デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
10款 聯合生糸荷預所
■綱文

第15巻 p.57-75(DK150003k) ページ画像

明治14年10月29日(1881年)

是日栄一、安田善次郎・原六郎ト連名ニテ大阪銀行倶楽部宛ニ書翰ヲ発送シテ、聯合生糸荷預所ニ対スル応援資金ノ調達ヲ依頼ス。


■資料

渋沢栄一外二名 書翰 大阪銀行倶楽部宛 明治一四年一〇月二九日(DK150003k-0001)
第15巻 p.57-59 ページ画像

渋沢栄一外二名 書翰  大阪銀行倶楽部宛 明治一四年一〇月二九日
                  (東京銀行集会所所蔵)
一翰啓上仕候、各位益御清暢御勤務可被成奉万賀候
陳者横浜生糸荷預所と外国商人との間に相生し候紛議之義ハ爾来諸新
 - 第15巻 p.58 -ページ画像 
聞紙等ニても御熟知可被成候得共、目下之景況ニてハ外国人之方《(以下八字抹消)》も頑然外商ハ弥強情ニ我引取商人之仲裁をも拒絶し飽迄聯合生糸荷預所之企望《(以下四字抹消)》ニ抵抗候様子ニ付、荷預所ニ於ても此末更に持重之方法相立候外無之と決心せし趣ニ御座候、右ニ付而ハ追々同所資本金も欠乏いたし候由ニ付、当地集会所ニ於ても各国立銀行本店丈ケ之集会を催し相応之資金を募り応援之工夫致度、既ニ両三回会同之上予メ見込相立候間一昨日不取敢拙生輩より貴地第四十弐銀行田中君及第十三第三拾弐之御両行へも御照会申上大略口陳仕候義ニ御座候、就而ハ貴方各御行ニも何卒御尽力被下右資本応援之御都合被成下度、此段御依頼申上候也
                      原六郎
 (コノ五行別筆墨記)
  明治十四年十月十九日《(廿)》      安田善次郎
    大阪                渋沢栄一
       銀行苦楽部
            御中
尚々本文之義拙生共より申上候ハ当方各国立銀行本店中之集会ニて拙生共臨時委員之撰を受候ニ付、一同ニ代りて御照会申上候義ニ御座候又此資金繰込之見込等ニ於てハ兼而渋沢栄一より第一銀行支店へも詳細私報仕置候ニ付御聞合可被下候
昨夕当方ニても臨時集会相催し応募之金額予メ取究候ニ付其段も電報申上候義ニ候、又外山君より安田善次郎へ電報之回答も同夕差上候ニ付御落手被下候事と奉存候、乍序申上候
書面相認候処へ横浜荷預り所より別紙之通来報有之候、甚不吉之報知ニハ候得共、同所之結合ハ右一社之犯則ニ不拘飽迄維持之事ニ衆議一決之趣ニ候、右者謬伝派聞を恐れ候ニ付不取敢過刻電報も申上候義ニ候
  ○「東京第一国立銀行」ト印刷セル罫紙ニ複写インク墨ヲ以テセル栄一ノ筆ナリ。蓋シ栄一草シテ三人ノ名ニテ発送セルモノノ按ナルベシ。
 追啓本文資金御振込方之都合過日貴地第一銀行支店迄申越候ニ付、各御行より御出金之分を第十三之御行へ御振込相成御同行之振出手形を御受取被成、十三之御行より当方江御廻金之事ニ御取扱可相成旨ニ候得共、果して右様之御都合ニ相成候義ニ候て、当地之分ハ御各行とも第一銀行へ振込同行迄振出手形ニ別紙之添書を付し相渡し置候義ニ付、貴地之御振込金ニ対し而も同様第一銀行ト十三之御行江向ケ別紙之手形添書等差出し候迄ニ而御差支無之哉、且又利足之義ハ当方へ御送り出し之日より年壱割五歩之割、期限ハ来十五年一月三十一日限と相願申度奉存候、依而別紙添書案相添乍序御打合申上候也
    別紙書
横浜聯合生糸荷預所ヘ御出金之分弐万円別紙第何号ノ振出手形を以テ正ニ請取候ニ付、来ル十五年一月三十一日限り日歩弐リ五毛之利足を添御払渡可申候也
  年号
      月 日              第一国立銀行
    第二国立銀行
         御中
 - 第15巻 p.59 -ページ画像 
  ○「第一国立銀行便牋、於東京」ト印刷セル便牋ニ複写インクヲ以テ筆記セリ。細字ニシテ栄一筆ナルヤ否ヤ明カナラザレドモ、多分然ラン。


(大阪銀行集会所) 電信 東京銀行集会所宛(明治一四年)一〇月三〇日(DK150003k-0002)
第15巻 p.59 ページ画像

(大阪銀行集会所) 電信  東京銀行集会所宛(明治一四年)一〇月三〇日
                  (東京銀行集会所所蔵)

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    明治 年送達紙   スベテ電信ヲ頼ミ出ルモノハ通信規則ノ通リ心得ベキ事  届      出    発局  □報                    ヨロツマチ   ヲサカ         第三〇号                 キンコウ     ヲナシク         高麗分局                 シウカイシヨ         十月三十日                キイトイツケン ノ ヲウ         午七時二十分               ヱンケツテイシタ         字数十八字    着局   第二三三号         [img 図]日本橋電信分局印 分局         十月三十日         四ノ三五   技術□□ 



(朱書)
十月三十日着


(聯合生糸荷預所) 書翰 東京銀行集会所宛 明治一四年一〇月二九日(DK150003k-0003)
第15巻 p.59-60 ページ画像

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東京銀行集会所所蔵文書(DK150003k-0004)
第15巻 p.60 ページ画像

東京銀行集会所所蔵文書
(コノ一行抹消)
明治十四年十月二十九日
 (以下三十四字抹消)
 横浜生糸聯合中ナル同伸社違盟ノ廉アリ除名相成候段別帋之通昨夜通知《(朱書訂正、前条ノ申報ニヨリ)》ニ付同盟各行ヘ報道スルコト左ノ如シ
今般聯合生糸荷預所同盟中ナル同伸社盟約違犯ノ廉アリ除名相成候段別紙之通々知有之候間、御本支店及其他ノ御取引先ヘ可然御通報被下度《(朱書訂正、至急)》、不取敢此段御報道申上候也
  十月廿九日               銀行集会所
    同盟各行ヘ各通
 別帋ハ
  十月廿八日附ノ分ノミヲ云
                (「東京、銀行集会所」罫紙)


東京日日新聞 第二九六八号 明治一四年一一月一日 生糸商の結合(DK150003k-0005)
第15巻 p.60-61 ページ画像

東京日日新聞  第二九六八号 明治一四年一一月一日
○生糸商の結合 横浜生糸荷預所と外商との紛紜に付神戸にてハ有志の輩ら一入奮発尽力して毎夜の様に此事に関する論題にて演説会を開き又池田清助・浜田兵三郎・堀内信・鹿島秀麿・藤田積中・有馬市太郎・丹波謙三・船井長四郎・高浜徳の諸氏三十余人同盟して甲処乙処《ここかしこ》に奔走し資本金を募り準備をなし斯一挙を賛助する為にハ応分の資金を差出すべけれバ、若し御入用の節ハ何時にても御申込み相成たくとの電報を横浜荷預所に送り、猶も三丹州の生糸荷ハ同港にて取締り一切外商へ売渡すまじき旨をも同所へ通知せりと、其熱心なるハ感ずべし、又信州上田よりの来信中にも今ど生糸の紛議に付てハ同地にて投機者と呼れたる商人までも誓ひて生糸荷預所に応援すべしと奮発するに至りたれバ、他の地方ハいざ知らず我が信州に於てハ外商に款を送るが如きものハ一人もあるまじと見えたり、東西所を異にするも其報ずるところハ一轍にして符節を合せたるが如し、然るに頃日一二の外商に荷担して彼の荷預所の目的に反対し内商の結合力をして薄弱ならしめんとするものゝ出現したるハ(昨日の紙上を見るべし)如何にも残念なる事ならずや、又去廿八日真砂町の松本楼にて開きたる生糸荷
 - 第15巻 p.61 -ページ画像 
造者懇親会の意見書と云ふものハ左の如し
 我荷造所設立ノ趣旨ハ業已ニ諸君ニ於テ領知セラルヽコトト信スレハ今玆ニ喋々ヲ須ヒサルナリ、唯単ニ諸君ニ向フテ一事ヲ勧誘シ以テ其同盟ヲ得タキ事アリ、他ナシ荷造所ノ設置ヲ拡張スルコト是ナリ、今ヤ全国生糸製産地夥多アリト雖トモ荷造所ノ設置アル場所ハ僅々上武両州及信州ノ三ケ国ニ止マリテ、他ハ之レカ範囲外ニ居ルモノニシテ而カモ同業結合ノ厚濃ナラサルヨリ、間々不可言不都合ノ事多々アルヲ常ニ余輩カ遺憾トセシヤ已ニ久矣、況ン乎余輩カ荷造所ト雖トモ未タ其結搆秩序ニ於テ完全ヲ求メルコト能ハス、故ニ自カラ其庶務モ区々ニ渉リ曾テ一定ノ処理ヲ全ウスルコトヲ得ズ、遂ニ人ヲシテ荷造所モ亦タ有名無実ノ一玩具トノ嘲笑ヲ下ダスコトナキヲ得ザルノ今日ニ於テヲヤ、然ルニ時機玆ニ至リテ今日全国諸君ト団居シテ彼我ノ実状ヲ交換了知スルヲ得タリ、如何ゾ此好機会ニ乗ジテ余輩ガ素志ヲ諸君ニ吐露シ以テ諸君ガ賛成同盟ヲ得ズンハアルベカラスト真情ノ迸出スルハ得テ拒止シ得ル所ニアラズ、遂ニ親睦ノ雅筵ヲモ不憚聊カ玆ニ一言ヲ呈シ以テ諸君ガ賛成ヲ切ニ希望スルノミ
                 聯合生糸荷造所
  明治十四年十月廿八日
                      常置委員敬白


東京日日新聞 第二九六八号 明治一四年一一月一日 報告(DK150003k-0006)
第15巻 p.61 ページ画像

東京日日新聞  第二九六八号 明治一四年一一月一日
    報告
生糸荷預リ所紛議ニ付同志者結合シ飽ク迄荷預リ所ニ応援シ商権之我ニ復センコトヲ盟約シ、近傍各地ノ賛成ヲ得ルニ依リ総理代人ヲシテ出港セシメタリ、此段江湖諸君ニ報道ス
  明治十四年十月二十日        三春生糸商結合会委員


(聯合生糸荷預所) 書翰 東京銀行集会所宛 明治一四年一一月三日(DK150003k-0007)
第15巻 p.61 ページ画像

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東京銀行集会所所蔵文書(DK150003k-0008)
第15巻 p.61-62 ページ画像

東京銀行集会所所蔵文書
(欄外追記)
十一月六日臨時小集ノ節渋沢君演舌ナリシモノ
  明治十四年産出生糸入荷調
合高弐万千九百四十七個     十四年六月ヨリ十一月五日迄横浜ヘ入荷総高
    内
 凡三千九百個也        内国商人ヨリ直輸出高
 凡四千個也          外国商人ヨリ輸出高
差引残高壱万四千〇四十七個也
 - 第15巻 p.62 -ページ画像 
    内
 一九千三百四十二個      十一月五日調荷預所入荷高
 一四千七百〇五個       横浜市中有荷高
  〆 如高
外ニ凡壱万二千個 本月ヨリ向五ケ月間即チ十五年三月迄ニ出荷可有之見込
 此為替資金見込
金百三十万円也
右ニテ資金見込高出荷概算ニ対シ割合減少ニ候ヘ共、本年中ノ出荷ハ凡三四百梱ニ止マリ可申ニ付前書ノ高ヲ以テ勉テ操廻シ候ハヽ差支無之見込、尤其内直輸出等ノ分ハ彼地売却済ニ候ハヽ繰替候運用《(ヘカ)》ノ都合モ之アルベシ


東京銀行集会所所蔵文書(DK150003k-0009)
第15巻 p.62 ページ画像

東京銀行集会所所蔵文書
  横浜聯合生糸荷預所資金出納概算
    入高
一金弐百万円也            其筋ヨリ出金ノ分
一金百廿九万六千二百七拾五円     各銀行ヨリ出金ノ分
  合計三百廿九万六千二百七十五円也
    出方
一金二百七十一万七千二百七十五円   十一月五日マテ貸出シ高
一円銀四十三万二千六百六十円     同上円銀貸出シ高
  合計金三百十四万九千九百三十五円也
   此抵当生糸九千三百四十二梱
    但別帋内訳ノ通
      別帋ノ写
明治十四年十一月五日有荷高
総計九千三百四十二個ナリ
    内訳
一三千三百五十二個   器械製糸
一千二百三十一個    掛田折返糸
一四千百五十二個    提造生糸
一五百三十九個     浜附糸
一六十八個       島田糸
  〆 如高
右当荷預所倉庫ニ現在預リ高
  ○「明治十四年産出生糸入荷調」モ「横浜聯合生糸荷預所資金出納概算」モ共ニ「東京、銀行集会所」ト印刷セル片面十一行青罫紙ニ同筆ニテ記サレタリ。共ニ十一月六日臨時集会ニ於ル演説資料ト思ハル。


東京銀行集会所所蔵文書(DK150003k-0010)
第15巻 p.62-63 ページ画像

東京銀行集会所所蔵文書
明治十四年十一月四日
 横浜聯合生糸荷預所ヨリ臨時集会決議要件並東京商法会議所ヨリハ該生糸荷主総代盟約書送付シ来ニ付同盟各行ヘ送致方取計
左ノ各行
 - 第15巻 p.63 -ページ画像 
 第一    第三    第廿七   第三十三  第百
 第百十二  第三十二  安田銀行  第十四   第百十三
 第六    第百七   九十五   第十    第四十四
 第二十四  第六十   第十九   第百八   第四十五
 丸屋銀行  第四    第三十   第十三   第六十二
 第百十九  第二十   第六十三  第八    第九十三
 第八十九  第五    川崎銀行
                (「東京、銀行集会所」罫紙)


各地方荷主総代一同盟約書(DK150003k-0011)
第15巻 p.63-64 ページ画像

各地方荷主総代一同盟約書       (東京銀行集会所所蔵)
諸君ヨ諸君ハ今日我国生糸商業ノ現状ニ就キ如何ノ感慨ヲ抱カルヽヤ実ニ国家危急存亡ノ秋ナリト云ハサルヘカラス、苟モ日本国人タル者ハ其生糸営業者ト否トヲ問ハス坐視傍観スヘキ場合ニアラス、況ンヤ現ニ其業ニ従事スル者ニ至リテハ豈ニ今日ノ情勢ヲ黙過スベケンヤ、寧ロ我輩一身ヲ以テ商権ノ犠牲トナシ万一不幸ニシテ孤城落日斃テ已ムニ至ルモ豈ニ死シテ余栄ナカラント決心セスンハアルヘカラス是レ余輩カ我国ヘ尽クスノ義務ト信スルナリ、然ルニ或ル地方ノ荷主中ニハ実ニ言フニ忍ヒサルノ挙動ヲ以テ此聯合生糸荷預所ヲ破挫セントシ已ニ各売込問屋ニ迫リテ各自ノ荷物ヲ引出シテ之レヲ外国商館ヘ直売セント企テタルモノアリ、然ルニ売込問屋ニ於テハ正理ノ存スルトコロ公道ノ在ルトコロヲ示シ、其処置ノ不当且ツ無暴ナルヲ咎メ百方説諭ヲ加ヘタルニモ拘ハラス、飽迄荷物ヲ受戻シ外国商館ヘ直売ヲ遂ントス、嗚呼諸君ヨ我三千五百万ノ同胞ハ共ニ我日本帝国ノ人民ナラスヤ、共ニ我帝国ニ忠愛ナル人民ナラスヤ、然ルニ我同胞中斯ル禽獣ニ類スルノ行為ヲナシ恬トシテ恥チス国ヲ売ラントスルノ兇賊ヲ見ルニ至タラントハ我輩同胞ノ汚辱蓋シ焉ヨリ甚シキモノナカラン、然リト雖モ我輩ハ飽迄日本帝国ノ人民タルノ分ヲ尽クサヽルヘカラサルト決心シタルヲ以テ、斯ル所為ヲ顕ハシタル荷主ニ対シテハ荷物ノ引渡ヲ断然拒絶セラレンコトヲ是レ余輩ガ売込問屋諸君ニ切望スル所ナリ、若シ夫レ諸君カ其荷物引渡ヲ拒絶セラレタルヨリ生スル所ノ責ハ素ヨリ余輩カ甘受スルモノナリ、決シテ諸君ニ困難ヲ与サルヘキナリ、嗚呼富岳ハ高シ以テ我霊ヲ祀ルニ足レリ、太平海ハ深シ以テ我屍ヲ埋ムルニ足レリ、仮令商権ノ犠牲トナルモ寧ロ国賊ト天地ヲ共ニ戴クコト勿レ、依テ余輩カ盟約スル所ヲ書シテ以テ諸君ノ承諾ヲ仰クコト如斯
              長野県下友誼社
                 総代
                     鷹野正雄
                 同
                     降幡倉蔵
              群馬県下富岡町
                     木村孝助
               群馬県下
                 群馬郡前橋
                  十六社惣代
                     市村愛三
 - 第15巻 p.64 -ページ画像 
                     印東正照
                     鈴木小十郎
                     川村聴三
              同県下富岡町
                生糸荷造所
                    山田平八郎
              山梨同盟荷主総代
                    内田作右衛門
                    広瀬慶次郎
                同
                    田中忠七
              群馬県安中駅
                生糸荷造所総代
                    上原清七
              埼玉県下
                埼玉精糸会社
                    岡戸勝三郎
              神奈川県下
                武州八王子
                    河原塚長五郎
              長野県下上田町
                生糸荷造所総代
                    成沢万五郎
              群馬県下高崎
                生糸荷造所総代
                    小林惣兵衛
              群馬県下前橋総代
                    竹内勝蔵
              群馬県下前橋
                    岩崎弥三郎
              同県下藤岡
                    山口文五郎
              荷造所本部常置委員
                    竹内常七
              同     有賀柔五郎
                    沼賀茂一郎
    横浜
      聯合生糸荷預所御中


(安田善次郎) 書翰 渋沢栄一・原六郎宛 明治一四年一一月八日(DK150003k-0012)
第15巻 p.64-65 ページ画像

(安田善次郎) 書翰  渋沢栄一・原六郎宛 明治一四年一一月八日
                  (東京銀行集会所所蔵)
拝啓陳者各行江協議ニ及候処一行丈確答遅□《(々カ)》相成候漸々本日治定仕候間左ニ
 一金弐万円ハ十二月十五日限第五銀行
 一金三万円ハ       第四十四銀行
 一金壱万円ハ       第六拾銀行
 - 第15巻 p.65 -ページ画像 
 一金壱万円ハ十一月中   第九拾五銀行
    〆
右之通承諾ニ相成候間乍延引右御通知申上候也
                      安田善次郎
    渋沢栄一様
    原六郎様
(欄外横記)
  明治十四年十一月八日
                 (「東京、第三国立銀行」用箋)


東京銀行集会所所蔵文書(DK150003k-0013)
第15巻 p.65 ページ画像

東京銀行集会所所蔵文書
○金拾五万円 皆出金            第一銀行
○金五万円  同断             第二銀行
○金五万円  同断             三井銀行
 金壱万円                 第三銀行
 金壱万五千円               第五同
 金弐万円   第一壱万円出金       第二十同
 金弐万五千円 第一弐万円出金       第二十七同
 金弐万円   第一壱万円出金跡ハ追而之筈 第三十同
 金壱万円                 第三十三同
 金三万円                 第四十四同
 金五千円                 第四十五同
 金壱万五千円               第六十同
 同壱万五千円               第九十五同
 同弐万円                 第百銀行
 同五千円   第一            第百十二銀行
 同壱万円   入金済           第百十九銀行
  〆金四拾五万円也
  ○「第一国立銀行便牋、於東京」ト印刷セル便箋ニ、複写インクヲ用ヰテ筆記セリ。栄一ノ筆ナリ。


東京日日新聞 第二九七一号 明治一四年一一月五日 生糸紛紜の応援(DK150003k-0014)
第15巻 p.65-66 ページ画像

東京日日新聞  第二九七一号 明治一四年一一月五日
○生糸紛紜の応援 横浜聯合生糸荷預所の応援の事に付き、東京商法会議所より各地の製糸家並に商法会議所へ照会ありしを追々に記せしが、猶ほ其のち益々力を極めて応援して其目的を貫かしめんとの趣きにて、廻答ありしハ岡山商法会議所・信洲上伊那郡赤穂町太陽舎塩沢佐七《(信州)》・同諏訪郡平野村武居文炳・武州熊谷森伊左衛門・上京区東丸太町野村揆一郎・岩代国伊達郡川俣製糸所青木金次・信州東筑摩郡松本南深志町大井栄作・岐阜県郡上郡八幡町杉下五平・信州下諏訪駅岩波芝吉・兵庫県気多郡久斗村拡産社・米沢製糸場・伊豆賀茂郡松崎製糸場担当人依田園・主幹依田佐二平・信州伊那郡河島長谷川範七・同上伊那郡長藤村北原庄三郎・越前大野郡勝山製糸会社・武生商法会議所宮城商法会議所・羽前西置賜郡椿村長沼吉四郎・大聖寺商法会議所・信州諏訪郡川岸村中島奥五郎
○生糸商の熱心 横浜生糸荷預所の設立以来外国商人との葛藤久しく解けず、今に対塁して曠日弥久と云ふ光景なるに飽み果てたるにや、
 - 第15巻 p.66 -ページ画像 
福島県下の荷主三五名ほどハ少しく弐の足を蹈み外商に款を通ぜんとする色ありとの事を聞き、栃木・茨木両県下《(茨城)》なる即ち宇都宮・壬生足利・水戸の生糸商四五人申合せ態々横浜まで来りて彼の福島の荷主に面会し大いに其非を責て、実に今日ハ外国商人に対して容易ならざる場合なり、若し日本商人が今にして耐忍する能ハずんバ永く頭を外商の前に擡るの期なかるべしと思へバ故と忠告に参りたるなり、若し諸君が折角我々の申す事をも聞かで外商に降伏せバ諸君こそ国を売るの姦商なりとして天下の人に憎まれ、其醜名は再び雪ぐことを得ざるべしとの趣意にて最と痛切に諭したりとぞ、其熱心なるハ実に感ずべき事どもかな、又生糸荷預所へ応援の印として岡山商法会議所より酒料金百円を贈られ、又長野県下友誼社を始め各地方荷主総代一同の盟約書○前掲ニツキ略スを得たれバ左に録す○下略


東京日日新聞 第二九七二号 明治一四年一一月七日 報告(DK150003k-0015)
第15巻 p.66 ページ画像

東京日日新聞  第二九七二号 明治一四年一一月七日
    報告
梅浦精一儀当聯合生糸荷預所副支配人申付候間此段広告候也
  明治十四年             横浜
     十一月             聯合生糸荷預所


東京日日新聞 第二九七二号 明治一四年一一月七日 神戸通信(DK150003k-0016)
第15巻 p.66 ページ画像

東京日日新聞  第二九七二号 明治一四年一一月七日
○神戸通信 ○中略本港の人民が横浜生糸荷預所に応援するよしハ兼て報ぜし如くなるが、弥々今ど銀行其他有志者にて金十万円を醵し続々荷預所へ送附し且つ有志者総代として兵庫の藤田積中氏ハ本日発の滊船にて上京せり、猶ほ丹但地方へ遊説委員を派して醵金募集に従事中なりと云ふ


竜門雑誌 第四七五号・第八九―九六頁 昭和三年四月 生糸経済座談(DK150003k-0017)
第15巻 p.66-67 ページ画像

竜門雑誌  第四七五号・第八九―九六頁 昭和三年四月
    生糸経済座談
 日本産業界の恩人たる渋沢子爵は本会○横浜生糸経済研究会の事業を賛助せらるる意味に於いて、昭和二年十月三十日午前九時本会同人たる横浜高商の井上亀三・森田優三・井上鎧三の三学士を飛鳥山の自邸に引見せられ、約二時間に亘つて明治蚕業史ともいふべき有益なる談話を試みられたのである。因つて本会は当日東京朝日新聞社速記者吉田七郎氏をして右座談を速記せしめて玆に掲載するのである。従つて文責は固より本会に存するところである。
  尚本会は老子爵の好意に対して深厚の謝意を表すると共に、此挙を斡旋せられたる横浜渋沢義一氏及河杉信勇氏の尽力に対して深甚なる感謝を致すものである。
○中略
 私が扱つたうちで生糸に関して一寸問題となつて記憶に残つてゐるのは、明治十四年に名前は忘れたが、甲九十番と言つてシーベルフランとか何とか商館の名でしたが、それが横浜に於ける主なる生糸の買人でした。それが一軒ではないけれども、主としてそれが大抵主唱者のやうな訳で、殆ど跋扈して居りました。横浜の生糸の売買の習慣と
 - 第15巻 p.67 -ページ画像 
いふものは取りも直さず、好く私共の家等で出入り呉服者が半襟や何かを持つて来る、『お気に入つたのを取つて呉れ』といふ。『それで幾つだけ取つた。』『ヘイ有難う』と残りを持つて帰る。本当の商売ではないが、生糸の売買が斯ういふやうな遣り方であつた。初めがそんなことで商売が成立つてゐたものであるから、その悪弊がちやんと残つて居り、何時かこれを改めて見るといふのではなく、それが習慣となつて存してゐたので、横浜の今の原富太郎さんの親の善三郎さんといふ人、それから亡くなつた茂木惣兵衛さん、渋沢喜作さん等の主だつた売込商店、今の問屋といふ連中が、これは実に馬鹿らしい、情けないから、これを直したいが、直すには却々骨が折れる。甲九十番といふのが鼻息が荒く、うつかりなことを言ふと、そんなことなら買はぬと言はれるかも知れぬ。その時力がないとヘイ恐れ入りましたと引下るやうでは残念だといふので、その頃馬越恭平氏が物産会社の主脳者で、矢張りその一人だつたと思ひます。その他にも吉田幸兵衛さん等といふ人もありましたが、何しろ明治十四年の事ですから、はつきり記憶しません。そこで私に相談して来たのは、渋沢喜作さんであります。喜作さんは私と兄弟同様の間柄で、原善三郎さん、茂木惣兵衛さんといふ人等は生糸については立派な商人であつたから至つて懇意にしてゐた。殊に第二銀行といふことについては私が第一銀行を造つたから、兄弟分のやうな間柄でありました。それでこの不利益極まる取引の習慣を改良しようといふことになつたが、それには随分困難の伴ふことを覚悟しなければならず、こちらの要求を容れない場合は大いに奮張る力がなければならぬので、当時大隈さんにある場合には少し金を貸して貰はなければ困るといつたら、いよいよ改良が出来るならばやつて見るもよからうといふ内意を受けて取り掛つた。果して予想通り先方ではそんなことなら買はぬと言つた。そこでこつちも買はぬなら売らぬといふことで突張り出した。さうすると横浜の問屋はよいが、問屋へ持つて来る生糸商売人が困つた。附いて来た為替を払はねばならぬ。
 地方の銀行や金貸しは、そんなことを知らぬから、それは困る、何故早く売らぬか。斯ういふ訳で売らぬ。売らないなら金を返せ、といふやうなことになつた。その金の融通を付けなければならぬと、このことが生ずるだらうといふので已むを得ぬから、その場合には、どの位だつたか数字は覚えないが、二百万円まではよいとか、三百万円まではよいとか、第一銀行が幾ら出さうとか、銀行同志がその事を申合せた。政府はそんなことに力を入れてくれないから、生糸荷預所といふものを造つて、荷を預かつて金を貸す。横浜の橋の際に一の場所があつて、それを用ひて荷預所として、銀行が出張して、荷預りの切符を出せば金を出してやるといふことになつた。倉庫と金融とをやつたのです。○下略
  ○本記事ハ「生糸経済研究パンフレツト」ヨリ転載シタルモノナリ。



〔参考〕東京日日新聞 第二九六七号 明治一四年一〇月三一日 同伸会社の背盟(DK150003k-0018)
第15巻 p.67-68 ページ画像

東京日日新聞  第二九六七号 明治一四年一〇月三一日
○同伸会社の背盟 昨日横浜よりの報に一昨廿八日当港聯合生糸売込
 - 第15巻 p.68 -ページ画像 
商人中に謀反者ありとて、聯合商人ハ臨時惣集会を開き其謀反者を聯合中より除名せりと云へり、今其顛末の詳細を聞に此同盟中屈指なる同伸会社ハ如何なる存意にや提糸四十余箇を二十五番外国商館サーゲル氏方へ持込み売捌きたり、此事在港荷主の耳に入るや各荷主ハ奮然として激怒し陸続荷預所に詰掛け、各地方にてハ諸君の知らるる如く必至の力を究め聯結盟的して荷預所を翼賛し万一にも脱荷《ぬけに》あらんことを憂ひて措く能はず、されば此盟約の固きが上にも固からんことを望みて遠路を厭ハず繁忙を顧みず態々出港して全国の結合を確乎不抜ならしめんと熱心する時に中り、其首領中の一人とも謂つべき同伸会社にして此の如き不都合を働らくハ畢竟此聯合を瓦解せしめんとの野心に出たるに相違なし、是をしも厳責せずんバ何を以て全国の有志諸君に面を向くべきや、若し之を忽せにせバ此聯合ハ忽ち土崩して商権の挽回ハ到底望むべからざるに至らん、抑も荷預所に於てハ如何なる処分を為して我々の甘心を取らんとするか其決心を聞かんと怒気満面当る可からざるの勢ひにて責掛けたり、然れども荷預所役員ハ可成たけ穏かに処置せんと望み人々を宥めて兎に角株主総会の決議に任すべけれバ暫く猶予を与へらるべしとて一時荷主を引取らせ、直ちに同伸会社の社員を招き其所為を尋しに、該社員ハ答へて右生糸ハ荷主の依頼によりて独逸へ直輸出を為すものにして同地にハ日本商人の出張なきゆゑ二十五番へ依頼せしなりと云ふ、されども其所為甚だ不都合なれバ直さま右の梱荷を引戻し同盟者へ謝罪すべしとて右同伸会社員を帰らしめしに、暫らくして再び来り荷物の引戻しハ出来難き旨を答へ、殊に該社員の口演中に右生糸ハ日本荷造の儘にで商館へ持込み其商館にて拝見し、荷印も税関の納税も悉く此外国商館の名義を用ひたりとの事なれバ最早穏便の取計ひも成り難く、即刻聯合の売込問屋一同を招集して臨時会議を開き其決議に依て断然除名したるなりとぞ、其会議の摸様ハ重ねて記すことあるべし、扨又た荷預所にてハ直ちに東京を始め各地の銀行へ此旨を電信にて報知し、又申合規則の趣旨に基き自今同伸会社とハ一切取引を拒絶すべき旨を各地同盟中へ通知しぬ、幸ひに同夜ハ各地方荷主惣代の懇親会にて集合中なれバ役員一同其集会の場所へ赴き会議決行の顛末を報ぜしに、荷主一同も其の処置の果断に出しを喜び其にてこそ此聯合も維持すべしと纔《わずか》に怒気を洩したる容子なりしとか、又同会社の聯合除名となりしに付てハ是迄同社にて荷受せし生糸を其荷主より引戻し改めて聯合中の売込問屋へ振向け度旨を続々荷預所へ申込めり、其荷主ハ固より地方聯合中の人々なれバ荷預所ハ之を承諾し直ちに其手順に取掛れりと云ふ、猶この悶着に附てハ追々報道するところあるべし



〔参考〕東京銀行集会所所蔵文書(DK150003k-0019)
第15巻 p.68-69 ページ画像

東京銀行集会所所蔵文書
明治十四年十一月一日
 *
 割印 同伸社違盟ノ件ニ付横浜聯合生糸荷預所ヘ照会
拝啓各位愈御清迪奉大賀候、陳ハ去ル二十八日同伸会社違盟ノ廉アリ除名ト相成候由再応之御照会委曲敬承仕候ニ付、早々同盟中ヘ報道執
 - 第15巻 p.69 -ページ画像 
計置候、然ルニ昨夕聞込候ニハ右同伸社ノ失錯ハ該社々員中ノ心得違ニ出テ候事明瞭致候ニ付、復ビ御同盟ニ結ハリ候ヤニ承知仕候、自然其義相違モ無之義ニ候ハヽ夫々ヘモ通報不致候ハテハ大ニ不都合ニ可有之様奉存候間、右事実御明示被下度、為念此段御照会申上候也
  年 月 日              銀行集会所
    宛
 *欄外記事〔即日午前十時
                  (「東京、銀行集会所」罫紙)



〔参考〕〔聯合生糸荷預所〕電信 東京銀行集会所宛(明治一四年)一一月一日(DK150003k-0020)
第15巻 p.69 ページ画像

(聯合生糸荷預所)電信  東京銀行集会所宛(明治一四年)一一月一日
                 (東京銀行集会所所蔵)
        (張紙朱記)聯合之回答 同日午後第五時四十分

図表を画像で表示--

     明治 年送達紙   スベテ電信ヲ頼ミ出ルモノハ通信規則ノ通リ心得ベキ事  届        出    発局  私報                    ニホンハシク   ハマレンコウ        第九十六号                  キンコウシウ   セイシニアツ        弁天分局                     カイシヨ   カリシヨ        十一月一日        午五時三十分                ドウシンシヤシヤザイ        字数三十五字                ニツキレンゴウニカニ    着局  第五一六号                 ウセリニガワセシテヨ        [img 図]日本橋電信局印 分局        シ        十一月一日        ○七二       技術中嶋 





〔参考〕東京日日新聞 第二九六九号 明治一四年一一月二日 同伸会社の再盟(DK150003k-0021)
第15巻 p.69 ページ画像

東京日日新聞  第二九六九号 明治一四年一一月二日
○同伸会社の再盟 同会社ハ生糸紛議の聯合に背きたるを以て加盟を除きたることハ前号に記せしが、猶ほ同会社委員より全く社員中に窃かに約に背きて此の所為をなせしことを証明し、且つ其社員を放逐したれバ再たび加盟を許されんことを請ふを以て、生糸荷預所より各地の荷主中へ急報にて協議に及びたるに、何れも其事明了なりたる上ハ拒むべきにあらずとの返答なれバ遂に加盟を許したり、また荷預所にてハ猶ほ盟約並に諸規則を改め其の約束を一層固くせんために昨日午後より各地惣代人並に他の盟約者の会議を開きたるよし



〔参考〕東海経済新報 第四三号・第一五八〇頁 明治一四年一一月五日 【去月廿八日同伸会社より…】(DK150003k-0022)
第15巻 p.69-70 ページ画像

東海経済新報  第四三号・第一五八〇頁 明治一四年一一月五日
○去月廿八日同伸会社より引込手続を経ずして独乙廿五番館へ提糸四拾梱を引込たるより、荷預所は勿論当時各地より派出せる荷主惣代委員に於ても不容易の事とし、即時臨時集会を開き終に荷預所の決議を以て同社を除名せしが、段々と同社の情実を問糺すと全く犯則して売却せんとせしにあらず、其実独乙国への直輸ハ正金銀行直輸為換の道も開けざる故不得止独乙人則ち廿五番サアゲル氏に依頼せし由にて毫も犯則に意なきとのこと、例に貿易商会に於て当春中信州提糸並に屑物を独乙国直輸せし時も為換の道開け《(ざ脱カ)》るより悉皆同館へ依頼せしことも之れあり、今回の同伸社も同様の手続なれども、貿易商会の直輸せしは平常の時にて同伸社の直輸は今回紛紜の際なれば是非に荷預所へ
 - 第15巻 p.70 -ページ画像 
夫れ夫れの手続をなすへきに、其手続を経ざるは全く支配人の不注意に出たる由にて、同伸社より荷預所へ一の謝状を送りしが、荷預所に於ても其故意にあらざることを察し、派出の各地方荷主惣代委員へ其旨を報し、去る一日の大会議にて同伸会社除名の決議を取消し、再び同盟に加へしと云ふ



〔参考〕大日本蚕史 (佐野瑛著) 正史・第六八六―六八八頁 明治三一年八月刊(DK150003k-0023)
第15巻 p.70 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕大日本蚕史 (佐野瑛著) 正史・第六八九頁 明治三一年八月刊(DK150003k-0024)
第15巻 p.71 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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〔参考〕馬越恭平翁伝 (大塚栄三著) 第八一―八四頁 昭和一〇年四月刊(DK150003k-0025)
第15巻 p.71-72 ページ画像

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〔参考〕朝吹英二君伝 (大西理平編) 第八六―九四頁 昭和三年一二月刊(DK150003k-0026)
第15巻 p.72-75 ページ画像

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