デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.596-615(DK130059k) ページ画像

明治21年9月10日(1888年)

新農商務大臣井上馨、本邦取引所制度ノ即時改正ニ意ナシ。然ルニ大阪取引所、已ニ前当局ヨリ創
 - 第13巻 p.597 -ページ画像 
立ノ允可ヲ得、開業ノ準備モ成レルヲ以テ、当局ノ方針変更ヲ肯ンゼズ。ヨツテ是日、井上馨、各地新旧取引所ノ代表ヲ農商務省ニ招キ、大阪取引所ノ始末ニツキ懇談会ヲ催ス。栄一マタ招カレシガ出席セズ。是日議決セズ。翌十一日、更ニ藤田組支店ニ会シ、大阪取引所ノ創立費用ハ東京・大阪両株式取引所並ビニ両米商会所ヨリ弁償スルヲ以テ、同所ノ開業ヲ旧取引所ノ営業期限又ハ取引所条例改正ノ日マデ見合ハスコトニ妥協シ、同三十日大阪取引所総会ノ決議ヲ経タレバ、翌十月三日、東京株式取引所他三取引所ノ営業ヲ明治二十四年六月三十日マデ延期スルノ許可発令サル。


■資料

明治商工史(渋沢栄一撰) 第一一四頁〔明治四四年三月〕(DK130059k-0001)
第13巻 p.597 ページ画像

明治商工史(渋沢栄一撰) 第一一四頁〔明治四四年三月〕
 ○第五章 経済機関の起源
    六 株式取引所
○上略
取引所組織の変更 取引所の組織は株式会社と為すより寧ろ会員組織に変更すれば、多少其弊害を減ずべしと主張せしが、事実に於て行はれず、其何れが最も適当なりやの論議ありて井上侯爵農商務大臣たりし時、南貞助氏をして特に其調査の為め渡欧せしめたることありしも遂に明治二十四年陸奥宗光氏の農相時代に於て株式組織に確定せり、爾来漸次拡張せられ以て今日に至れるものなり


青淵回顧録 上巻・第四七八―四七九頁〔昭和二年八月〕(DK130059k-0002)
第13巻 p.597-598 ページ画像

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中外物価新報 第一九三六号〔明治二一年九月九日〕 ○農商務大臣相場会所の役員を招く(DK130059k-0003)
第13巻 p.598 ページ画像

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中外物価新報 第一九三七号〔明治二一年九月一一日〕 ○新旧取引所折合の協議会(DK130059k-0004)
第13巻 p.598 ページ画像

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中外物価新報 第一九三七号〔明治二一年九月一一日〕 取引所に対する井上農商務大臣の処置は如何(DK130059k-0005)
第13巻 p.598-600 ページ画像

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中外物価新報 第一九三九号〔明治二一年九月一三日〕 ○新旧取引所役員協議余聞(DK130059k-0006)
第13巻 p.600-601 ページ画像

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中外物価新報 第一九三九号〔明治二一年九月一三日〕 ○役員協議の模様(DK130059k-0007)
第13巻 p.601 ページ画像

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中外物価新報 第一九四〇号〔明治二一年九月一四日〕 ○農商務大臣懇話の顛末(DK130059k-0008)
第13巻 p.601-602 ページ画像

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中外物価新報 第一九四一号〔明治二一年九月一五日〕 ○農商務大臣懇話の顛末(前号の続)(DK130059k-0009)
第13巻 p.602-605 ページ画像

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中外物価新報 第一九四二号〔明治二一年九月一六日〕 ○新旧取引所協議の顛末(DK130059k-0010)
第13巻 p.605-608 ページ画像

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中外物価新報 第一九四六号〔明治二一年九月二一日〕 ○弁償金支出の割合(DK130059k-0011)
第13巻 p.608 ページ画像

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中外物価新報 第一九五四号〔明治二一年一〇月二日〕 ○大坂取引所総会決議(九月卅日午後九時発)(DK130059k-0012)
第13巻 p.608-609 ページ画像

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中外物価新報 第一九五四号〔明治二一年一〇月二日〕 ○新旧取引所の協議整ふ(DK130059k-0013)
第13巻 p.609 ページ画像

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中外物価新報 第一九五六号〔明治二一年一〇月四日〕 ○米商・株式両所の延期許可(DK130059k-0014)
第13巻 p.609-610 ページ画像

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諸願伺届 明治二一年中(DK130059k-0015)
第13巻 p.610-611 ページ画像

諸願伺届 明治二一年中 (東京株式取引所所蔵)
    明治廿一年 月 日
  営業延期上願書
                東京株式取引所株主総代
                      渡辺治右衛門
                         外四名
                東京株式取引所仲買総代
                      天矢正剛
                         外四名
    営業延期上願書
東京株式取引所株主総代仲買総代等謹テ上願仕候、客年勅令第拾壱号ヲ以テ取引所条例御発布相成、従前ノ株式取引所ハ満期ト共ニ廃止セラレ候儀ニ相成一同ノ痛苦措ク能ハサル次第ニ付、客年七月当所株主並ニ仲買人共ヨリ来ル明治廿四年六月迄営業延期ノ義上願仕候処、明治廿二年五月三十一日迄満一ケ年間延期ノ御指令ヲ蒙リ、今日ニ至ル迄継続罷在候義ニ御坐候得共、新旧興廃ノ為メニ私共被ムル所ノ損害ハ実ニ容易ナラサル義ニシテ一同痛嘆罷在候、而シテ新取引所条例モ実施上往々困難ヲ感スル廉之ナキニアラサルヲ以テ未俄ニ仲買人共営業ヲ彼レニ移ス能ハサル事実モ有之候ニ付、何卒民間ノ状態深ク御洞察ノ上最前上願ノ通名古屋株式取引所営業満期乃チ明治廿四年六月迄営業延期被成下度奉願候、然ル上ハ株主仲買人両ツナカラ政府ノ御仁慈ニ浴シ一同ノ仕合無此上感戴仕候儀ニ御坐候
右之次第ニ御坐候間何卒特別ノ御詮議ヲ以テ願ノ通来ル明治廿四年六月迄営業延期ノ義御許可被成下度、此段一同謹テ奉上願候 以上
                東京株式取引所仲買総代
  明治廿一年             鶴岡長次郎(印)
                    片桐起太郎
                    井上兵蔵(印)
                    諸葛小弥太
                    天矢正剛(印)
                東京株式取引所株主総代
                    岡本善七(印)
                    平松甚四郎(印)
                    山中隣之助(印)
 - 第13巻 p.611 -ページ画像 
                    平沼専蔵(印)
                    渡辺治右衛門(印)
    農商務大臣 伯爵 井上馨殿
(朱書)
願之趣特別ノ詮議ヲ以テ来ル明治廿四年六月三十日限リ営業延期ヲ聞届ク
  明治廿一年十月三日 農商務大臣 伯爵 井上馨


第二一回半期営業実際考課状[半季営業実際考課状] 第四頁 明治二一年自七月至一二月(DK130059k-0016)
第13巻 p.611 ページ画像

第二一回半期営業実際考課状[第二一回半季営業実際考課状] 第四頁 明治二一年自七月至一二月
                 (東京株式取引所所蔵)
       東京府下日本橋区兜町四番地 東京株式取引所
    ○営業事務ノ事
一当取引所株主総代渡辺治右衛門外四名同仲買総代天矢正剛外四名ヨリ農商務大臣閣下ヘ宛テタル当取引所営業延期ノ上願書ニ当取引所頭取ノ副申書ヲ付シ、七月三十日東京府庁ヲ経由シテ農商務省ヘ進達セル上願書ニ対シ、十月三日ニ至リ大臣閣下ヨリ特別ノ御詮議ヲ以テ来ル明治廿四年六月三十日限リ営業延期聞届ク旨ノ御指令ヲ付セラレタリ、仍テ翌四日之ヲ東京府庁ヘ開申セリ



〔参考〕世外井上公伝 第四巻・第六三―七八頁 〔昭和九年五月〕(DK130059k-0017)
第13巻 p.611-614 ページ画像

世外井上公伝 第四巻・第六三―七八頁〔昭和九年五月〕
 ○第八編 第一章
    第五節 取引所問題
 「井上伯の未だ宮中顧問官に官するや、世人は信ずらく、伯はブールス賛成者なりと。然るに一度農商務に就くや、伯は忽ち非ブールス家たるの真相を示したり。」とは、曩に公に対する一部の論評として掲げた所である。世人の信ずる所の公がブールス賛成者であるといふ言の当否は姑く之を措き、当時このブールス問題は経済界に於て頻りに論議せられ、その決著如何によつてはその影響する所実に甚大なものがあつた。それを公はブールス反対の意見を以て之を処理し、無事にこの問題を解決して経済界の混乱を免れしめたのである。
抑々この問題は十九年九月頃にその端を発してゐる。先に十一年五月に定められた株式取引所条例は、取引所の設立を株式組織としたものであつたが、年と共にその弊が生じて来たので、政府はこれを矯正しようとして欧米に於ける事情を研究調査する所があつた。十九年に至つて政府はその組織を一変して会員組織とするとの説が漸く世に伝播されたので、既設各取引所の株式は非常な打撃を被り、その価格が暴落して、株式市場は頗る恐慌に陥つた。かくて二十年五月に所謂ブールス条例が発布された。こゝに於て旧条例によつて設立した各取引所は、その営業が満期に至れば当然廃滅に帰することとなつた。新条例発布後政府は東西の有力な実業家を勧誘し新取引所の設立を促したので、大阪の藤田伝三郎の如きは主としてその創立を斡旋し、紳商を網羅して発起者とし、各種の商業家を加入させて役員を選任し、市場を堂島三丁目に建設して開場準備を急いでゐた。大阪に於ける新取引所の創立がかくの如くであり亦各地に於ても漸次その歩を進めて来た
 - 第13巻 p.612 -ページ画像 
ので、旧取引所側は非常に狼狽した。かくて東西各取引所は互に連繋して反対運動を試み、時の東京株式取引所頭取河野敏鎌は建議して、新定の取引所条例は変革急激で、実情に適応しないものであることを訴へ、且つその営業期限の繰延を稟申した。政府もその事情を酌量し二十二年五月迄満一箇年の営業延期を允許することにした。併し新取引所条例は依然として存在するので、若しその儘で経過すれば、東京株式取引所はその営業満期に至つて之を解散し、更に新条例に従つて新組織の取引所を設けねばならぬ。而も一方に於ては既に新条例によつて、取引所の設立許可を得たものが、右に述べた大阪の藤田等を始め、全国を通じて十箇所の多きに達してゐたので、此等の多くは種々の支障によつて取引を開始する迄に至つてゐなかつたものの、東京株式取引所を始め旧組織の取引所側の打撃が増すのみであり不安が一層募るのみであつた。
 公が農商務大臣となつた頃の取引所問題は、右のやうな状態であつた。公は予て新取引所条例が発せられる際、「其趣意ハ良なれども、之を今日に新設せしむる時は、旧取引所の始末は如何するぞ。」との説を唱へたことがあるので、旧取引所の連中は公に請願して来る二十二年五月三十一日を以て期限とされた営業年限を、延期して貰はうとした。当時東京に於ける新旧取引所の間は既に和解し、延期請願に一致してゐたが、大阪に於ては大いに事情を異にし、新取引所を実地設立に著手してゐたので、東京に延期請願の事あるを耳にし、理事長藤田伝三郎を上京せしめて、飽くまで条例の趣旨を貫徹して旧取引所の延期を喰止めようとした。然るに大阪の旧取引所関係者は、藤田の上京を聞くや、続いて株式取引所よりは磯野小右衛門を、米商会所よりは玉手弘通を上京せしめて、藤田の運動を沮止し、且つ東京株式取引所に応援させることにした。かくて新旧両取引所の運動者は、右より左より公に迫り、公が磯部に赴けば之を追うて磯部に到り、公が鎌倉に転ずれば亦鎌倉に従ひ、公の暑中休暇もこれが為に犠牲に供せねばならなかつた程請願運動に悩まされた。依て公はこれを処置するため、九月十日に農商務省に谷元道之・中野武営・中村道太・小川為次郎・渋沢栄一・大倉喜八郎・藤田伝三郎・田中太七郎・磯野小右衛門・西村喜三郎・奥田正香等を招きて懇話する所があつた。この会合は各自より意見を徴して是非の決著をつけようとするものではない。取引所問題の為に差当り非常の困難に陥つてゐるのは藤田であつて、如何すればこの目下の困難を救ひ得られるか、その方便を発見しようとしたもので、公が事件の真相に触れ、政府の意嚮のみで圧服的に処置することを避け、取引所関係者と懇談的に処理しようとしたのである。当日、渋沢は出席しなかつたが、他は孰も出頭して意見の交換が行はれた。席上公の試みた談話は、公が所謂ブールス問題に対する意見を明かにしたばかりでなく、公が事件の真相に直面して処理せんとする施政の態度を知ることが出来る故、その要点を摘記しよう。
   ○摘記ノ部分ハ、前掲「中外物価新報」記事ノ中、本巻第六〇二頁上段第一行「元来………」ヨリ第六〇四頁上段一七行「………大要なり」マデト同ジニツキ略ス。
 - 第13巻 p.613 -ページ画像 
以上は、取引所問題に関する公の意見の大要であるが、公はこれと共に、この始末をなすに当つても自治の精神に基づく要あるを説き、そして尚、「夫のブールス一条に付てハ、当省も困り、大阪取引所則ち藤田も困り、又現在大阪の株式も困るといふ有様なり。而して当局者たる予に於てハ、前に言ふ意見を懐きたるために、大阪取引所ハ開業の運びをなすこと出来ず。然る時ハ前々よりの行掛りを以て、当省に向つて苦情を鳴らす。実に困つたものなり。唯幸に東京ハ右に関する準備もせざるに付、苦情を訴ふるに至らざるのみ。就てハ本日来会の諸氏に於て、何とか適当の方案を考へ出し、一同熟議の上、大阪の始末方を付けられんことを。尤も此際諸氏の間に彼我の区別ありて、我れハ現在相場所方、否予ハ新取引所の人抔と云ふ偏見ありてハ然かるべからず。只々官民一致して差迫りたる困難を解くと云ふことに相談を押し進められん事こそ望ましけれ。但し予ハ此事に付、コウせよ、アヽせよと云ふ如き命令ハ毛頭下すにあらず。予が農商務大臣の考案を以て之を処置せバ、実に易々たるものなれども、前言の如く斯る処置ハ実業者を追ひ廻す事にして、予の本旨に背くことなれバ、特に諸子を煩ハして其熟議を請ふ次第なり。」井上侯爵家文書と述べてゐる。かく全く権勢によらず実状に即せんとし、胸襟を披いて懇談した態度は、農商務大臣として曾て見ざる所にして実に円熟した手法といふべきである。こゝに於て一同は公の趣意に従ひ、和衷協議を重ね、大阪新取引所は暫く設立を中止し、旧取引所の延期を黙視することに決し、その代償として大阪新取引所設立に要した費額一万六千円を東京・大阪両旧取引所より共同支弁することに内定した。
 かくて藤田・磯野等は帰阪して株主総会の承認を得、右の内定事項を履行することになつたので、紛紜も漸く解決し、決議の趣を公に上申して旧取引所営業延期を請願に及んだ。公がこれに対する許可の方針は、十月一日に各省大臣の廻覧に供した左の意見書に詳かである。
    米商会所及株式取引所営業延期ノ件公文雑纂
  米商会所・株式取引所ノ義、曩ニ閣議ヲ経、其本年中ニ営業満期ヲ告グルモノニハ各一ケ年ノ延期ヲ許可シ候処、其後東京・大阪ヲ始トシ、各所相続テ再ビ延期ヲ願出候ニ付、之ヲ審按スルニ、客年発布相成候取引所条例又細則規約ハ往々干渉ニ過ギ、実際ニ適セザル廉少カラズ。商業ヲ開暢セント欲シテ、却テ之ヲ阻格スルノ虞アルハ米商株式両所ノ者ノミナラズ、新取引所ノ創立ニ従事スル者モ亦比々其改正ヲ請求スルニ由テ視ルモ瞭然ニ有之、若シ強ヒテ之ヲ行ヒ、人民ヲシテ曲従セシメバ、其極法ニ触レ規ニ戻ル者相踵グニ至ルハ必然ノ勢ニシテ、取引所条例ヲ設ケラレタル旨趣モ亦竟ニ水泡ニ帰スルヤモ難測。就テハ之ガ改正ヲナシ、真ニ衆商共同自営ノ市場タラシメ、交通ノ道ヲ便ニシ候義緊要ト存候。然ルニ其改正ヲナスニハ、広ク当業者ニ諮ヒ、深ク事情ヲ察セザレバ其宜キヲ得難ク、是ガ為若干ノ年月ヲ要シ、到底既ニ許可シタル営業期限マデニ新旧両取引所接続ノ運ニ至リ兼可申、且此条例ノ変更ニ由リ旧会所及取引所ノ損害ヲ蒙レルハ今更喋々ヲ俟タザル所ニ候得バ、可成其損害ナカラシメンコトヲ勉ムルハ政府ノ責任ニ可有之、
 - 第13巻 p.614 -ページ画像 
尤モ其損害ノ有無ニ拘ラズ、急ニ閉業セシメザルベカラザルノ理由アルニ於テハ致方無之候得共、別段其理由モ不相見、旁之ニ若干年ノ延期ヲ仮シ、其間新取引所条例規則ノ改正ヲ謀リ、又旧会所取引所ヲシテ自ラ其損害ヲ弁済セシメバ、一ハ新取引所ノ興立ヲ完全ニシ、一ハ旧会所取引所ノ廃止ヲ円滑ニシ、一挙両得ト存候。因テ現在米商・株式両所中営業期限最遠キモノ、即チ明治二十四年六月ヲ以テ最終ノ期トナシ、既ニ延期ヲ出願セルモノ及今出願スル者ハ皆其月限ノ延期ヲ許シ、其満期ヲ以テ旧ヲ廃シ新ニ移ラシメ以テ其局ヲ完了セントスルノ意見ハ、九月十四日、内閣ニ於テ陳述致置、各位ニ於テモ既ニ御悉知トハ存候得共、尚為将来其理由ヲ開陳シ書面ヲ以テ供貴覧置候也。
  明治廿一年十月一日 農商務大臣 伯爵 井上馨
    内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆殿
この意見書は内閣の承認を経て閣議を通過したので万事公の予期の如く纏つた。そこで公は同月三日に東京株式取引所頭取谷元道之・東京米商会所頭取中村道太・同所肝煎小川為次郎・大阪堂島米商会所頭取玉手弘通・名古屋米商会所頭取松沢与七等を農商務省に召集し、特別の詮議を以て二十四年六月三十日まで営業延期の許可を与へた。
 二十二年六月に公は商務局次長南貞助を海外に派遣して、各国取引所の実況を調査せしめ、又東京の新旧両株式取引所に慫慂して、視察員を英・米・独・仏等に派遣せしめた。その調査完了して帰朝したのは、二十三年八月頃であつて、公が既に農相を辞した後であつた。その調査を参考して我が国の新取引所条例の成案を得るまでには相当の歳月を要するので、同九月に政府は更に旧株式取引所に二十七年六月迄の営業延期の許可をした。かくしてさしも紛争を極めた同問題も、公の英断によつて数年後には円満に落著を見るに至つたのである。
井上侯爵家文書・伊藤公爵家文書・公文雑纂・明治商工史・伊藤博文秘録


〔参考〕自明治十一年至同四十年沿革及統計 (東京株式取引所編) 第九―一一頁〔明治四一年一一月〕(DK130059k-0018)
第13巻 p.614-615 ページ画像

自明治十一年至同四十年沿革及統計 (東京株式取引所編)
                     第九―一一頁〔明治四一年一一月〕
    東京株式取引所ノ起原及沿革
○上略
当時偶々欧米取引所ノ組織ニ倣フテ「ブールス」設立ノ風説漸ク世ニ伝播セシヨリ当取引所及横浜株式取引所・東京米商会所株式ノ如キハ其影響トシテ価格大ニ動揺シ市場殆ント恐慌ノ状ヲ呈セリ、斯クテ翌明治二十年五月ニ至リ新定取引所条例発布セラレ、旧条例ニ遵拠シテ設立シタル取引所ハ各其営業満期ニ至リ廃滅スルコトヽナレリ、是レ実ニ我株式取引所ニ向テ一大打撃ヲ与ヘタルモノナリ
然ルニ時ノ頭取河野敏鎌氏ハ新定取引所条例ハ変革急劇ニ失スルカ為メ株主ト仲買人トニ非常ノ損害ヲ蒙ラシメ、取引所ノ営業ニ多大ノ激変ヲ与ヘ従テ市場ノ取引ヲ撹乱スルノミナラス、会員組織ノ取引所ハ本邦ノ商習慣ニ背戻シ人情風俗ニ適応セサルモノナルカ故、斯ル急劇ノ変革ハ力メテ避ケサル可カラサルコトヲ当局者及ヒ一般社会ニ訴ヘ併セテ我取引所ノ営業期限ヲ明治二十四年六月迄延期センコトヲ稟申
 - 第13巻 p.615 -ページ画像 
スル等大ニ尽ス所アリシ、其結果時ノ農商務大臣黒田伯ハ其事情ヲ酙酌シ願意ノ幾分ヲ採納シテ二十二年五月迄満一ケ年間営業延期ヲ允許セラレタリ、是レ実ニ明治二十年十月ナリトス
○中略
明治二十年五月発布ノ取引所条例ニ遵拠シテ設立ノ許可ヲ得タル取引所ハ東京・大阪其他通計十箇所ノ多キニ達シタルモ、実際上種々ノ支吾ヲ生シ、且ツ危険ヲ慮リテ取引ヲ開始スルニ至ラス、実地開業シタルモノハ僅ニ神戸及ヒ佐賀ノ両取引所ノミナリシ、状況斯クノ如クナルヲ以テ二十一年七月井上伯入リテ農商務大臣トナルヤ、取引所問題ニ就テハ一層攻究ノ必要アリトシ、同年十月更ニ我取引所ニ向テ二十四年六月迄営業延期ヲ許可セラレタリ
明治二十二年六月我政府ハ取引所問題調査上参考ノ為メ時ノ商工局次長南貞介氏ヲ海外ニ派遣シテ各国取引所ノ実況ヲ視察セシムルコトヽナリ、同時ニ東京ノ新旧取引所モ亦相当ノ人ヲ派出シテ調査ヲ遂ケシムヘキ旨ノ訓諭ニ接シタルヲ以テ、東京株式取引所即チ新取引所ハ発起人中ヨリ小川為次郎氏ヲ、我取引所ハ肝煎相良剛造・株主総代小野友次郎ノ両氏ヲ派出シ、両氏ハ英・米・独・仏等重ナル取引所ノ実況ヲ視察シ、翌二十三年八月前後ニ於テ共ニ帰朝シタリ
既ニシテ政府ハ取引所改善ノ調査ニ着手セラレタルモ其功容易ニ挙ラス、然ルニ一方ニハ我株式取引所ノ営業年限漸ク満期ニ迫ラントスルヲ以テ二十三年九月九日、尚二十七年六月迄三ケ年延期ノ願書ヲ提出シ、翌十日ヲ以テ農商務大臣ノ允許ヲ得タリ、但シ本願ヲ為スニ付テハ取引所営業上改善ノ条項トシテ左ノ数件ヲ附セラレタリ(第一)取引所ニ仲裁機関ヲ設クル事(第二)明治二十四年七月以降仲買人身元保証金ヲ弐千四百円(従前ハ四百円)ニ増加スル事(第三)毎決算期ニハ通常積立金ノ外ニ利益金十分ノ二ヲ別途ニ積立ツル事(第四)当取引所ノ株式ヲ市場ニ於テ売買セサル事(第五)各種売買約定ノ平均相場ヲ定ムル方法ヲ改正スル事等即チ是ナリ
○中略当時世間可否ノ議論囂々タリシ夫ノ会員組織取引所問題未タ決定ニ至ラサルカ為メ、各取引所前途ノ運命如何ヲ慮リ為メニ人心大ニ動揺シタルノ結果相場ニ乱調ヲ及ホスノ傾向ナキニアラス、大江卓氏頭取ニ就職スルヤ深ク之ヲ憂ヒテ速カニ穏当適切ノ処分アランコトヲ計リ、屡々各地同業者ト会同商議シテ大ニ尽ス所アリキ
明治二十五年十二月政府ハ取引所法案ヲ帝国議会ニ提出シ、議会ハ翌二十六年二月ニ於テ之ヲ協賛シ、尋テ三月三日法律第五号ヲ以テ公布セラレ、同時ニ従来ノ米商会所条例・株式取引所条例・取引所条例等ハ同日限リ全然廃止セラル、是ニ於テ多年経済社会ノ一大問題タリシ難件モ亦始メテ終局ヲ見ルニ至レリ
我取引所ハ新定ノ取引所法ニ遵拠シテ、更ニ定款及ヒ営業細則ヲ改定シ、同時ニ資本金ヲ参拾万円(従前ハ弐拾万円)ニ増額シ二十六年八月五日ヲ以テ営業継続ノ認可ヲ得、同十月一日ヨリ新法ノ下ニ其業ヲ開始シ又役員ハ株主総会ノ決議ニ依リ総テ旧役員ヲ以テ之ニ充テ其互選ヲ以テ大江卓氏ヲ理事長ニ推挙シタリ
○下略