デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
3款 青木商会
■綱文

第14巻 p.433-434(DK140049k) ページ画像

明治27年10月28日(1894年)

栄一、尾高惇忠等ト本邦製藍業ノ改良ニ資スベク、青木直治等ヲ印度ニ遣シ、印度藍ノ景況ヲ調査セシム。直治等是日東京ヲ発シ、試ミニ印度藍八万五千円ヲ買入レ、翌年三月二十三日帰朝、販売ス。


■資料

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治二七年)一〇月二〇日(DK140049k-0001)
第14巻 p.433 ページ画像

渋沢栄一 書翰  八十島親徳宛(明治二七年)一〇月二〇日
                    (八十島親義氏所蔵)
○上略
青木直治氏ハ何日東京出立ニ候哉篤二ニ御聞合可被下候、帰京後なれハ一寸送別ニても致遣し度と存候、もし時日切迫なれハ帰京前出立ニてもよろしく候、但廿三日朝静岡へ向電報ニて御申越可被下候、もし又同日頃静岡ニて面会候都合ニて出立候而も可然と存候、其辺篤二と御相談之上青木・有賀等へ御打合可被下候、右之段御返事旁当用申進候 匆々
  十月廿日大坂ニテ               栄一
    八十島親徳殿
東京日本橋区兜町 渋沢栄一邸内ニテ 八十島親徳殿 親拆 渋沢栄一
十月廿日 従大坂


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治二八年)二月二八日(DK140049k-0002)
第14巻 p.433 ページ画像

渋沢栄一 書翰  八十島親徳宛(明治二八年)二月二八日
                    (八十島親義氏所蔵)
昨日之御状一覧仕候、一昨日ハ途中無事御帰京之由承知仕候、青木直治来状之義ニ付尚其支配人被参藍靛送荷之模様申聞有之聊了解いたし候趣御申越被成領意仕候、兎角本人帰京之上ニて承合候外無之と存候
○中略
  二月廿八日                  栄一
    八十島親徳殿
  ○封書ニ「興津渋沢栄一」ト記セリ。


青淵先生六十年史 第二巻・第二〇七―二〇八頁 〔明治三三年二月〕(DK140049k-0003)
第14巻 p.433-434 ページ画像

青淵先生六十年史  第二巻・第二〇七―二〇八頁〔明治三三年二月〕
  第四十章 製藍及「インジゴ」輸入業
    印度藍靛輸入
青淵先生及尾高惇忠等ハ、本邦製藍業ノ改良発達ニ熱心スルニモ拘ハ
 - 第14巻 p.434 -ページ画像 
ラス外国ヨリ藍靛輸入年々益々増加シテ止マサルヲ以テ、玆ニ大ニ疑ヲ起シ、必竟外国産ノ輸入増加スルハ産地価格ノ低廉ナルニアリ、其低廉ナルハ如何ナル原因ニ基クカ、之ヲ明細ニ調査スルニアラサレハ輸入ハ果シテ防禦シ得ヘキヤ、将又本邦産藍ハ到底競争ニ打勝ツコト能ハサルヤ、其目的ヲ決スルコト能ハス、依テ玆ニ外国産地景況調査ノ議ヲ決セリ
本邦輸入ノ「インジゴ」ハ多ク印度ヨリ来ル、其他マニラ・スマトラ・ジヤバ等モ産地ナリ、先生ハ先ツ主トシテ印度藍ノ景況ヲ調査スルニ決セリ、而シテ之ヲ調査スルニハ適任ノ人ヲ派遣セサルヘカラス、惇忠ノ知人ニ青木直治ト云フモノアリ、嘗テ職工学校ニ於テ化学ヲ修メ東京本所区柳島ニ染物工場ヲ開業ス、先生直治ニ説キ之ニ通弁トシテ有賀文八ト云フ者ヲ附シ、明治廿七年十月二十八日東京ヲ発シ印度ニ赴カシメタリ、直治ノ一行ハ十一月二十五日孟買ニ着シ「インジゴ」ノ集散其他商業上ノ慣習等ヲ取調ヘ、内地ニ入込ラポール・パンジヤツプ等ヲ経過シテカルカツタニ出タリ、此ノ地ハ藍ノ最大市場ナリ、翌年二月再ヒ孟買ニ出テマドラスニ向ヒ、ポンジセリー・チヽコリンヲ通過シ、コロンボニ渡リ三月二十三日帰国セリ、直治ノ報告ニヨリ印度藍ノ景況頗ル明瞭セリ、此ノ行直治ハ試ニ印度藍八万五千円ヲ買入、之ヲ本邦ニ輪入シテ販売セリ
○下略