デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
12節 煉瓦製造業
1款 品川白煉瓦株式会社
■綱文

第11巻 p.496(DK110071k) ページ画像

明治36年6月25日(1903年)

当会社組織ヲ更メ株式会社トナス。栄一株主タリ。


■資料

竜門雑誌 第一六八号・第四三頁〔明治三五年五月二五日〕 ○品川白煉瓦会社の大阪工場新設(DK110071k-0001)
第11巻 p.496 ページ画像

竜門雑誌  第一六八号・第四三頁〔明治三五年五月二五日〕
    ○品川白煉瓦会社の大阪工場新設
品川白煉瓦会社は明治八年の設立にかゝり、最初仏国技師に依て設計し、その後本邦技師及び技手を渡欧せしめ研鑚の末、漸く強熱度耐火の「シリカ」煉瓦製作を発明し、専売特許権を得たるよしにて今回事業拡張の目的を以て、従来合資会社なりしを資本金三十万円の株式組織に改め、出資者並に同志者たる青淵先生・益田孝・馬越恭平・岩下清周・西村勝三・阿部彦太郎・浜崎永三郎等の諸氏発起となり、総株六千の内半数は発起人にて引受け、他半数は公衆より募集することに内決せり、又大阪工場新設の次第は大阪砲兵工廠、住友鉱山を始め各方面の需用益増進したると、一方愛知・岡山の二県下に豊富なる原料地を有する上に、昨年当市附近にて原料を発見し試験の結集、品質善く且材料饒多なるよりこれを買収したれば、大に関西地方の需要に応せんとの計画にして現に当地南区木津三島町に敷地を買入れ、支工場は約十一万円を以て新設の予定なりと云ふ
  ○品川白煉瓦合資会社ハ明治三十六年六月二十五日ソノ組織ヲ変更シ、資本金弐拾五万円ノ品川白煉瓦株式会社トナレリ、取締役社長ハ西村勝三、専務取締役ハ藤村義苗ニシテ、栄一ハ引続キ七千五百円ヲ出資シタリ(同社考課状ニヨル)
  ○当会社ノ以後ノ沿革ハ左ノ如シ。(「日本会社史総覧」(第六五四―六五五頁)〔昭和二九年九月刊〕ニ依ル)
    当社は明治八年、故西村勝三氏がフランス人ペレゲレン氏の指導により仮工場を東京芝浦のガス工場附属地内に設け耐火煉瓦の製造を開始したのに始まる。明治十七年深川に移転拡張し、同二十年更に品川に移転して品川白煉瓦製造所と称した。同三十三年合資組織となり、同三十六年六月資本金二十五万円の株式組織に改め、玆に当社の設立をみたのである。
    明治三十八年資本金五十万円に増資し湯本工場を新設した。翌三十九年十一月資本金百万円、大正二年四月資本金二百万円に増資した。
    大正六年三月日本窯業株式会社を合併し、岡山工場を創設した。同七年七月増資して資本金三百五十万円となり、昭和三年十月岡山第二工場を新設した。同九年一月資本金二百五十万円に減資し、同十一年一月五百万円に増資した。同十二年十二月岡山第三工場を新設した。同十三年九月一千五百万円に増資し、十四年九月黒田炭礦を買収した。
    昭和二十三年十二月増資して資本金七千五百万円となり、二十七年四月更に増資して資本金一億五千万円となつた。なお同二十五年品川鉱業株式会社を合併して三石砿山を加えた。又同二十六年三月米国ゼネラル・レフラクトリーズ会社の副社長社ラツセル・ヒユーエル博士と特許ライテツクスの日本における製造販売の独占契約を結んだ。