デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
8節 製糖業
1款 精糖事業調査会・日本精糖株式会社
■綱文

第11巻 p.199-201(DK110038k) ページ画像

明治39年5月8日(1906年)

日露戦役後ノ経済界勃興期ニ際シ、当会社及ビ日本精製糖株式会社ノ株主中ニ両社ヲ合併シテ事業ヲ拡張センコトヲ謀ル者アリ。両社ノ重役之ニ反対シテ総辞職ヲ為ス。是日栄一亦当会社ノ取締役ヲ辞ス。


■資料

時事新報 第九〇六五号〔明治四一年一二月二七日〕 大日本製糖の前途(渋沢男爵の談)(DK110038k-0001)
第11巻 p.199 ページ画像

時事新報 第九〇六五号〔明治四一年一二月二七日〕
    大日本製糖の前途(渋沢男爵の談)
○上略 当時○創業当時は砂糖は何等の課税なく全く自由商品なりしを以て収益も甚だ多く、創立早々一割の配当をなし益々発達せんとするの盛況を呈せり、然るに日清戦争後砂糖が課税せらるゝ事になりてより従来自由商品として経営平凡なりしもの其性質を変じ、原料買入等に於ても増税前に見越輸入をなす抔漸々経営に商略を要する事となり、従来に比し多少の危険を増せしも尚ほ会社の成蹟は甚だ好良にして三十七八年迄は一割乃至三割の配当をなせり、然るに日露戦争後経済界の勃興に際し株主は増資拡張を主張し重役は持重して肯ぜず、両者の間に紛議を生じ重役一同袂を聯ねて辞任し、余も亦同社を退き同時に株式をも売却し玆に全く砂糖業との関係を絶てり、蓋し当時既に消費税海関税等の関係より内地糖業の前途甚だ望み少しと察したればなり○下略
   ○「同社(日本精糖会社)の株主は事業の拡張を主張したるに図らす、不二樹重役は現状維持を可としたれば玆に株主と衝突し三十九年に至り不二樹氏は重役を辞せり。後日本精糖《(製脱)》と合併するに及び余は持株を売放ち同社と絶縁せり」(渋沢男爵談「日糖粉擾に就て」〔時事新報第九〇八四号、明治四二年一月一五日〕)
   ○当会社株主名簿ニヨレバ栄一ハ明治三十九年一月マデハ三百株、同年六月ニハ百株ヲ所有シタレドモ、同年十二月ニハ一株モ所有セズ。


日本精糖株式会社第二一回報告書 (自明治三九年一月一日至同年六月三〇日)(DK110038k-0002)
第11巻 p.199-200 ページ画像

日本精糖株式会社第二一回報告書 (自明治三九年一月一日至同年六月三〇日)
    株主総会
○上略
一五月十八日臨時総会ヲ開キ資本金増加ノ件、定款改正ノ件、新株募集規定ニ関スル件を議決セリ
一、五月二十七日臨時総会ヲ開キ、取締役松本重太郎・同渋沢栄一・同野田吉兵衛・同本山彦一・同不二樹熊次郎ノ諸氏各辞任ニ付、補欠選挙ヲ行ヒタルニ右五名更ニ取締役ニ選挙セラレタリ
    処務要件
○上略
一五月八日取締役渋沢栄一・同野田吉兵衛・同本山彦一・同不二樹熊次郎ノ諸氏辞任書ヲ提出セリ
一、五月十日取締役松本重太郎氏辞任書ヲ提出セリ、右ニ付監査役井上保次郎氏取締役摂行ニ決セリ
一、五月二十二日大阪区裁判所ニ於テ、取締役松本重太郎・同渋谷栄
 - 第11巻 p.200 -ページ画像 
一・同野田吉兵衛・同本山彦一・同不二樹熊次郎ノ諸氏各辞任ニ付抹消ノ登記ヲ経タリ
一五月二十八日大阪区裁判所ニ於テ取締役松本重太郎・同渋沢栄一・同野田吉兵衛・同本山彦一・同不二樹熊次郎ノ諸氏就任ノ登記ヲ経タリ
一、五月二十八日監査役井上保次郎氏ノ取締役摂行ヲ御任セリ
一、五月二十八日取締役不二樹熊次郎氏辞任書ヲ提出セリ
一、五月二十九日大阪区裁判所ニ於テ取締役不二樹熊次郎氏辞任ニ付抹消ノ登記ヲ経タリ
一、六月七日取締役渋沢栄一氏辞任書ヲ提出セリ
一、六月十二日大阪区裁判所ニ於テ取締役渋沢栄一氏辞任ニ付抹消ノ登記ヲ経タリ
一、六月二十八日支配人加藤豊氏ノ辞任ヲ承認セリ
    業務ノ状況
一、当季間業務ノ状況ハ前期ニ引続キ海外ニ於ケル糖価次第ニ低落ノ一方ニ偏シ、非常ノ不振ヲ極メタルヲ以テ惹テ吾糖業界モ同様ノ悲境ニ沈淪シ、一月以来糖価ハ暴落ニ次グニ暴落ヲ以テシ為メニ玆ニ損失ノ成蹟ヲ報告スルノ已ムヲ得ザルニ至リタルハ深ク遺憾トスル処ナリ、幸ニ株主各位ノ諒察ヲ請フ
   ○右「報告書」ニヨレバ栄一ハ明治三十九年五月八日野田吉兵衛・本山彦一不二樹熊次郎ト共ニ取締役辞任書ヲ提出シタル後、同月二十七日ノ臨時総会ニ於テ再ヒ取締役ニ選挙サレ、更ニ六月七日辞任書ヲ提出シタルモノナルモ、再選ノ事情ニ就テハ詳ナラズ。
   ○当会社ハ是年十一月十一日、日本精製糖株式会社ト合併、大日本製糖株式会社トナレリ。



〔其他ノ資料〕渋沢栄一 日記 明治三二年(DK110038k-0003)
第11巻 p.200 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三二年
七月四日 曇
○上略 不二樹熊次郎来ル、日本精糖会社ノコトヲ話ス、明日一覧ノコトヲ約ス○下略
   ○三日朝東京ヲ発シテ大阪ニ抵ル。
七月五日 晴 夕雨
○上略 午前八時淀川上流ニ設立スル日本精糖会社ニ抵リ、不二樹・築山両氏ノ案内ニテ工場ヲ一覧ス、大森敏寛・和泉栄両氏同伴ス○下略


〔其他ノ資料〕渋沢栄一 日記 明治三六年(DK110038k-0004)
第11巻 p.200 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年
四月廿五日 小雨
○上略 午後五時大阪精糖会社ニ抵リ工場ヲ一覧シ○下略
   ○四月廿一日ヨリ京阪地方旅行中ナリ。


〔其他ノ資料〕渋沢栄一 日記 明治三八年(DK110038k-0005)
第11巻 p.200 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
十月七日 晴 秋冷
○上略 午前七時不二樹熊次郎氏来訪、精糖会社ノコトヲ談ス○下略
 - 第11巻 p.201 -ページ画像 


〔其他ノ資料〕渋沢栄一 日記 明治三九年(DK110038k-0006)
第11巻 p.201 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
二月五日 晴 風強シ 起床七時就蓐十二時
○上略浅田、不二樹氏大阪精糖会社ノコトヲ談ス○下略