デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

4章 鉱業
1節 銅
1款 足尾鉱山組合
■綱文

第15巻 p.366-368(DK150039k) ページ画像

明治10年10月1日(1877年)

是ヨリ先二月、古河市兵衛・志賀直道、鉱山組合ヲ組織シ、副田欣一所有ノ足尾銅山ヲ譲受ケントス。銅山ノ債権者岡田平馬異議ヲ唱フ、栄一三者ノ請ニ依リテ仲裁シ銅山ヲ組合ニ譲渡サシム。是日、工部卿伊藤博文ヨリ仮坑区券ヲ下付セラル。


■資料

古河文書 第二十二巻(DK150039k-0001)
第15巻 p.366-367 ページ画像

古河文書  第二十二巻          (古河男爵家所蔵)
    足尾銅山組合稼行の協約 解説
一、明治十年古河志賀組合稼行協約書
本協約の骨子は
 イ、平等出資と損益折半
 ロ、坑業事務及産出物販売を古河に委任
 ハ、三井銀行借款の弁済
にして、明治十年二月廿八日に調印されしもの也、立会人たる青田綱三は相馬家々令にして志賀氏の次席也。

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  以下p.367 ページ画像      約定書 栃木県下下野国都賀郡足尾村足尾銅山借区坑業今般副田欣一ヨリ志賀直道・古河市兵衛両人ニテ譲受タルニ付、倶々協同戮力営業センカ為メニ契約スル条々左ノ如シ     第壱条 一足尾銅山開坑工部省御許可借区ノ券面ハ直道ノ名前ニナスト雖トモ、其実直道・市兵衛両人ニテ譲受タルニ付、倶々協力シテ坑業ヲ営マンコトヲ契約セリ故ニ欣一ヨリ借区譲受代金並ニ将来其営業ノ為ニ使用スル金員総テ両人半数ツヽ出金シ、而シテ其業上ヨリ生スル利益並損毛共両人折半タルベシ     第四条 一右坑業ハ素ヨリ直道・市兵衛両人ニテ営業スルハ勿論ト雖トモ、直道ハ不馴ニ付市兵衛ニ於テ誠実ヲ以テ一切ノ事務ヲ取扱フベシ      但坑業事務一切市兵衛ニ於テ取扱フト雖トモ直道ニ於テ意見アルトキハ之ヲ述ルハ勿論固ヨリ同等ノ権理ヲ全有スルモノトス     第八条 一副田欣一ヨリ借区譲受代金ノ内、三井銀行ヨリ十二ケ年賦返済ノ約定ヲ以テ借リ入レタル金三万三千三百七拾円ハ、其証書面直道借主ノ名義ト雖トモ、其実直道・市兵衛両人営業ノ為ニ使用スル処ニ付、返済毎期必ス両人ヨリ同数ツヽ出金返済スベシ 





古河市兵衛翁伝 (五日会編) 第一一一―一一四頁 大正一五年四月刊(DK150039k-0002)
第15巻 p.367-368 ページ画像

古河市兵衛翁伝 (五日会編) 第一一一―一一四頁 大正一五年四月刊
   ○本紀 第七章 足尾買山
    三、引継ぎ
○上略
 斯く叙し来れば、足尾の引継ぎは、甚だ円滑に進捗した如くであるが、事実は甚だしく不円滑であつて、二つの故障が同時に突発して翁を悩ましたのであつた。一つは下稼人等が妨害的に翁の借区に隣接して坑区を出願し、足尾銅山の一半に割拠せんとするの計謀であつた。
若しもこれが許可さるゝ時は、足尾の経営に決裂を来す虞れがある故に、地元の示談によつて無事に落着する迄は、この事件は尠なからず翁を悩ました。併し、この問題よりも更に翁の心を労した事件は、借区譲受け出願に際しての紛糾であつた。
 前に叙した如く、十年二月廿四日に浅野幸兵衛は栃木県庁に坑業譲受願書を提出して副田氏と共に足尾村宿《しゆく》の和泉屋八之丞方に投宿し、愈数日の内に引継ぎを為さうと云ふ際に、栃木県庁から至急出頭の御用状が到達した、其文面には、『足尾銅山譲請之儀未整之廉有之、其筋に進達差支之事件有之候に付、迅速出頭可被致』とあつた。意外の
 - 第15巻 p.368 -ページ画像 
御用状に驚いた浅野は副田氏同道夜を徹して栃木に赴き、県庁に出頭して、玆に初めて、副田氏対岡田平馬氏の間に足尾に関する協約の存在せる事を知つたのであつた。岡田平馬氏とは前出岡田平蔵氏の一族であるが、この岡田氏が副田坑主に対して足尾の坑夫賃銀及食料物品代の立替支払金四千五百円の債権があり、其報償として足尾産銅十二ケ年間の販売利益折半の約定を結んで、県庁の公認を受けて居た事が初めて暴露したのであつた、而して栃木県庁は副田対岡田の協約が解除されなければ、翁の譲受請願書を工部省に進達する事は出来ぬと云ふのである。浅野の驚惑想ふ可しである。山代金は既に七千八百円は足尾に於て支払済みである故に、県庁が願書を工部省に送達しないと云ふに於ては、翁の苦痛は尋常ではない。併し、問題解決迄受渡しを遷延し難いので、翁は浅野に命じて三月十五日を以て実際の引継ぎを遂行せしめた。
 岡田対副田の事件は遂に法廷に於て争ふ迄に悪化して容易に解決しなかつたが、双方の代言人の提議によつて、訴訟を取下げて、渋沢栄一氏の仲裁裁判に解決を委ねる事となつた。当時、これを私裁判と云つた。私裁判は第一銀行の楼上に開かれて、その裁断の結果、翁は若干の示談金を岡田氏に支払ふ事により漸く解決を遂げた、斯くて栃木県庁の譲受願書伝達となり、工部省がこれに対して認可を与へたのは明治十年十月一日であつた。
      借第四百七拾九号
          仮坑区券
     東京府下第二大区壱小区内幸町壱丁目三番地寄留
     福島県士族 志賀直道代理
     栃木県下野国都賀郡足尾銅山寄留
                     浅野幸兵衛
    栃木県下野国都賀郡足尾村字足尾
    銅鉱場 弐拾壱万坪 但坑区税五百坪ニ付金壱円
  前書之通、明治七年五月八日長崎県士族副田欣一江致許可候借区開坑、今般譲受之義差許候、追而実地点検之上坪数税額共相定本証券と引換可相渡、尤此証券、坑法に相記したる借区を不可得者の手に渡り候節は、其日より可為廃物者也。
    明治十年十月一日
               工部卿 伊藤博文
  ○栄一ノ仲裁ニ就イテハ古河男爵家ニハ裁定書其他ノ資料ヲ存セズ、按ズルニ口頭ニテ仲裁ヲ為シタルナルベシ。(茂野吉之助氏談)
  ○足尾銅山ハ下野国ニ在リ、慶長十五年附近ノ住民ノ発見セシ所ニシテ、爾後銅山奉行ノ支配ニ属シ、寛文年間ニ至リ年産額三十五万貫ニ達シタリシガ、漸次衰亡ニ嚮ヒ、文化・文政ノ頃ニ至リテハ銅ハ殆ド産出セズ主トシテ廃鉱ヨリ丹礬ヲ製スルニ至レリ。明治元年十月日光県ノ管轄ニ帰シ、明治三年栃木県ニ属シテ民業ヲ許サレ、野田彦蔵之ヲ稼行シ、尋イデ副田欣一ノ経営スル所トナリシガ、共ニ薄資ニシテ開発ノ手ヲ進ムル能ハズ、時ニ古河市兵衛ハ小野組瓦解後、草倉銅山ヲ経営シテ好況ヲ示シ、更ニ他ノ銅山ヲ入手セント欲セシ際ナレバ玆ニ売買談ノ成立ヲ見タリ。而シテ古河ハ資力乏シキヲ以テ志賀直道ニ説キ相馬誠胤ノ出資ヲ得タリ。(古河市兵衛翁伝第九四頁乃至第一〇一頁ニヨル)