創立之義御允許被成下度、此段連署奉願候也
  明治二十年十二月
     東京府下深川区福住町四番地東京府平民
                    渋沢栄一
     東京府下荏原郡北品川宿三百十二番地平民
                    益田孝
     東京府下日本橋区新右衛門町拾六番地東京府平民
                    河村伝衛(印)
     東京府下四ツ谷区元鮫ケ橋町五拾八番地栃木県士族
                    正田章次郎(印)
     東京府下深川区佐賀町二丁目五拾七番地千葉県士族
                    依田栄浦(印)
     東京府下芝区三田三丁目拾五番地東京府士族
                    高浜忠恕(印)
     東京府下神田区駿河台東紅梅町四番地東京府平民
                    高須退蔵(印)
     東京府京橋区銀座二丁目六番地東京府平民
                    林謙吉郎(印)
     東京府下京橋区築地壱丁目壱番地東京府平民
                    西村勝三(印)
   東京府知事 男爵 高橋五六殿

前書之通願出ニ付奥印候也
         東京府京橋区長 林厚徳
 - 第11巻 p.166 -ページ画像 
    日本熟皮会社定款
日本熟皮会社ヲ創立スルニ付、其株主ノ衆議ヲ以テ決定スル所ノ定款ハ左ノ如シ
    第壱章 総則
第壱条 当会社ノ営業ハ本邦生産ノ獣皮類一切ヲ半製シテ、之ヲ海外ヱ輸出販売スルヲ以テ目的トナス
第二条 当会社ノ名号ハ日本熟皮会社ト称シ、本社ヲ東京府下京橋区築地壱丁目壱番地ニ設置シ、同所ニ於テ其事務ヲ取扱フモノトス
  但シ当会社支社ヲ兵庫県下ニ設置ス可シ
第三条 当会社ノ営業年限ハ明治廿年十二月廿二日ヨリ起リ、満二十ケ年トス
  但シ満期ニ至リ、株主総会ノ決議ニヨリ、延期スルヲ得可シ
第四条 当会社ハ有限責任トス、負債弁償ノ為メニ株主ノ負担ス可キ義務ハ株金ニ止ルモノトス
第五条 当会社ハ第壱条ニ定メタル事項ヲ本務ト為スガ故ニ、獣類皮ヲ買入レ半製ニシテ之ヲ売却スルノ外、他ノ売買事務ニ干預セサル可シ
    第二章 資本金ノ事
第六条 当会社ノ資本金ハ拾五万円ト定メ、一株ヲ百円ト為シ、総計千五百株ヲ内国人民ヨリ募集ス可シ
  但シ営業ノ都合ニヨリ、株主ノ衆議ヲ以テ、此株高ヲ増減スルヲ得可シ
第七条 当会社資本金総額ノ三分ノ一ハ発起人ニ於テ之ヲ引受クルモノトス
第八条 前条ノ株金ハ申込ノ節壱割ヲ払入レ、其余ハ十ケ月以内四回ニ払込ム可キモノトシ、各其引受高ヲ理事員会ニ於テ定メタル期限ニ入金ス可シ、而シテ其事日ハ必ズ十日前ニ通知ス可シ
○中略
    第三章 役員ノ事
第拾壱条 当会社株主ノ投票ヲ以テ、三拾株以上ヲ所有スル株主中ヨリ人員三名ヲ撰挙シ、之ヲ当会社ノ理事員ト為ス可シ
第拾二条 理事員ハ互撰ヲ以テ理事長一名ヲ撰定ス可シ
第拾三条 理事員ハ其会議ノ決議ヲ以テ当会社全躰ノ事ヲ総理スル権アル可シ、故ニ会社ノ業務ヲ整理スルニ於テハ株主ニ対シ其責ニ任ス可シ
○中略
第拾九条 理事員ノ任期ハ二ケ年間トシ、三ケ年目ヨリ株主総会ノ投票ヲ以テ其中壱名ヲ抽籤法ニヨリテ順次更代セシムルモノトス
  但シ再撰挙ヲ得タル者ハ重任スルヲ得ヘシ
   ○以下第六拾二条マデ略ス。
右拾壱章六拾二条ハ当社株主ノ衆議ヲ以テ相定メタルニ付、一同記名調印シテ之ヲ証明致候也
               日本熟皮会社発起人
  明治廿年十二月廿二日           渋沢栄一
 - 第11巻 p.167 -ページ画像 
                       益田孝
                       河村伝衛
                       正田章次郎
                       依田栄浦
                       高浜忠恕
                       高須退蔵
                       林謙吉郎
                       西村勝三
明治廿年十二月廿四日受出
  (高崎)     (丸田)
 知事(印)   農商課長(印)
   日本熟皮会社創立願
                  西村勝三外八名
    指令案
書面願之趣ハ、追而会社条例制定相成候迄、人民相対ニ任候義ト可相心得候事
 但支社設置之儀ハ其所轄庁ヘ申出指揮相受クヘシ


願伺届録 明治二一年(DK110032k-0002)
第11巻 p.167 ページ画像

願伺届録 明治一一年 (東京府庁所蔵)
    日本熟皮会社役員撰任御届
当会社義今般役員撰任仕リ候ニ付、此段御届ケ申上候也
               理事長 西村勝三
               理事員 正田章次郎
               同   林謙吉郎
               相談役 渋沢栄一
               同   益田孝
右ノ通リニ御座候也
       京橋区金六町壱番地先川岸通第壱号
                日本熟皮会社発起人惣代
  明治廿壱年三月十五日        正田章次郎(印)
    東京府知事 男爵 高崎五六殿
前書之通届出ニ付奥印候也
             東京府京橋区長 林厚徳


庶政要録 農商掛明治廿三年(DK110032k-0003)
第11巻 p.167-168 ページ画像

庶政要録 農商掛明治廿三年         (東京府庁所蔵)
    日本熟皮会社定款修正御願
当会社定款ノ義、今般株主共議ノ上別紙ノ通リ第一条・第五条・第廿三条修正仕、該条ニ従ヒ営業仕度候間、御許可被成下度、此段奉願上也
            東京市日本橋区室町三丁目拾番地
             日本熟皮会社
                 理事長 西村勝三
  明治廿三年四月十日
                 理事株主総代 正田章次郎
 東京府知事 男爵 高崎五六殿
 - 第11巻 p.168 -ページ画像 
右出願ニ付奥印候也
            東京市日本橋区長 伊藤正信
第一条 当会社ノ営業ハ獣皮類一切ヲ製造シテ之ヲ内外ヘ販売スルヲ以テ目的トナス
但参照第一条 当会社ノ営業ハ本邦生産ノ獣皮類一切ヲ半製シテ、之ヲ海外ヘ輸出販売スルヲ以テ目的トナス
第五条 当会社ハ第一条ニ定メタル事項ヲ本務ト為スカ故ニ獣皮類ヲ製造シ及ヒ売買スルノ外他ノ売買事務ニ干預セサルヘシ
但参照第五条 当会社ハ第一条ニ定メタル事項ヲ本務ト為スカ故ニ、獣皮類ヲ買入レ半製ニシテ之ヲ売却スルノ外、他ノ売買事務ニ干預セサルヘシ
第廿三条中特ニ三拾株以上所持スル株主中ヨリ相談役三名ヲ投票撰挙シ云々トアルヲ、相談役二名ヲ投票撰挙シト改正ス
   ○右ノ定款修正ニ於ケル第廿三条相談役云々ノ条ハ、明治二十年十二月二十二日届出ノ定款中ニハ見エズ。従テ該条ハ明治二十一年三月十五日栄一及ビ益田孝ヲ相談役ニ選任スルニ当テ規定サレタルモノト思ハル。


青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第二八五―二八六頁 〔明治三三年六月〕(DK110032k-0004)
第11巻 p.168 ページ画像

青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第二八五―二八六頁〔明治三三年六月〕
 ○第四十六章 熟皮業
    第一節 日本熟皮会社
日本熟皮会社ハ明治二十一年西村勝三ノ発起ニ係リ、先生及益田孝等ノ賛助ヲ得テ資本金拾五万円ヲ以テ神戸ニ設立シタルモノナリ、此ヨリ先キ西村ハ明治初年以来自ラ経営セル桜組ノ事業トシテ大ニ製革ニ力ヲ尽セシト雖モ、其製品ハ我国全般ノ需要ヲ充タスニ至ラス、為ニ年々海外ノ輸入ヲ仰クノ不利ナルヲ憂ヒ、大ニ欺業ヲ拡張センコトヲ期シ、水質・気候、原料ノ買収、運搬ノ便利等諸般ノ点ニ於テ地ノ神戸ニ優ル所ナキヲ看、即チ業ヲ其地ニ起セリ、先生及益田ヲ相談役トシ従来西村カ雇聘セル独逸技師クンベルゲルヲ派遣シ、以テ事業ノ進捗ヲ計レリ、其製品中独逸式ノ製法ニ依ル底皮ノ如キハ優等ノモノヲ製出セシモ、時運未タ至ラス陸軍省其他当時ノ需要者ハ旧習ニヨリテ米国式ノ速成品ニ慣レテ、容易ク同社ノ製品ヲ歓迎スルニ到ラス、加之時恰モ一般工業会社ノ厄運ニ遭遇シ不幸ニモ資金ニ不足ヲ告ケ、経営ヲ全フスルコト能ハスシテ遂ニ明治廿五年九月解散ノ否運ヲ見ルニ至リタリ、然レトモ此ノ会社ノ存立ハ以テ桜組ト東西相呼応シテ製皮業進歩ノ上ニ資セシ効果、蓋シ尠少ナラサルナリ


西村勝三翁伝 (西村翁伝記編纂会編) 第九七―一〇三頁〔大正一〇年一月〕(DK110032k-0005)
第11巻 p.168-170 ページ画像

西村勝三翁伝 (西村翁伝記編纂会編) 第九七―一〇三頁〔大正一〇年一月〕
    第九章 製靴及製革業の成立
○上略
桜組の事業漸く成功に向へる事かくの如くなれども、其製品はなほ未だ国内全般の需要を充たすに足らず、海外の輸入を仰ぐ事尠なからざりしかば、翁は之を憂ひ、明治二十一年渋沢栄一・益田孝等と謀り、資本金十五万円の日本熟皮会社を神戸葺合村に設立す。翁推されて理事長となり、渋沢・益田相談役となる。蓋し神戸は水質・気候並に原料の買収、運搬の便利等、諸般の点に於て地利の優れるを以てなり。
 - 第11巻 p.169 -ページ画像 
及ち桜組に雇傭せるクンベルゲルを派遣して事業の計画を行ひたり。此時翁が全国製靴業者に訴へたる飛檄あり、其文に曰く。
    全国造靴業諸君に告ぐ
 方今我国の文明大に進み、靴の需用月に年に増加するにも拘らず、其材料たる革は多く海外に輸入を仰ぎ、内地に於て製出するものは僅かに甲皮類の一少部分に過ぎざるなり。勝三夙に之を憂ひ、創めて製皮業を東京に開きしは実に明治三年なりし。当時は唯だ陸軍靴の甲皮を製造するのみなりしが、其後特に技師を濠洲に派遣し、器械・構造等凡て濠洲の式に傚ひ、研究数年にして黒象皮・茶象皮の類は製法稍々熟達し、終に陸軍砲兵工廠に於て此両種の革を以て洋品に代用せらるゝに至れり。然るに底皮は尚ほ好結果を得ること能はざりしが、之れ全く牛皮繊維の粗なるが上に、檞皮製革剤の性質宜しからざると、製造方法の未熟なるとに因るものにして、遂に素志を達すること能はざりし。
 明治十九年勝三、内地に産する檞皮数種を携へて欧洲に渡航したるに、独逸国の如きは檞皮の性質劣等なるにも拘はらず、之を以て堅硬なる底皮を製出するを実見せり。因て同国の工師を傭入れて帰朝し、更に底皮を製造し、始めて善良の品を得たるを以て、桜組は陸軍省に請願せしかば、各軍隊に於て試験せられしに、其耐久・保存の力は米国産の物に優ることあるも、決して劣らざる可きの好結果を生じたるを以て、終に本年五月陸軍用の靴に採用することを許可せらるゝの栄を得たり。是より先き有力家諸氏の賛成を得て、日本熟皮会社なるものを組織し、桜組に於て傭聘したる独逸工師を転傭し、其製造所を神戸に建設し、本年五月を以て開業せり。前述の底皮は青色を帯ぶるものにて、即ち欧州底皮、俗に青象と唱ふるものと同種類なり。然れども諸君の熟知せらるゝ如く、我国に於る靴の需用者は、従来米国産赭色の品のみを見慣れ居るを以て、此青色の皮を見て其質を疑ひ、或は之を好まざる者もあるべしと雖ども、諸君は必ず其性質の堅緻にして保存・耐久の力あるを信ぜられ、飽くまで内国製の品を使用せられんことを、是れ勝三が諸君に向て切に冀望する所なり。
 印度皮は東洋に産する一種の品なれども、其質粗悪にして靴の保存に適せざるを以て、欧米諸国に於ては決して之を使用せざることは諸君の既に了知せらるゝ所なる可しと雖ども、其価格極めて廉なるに因り、陸軍用の靴を始として、靴の内部に使用し来りたるが、当会社は百方計画して遂に此印度皮に代用すべき一種の象皮を製出せり。此材料・製法等総て欧州底皮を製するの略式なれば、其性質は遥かに印度皮の上に位して、其価は却て此れと同格なり。
 日本熟皮会社に於て先づ第一著に両種の皮を製出して、大に内地の需用を充さんと欲する所以のものは、専ら外国品の輸入を防遏して他日条約改正成り内地雑居の時に至り、俄に洋品の高価を来し、延て靴の価を高騰ならしむるの患を今日に予防し、以て国家経済の万一を補んと欲するの微意に外ならず。愛国の諸君幸に勝三の愚衷を賛成するの栄を賜はゞ、玆に勝三積年の素志を達するを得て、実に
 - 第11巻 p.170 -ページ画像 
感荷の至に堪へざるなり。
  明治廿二年 月 日
              通称伊勢勝 西村勝三謹白
翁が熟皮会社を設立せる精神と目的とは之によりて明かなるべく、又以て其意気の熾んなりしを窺ふに足らん。
熟皮会社の資本は十五万円なれども、其払込金額は十二万円なりしが、十万円を固定資本に充てたるが為め、残額僅かに二万円に過ぎずして、自ら資金の運転を妨げしと、職工の養成意の如くならざりしとにより、予想外の困難ありしにも拘らず、其製品中独逸式に拠りたる底革の如きは、優良なりとの名誉を博し得たり。然れども時運未だ至らず連年損失を招けるが上に、時恰も一般工業界の厄運に遭遇して、不幸にも資金の不足を告げ、二十五年九月解散の已むなきに至れり。
されど熟皮会社が桜組と東西呼応して、製革業の進歩を促せる功は遂に没すべからざるなり。
○下略


渋沢栄一 書翰 西村勝三宛(明治二四年)六月六日(DK110032k-0006)
第11巻 p.170 ページ画像

渋沢栄一 書翰 西村勝三宛(明治二四年)六月六日 (斎藤峯三郎氏所蔵)
拝啓、然は過日ハ益田氏迄貴台辞表御差出相成、小生も拝見仕候得共、元来熟皮会社創設之事ハ貴台其首唱者ニして、小生も従来之御懇親上賛成いたし、爾来当春迄種々御協議ニも参与し、且先頃神戸ニ於ても西京に於ても御相談申上、将来飽迄御尽力と申事ニ相心得居候処、突然右様辞表御申出とハ実ニ意外千万ニ御座候、依而今一応御再案有之度、品ニ寄其事情も親敷相伺可申と存候、就而ハ此書面ハ一ト先返上、此段申上候 匆々首頓
  六月六日 渋沢栄一
    西村勝三様
   ○西村勝三ハ栄一ノ勧告ニモ拘ハラズ、明治二十四年六月理事長ヲ辞職シタリ。(西村勝三翁伝附録年表ニヨル)


渋沢栄一 書翰 斎藤峯三郎宛(年未詳)六月六日(DK110032k-0007)
第11巻 p.170 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤峯三郎宛(年未詳)六月六日 (斎藤峯三郎氏所蔵)
昨日之一書拝見仕候、熟皮会社之計算取調ハ矢部氏ニ差支有之未タ充分検閲出来兼候由、尤も昨日御一覧之処ニてハ神戸本社之帳簿調査之上ならてハ整理仕兼候云々承知仕候、尚西村面会篤と聞合候様可仕候
○中略
  六月六日
                        栄一
    斎藤様



〔参考〕中外物価新報 第一九〇七号〔明治二一年八月七日〕 日本熟皮会社(DK110032k-0008)
第11巻 p.170-171 ページ画像

中外物価新報 第一九〇七号〔明治二一年八月七日〕
    日本熟皮会社
京橋区金六町一番地に設置せる日本熟皮会社にてハ、本年二月三月の両回関東産牝牛生皮一千五百枚を買入れ、其製造を東京桜組製皮場へ委托し、又同時に朝鮮乾牛三百十二枚を買入れ、其製造をも同場に托したりしに、其製造品たる毫も舶来品に異なる処なかりしと云へり、
 - 第11巻 p.171 -ページ画像 
尚ほ同社営業の大主眼とも称すべき半製皮販売ハ、本年三月以来漸次着手し既に各見本を日耳曼・墺太利・仏蘭西等の諸国に輸送したりしに、頗る賞賛を得て将来大に望みありとのことなり、尤も右の見本品ハ桜組製皮場に於て製造せしものなりと雖ども、近く神戸製造所に於て製造せんとするものと毫も異なる処なきのみならず、同社が新に神戸小野浜通葺合村に製造所を設置せる場所柄ハ、季候水質とも製皮の業に適合せるを以て、或ハ右の製造品に優る処のものを出すに至るべしと云ふことなり、右の如く同社も創業日猶ほ浅く、製造所も未だ全く成就せるの場合に至らざるを以て本年度上半季の利益ハ之れなかりしかども、製造所も成就し今後営業を盛に始るの日ハ充分の利益を得るの様子なりと聞けり