デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
5款 三本木渋沢農場
■綱文

第15巻 p.609-618(DK150075k) ページ画像

明治21年(1888年)

是年、第一国立銀行八戸出張所ヲ廃止ス。其担保品中ニ三本木共立開墾会社ノ株式アリ、栄一自ラ之ヲ引受ケ、爾後同社ノ事業ニ参与ス。ナホ同社ヨリ割渡サレタル地所ヲ以テ自家農場ヲ経営ス。

三本木渋沢農場コレナリ。


■資料

青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一五二―一五七頁 明治三三年二月刊(DK150075k-0001)
第15巻 p.609-611 ページ画像

青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一五二―一五七頁明治三三年二月刊
 ○第三十三章 開墾及植林業
    第三節 三本木開墾会社及渋沢家農場
三本木原野開墾ノ発企者ハ旧盛岡藩士新渡戸伝ナリ、伝ハ晩年ノ業ナルヲ以テ嫡男十次郎之ヲ助成シテ最モ力アリ、其経画頗ル広大ナリ、即チ十里二灌漑シテ三万石ヲ得ル目的ナリ、安政二年業ヲ創メ十次郎ハ慶応三年死ス、其間六箇年酷苦経営シタレトモ上水工事ハ漸ク三分ノ一、水田ハ僅カニ四五十町歩ヲ開田シタルニ止マリ、十次郎ハ斃レ伝ハ老イ翌年ハ戊辰ノ革命トナリ該事業ハ全ク頽廃ス、然レトモ一縷水利ノ通スルアリ、因テ以テ猶ホ継続シ得タル水田三十町歩アリタリ明治九年奥羽御巡幸ノ際新渡戸ノ遺業ニ叡感アラセラレ追賞トシテ其子孫ニ御下賜金等アリ、時ノ岩手県令山田秀典大ニ感奮シテ再興ヲ図ル、其結果同十七年有志集リ共立開墾会社ヲ創立シ、官有原野千七百三十三町五反八畝十五歩ト官金弐万弐千円ノ貸下アリ
共立開墾会社ノ目的ハ資本金七万弐千円ヲ以テ水利ヲ通シ四千九百四拾四町〇壱畝廿七歩ヲ開墾スルモノトス、而シテ其資本金ノ内弐万弐千円ハ既ニ官金ノ貸下アリタルニヨリ残金五万円ヲ株主ヨリ募集シ、開墾地ハ官有原野ヲ予約払下ノ約束ヲ以テ拝借シ各株主ニ割当テ、宅田畑林ノ四科ニ分テ開墾セシメ、成功ノ上ハ払下ヲ得テ之ヲ各自ニ所有セシムル方法ナリトス
会社創立後明治三十一年ハ十五箇年目ニシテ即チ開墾成功期限ニ達シタリ、依テ其経過ヲ叙スルニ便宜ノ為メ之ヲ三分シ毎五箇年ヲ以テ一紀トス
第一紀(明治十七年ヨリ同二十一年マデ)
 地所ハ官有原野四千九百四拾四町〇壱畝廿七歩拝借出願シテ内壱千七百三拾三町五反八畝拾五歩(残地ハ社業ノ進歩ニ従ヒ追々拝借スルモノトス)許可サレタリ然ルニ十九年ニ至リ同三本木地内ニ軍馬育成所ノ設置アリ、其必要地トシテ此ノ内五百五拾九町弐反九畝拾歩返地ヲ命セラル、而シテ又二十一年ニ至リ未借地中弐千六百〇九町四反三畝弐拾九歩ハ御料地ニ編入セラレ予約払下ノ契約ニテハ拝借ノ叶ハサル性質ノモノトナレリ
 株式ハ千株募集シテ僅カニ弐百三拾株ノ応募者アルノミナリ
 事業ハ新渡戸ノ時開鑿セシ上水線路ノ大破セシモノヲ其形式ニ従ヒ
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修築浚渫シテ漸ク三十箇ノ水量ヲ疏通シ得タリ、而シテ地所ハ各株毎ニ壱株ニ付三町歩割当テ、又会社直接開墾事業トシテハ試験場三拾六町歩及森林地五拾七町歩ヲ区劃シテ其内凡ソ三分一着手セリ
 当紀間ハ創業草々ノ時代、殊ニ一般会社思想ニ乏シク事務上ノ混雑随テ株主間ノ紛擾等ノ為メ次第ニ不振ノ境遇ニ陥リタリ
第二紀(明治二十二年ヨリ同二十六年マデ)
 株式ハ予定ノ応募其ノ数ニ達セサルノミナラス既ニ応シタル弐百三拾株モ其払込(壱株五拾円ニシテ一箇年五円宛十箇年ニ払込ム方法ナリ)ハ殆ト皆無ナルニヨリ止ヲ得ス之ヲ処分セシニ、其内八拾五株ハ尋テ払込ミ百弐拾四株ハ渋沢家ニ於テ引受クルコトヽナリ弐拾壱株ハ(応募ノ申込アリシノミニテ未タ一回モ払込マサル株式)没収セリ、而シテ拝借金弐万弐千円ハ八十箇年賦利引返納ノ方法ニヨリ一時切金ヲ以テ金弐千七百四拾八円六拾五銭八厘上納シテ全ク返済ノ義務ヲ免カル、之ニ依リ会社ノ資本金ヲ壱万〇四百五拾円ニ切縮メ外ニ拝借金ヲ返納シタル残金壱万円ヲ積金トシテ一時会社ノ経済ヲ整理シタリ、地所ハ曩キニ出願シテ未借地ノ分ヲ前拝借ノ際附シタル条件ニテ拝借ヲ願ヒシカ竟ニ許可ヲ得ス、故ニ既借ノ分ニ於テ先ツ事業ノ進行ヲ勉メ更ニ上水工事ヲ起シテ三十箇ノ水量ヲ増シ七十箇トナシ、又試作場森林地ニハ新タニ田畑森林家屋等三十余町歩開墾シ、其他各株主ヲ督励シテ開墾ヲ促シ依テ大ニ見ルヘキモノアルニ至レリ
第三紀(明治二十七年ヨリ同三十一年マテ)
 今度会社カ更ニ数千町歩ノ地所ヲ拝借シテ開墾セントスルニハ予メ其地勢ヲ察シ其方法ヲ詳カニセサルヘカラス、依テ先ツ技師ヲ聘シ目的ノ地ヲ実測シテ上水ヲ計画シタルニ、水田四千町歩ヲ得ヘキ見込ニヨリ水量二百八十箇ヲ引入ルヽモノトシテ設計シタリ、故ニ三千六百町歩(御料地及官有原野ヲ合セシナリ)拝借シ次テ金六万円ヲ募集シ、該金ヲ上水工費ニ充ツルモノトシテ地所ノ拝借ヲ出願セシカ、其内御料地ノミニテ弐千五百拾四町四反六畝拾八歩許可ヲ得タリ
 当期ノ初ニ於テ商法実施トナリ依テ会社モ亦其法律ニ従ヒ株式組織トシ即チ三本木開墾株式会社ト改称セリ、株式ハ新ニ千弐百株(壱株五拾円トシテ一箇年金拾円宛払込ム方法ナリ)募集シタルニ頗ル好況ニシテ忽チ満株トナル、此ノ時ニ方リ創業ノ際募集シタル株金ハ既ニ払込済ミトナリ依テ之ヲ旧株ト称シ(旧株ハ新株ニ比シ地所ニ於テ五割増所有シ得ルモノトス)新株ト区別セリ
 前記拡張工事ハ株金集合ノ都合ニヨリ起工スル予定ナリ、即チ竣功シタル分ハ十分ノ四ナリトス
青淵先生ハ故広沢安任ト旧知アリ、安任維新後陸奥南部ニ移リ開墾牧畜ヲ以テ業トス、先生ハ第一国立銀行ノ主宰者ニシテ東京ニ在リ、而シテ支店ヲ南部八戸ニ置ク、依テ先生ハ稍々南部ノ事情ニ通ス、安任常ニ南部ノ曠野大ニ開拓セサルヘカラサルヲ説ク、先生䘖ンテ未タ機アラス、時ニ明治二十一年行議八戸支店ヲ廃セントシテ担保品ノ処分ニ苦ムモノアリ、即チ三本木開墾会社ノ株式ノ如キ其ノ一ニ居ル、先生之レヲ安任ニ謀ル、安任以為ラク、此ヲ転シテ先生一箇ノ所有ニ帰セシメ以テ会社ノ不振ヲ救ヒ併テ国家ノ大業ヲ成功セシムヘシト、先生之ヲ諾ス、之レ先生カ同会社ニ関係ヲ有スルニ至リタル初ニシテ、
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爾後先生ノ尽力ニヨリ会社ノ事業ハ着々改良進行セリ○下略


共立開墾会社規則(DK150075k-0002)
第15巻 p.611-615 ページ画像

共立開墾会社規則 (渋沢子爵家所蔵)
三本木原野開墾ノ為メ官地ヲ拝借払下又ハ免租除税等ヲ請願シ、水利ヲ経営シ道路ヲ区画シ防風林ヲ養樹スル等ノ叓業ヲ興シ、全国ノ公益及株主ノ利益ヲ謀リ此共立開墾会社ヲ創立スル為メ其発起人協議ノ上決定スル所ノ条々左ノ如シ
    第一章 浩社《(結カ)》ノ事
第一条 当会社ノ名称ハ共立開墾会社ト称ス可シ
第二条 当会社ヲ上北郡三本木村エ設置ス可シ
第三条 当会社ノ資本金ヲ七万弐千円トシ、内拝借金弐万弐千円ヲ除キ其余金五万円ハ社員ヨリ募集スルモノトス
第四条 政府ヨリ拝借金弐万弐千円返納ノ義務ハ無限責任トス
第五条 社員ノ募集金ハ五拾円ヲ以テ壱株ト為ス
  但此株金払込ハ明治十七年ヨリ同廿六年迄十ケ年賦四十回ニ分チ毎年三月・六月・九月・十二月ノ四度ニ出金スルモノトス
第六条 本社エ加入スル者ハ明治十七年ヨリ同廿一年迄五ケ年ヲ限リトシ、十八年迄二ケ年中ハ跡ヨリ加入スルト雖トモ其加入ノ月迄払込ム可キノ金額ヲ一時ニ払込ミ、十九年ヨリ三ケ年間中加入ノ者ハ其加入ノ月迄払込ム可キ金額エ年壱割ニ当ル利子ヲ添一時ニ払込ムモノトス
第七条 株金ノ払込ヲ期限後一ケ月間延滞スルモノハ年壱割ニ当ル利子金ヲ添払可《(込カ)》ム可シ、猶怠タル者ハ議権及役員撰被ノ資格ヲ失フモノトス
  但其延滞シタル日数十五日未満ハ半月分、十六日以上ハ全月分年壱割ニ当ル利子ヲ添払込ム者ハ本社員ニ復ス可シ
第八条 株金皆払込ノ期限後五ケ月ヲ経過スト雖トモ猶入金セサルモノハ株主タルノ権利ヲ抛棄シタルモノト見做シ、先ノ払込金ヲ没収シ株主ヲ除名ス可シ
第九条 当会社ノ株主ハ株式壱個ニ付株券状壱通ツツヲ受領スルノ権アル可シ
第十条 本社ノ株券ハ社名ヲ以テシ社長及出納主任ノ検印ヲ為シ相渡スモノトシ、毎回払込ノ受取証ハ社長及出納主任ノ名ヲ以テ相渡スモノトス
第十一条 本社ノ株主ハ壱人ニテ幾株ヲ所有スルヲ得ルモ、数人ニテ壱株ヲ所有スルヲ許サズ
第十二条 本社ノ営業年限ヲ満三十ケ年ト定メ、五ケ年ヲ以テ一期トシ該年限中株金ノ払戻ヲ許サヽルモノトス
第十三条 当会社ノ株券ヲ売却譲与セント欲スルトキハ券状・払込受取証共当会社ニ持参ス可シ、当会社ニ於テハ相当ノ検査ヲ遂ケ該券状裏面枠内ニ社長記名調印ノ上之ヲ差戻スヘシ、其手続ヲ為サヽルモノハ売渡譲受ケノ効ナキモノトス
  但売却或ハ譲渡等申出ルトキハ手数料トシテ株券壱枚ニ付金五銭宛ヲ本社ニ収入ス可シ
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    第二章 役員ノ事
第十四条 本社ノ社長ハ株主ノ投票ニヨリ県庁ノ認可ヲ経テ之ヲ定ム
第十五条 本社エ主事弐名ヲ置キ社長ノ見込ヲ以テ之ヲ人撰シ、理事委員ニ量リ県庁ノ認可ヲ経テ定ムルモノトス
  但可成株主或ハ株主ノ子弟ヨリ撰挙スルモノトス
第十六条 本社ハ五拾株ニ付壱人ノ割合ヲ以テ理事委員ヲ置キ、弐拾株以上所持スル株主ヨリ五人、拾株以上所持スル株主ヨリ五人、五株以上所持スル株主ヨリ五人、弐株以上所持スル株主ヨリ五人投票ヲ以テ之ヲ撰定シ、其在職年限ヲ三ケ年トシ期限ニ至リ再撰スルモ妨ケナシ
  但即今株主不揃ニ付当分ノ内株主中ヨリ拾名ノ理事委員ヲ互撰スルモノトス
第十七条 本社エ小使壱名ヲ置キ社長ノ見込ヲ以テ之ヲ撰定ス
第十八条 事業及経費ノ都合ヲ以テ開墾現業生ヲ置キ其人員及俸額ハ理事委員ノ決議ニヨルモノトス
第十九条 社長ハ在職年限ナシト雖トモ、公撰其当ヲ得サルトキハ理事委員三分ノ二以上協議ヲ以テ五ケ年目総会ノ決議ヲ経テ改撰スル事ヲ得ル
第廿条 主事ハ社長ヲ補佐シ社長ノ指揮ヲ受ケテ事務ニ任スヘシ
第廿壱条 本社ノ事務取扱時間ハ十月ヨリ四月迄ハ毎日午前九時ヨリ午後四時迄、五月ヨリ九月迄ハ毎日午前八時ヨリ午後三時迄トス
  但毎日曜日及大祭日ハ休暇タル可シ
    第三章 地割渡方之事
第廿二条 拝借地ノ内第一道路及溝敷土手敷並木敷等ノ区画ヲ定メ、第二開墾地及森林植込地ノ区画ヲ定ムルモノトス
第廿三条 本社ノ附属地トシテ赤治堪ノ東エ壱ケ所、相坂ヨリ高清水ニ通スル道ノ左右エ壱ケ所、各五拾町歩ツヽ陸田地ヲ定メ、耕馬喰料ノ牧草ヲ始メ苗木等ヲ植立種芸場ト為スモノトス
第廿四条 前両条ノ区画ヲ定メタル上ハ水田壱町歩、畑・宅地ニテ壱町七反歩ヲ以テ壱株当リノ一区ト為シテ地割ヲ為シ之ニ番号ヲ附ス可シ
第廿五条 田・畑・宅地ノ区画定マリタル後、理事委員ノ内ヨリ五名地所検査員ヲ撰定シ地所ノ位ヲ定ムルモノトス
第廿六条 地位ノ等級ヲ定メタル後地所望ノ者エ壱株ニ付一区ツヽ抽籤法ヲ以テ相渡スモノトス
  但割渡シヲ受ケタル地所水田ト為シタル分ハ民有地開墾地ニ準シ開墾ノ年ヨリ四ケ年間猶予、五ケ年目ヨリ壱ケ年米壱斗ツヽ五ケ年間合米五斗之ヲ上水費価却トシテ本社ニ差出ス可シ
第廿七条 割渡地所ハ受取タル月ヨリ十二ケ月間開墾ニ着手セサルトキハ本社エ引揚ケ、他ノ望人エ相渡スモノトス
第廿八条 割渡ヲ受ケタル地処ト雖トモ、地代金上納不済内ハ私有地ト為スヲ得スト雖トモ、十六ケ年目利益配当ノ節ハ地代金上納各自地券状御下附ヲ乞願スルモノトス
    第四章 会議ノ事
 - 第15巻 p.613 -ページ画像 
第廿九条 理事委員ハ毎年二月中旬ヲ以テ本社ニ集会シ、該年ニ於テ施行ス可キ事業順序方法及予算金員ヲ議定シ、且前年度中ノ決算報告ヲ受ケテ之ヲ検査ス可シ
第三十条 本社ノ株主ハ毎一期総会ヲ開クモノトス
第卅一条 前条会議ノ議按ハ社長之ヲ発ス
第卅二条 会議ノ議決ハ県庁エ差出シ認可ヲ経ルモノトス
第卅三条 事業上実際理事委員決議ノ如ク施行スル能ハサルトキハ、社長ハ臨時理事委員ヲ招集シテ会議ヲ開クノ権アル可シ
第卅四条 社長ハ本社ノ事務ヲ総括スト雖トモ、慢リニ理事委員議決外ノ事業ヲ起シ及予算外ノ金員ヲ支出スルヲ得ス
    第五章 役員給ノ事
第卅五条 社長以下ノ役員エ左ノ月給ヲ支給スルモノトス
 社長      月給金弐拾五円
 主事弐名    月給金拾八円
  但撰挙シタル人ニヨリ社長ノ見込ヲ以テ支給額ヲ定ムルモノトス
 小使      月給金四円
第卅六条 社長及主事ノ月給ハ十五日前後ヲ区別シ、十五日以前ハ全月分、十六日以後ハ半月分トシ其月十七日ニ相渡スモノトス
  但現業生及ヒ小使給ハ日割ヲ以テ毎月末ニ相渡スモノトス
第卅七条 諸役員出張巡回ノ節ハ左ノ規則ニヨリ旅費・日当ヲ支給ス
 第一項 社長及主事ハ開墾区域内ヲ巡回シ壱泊スルトキハ止宿料トシテ金三拾五銭ヲ支給シ、日帰スルトキハ之ヲ給セス
 第二項 同上区域外弐里以上ノ地ニ出張スルトキハ壱里金八銭ノ割ヲ以往復ヲ通算シテ旅費ヲ支給シ、壱泊スルトキハ止宿料トシテ一日金五拾銭、日帰スルトキハ弁当料金拾五銭、滞在スルトキハ止宿料トシテ一日金五拾銭宛ヲ支給ス
   但弐里未満ノ地ハ総テ区域内ノ例ヲ以テ支給ス
    第六章 出納ノ事
第卅八条 起業資金弐万弐千円拝借返納ハ本年ヨリ明治廿六年迄十ケ年据置キ、同年七月ヨリ四十六年六月迄無利子廿ケ年賦一ケ年金千百円ツヽ毎年五月十五日限リ返納スルモノトス
第卅九条 拝借金ノ内初年ニ金七千五百円ノ準備金ヲ置キ之ヲ駅逓局エ依托シ、利子ヲ増加シ事業費ヲ支出セスシテ積立金トナシ、六ケ年目ヨリ毎年金五百円宛ヲ増加シ利子金トモ悉皆積立拝借返納金ニ充テ、返納皆済ノ上其残金ハ資本金エ繰込ムモノトス
第四十条 前条準備金ヲ除キタルノ外金壱万四千五百円ヲ事業金ト為スト雖トモ、毎年施行ス可キ予算金ノ外ハ銀行或ハ其他ノ丈夫成者ニ定期預ケ金トシ、其抵当ハ公債証書或ハ右ニ準スル丈夫ノ者ヲ取調、県庁ノ裁定ヲ経テ取究ルモノトス
第四十一条 該年事業ニ支出ス可キ予算金ハ丈夫成掛屋ヲ依托シ、其掛屋エ預ケ置キ毎回株金収入ノ一分トモ都テ預ケ置クモノトス
第四十二条 前条掛屋ヨリ預ケ金ニ対スル抵当ヲ差出サシメ、其抵当ニ超過スルトキハ四十条ニ準シ定期預ケト為スモノトス
第四十三条 毎回株金払込ノ分ヲ始メ事業費ノ支出トモ都テ掛屋ノ甲
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乙帳ヲ以テシ、会計主任者ハ現金ノ取扱ヲ為サヽルモノトス
第四十四条 事業費ヲ始メ社費支出ノ証書ヲ一ケ月毎取纏メ、一月ヨリ六月迄、七月ヨリ十二月迄二期ニ打切リ勘定取調候モノトス
第四十五条 本社資金ノ収支勘定ハ該翌月三十日限リ県庁エ届出、理事委員エハ回章ヲ以テ報告スルモノトス
  但一般社員エハ勘定ノ抜萃ヲ新聞ヲ以テ報告ス可シ
第四十六条 本社ノ資金ハ本業ノ外他エ流用スル事ヲ許サス
第四十七条 畑田成及其他ヨリ生スル上水費償却米代金ハ十一月中、七戸・三本木両所ノ上米相場ヲ以テ十二月三十日限リ収入スルモノトス
    第七章 利益配当ノ事
第四十八条 本社利益ノ配当ハ起業ヨリ十五年間据置キ十六ケ年目ニ至リ配当ス可シ、尤土地ヲ望ムノ社員ト土地ヲ望マサルノ社員アル可キハ顕然ニ付、都テ金ヲ以テ配当ノ計算ヲ立テ土地ヲ望ムノ社員エハ地代金ヲ引去リ配当スルモノトス
第四十九条 十六ケ年目利益配当ハ準備金ヨリ生スル利子金ヲ除キ、其他ノ純益金高十分ノ二ヲ以テ積立金トシ、其余ノ分ヲ株数ニ割合配当スルモノトス
第五十条 本社ノ水田見込地反別千町歩ハ、壱反歩ニ付キ素地代価平均金弐円ノ代価ヲ附シ、配当金ノ内ヨリ引去リ配当スルモノトス
第五十一条 右地価ハ理事委員ニ於テ之ヲ評価シ、土地ト雖トモ壱反歩ニ付金三円ヨリ登ル可カラス、壱円ヨリ下ラサルモノトス
第五十二条 畑宅地ニ開墾見込地反別千八百町歩ハ、壱反歩ニ付平均代金壱円ノ代価ヲ附シ配当金ノ内ヨリ引去リ配当スルモノトス
第五十三条 前条代価平均方法ハ水田ニ同シト雖トモ、壱反歩ニ付代金壱円五拾銭ヨリ登ル可カラス、五拾銭ヨリ下ラサルモノトス
第五十四条 前条水田地及畑・宅地ノ見込地社員ノ望ニ不足スルトキハ、本社加入ノ前後ノ順序ヲ以テ配当シ、又社員ノ望ニ余リアルトキハ社外ノ者エ入札ヲ以テ払下ルモノトス
第五十五条 森林地反別弐千廿九町五反八畝歩ハ、立木植込ノ儘壱町歩ニ付キ平均代金拾五円ノ代価ヲ附シ株数ニ割合配当ス可シ、若シ社員ノ望ニ余リアルトキハ社外ノ者ニ入札払ヲ為スモノトス
第五十六条 前両条入札払代金収入ノ分ハ利益配当ノ内エ繰込ムモノトス
第五十七条 森林代価平均方法ハ水田地ニ準スト雖トモ、反別壱町歩ニ付キ金弐拾円ヨリ登ル可カラス、拾円ヨリ下ラサルモノトス
第五十八条 前条々初回ノ利益配当ニハ本社附属ノ耕地・建築ノ家屋耕馬・器械等都テ本社ノ財産トシ之ヲ保存ス可シ
第五十九条 営業年限満期利益配当ノ節ハ、準備金ヨリ生スル利子増加ノ分、拝借返納残金ヲ始メ耕地及耕馬・器械・家屋ノ類等悉皆入札ヲ以テ払下、其代金トモ合テ株数ニ割合配当スルモノトス
第六十条 諸役員ハ薄給ヲ支給スルニヨリ、十六年目利益配当ノ際理事委員ノ議決ヲ経テ、純益金ノ内ヲ以テ相当ノ報酬ヲ為スモノトス
第六十一条 前条々事業ノ伸張ニ随ヒ更正スルコトアル可シト雖トモ
 - 第15巻 p.615 -ページ画像 
毎一期総会ノ決議ヲ経テ県庁ノ認可ヲ得ル非ラサレハ都テ改正スル事ヲ得ス


三本木開墾株式会社業務成績(DK150075k-0003)
第15巻 p.615-616 ページ画像

三本木開墾株式会社業務成績
起原及沿革
 曠原荒野名ケテ三本木野ト云フ、地ハ陸奥国上北郡ニ属ス、抑モ斯ノ地開墾ノ起原ハ安政二年旧盛岡藩士新渡戸伝《ニトベツトウ》ノ経営ニ始マル、当時灌クニ水ナク、防クニ樹林ナク、寒ニ暑ニ行旅ノ人ヲ疚シメタル不毛ノ地ナリシガ、伝其嗣子十次郎ト共ニ開墾ノ業ヲ大成セン事ヲ期シ、当時藩庁ノ允許ヲ得、自費ヲ投シテ土功ヲ起シ、遠ク水利ヲ奥入瀬川ノ上流ニ求メ、中里川・熊沢川ノ二川ヲ合シ、墜渠ヲ穿チ大溝ヲ開掘スル事八千百十四間、支溝ヲ通スル事九千二百間、民家ヲ建設シテ開墾ニ従事セシメタル戸数百三拾戸、市街ヲ原頭ニ新設シ、商估ヲ各地ニ招キ、需用供給ノ道ヲ開キ、工業畜産ヲ奨励シ、兼テ神社仏閣ノ必要ヲ説キ、祭祀ヲ盛ンニシテ部民ヲ慰シ、祭具ヲ新調シテ部落ニ供スル等、用意周到足ラサルナク、事業ノ基礎コヽニ立ツ、今ノ三本木駅是ナリ、万延元年土功ソノ功ヲ卒ヘ、乾堅ノ地洋々トシテ水始テ流ル、爾来斯業ノ大成ヲ期セシニ、慶応以来兵馬倥傯、身士籍ニアルヲ以テ亦タ事業ヲ顧ルニ暇ナク、嗣子又父ニ先達テ没シ、中途ニシテ廃スルノ止ムナキニ至レリ、明治四年廃藩置県トナル、伝モ又病没ス、玆ニ於テ事業全ク廃絶ニ帰ス、大小溝渠潰破スルモ修繕スルモノナク、僅カニ熊ノ沢ノ河水ニ依リ耕作ヲ為シ、新駅ヲ保持セシニ、明治九年七月
聖駕東巡斯ノ地ヲ過キリ給ヒ、時ノ権参事塩谷良幹氏ヨリ事歴ヲ奉リ
 故伝ニ思典《(恩)》アリ、各省ノ諸卿又親シク事蹟ヲ聞ク、尋イテ明治十三年四月、時ノ上北郡長藤田重明大業ノ潰癈斯駅《(廃)》ノ衰微ヲ慨歎シ、開墾再興ノ議ヲ松方内務卿ニ建言ス、翌十四年六月県令山田秀典氏ヨリ重テ内務大蔵農商務ノ各省ニ開墾資金貸与ノ請議ヲ提出シ、玆ニ初メテ政府ノ採用スル処トナリ、明治十五年起業資金弐万弐千円貸与ノ恩命ヲ得タリ、爰ニ於テ藤田郡長官ヲ辞シ、同志者ト謀リ、明治十七年四月共立開墾会社ヲ創立シ、自ラ其社長トナリ、資本ヲ貸与金ニ合シテ再興事業ニ着手セリ、越ヘテ廿年大小溝渠修築ノ功ヲ卒ヘ、始メテ旧態ニ復スルヲ得、爾来、着々開墾ニ従事スルニ至レリ、而シテ開墾ノ成果見ルヘキモノ多ク、タメニ開墾ノ声地方ニ高ク、有志者加入ヲ乞フモノ陸続トシテ顕ハレ、既定計画ニテハ到底其ノ希望ヲ充シ能ハサルヲ以テ、水量増加ノ必要ト共ニ、明治二十九年従来ノ規画ヲ拡張シ、水量ヲ壱秒時間弐百八拾個(一尺立方)疏通ノ設計ヲ立テ、開墾地ニハ拝借御料地ヲ充テ、旧会社ノ資本金ヲ弐百九株トシ、更ニ株式壱千弐百株ヲ募リ、之レヲ新株トス、合シテ現在ノ株式千四百九株、壱株ノ金額七拾五円ニシテ、総資本金拾万五千六百七拾五円ナリ、之レヲ株式組織トス、現今ノ三本木開墾株式会社是ナリ
起業地ノ位置
 陸奥国上北郡南方一帯ノ曠野ニシテ西南々東ニ位シ、西ハ八幡岳ノ
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脚鞍出山麓ニ起リ、東ハ太平洋ニ瀕シ、南奥入瀬川ヲ限リ、北砂泥川ニ臨ミ、広袤東西拾里南北二里トス、中央三本木駅全部ヲ包容シコレ本社ヲ此地ニ存スル所以ニシテ、西ニ法奥沢村ヲ控ヒ、東南ハ藤坂六戸下田百石ノ四ケ村ヲ縫ヒ、北ハ大深内村ノ西南部ヲ籠メ、三沢村ニ界ヲ接ス、内ニ数十ノ支村点々介在シ、該附近ニハ各所民有ノ田畑山林秣場等アリ、地形平坦地味膏腴ト云フニ非サルモ、頗ル耕牧ニ適ス、気候又本郡ニ冠タリ
基業地ノ面積
 当会社ノ事業地積ハ予約払下拝借地ニシテ、官有原野及御料地ノ二種合計四千五拾町四反五畝拾壱歩トス、内面積九百拾八町七畝七歩ハ官有原野ニシテ、明治十七年ノ拝借ニ係リ、予約年限ノ十五年ヲ終ヒ、成功ヲ告ケ、払下ヲ得タルモノニ属シ、其他面積三千百卅弐町参反八畝四歩ハ御料地其他ノ拝借ニシテ、是亦成功払下ケ、各株主ニ割当、已ニ所有権ヲ移付セリ
事業ノ目的及方法
 当会社ノ目的ハ開墾・植林・上水・分水ノ四項ニシテ、其方法ハ会社ノ予約払下ヲ得タル土地全体ノ地形ニ就キ、灌漑地不灌漑地ノ二種ニ区分シ、更ニコレヲ小区分シテ、抽籤ノ法ニ依リ、各株式ニ割当、旧株式壱個ニ付素地三町五反歩、新株式壱個ニ付素地弐町三反参畝拾歩ヲ株主ニ仮リニ割渡シ、各株主ハ自己ノ労費ヲ以テ開墾又ハ植樹スルモノトス、上水分水ノ二項ハ会社直接コレヲ営ミ、各株主ノ開墾地ニ供給スルノ外、社外民有地ノ開墾ニハ、使用料ヲ徴シテ利用セシムルニアリ


渋沢農場要覧(DK150075k-0004)
第15巻 p.616 ページ画像

渋沢農場要覧
曩に東京第一銀行支店出張所を八戸町に置かれたるも、都合により明治二十一年に之れを廃することゝなれり、其担保品の処置に苦しむものあり、即ち三本木共立開墾会社株券(旧株〉の如きは其一なり、然るに渋沢子爵は同行の主宰者なれば、自ら責を負ひ、不振なる三本木共立開墾会社を救ひ、併せて国家の大業を成功せしめむとして、全部(百弐拾株但し一株に対する割当面積参町参反五畝歩なり)之れを引受け、自己の所有に帰せしむ、之れ即ち会社に関係を有するに至る濫觴にして全株券の約半数を含む、其後明治二十九年新株の募集に際しても人気大いに昇らず、依つて渋沢子爵は又奮つて半数(六百株但し一株に対する割当面積弐町参反参畝十歩)の応募をなしたる為め、忽ち満株となるの好況を呈す


農場四十年史 第一―三頁(DK150075k-0005)
第15巻 p.616-617 ページ画像

農場四十年史 第一―三頁
渋沢子爵は嘗て師とせられ、親戚にして且つ同志なりし尾高藍香(惇忠)先生を第一国立銀行盛岡支店長に任ぜらる、当時盛岡支店八戸出張所長沼宮内秀成は三本木共立開墾会社株券に対し、抵当貸しをなし之れが担保流れとなる等、同出張所の不始末を糊塗せむが為め、三本木共立開墾会社を自己の手に収め、同社が政府より借用したる金弐万円を利用せむとして自ら其社長となれり、斯くの如く第一国立銀行盛
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岡支店の八戸出張所に対する取締り不良なりき
斯くて明治二十一年渋沢子爵は第一国立銀行盛岡支店八戸出張所を廃するに当り、之れが整理の際其不始末を自ら引受けられ、他の迷惑を掛けざる様、三本木共立開墾会社の株券及之れに附随したる予約開墾払下の土地を有せらるゝに至る
当時谷地頭に牧場を開業中の広沢安任は、学者として渋沢子爵の知偶を得居り、開墾会社の状況を子爵に物語り、同会社並地方を救はれむことを懇願したることありしを以て、明治二十三年より其土地の開墾に着手せらる
当時子爵は青森の土地が辺鄙なる所なりと雖も、何等かの方法を講じたらむには、地方の振興となるらむと思はれたるものにして、最初より他に目的を抱かれて引受けられたるものにあらず、尾高藍香先生の八戸出張所に対する取締り不充分による始末を着けるのが動機となりしものにして、決して利益の為め始められたるものにあらざるなり、即ち東北に国立第一銀行の支店を出されたることが聊《(抑)》も東北の振興に意を持たれ、且つ三本木に土地を有せらるゝに至る動機にして、直接の原因は尾高藍香先生の盛岡支店八戸出張所の始末を付ける為め、抵当流れとなりたる三本木共立開墾会社の株券を引受け、他人に迷惑を掛けざる為めに外ならず、始めより此土地より利益を得むが為めに三本木に農場を開設せられたるものにあらざるなり


執事日記 明治二二年(DK150075k-0006)
第15巻 p.617 ページ画像

執事日記 明治二二年 (渋沢子爵家所蔵)
三月七日 晴
○上略
  一 広沢安任氏
右同氏ニハ午后六時頃御来邸晩餐ヲ献シ候事
○下略
   ○中略。
五月三日 晴
一君公ニハ午后六時御帰邸ノ事
    御招客
一 広沢安任    一 木戸三之助
一 宮喜八     一 大橋半七郎
一 佐々木勇之助  一 八巻道成
右各位ニハ午后五時頃より来邸晩餐ヲ献シ候事
○下略


竜門雑誌 第五五号・第四三頁 明治二五年一二月 ○青淵先生略履歴(承前)(DK150075k-0007)
第15巻 p.617-618 ページ画像

竜門雑誌 第五五号・第四三頁 明治二五年一二月
  ○青淵先生略履歴(承前)
    実業事歴
○上略
七月○明治廿二年三本木開墾会社ノ事業ヲ賛助ス
  陸奥ノ地タル曠野不毛多ク開墾ノ業急務ナルヲ以テ、地方ノ人士明治十五年以来、上北郡ニ於テ此会社ヲ創立シテ拓地ニ着手セシ
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カ、資本給セサルヲ以テ廿二年其賛助力ノ事ヲ請求セラル、依テ其株主トナリ現ニ其事業ノ改良ニ参与セリ
○下略



〔参考〕明治史要(太政官修史館編史料編纂所修補) 上・第四五〇頁昭和八年一〇月刊(DK150075k-0008)
第15巻 p.618 ページ画像

明治史要(太政官修史館編史料編纂所修補) 上・第四五〇頁昭和八年一〇月刊
十二日○明治九年七月車駕三本木駅陸奥北郡ニ抵ル。新渡部伝拓地ノ功ヲ追賞シテ金五十円ヲ賜ヒ、其遺孤三木人ヲ召シ、諭シテ遺業ヲ継カシム。又広沢安任ヲ召シテ、親シク牧事ヲ問ヒ、金五十円ヲ賜フ。伝、旧盛岡藩士、多年開墾ニ従事シ、安政中、岩手等四郡中ノ地ヲ拓キ、皆成功アリ。又衆ニ説キ、三本木ヲ墾ス。後七戸藩大参事トナリ、庚午二月歿ス。安任、旧斗南藩士、牧場ヲ陸奥北郡百石村ニ開キ、英人某ヲ雇ヒテ其業ヲ創ム。牛馬百数十頭、場地二千四百町許、既ニ墾闢セシモノ、八万七千坪ニ至ルト云。
   ○三本木開墾株式会社ハ予約払下地ヲ所有株数ニ応ジテ各株主ニ割当テテ開墾セシメ(之ヲ株地ト呼ブ)成功ノ後所轄官庁ノ検査ヲ経テ之ガ払下ヲ受ケ各株主ノ所有地トナスモノニシテ検査ニ合格セザル土地ハ官ニ没収ス。ヨツテ会社ハ土地ヲ所有セザルモノナリ。而シテ同社ハ大正十一年十一月目的ヲ達シテ解散シ現ニ(昭和九年九月)清算中ナリ、水路及ビ水利ニ関スル一切ハ稲生川水利組合ニ引継ギタリ。