デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
12節 煉瓦製造業
2款 日本煉瓦製造株式会社
■綱文

第11巻 p.556-558(DK110081k) ページ画像

明治42年6月6日(1909年)

是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK110081k-0001)
第11巻 p.556 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年
六月六日 雨冷
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、諸関係会社ノ業務担当者ヲ会シテ、都テ其職務辞退ノコトヲ懇話ス、来会中種々《(者脱カ)》ノ論説アリシモ、切ニ之ヲ慰諭シ、一同ト共ニ午飧シ、後更ニ談話ヲ継続セシモ、一同ハ尚各会社将来ノコトヲ懸念シテ止マサリキ○下略


竜門雑誌 第二五三号・第四七―四九頁〔明治四二年六月〕 青淵先生の各種関係事業引退(DK110081k-0002)
第11巻 p.556 ページ画像

竜門雑誌  第二五三号・第四七―四九頁〔明治四二年六月〕
    青淵先生の各種関係事業引退
我青淵先生○中略本月六日従来関係深かりし左の諸会社の諸氏を兜町の事務所に招き其旨○辞任を発表して懇ろに趣旨の在る所を説明せられ、尋で同日附を以て左記の如き辞任書及書状を発送せられたり
○中略
           日本煉瓦製造株式会社
                 専務取締役 諸井恒平君
○中略
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何何役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
    書状
拝啓、時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及び候に付ては関係事務を減省致度と存じ、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共向後とて従来の御交誼上、必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度候、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日          渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及び職任は左の如し
○中略
 日本煉瓦製造株式会社同上○取締役会長
○下略

 - 第11巻 p.557 -ページ画像 

日本煉瓦製造株式会社所蔵文書(DK110081k-0003)
第11巻 p.557 ページ画像

日本煉瓦製造株式会社所蔵文書
評議第八四六号            日本煉瓦製造株式会社
  専務取締役
  取締役
  監査役
    渋沢取締役会長辞任ニ関スル件
当会社取締役会長タル渋沢男爵ニハ今回第一銀行其他一二ヲ除キ、関係事業会社銀行等ノ重役相談役一切ヲ辞任セラルヽニ付キ、当会社取締役会長ノ儀モ同時ニ辞任セラルベキ旨ヲ以テ、別紙辞任書提出被致候、仰当会社ハ創立ノ当初ヨリ男爵ヲ中心トシ爾来二十余年間全ク其扶掖ノ下ニ今日アルヲ致シ、今後又男爵ノ指導ニ待ツトコロ多大ナル場合ニ当リ、一朝ニシテ其扶掖ノ下ヲ離レ候事、誠ニ憂慮ノ至リナルモ、男爵今回ノ挙タル多年ノ宿志ニ出テ其決心牢乎動カスベカラス、加之男爵ノ辞意タル単ニ其名籍上ノ関係ヲ去ルニ在リ、其実業界ニ貢献セラルヽノ誠意ハ将来亦タ既往ノ如クナルハ男爵ノ厚ク言明セラルル所ナレバ、此際強テ留任ヲ懇請スルカ如キハ徒ラニ男爵ヲ煩ハスニ過キザルヲ以テ、已ムヲ得ズ玆ニ男爵ノ辞意ニ服従スルコトヽシ、之ニ伴フ今後諸般ノ措置ニ付テハ左記ノ如ク之ヲ処理シ可然哉
一男爵多年ノ功労ニ対シ敬意ヲ表スルノ方法ハ来月ノ株主総会ニ提案シ之ヲ決定スルコト
二追テ適当ノ機会ヲ得ルニ至ルマテ取締役会長ヲ置カズ、現在ノ役員組織ノ下ニ社務ヲ処理スルコト
 但従来ハ取締役ノミヲ以テ重役会ヲ組織シタルトコロ、今後監査役干与スルノ制ニ改ムルコト
三今後重要社務ニ付テハ特ニ男爵ノ指教ヲ請ヒ其承認ヲ得テ施行スルコト
右及御評議候也
  明治四十二年六月十七日
  ○別紙先生辞任書ナシ。


実業之世界 第六巻第七号〔明治四二年七月〕 余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)(DK110081k-0004)
第11巻 p.557 ページ画像

実業之世界  第六巻第七号〔明治四二年七月〕
  余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)
    ○日本煉瓦製造株式会社
            (明治二十年十月設立払込資本三十万円配当年二割渋沢男は当会社の取締役会長)
大分堅固な会社で、資本は僅かであるが基礎は鞏固である。此の程出火のために六箇の釜が二箇焼けて、七八万円の損をしたが是とて大した打撃ではなかつた。此の会社は諸井恒平と云ふ人が専務でやつて居るが、私が辞職しては固る《(マヽ)》と云ふ。併し开んな事を云つて人を困らしてはならぬ。親の乳も、大人になつては飲むものでないと云つたやうな次第であつたが、会社の内部の経営に於ては私が退いても左程困るやうな事はない。只、世間に対する事件の生じた時には困る事があるであろう。

 - 第11巻 p.558 -ページ画像 


〔参考〕渋沢栄一 書翰 諸井恒平宛(年未詳)五月一一日(DK110081k-0005)
第11巻 p.558 ページ画像

渋沢栄一 書翰  諸井恒平宛(年未詳)五月一一日
                    (諸井恒平氏所蔵)
拝啓然者本日之臨時株主総会ニハ差支有之出席仕兼候、可然御取扱可被下候、補欠取締役ハ曾而内話之如く竹井君ニ相願度候ニ付、来会諸氏ニ異見無之候ハヽ其通リ御取極可被下候、もし右之外社務ニ付御評議を要し候事共御坐候ハヽ跡より相伺候様仕度候
別紙ハ小印返上仕候右申上度 勿々不一
  五月十一日 渋沢栄一
諸井恒平様


〔参考〕渋沢栄一 書翰 諸井恒平宛(年未詳)七月二四日(DK110081k-0006)
第11巻 p.558 ページ画像

渋沢栄一 書翰              諸井恒平宛(年未詳)七月二四日
                    (諸井恒平氏所蔵)
再度之御状拝見仕候、当季之計算も恰好之結果を得、不相替御尽力之事と別而陳謝仕候、明日之集会ニハ是非出席仕度候得共、両三日来所労之為報告書之一覧延引いたし為メニ御手数相掛申候、益田氏監査役之義者太郎ニて差支無之と存候、明日之総会ニ取極可申候、右拝復如此御坐候 不宣
  七月廿四日             渋沢栄一
    諸井賢契
       拝復


〔参考〕渋沢栄一 書翰 諸井恒平宛(年未詳)一〇月四日(DK110081k-0007)
第11巻 p.558 ページ画像

渋沢栄一 書翰  諸井恒平宛(年未詳)一〇月四日
                     (諸井恒平氏所蔵)
別紙素地成形器建設之位地ハ、此程工場一覧之際承リ及不申候ニ付而ハ、其中御来訪御説明被下度候也
  十月四日                 栄一
    諸井恒平様