デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
3款 耕牧舎
■綱文

第15巻 p.518-526(DK150066k) ページ画像

明治37年8月13日(1904年)

栄一昨年末発病シ、是月予後摂養ノタメ箱根ニ在リ、是日須永伝蔵死去ス。栄一耕牧舎ノ計理ヲ簡明ナラシメ、尋イデ事業ヲ廃シテ仙石原ノ土地ハ
 - 第15巻 p.519 -ページ画像 
所有スルニ止ム。


■資料

竜門雑誌 第一九五号・第三七頁 明治三七年八月 ○須永伝蔵君逝去(DK150066k-0001)
第15巻 p.519 ページ画像

竜門雑誌 第一九五号・第三七頁 明治三七年八月
○須永伝蔵君逝去 箱根仙石原耕牧舎に支配人として既往二十有余年一日の如く尽悴せられたる須永伝蔵君は、去月来胃癌の冒す所となり種々療養に手を尽くされしも薬石終に其効なく、本月十三日に至り病勢俄に革まり溘焉逝去せらる、享年六十又三、嗚呼悲哉○下略


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三七年)八月二〇日(DK150066k-0002)
第15巻 p.519 ページ画像

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三七年)八月二〇日
                   (八十島親義氏所蔵)
十八日附貴状佐々木清麿より落手拝見仕候、留守宅一同及貴家其外とも無別条之由慶賀之至ニ候、老生も日増ニ快方いたし昨今ハ手足之痛等も余程相緩ミ昨日抔ハ二子山ニ登山相試候程ニ御坐候、高木博士も今朝出立帰京せられ候得共老生ハ月末まで滞在之積ニ御坐候、尤も宮之下ニハ相応之医師も有之候由ニ付万一之間ニ合せ候事も出来可申と存候、須永死去ニ付耕牧舎より慰労金贈与之事ハ愚案も御申越之額位を至当と相考候得共、もしも従来之同牧場会計取扱方ニ付公私混合とか又ハ計算不整理とか申廉々右祭粢料贈与之後ニ相生候而ハ不体裁と懸念いたし候為、此程須永登三郎門司ヘ之帰任を延引せしめ目下頻ニ会計整理中ニ候、其上要領相分り候ハヽ尚贈与金額之見込も申通候様可仕候ニ付、益田氏ヘハ右等之詳細ハ不申通只計算調査之義老生より注意罷在候と申事丈ハ御通し置可被下候
○下略
   ○封筒ニ「函根蘆之湯渋沢栄一」ト記セリ。

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三七年)八月二二日(DK150066k-0003)
第15巻 p.519 ページ画像

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三七年)八月二二日
                     (八十島親義氏所蔵)
○上略 正雄も金沢より明日当方へ参り候筈ニ付其上ニて子供同行仙石原へ罷越候積ニ御坐候、同所之計算向ハ須永登三郎頻ニ整理致居候
益田氏も昨日塔之沢ヘ罷越候由ニて一書被相送候、併面会之都合ニハ不相成候、右等当用申上度 匆々不一
  八月廿二日
                      渋沢栄一
    八十島親徳殿
  尚々尾高其外へも宜敷御申伝可被下候也
東京日本橋区兜町 渋沢栄一事務所 八十島親徳殿 要用直展 箱根蘆之湯 渋沢栄一
(鉛) 「三十七年」 八月廿二日発


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三七年)八月二五日(DK150066k-0004)
第15巻 p.519-520 ページ画像

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三七年)八月二五日
(八十島親義氏所蔵)
 - 第15巻 p.520 -ページ画像 
廿三日附御細見披見仕候、先以貴方一同無異之由抃賀之至ニ候、老生其他随行一同異状無之昨日ハ武・正・沢田・八木同行ニて仙石原ヘ罷越久振ニて牧場之現況視察いたし候、二十年之旧態と聊相違せしハ樹木之生長繁茂ニて此点ニハ幾分之望相生申候、乍去萱生ハ年を逐て生長相減候様被存地味之宜しからさるも相分り申候、計算之整理も中々之面倒ニて登三郎ハ頻ニ苦心罷在候、昨日ハ同人及松村・福島之三人ニ種々申含其要領相示し可成至急取纏候様申付置候、且此整理と同時ニ牧場之改良善後方案も相立候様申付候得共、文書等ニハ別而不馴之人ニて只苦配いたし候のミニ相見へ《(え)》候、品ニ寄貴兄一寸立越計算之事及将来改良之方案取調候様致度と存候、右等ハ尚登三郎等より申出候ハヽ早々御通し可申と存候、御含置可被下候
○中略
  八月廿五日                     栄一
    八十島親徳殿
○下略
   ○封筒ニ「箱根蘆ノ湯松坂屋ヨリ」ト記セリ。


渋沢栄一 書翰 渋沢元治宛 (明治三七年)九月二四日(DK150066k-0005)
第15巻 p.520 ページ画像

渋沢栄一 書翰 渋沢元治宛 (明治三七年)九月二四日
                     (渋沢元治氏所蔵)
○上略 留守宅ハ別条無之時々消息も有之候、只意外なるハ仙石原須永伝蔵氏客月俄然死去せられ候、老生恰も蘆之湯入浴之際に付多少子供達に助力いたし候得共其効も無之実に残念千万ニ御座候、併牧場之事務も村長役場之取扱も都而不都合なく結了いたし候ニ付其辺ハ先以安心之義ニ御坐候、真ニ人生ハ寸歩も先知ハ難致と別而仏氏之無常説ニ感念相増候義ニ候
○中略
  九月廿四日
                            栄一
    渋沢元治殿
○下略


(八十島親徳) 日録 明治三七年(DK150066k-0006)
第15巻 p.520-521 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三七年 (八十島親義氏所蔵)
九月四日 晴 涼シ 日曜
○上略
仙石原耕牧舎須永氏逝去后、会計整理ハ登三郎氏ノ手ニテ一通リ出来ニ付、尚ツキ合ハセノ為小生ニ出張スヘキ旨下命アリ○下略
九月五日 曇
朝例刻出勤、午后一旦帰宅、旅装ヲトヽノヘ午后二時四十五分ノ滊車ニテ仙石原行ノ途次大磯ニ立寄リ今夜ハ一泊ス○下略
九月六日 雨
軍事輸送ノ為並列車ハ西行一日二回丈ナリ、仍テ午前十一時五十七分発ニテ出発午后二時十分御殿山着一寸富士屋《(場)》ヘ立寄リ、雨中乍ラ明日晴レルト云フ目途モ無キニ付、冒雨出発ト決シ駕籠ニ乗リ午后三時出発○中略黄昏後仙石原牧場事務所ニ着ス○中略同夜十一時迄逗留中ノ須永
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登三郎氏及在任ノ福島三郎四郎氏・松村泰次郎氏等ト談話ス○下略
九月七日 晴
○上略朝ハ登三郎氏調製ノ計算書ノ説明ツキヤ《(合)》ワセ等ニ従事、十一時頃より馬ニテ福島氏ニ案内サレ牧場内視察午后モ同断、残部蘆湖方面ヨリ姥子温泉ニモ回リ一寸入浴ヲモナセリ、夜ハ諸氏ト共ニ営業方針ノ見込等ヲ談合ス
○下略
九月八日 晴
仙石原ニ於テ早起七時辞シ馬ニテ薄井峠途《(碓氷)》ヲ宮ノ下ニ出テ(途上初メテ木賀宮城の等経又大地岳モ遠望セリ)(道程三里二時間ニテ達ス)同地支店牛舎ヲ一寸視察ノ上、人力車ニテ湯本ニ出テ更ニ電車ニテ十一時小田原支店ニ来リ滞留二時間、主任者岡部五郎氏ニ種々聞糺シ又牛舎ヲ視更ニ電車滊車ニテ○中略帰京ス○下略
九月九日 晴夜雨
例刻出勤、午后王子ニ至リ主人公ニ仙石原ノ視察ヲ報告シ、六時半帰着○下略
   ○中略。
九月十四日 晴
例刻出勤、午後王子ニ行ク、男爵頭痛軽快今日ハ種々雑話アリ、且仙石原ノコトニ付テモ御談話アリ、夕七時帰宅○下略
   ○中略。
九月廿日 終日雨
○上略四時○午後ヨリ王子ニ至リ主人公ニ拝面ノ上○中略耕牧舎ノ件其他雑件陳上指図ヲ乞ヒ、夕食ヲ共ニ命セラレ緩話十時帰宅ス


仙石原外七ケ村水利事件書類(DK150066k-0007)
第15巻 p.521-522 ページ画像

仙石原外七ケ村水利事件書類 (渋沢子爵家所蔵)
明治卅七年十月一日発
  仙石原
    福島三郎四郎様
    松村泰次郎様
拝啓先便御照会致候地所内訳調・牛馬調・会計内訳調・及御封書共、去廿八日一郎君御上京ノ節正ニ受取拝見致候、谷村猿橋支店売却取引モ去月十五日終了致候由、好都合ニ御坐候、当方主人ニモ其後益々快気、愈去二十七日ニハ御礼ノ為メ宮内省ヘ出頭セラレ候ヲ始メトシ、爾来日々二三時間ツヽ当事務所及第一銀行等ヘ出頭被致候、何卒御放神可被成下候
尚貴舎ノ将来経営法ニ就テハ、爾来主人ト益田氏御協議ノ末、牧場全地面ハ兎モ角多少ノ経費カヽル共、之ヲ維持保存スル事トシ、牧畜等ノ事ハ先ツ差控ヘ候テ、言ハヾ地所ノ維持保存ヲ計ルト云フコトニ致シ、一方牛乳及田地耕作ニ就テハ、是非営業トシテ収支相償フ様之ヲ経営スル事ニ決定相成候、右ハ大体ノ方針ニ候ガ、偖其牛乳営業ニ就テハ、兼々貴下等ノ御請求モ有之候事故、新ニ主任者撰定ノコトモ御協議ニ上リ候ヘトモ、中々適任者ヲ新任スルコト困難ニモ有之候旁、東京ニ於ケル新原・松村両氏ハ多年ノ経験モ有之候事ナレバ、先右ノ両氏ヲ貴地ニ派遣シテ種々取調ベ、将来ノ考案ヲ立テサセ候事ニ、両
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資本主ニ於テ御相談決定相成候
右ノ次第ニテ、昨日主人ハ右両氏ヲ招喚シ、右ノ件申聞有之候処、両氏トモ頗辞退シタキ様子ナリシモ、結局是非共承諾スベシトノ御懇命ニ有之、両氏共御受スルニ至リ候、就テハ両氏同時ニ相成候カ、又ハ別々ニナリ候カ、未定ナルモ、兎モ角遠カラヌ内貴方ヘ出張ノ上、当分逗留シテ、種々取調ベ、意見ヲ復申スルコトニ相成可申候間、予メ御承引置相成、着ノ上ハ実況御説明ハ勿論、貴下等御意見ノ在ル所モ十分御説示相成候様致度候
右ハ主人ヨリ直書ヲ以テ貴下等ヘ御申通シノ筈ナルモ、御病後ノコト故、特ニ小生ヨリ御申通致候様命セラレタル次第ニ候間、御了承可被下候
偖又故伝蔵殿永年ノ御勤労ニ対シ、此際金壱千五百円也ヲ弔慰金トシテ、遺族ノ方ヘ贈与セラレ候事ニ決定相成候間、是又御承知置可被下候○下略
右主人ノ命ニ依リ、小生ヨリ申上候也 敬具
                     八十島親徳(印)


(八十島親徳)日録 明治三七年(DK150066k-0008)
第15巻 p.522 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治三七年 (八十島親義氏所蔵)
十月七日 曇
例刻出勤、男爵ノ出勤如前日、午後尾高氏ト共ニ新原・松村ニ伴ハレ新宿耕牧舎地面ヲ撿分ス、売却準備ノ為目下伐木中追テ地均ラシヲナス筈、六時帰宅○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK150066k-0009)
第15巻 p.522 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年 (渋沢子爵家所蔵)
二月十八日 晴 風寒シ
○上略
夕方耕牧舎ノ人々来会シ牛乳店改革ノ案ヲ協議ス○下略
   ○中略。
四月十四日 曇 風ナシ
○上略午後新原・松村・福島等ノ諸氏来ル、耕牧舎ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
五月二十二日 晴 風ナシ
○上略午飧後兜町事務所ニ抵リ市郎及尾高次郎等ト小田原乳店ノ始末ニ関シテ談話スル処アリ○下略
   ○中略。
五月二十五日 晴 風ナシ
午前七時起床日記ヲ整理ス、渋沢市郎来リ仙石原・小田原等ノ事ヲ談ス○下略


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK150066k-0010)
第15巻 p.522-523 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三八年 (八十島親義氏所蔵)
六月五日 曇
例刻出勤ス、仙石原耕牧舎解散財産処分及調査ノ為明朝出発スルコトニ定ム○下略
六月六日 大雨
 - 第15巻 p.523 -ページ画像 
大雨ニ付仙石原行中止○下略
六月七日 晴
朝八時四十分品川発車ニ乗リ仙石原ニ向フ、新原敏三・松村浅次郎・舎員久板某・肉屋鈴丈等同行ス、十二時半御殿場着、旅宿ニテ昼食ヲナシ馬ヲ賃シ馬上乙女峠ヲ越ス○中略三時間半ニシテ達ス、牧場事務所ニ一泊ス
六月八日 快晴
馬上牧場内ヲ徘徊シ放牛馬ヲ視察ス、朝鈴丈牛七拾五頭ノ詳価《(評)》ヲ為シ午後ハ更ニ戸田次郎及手下一人来リ馬ノ詳価《(評)》ヲ為ス、牡馬五頭丈ハ即刻取引ヲナス、其他田地小作・山林取締ノ件等打合モスミタレハ午後四時半馬ニテ発シ此度ハウスイ峠ヲ経七時過宮ノ下ニ着○下略
六月九日 晴
○上略仙石ヨリ福島氏モ来リ直ニ発足湯本ヨリ電車、十時小田原着同支店ノ詳価等視察諸事打合《(評)》、午後五時四十分品川着帰宅
○下略
六月十日 曇
例刻出勤○中略主人公出勤ヲ待チ仙石ノ復命略述○下略
   ○中略。
六月十七日 雨
九時出勤、本日ハ早クヨリ男爵モ出勤セラレ、順次札幌ビール・磐城炭礦・人造肥料等ノ重役会アリシ外、予ハ仙石原牛売却取引ニ関スル件及目下上京中ノ福島氏ト其跡仕末ノ打合等ニ付テ頗ル多忙ヲ極ム、六時帰宅ス○下略


仙石原外七ケ村水利事件書類(DK150066k-0011)
第15巻 p.523-524 ページ画像

仙石原外七ケ村水利事件書類 (渋沢子爵家所蔵)
明治卅八年六月廿九日
  仙石原
    福島三郎四郎殿
拝啓当牧場に対し、仙石村民より申出の件に付而廿七日付之御書状入手いたしと同時ニ村人勝俣沢次郎同市五郎両氏、貴兄廿八日附之御添書持参来訪有之候ニ付、丁寧ニ接見いたし、数時間ニ渉リ聞取、且つ当方之方針申聞申候、即ち村民惣代として右両氏陳情之要旨ハ
 一今般貴舎ハ御解散と承り候のみならす、現在牧場の地所も他ニ御売却之御交渉中との風聞さえ有之候処、元来右地所ハ村之共有物を僅の三百円ニて神奈川県ヘ御買上になり、其以来村民田畠之肥料用草刈場ニ差支を生し、農業ニ困難を来たし候実情故、今突然他人之手ニ帰し候而ハ甚不安之念ニ不堪、願くハ我々村民ニ御払下相願たし、若全部御差支ならバ一部分ニても宜敷云々
 右ニ対し当初以来之行懸リ詳細陳述ありしニ付、小生も熱心ニ承り置たり
右ニ対し小生之答の要領ハ左の如し
 一耕牧舎の牛馬の現営業ハ年々損失不少ニ付、此業体丈ハ断然廃止して引上ぐることになりたれども、牧場地面までも此際解散的に売却せんとするものに非ず
 - 第15巻 p.524 -ページ画像 
 即此地所ハ矢張三人の共有物として現形を維持し、山林・田地・原野共現状より退歩せぬ様大切に保管する方針なり、将来ハ或ハ国家時局の必要に臨ミ、再ひ西洋式ニ大々的牧蓄再興《(畜)》の機運来ること絶無ニも有之間敷と小生ハ愚考す、要するニ只今の処売却の所思ハ無し従て他人ニ売却の相談など更ニ無し、御安心あれ、御陳情の情実ハ小生も差含み、逐て資本主ニも伝言いたし候様なすべし
 要するニ当方の方針前陳の通りなるを以て、只今の処全部又ハ一部を貴村に売渡すことハ出来得ざる場合なる事と御承知ありたし
右様申答候処、両氏ハ満足の様子ニ而、至極御尤之次第、早速帰村之上一同ヘも納得せしむべしとて引取られ候、右御含迄ニ申上置候間、尚今後村民より何角貴方ヘ申出候節ハ、前記之趣意ニ而御応対被成候様致度候
市五郎氏より地所差配引受呉候事ニ付、詳細聞取、安心致候、田地小作人三人確定、小作米も平均一反歩弐俵位期限十年之由、尚規則案も一見いたし候、大体同意ニ存候、多少字句修正之必要相認候故、当方ヘ相預り置候、加朱之上来月上旬貴兄御上京の節御渡可致候、右用事如此御坐候 敬具
                     八十島親徳(印)
明治卅八年八月廿一日
拝復八月十八日附之貴書拝誦致候、不順之事ニ御坐候処、御清安珍重ニ存候
偖舎務清算引続き彼是と御尽力之段、御苦労ニ存上候
○中略
雨天ニテ器械類ノ搬出ニ御困却ノ由、御尤ノ次第ニハ候得共、カヽル些細ノ事柄ノ為ニ引上ゲヲ延引スルハ面白カラズ候ニ付、ドウシテモ搬出出来兼候トキハ、其儘ニ致置候外無之候、又四輪車二輪車等ノコト御問合ニ候処、貴下ガ相当ト思ハルヽ価格ニテ御売却可然候、若売レナケレバ東京ヘ御搬出相成度、夫レモ手配出来ザレバ、其儘物置ノ中ニ放置サルヽ外ナシ
先便ニモ申上候如ク、六月末日限リ引上ノ予定ハ、カヽル些末ノコトノ為ニ、已ニ二ケ月モ延引致シ、其間経費モ少カラズ、清算上株主ニ対シアマリ面目ノコトニモ無之故、最早此後ハ全速力ヲ以テ諸事取片付ケ、月末迄ニハ引上ノコトニ御取計相成度、家屋モ小作人ニ貸与ノ分以外ハ、買人アラバ安直ニテモ売却可然、右買人ナクバ拠ナク立腐ニスルノ外無シト存候、何レモ貴下ノ取計ニ一任致候
○中略
右等ノ事情ヨクヨク御了承ノ上、急速ニ諸事相運ヒ、上京セラレ候様切ニ企望致候
貴下モ只一人ニテ殊ニ僻遠ノ地、諸事中々意ノ如ク運バヌコトト、御心情ハ相察シ候ヘトモ、一私人ノ事柄ニ無之シテ、御互ニ職務上ノ任務故右様申上候次第、御諒意相祈候○下略
                     八十島親徳(印)
    福島三郎四郎殿
 - 第15巻 p.525 -ページ画像 


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三八年)八月一八日(DK150066k-0012)
第15巻 p.525 ページ画像

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛 (明治三八年)八月一八日
                   (八十島親義氏所蔵)
    換舌
○上略
昨夕益田氏と共ニ陸軍大臣ニ面会し仙石原之地所ニ付対談中、種々試験牧場之事申上候処一応見分可為致と被申居候、果して事実掛員ニても差出候義ニ候哉尚益田氏より御慥メ被成度、而して誰か差出候義ニ候ハヽ案内之都合等可然御打合之上品ニ寄老生出先ヘ御申越可被下候帰宅ハ廿五日ニ無相違と存候、其積ニ御心得有之度候
○中略
  八月十八日夜
                       栄一
    八十島殿
(別筆)
八十島親徳殿 用事 渋沢栄一
(鉛) 「三十八年」 八月十九日 甲 事務所印


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK150066k-0013)
第15巻 p.525 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年 (渋沢子爵家所蔵)
八月二十四日 雨 冷気
○上略
夜仙石原村民勝股沢次郎・同市五郎二氏来リ牧場ノ跡始末ニ関シ種々ノ村民ヨリ頼願ヲ申述ヘラル、依テ東京ニ於テ他日評議スヘキ旨答ヘ置ク○下略
   ○栄一八月十九日ヨリ同月二十五日マデ箱根ニ旅行シコノ日箱根ニアリ。
   ○中略。
九月二十五日 晴 秋冷
○上略須永一郎・渋沢作太郎等来リ故伝蔵墓碑ノコトヲ依頼セラル○下略
   ○右渋沢作太郎ハ治太郎ノ誤リカ。治太郎ノ妻ハ伝蔵ノ女ナリ。


(八十島親徳)日録 明治三八年(DK150066k-0014)
第15巻 p.525-526 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治三八年 (八十島親義氏所蔵)
九月廿七日 曇 稍烈風
○上略今日ハ浦田治平氏公証役場ニ至リ耕牧舎乳店年賦売渡契約ノ調印ヲナス、予ハ渋沢・益田・飯田三氏ノ代人ナリ、即東京新銭坐及新宿支店ハ新原敏三ニ、日暮里支店ハ松村浅次郎ニ、小田原支店ハ岡部五郎ニ何レモ無利足七ケ年賦ヲ以テ売渡ノコトトナレル次第ナリ○下略
九月廿八日 朝雨後晴 今日ハ妙ニムシアツタカ也
○上略耕牧舎地所ノ件ニ付三井ヘ行キ○下略
九月二十九日 曇夕ヨリ雨
早朝新原敏三来ル、新宿地所買人附キタル件ノ相談也○下略
九月卅日 曇 急ニ寒シ
 - 第15巻 p.526 -ページ画像 
○上略八時半阪谷次官ヲ大蔵省ニ訪問シ新宿地所ノ件ニ付承合ス、兜町出勤後益田孝氏ヲ茅場町ニ訪ヒ地所ノ件打合ヲナシ、大略一坪十円ナレハ売約ヲ為シ得ベキコトニ同意セラル、依テ昼新原ヲシテ先方ニ返事セシム○下略
十月三日 快晴ノ好天気
男爵今朝大久保ノ高千穂小学校ノ帰路新宿耕牧舎ノ地面一覧ノ由ニ付予モ同所ニ至リ、終リテ随従シテ電車ニテ兜町ヘ出勤○下略
   ○耕牧舎ハ事業廃止ノ後、八十島親徳「元耕牧舎清算人」トシテ所有土地ヲ管理シ、旧牧場ヨリ生ズル萱ヲ馬糧トシテ陸軍ニ売却シタリシガ、ソノ歿後佐々田彰夫之ニ代リ、昭和三年七月新ニ仙石原地所株式会社ヲ組織シ、土地ノ全部ヲ譲渡シタリ。