デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
4款 十勝開墾合資会社
■綱文

第15巻 p.530-533(DK150068k) ページ画像

明治19年7月12日(1886年)

是日栄一、益田孝・岩崎弥之助・原六郎・大倉喜八郎・安田善次郎・荘田平五郎・川田小一郎等ト共ニ北海道庁長官岩村通俊ニ招カレ、紅葉館ニテ北海道開拓ニ就キ意見ヲ徴セラル。

依ツテ同十九日銀行集会所ニ会シテ討議ヲ行ヒ、栄一該地ニ農業会社設立ノ必要ヲ説ク。


■資料

中外物価新報 第一二八二号 明治一九年七月十七日 ○北海道庁長官府下の紳商を招く(DK150068k-0001)
第15巻 p.530 ページ画像

中外物価新報 第一二八二号 明治一九年七月十七日
    ○北海道庁長官府下の紳商を招く
去る十二日北海道庁長官岩村通俊君は渋沢栄一・益田孝・岩崎弥之助西村虎四郎・原六郎・大倉喜八郎・安田善次郎・荘田平五郎・川田小一郎・種田誠一等の紳商諸氏を芝の紅葉館に招き、先づ北海道の実況を説き将来施政の方略即ち各種の産業は可成的官の手を放して民業に属せしめ、且つ除くべきの弊害は速に芟除して力の及ばん限り世人が称したる如く北海道は真に天賦富源の実を挙げしめんと欲する旨を示し、扨此に会せらるゝ諸氏は皆商業社会に錚々たる方々なれば北海道の利源を招くに就ても定めて有益なる卓見を蓄へらるゝならんと察せらるゝが故に、諸君は何卒其所見を開陳せられたし、左すれば探るべきは必ず探り官民力を協て該道利源の開拓に従事せんと欲す云々と陳べられたり、併し紳商諸氏も何分不意の事ゆへ此と云ふ程の所見を述べられたるものもなく唯一応の挨拶を為られたる迄なりしが、右に就き此等の諸氏は来る十九日銀行集会所に会し充分討議したる上にて複申せらるゝ筈なれば定めて有効の方案が出来するならん、吾々は今より刮目して其方案の如何を見んと欲するなり


中外物価新報 第一二八五号 明治一九年七月二一日 ○紳商諸氏の意見(DK150068k-0002)
第15巻 p.530-531 ページ画像

中外物価新報 第一二八五号 明治一九年七月二一日
    ○紳商諸氏の意見
前号に報ぜし如く過日北海道庁長官には府下屈指の紳商渋沢・益田・岩崎・西村・原・大倉・安田・荘田・川田・種田等の諸氏を招かれ将来北海道に於ける施政の方向等を指示されたる後、該道の富源を開発し各産業を興起せしむることに付、右面々の意見如何を下問ありしに由り、右紳商諸氏には各々約を違へず一昨十九日午後五時を期して日本橋区坂本町なる銀行集会所へ参集し、各々日来該道の産業を盛んならしめんとすることに付兼て蓄へ置かれたる満腔の意見を吐露されしかば、随分面白き説もありて、或は該道の殖産興業を盛大ならしめんと欲せば先づ英国東印度会社の如きものを創立し、之に種々の特権を与へて水陸両産を興起せしむること最良策なるべしと説くものあれば或は又一の農産会社を起し陸上の物産を興すこと最も肝要なりと主張
 - 第15巻 p.531 -ページ画像 
する者もあり、又現今の物産税なる者は北海道の隆昌に害あるものなれば先づ第一に之を除くべしと云ひ、或は又鉄道は土地を拓き物産を出すに最も必要の具なれば、該道産業の勃興せんことを望まば須く先づ鉄道を敷設し、第一着手としては先小樽より函館迄の鉄道を設くるは肝要なりと云ふの説もあり、又是迄該道の漁業場持は大抵資本の足らざる者多く、為めに其事業と資本との結合を欠きたるの有様なれば改良すへき事も何時迄も改良の途に就かず、随て海外への輸出品となるべき魚油・〆粕等の如きも矢張り従来の旧慣に依り僅々個々の製造を事とし、為めに収むべきの利益を収めざるの有様なれば、今後は以上の如き弊風を一洗し、漁業場の如きは従前の如く区々分裂の風を変じて大きく之を纏め、其各漁業場には何れも器械を設けて大仕掛に製造の出来るやうなすべしと云ふの論もありて、各自の意見は種々様々なりしと聞けり、又理事官よりは今度北海道庁に於て札幌製糖所を設け之を盛んにせんとせらるゝに付きては、当日出席の面々に於ても幾分の其株を持たれたしとの勧告もありて一同皆之を承諾され、右終て一統散会されしは午後十一時頃なりしとの由なるが、当日臨席の理事官方には始終よく各自の意見を聴取られたれば、其意見等は帰庁の上逐一長官へ具申せらるゝ筈なりと云ふ


東京経済雑誌 第一四巻第三二六号・第一一八―一一九頁明治一九年七月二四日 ○北海道開拓に関する紳商の意見(DK150068k-0003)
第15巻 p.531 ページ画像

東京経済雑誌 第一四巻第三二六号・第一一八―一一九頁明治一九年七月二四日
    ○北海道開拓に関する紳商の意見
北海道庁長官岩村通俊君ハ去十二日渋沢栄一・益田孝・岩崎弥之助・西村虎四郎・原六郎・大倉喜八郎・安田善次郎・荘田平五郎・川田小一郎・種田誠等《(種田誠一)》の府下錚々の紳商諸氏を芝紅葉館に招かれ北海道の景況等を詳示し、且将来該道施政の方針ハ成る可く官の手を去りて人民に委し官民協力して該道の盛大を致さんと欲する旨を述べ、海産ハ既に大に発達したれば今後専ら勉む可きハ陸産に在ることを説き、諸氏は定めて該道の富源を開き利源を起す方略に関して予て貯へらるゝの卓見ある可ければ之を示されたしとて其意見を諮問せられしに、諸氏は後日相会して討議を尽せし上答按を呈す可しとて当日ハ別に意見を述べられし者もなかりしが、予定の如く右諸氏ハ去十九日銀行集会所に会し右の件に就き討議されたり、此日ハ三名の理事官も出席せられて其意見をも陳せられし由○下略


竜門雑誌 旧第九号・第一七頁 明治二〇年一二月 雑報 渋沢君経済学者を招待す(DK150068k-0004)
第15巻 p.531-532 ページ画像

竜門雑誌 旧第九号・第一七頁 明治二〇年一二月
    雑報
  ○渋沢君経済学者を招待す
 渋沢栄一君は楓紅の節を幸とし、去月二十三日午前十一時より和田垣・天野・坂谷・土子・添田・浜田・犬養・森下・中橋・嵯峨根の諸氏所謂る府下の経済学者なるもの二十余名を王子別荘に招きて園遊会を催ふされたり、此日は穂積陳重氏・第一銀行の佐々木勇之助、経済雑誌社の田口卯吉氏も来会ありたり○中略既にして広間に燭を照し一同座に就くや渋沢君は左の如く演述ありたり
 ○上略之ニ就テモ兎ニモ角ニモ今日ニ勉メサル可カラサルハ農業ノ改
 - 第15巻 p.532 -ページ画像 
良ニアリ、然レトモ徒ラニ改良ト称シ機械ト称スルモ之ニ因テ利益ヲ得ル明証ヲ示サヽレハ天下何人モ之ニ就ク者ナシ、左レハ曾テ北海道庁長官ヨリ同道開拓ノ事ニ関シ種々協議アリシ節拙者ノ更ニ望ム所ハ一ノ農業会社ヲ起シ、北海道ノ最モ便利ナル土地ニ大耕法即チ機械耕作法ヲ施シ、果シテ利益アルノ明証挙レハ之ヲ内地ノ牧草地ニ及ホシ、漸次全国ノ農業ヲ改良センコトヲ望ム旨ヲ述ヘ、諸紳商トモ此事謀リシニ試験ノ為メニヤル可シト云フ者モアリタレトモ空論ナリトテ大不同意ナル者アリテ未タ実行ノ場合ニ至ラス云々ヲ以テ答タリ○下略



〔参考〕竜門雑誌 第三〇五号・第一七頁 大正二年一〇月 ○北海道の金融機関(青淵先生)(DK150068k-0005)
第15巻 p.532 ページ画像

竜門雑誌 第三〇五号・第一七頁 大正二年一〇月
    ○北海道の金融機関(青淵先生)
 本編は青淵先生が『小樽新聞』記者の請ひに応じて語られたるものにて九月十四日の同紙上に掲載せるものなり(編者識)
 回想すると明治二十年頃の事であつたが岩村さんが北海道長官となられ、赴任後一度帰京して東京の実業家連中乃ち私共を芝の紅葉館に招待された事があつたが、其時岩村さんが「北海道は今日迄恰も政府の玩具であるかの様に考へられて居たが、今日の北海道は未だ北海道それ自身の力で発達し得られるものでなく、是非東京大阪其他各都会が連合して助くる事により始めて発達するものである、言はゞ国民全体の責任であつてそれには或者を選んで其導きをなさしむる必要があり自分は其ため職を是に移し其責任を負ふたのである」と話され又私にも意見を演べてくれとの事であつたから、私共は打寄つて一つの北海道振興策と云ふ様なものを申上げた事があつたやうに記憶する。
 私は其時に北海道は何でも鉄道の普及を図らねばならぬ、又算盤が持て、利益が上ると見たならば事業は何でもドシドシと許可し、又漁業税なども引下げ土地も制度を定めてモ少し許すが宜いと云ひ、又私は当時大農法をやりたい希望であつたから、欧米に行はれる制度に傚つて大農法を始める様にして見たい、其外官営の生産事業は相当な名目で民業に移して売るなり貸すなりするがよろしい、生産事業の官営なぞは断じて止めねばならない、と云ふ様な意見を述べた事であつたが、それは全然私の希望通りには行かなかつたにしろ大体の希望が徐除として行はれた様に思ふ、今日は其の時から約二十五年を経過して居るから北海道は大に其の面目を改めて居る事と思ふ



〔参考〕竜門雑誌 第二六二号・第四―五頁 明治四三年三月 ○本邦鉄道の回顧(青淵先生)(DK150068k-0006)
第15巻 p.532-533 ページ画像

竜門雑誌 第二六二号・第四―五頁 明治四三年三月
    ○本邦鉄道の回顧(青淵先生)
  ○終始一貫民有主義の挫折
斯《かく》の如《ごと》く私共が鉄道事業《てつだうじげふ》に力を尽したといふのは必竟日本《ひつきようにほん》の商工業は未だ充分《じうぶん》に進まぬ。之を進めて行《ゆ》くに就て第一の動力《どうりよく》と為る所のものは鉄道である。日本《にほん》の交通運輸《かうつううんゆ》の大革命を為すに非《あら》ずんば決して国《くに》の富《とみ》を進むることは出来《でき》ぬと深《ふか》く観念《くわんねん》した為めである。又明治二十年であつたと思《おも》ふ。時の北海道長官岩村通俊といふ人が東京《とうけう》の商工業界《しようこうげふかい》の人々を紅葉館に集《あつ》めて、北海道の開発《かいはつ》は今後は成べく民業に委《まか》せて進
 - 第15巻 p.533 -ページ画像 
めたいと思ふが夫《そ》れには如何《いか》なる手段《しゆだん》を執るが宜《よか》らうかといふて諮問されたことがあつた。其時大勢の意向《いかう》も左様であつたが、私は主《しゆ》として早《はや》く鉄道をお進めなさい。若し官業で出来ぬといふならば民業にお任せなさい。相当の補助補助といふた所が唯金を与ふるに及ばぬ。政府が利益の保証さへなされば大抵成立つだらう。初めては函館を起点とするならば小樽・札幌、進みては釧路の辺まで二線か三線是非聯絡させなければ行かぬ。茫漠たる荒蕪地をして相当の価値あらしむるには鉄道を敷くより外に良策はない。工業の発達を助くるは勿論、農産物の価を高むるにも矢張り運送の便に拠る外はない。人間も亦之れに依つて充分移住し得るやうになる訳であるからと左様な希望を申立てた。けれども其進みは随分遅々《ずいぶんちゝ》として捗取《はかど》らない。ソコで自身等の考へでは此鉄道をして今日《こんにち》の如く遅々たる姿《すがた》に在らしむるは甚だ遺憾《いかん》である。もう少し早く進むる手段《しゆだん》がありはせぬか。夫《そ》れには民業で遣らせるが一番宜からう。或点から言へば民業に任《まか》せては統一《とういつ》を図《はか》ることが出来ぬとか、或は利益配当《りえきはいとう》を多くしたいといふ希望《きぼう》から運賃を高むるといふ弊害《へいがい》は多少之れあらん。併し又一方から言《い》へば或は経営《けいえい》がおのづから粗雑に流《なが》るゝ嫌ひはあるか知らぬけれども、官業に比すれば余程経費を省くことが出来るのみか、万事敏活に親切に行届きて迅速の発達を遂げて行くといふ点は官業の及ばざる所である。尤も線路の延長抔《えんちようなど》に就ては、民業に於ては其収益が六分に廻《まは》らなくては遣《や》り得《え》ないといふ欠点《けつてん》あるに反し、官業に於ては仮令ひ利益《りえき》の割合《わりあい》が少なくても必要《ひつよう》と思へば敷設《ふせつ》するといふこともあるけれども、併《しか》し国の財政は始終歳出の要求多きに反し、歳入の財源に乏しき例なるを以て思ふやうに事業の進行を図ることが出来ぬ。去らばといふて如何に生産的事業にせよ、政府が公債を募るとありては兎角に応募を渋ぶる傾きがないとは云はれぬ。此点に於ては民業の方が遥に為し易い。旁々以て鉄道の普及拡張は民設なるかなと私は始終論じて居つた。
○下略