デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
5款 三本木渋沢農場
■綱文

第15巻 p.618-626(DK150076k) ページ画像

明治23年(1890年)

是年当農場開墾ヲ開始ス。


■資料

渋沢農場要覧(DK150076k-0001)
第15巻 p.618 ページ画像

渋沢農場要覧
斯くて明治二十三年、前記割当土地の開墾を創始し、普通作物の裁培及牧畜を主とし、専ら直営をなせしも、明治三十年より小作経営を加へ、鋭意殖民事業に力を尽せり、当時福島県より来れる移民は土地の状況異なる為め耕作法不慣なりしのみならず、明治三十五年及同三十六年の大凶作により困窮し、逃亡するもの尠なからざりしも、其後気候風土に順化スルに従ひ、漸次固定し、且つ当地方よりも移民加はり其数も増加せるにより、明治三十八年限り自営を熄め、全部小作経営となし只僅かに苹果を自作したりしも、此れ又明治四十四年限り全廃し、田畑は全部小作に附したり、只牧畜は以前《(依然)》として持続したりき、爾来小作人は年と共に加はり、開墾も漸次良成績を挙げ、大正三年まで株地の払下を受けたり


明治二十三年自六月至八月事業出来形調(DK150076k-0002)
第15巻 p.618-619 ページ画像

明治二十三年自六月至八月事業出来形調 (三本木渋沢農場所蔵)
一土塁 高五尺根敷五尺 千七百三拾壱間五分
  是ハ三本木村地内字小稲及稲吉ニテ新設、右土塁ニ添テ上巾弐尺五寸・深同断・底八寸ノ溝アリ
一土塁 高深共右同断 四千五百八拾間壱分
  是ハ同村字前谷地及里ノ沢ニテ右同断
一土塁 高三尺根敷三尺 三百拾六間
  是ハ前谷地字農場家屋周囲ニ築廻タルモノ、之ニ添テ上巾弐尺・深弐尺五寸・底壱尺ノ排水用溝アリ
一業務室 間口 間奥行 間 壱棟
  是ハ前谷地農場ノ事務所及農夫ノ宿泊及休憩所トス、則チ古屋ヲ
 - 第15巻 p.619 -ページ画像 
移シテ内作ヲ加ヒタルモノナリ、別紙絵図面ノ通リ
一器械室 間口 間奥行 間 壱棟
  是ハ都テノ農具ヲ入ル、業務室ヲ距ル則チ五間、古屋前同断
一杉苗 四年生五年生 取雑 千弐百拾本
  是ハ前谷地農場家屋外西北ニ当リ、防風兼用ノ為メ植込メリ
一排水溝 四百間
  是ハ前谷地農場内上巾弐尺・深三尺・底壱尺
○別紙絵
図面略ス


明治廿三年九月ヨリ廿四年六月迄事業出来形調(DK150076k-0003)
第15巻 p.619 ページ画像

明治廿三年九月ヨリ廿四年六月迄事業出来形調
             (三本木渋沢農場所蔵)
一惣厠 桁行壱間半梁間壱間 壱棟
  是ハ前谷地農場囲内ニ新築ス
一木橋 縦九尺横弐間 壱ケ所
  是ハ同農場入口大門前ヘ架設ス
一厩 桁行拾三間梁間四間半 壱棟
  是ハ同農場内拾九頭立古厩設置ス
一木柵 延長弐拾七間 九ケ所
  是ハ字里ノ沢外弐ケ所各谷地湿地ニシテ土塁ノ及ハサル為メ新設ス
一新開墾畑 反別拾町弐反三畝廿九歩
  是ハ荒地ヲ耕起シ、大豆ヲ播種セシ耕地ノ反別ナリ
一森林地松 種子播付反別四拾四町七反拾弐歩六合
  是ハ字里ノ沢第弐号同第三号前谷地東小稲稲吉ノ四ケ所ニ於テ森林仕立、松種播付セシ反別ナリ
   反別四拾町歩 字里ノ沢第三農区ヘ松種播付反別ナリ
   反別四町七反拾弐分余 第一農区ヨリ第五農区ノ周囲防風林ノ為メ土塁周囲ヘ松播付反別
一杉苗木 八百六拾本
  是ハ字前谷地農場内土塁ヘ添ヒ防風林仕立、此年杉苗植付ノケ所ヘ引続キ仕付ケシモノナリ
一第一農場内馬洗場 深三尺五寸長七間半巾四間 壱ケ所
  是ハ事務所厩ノ間ヘ新設ス


青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一五七―一五八頁 明治三三年二月刊(DK150076k-0004)
第15巻 p.619-620 ページ画像

青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一五七―一五八頁明治三三年二月刊
 ○第三十三章 開墾及植林業
    第三節 三本木開墾会社及渋沢農場
○上略
開墾会社ヨリ今日マテ渋沢家ニ引渡シタル地所ハ三百三拾六町歩、外ニ附近ニ於テ買入レタル民有地凡四拾三町歩合計三百八拾町歩ナリ、先生同地ニ事務所ヲ置キ其地所ヲ六農区ニ分チ管理セシメ、屡々農学士ヲ招キ及実地ニ派遣シ其意見ヲ聞キ大農法ノ適否ヲ試ム、然ルニ結果宜シカラス、去三十年来徐々従来ノ方針ヲ改メテ水田小作法ヲ取ルコトヽセラレ現ニ小作人四十戸余ヲ移殖シ畠返シ(即畠ヲ変シテ水田
 - 第15巻 p.620 -ページ画像 
トナスコト)ニ従事セシム、現今開墾シ得タル水田七拾五町歩畑四拾町歩山林弐百町歩ナリ
前項ノ外、更ニ会社ヨリ渋沢家ニ割渡シタル地所凡ソ千三百町歩余アリ、多クハ東方海岸附近ノ地点ニシテ前項農場地ト近キハ二里遠キハ四里ヲ隔ツ、追テ出来得ル限リハ小作用水田トナシ他ハ山林トナスノ方針ニシテ、目下土塁ノ築造及一部分ニ対シ松種蒔付ニ着手セリ
農場ノ副業トシテ先生殖馬ノ成蹟ヲ試ム、皆近村ノ農家ヘ預托シ子馬産出額ニ準シ一定ノ歩合ヲ与フルノ組織ニシテ徐々其歩ヲ進メツヽアリ、已ニ本年(三十二年)モ北海道新冠牧場ニ於テ牝馬ノ良種ヲ撰ミ五頭ヲ購入セリ、現在ノ頭数ハ牡馬一頭牝馬二十六頭合計二十七頭ニシテ、一両年来ノ経験ニヨレハ一箇年子馬産出平均十四五頭、父母共ニ良種ヲ撰択スルノ結果頗優逸ノモノヲ出セリ
  (右第三節ハ広沢安宅氏ノ取調ニヨル)


農場四十年史 第二六頁(DK150076k-0005)
第15巻 p.620 ページ画像

農場四十年史 第二六頁
当場所有者
当場は明治二十五年四月十六日渋沢篤二殿の御所有となり、明治四十五年三月四日渋沢篤二殿より渋沢栄一閣下に渡り、更に大正四年五月七日渋沢同族株式会社々長渋沢敬三殿に移転し、現在に至る


渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年七月一七日(DK150076k-0006)
第15巻 p.620 ページ画像

渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年七月一七日
                  (三本木渋沢農場所蔵)
(代筆)
  明治廿三年七月十七日
御状拝見仕候、貴地開墾事業之景況委細御報導被下敬承仕候、右ニても鮮明ニハ相分リ申候ヘとも保存之都合も有之候間向後は成業報告として、毎年季或は壱ケ年之終りに於而予算書及仕様書ニ対照せる功果之報告書御調製被下候様仕度と存候、為念申進置候
兼而御申越之農具之義は御注文書中貴地ニて出来可致ものも可有之、又ハ一時は他之ものニて流用相成候ものも可有之と存候間安任君と御打合之上現ニ必要と相認候もの丈ケ調製いたし、別紙送品目録之通り本日郵船便ニて御送附申上候間貴地着之上は御査収被下度候、尚委細之義は宮喜八ヘ申遣し置候ニ付同人ヘ御打合之上可然御取計被下度候右送品御案内旁拝答此之如くニ御座候 草々敬具
                   渋沢栄一栄一
    広沢安宅様


渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年八月二〇日(DK150076k-0007)
第15巻 p.620-621 ページ画像

渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年八月二〇日
                  (三本木渋沢農場所蔵)
(代筆)
  明治廿三年八月廿日
残暑難凌候処愈御多祥奉欣慰候、陳者兼而御申越ニ相成候農具之義先便御送附申上候分者御査収被下候事と存候、其節未調製ニ付取残し候四輪箱馬車ハ此程出来いたし候間今便御送附申上候、御査収被下度候右之段申進度 草々拝具
                      渋沢栄一
 - 第15巻 p.621 -ページ画像 
    広沢安宅様

(別紙)
印紙    荷物送状之事
執事印
 一四輪馬車台     壱個
 一同 車輪      四個
  外ニ鉄物附属    八個
           但八戸港揚ケ迄賃済之事
 右者日本郵船会社便船ヲ以テ積送候間其地着御査収被下度御依頼申上候也
  明治廿三年八月十九日
               東京日本橋区兜町
                    渋沢栄一
                      執事 渋沢執事
  陸奥国北郡三本木駅
  三本木開墾会社
    広沢安宅殿
        行


渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年九月一七日(DK150076k-0008)
第15巻 p.621-623 ページ画像

渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年九月一七日
                  (三本木渋沢農場所蔵)
(代筆)
  明治二十三年九月十七日
貴方九月十一日附之御状並ニ別封調書三綴正ニ落手仕候、詳細之御取調ニて申分無之候ヘとも御状簡単ニして其説明無之候旁少々了解いたし兼候ケ所も有之候、殊ニ字前谷地農場弐十町之新規開墾費予算書は其総額金四千余円ニ相成居候ヘとも、右額ニてハ壱反歩廿余円之費用ニ相成熟田購求之方或は割安之様ニ一寸被考申候、去なから該予算書中建物・什器・馬匹及ひ種苗等混淆いたし居候のみなからす《(衍カ)》、株式ニ関する資金も合算ニ相成居候間当方ニて仕訳候ヘは別紙之如く相成候ヘとも、右之内馬匹・建物・什器等ハ今回着手すヘき廿町歩丈ケニ要する者ニて、其余之町歩を開墾いたし候ニハ更ニ建物・什器・馬匹を要し候義ニ有之候哉、是等ハ其見込御定め之上御申越被下候様致度、左も無之候てハ当方ニてハ何之目途も相立不申困入申候、例ヘハ何百町を一区域として年々何町歩宛之開墾をなし何年間ニ成功せしむるといふ目的を相立、建物何棟・馬匹・什器何程を具ヘ年々何人之人夫何程之消費ニて初年ニ何程を開拓し、次年ニ何程を開拓し傍ら第一年之開墾地ニ何種を培養して其生産何程を得るといふか如く、大体之目的を立てゝ建物・馬匹・器具等利用之次第を御明示被下候様ニ仕度と存候
拙生ヘ受取候反別明細御申越被下拝承仕候、右調書ニ拠れハ合反別三百四拾四町六反四畝二十六歩ニ有之候ヘとも、拙生引受株高ニ対する割付高は右ニて悉皆ニ候哉、且壱株ニ対する割付高は何程ニ御座候哉為念相伺置度、御通知被下度候
予算書ニて御申越之費用は差当り着手可致費用ニ付至急御送金可申上
 - 第15巻 p.622 -ページ画像 
様御申越ニ候ヘとも、宮喜八より何之申越も無之、殊ニ前段申上候如く充分之見込相立不申候ニ付何とも御返詞申上兼候、折角ニて何分ニも御送金之事ニ取計兼候間、貴方之御見込充分ニ御申越被下度候、要するニ時日は少々延引候とも充分之見込相立候上ニて着手仕度との考ニ御座候間、至急充分之御説明被成下度候
拙生之貴方巡回ハ追々延引ニ相成候ヘとも本年は是非とも出発之筈ニ有之候間其中実地ニ就き御打合可申上と存候、且安任氏も不日御帰県之よしニ候間本日面会之上委細相談いたし置候ニ付、御面晤之節御聞取被下度候、右拝答旁申進度 匆々不宣
                    渋沢栄一栄一
    広沢安宅様
(自筆)
本状相認候処ヘ貴方十三日附御状落手且本年八月迄之経費支払調更正之分も一覧仕候、右更正之分ニてハ、凡金百円余減少ニ相成候様被存候、又御端書貴地畑作物豊熟云々是又承知仕候、農場開拓之着手ニ付御廻之予算ニてハ充分之見込相立兼候ニ付其次第ハ本状ニ委細申上候間御領意も可被下、幸ひ今日安任君ニも御面会いたし候間其次第御話いたし候処、同君も来ル廿日出立貴方ヘ罷越候ニ付小生之見込ハ詳細ニ伝話いたし、早々調直し更ニ差出候様可為致と御引受被下候、就而ハ相洩候件々ハ安任君ニ御聞取可被下候
且又此事ニ付而ハ今日宮喜八ヘも丁寧ニ書通いたし、近日同人貴地出張之上右再調之件々も御打合申上候筈ニ御坐候
地所割渡之事も小生多忙今以佐和知事ニ面会不致候得共、今日も安任君より種々被申聞候ニ付明日ハ是非尋問いたし精々頼入、至急御下付之運ニ相成候様可仕と存候
本書ハ代筆ニ付書中小生之意を尽し兼候辺も有之哉ニ候得共、其辺ハ安任君ニ御聞合可被下候
吉田と申農場担当者ハ先以間ニ合候人ニ候哉、同人之摸様も其中ニ御示被下度候也
(別紙別筆)
    三本木農場廿町歩新規開墾費内訳書
一金四千弐百四拾八円廿九銭弐厘
      内訳
  金七百弐拾円也        耕作馬拾六頭・乗馬弐頭代
  金参百九拾八円〇四銭     同飼料            三口高
  金四百七拾七円        定雇馬丁五人及吉田外常雇弐人給料
                 其他開墾地実費        六口高
  金九拾七円八拾壱銭五厘    土塁溝堀築造費        三口高
  金千六百六拾八円九拾壱銭七厘 建家及井戸門廻橋共      拾口高
  金弐拾七円也         杉・松・白楊三種苗木買入料  三口高
  金百八拾壱円参拾七銭     馬具・農具・家具三種ノ料   拾一口
  金参拾四円四拾銭       消費ニ属スル小品       五口高
  金四百五拾参円七拾五銭    本年中可払株金百弐拾壱株分
  〆如高
 右
 - 第15巻 p.623 -ページ画像 
  明治廿三年九月


渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年一二月三一日(DK150076k-0009)
第15巻 p.623 ページ画像

渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二三年一二月三一日
                  (三本木渋沢農場所蔵)
(代筆)
  明治二十三年十二月三十一日
十月十一日附之御状拝見仕候ヘとも再来多忙ニ取紛れ返書今日まて遷延ニ相成候段奉謝候、本年も已ニ今一日と相成候ニ付而は貴方も定めて御多忙と奉察候、却説開墾地之義は其後如何御取計被下候哉、拙生も本年は遂ニ貴方巡回之閑なく相過候ヘとも、来春は必す出発之筈ニ御座候ニ付而ハ兼而申上候通り、来廿四年上半季之予算御取調之上御送附被下度候、尤も右取調ハ本年迄ニ開拓いたし候土地之稼穡如何にして、其費用何程及ひ半季間ニ開拓すヘき土地何町ニして其費用何程と明細ニ御取調被下度候、且本年迄ニ已ニ開拓せし土地より之収獲ハ凡何程位ニ相成候哉御見込御申出有之度候、将又本年之実際庶務会計之報告は御取調之上御送附被下度候
右は貴方巡回之前ニ是非一覧いたし度と存候間、宮喜八ヘ御打合之上至急御取調之上御送り被下度候
先は拝答旁申進度如此ニ御座候 草々不宣
    広沢安宅様            渋沢栄一(印)


渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二四年四月一六日(DK150076k-0010)
第15巻 p.623 ページ画像

渋沢栄一 書翰 広沢安宅宛明治二四年四月一六日
                  (三本木渋沢農場所蔵)
(代筆)
  明治二十四年四月十六日
拝啓兼而御取調被下候予算書は一覧いたし略分明ニ相成申候、就而ハ追々節季ニも相成申候間諸経費之内金八百円也本日盛岡支店ヘ附替差進申候間御受取被下度候、尤も一般之費用可相成節減いたし候様能々御注意被下度候、委細之義は宮喜八ヘ申通し置候間同人と御打合被下度候
右之段申進度如此ニ御座候 草々
                      渋沢栄一
    広沢安宅様
陸奥国上北郡 三本木開墾会社 広沢安宅様 御直展
四月十八日 東京 渋沢栄一


渋沢栄一 書翰 宮喜八宛明治二四年四月一六日(DK150076k-0011)
第15巻 p.623-626 ページ画像

渋沢栄一 書翰 宮喜八宛明治二四年四月一六日
                  (三本木渋沢農場所蔵)
(代筆)
  明治二十四年四月十六日
四月十三日附之御状拝見いたし委細承知致し候、陳者兼て申出候開墾会社株券を抵当トシテ金五百円貸出之義は承知いたし候間、充分之抵
 - 第15巻 p.624 -ページ画像 
当受取り確実ナル方法ニテ御取計被下度候、即該金額ハ盛岡支店ヘ附替差進申候間同店より御査収被成下度候、開墾事業之経費ハ兼て御送付之予算書ニテ略分明ニ相成候間御取調ニ従ヒ御送金可致候、就テハ差当り金千三百余円御送付いたし可申筈ニ候ヘトモ此際ハ金八百円丈ケ御送付申上候間右ニテ御間ニ合せ被下度、一般ニ可成節減いたし候様広沢氏ヘ御相談被成下度候
殊ニ《(一脱カ)》事申上置度は是まて御送金申上候各口之金額ハ一回モ当方ヘ領収証御送付無之、右ハ甚タ困却仕候間総テ受入金之証書は最初之分ヨリ悉皆御送付被下度候、且農具之義は兼て当方ニ於て購求之上御送付申上《(候脱カ)》ヘとも、該領収証ハ其際悉皆御送付申上候ニ付、右ニ関スル一切之金額(即農具代及運送貸《(賃)》トモ)は一旦貴方之受入金トシテ当方ヘ受取証御送リ被下、更ニ貴方之支払ニ御記帳被下候様致し度と存候、左も無之候ハヽ貴方之御報告ト当方之帳簿ト金額不突合ニ相成甚タ困却仕候、当方之帳簿ニは総而三本木ヘ資本トシテ金額差出置候ニ付、貴方ニ於て株金・貸附金・農具・建物・開墾費・耕作費等諸種之御支払ハ明瞭ニ御記帳被下度候、左候ハヽ過日御送付相成候総勘定表も右之表式ニ準し御訂正之□御差越被下度と存候、右等申進度如此ニ御座候
                      渋沢栄一
    宮喜八殿
  尚々本文之義は広沢ヘも能々御伝声被下度候、金員ハ取合金千三百円明日附替之筈ニ御座候、左様御了意被下度候
追啓仕候、買上物受取証ハ種々混雑不仕候様大工作料ハ右科目壱口ツツ区別、針代《(釘)》モ同様、木材ハ木材、給料ハ一科目、株券払込ハ一科目諸事一科目ツヽ受取御廻し無之ハ諸帳簿記載方大ニ差支候間、御手数ナカラ兼而願上候別紙ノ様式ニ御受取置当方より申上候ハヽ早速御仕送被下度候、半紙ニ受取証限リト御承知被下度候、綴置候ニ不都合ニ候間右御承引奉願上候
(別紙)○半紙四ツ切二ツ折三枚綴リ
(朱書)
  是ハ半紙界紙ニ宜敷候ヘ共雛形故郵便税ノ都合ニテ四ツ切ニ仕候御覧ニ入申候
      記
  一金六百円     仕払資金
    仕払金
    一何十何円何十銭 何ノ某外何名
     月給別紙ノ通受取証相添

    一金何―――円
     古家何棟買入代

    一金何―――円
     古家相阪より買入運送及建揚ケ作料共別紙受取添

    一金何―――円
     株券買入代受取証添
 - 第15巻 p.625 -ページ画像 
    一金何―――円
     馬買入代何頭ニテ別紙受取証相添

    一金―――円
     字同断

    一何 百円
     所有株券百廿一株ニ対払込別紙受取証添
    払
     〆何百円
  資金ヨリ
   差引何百円 松内幾弥ヘ残相預ケ置候
 右之通ニ御座候也
  廿三年
   六月卅日 広沢―――(印)
    宮喜八殿
(別紙)○以下四枚共半紙四ツ切
      証
  一金何十円 馬買入代何才何頭
  右代金正ニ受取候也
   ―――――   ―――――
    広沢安宅殿
(別紙)
      証
      ○
  一金何―――円 但壱間 何銭何厘ツヽ
  右ハ土堤字前谷地何百何十間拵代
  正ニ受取候也
   ―――――   ―――――
           ―――――(印)
    広沢安宅殿
(別紙)
      記
  一何十円 株巻二株買入代
  (朱書)
  外ニ手数料拾銭
     社ヘ払込モ御記載被下度候
  右仕払仕候也
   ―――――   広沢安宅(印)
    宮喜八殿
  (朱書)
  此分ハ宮喜八持参仕候
(別紙)
  (朱書)
  右雛形ニ基キ
  乍御手数御認メ被下度候古家買入等モ右様ニ奉願上候受負入費之義ハ相阪ヨリ運送建上ケマテ云々御記載被下度候
      証
  一金何十何円
 - 第15巻 p.626 -ページ画像 
  右ハ何月分月給ニテ正ニ受取候也
         教師
   ―――――   ―――――印
    広沢安宅殿
(別紙)
  明治廿四年四月廿二日
尊書被下拝見仕候、御申越ノ件委細承知仕候、陳者株券抵当貸五百円ノ事頭取より承諾之事申越相成、現金五百円丈ハ何時モ無差支貸与可申候間、益川・□原ノ両氏ヘ御伝言被下度候、尤抵当ハ十八株ニテ宜敷候間大至急御伝言被下度候
一開墾資金之内先以八百円送金相成候間吉田氏ヘ御相談万事可然御配計奉願上候、耕馬買入等至急御配計被下度候跡々尚送金ノ都合ナリ
一貴方御都合次第会議ノ御都合ニテモ有之候ハヽ御申越次第出張可仕候間、十日間モ以前御申越被下度候、先ハ不取敢御報申上度候
                          早々頓首
                          宮拝
    広沢様坐下
  尚々頭取より書状写封入差上候間御一覧被下度候