デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
15節 造船・船渠業
4款 函館船渠株式会社
■綱文

第12巻 p.66-73(DK120007k) ページ画像

明治39年4月2日(1906年)

明治三十五・六年以来当会社経営困難トナリ危殆ニ瀕スルヤ、同三十九年一月栄一、近藤廉平等ト共ニ整理委員ニ推サレ善後策ヲ講究ス。是日第十八回臨時総会ニ於テ会社ノ方針定マリ、取締役改選ニ当リ栄一、男爵川田竜吉・川田豊吉ヲ新任取締役ニ指名ス。後同月十二日再ビ相談役ニ就任ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK120007k-0001)
第12巻 p.66-67 ページ画像

渋沢栄一日記 明治三九年
一月二十六日 晴 風ナシ午後ヨリ風寒シ
○上略五時帝国ホテルニ抵リ、函館船渠会社ノコトニ関シ園田実徳氏等
 - 第12巻 p.67 -ページ画像 
現任役員等ノ陳述ヲ聞ク、近藤・加藤・大倉・浅野・梅浦諸氏来会ス夜十時過帰宿ス
二月八日 曇 風寒シ
○上略午後三時偕楽園ニ抵リ函館船渠会社ノ委員会ニ出席ス、近藤・加藤・浅野・大倉等来会ス○下略
三月五日 曇 寒
○上略午後二時商業会議所ニ抵リ、函館船渠会社委員会ニ出席ス○下略
四月十二日 半晴 微寒
起床後庭園ヲ散歩ス、七時朝飧ヲ畢ル、川田竜吉・岡本忠蔵二氏来リ函館船渠会社ノ相談役ヲ依頼セラル、懇望ニヨリテ之ヲ承諾ス○下略
五月十六日 半晴 暖
○上略午前十時郵船会社ニ抵リ、近藤氏ト共ニ函館船渠会社ノコトヲ談ス、十二時加藤正義氏ヲ訪ヒ海外行ヲ送別ス○下略
五月十九日 半晴 暖
起床後庭園ヲ散歩シ六時過入浴畢リテ朝飧ヲ喫ス、岡本忠蔵氏来リ函館船渠会社ノコトヲ談ス○中略午後二時日本郵船会社ニ抵リ函館船渠ノコトヲ談ス○下略
   ○四月二日東京地学協会ニ於テ函館船渠株式会社第十八回臨時株主総会ヲ開催、栄一出席セルモ、栄一日記ニハコノ日ノ記事ヲ欠ク。
   ○六月八日東京ヲ発チテ朝鮮ニ赴ク。


函館船渠株式会社四十年史 第一〇〇―一〇八頁〔昭和一二年六月〕(DK120007k-0002)
第12巻 p.67-71 ページ画像

函館船渠株式会社四十年史 第一〇〇―一〇八頁〔昭和一二年六月〕
 営業成績は三十七年上半期には一万五千円、同年下半期には四万七千円、三十八年上半期には五万七千円、同年下半期には八万三千円の欠損を生ずる有様であつた。それで「安田銀行よりの借入金六十万円の返済期限明治三十八年二月二十八日に先立ち返済期を延期し、更に利子を引下げて、新に十五万円を借入れる」決議を三十八年一月二十八日の臨時株主総会でなしたのであつたが交渉纏らず、同年十月安田銀行より返済不可能ならば差押へるといふきつい督促に遭つた。之に対し重役、支配人等協議の上六十万円金策の為、否会社の死活問題の為めに翌三十九年一月四日重役は揃つて上京して、善後策について渋沢・近藤・大倉・加藤に諮り、数度会合し、同年一月三十一日午後三時第十九回定時株主総会後引続き第十七回臨時総会を東京地学協会に於て開き、安田銀行借入金信托法によるの議を提出したるも委員と重役が尚充分協議、調査の後再び株主に諮るべき事となり、悲観の極にあるを想はしめた。即ち安田銀行借入金信托法による件を十名の委員に付託することに決定し、同年二月八日第一回委員会を東京市偕楽園に開き、商議の結果名案もなかつたので近藤委員の推選により技術家にして、且船渠業の経営に経験ある男爵川田竜吉及び工学士川田豊吉を実地につき船渠の視察及業務の調査を嘱託し、その意見を確かめた上、更に委員会を開く事に決した。そこで三十九年二月川田男爵並に川田豊吉両名が、岡本取締役、松下監査役、山口支配人と共に来函し種々調査を行ひ、その結果を同年三月五日東京商業会議所に於ける第二回委員会で報告した。その調査報告は次の如くで
 - 第12巻 p.68 -ページ画像 
    函館船渠株式会社調査報告
 函館船渠株式会社ハ地位ヲ北門枢要ノ港ニ占メ、北海唯一ノ船渠業タルニ拘ハラス、其営業振ハサルハ、開業日浅ク、加フルニ日露戦争ノ為メ顧客タルヘキ船舶ノ入港減少セル等、其他種々ノ原因アルヘシト雖モ、其重ナルモノハ、職トシテ資金乏シク、船渠ニ適応スル設備ノ全カラサルニ由ル、故ニ会社ノ悲《(脱アルカ)》ヲ挽回シテ充分ナル効果ヲ挙ケ、営業ノ光明ヲ認メントスルニハ、先以テ其設備ヲ完全ニシ、営業ノ発展ヲ図ラサルヘカラス、今其設備ノ概要ヲ左ニ挙示スヘシ
一、船渠ヲ使用スル上ニ於テ、強力ナル曳船一艘ヲ所有スルヲ急務ナリトス、若シ会社ニ於テ百噸位ノ曳船ヲ有セサルニ於テハ二千噸位ノ船舶ヲ入渠セシムルニモ作業上困難ヲ感ジ、些少ノ風波ヲモ顧慮シテ、遂ニハ入渠ノ時期ヲ失シ、不利益ヲ見ルニ至ルコトアル故ニ設備ノ完完《(全)》ヲ期スルニハ、先以テ強力ナル曳船ノ設ヲナサヽルヘカラス、其他現場実地ノ調査ニ依レバ、船渠、造船ノ事業上現在設備ノ諸機械類ニテハ未タ不充分ニシテ、尚機械類ノ設備ヲ要スルモノ及営業用ノ建物ニシテ尚ホ適当ノ設計ヲ以テ建設ヲ要スヘキモノナシトセス、殊ニ会社現時ノ状態ヲ観察スルニ、其資本充実セス、融通資本全ク欠乏スト云フモ過言ニ非サル程ニシテ、会社事業ノ経営上非常ニ困難ヲ極ムルノミナラズ、如斯ハ会社ノ事業ヲ発展セシムル道ニアラサルニ依リ、此際融通資本ヲ豊富ナラシムルハ最モ急務ナリト信ス
 以上ノ設備ヲ為スニ付、将来会社ニ要スヘキ金額ヲ計上表示スルハ大略左ノ如シ
 一、金弐拾五万円 材料品代
 一、金弐拾万円 工場設備拡張及改良費(別表参照)
 一、金拾五万円 流通資本
   計金六拾万円
 右述フルカ如ク会社カ其事業ノ成功ヲ期セントスルニハ、少ナクトモ前記ノ設備ヲナシ、一面顧客ニ満足ヲ与ヘ、一面会社ノ収益ヲ計ルノ法ニ出サルヘカラス、尤モ船渠前面ノ海底ヲ浚渫スルノ必要アリト雖モ、現ニ二十二呎ノ水深アリト云フヲ以テ、六千噸迄ノ貨物船ハ収渠シ得ヘキニ依リ、此際強テ資金ヲ浚渫事業ニ投スルノ要ナク、寧ロ前記ノ曳船機械材料等ノ設備ニ投入スルノ得策ナルニ如カス、素ヨリ船渠前面ノ水深ハ該船渠ニ対シ、二十二呎ヲ以テ足レリトスルニ非ルモ、会社所有ノ「プリストマン式」浚渫機ヲ以テ漸次工事ノ繁閑ヲ見計ラヒ、適当ニ工夫ヲ監督使役シテ、徐々ニ浚渫ヲ為スニ難カラス、又会社ノ現状ヲ観察スルニ、船渠ニ収容スヘキ船体小型ナレバ、従テ多クノ水量ヲ排除セザルヲ得スシテ、之レカ失費ヲ要スル尠ナカラサルヨリ、自然小型船舶ノ収渠ヲ嫌フカ如キ傾アラサル乎、若シ果シテ然リトセバ是レ洵ニ会社ノ為メ採ラサル所ナリ、元来船渠業ハ船渠、船架ノミヲ以テ賃貸的ニ営業スル業務ニ非スシテ、其主トスル処ハ船舶修繕工事ニ在ルハ言ヲ俟タス、故ニ船渠ノ方面ニ於テ多少ノ失費ヲ来シ、又多少ノ不利ヲ見ルトスルモ其修繕工事ノ方面ニ於テ之レヲ償ウテ余リアルノ利益アルニ於テハ、会社ノ目的ハ達シ得タルモノナレ
 - 第12巻 p.69 -ページ画像 
バ、小型船舶ト雖モ之ガ収渠ヲ厭フカ如キ行為ナキヲ要ス、要スルニ函館船渠ハ北海唯一ノ船渠ニシテ、而シテ函館海事局管内ニ於テ航運ニ従事スル大小船舶ノ噸数ハ実ニ五拾万噸ニ達シ、昨三十八年度ニ函館ニ入港セル船舶ハ優ニ拾六万噸余ヲ数フ可ク、又会社ノ仕事高ヲ算スルニ戦時ニ属スル明治三十八年度ノ計算ニシテ既ニ四拾万九千弐百弐拾円ニ達セリ、故ニ今前記六拾万円ノ資金ヲ投入シ、其設備ヲ完全ニシ、其資本ノ融通ヲ裕カニシテ、顧客ヲ待ツニ於テハ、平和ノ克復セル今日ニ於テ六拾万円ノ仕事高ヲ得ルハ敢テ難キニアラサルヘク、而シテ其仕事高ノ二割ヲ会社ノ純利益トセハ、拾弐万円ノ実益ヲ算スルハ蓋シ不当ノ計算ニアラサルヘシ、吾人ハ調査ノ結果決シテ会社ノ前途ヲ悲観セス、要ハ設備ノ完全ト資本ノ充実ト其宜シキヲ得ハ、会社ノ事業ヲ発達セシメ、其基礎ヲ鞏固ニシ相当ノ利益ヲ得ルニ於テ決シテ難キコトニ非スト信ス
  明治三十九年三月一日
                    右
                      川田竜吉
                      川田豊吉
○中略
 川田両氏の報告により会社事業の将来が確かめられたので、委員会は安田銀行借入金を信託法により借換をなす代りに、工場抵当法に依り工場財団を設定し、之を抵当として比較的低利にて金七十万円の借入を為し、日本勧業銀行よりの年賦借入金及び安田銀行の借入金を償還すると共に、他面に於て商法第二百十一条の規定に依り優先株六十万円を募集して資本の増加を図り、内二十万円を設備拡張費に充て、四十万円を材料品及流通資本に供すべきことを決議して重役に報告した。此委員会の時に取締役は借入金の返還をも見込んで優先株は百二十万円募集する事に立案して諮つたのであるが、委員中に過大なりとして異議を唱える者があり、且又安田銀行では川田両氏が経営に当れば大に利下げしてもよいとの意向があるかの様に伝ふる人があつたので、低利の借入金を得れば優先株は半額の六十万円に止めてよいといふ事に纏つた。
 此委員会の成立に基き、同年四月二日東京地学協会に於て第十八回臨時株主総会を開催し、年賦借入金及び安田銀行の借入金を償却するため、工場抵当法に依り工場財団を設け之を抵当とし金七十万円の借入金をなす事、商法第二百十一条の規定に依り優先株六十万円を発行する事、並にその割当方法、払込手続に関する事、及び定款の変更に就ての議案を提出した。この内、優先株の権利に就き、原案では優先株主に対しては本社の存立中各事業年度の決算に於て生じたる純益金の内、定款に定めたる諸積立金、役員賞与金を控除したる金額中より優先株金額払込額の年一割に満つる迄優先に配当をなし、其残余を普通株主に配当し、其配当の割合一割に達し、尚残余ある時は、之を普通株主と平等に分配を受くるの権利を有せしむることゝなつてゐたが瀕死の状態にある本社に投資するのであるから、旧株主が割当てられる優先株式を引受くるものが少くて、新に応募者を求める場合が生ずるとすれば、条件が特に有利でないときは応ずるものが無いであらう
 - 第12巻 p.70 -ページ画像 
といふ意見が出て、優先株金払込額の年一割に満つる迄優先に配当を受け、其残余の利益金は株数に応じ、優先株主と普通株主とに平等に配分する事に修正され、其他はすべて原案通りに議決された。それ故修正案による優先株の配当は普通株より永久に一割丈優れたものとなつた。普通株主は其所有株二株に付優先株一株の募集に応ずる権利を有し、若し普通株主の申込株数が募集株数に充たざるときは一般に募集することになつてゐた。
 園田・阿部・岡本の三取締役は、予てから辞任の意をもつてゐたので、此臨時総会を機として辞任し、補欠選挙を為すに当り、渋沢男に指名を託することゝなり、同男は男爵川田竜吉・川田豊吉・岡本忠蔵を指名した。岡本は固辞されたが、渋沢男の懇な説得があつて結局引受けられた。取締役互選によつて川田竜吉男が専務に選定され、同年四月十五日渋沢男、及び近藤廉平両氏に相談役たることを乞ひ、承諾を得た。
 直に優先株の募集に着手した所が、旧株主は永年の無配当で倦怠の状態で、割当の優先株に応ずるもの甚だ少く、同年六月頃川田専務は岡本取締役と相携へ上京して、在京の旧株主に優先株引受を乞ひ、川田取締役は松下・遠藤両監査役と共に地元函館に於ける旧株主に優先株引受方を懇願した。しかし東京も函館も共に応募成績は不良であつた。
 此資金不足の時に従来の支払手形は続々期限到来して決済を要し、園田氏が嘗て個人の信用で会社に融通してゐた数万円の決済期限が来て川田専務が其の肩代りをなし、又其内に専務が個人で会社に資金融通をなす等財政上の困難に加へ、諸取引先は増資不能を見越して警戒するやうな様子もあつたらしい。
 然るに七月に入り近藤郵船社長の尽力功を奏し、優先株の新応募者も多数あり、普通株主によつて五千百四十五株応募され、残株六千八百五十五株に対して九千二百六十九株の申込があつて愁眉を開いた。
その超過株数は各申込株数に按分し、百に対する七十四の割合で之を割当て募入株数を決定した。またこの月には総会で取締役一名増員を決定し樺山愛輔伯が選任せられた。
 優先株の募集は都合よく成立したが、安田銀行よりの借入金は川田両氏就任後予期に反し利子引下を承諾せず、他の銀行に交渉を始めたが結局安田銀行で三十九年十月より利子一割を八分に引下げることに承諾を得た。同行よりの借入金は従前は六十万円であつたが、日本勧業銀行よりの年賦借入金七万三千余円を返済し、翌四十年二月一日工場財団抵当権を設定して安田銀行から従来の六十万円の外に十万円を借り増して総額金七十万円を、返済期日は五箇年後の明治四十五年二月二日として借入れた。
   ○明治三十九年一月左記ノ諸氏会社整理委員ニ堆サレタリ。
     渋沢栄一    近藤廉平    大倉喜八郎   浅野総一郎
     加藤正義    田中市太郎   梅浦精一    柳田藤吉
     吉田三郎左衛門 広海二三郎
   ○当時ノ役員及ビ相談役左ノ如シ。
    取締役  男爵 川田竜吉  岡本忠蔵  川田豊吉
 - 第12巻 p.71 -ページ画像 
    監査役     松下熊槌  遠藤吉平
    相談役     渋沢栄一  近藤廉平
   ○明治三十五年十一月五日当会社臨時総会ニ於テ、合名会社安田銀行ヨリ六十万円ノ借入決議ヲナシ、同年十二月十九日会社ノ動産不動産ヲ担保トナシ年利一割、三十七年十二月末返済期限ニテ、船渠完成ヲ条件トシテ借入ヲナス。三十八年十月同行ノ返済督促ニ遭ヒ交渉ノ結果、三十九年十月ヨリ川田専務就任ヲ以テ利子一割ヲ八分ニ引下ゲノ承諾ヲ得タリ。翌四十年二月一日工場財団抵当権ヲ設定シテ同行ヨリ従来ノ六十万円ノ外ニ更ニ十万円総額七十万円ヲ返済期日五ケ年後ノ明治四十五年二月二日ニテ借入ニ成功ス。後四十四年一月以来近藤・大倉・浅野・梅浦四交渉委員ノ種々折衝ノ末、年利七分五ケ年返済期日延期ノ承諾ヲ得、遂ニ大正五年日本勧業銀行ヨリ五十五万円借入レ安田銀行ニ返済セリ。


函館船渠株式会社四十年史 第一九五―一九八頁〔昭和一二年六月〕(DK120007k-0003)
第12巻 p.71-72 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕殖民公報 第二六号・第四一頁〔明治三八年六月〕 函館船渠会社の近況(DK120007k-0004)
第12巻 p.73 ページ画像

殖民公報 第二六号・第四一頁〔明治三八年六月〕
    ○函館船渠会社の近況
昨年は海運多忙にて、船舶は耐え得る限り使用せんとする傾ありしを以て入渠修繕するもの少なく、函館船渠会社の事業成績も稍々不良の方なりしか、本年に至りては船舶中修繕を要するもの増加し、且つ該会社にては去二月中業務に刷新を加へ専ら事業の進捗を図りしと、勉強して廉価に引受くることゝなせし為め修繕を依頼する船舶大に増加し、営業多忙を極め職工数十名を増募するに至れり、又同社地先埋立工事は予定坪数四千五百余坪の内三千坪以上を成功し、防波堤は二百四十尺の内過半竣成し、附近海底の浚渫は毎日浚渫船二艘にて之に従事しつゝあり、埋立竣工の上は更にスリツプ及造船工場を新築する見込なりと云ふ、同処現在の役員は支配人一名事務員十七名技術員十四名にして、職工は四百七十人内外なり


〔参考〕殖民公報 第三〇号・第三八頁〔明治三九年五月〕 函館船渠株式会社の増資(DK120007k-0005)
第12巻 p.73 ページ画像

殖民公報 第三〇号・第三八頁〔明治三九年五月〕
    ○函館船渠株式会社の増資
該会社は従来百二十万円の資本を以て営業せしか、其営業不振の傾ありたれば改良の必要を認め、去る二月斯業に経験ある男爵川田竜吉及ひ技師川田豊吉に嘱托し実地に就き調査せしめたるに、営業不振の原因は開業年尚ほ浅く加ふるに日露戦争の為め顧客たるへき船舶の入港減少せる等種々在るべしと雖も、其重もなるものは職として資金に乏しく船渠事業上器械建物の設備完全せさると、融通資本の欠乏せるとに由る故に今資本金六十万円を増し、内二十五万円を材料品代、二十万円を工場設備拡張及び改良費、十五万円を流通資本に充つるに於ては慥に事業発展の見込あり、現に函館海事局管内にて航運に従事する大小船舶の噸数は五十万噸に達し、昨三十八年度は戦争の影響ありしに拘はらず函館に入港せし船舶は優に十六万噸を超へ、会社の仕事高は四十万九千二百二十円なりき、今資本を増し設備を完全にし流通資本を裕かにして顧客を待つに於ては、平和克復せる今日一ケ年六十万円の仕事高を得るは敢て難きにあらさるへく、而して其仕事高の二割を会社の純利益とせは十二万円の実益を得へしとの事なりき、因て該会社は四月二日東京に於て臨時総会を開き(一)負債整理のため七十万円の借入金をなす事(二)優先株六十万円(一株五十円一万二千株)を発行し、本社純益金の内、払込金額の事一割迄を優先に配当し、残余を普通株式へ平等に配当する事(三)現在の株主は二株に付優先権一株の応募権を有する事を議決し、重役の選挙を行ひ川田竜吉・岡本忠蔵・川田豊吉の三名当撰し、竜吉を以て専務取締役となせり