デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
8節 製糖業
6款 大日本製糖株式会社
■綱文

第11巻 p.317-337(DK110049k) ページ画像

明治42年4月27日(1909年)

是ヨリ先三月八日、栄一、大株主会ヨリ後継役員候補者ヲ詮衡センコトヲ請ハル。栄一乃チ委員ト共ニ之ガ詮衡ニ努メ、是日臨時株主総会ニ於テ藤山雷太等七名ヲ指名ス。栄一亦相談役トナル。


■資料

日糖最近二十五年史 第一五―二二頁〔昭和九年四月〕(DK110049k-0001)
第11巻 p.317-319 ページ画像

日糖最近二十五年史 第一五―二二頁〔昭和九年四月〕
 ○第一、創業篇
    五、大株主会開催
 整理将に成らんとして又嗟跌する所以のものは、其の原因種々ある可しと雖も此の際適当の役員を選定して、信を政府其の他の債権者に繋ぎ、以て整理の基礎を確立する事、固より焦眉の急務なり。然るに会社の内容は頗る混沌として恰も一伏魔殿を以て目せられたれば、其の適材を得るの至難たるは勿論なり。是の時に当り三大銀行との交渉終に不調に帰し、瓜生監査役は健康その任に堪へざる旨を以て辞任を申出で、潮田方蔵氏を除きたる他の監査役諸氏も亦同様に辞任の意を洩らし、株主は殆んど適従する所を失ひ、最早破産崩壊の外奈何ともする能はざらんとす。
 是に於て乎、有志株主、江崎礼二・田口忠蔵・西沢米次郎・橋爪相忠・阿部吾市・小林弥兵衛・大海原尚義・仙波太郎右衛門・指田義雄の諸氏は卒先当局者を鞭撻して一日も速かに整理を行はん事を企劃し先づ下谷区竹町なる指田義雄氏邸に会合し、其の協定に基き監査役の名に因りて大株主会を招集し、協議の末、整理の基礎は適当なる役員を得ることを第一義と認め、左の事項を決定せり。
 一、後継役員選挙のため三月二十五日頃を期し、臨時総会を招集する事
 一、右総会に於て選挙す可き役員候補者の詮衡に付、尽力す可き委員五名を挙げ、渋沢男爵其の他と交渉して之を決定す可き事
 一、右尽力委員を左の五名とする事
   藤山雷太氏  大海原尚義氏    浜本義顕氏
   阿部吾市氏  仙波太郎右衛門氏
 蓋し右大株主会の決議は、後継役員組織の端緒を開き、整理の基礎を造りたるものにして、実に明治四十二年三月八日、京橋区築地同気倶楽部に於て為したるものなり。特に出席株主の重なる人々の氏名を左に記す可し。
 田口忠蔵氏      橋爪相忠氏     末広良三郎氏
 細野猪太郎氏     今田鎌太郎氏    朝倉菊衛氏
 大海原尚義氏     大熊正太郎氏    後藤安太郎氏
 仙波太郎右衛門氏   竹中信太郎氏    伊藤常次郎氏
 指田義雄氏      川島斉兵衛氏    人見鉄太郎氏
 浜本義顕氏      池内聡一郎氏    遠藤省三氏
 青池晁太郎氏     長谷川芳之助氏   殿木市太郎氏
 - 第11巻 p.318 -ページ画像 
 川上作次郎氏     村上太三郎氏    増田豊司氏
 伊藤幸太郎氏     佐野篤義氏     山口達太郎氏
 鹿間市兵衛氏     半田庸太郎氏    藤山雷太氏
 浜田弁次郎氏     滝鼻栄之助氏    岩井健三郎氏
 西沢米次郎氏     村上定吉氏
    六、詮衡難と整理難
 此の際当社の状況は、恰も孤城落日の観あり。取締役として中村清蔵・恒川新助等の諸氏、能く百難を排して、之れを死守せられたるため、僅に其の命脈を維持し得たりと雖も、新に入社して整理の重責を担ひ、新局面を展開せんとするは殆んど絶望の事業なりと認められたるを以て、此の間に於て役員を詮衡せんとする渋沢男爵、及び委員諸氏の苦心は、到底筆舌の能く尽す所に非ずして、事情に依りて委員たるを辞したる田口忠蔵・指田義雄の両氏も終始之に参画し、明治四十二年三月八日の大株主会に於て予定したる三月二十五日の総会も之を開くに由なく、終に同年四月二十七日役員新組織の成立に至る迄、前後五十日間日本橋倶楽部を以て其の事務所に充て連日連夜の活動を継続したり。
 始め委員等は渋沢男爵と共に後継役員を物色して金子直吉氏を以て最適任者としたり、蓋し我が債権者たる合名会社鈴木商店を主宰し、且つ糖業には積年の経験を有せらるゝを以てなり。先づ渋沢男爵より同氏に対し、切に勧説せらるゝ所あり、又酒匂前社長自ら神戸に急行し、同時に浜本義顕氏も亦金子氏の知友武藤山治氏を介して懇談を試みる等、勧誘至らざる所なかりき。何となれば会社死活の管鍵は一に繋りて当務者に適材を得るの一事に属したるを以てなり。然るに金子氏は遂に之れを拒絶せられたり。当社の運命も今や将に窮せんとす、誠に風前の灯にも譬ふ可し。
 斯くの如く役員の詮衡は依然として進捗せざるに際し、債務支払の方法は役員問題に関聯して債権者と交渉せざる可からず、依て渋沢男爵は各債権者を日本橋倶楽部に招集し、残留取締役監査役の出席を求め、前記の委員等も亦之れに列し、諸般の協議を為したり。然れども潮田監査役が該会議の席上に於て重役の作成したる財産目録、その他諸計算書は責任を負ふて其の正確を保証し難き旨を公言したるが如き状態に在りたるを以て、債権者側に於て適当の整理談を進行する能はざるは当然なり。
 当時債権者より提出に係る整理案は左の如し。
 一、現在旧株の株金額(株金額五十円、払込額五十円)を四分の一に減少し、其の減少したるもの四株を合せて、一株(即払込済五十円となる)とする事
 二、現在新株の株金額(株金額五十円、払込二十円)を八分の一に減少し、其の減少したるもの二十株を合せて一株(即払込済五十円株となる)とする事
 三、現在無担保債権(総額約四百六十万円)を優先株に改むる事
   其の条件左の如し
   (甲)、前二項の資本減少を条件とする事
 - 第11巻 p.319 -ページ画像 
   (乙)、優先株は無担保債権者に於て之を引受くる事
   (丙)、優先株は一株の株金を五十円として全部払込済のものとする事
   (丁)、優先株に対しては年八分迄の優先的配当を受けしむる事
   (戊)、会社解散の場合に於ては優先株主は会社財産に対して優先分配を受くる事
 以上債権者の提案に依れば、(一)旧株は四株を一株とし、(二)新株は八分の一に減少し、其の二十株を合せて、払込済の一株とし、(三)四百六十万円の債権を年八分の優先株に引直し、(四)会社解散すれば該優先株に優先配当権を与ふ可しとするものなり。当時三大銀行の借入談は既に拒絶せられ、金子氏其の他の役員選定に頓挫し、株主は何等施す可き術を知らず、到底会社財産を挙げて債権者の前に提供するに非れば、其の命脈を持続し難き状態に在りたるが如しと雖も、此の案の提出を見るに及びては、株主は今更の如く危急存亡の秋に迫りたりとの感を深ふしたり。
    七、検挙事件発生
 対債権者との交渉は株主の利益と相容れざるに因りて解決するに至らず、大株主会に於て予期したる三月二十五日は既に経過するも、後継役員の選定は依然として何等決定する所なし。是時に当り青天の霹靂の如く世間を驚かしたるは、磯村・秋山その他旧重役諸氏に対する裁判所の検挙事件是なり。実に四十二年四月十一日の事にして、延ひて検挙の手は各方面に伸び、政治界に於ける名士の拘引せられたるも亦尠からず、這は明治年間に於ける一大疑獄として世間に著聞せる事実なれば今敢て此処に之れを詳説せず。磯村・秋山両氏は共に嘗て一社員なりしも合同計画を以て社長たる鈴木氏と相合はず、遂に鈴木氏と総会に於て相争ひ、自ら重役の位地に立ち其の計画を実行したり。想ふに是等の実行条件は、当社の採る可き根本の針路を示したるものなり。然れども唯、其の実行余りに急速にして未だ充分機運の熟せざるに先ち、一躍高飛せんと欲し不幸にして政府の増税計画と世間の不景気との間に挟撃せられて、却て窮地に陥り、遂に一大蹉跌を来たし身自ら囹圄の人となるに至つては、蓋し同情に値するもの無きに非ず。
 検挙事件の発生は一方に於て益々後継役員の詮衡、忽諸に附す可からざるを感ぜしむると共に、又他方に於ては適材ありと雖、愈々逡巡せしむるの因を為したり。左れど諸般の事情は曠日弥久、躊躇して決せざるに於ては益々絶望に陥るの外なきを以て、委員等は残留重役と協議して断然後任役員選任の臨時総会期日を四月二十七日と定め、之を各株主に通告せり。而かも未だ後任者の詮衝《(衡)》を了りたるに非ず、単に最終の期限を予定し、期間内に是非其の局を完結せしめんと企図したるに過ぎざるのみ。


日糖最近二十五年史 第二三―二九頁〔昭和九年四月〕(DK110049k-0002)
第11巻 p.319-322 ページ画像

日糖最近二十五年史 第二三―二九頁〔昭和九年四月〕
 ○第二、整理篇
    八、役員組織成る
 惟ふに当社の興廃は我邦一般工業の消長に関し、株主中には外国人
 - 第11巻 p.320 -ページ画像 
も多し。若し万一破産せば国家の栄辱にも拘はる、誰か一片の侠骨、身を挺して渦中に投じ以て狂瀾を既倒に回へすものぞ、終に使命は藤山雷太氏に帰せり。氏は当時四十七歳、実業家としては壮齢に属す。嘗て芝浦製作所・王子製紙・東京市街鉄道に於て、実際の責任者として、具さに事業界の辛酸を嘗めたれば、此の難局を処理するの適任者として渋沢男は勧説最も努められしも固辞して応ぜず、依て田口・指田の両氏は更に藤山氏の親友星野錫氏を通じて勧説する所あり。終に渋沢男爵に対し愈々藤山氏が確答を与へたるは、実に四月二十七日正午、即ち役員選挙の臨事総会の開会に先つ僅かに一時間前なりし。以て同氏の就任が如何に其の犠牲的精神の発露に出でたるやを推察するに足る可し。
 明治四十二年四月二十七日午後二時四十分より午後六時二十分迄、日本橋倶楽部に於て開会せられたる臨時総会は当社に取り最も記憶す可きものなり。最初恒川新助氏より守屋此助氏を議長に推し、愈々議事に入るや恰も鼎の沸くが如く質問々々の声喧しく、相談役渋沢男爵に対し怨言を放つ者すらありしが、男爵は自ら起つて其の製糖業に関係したる由来より説き起し相談役に就任の事情、破綻の顛末、善後の尽力に至る迄、縷々数百言、其の衷情を述べられたれば、喧囂の声も漸く静まり、満場一致男爵に役員の指名を一任し、其の指名を以て就任したる人左の如し。
 藤山雷太氏   星野錫氏   浜本義顕氏(以上取締役新任)
 中村清蔵氏   恒川新助氏(以上取締役重任)
 大海原尚義氏  指田義雄氏(以上監査役新任)
 而して渋沢男爵は当時第一銀行を除く外、他の会社関係を一切辞退せられたるに拘らず、特に当社の為、引続き相談役たる事を諾せられ役員会を開き、藤山氏を社長に推選せり。
    九、藤山社長就任
 藤山雷太氏が当日総会に於ける就任挨拶は、其の決心・事情・方針等を窺ふに足るを以て左に掲ぐ可し。
 『私は就任に際し、一言諸君の御清聴を煩はし度いことが御座います。此の会社の現状に付きましては私の喋々を待たずして、満場諸君は御承知の事である。此の際、渋沢男爵の指名を受けて私が就任をするのは実を云へば是は辞退するが当然であらうと思ふ。然るにも拘らず私が今日御請を致す次第は、私は此の間中より男爵から数回の御勧めに預りましたが到底吾々の微力の及ぶ所では無い、御辞退する外ありませぬ、況んや私が此の会社に入つて整理の任に当るのには同じく力を添へて専心に従事する所の同僚を得なければならぬ。然るに今日それがない、従つて私は御断りを致して居りました。昨夜に至る迄も私は御請を致さなかつた。併しながら既に明日に迫つた此の総会に若し御前が請けなかつたならば此の総会は実に困つた甚だ不幸の結果を生じはしないか、と云ふことを恐れる、どうか一つ若し、さう云ふ場合になつたら其の任に当られたいと云ふことを切に勧告されたので有ります。私は勿論此の会社の内情に就て未だ調査を致しませぬけれども、此の会社の有様を此の儘に捨てゝ置く事は株主として私の忍びな
 - 第11巻 p.321 -ページ画像 
い所であります。此の事業は到底望みが無いか、此の窮境を救ふ所の途は無いかと云ふ事を調査するに、私は充分の力を尽さなければならぬ時節であらうと思ひます。我国の工業界の現状から言つて見れば、私は株主で無くとも自ら進んで遣らなければならぬ事柄と信じて居ります。それ故に随分男爵などから御勧めを受けた人がありましても直ぐと御辞退になり、又私にも個人として或は知己として、頻りに是に関係することを辞したが宜からうと勧告せらるゝにも拘はらず、私は是はどうしても、十分の調査をして此の精糖業の為に此の会社の存立を謀るべき義務があるものと吾々は信じて居りますから、私は此の任を潔く引受けると云ふ事を今日諸君の前に告白して置きます。決して私は成案があつて此の会社に這入るのではありませぬ。斯うすれば必ず此の会社は成立つであらうと云ふ事を信じて、自ら這入るのでは無い。併しながら十分に調査をして成立すべき要素があるならば、是は必ず成立させなければならぬと云ふ事を、唯、論理上より信じて這入るのである。それ故に私が進んで債権者と会見するに付きましては、債権者の感情を害する事が無論あるだらう、又此の病気を治する為には或は諸君の非常な攻撃を受くる事があるだらうと信じて居る。又政府に向つて御願ひする場合には政府からも大に御叱を受ける様な事があるだらうと信じます。殆んど私は如何なる手術如何なる整理を施すにしても、総ての人の満足を受ける事は出来ず、株主諸君中からも、あんな事はいけないじやないか、と言はれるかも知れぬ。又債権者に向つて談判しても、其の債権者は必ず十分に吾々を同情を以て迎へて呉れないだらうと信じます。併しながらさう云ふ困難は私は一向顧みない。是れは単に大日本製糖会社の存亡では無い。私立会社の存亡では無い。国家工業の興廃であると信じます。若し此の諸君の中に非難する人があればそれは非難する人が悪い、若し火事であるならば私は一掬の水を以て之を消すことに努める際には、他の人も亦追々力を添へ、手を引いて、之を助けるのが当り前ではないかと思ふのであります。此の会社に私が這入つて其の整理の任を尽すに付ては、諸君から大に攻撃されるだらうと思ひますが、其の攻撃や自分の骨折りは顧みないで幾分か外科療治をしなければならぬと、私は今日から考へて居ります。人間の生命を保つには夫れ相当の方法がある、或は足の一部分を切つて全身の病を治する事がある。それは病の然らしむる所で致方ないと私は玆に明言して置きます。私は会社の利益、株主の利益と云ふ事を基礎として、道理に依つて働く積りで御座います。其の一事を諸君に告白して置きます。就きましては足を折られ、手を折られるやうな場合に於て、外科手術は痛いとか何とか、非常な攻撃を向けて下すつては、甚だ六ケ敷う御座います。それは予めあなた方が御記憶あらん事を希望するのであります。其の方法に付ましては私は皆さんの後援を得て充分尽す積りであります。私が会社に関係するのは或は何か重役に野心があるやうな事が新聞紙に出て居りますが、事実は渋沢男爵が既に御熟知になつて居る通り、私は偏に固辞しましたが、男爵より自分も充分力を尽すからマア兎に角、御前が一人進んでやつて呉れなくては困るじやあないか、と云ふ渋沢男爵の御厚誼に感激して
 - 第11巻 p.322 -ページ画像 
私は此の会社に這入つて力を尽す決心を致した次第で御座います。どうぞ諸君は余り是れから外科療治に対して攻撃を加へず、此の病を治して会社の存立を謀るがため多くの苦痛を忍んで、私に同情を以て充分御力を添へて下さる事を希望します。株主を始め四方八方に敵を受けては私が働くことは出来ない。如何しても孤立しては到底仕事が出来るものではありませんから、諸君は其の御覚悟あらんことを今日から希望するので御座います。是れは此の序を以て一言いたして置きます。』云々。


(大日本製糖株式会社)二十五周年祝賀会誌 第三三―三五頁〔昭和九年七月〕 【藤山前社長演説要旨】(DK110049k-0003)
第11巻 p.322-323 ページ画像

(大日本製糖株式会社)二十五周年祝賀会誌 第三三―三五頁〔昭和九年七月〕
    藤山前社長演説要旨
○上略
 所が御承知の通りに、日露戦役後日本の経済界に非常なる動揺が起りまして、或時は非常な景気が出まするかと思ひますれば、非常な不幸な事も起つたのであります。即ち我が会社も其当時日露戦役の大波瀾大革命に際しまして、少しく進路を誤つたと言はなければならぬのであります。遂に破綻の運命に陥つたのであります。今から考へて見ますると実に今昔の感に堪へないのであります。其壱千弐百万円の会社で一時は五拾円払込の株式は一株百七拾円と云ふやうな相場を以て迎へられたものが、一朝破綻の不幸に陥りますると、其株式は激落して拾弐参円に下ると云ふやうな有様であります。啻に会社の経済上の不幸であるのみならず、其結果は政治上にも社会上にも波及したと云ふやうな状態で、皆さんの中に其当時のことを御承知の御方もありませうが、即ち日糖事件として社会上の大問題ともなり、又政治上にも色々の波動を起しまして実に方々に迷惑を及ぼした様なこともあつたのであります。
 会社の財政上の問題を申上げますると、壱千弐百万円の会社で払込は八百万円位、然るに債務の総額は、千四百万円にも達して居りまして、大蔵省に納むべき消費税の滞納も壱千万円以上に上り、此会社に取引する所の銀行も非常な影響を受けたのであります。今日より考へて見ますると、壱千四百万円と云ふ金はさう大金ではありませぬが、三十年前の壱千四百万円と云ふものは非常な大金で、此会社に融通をして居られました三十四銀行の小山君などは私財拾万円を提供して自分の銀行の損害を少くされた様な状態でありました。又藤本銀行の如きも随分迷惑を感ぜられたのであります。随て会社に十分な融通をすると云ふやうなことは出来ない、どうしても参百万円ばかりの金を工夫しなければいかないと云ふやうな情勢でありましたが、一向に金融業者は顧みて呉れない、実に不幸な情勢にあつたのであります。其当時の相談役、而も相談役にして社長以上の権力を有つて居られた故渋沢子爵は、此間に社長は自殺をする、会社の為に有力なる政治家に迄迷惑を及ぼして遂に会社を破滅に導くが如きはどうしても忍びない、併し自分はもう七十の老齢である、誰か之に適当な後任社長を得て此悲運を挽回したいものであると酷く心配されたのであります。
 其当時、私は深く此会社に関係があつた訳でありませぬが渋沢子爵
 - 第11巻 p.323 -ページ画像 
とは王子製紙会社に一緒に居つて渋沢子爵が社長で私が専務取締役として現在の王子製紙会社を整理したのであります。さう云ふ関係から渋沢子爵は是非私に入つて此会社を引受けて呉れろと云ふ御話がありました、併し他に幾多の手腕ある御方もあるからと言うて、私は之を固辞したのであります。他の人は引受けない、已むことを得ず私は此渦中に投ずるやうになりました。其当時私は考へたのであります、日本の糖業は初めて芽を出して、将来が大に期待される場合に壱千弐百万円の会社が潰れて仕舞ふ、而も砂糖事業と云ふものは、世界的事業で、其当時の英国大使も株主であると云ふやうな事情もあつた。然るに実業家の位置に居りながら手を拱ねて其渦中に投ずることを避けると云ふことは褒むべき態度ではない、出来るか出来ないか事の成否は姑く措いて、此場合には其渦中に投じてやる方が宜からうと云ふ考を起しまして、渋沢子爵の懇請に応じて二十五年前即ち明治四十二年四月二十七日を以て私が社長となつた訳であります。
○下略
   ○右ハ昭和九年四月二十七日臨時株主総会ニ於テ、同日社長ヲ辞任シタル藤山雷太ノ行ヒタル演説要旨ナリ。是日新社長ニ就任シタル藤山愛一郎モ亦就任挨拶ニ於テ当時ヲ想起シテ次ノ如ク述ベタリ。


(大日本製糖株式会社)二十五周年祝賀会誌 第四七―四八頁〔昭和九年七月〕 【新社長就任挨拶】(DK110049k-0004)
第11巻 p.323 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

大日本製糖株式会社第二七回営業報告 自明治四一年一一月一日至同四二年四月三〇日(DK110049k-0005)
第11巻 p.323-324 ページ画像

大日本製糖株式会社第二七回営業報告 自明治四一年一一月一日至同四二年四月三〇日
    株主総会
○上略
 - 第11巻 p.324 -ページ画像 
一臨時株主総会 明治四十二年四月二十七日、日本橋倶楽部ニ於テ臨時株主総会ヲ開ク、会スルモノ六百七十八名(委任状共)、此株数七万二千四百三十株、恒川取締役中村取締役ハ議場ニ向ヒ辞任ノ申出ヲ為シ、次テ守屋此助氏推サレテ議長席ニ著キ、取締役及監査役ノ全員選挙ノ件ヲ附議セシニ満場一致ヲ以テ選挙ノ方法トシテ役員ノ員数ヲ決定シ、且其指名ハ総テ渋沢男爵ニ一任スルコトヽナリ、渋沢男爵ヨリ取締役ニ藤山雷太・星野錫・浜本義顕・中村清蔵、恒川新助ノ五氏ヲ、監査役ニ大海原尚義・指田義雄ノ二氏ヲ指名シタルニ、満場異議ナク之ヲ可決シタリ
    庶務事項
○上略
一明治四十二年三月八日
 本日監査役ハ一部株主ヲ築地同気倶楽部ニ招集シ、協議会ヲ開キ、後継役員選定ニ関シ尽力スヘキ委員トシテ藤山雷太・浜本義顕・大海原尚義・仙波太郎右衛門・阿部吾市ノ五氏ヲ選挙シタリ
○下略
    営業ノ概況
前期ヨリ引続キタル経済界ノ不振ハ本期ニ入リテモ猶ホ恢復ノ域ニ至ラス、加フルニ各種糖税率ノ不権衡ニ依リ需要ハ益々粗糖ニ移リ、精製糖ノ売行日ヲ追フテ減少シ為メニ前期ヨリ繰越シタル多数ノ持荷ハ依然トシテ堆積シ商況愈々振ハス、依テ当事者歳末ノ需要季ニ於テ在荷ヲ一掃スルノ必要アリト認メ、十二月ニ入リ一円余ノ値下ヲ断行シテ専心販売ニ勗ムルト同時ニ、各工場ノ製造ヲ休止シタリ、其後大阪工場ハ二月初旬ヨリ、大里工場ハ四月初旬ヨリ製造ヲ開始シタリ
台湾工場ハ今期初テノ操業ナリシモ幸ニ成績良好ニシテ前途有望ナリト信ス
独リ悲ムヘキハ近年糖税ノ不権衡、精糖ノ不況等幾多ノ原因アリシカ為メ、本期ノ初ニ於テ不幸ニモ社運ノ蹉跌ヲ来シ、玆ニ巨額ノ損失ヲ現ハスノ已ムヲ得サルニ至リシハ甚タ遺憾トスル所ナリ


大日本製糖株式会社第二八回営業報告 自明治四二年五月一日至同年一〇月三一日(DK110049k-0006)
第11巻 p.324-325 ページ画像

大日本製糖株式会社第二八回営業報告 自明治四二年五月一日至同年一〇月三一日
    株主総会
一定時株主総会 明治四十二年五月三十一日午後一時日本橋倶楽部ニ於テ第二十七回定時株主総会ヲ開ク、出席者委任状ヲ合セテ七百三十五名此株数六万八千二百九株、藤山社長会長席ニ著キ先ツ同年上半期間(自明治四十一年十一月一日至四十二年四月三〇日)ニ於ケル営業報告書ヲ朗読セシメ計算書等ハ満場ノ同意ヲ得テ朗読ヲ省略ス、尚会長ハ本期間ノ営業ハ前任者ノ経営ニ依リ現任者ハ本期末(四月二十七日)就任以来僅三ケ月、其間及フ限リ調査シ玆ニ本期末ニ於ケル計算書ヲ提出シタル次第ニシテ今後整理ヲ要スル事項ハ漸次調査ヲ遂ケ著手スヘキ旨ヲ述ヘ、次テ大海原監査役ヨリ監査ノ結果報告ノ後、株主二三氏ノ質議アリシカ結局従来締結シタル諸契約ニシテ不当ナルモノ、又ハ前任役員ノ行為ニシテ損害ヲ賠償セシムヘキ事項ニ付テハ法律上ノ研究ヲナシ、其範囲内ニ於テ相当ノ措置ヲ執ルコトヽシ異議ナク原
 - 第11巻 p.325 -ページ画像 
案計算書ヲ可決確定セリ
    庶務事項
○上略
一明治四十二年五月三日
 明治四十二年四月二十七日取締役高津久右衛門・同中村清蔵・同恒川新助・監査役藤本清兵衛・同瓜生震・同今井喜八・同潮田方蔵ノ七氏辞任シ、同日臨時株主総会ニ於テ取締役ニ藤山雷太・星野錫・浜本義顕・中村清蔵・恒川新助ノ五氏、監査役ニ大海原尚義・指田義雄ノ二氏当選シ、共ニ同日就任ニ付、本日東京区裁判所小松川出張所ニ於テ其登記ヲ了セリ
 右臨時総会閉会後取締役互選会ヲ開キ、相談役渋沢男爵参加選挙ノ結果、藤山雷太氏社長ニ就任シ、又渋沢男爵ハ従前ノ通、相談役タルコトヲ承諾サレタリ
○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK110049k-0007)
第11巻 p.325 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四二年
三月六日 曇 軽寒
○上略 午後三時坂本町銀行集会所ニ抵リ、大日本製糖会社債権者会ニ出席シ、大阪ヨリ来会セル小山・町田氏等ト協議ス○下略
三月十五日 曇 寒
○上略 藤山雷太・大海原尚義・仙波・田口ノ四氏来リ日糖会社後継重役ノコトヲ談ス
三月十六日 晴 寒
○上略 金子直吉氏来訪ス、日糖会社ノコトヲ詳話ス○下略
三月十八日 曇 軽寒
○上略 日糖会社委員来リ新重役撰任ノコトヲ債権者会ニ依頼スルコトヲ談ス、瓜生震氏来話ス、新聞記者数名来訪ス○下略
五月二十日
○上略 九時地方裁判所ニ抵リ大日本製糖会社ノ証人トシテ川島予審判事ヨリ数件ノ審問アリ、依テ記憶スル所ヲ答フ○下略
五月二十九日 晴 暑
○上略 午後五時半藤山雷太氏来リ日糖会社ノコトヲ談ス○下略
五月三十一日 曇 暖
○上略 午後一時日本橋倶楽部ニ抵リ日本製糖会社株主総会ニ出席ス○下略



〔参考〕銀行通信録 第四七巻第二八三号・第六九三―六九四頁〔明治四二年五月一五日〕 ○大日本製糖会社新重役決定(DK110049k-0008)
第11巻 p.325-326 ページ画像

銀行通信録 第四七巻第二八三号・第六九三―六九四頁〔明治四二年五月一五日〕
    ○大日本製糖会社新重役決定
大日本製糖会社整理に関する債権者会の模様に就ては概略前号(五一九頁)に記する所ありしが、更に其詳細を記せんに四月六日日本橋倶楽部に於ける債権者会には重役側より恒川・中村の両取締役及潮田監査役、尽力委員側より藤山・大海原、仙波・浜本の四氏、債権者側より小山(三十四銀行)、町田(山口銀行)、磯村(三井物産会社)、下阪(台湾銀行)、岡(鈴木商店)等の諸氏出席し、渋沢男も参会の上
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種々協議する処ありしも、当日は何等決定に至らず因て同八日更に債権者会を開くことゝなり、此間債権者側は七日三井集会所に会合の上略々同会社に対する態度を決定せしが、其大要は同会社の現状たる責任ある重役なく、殆ど拾収すべからざる状況なるを以て兎に角此際株主側より一時的重役を選定し、充分調査を遂げしめたる上整理案を作成し債権者に於て適当と認めたるときは資本の切捨を行ひ、債権を優先株に引換ふることに承諾すべしと云ふに在りて、八日の債権者会には渋沢男率先して之に賛成し、結局新重役の選定は渋沢男爵に一任し不日大株主会の議を経て臨時総会を開くこと気ゝ《(衍)》なり、其後現重役及尽力委員等は協議の上四月二十三日同倶楽部に於て大株主会を、同二十七日日本橋倶楽部に於て臨時総会を開くことに決し、其旨株主一般に通知せり
然るに四月一日に至り突如として同会社検挙事件起り、前重役磯村・秋山両氏を始め代議士・前代議士等続々其筋に拘引せられしより、同会社整理問題も再び混沌たらんとするの状ありしが、渋沢男及尽力委員等は之に関せず進んで新重役の選定に着手し、二三適任者と認むる人々に向て会社の首脳たらんことを交渉せしに、何れも会社の内情を審かにせし上ならでは受任し難しとの事にて、二十三日の大株主会迄には遂に其決定を見るに至らざりしも、其後種々交渉の結果愈々藤山雷太氏社長の下に新重役会を組織することゝなり、二十七日臨時総会に於て渋沢男より左の諸氏を指名し、異議なく之に決定せり、
    取締役
 藤山雷太 (新)  星野錫 (新)  浜本義顕(新)
 恒川新助 (旧)  中村清蔵(旧)
    監査役
 大海原尚義(新)  指田義雄(新)


〔参考〕東京経済雑誌 第五九巻第一四九三号・第二八―二九頁〔明治四二年六月五日〕 ○大日本製糖会社総会(DK110049k-0009)
第11巻 p.326-328 ページ画像

東京経済雑誌 第五九巻第一四九三号・第二八―二九頁〔明治四二年六月五日〕
    ○大日本製糖会社総会
                    (条件付原案承認)
昨年十一月第二十六回の定時総会後新春に入りて図らず大破綻を演じたる彼の大日本製糖会社第二十七回定時総会は、五月三十一日午後一時半より日本橋倶楽部に開催されたり、出席者は相談役渋沢男以下各重役にて、藤山社長は報告後昨年製品を持久し、遂に一時に売捌きたる不結果、又は本年内地工場の損失を述べ、乍去台湾工場は幸に成功を見、雑収入共五十一万円余の利益を見るに至れり、兎に角今回は実際の欠損を認められ、大整理勘定は他日に譲る可しと述ぶ、高田政久氏は左記の猛烈なる質問を提出し、逐条詳細の答弁を迫れり
 ▲預ケ合問題 重役は社株券を担保とし、低利を以て百余万の貸金を為し制裁を免れん為、一種の貸借法を設け、預ケ合なる名義を附す如斯は明らかに商法百五十一条に反す、依て株券抵当貸金の取扱方法其他の経過は如何、▲大里関係 大里製糖買収の節株主に謀らざる秘密の契約あり、既に其一部を履行し居れりと聞く、去れど重役の越権無効の契約には会社は服従する義務なきもの也、下の件如
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何、(イ)大里製糖買収に際し株主の承認以外鈴木商店との間の会社に大不利益の密約ありと条項如何、(ロ)鈴木商店に交付したる社債四百万円及其他より募集したる社債三百万円に対し、社債原簿には其償還方法期日等如何に記載しあるや、(ハ)鈴木商店との密約に従ひ四十一年六月五十万円を支払ひ、此に対し返還を受けたる社債券五十万円は廃棄すべき性質なるに関せず、其廃券を抵当とし某銀行より金円を借入れしとか、又は割引を以つて売却せりとか聞く如何、(ニ)开を事実とせば、是れ等は帳薄上如何に記載しあるや、(ホ)該怪聞を事実とするも其の処為は重役等が無効の債券を以て第三者を欺きたる詐欺の処為にて会社は之に対し償還の義務なきものと信ず会社の所見如何、▲詐欺的報告 四十一年上半期の配当八十五万円の詐欺報告は其犯罪を認むべきは勿論、之に依て生じたる諸般の損害は当時の重役連帯を以て賠償の責に任ず可きものと信ず、会社の処措如何、▲選挙運動費 磯村・秋山等が候補運動の際、会社は数万円を支出せりと、其額及び支出の理由並に名義と記帳法の如何を示せ、▲東洋買収計画 昨夏福川・伊藤等が東洋製糖株買収の資本金として会社は五十万円を支出せりと、此れ同人等が特種の事情に依りて買収したりとせば、会社は何故資金を支出せしや其買収株の数如何、▲社債募集の件 鈴木に交付の社債四百万円の残額三百万円募集の節、応募満員の報告に関せず、実際は不足せりと、残額は如何に処措せしや、▲担保品の種類 現在社債額幾干なるや、又担保を区別して示すべく担保品の種類をも示せ云々
 右の質問に対しての答弁は、書類の会社に完備せざる為、充分の要領を得るに至らず、殊に大里製糖関係は不得要領乍ら結局五十万円に関しては買戻しと考ふ、若し償還とせば开は某行の損失に帰せんかと思ふと答へ、預ケ合は要領を欠きしも大躰朧乍ら要を得たり、軈て従前の重役に於ての不当支出等は法律に依りて賠償或は取消さすべき事の条件を附し、左の計算書を承認五時散会せり
     △収入之部
                            円
  製品売上高            八、二五九、三六二、七五〇
  雑収入                 三八、九〇九、九八五
  本月末持荷            一、六六八、六二八、八〇〇
  本月末仕掛品              九四、三〇五、二五〇
  台湾工場創業年度利益          七八、二一九、一一〇
  当期損失金            二、五八七、三三四、八九三
  合計              一二、七二六、七六〇、七八八
     △支出之部
  前期繰越製品           七、一二七、八一一、二八〇
  前期繰越仕掛品            一八一、一一四、三三〇
  原糖消費高            一、四三九、二六〇、〇八〇
  税金勘定             二、〇〇二、三五一、〇三〇
  原糖負担費               九三、一〇二、六七〇
  製造工費               二四九、〇八六、八九〇
  製品負担費              二六七、六一四、五七〇
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  原糖売却及評価欠損金         一五〇、〇四〇、二三〇
  利息                 五四〇、〇六三、〇四八
  諸税金                 九〇、二六三、四九〇
  火災保険料               二八、九一五、三九〇
  社債差金               一二〇、〇〇〇、〇〇〇
  総係費                二八五、〇四二、一二〇
  旅費                  一〇、五四〇、八二〇
  役員及本社員俸給            一三、八四〇、二一〇
  台湾工場費              三八四、二五五、六三〇
   合計             一二、七二六、七六〇、七八八
  当期損失金            二、五八七、三三四、八九三
    内
   前期繰越金              一二、七三四、二九五
   後期繰越損失金         二、五七四、六〇〇、五九八


〔参考〕東京経済雑誌 第六〇巻第一四九八号・第二―三頁〔明治四二年七月一〇日〕 涜職議員の第一審判決(DK110049k-0010)
第11巻 p.328-329 ページ画像

東京経済雑誌 第六〇巻第一四九八号・第二―三頁〔明治四二年七月一〇日〕
    涜職議員の第一審判決
日糖重役の検挙に依りて暴露せる代議士連の収賄事件は、涜職法違犯を以て論ぜられ、本月三日東京地方裁判所に於て第一審の判決あり、松浦五兵衛外二十三名は、夫々重禁錮三ケ月乃至十ケ月に処せられたり、違犯の事実は要するに左の二点にありとす
 第一、明治三十九年十二月に於て召集せられたる第二十三回帝国議会の際、政府は四十年三月三十一日を以て効力を失ふべき明治三十五年法律第三十三号輸入原料砂糖戻税法の効力を、四十四年七月十六日まで延長すべき旨の改正法律案を衆議院に提出したる所、従来右法律の恩恵に浴したる大日本製糖株式会社の重役等は、該改正法律案の通過を熱望し、同社専務取締役磯村音介、常務取締役秋山一裕、取締役伊藤茂七等は、専ら衆議院議員間に其運動をなしたりしが、被告人松浦五兵衛外十一名は何れも其当時衆議院議員の職にありて、前示法律案の通過に関し、音介等の請托を受けて賄賂を収受し、又は之に対して賄賂を請求し、犯行をなしたるものにして、右法律案は特別委員会に於て原案の期限を二ケ年と修正し、四十年二月二十一日衆議院を通過し、次で同年三月十九日貴族院を通過したり
 第二、上記音介・一裕・茂七等は砂糖製造を官営となし、前示会社の有する財産を政府に買上げしめんことを企て、衆議院議員を動して四十年十二月召集せられし第廿四議会に砂糖官営法律案を提出するに至らしめ、且之を通過せしめんと欲し、専ら衆議院議員間に其運動をなしたりしが、被告人松浦五兵衛外十名は何れも其の当時衆議院議員の職にありて、右法案の提出及び通過に関し、音介等の請托を容れて賄賂を収受し、又は聴許し、被告人今田鎌太郎・中村忠七・江崎礼二は右請托及賄賂の授受に関し音介等の依頼によりて之を幇助したるものなり
抑々涜職法に於ては、賄賂を収受したる者を罰するのみならず、賄賂
 - 第11巻 p.329 -ページ画像 
を贈与したる者をも罰すべし、而して贈賄者なければ、収賄者はあるを得ず、故に収賄者よりは贈賄者を重く罰せざるべからず、然るに贈賄者たる日糖の重役に対する判決は未だ下らざるなり、又収賄者中にありても賄賂を請求したるものと、贈賄を聴許したる者とは大に事情を異にすべし、故に余輩は賄賂を請求したるものをば宥恕すべからずと雖、単に贈賄を聴許したる者に対しては、充分に法律上の特典を与へて可なりと信ず、即ち刑の執行を猶予すべきなり、執行猶予の結果は、猶予期間更に犯罪なき時は、初より犯罪せざるものと同一となるものにして、唯其の猶予期間に於て公権を停止せらるゝのみ
涜職議員の刑期は十ケ月以内にして、何れも一ケ年以上の禁錮にあらざるを以て、執行を猶予せられさるものと雖、刑期満了する時は、再ひ代議士となるに於て、法律《(上)》と何等の支障なかるべし、然れども選挙人は容易に涜職議員を候補者に推薦せざるべきを以て、結局政治界よりは葬られさるべからず、是れ実に大打撃にして、政界の腐敗、収賄者の充満せる今日に於て、独り日糖事件関係の議員のみ検挙せられて斯の如き打撃を加へらるゝは余輩の遺憾とする所なり、故に余輩は代議士の収賄を検挙せる以上、凡ての収賄者を検挙せんことを希望せざるべからず、然らざれば不公平なるのみならず、涜職議員を処罰したるの効果あるべからざるなり


〔参考〕東京経済雑誌 第六〇巻第一四九九号・第三九頁〔明治四二年七月一七日〕 ◎日糖重役の予審決定(DK110049k-0011)
第11巻 p.329-330 ページ画像

東京経済雑誌 第六〇巻第一四九九号・第三九頁〔明治四二年七月一七日〕
    ◎日糖重役の予審決定
                       (悉く有罪)
日糖会社側被告八名に対する予審終結決定書は十一日早朝一同の被告に送達されたり、決定書の主文は左の如し
        元大日本製糖株式会社々長 酒匂常明
              同専務取締役 磯村音介
              同常務取締役 秋山一裕
              同常務取締役 高津久右衛門
              同取締役   伊藤茂七
              同監査役   恒川新助
              同監査役   福川忠平
              岡会計課主任 遠藤省三
 被告音介・一裕・久右衛門・茂七・新助・忠平に対する文書偽造行使委托金費消及涜職法違犯被告事件、被告常明に対する文書偽造行使委托金費消事件、被告省三に対する文書偽造行使被告事件を東京地方裁判所の公判に付す
 被告常明に対する第一、第三、被告一裕・茂七・久右衛門の三名に対する第一、被告省三に対する第二、第三、第五、第七の点並に被告常明・音介・一裕・茂七・久右衛門・省三の六名に対する株式会社大里製糖所工場を買収するに当り、大日本製糖株式会社の金五十万円を費消したりとの点は倶に免訴す
前社長酒匂常明氏は兼て深く自ら決する所ありし者の如く、此日午前七時拳銃を以て前額を打ち自殺を遂げたり、氏は自己の不明の為めに
 - 第11巻 p.330 -ページ画像 
斯る大事件を惹起したること株主及び社会に対し痛く慚ぢ、処決と題する一篇の遺書を遺し、事此に至れる事情を社会に公表す可きを遺族に命ぜり、其文辞沈痛悲哀を極めたり


〔参考〕万朝報 第五五三四号〔明治四二年一月七日〕 日糖紛擾の由来(上)(DK110049k-0012)
第11巻 p.330 ページ画像

万朝報 第五五三四号〔明治四二年一月七日〕
    日糖紛擾の由来(上)
△磯村派の乗取 大日本製糖会社の破滅に頻《(瀕)》しつゝある由来を尋ぬるに、去る卅五年中精糖株が四十円台に下落せる際、同社支配人たりし磯村音介氏及び秋山一裕氏等は、会社乗取策を講じて該株を買占め、多数権利によりて社長鈴木藤三郎氏を追ひ退け、代りて社の実権を握り、更に該株を八十円以上の価格を以て消費税の担保に供す可き運動に成功し、社の金庫を利用して終に現在の地位を獲得せり。
△反対派勝つ 然るに卅七年大阪及び大里の両精糖会社を併合したる結果、磯村一派にとりて異分子とも謂ふ可き馬越恭平氏重役の一人となるや、重役会毎に例の預合ひ問題を持出して磯村派を攻撃しつゝありしが、遂に昨年後半期の株主総会に於て反対派の勝利となり、瓜生震氏外二名新監査役に選ばれ、内外より磯村一派に対し、他の有価証券を以て担保社株に換ゆ可きを迫れり。
△窮策図に当る 玆に於いて磯村一派は旧臘以来盛に該株を売り叩きて、其の市価を下落せしめ、幸に現地位を保つを得ば、買戻によりて利益を博し、之を資として預合ひを解かんとするの策を採るに決したるが、此の窮策図に当りて該株は近々半ケ月間に七十八九円より四十五円迄暴落し、為に彼等は今や少なくとも四十万円をかちうるに至れり。
△損失九十万円 磯村・秋山一派の預合ひ株式は、約三万個に達し、其の金額二百四十万円内外に及べるも、今回暴落の結果、時価僅かに百五十万円に過ぎざるを以て、会社の損失は此の一事のみにても九十万円の巨額となり、資本金総額千二百万円に付約十三分の一を欠くに至れるが、磯村一派が能く這般の利益を以て此の大穴を埋め株主に謝す可きか、将た之を懐にして逃走す可きかは一般の注視する所也


〔参考〕万朝報 第五五三五号〔明治四二年一月八日〕 日糖紛擾の由来(下)(DK110049k-0013)
第11巻 p.330-331 ページ画像

万朝報 第五五三五号〔明治四二年一月八日〕
    日糖紛擾の由来(下)
△虚偽の考課状 事業の盛衰も株主の利害も、之を眼中に置かずとして、只管私腹を肥すことにのみ汲々たる磯村一派は、其の手品の種を考課状に見出したり、即ち彼等は卅七年以降酒匂常明氏が財界の事情に暗きを奇貨とし、他の重役及び相談役渋沢男等を欺きて考課状面を誤魔化し、四十一年下半期に於いて台湾糖の跋扈と、消費税の増加とにより大打撃を受け、最早考課状を悪用し得ざるに及び、新株一個に付七円五十銭の払込をなさしめ、之を担保として三井・三菱、第一の各銀行より借入金をなし、辛うじて一時を糊塗し得たり。
△誤魔化しの事実 彼等は如何にして考課状面を誤魔化したるかと云ふに、同会社借入金は四十一年十月末現在に於て千四百四十八万円に達し、考課状には之に対する原料糖及び商品たる精製糖を計上し居る
 - 第11巻 p.331 -ページ画像 
も、其の原料糖は真価に比し孰れも一俵に付五十銭乃至一円宛高く見積られたるのみならず、商品も現価二三割方低落せるが故に、実際は見積額より一円以上の低位に在り、且つ不景気の為売行皆無となり、手合未済品の如き何時捌けん様もなく、徒に利息仆れとならんとしつつあり。
△配当引上魂胆 彼等は何故に此の如く虚偽の考課状を作り、或は新株の払込を強行せしか、即ち彼等は之によりて配当額を引上げ、一面会社に支払ふ可き彼の預合ひ株に対する利子の財源となし、他面に於ては株主の甘心を得て現在の地位を固守せん魂胆に外ならず。斯くて不況を極めたる昨年度後半期に於てすら、能く一割五分の配当をなしたる也。
△欠損総額五百万円 磯村一派の不当手段によりて受けたる同社の欠損を挙ぐれば、糖価低落の為仮に計上価格の二割減とするも約三百万円に及び、之に借入金の日歩三千二百円と社債七百万円の利子とを、一期間通算して加ふれは現在の損失額約四百万円となり、更に例の預合ひ株式の損失、九十万円を合はせば、総欠損約五百万円の巨額に達す。
△磯村派の悪辣 瓜生監査役等は会社の現状を調査して欠損の意外に大なるに驚き、已むを得ず有りの儘之を報告したるに、馬越恭平氏は其責を免るゝ為、此の程再び辞表を提出し、渋沢男の如き昨今頗る煩悩の体なるに反して、磯村一派は悪党の本性を現はし来り、株主等の骨を喰へる今日、体よく辞任して再び東洋製糖に割拠せんと凝議中なるが、株主中には之を法律問題として彼等の責任を問はんと敦圉き居る者あれば、更に一騒動を惹起するに至らん。


〔参考〕東京朝日新聞 第八一三五号〔明治四二年四月一四日〕 日糖重役拘引始末(DK110049k-0014)
第11巻 p.331-332 ページ画像

東京朝日新聞 第八一三五号〔明治四二年四月一四日〕
    日糖重役拘引始末
△堪忍せし株主 日糖旧重役拘引事件は満都の士女桜花に酔ふて行楽正に酣なるの時に突発し、宛ら青天霹靂の観あれども、日糖破綻以来の経過を案ずれば毫も恠しむを須ひざる也、磯村、秋山等の旧重役が遣繰り算段の術策を弄して今日に至れる間に於ては、種々の画策を企て若くは之を遂行したり、砂糖官営運動は再三再四試みられたり、頻頻たる戻税改正の起る毎に腐敗の手はまづ日糖によりて縦横に政界に向つて伸ばされたり、其他糖税逋脱事件を始めとし、預金問題《(合)》、八十五万円違算事件等、旧重役の弱点を追窮して、彼等を訴追せんと欲せば、起訴材料の豊富なる日糖の如きは蓋し稀なるべし、唯利害関係最も深き株主は刻下の場合一日も早く整理の緒につくを望み、今に及びて旧重役を繋獄の人となすも単に憤懣の念を晴らして快心なりと云ふの外、かちうる所少なかるべきを想ひ、強て静平を装ひしもの甚だ多し。
△瞞されたる株主 然れども日糖の発表せる考課状を信じ、虚偽の塊り累々として其の裏面に伏在せるを知らず、利廻りの上より好個の放資として日糖株を買入れたるもの甚だ多し、近藤廉平・マグドナルド大使・岩崎男・英国領事ボナール氏の如きすら同社破綻の日を去る遠
 - 第11巻 p.332 -ページ画像 
からざるの時に於て、日糖株を買入れたる程なれば、同社の情勢に通ぜず一片の利廻勘定より同株に投資し、若くは定期市場に買ひ付けて資産を蕩尽し、若くは重痍を豪れる者甚だ多し、地方遠隔の郷村資産家にして救ふべからざる窮地に陥れるもの多きは偶々之を証するに足る、此等の一団は旧重役の不徳を悪み、其肉を啖はずんば甘んぜざるの怨みを懐けるが如く、磯村・秋山拘引の報に接して歓喜満悦極まりなきの概ありと伝ふ、左もあるべし。
△拘引断行事実 然れども今回松本郡太郎氏等を告訴代人として起訴せる株主は、僅少の株式を所持する者なる由にして、其人に取り深大の利害ありとも覚えず、其背後には此鬼面の傀儡を操縦する黒頭巾あるに非ざるか、日糖の新内閣は二十七日成立せんとし、今や渋沢男重役候補の糾合に着手し始めたる刹那に立て斯かる椿事の醸生せるは、真に日糖の整理を希ふ株主の行動としては甚だしく時機を失したり、旧重役の不始末は既に四ケ月以前世に曝露し了り既に世に公然の事実たり、然るを何等の法的制裁を加ふるを為さず、整理ならんとする間際に及び突発的に一斉射撃を断じたるは、整理の進行を阻碍するを以て利益とする一派たるべきは明かなり、磯村・秋山にして自尽せざる限り其訴追は廿七日の総会の後を待たれざる筈なし、要するに投機市場の売方一派並に日糖擾乱者は今次事件の中心たるべく、政府も亦外国使臣の苦情に依りて、著しく神経を亢奮し来り、対政友会の間接射撃、英大使への申訳並に商事会社重役の覚醒戒心等、種々の副産をもたらすべく、大袈裟の捜索を行ひたるに非ざる乎。
△選挙当時の事情 罪名は私書偽造詐欺取財なりと云へり、久米民之助氏の十二日喚問せられたるよりみるに、刻下審問の主点は磯村・秋山選挙運動費不当支出にあるが如くなるを以て、当時の状況を報ぜんに、当初重役会議に於て磯村・秋山両人を代議士候補者と為すに決したり、是れ種々の運動を為すには重役自身衆議院に入るの便なるを思ひてなり、然るに其後渋沢男の強硬なる反対あり、大に其不可なるを注意したれば重役中より折衷説出で、秋山氏のみ行掛上静岡市より打つて出づるに決し、其運動費も二万五千円と略定めて落着せしも、之に先だちて磯村は前橋に於て運動を開始し若干の運動費を支出したるの後なりき、選挙の事終りて後秋山の運動費は五万円と計上せられ、会社の支弁に帰したり、是れ私書偽造詐欺取財発罪を構成するものなりとして、起訴せられたる一事実の真相なりと聞く。


〔参考〕東京朝日新聞 第八一三八号〔明治四二年四月一七日〕 【日糖事件に連座して政友・大同両…】(DK110049k-0015)
第11巻 p.332-333 ページ画像

東京朝日新聞 第八一三八号〔明治四二年四月一七日〕
 日糖事件に連座して政友・大同両派重なる代議士の拘引を見るに至れるは、主として第二十三議会以来の砂糖戻税案及砂糖官営案に関係するものなり。
△砂糖戻税案 に対する当時の衆議院特別委員は、委員長菅原伝氏を始め森本駿・藻寄鉄五郎、駒林広運、神崎東蔵・渡辺修・三井忠蔵・野尻邦基・西村真太郎・山本剃二郎《(山本悌二郎)》、斎藤珪次・南条吉左衛門・林小一郎・関野善次郎・奥野市次郎・中倉万次郎・富島暢夫・山口達太郎の十八氏なりき、当時政友会内閣組織後始めての議会にして砂糖戻税
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は四十年三月卅一日を以て期限満了するを以て、政府は之れを継続する意志を以て、先づ予算案に六百万円を計上提案したるが、政友会所属予算委員等は先づ之れに反対し、継続法律案の未だ議会を通過せざるを予算に計上するは不都合なりと、政務調査会、代議士会等にて激論の末、更に追加予算として提出するはとにかく一旦之れを否決するに至りしが、政府は右等の反対にあひ倉皇として四十年二月中旬輸入原料砂糖戻税法中改正案即ち戻税継続案を議会に提出せるが、政友会一部は台湾粗糖派と結託し、又もや本案反対を標榜して激烈なる運動を開始するに至り、此間に際し日糖会社は本案通過の為め黄白を散らして猛烈なる運動をなし、台湾粗糖組と相混じ政界を混沌たらしめたる事は尚ほ人の記憶に存する所にして、当時政友会は未だ絶対の過半数党たらざるにより、日糖会社は各党派を通じて運動したる事実も亦顕著なる事なり、政友会政務調査会に於ける反対の理由は主として内地粗糖保護にありたるが、幹部が熱心なる鎮圧運動と会社側運動の効を奏せるにや、遂に戻税の期限の明治四十四年迄継続すべしとの原案を四十二年三月卅一日迄二ケ年間延期継続の事に修正して原案賛成の事にまとまり、第二種糖戻税額一円九十五銭を一円六十五銭に引下げんとする修正論も立消えとなり原案通過に決し、かくて衆議院に於ける同案特別委員会は南条吉左衛門氏より二ケ年に修正の動議を出し、政友大同両派の委員は之に賛成し、猶興会の富島暢夫氏原案賛成論を唱へて進歩党の西村・神崎諸氏之に賛成し、当時大同派を脱して無所属にありし藻寄鉄五郎氏は絶対の反対論を主張し、採決の結果は多数にて二ケ年修正の上、原案賛成に決定したり、以上の経過より推想せば各代議士の関係は思ひ半に過ぐるものあるべし。次で
△砂糖官営案 は第二十四議会に於て表面は塩専売廃止の補充財源となすべしとの議論を以て政友・大同両派代議士の熱心唱道せらるるに至り、其裏面には日糖会社救済の為め磯村・秋山等例の黄白運動あるは勿論の事にして、当時政友会内にて熱心に運動せるは横井時雄・松浦五兵衛・沢田寧・大野久次諸氏其他にして、官営問題の為め蠣殻町辺に一の秘密事務所まで開始せられたる程にて、当時松田蔵相・原内相等は政友会内に於て斯の如き不都合なる運動をなすものあるは容赦すべからざる事なりとて、厳重なる処分にも出でんとし原内相は警視庁に訓令し日糖重役並に関係代議士に悉く私服巡査を尾行せしめ、其運動を制肘し、且つ彼等の秘密行動を偵察せしめたるより、遂に官営案は表面の問題とならずして葬らるゝに至りしも、当時日糖重役と各派関係代議士間には種々なる契約も成立したる事は、明かなる事実なり。


〔参考〕実業之世界 第六巻第五号・第四五一―四五四頁〔明治四二年五月〕 事業に対する余の理想を披瀝して日糖問題の責任に及ぶ(男爵渋沢栄一)(DK110049k-0016)
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実業之世界 第六巻第五号・第四五一―四五四頁〔明治四二年五月〕
  事業に対する余の理想を披瀝して日糖問題の責任に及ぶ (男爵渋沢栄一)
    ▽商売には断じて秘密無し
 凡そ会社を経営するには、立憲国の国務大臣が国民の輿望を負うて国政を執る時のやうな覚悟を以て、之に当らなければならぬ。否、商業は政治などよりも機密といふ事無しに経営して行かる可きものであ
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らうと思ふ。唯銀行業等に於ては彼の人に幾程の貸があるとか、それに対して何ういふ抵当が這入つて居るとかいふ事は徳義上或は機密にしなければならない事かも知れ無い。又如何に正直が好いからと云ふて、此品物は幾程で買ひ占めて、幾程の口銭があつて今幾程に売つて居るといふ事を態々世間に振れて歩く必要も無い。けれども是等の事以外に、有るものを無いと云ひ、無いものを有るといふやうな嘘を吐く必要は決して無い。されば真正の商売には先づ機密は無いと見て宜からうと思ふ。
    ▽会社及株主に対する重役の覚悟
 されば苟も株主から選ばれて会社経営の局に当る者は、名誉も資産も悉く多数から、自分に嘱托せられたものと言ふ覚悟が無くてはならぬ。爾うして之に自分の財産以上の注意を払はなければならない事は勿論であるけれども、又一方に於て重役は常に会社の財産は他人の物であるといふ事を念頭に置かなくてはならぬ。一朝自分が株主から信用を失つた場合には、何時でも其会社を去らなければならないといふ覚悟が必要である。凡そ人が或る職に就いて居るのは、必ず多数の希望に依るものであるからして、若し多数の希望が無くなつた場合には何時でも其職を去る可きである。爾うして斯かる場合には公私の区別が直に判別し得らるゝやうになつて居なければならぬ。会社の重役には常に此覚悟が肝腎である。
    ▽殿様重役、デモ重役、悪徳重役
 然るに世間には監査役とか取締役とかいふ虚名を買はんが為に消閑の手段として顔を出して居る所謂殿様重役なる者がある。其浅薄なる考は寧ろ憫笑に堪へたるものであるけれども、希望の小さい代りには罪も無い。次に自分は左程悪心も無いけれども、其事業を経営して行くだけの器量が無い。則ち自分の使用して居る人物の善悪を識別する能力が無い。帳簿を監査する眼識が無い。それが為に知らず知らず誤られて、竟に救ふ可からざる窮地に陥れられる者がある。所謂デモ重役といふので、前のに比べると聊か罪は重いけれども何れも自動的悪意に出でたものでは無い。然るに更に一歩進んで、其会社を利用して自分の栄達を計る踏台にしやうとか、私利私慾を計る機関にしやうとかいふ事になつて来ると、実に許す可からざる罪悪と云はなければならぬ。成る可く株を高くして置かぬと都合が悪いなどいふ意念から、無い利益を有るやうに偽つて配当する。又事実払込まぬ金を払込んだ様に装うて其株主までも瞞着しやうとする。此等は明かに詐欺の行為である。甚しきに至つては会社の金を流用して投機を遣る、之は明かに窃盗の行為である。けれども此種の悪徳は要するに、其局に当る者が根本の精神を誤つて居るから生ずるものである。
    ▽余が事業経営の理想は経世済民にあり
 私は事業を経営するに当つて何時でもそれが正義に合するやうにして行き度いと思つて居る。仮令、其事業が微々たりとも、又自ら利する所が甚だ少くとも、何うかそれが正義に合するやうにして行き度いそれには微力素よりいふに足らないものであるけれども孔子の教訓、即ち論語を標準として、商売をやつて行き度いといふのが私の昔から
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の希望であつた。それには其事業が個人を利するといふよりも多数社会を益して行くものでなければならぬ。多数社会を益するには其事業が繁昌して行かなければならぬ、例へば書物を著すにしても多数の人が続む書物でなくては効能が薄い。著者は常に自分よりも国家社会を利するといふ観念を以て著作に筆を染めなければならないといふ事は曾て三田の福沢先生がいふた事である。商売も其通りで少しでも多く多数社会を益するものでなくては、正義の商売とは云へない。一個人が如何に富んでも社会全体が貧乏であつたならば、其人の幸福は少しも保証され無い。其処で私は天下国家の為に富を致すの法を講じなければならぬといふ考で、明治六年以来野に下つて、会社銀行業に身を委ねる事となつた。
    ▽微塵と雖も公私の別を明かにす可し
 抑も国家を自分一個の家にするといふことは、真正なる立憲国の行政者の為す可き事では無い。是は所謂王道に反く事である。私は明治六年事業界に身を投じて以来未だ曾て一日と雖も此観念を失つた事は無い。第一銀行に於て私は確乎たる勢力と信用とを握つて居る。株も私が一番多く持つて居る。けれども私は明日第一銀行の頭取を罷められても少しも差支へないやうにして居る。則ち第一銀行の財産を渋沢の財産とは塵一本でも混合して居ない。其間には判然たる区別を立てて居る。況んや私が其位置を利用して第一銀行の金で私利利欲を計るといふやうな事は断じて微塵も無いのみならず、時とすれば私は私財を割いて迄も、第一銀行の為に尽し、其基本財産の安固を計つて居る若し世人が私のいふやうに多数社会の富といふ事を基礎として、其事業を経営して行つたならば其間に決して非常の間違の生じやう訳は無いと信ずる。
    ▽阪谷前蔵相と酒匂常明君との関係
 それから日糖問題に就て私の立場を明かにするならば、酒匂といふ人はもと阪谷の紹介で会社に入た人である。製糖業といふものはナカナカ経済財政上大切な事業で、政府に於ても糖業政策として相当の思案も必要な矢先であるから、磯村とか、秋山とかいふ人達にばかり任せて置いたのでは危い、誰か適任の社長はあるまいかと私から阪谷に相談した。処が阪谷が其時農務局長の酒匂君を紹介して呉れた。其処で私も兎に角大蔵大臣の紹介者とし酒匂君を信じて居たのであるが、それが抑も私の不明であつた。酒匂君は案外計算の事に疎い人であつた。即ち計算上の事に関しては極く軽く云へば呑気な人、悪く言へばボンヤリした人であつた。若し酒匂君が今少し早く会社の計算に疑惑を懐いて呉れたならば、或は頽瀾を既倒に回す事が出来たのであつたかも知れない。此点に於て私は飽く迄も不明の罪を免れ得ないものである。
    ▽磯村、秋山は如何なる人物なりし乎
 磯村・秋山などいふ人達は何ういふ人であらうか。之は初から非常に善い人であるとは信じ得なかつた。酒匂君の話によると、磯村といふ男は一種義侠心のある男で、道理至極な事ばかりして居る人では無いけれども、悪事は為さうも無い人であると、マア恁ういふ観察であ
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つた。此辺の人は何れも故意に悪事をするのでは無い、けれども前に言ふた通り利益配当を好くしやうといふ目的から、事実に於ては左程利益の無いものを無理に爾ういふ勘定にしやうとして計算を胡魔化したので、之は詐欺の行為と言はれても仕方が無いのである。其処で酒匂君がいよいよ計算が不安心であるといふので、誰か明識のある人を入れて監査して貰はうといふ事になつて、去年の十一月依頼したのが彼の瓜生君であつた。瓜生君が入社すると忽にして八十五万円の大破綻が明確になつて竟に今回の問題が爆発するに至つたのである。
    ▽相談役として余は如何なる協議に与かりしか
 其処で私は始終酒匂君にも忠告して居た。勘定は明かにして置かなくちやいけない、計算は綿密にしなくちやいけないと、例へば名古屋の製糖会社を買ひ潰すとか、台湾の会社をどうしやうとかいふ相談のあつた時でも、それは甚だ道理至極で無いから止めなくてはいけない併し大里を合併するのは宜い、けれども少し高くはないか――それにしても大里は石炭は廉いし、工場の建築も都合好く出来て居るから少しは高くとも買収して仕舞ふのもよからうといふので大里合併の議が纏つた。其の時は酒匂・磯村・秋山・馬越などが皆一致して事業を拡張したので、それは明治三十九年の事であつた。其後に至つて磯村と秋山とが国会議員の運動をするといふに際しても、私は其不心得を訓して、トウトウ磯村だけを止めさせた。
 それから去年の十一月、瓜生君が監査役として計算を審かにした結果、八十五万円の大欠陥を発見すると、酒匂君は弥々辞表を出すと言ひ出した。其時私は大に酒匂君を責めて君の今の境遇は飽くまでも会社の為に整理を計つて行かねばならぬ。二年間社長として平気な顔で勤続して来たものが今此危急に際して辞職しやうと云ふのは、船長が船を暗礁に乗せて置いて、自分だけボートで遁れやうといふのと同じ事である。今君は会社と生死を共にする覚悟がなくてはならぬ。
玆は君が大に武士道を立てなければならない処であるといふて酒匂君を誡めたのであつた。
    ▽馬越恭平君も亦責任者たるを免れす
 といふて、酒匂君一人を責めるのは無理である。社には酒匂君の外に、取締役として馬越恭平・渡辺福三郎などゝいふ人も居る。此等の諸君は計算上の智識ある人として世間に信用されて居る。馬越君は酒匂君の知合だからといふので、社の仲間が、相談して入れた人であるが、馬越君が入社すると直ぐ大里合併問題が起つた。此時には馬越君も行つて其契約に与つた一人であつた。して見れば会社の実務は、専ら磯村・秋山などが執つて居るとしても、馬越君などは取締役として酒匂君を援けて相当の監督はして居るものと信じて居た。然るに昨年になつて馬越―と酒匂君とは、頻りに計算の事を心配して、最早会社を棄てゝ去らうと云ふ意を仄かした。其処で私は二人を二度ばかり喚んで、それは好かぬ、何処までも会社を改革して、社会に対する責任を尽さなければいけない今になつて出るといふのは余りに卑怯であるといふて厳しく責めた。其処で酒匂君は思ひ止つたけれども、馬越君はどうしても私のいふ事を聞かなかつた。
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    ▽余は断じて実業界より隠退せず
 世間では、私が世間の信用を濫用して妄りに多くの営利事業に顔を出すというて攻撃する者もあるやうであるけれどもそれは実に酷薄な仕打である。何となれば渋沢が経営し、渋沢が相談役になつて居るから、仮令、不正な事があつても渋沢がどうかして呉れるだらうといふ依頼心を持つのは其人の心得違である。其心得違を責めずに唯渋沢が関係して居るのが悪いというて攻撃するのは実に残忍な仕打と云はなければならぬ。私は平生、園遊会にも出ないといふ遣り口の人とは違ふのであるから、相談役になれと云へば承諾する。社長を推薦せよと云へば推薦もする。然しながら相談役位のものに、爾んな些細な点まで分ると思ふのが箆棒だ。それを自分の都合の好い時ばかり引張出して置いて間違が起ると、渋沢それ見ろというて詰責する。大きな御世話だ、馬鹿を云ふなと云ひ度くなる。或は私がやつたればこそ未だ其害が少いのかも知れない。今日倒れかゝつても頽日を虞淵に支へる事が出来るかも知れないでは無いか。
 又、世間に日糖事件に対する責を引いて実業界を退けといふ勧告をするものもあるけれども、私は此際断じて退隠しない。何故かとなれば世間の人が皆爾ういふ具合に、何に一つの事業に失敗する毎に退いて世を送るといふ事になつたならば、国家の前途が思ひ遣られるでは無いか。最も余り多くの事業に関係すると過失の生ずる恐があるといふのも一応無理は無いけれども、爾う云へば世間の人が種々な事をいうて私を引つ張り出すのが悪い。早い話が本誌の主幹野依君にしてからが爾うでは無いか。何故私を名古屋まで連れて行つたか、凡て爾う云ふ風に解釈して行つたならば今回の事も社会の罪と云ひ度くなる。けれども私は不肖と雖自分の責任を自覚して居る。私は決して徒らに退隠するもので無い。