公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治22年1月4日(1889年)
是日栄一、東京株式取引所ノ新年宴会ニ出席ス。
中外物価新報 第二〇三〇号〔明治二二年一月五日〕 ○東京株式取引所新年宴会(DK130060k-0001)
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中外物価新報 第二〇三〇号〔明治二二年一月五日〕
○東京株式取引所新年宴会
同所にては昨日正午渋沢氏を始め其他銀行会社の重役及相談役株主総代等を招待して新年宴会を開き、又仲買人一同へも市場に於て日本料理の饗応を為したる由
〔参考〕竜門雑誌 第二八七号・第一九頁〔明治四五年四月二五日〕 ◎逓信管理局員招待会に於て(青淵先生)(DK130060k-0002)
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竜門雑誌 第二八七号・第一九頁〔明治四五年四月二五日〕
◎逓信管理局員招待会に於て(青淵先生)
本篇は本誌前号雑報欄に記載したる逓信管理局員招待会に於ける青淵先生の演説速記なりとす。 (編者識)
○上略
私が記憶する所に拠ると銀行集会所と株式取引所の間で始めて此電話が通じて話をしたのであります。何だか初めはガサリガサリと耳辺で音がする、それから渋沢さんですかといふ声がする、どうも側でいふのか遠くでいふのか分らぬと疑ひつゝ聴いたのであります。所謂百聞一見に如かずで是は感心なものだ、なぜ早く斯ういふ事を為さなかつたらう、吾々が其間種々に苦労したのも決して無益ではなかつたと私は銀行集会所で始めて電話を聴いて、実に愉快且不思議な感じがしたのは、今も尚私の耳に遺つて居ると言ひたいのであります。
○右ノ談話ニイウトコロノ電話ノ開設サレタル年度不明ナレドモ、明治二十年代ノコトナルベシ。
本資料第九巻所収「電話会社」ノ項ノ記事(第七二四頁)参照。