デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
12節 煉瓦製造業
2款 日本煉瓦製造株式会社
■綱文

第11巻 p.549-553(DK110079k) ページ画像

明治27年4月13日(1894年)

是ヨリ先明治二十三年、当会社、回漕部ヲ新設シテ水運ニヨル輸送ヲ計リシモ当今ニ至リテ漸クソノ不完全ナルヲ示ス。依ツテ新タニ社債ヲ募集シテ深谷・工場間ニ鉄道ヲ布設セントシ、是年一月九日諸井・北川両人ハ栄一ヲ深川邸ニ訪ヒ陳情スル所アリ。栄一コレヲ了承シ、是日開カレタル株主総会ニ於テ該案議決サル。栄一右鉄道敷設ニ尽力シ、明治二十八年七月十八日開通ス。


■資料

青淵先生六十年史 (再販) 第二巻・第二四三―二五〇頁 〔明治三三年六月〕 【○第四十二章第二節目本煉瓦製造会社 青淵先生ト我社トノ関係(諸井恒平述)】(DK110079k-0001)
第11巻 p.549-551 ページ画像

青淵先生六十年史(再販)  第二巻・第二四三―二五〇頁〔明治三三年六月〕
 ○第四十二章第二節目本煉瓦製造会社
    青淵先生ト我社トノ関係(諸井恒平述)
○上略 然ルニ二十四五年ノ交、碓氷鉄道工事ノ煉瓦ヲ引受ケ、製品ノ大部分ヲ此ノ方面ヘ仕向クル事トナルヤ、東京方面ノ輸送大ニ減少シテ水運俄然閑却ヲ告ケ、折角膨脹セシ運輸力ハ忽チ一大頓挫ヲ見ルニ至レリ、斯クテ二十五年ノ末期碓氷工事納終結シテ、再ヒ東京方面ノ輪送頻繁ヲ来タサントスルヤ、一度退縮セシ水運ハ既ニ伸張力ヲ失ヒテ又タモヤ渋滞混乱ノ旧時ニ復セルソ是非ナキ、是レ船夫等カ一時活路ヲ失ヒ離散セルモノ少カラサリシト、元来一葉ノ小舟年ト倶ニ老朽其用ニ堪ヘサルモノヲ生セル等ニ基因セルナリ、爾来百方其回復ヲ計リシカト、遂ニ前年ノ盛時ニ及フ能ハサリシノミナラス、輸送力萎縮斯クノ如クナルヲ以テ、折角鋭利ナル機械焼窯モ為メニ其ノ驥足ヲ伸フルニ由ナク、僅ニ半数若クハ三分ノ一ノ製造ヲ為スニ過キス、而シテ製造減縮ノ結果ハ亦タ勢ヒ原価ヲ高ムルニ至ル、殊ニ吾社ノ如キ負債ノ為メニ巨額ノ利子ヲ支払フモノニ在ツテハ、此ノ原価ヲ高ムルノ割合愈々甚シク、其販路ニ影響スル実ニ尠少ナラス、単ニ運輸機関ノ不備ナルカ為メ、工場ハ常ニ停滞品ヲ以テ充満シ、毎期ノ計算多少ノ損失ヲ免レストハ豈ニ千古ノ恨事ナラスヤ
原来利根ノ水運タル吾工場ヨリ東京ニ至ル水路ノ延長無慮三十里、其ノ下流ニ在リテハ舟楫ノ便稍々備レリト雖モ、上流ニ進ムニ随ヒ次第ニ狭クシテ且ツ浅ク、僅カニ脛ヲ没スルニ過キス、殊ニ冬季ニ入テハ蕭条タル枯川中流数尺ノ間漸ク水深五六寸ヲ保ツノミ、斯ク一道ノ河流深浅不定ナルヲ以テ、随テ大中小三種ノ船隻ヲ備ヒ、工場ヨリ東京ニ至ルノ間実ニ数回ノ積替ヲ為サヽルヘカラス、其ノ煩累名状スルニ堪エス、加之和船ノ操縦ハ一ニ陰晴不定ノ天候ニ依頼スルヲ以テ、性質上既ニ不規則ナルニ、之ニ従事スル船夫ハ目ニ一丁字ナキ蒙眛漢多クシテ、天候順良ノ場合ニモ、嚢中酒食ノ資絶ヘサル限リハ、東漂西泊シテ業ニ就カス、抑モ此ノ輩ニ対シテ規律的動作ヲ望ムカ如キ、所
 - 第11巻 p.550 -ページ画像 
謂木ニ縁テ魚ヲ求ムルノ類ニシテ、要スルニ到底文明的運輸機関タルノ資格ナキモノナリ、然ルニ之ヲ以テ当今ノ実用ニ供セントセシハ、恰モ十九世紀ノ戦争ニ火縄銃ヲ以テセントスルモノ、其ノ一敗地ニ塗ルヽニ至ルヤ亦タ当然ノミ、而シテ青淵先生先見ノ明爰ニ至テ益々明ラカナリ
此ノ時ニ当リ施スヘキノ策唯々一アルノミ、曰ク断然上敷免・深谷間ニ鉄道ヲ布設スルコト即チ是レナリ、今ヤ秋葉延長線既ニ成リ、隅田川線亦タ将サニ竣工セントス、予ト北川氏トハ千思万考社運回復ノ計是ヲ措テ他ニ策ナキヲ信シ、陰カニ相議シテ曰ク、此ノ鉄道ヲ成功センニハ啻ニ巨額ノ資金ヲ要スルノミナラス、敷地買収テウ一大難関ナ《(ア)》リ、吾々ノ微力ナル其成否未タ知ル可カラス、然レトモ吾々不肖ノ身ヲ以テ先生ノ知遇ヲ受ケ、此ノ難局ニ当リタル以来、或ハ増資ニ或ハ募債ニ必要ノ建策ハ尽ク用ヰラレサル莫キモ、不幸ニシテ社業ノ不振今日ノ如シ、不得已ニ出テシモノアリトハ言ヘ、亦タ誠ニ漸愧ニ堪ヘサル所ナリ、而カモ斯クノ如クシテ荏苒日ヲ経クルハ、啻ニ先生ノ知遇ニ酬ユル所以ニ非サルノミナラス、私ニハ俸禄ニ眷恋スルノ誹リヲ免レサルヘク、公ニハ益々吾社ヲ衰運ニ導クノ罪ヲ重ヌヘシ、真ニ是レ男子無上ノ恥辱ナリ、故ニ吾々ハ爰ニ最後ノ一策ト信スル鉄道問題ヲ提議シ、幸ニ採納セラルレハ、万難ヲ排シテ其ノ必成ヲ期スヘク、不幸言用ヒラレスハ潔ク処決スヘキノミ、今ヤ区々タル事情ニ拘泥シテ躊躇逡巡スルノ秋ニアラスト、乃チ明治廿七年一月九日、二人携ヘテ青淵先生ヲ深川ノ邸ニ訪ヒ、交々相陳情ス、先生之ヲ傾聴シ沈思セラルヽコト数刻、口頭果シテ如何ナル語ヲ迸リ出テンカ、諾カ将タ否カ、両人ノ運命実ニ此ノ一刹那ニ在リ、腋下冷汗ノ滴ルヲ覚エス《(ヌ)》、已ニシテ先生口ヲ開テ曰ク、今日ノ場合鉄道布設ノ外復タ策ナキハ余モ同感ナリ、累年ノ蹉趺ニ由リ、株主ノ意向如何ハ計リ難シト雖モ、余ハ断シテ其成功ヲ計ルヘシ、就テハ株主総会ニ必要ナル布設費ノ予算及ヒ線路踏査等ハ、総ヘテ日本鉄道ノ毛利副社長ニ依頼スヘシト、直チニ添翰ヲ認メテ附与セラレヌ、此ノ時ニ於ケル吾々ノ感慨果シテ如何、吾々ノ社務ニ当ル固ヨリ誠意ヲ旨トセルモ、然カモ既住ヲ顧ミレハ遺策又タ尠ナカラス、然ルニ先生ノ雅量一言玆ニ及ハス、言下ニ此ノ大問題ヲ決セラル、是レ決シテ尋常人ノ為シ能ハサル所ナリ、嗟乎人生意気ニ感ス、苛モ吾々生命ノアラン限リ断シテ社業ヲ完フシ、此ノ信任ニ答ヘスシテ已ムヘケンヤト、両人相顧ミテ感涙ニ咽フ、爰ニ於テカ即日毛利氏ヲ訪問シ請フ所アリシニ、氏モ亦快然之ヲ諾セラレタリ、而シテ事ハ総ヘテ同社保線課長国沢能長氏ノ担任スル所トナリ爾来線路ノ踏査経費ノ予算等着々其歩ヲ進メ、地所買収モ略ホ見込立タルヲ以テ、遂ニ此ノ年ノ三月深谷・上敷免間鉄道敷設案及ヒ其建設資金参万六千円ヲ株主中ヨリ募集スルノ議案ヲ株主総会ニ提出スルニ至レリ、総会席上果シテ議論百出セリ、甚シキハ此ノ上出資ヲ要スルカ如クンハ、寧ロ持株ヲ放棄スルニ如カスト、極言スルモノアルニ至ル、左モコソアラメ、創立以来幾年月ヲ経ルモ一銭ノ配当スラ為サス却テ或ハ増株ト称シ或ハ社債ト唱エ、殆ト底止スル所ナキ有様ナレハ株主ノ容易ニ首肯セサルモ決シテ無理ナラシ、然レトモ重望アル先生
 - 第11巻 p.551 -ページ画像 
ノ慇懃ニ説明セラルヽアリ、三井・蜂須賀ノ両家ヲ代表セル益田・故藤本ノ両取締役亦タ熱心ニ斡旋セラレシカハ、衆議爰ニ一決シ、社債ノ大部ハ先生ヲ始メ蜂須賀・三井等ノ大株主之ヲ引受ケラルヽノ予定ヲ以テ、遂ニ該案ノ成立ヲ見ルヲ得タリ、思フニ吾社ノ今日アルハ全ク此ノ案ノ賜ニシテ、而シテ青淵先生微リセハ、此ノ案ハ決シテ成立スル能ハサリシヤ必セリ、吾社ノ先生ニ負フ所実ニ斯クノ如ク深且ツ大ナリ
斯クテ鉄道布設ハ愈々実行ニ着手セラレタリ、而シテ其第一問題ハ予テ交渉協議中ナル地所買収ノ件ナリキ、予期ニ違ハス種々ノ故障ハ紛出セリ、素ヨリ該鉄道タル一会社ノ私用ニ供スルモノナレハ、買収上土地収用法ヲ適用スル能ハサルハ論ヲ俟タス、唯々恃ム所ハ懇談ニアリ哀願ニアルナリ、然ルニ敷地ノ総反別ハ僅カニ三町余歩ニ過キスト雖モ、其ノ地主ハ百十余名、経過スル所ハ一町四箇村ニ跨ル、且ツ広ク関係町村ノ同意ヲ得ルノ容易ナラサルハ勿論、最小ノ地主一人ノ異議者アルモ全線路ノ成立セサル虞アリ、実ニ此ノ間ニ処スル苦心惨憺ハ殆ント今ヨリ想像スヘカラサルモノアリシカ、之レニ対スル社員ノ熱心尽力ハ実ニ非常ナルモノニシテ、職工人夫ノ末輩ニ至ルマテ狂奔熱中、万一此ノ事ノ成ラサルニ於テハ如何ナル珍事ヲモ惹起シ兼ネマシキ形勢ヲ示スニ至ル、先生深ク其成行ヲ気遣ハレ、親シク同地ニ臨ミ、重立タル人々ト会見シ、懇談ヲ竭サルヽ等、一時ハ成否如何カト危フマレシ程ナルモ、此ノ地一帯先生ノ旧里ニ接シテ其ノ高徳ヲ慕フノ情一層切ナルモノアリ、且ツハ吾社多年ノ悲境ニ対シ同情ヲ表スル人モ少カラサリシトニ依リ、遂ニ万難ヲ排シテ、此ノ年七月全ク地所買収ノ目的ヲ達スルヲ得タリ、此ノ間地方名望家ニテ熱心斡旋セラレタル諸氏ノ内大谷藤三郎・金井元治両氏ノ如キハ、数十日間殆ント家事ヲ擲チテ尽瘁セラレタルハ、吾社ノ深ク感謝スル所ナリ、偖敷地問題モ首尾能ク落着シタレハ、直チニ其筋ニ向フテ布設願書ヲ呈出セシニ、此ノ鉄道ハ一種特別ニシテ、所轄県庁ニ先例ナク、為メニ内務省トノ照会往復ニ意外ノ日子ヲ費シ、漸ク翌二十八年三月布設認可ノ指命アリタリ、是ト前後シテ予テ英国ヘ注文セルレール亦タ到着セシヲ以テ、同年同月工ヲ起シ、六月全ク功ヲ竣リヌ、其線路ハ日本鉄道深谷停車場ヨリ北ヘ向ツテ分岐シ、同駅ノ東端ニテ中山道ヲ横キリ、西島・原ノ郷・明戸・上敷免等ノ諸村ヲ経テ工場内小山川沿岸煉瓦置場ニ達スルモノニシテ、延長弐哩四分ノ三、軌隔三呎六吋即チ日本鉄道線ト同一ナリ、工事請負ハ国沢能長氏ノ紹介ニ依リ本間英一郎氏ヘ托セルモ、線路踏査工事設計及ヒ監督等ハ総ヘテ国沢氏自カラ之ニ当ラレ、殊ニ氏カ義侠心ヲ以テ親切ニ簡捷ニ始終一日ノ如ク尽力セラレタル労ハ、吾社ノ最モ多シトスル所ナリ
吾々カ社業ノ興廃此ノ一挙ニ在リトシテ、一同寝食ヲ忘レ、全力ヲ傾注シ、職工輩ニ至ルマテ日夜其成行如何ヲ焦慮セシ鉄道布設ノ大問題モ愈々爰ニ大団円ヲ告ケ、小山河辺煉瓦畳々タル所、汽笛遠ク鳴リ列車戞々ノ声ヲ聞クニ至リテハ、喜ヒ極テ泣カントセルモノアリシモ無理ナラスト謂フヘシ ○下略

 - 第11巻 p.552 -ページ画像 

日本煉瓦製造株式会社所蔵文書(DK110079k-0002)
第11巻 p.552 ページ画像

日本煉瓦製造株式会社所蔵文書
評議第四四一号            日本煉瓦製造株式会社
  理事                 支配人(印)
                     監督
    株主惣会開設ノ件
来三月 日左ノ事項ニ依リテ当会社株主通常惣会及臨時惣会相催シ且ツ臨時惣会議案別紙ノ通決定相成可然哉、此段及御評議候也
 一時日 廿七年四月十三日午前九時
 一会場 第一国立銀行楼上
 一会議ノ目的
  一、明治廿六年下半期諸勘定及ヒ事業報告
  二、取締役及ヒ監査役撰挙
      以上通常惣会
  一、深谷停車場ト上敷免工場トノ間ニ金参万六千円ヲ以テ、凡三哩ノ鉄道ヲ布設スルノ件
  二、深谷・上敷免間鉄道布設費及第二社債ノ償却ニ供用スルノ目的ヲ以テ、社債金五万六千円ヲ募集スルノ件
      以上臨時惣会
  明治廿七年三月


(日本煉瓦製造株式会社)営業報告 第一一回(明治二七年七月)(DK110079k-0003)
第11巻 p.552 ページ画像

(日本煉瓦製造株式会社)営業報告  第一一回(明治二七年七月)
    庶務報告
株主惣会ノ事 明治廿七年四月十三日通常及臨時総会ヲ第一国立銀行楼上ニ開キ○中略引続キ臨時総会ヲ開キ、深谷停車場ト上敷免工場トノ間ニ金三万六千円ノ予算ヲ以テ凡三哩ノ鉄道ヲ布設スルノ件、並ニ深谷・上敷免間鉄道布設費及ヒ第二社債二万円ノ償却ニ供用スルノ目的ヲ以テ、社債金五万六千円ヲ株主中ヨリ募集スルノ件ヲ議決シタリ


(日本煉瓦製造会社)営業報告 第一二回(明治二八年一月)(DK110079k-0004)
第11巻 p.552 ページ画像

(日本煉瓦製造会社)営業報告  第一二回(明治二八年一月)
    庶務報告
鉄道敷設ノ事 明治廿七年四月十三日臨時株主惣会ニ於テ議定シタル深谷工場間ノ鉄道布設ハ、八月ニ至リ敷地購入ノ談判漸ク整ヒ、九月中ニ於テ登記ヲ決了セリ、軌条ハ横浜セール商会ヨリ購入シ、十二月中到着セリ、而シテ敷設許可願ハ本年七月其筋ヘ呈出シ、爾来督促数次ニ及フモ未タ許可ノ沙汰ニ接セズ、許可次第工事ニ着手シ次期中ニ於テ成功セシムル予定ナリ


(日本煉瓦製造会社)営業報告 第一四回(明治二九年一月)(DK110079k-0005)
第11巻 p.552-553 ページ画像

(日本煉瓦製造会社)営業報告  第一四回(明治二九年一月)
    庶務報告
鉄道建築ノ事 当社深谷工場間《(工場深谷)》ノ鉄道敷設工事ハ明治廿八年七月五日試運転ヲ施行シ、同七日逓信省ノ監査ヲ受ケ、同十八日ヨリ運輸ヲ開始ス、其工事ノ施設大ニ満足ノ結果ヲ得タルニ付、工事ノ監督ヲ
 - 第11巻 p.553 -ページ画像 
委嘱シタル日本鉄道株式会社国沢能長工事施行者本間英一郎ノ二氏ニ向ヒ謝意ヲ表セリ、該建築費惣額ハ金三万九千九百四拾円三拾五銭三厘ナリ


諸井恒平氏談話(DK110079k-0006)
第11巻 p.553 ページ画像

諸井恒平氏談話
○上略
 上敷免と深谷を結ぶ鉄道の敷地買収のために、先生を患はしたのは――さう、一度深谷まで行つていたゞいた事がありました。深谷の山本といふ旅館料理店――今はありませんかな、中山道から駅へゆく途中、駅の前ではないが近いところ――で土地の有力者を会合してその席上で煉瓦会社が当時難関に蓬着して困難の事情を説き、その打開には運輸機関を備へるのが第一であるが、今日の悲境を救はふと云ふには、鉄道の敷地を高く売られたのではやつて行けない、宜しく地元の方々の御尽力をたのむといふ御挨拶でした。何でも明治二十七年の六月か七月頃でした。又その頃大谷藤三郎・金井元治両氏を東京に呼んで、第一銀行で前云ふた様の趣旨を述べて尽力を依頼した事もあります。
 鉄道国有問題に就き、先生が井上馨なとゝ共に反対意見であつた事は、屡々伺ひましたが、会社としてはもとより反対なので、国有の劃一主義から従来日本鉄道会社との特約による運賃の割引率を減ぜられて、大に迷惑したものです。始めから劃一の運賃だつたら、会社は到底やつて行けなかつたらうと思ひます。