デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
9節 麦酒醸造業
1款 ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド
■綱文

第11巻 p.340-346(DK110051k) ページ画像

明治18年2月(1885年)

是月栄一、後藤象二郎・岩崎弥之助・増島六一郎・独逸人カールローデ等内外人ト共ニ出資シ、横浜ニ於テ米人コープランドノ経営スル麦酒醸造所スプリング・ヴァレイ・ブリユワリーヲ継承シ、新タニ株式組織ヲ以テ資本金五万弗ノジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッドヲ設立ス。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第一七六―一七七頁 〔明治三三年六月〕(DK110051k-0001)
第11巻 p.340 ページ画像

青淵先生六十年史(再版) 第二巻・第一七六―一七七頁〔明治三三年六月〕
 ○第三十七章 麦酒醸造業
    第二節 キリン麦酒
ジヤパンブリユーエリー、コンパニー(日本麦酒醸造会社)ハ横浜在留外国商人ノ設立スル所ニシテ所謂麒麟ビール是ナリ、法学士磯野計明治屋ト称スル商会ヲ開キ頗ル其販売ヲ力ム、広ク東洋諸国ニ輸出シ内地ニモ弘マリ、名声一時ニ高シ、麦酒ノ広告ヲ盛大ニスルコトハ、蓋シ麒麟ビールニ初マル、外国商人等内外共同シテ業ヲ起スノ利アルヲ認メ、先生ヲ勧メテ株主トナシ、明治二十二年七月推選シテ理事員トナス、後二十九年十二月ニ至リ、先生繁劇ナルヲ以テ理事員ヲ辞シ又株主ヲ止ム
   ○右ニ「又株主ヲ止ム」トアルモ、他ニ資料ヲ得ザル故其ノ年月ヲ明ラカニセズ。明治二十九年当会社資本金ヲ六十万円ニ増資シ会社組織ヲ改メタルニ照合シテ、或ハ理事員辞職ト同時ニ株主ヲモ止メタルモノナランカ。本款明治二十二年七月ノ項(第三四六頁)参照。


横浜市史稿 産業編・第六六六―六六八頁〔昭和七年一一月〕(DK110051k-0002)
第11巻 p.340-341 ページ画像

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(麒麟麦酒株式会社)工場巡り(DK110051k-0003)
第11巻 p.341 ページ画像

(麒麟麦酒株式会社)工場巡り
    当会社ノ沿革
○上略
一、明治十八年後藤象次郎・岩崎弥之助・増島六一郎・渋沢栄一・益田孝、カールローデ、ベルツ、カーグウード、グラバ氏其他内外紳士出資ノ下ニ、資本金五万弗ノ株式組織ニ改メ、「ジヤパン・ブリユワリー・コンパニー・リミテツド」ヲ設立シテ香港ニ於テ登録シ、前記事業ヲ継承シ、之ガ経営ノ衝ニ当リタルハゼードツツ、エフ・エ、ス・ゼームス、エル・ヒーリング、シー・ビー・バーナード氏等ニシテ、此時現キリンビールノ商標ヲ市場ニ出スニ及ビ販路忽チ開ケテ輸入防遏ノ実ヲ挙ゲタルノミナラズ、進ンデ東洋各地ヘ輸出ノ魁ヲナスニ至レリ
一、明治二十九年ニハ資本金ヲ六拾万円ニ増資シ、同三十二年ゼ・ジヤパン・ブリユワリー・コンパニー・リミテツドト改称、同三十九年資本金百弐拾万円ニ増資ス
○下略
   ○栄一等ノ設立セルジャパン・ブリュワリー・カンパニー・リミテッドノ資本金ニ関シ「横浜市史稿」ハ五万円ト記セルニ対シ「当会社ノ沿革」ハ五万弗ト記セリ。当会社ハ香港ニ於テ登記シタルヲ以テ、貨幣単位ヲ弗ニ採リ、五万弗トナシタルモノナルベシ。



〔参考〕麒麟麦酒開源記念碑(DK110051k-0004)
第11巻 p.341-342 ページ画像

麒麟麦酒開源記念碑
安政五年、徳川募府が独断専行して国を開くや、欧米人続々として横浜に来りしが彼等は居留地と称せらるゝ一区域の中に居住す、天沼は此居留地に属し嫩草斜に連り、喬木短樹其間を点綴し清泉滾々として崖下に湧き、気清く風軟かに一幅春園の画の如し、明治五年米人ダブリウー・コブランド此処に工場を建設し、スプリング・ヴアレー・ブリ
 - 第11巻 p.342 -ページ画像 
ユワリーと称して麦酒を醸造す、是れ日本に於ける麦酒醸造の開源にして今日の麒麟麦酒株式会社の前身なりとす、明治十八年後藤象次郎伯・岩崎弥之助男・増島六一郎博士・渋沢栄一子・益田孝男・カークウツド、グラバ、ベルツ、カールローデの諸君唱首となつて同志を糾合し、ジヤパン・ブリユワリー・コンパニーと称する合資会社を起してスプリング・ヴアレー・ブリユワリーの事業を継承し、始めて其醸造する厘酒に麒麟麦酒と命名す、明治二十九年更に之を株式会社に改め、ゼ・ジヤパン・ブリユワリー・コンパニー・リミテツドと命名し、前年香港政庁に登録したる事業を日本政府に登録す、明治四十年豊川良平・近藤廉平男・米井源治郎・瓜生震・田中常徳・高木豊三・高田正久・草郷清四郎・今村繁三・磯野長蔵等の諸君主唱して麒麟麦酒株式会社を起し、ゼ・ジヤパン・ブリユワリー・コンパニー・リミテツドの事業を継承して以来資本を増加して事業を拡大し、天沼工場のみにても地域七千五百九十八坪に達せしが、大正十二年の震災に遭ふて工場を鶴見に新築し、之より更に事業を伸張し、満洲・朝鮮にまで分工場を増設す、其初居留外国人の需要に応ずるがために醸造せられたる麒麟麦酒は、其風味と香旨により国民的飲料となりて全国に弥漫し、外国品の輸入を防遏するのみならず却て外国に輸出せらるゝに至る、始めて日本の土を踏む外国人等甕中の玉液を汲み盞内の金波を傾け、図らざりき、日本またミユンヘンビールあり、ガムブリナスの神は扶桑の地をも祝福するかと嘆賞するに至る、麒麟麦酒の発達の跡を見るに一粒の種子が生長繁茂して亭々たる参天の大樹となり、朝暉を受けては丘陵を掩ひ夕陽を負ふて江海を翳ふに至るが如し、今麒麟麦酒株式会社が其発祥の地たる天沼に記念碑を建つるに会ひ、文を撰して其事を誌るす、之を読む者必らず麒麟麦酒株式会社発達の歴史は、日本国勢開展の歴史と其軌を一にするを感ぜん
  昭和十二年一月       竹越与三郎撰 野本白雲書


〔参考〕(麒麟麦酒株式会社)工場巡り(DK110051k-0005)
第11巻 p.342-343 ページ画像

(麒麟麦酒株式会社)工場巡り
    当会社ノ沿革
一、明治五年未ダ日本人ガ麦酒ヲ魔法ノ水ナリト驚嘆セシ時代、米国人コプランドト云フ人ガ横浜山手天沼ニ於テ「スプリングバアーレーブリユワリー」ノ名称ノ下ニ初メテ麦酒ヲ醸造ス、之レ即チ本邦最古ノ歴史ヲ有セル我キリンビールノ前身ナリ
○中略
一、明治四十年、豊川良平・近藤廉平・米井源治郎・瓜生震・田中常徳・高木豊三・高田政久・草郷清四郎(以上故人)今村繁三・磯野長蔵氏等ノ発起ニテ資本金弐百五拾万円ノ麒麟麦酒株式会社ヲ横浜ニ設立シ、事業ノ一切ヲ継承シ此時以来日本人経営ノ衝ニ当リ、規模愈拡張セラレ事業一層盛大ヲ加ヘ、品質ノ改善ニ伴ヒ声価益高マルニ至レリ
一、大正六年資本金ヲ五百万円ニ増額シ、兵庫県神崎ニ神崎工場ヲ新設ス
一、大正十二年資本金壱千万円ニ増額シ、同年更ニ壱千八拾万円ニ増
 - 第11巻 p.343 -ページ画像 
資シ、仙台市ニ於ケル東洋醸造株式会社ヲ合併シテ仙台工場トナセリ
一、同年関東地方大震災ニヨリ横浜工場(本社)烏有ニ帰シ、翌十三年横浜市生麦ニ地ヲ卜シ横浜工場ヲ復興建設セリ
一、昭和三年横浜工場内ニ清涼飲料水工場ヲ新設シ、キリンレモン、キリンサイダー、キリンシトロン、キリンタンサンノ製造ヲ開始セリ
一、昭和四年横浜工場隣接地ニ製壜工場ヲ新設シ、自給自足ノ設備ヲ整ヘタリ
一、昭和七年ニハ酵母剤アミターゼ並ニキリン・スタウトノ製造ヲ開始セリ
一、キリンビール其他清涼飲料水ハ夙ニ宮内省御用品タルノ光栄ニ浴シ、各地ノ博覧会共進会等ニ於テ最高名誉賞牌ヲ授ケラレタルコト挙ゲテ数フベカラズ、当社三工場一ケ年ノ麦酒醸造能力実ニ四拾五万石、清涼飲料水壱万石ニ達スルニ至リタルハ一ニ愛顧各位不断ノ高誼ニ囚ルトコロ、タヾ精励ト誠実トヲ以テ専心コレニ酬ユルノ外ナキヲ痛感ス
    現状(昭和八年五月現在)
 一、資本金      壱千八拾方円
 一、払込金      八百参拾万円
 一、諸積立金及繰越金 八百八拾参万弐千余円
 一、本店所在地    横浜市鶴見区生麦町字明神前拾七番地
    同 出張所   東京市京橋区京橋弐丁目四番地明治屋ビルヂング
 一、工場       横浜工場・製壜工場 横浜市鶴見区生麦
            神崎工場 兵庫県神崎
            仙台工場 仙台市小田原
 一、支店所在地    東京・横浜・大阪・福岡・京城・名古屋・仙台・札幌


〔参考〕構浜市史稿 産業編・第六六五―六七三頁〔昭和七年一一月〕(DK110051k-0006)
第11巻 p.343-346 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。