デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
15款 貿易関係資料
■綱文

第15巻 p.154-155(DK150012k) ページ画像

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■資料

(益田孝) 書翰 渋沢栄一宛 (明治未詳年)二月二一日(DK150012k-0001)
第15巻 p.154 ページ画像

(益田孝) 書翰  渋沢栄一宛 (明治未詳年)二月二一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓先日は不相変失敬偏ニ御宥免を願候、陳ハ先日深く御依頼仕置候米輸出之一条内々承候ニ、又跡輸出之義ワツトソンより出願いたし候処、価之押引キ中々よし先価倍ナレバ同氏ニ引受候様子ニ御座候、愚考仕候ニ斯く洋銀ハ高シ為替は安シ、たとへ竜動之売直聊か之廉価ニ候とも余程高直ニ相当致し候様売上ケ候見込ニ御座候、且ツ麻袋等も新規入手之考へも相付ケ、旁是非此後ノ分ハ御引受ケ仕実功を奏シ度祈願仕候、たとへ小生は価ヲ忘而御売払不相願ともワツトソンの売上ニ相劣リ候様の義は不仕、大隈先生の処ニ而は先頃小生より書出し候書付の外ニも手数料等御払可置御考へニも候哉ニ承り候、□《(替カ)》而さ様の義ニ無之横浜外国手数料弐分半《(二字抹消)》と申分之外ニは相受ケ不申候間、五円内外の御手取ニは為被到可申考へニ御座候、尤従是印度の豊凶如何歟確定は難仕候ヘ共、前文洋と為替と大ニ相助ケ候事ニ御坐候、右ハ此次御面会被成下候節何卒御含み置キ被下御談シ之程伏而奉希願候
御多忙の御中種々奉煩候義は恐縮の至りニ候へ共偏ニ御力を仰キ候、右奉願上度 匆々頓首
  二月廿一日
                          孝拝
    渋沢栄一様
        侍史


(益田孝)書翰 渋沢栄一宛 (明治未詳年)四月一一日(DK150012k-0002)
第15巻 p.154 ページ画像

(益田孝)書翰  渋沢栄一宛 (明治未詳年)四月一一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
過刻は不相替御無礼御寛恕是祈、今夕卿も御借申上候御約束は如何被遊候哉、一旦奮戦ヲ始め而ハ中々勝敗共に難去に至てもし御差支ナレハ明日大蔵省江御借申上候而も宜候、御示シ可被下候、上海手紙参り候間差上置キ申候
一支那送り之米は白米之残物神戸に有之候
斤数何程有之候哉問合中ニ付、其模様ニ寄リ之ヲ買入候方と奉存候、委細与倉江相談仕置候
右之段相伺度御都合次第小生も進退可仕と甚タ御妨け致候、主人翁江可然謝罪奉願候 頓首
  四月十一日
                          孝
    渋賢台


(益田孝)書翰 渋沢栄一宛 (明治未詳年月)一五日(DK150012k-0003)
第15巻 p.154-155 ページ画像

(益田孝)書翰  渋沢栄一宛 (明治未詳年月)一五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓今日は頻ニ御出勤ヲ御待申上候ヘ共、御出勤ニ不相成候故夫々取
 - 第15巻 p.155 -ページ画像 
計置申候
上海より電信ニ、現米拾万石白米五万石丈ケを四七五ニ而受取へし、其余ノ十五万石は代り品小麦銅茶等ニ而借受度、利足ハ八月五日と申越候
昨日の電信ニ驚キ先ツ是迄ニは至リ候事ナラン夫ニ寄リ返事之処如何可致哉、今日大蔵卿江罷越相伺出併而愚見をも申出候処、卿ニは支那の駈引ニ難堪余程奮怒の景色ニ而硬談致候而更ニ差支無之候間、三十万石現米取ルニアラサレハ決し而談判行届カスと申事聢と可申遣様被申聞候間、尚ヒツトン江其段篤と申含メ、厳重電信為致候、愚見と申は彼是遅延いたし置キ而は此方昨今之変革議論如何ニ変スルモ難計ニ付、速ニ委任ヲ受ケ兎ニ角御同様は十七日ニ長崎迄出張致し而潜伏いたし居レハ此方之変説は防禦被致、其内ヒツトン江策を授ケ而支那人ニ承知ナサシメ□□より出張致す事とせは可然哉と申置候処、夫ニ而も宜候趣ニ被申聞候、いつれ明日拝顔万縷可申上候 匆々頓首 十五日夜
                       益田孝
    渋沢栄一様
  尚々明夕は同町大倉方ニ集会之事ニ約条用意致置候、御集会奉願候


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK150012k-0004)
第15巻 p.155 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年      (渋沢子爵家所蔵)
十二月三十一日 曇
○上略 十二時帝国ホテルニ抵リ、智利公使米人モールス、ダン二氏及平岡熙氏ト智利硝石輸入ノコトヲ談話ス○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK150012k-0005)
第15巻 p.155 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年      (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 曇
○上略
午前十一時三十分大磯発ノ滊車ニ搭シ横浜ニ抵リ、山手百五拾弐番米人モールス氏ヲ訪フ、智利国公使ブァクナ、同領事及ダン氏・平岡熙氏ト会話ス、午後一時モール氏宅ニ於テ午餐シ、一昨日来談話セシ硝酸曹達輸入ノコトヲ議ス、公使ハ此際会社ノ設立ヲ企望セラルヽモ、適当ノ時期ナラサルヲ以テ之ヲ謝絶シ、其売捌ヲ尽力シテ販路ノ拡張ヲ勉メ而ル後会社設立ノコトヲ約ス、午後四時二十七分横浜ヲ発シ六時頃大磯長生館ニ帰宿ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK150012k-0006)
第15巻 p.155 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年      (渋沢子爵家所蔵)
六月廿九日 晴
午前九時松方伯ヲ三田ノ邸ニ訪フ、関西貿易会社ノ事ニ関シ談話アリ
○下略