デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
5款 三本木渋沢農場
■綱文

第15巻 p.641-649(DK150079k) ページ画像

明治40年7月5日(1907年)

是ヨリ先栄一、当農場ノ経営刷新ヲ図リ、農科大学助教授原熙ニ詢ル所アリシガ、是日改メテ農場
 - 第15巻 p.642 -ページ画像 
ノ顧問ニ嘱託シ、又其推選ニヨリ滋賀県農事試験場技師金子熊一ヲ聘シテ農場長ニ任ズ。

尚コノ前後三本木開墾株式会社ノ重役間ノ紛議ヲ調停シ、其事業ヲ指導スル等尽力スル所多シ。


■資料

竜門雑誌 第一三九号・第五二頁 明治三二年一二月 竜門社記事(DK150079k-0001)
第15巻 p.642 ページ画像

竜門雑誌 第一三九号・第五二頁 明治三二年一二月
    竜門社記事
○木村喜三郎君 青森県三本木渋沢農場管理人なる同君は此程要務を帯び上京せられたる由


(八十島親徳) 日録 明治三二年(DK150079k-0002)
第15巻 p.642-643 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三二年 (八十島親義氏所蔵)
十二月十二日 晴
○上略
三本木開墾会社重役間ニ又々物議起リ、広沢多少不信任ノ意味ヲ以テ他ノ重役代表トシテ深瀬透・堺三木人両人出京、今朝於兜町青淵先生面会セラレシガ今夜宅ヘ招キ尚其申条ヲ聞取ル、木村喜三郎ヲモ電報ヲ以テ招寄スル事トセリ
○下略
十二月十五日 晴
○上略
三本木開墾会社取締役紛紜事件ニ付木村喜三郎ニ上京ヲ命シ本日上京ス、即主人公ニ面会の前予ニ打合ノ必要あるニヨリ今夜来車十時半迄酒飯ヲ供シ緩々談話シテ帰ル、重役中深瀬・堺等ノ申分ハ晴山地所渋沢家ヨリ広沢ヘ譲渡ス為メ先年晴山村ヘ売却ノ予約ヲナシ置キタルヲ示談ノ上取消シタルハ広沢、木村共同シテ軍馬育成所ヘ買上ノ事アルヲ予知シタルニヨルニシテ、晴山村民ノ利益ヲ横取シタルナリ、即不都合ノ極、又広沢・木村両人ニ於テ支配人北村久義ヲ排斥スルハ私情ヨリ出テタルモノニシテ、北村ノ欠点ハ未タ排斥スル迄ノ理由ニハアラズ、ツマリ重役中議論二派ニ分レタルニ付大株主渋沢家ノ意向ヲ聞カントスルニアリト云ヘリ、然ニ木村ノ云フ処ニヨレハ晴山地所ノ件ニ付テハ木村ハ基ヨリ広沢トテモ軍馬ヘ買上ノ事ハ少シモ知ラズシテ渋沢家ヨリ広沢ヘ譲渡セシモノニシテ其間聊ノ私ナク従テ社長広沢カ利益ヲ得ルモ少シノ不正ナシ、又北村ハ怠惰ナルノミナラズ資金流用等種々不都合ニアルニヨリ、断然タル処分ヲナサントスルニアルト云フ、即深瀬等ハ広沢ノ利益共分ニ預ラント欲シ談判シタルモ、広沢之ヲ拒斥シタルヨリ生シタル証拠ハ木村所持ノ深セ手紙ニテ明ナルガ如シ、依テ木村ヨリ明日主人公ヘ上陳スル事並ニ意見トシテ言上ノ要点等談合セリ
十二月十六日 晴
九時出勤、午後第一銀行ニテ木村主人公ニ御面会、委細ハ明朝ニ譲ルベシトノ事、又三本木此度ノ紛紜ニ付吉田廉助及三浦熊次郎両監査役ハ職務上深瀬等私利ノ為曠職スルヲ見ルニ忍ビズトシテ上京、主人代理トシテ今朝面会ス○下略
十二月十七日 晴 日曜
 - 第15巻 p.643 -ページ画像 
今日ハ主人公木村御面会ノ席ヘ同席スヘキ旨被申付タルニヨリ、九時ヨリ深川邸ニ至ル、昨夜ハ林忠正氏送別宴ヲ開カレタル為同邸ヘ一泊セラレタルナリ、木村ニ委細諮問アリ、同氏十分ニ実情及意見ヲ開陳シタリ、然ル後監査役両人ニ御面会、本日ハ未タ御意見ハ発表セラレズ、阪谷御夫婦・穂積夫人等昨夜ヨリ逗留ニ付面会ス
○下略
十二月廿二日 曇
○上略
三本木開墾会社重役中紛紜ノ件ニ付、今朝深瀬透・堺三木人(広沢反対派)木村喜三郎・三浦熊二郎・吉田□□《(マヽ)》来邸、ツマリ主人公ノ意見ニ従ヒ晴山地所売上利益ハ広沢モ心苦シカルヘキニ付之ヲ渋沢ノ意見ニ従ヒ適宜ノ処分ニ従フ事、北村ノ怠惰事件ニ付テハ戒飾ヲ加ヘテ勤続セシムル事ニ略協議済ニ付、今夜偕楽園ニ前記取締役木村共三名監査役二名北村等会合手打中直リノ宴ヲ催スニ付乞ニヨリ予モ列席、一同胸襟ヲ開キ献酬ヲナシ向後協心同力ノ事ヲ誓ヒタル気色見ユ、九時帰宅入湯就床ス
十二月廿三日 曇後雨
九時出勤、三本木連中今朝兜町ヘ来車、愈今夕五時上の発ニテ帰村ニ付尚主人公ヨリ広沢ニ対スル信任ノ件、北村ノ戒飾其他将来和衷協同ノ必要ノ件、渋沢家ノ意念等ヲ説示シ、尚北村氏ニ対シテモ勧戒セラル、而シテ渋沢家ヨリ一同ヲ饗応スベキモ主人公多忙ニ付予ニ代理接待ノ事ヲ被命、直ニ帝国ホテルニ一同ヲ伴ヒ別席ニ於テ饗応ス、シヤンパンヲモ饗シ平和ノ終局ヲ祝セリ
○下略


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK150079k-0003)
第15巻 p.643-644 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三三年 (八十島親義氏所蔵)
一月廿三日 曇後雨
朝九時兜町ヘ出勤ノ上更ニ書類ヲ持テ深川邸ニ至リ主人公ノ面前ニテ夫々取扱ヒ、主人公兜町ヘ帰邸ニ従ヒ帰リ、終日多忙ニ従用、京仁計算、三本木往復等鞅掌夜九時過漸帰宅ス
   ○中略。
二月廿五日 快晴暖 日曜
朝八時半頃晩起、本日ハ同族会議アリ、且其前農場及倉庫部ノ件ニ付評議アルニ付午前十時ヨリ出勤ス
○中略
三本木農場管理人木村喜三郎本年度予算及昨年度決算書類ヲ携エ過般来(十日頃ヨリ)上京ノ処、本日始メテ緩々面会セラレ、先三本木開墾会社ノ将来ニ付テハ工事完成迄ニハ資本ノ不足、水分配ニ付不足ノ懸念、地方重役中ノ紛紜等色々ノ懸念ニ関シ、先大株主トシテ広沢社長ヲ招喚スル事、若シ到底確乎タル見込ナキニ於テハ事業ヲ中止シ、新株割渡地ハ森林ニ仕立ツルノ外ナシト云フ事ニ決ス、又農場ノ事ニ付テハ三四十町歩ヲ自作シ、他ノ水田百町歩計ハ小作(移住民四十戸外ニ地方小作人)ノ方針ヲ取リ、且本年度殖馬口ノ新事業トシテ三千余円増資都合八千円ヲ以テ牝馬五十頭ノ組織トナシ、而シテ本年弐千
 - 第15巻 p.644 -ページ画像 
円計リノ洋種父馬購入ノ事被決タリ
又同族会ニ於テハ為差重要ノ事件ハナシ普通ノ会合也
余興ハ素行及弟子二人ノ義太夫也、夜十二時散会○下略
○中略。
三月一日 曇
○上略
五時半帰宅、三本木開墾会社社長広沢安宅氏一昨日上京、会社昨冬ノ扮擾《(紛)》ハ一段落ヲ告ケシニ、社業ノ前途資金不足等容易ナラザル心配アルヲ以テ協議ノ為也○下略
三月五日 晴
九時出勤六時帰宅、青淵先生ハ昨夜ヨリ皆川氏方滞在シテ留守也、三本木広沢氏会社前途ノ方針協議ノ為、足立太郎氏ハ明後一番ニテ出立渡韓ニ付其前要務処弁打合ノ為、又杉山市松ハ京釜鉄道ヘ渋沢ヨリ貸金受取ノ為来邸○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK150079k-0004)
第15巻 p.644 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年 (渋沢子爵家所蔵)
三月十三日 晴
○上略午後五時兜町ニ帰宅ス、広沢安宅氏来リ三本木開墾会社ノ将来ニ関スル方法ヲ協議ス、木村喜三郎・八十島親徳等共ニ其議ニ参列ス


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK150079k-0005)
第15巻 p.644 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三三年 (八十島親義氏所蔵)
三月十三日 晴
○上略
夕五時広沢安宅氏三本木開墾会社将来ノ方針協議ノ為来邸、主人公折柄帰邸相共ニ協議、ツマリ旧株丈地所ヲツケ株主ニ払戻シ後ト新株丈ノ会社トシ、現今七十五円株ナルヲ更ニ百円ニ増資セハ工事完成ヲナスヲ得ベシトノ事ニ相談、但其前青森県当局ニ相談ノ上若シ県費補助ノ途アレハ尚更結構ナリトノ事ニテ、何レモ広沢氏帰任ノ上各重役トモ評議スル事トセリ
○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK150079k-0006)
第15巻 p.644 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年 (渋沢子爵家所蔵)
三月十五日 曇
○上略夜広沢安宅同弁治両氏来ル、三本木開墾会社ノ将来ニ付テ協議ス
○下略


渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治三三年月未詳)一八日(DK150079k-0007)
第15巻 p.644 ページ画像

渋沢栄一 書翰 八十島親徳宛(明治三三年月未詳)一八日
                   (八十島親義氏所蔵)
換舌
別紙佐利青森県知事ヘ之一書ハ明日広沢安宅氏被参候節拙者面会之上可相渡と存候得共、一応相廻し置候、明日昼頃銀行ヘ御持参可被下候
○中略
  十八日 栄一
    八十島殿
 - 第15巻 p.645 -ページ画像 


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK150079k-0008)
第15巻 p.645 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三三年 (八十島親義氏所蔵)
三月十五日 曇
九時出勤ス、今夜ハ浅の氏と共同シテ熊沢硫黄山ノ営業ヲナス所ノ坪田氏ヨリ上野梅川楼ヘ招待アリシモ、三本木用ニテ広沢氏来車、且先方居残ノ重役ヨリ社長上京中第二期工事着手ノ決議ヲナセシ報アリ、右等重大事件ニ付今夜広沢ヲ招喚セシ次第ニテ予ノ欠席差支フルニ付梅川楼ハ断ル、夜六時過主人帰邸、恰モ広沢弁二・佐久某モ来車ニ付予モ列席協議ニ預ル、結局先方重役ハ広沢氏不在中ニ乗シ急卒専断ヲナサントスルモ工事完成迄ニハ資金ノ不足ヲ告クル事明白ナルニ、其見込ヲ確立セスシテ只工事前進スル事ハ渋沢家ノ取ラサル処也、依テ先ツ重役ノ意見ヲ問ヒ、利害ヲ説キ当家ノ意見ヲ以テ談スル為木村氏帰任スヘキナレトモ、本日ヨリ平塚ヘ転地ニ付、無拠予ニ一両日中出発(広沢モ一両日中帰任)三本木ニ至ルヘキ事ヲ命セラル、十一時半帰宅
三月十六日 曇
○上略
九時前出勤、三本木宛書状案ヲ作リ置キ、夫ヨリ十時十分新橋発ノ汽車ニテ十二時半平塚着、木村喜三郎ヲ杏雲院病院分院《(マヽ)》(昨日入院肺尖カタル)ニ訪ヒ、同人病気ノ為渋沢家意見ヲ以テ重役ニ協議ノ為予其撰ニ当リ明後日広沢社長同行同地ヘ赴ク事ヲ話シ、且其意見ヲ問フ、同人モ大賛成ニシテ態々予派出セハ大ナル効能ヲ見ルベシト云フ、色色打合セ、更ニ三時半ノ汽車ニテ六時着京○中略
六時過帰宅、広沢氏来車諸事打合ヲナシ、且晩酒ヲ呈ス、松平氏来車広沢帰後八時半松平同行兜町ニ出ヅ
尾高次郎氏藍香先生快方ニ付今夜出発、仁川ヘ赴任ニ付送別宴スミ同氏出発シタル処ナリキ
主人公ニ面会、木村ト面話ノ次第ヲ申述ヘ且予出立前主人名義ニテ同社宛返事(先方連名ノ来状ニ対シ)案ヲ確定シ、又予カ出張ニ付訓令書案等取決メ十二時帰宅
予ハ明後十八日午後五時出発事《(ノ脱)》ニ定ム
○下略
三月十七日 曇
九時出勤 今朝主人公外出前暇乞ヲナス、尚丁寧ニ三本木重役ヘ協議ノ方法ヲ始メ、農場事務員小作人等ヘ申伝方被申示○下略
三月十八日 曇
○上略午後五時上野発ノ汽車ニテ陸奥三本木向出発ス
三月廿九日 晴
朝七時仙台発夕七時半無事帰京
右旅行中ノ記事ハ別冊ニアリ玆ニ略ス


竜門雑誌 第一四二号・第二六頁 明治三三年三月 ○広沢安宅君(DK150079k-0009)
第15巻 p.645-646 ページ画像

竜門雑誌 第一四二号・第二六頁 明治三三年三月
○広沢安宅君 本月上旬来上京中なりし三本木開墾株式会社の社長なる同君は三月十八日、別項八十島親徳君の出張と同行にて帰任せられ
 - 第15巻 p.646 -ページ画像 
たり
○八十島親徳君 渋沢元方の同君は渋沢家の要務を帯び去る十八日東京出発青森県三本木開墾株式会社及同地渋沢農場へ出張されたり


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK150079k-0010)
第15巻 p.646 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三三年 (八十島親義氏所蔵)
三月三十日 晴
朝九時兜町ニ出勤ス、主公深川邸在留ニ付同邸ニ至リ拝謁、三本木行ノ結果大要ヲ申陳フ
○下略
   ○中略。
四月十四日 快晴
就床中兜町ヨリ使ニテ早出ヲ被促、予《(依カ)》テ八時半出頭、昨今ハ三本木開墾会社ノ前途方針ニ関シ上京中ノ宗像青森県知事ニ協議ニ付覚書広沢社長ヘノ書状他ノ取締役連名宛ノ書状案等ヲ作レリ、五時半帰宅○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK150079k-0011)
第15巻 p.646 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年 (渋沢子爵家所蔵)
九月廿五日 曇
○上略此夜三本木開墾会社ノ事ニ関シ野村新八郎氏来話ス、八十島・木村両人ト共ニ爾来ノ事情ヲ詳話ス


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK150079k-0012)
第15巻 p.646 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三三年 (八十島親義氏所蔵)
九月廿五日 晴
○上略
三本木開墾会社ノ新任社長野村新八郎氏上京、今夜八時半ヨリ兜町邸ヘ来邸ノ筈ニ付予ハ再ビ邸ニ至リ青淵先生ト氏ト対談ノ席ニ侍シ、十二時半漸ク帰宅休ム


(八十島親徳) 日録 明治三四年(DK150079k-0013)
第15巻 p.646 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三四年 (八十島親義氏所蔵)
二月廿六日 晴
九時出勤、今日ハ午後五時ヨリ兜町邸ニテ同族会開会、深川令夫人ヲ除クノ外集会、三本木予算決算及関直之新ニ養魚場ヲ開クノ義ニ付テモ相談アリ、余興ハ村井一也、午前一時帰宅
○下略
三月二日 晴
○上略篤二君遊猟ノ為明朝出立三本木ヘ被赴筈、過日来出京中ノ木村銀平随行帰任ス
   ○中略。
三月五日 晴
九時出勤、本日午前十一時深川邸令夫人分娩男子也、至極御母子共無事ノ由、若主人ニハ去三日以来三本木ヘ出猟目下不在中也

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK150079k-0014)
第15巻 p.646-647 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年 (渋沢子爵家所蔵)
三月六日 曇
午前十時兜町宅ニ帰ル、北村久義来ル、三本木開墾会社ノ近状ヲ詳話
 - 第15巻 p.647 -ページ画像 
ス、依テ将来施設ノ順序及社長野村氏ヘノ注意ヲ告ク○下略


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK150079k-0015)
第15巻 p.647 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年 (渋沢子爵家所蔵)
四月十九日 陰
○上略
午後四時、同族会ヲ開ク、余カ留守中ノ事務処理ニ関スル要領ヲ説示ス、三本木開墾業・仙石原牧場・製紙会社・造船所ノ事ヲ詳述ス、穂積・阪谷・篤二夫婦悉ク来会ス、夜十時王子ニ帰宿ス


(八十島親徳) 日録 明治三五年(DK150079k-0016)
第15巻 p.647 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三五年 (八十島親義氏所蔵)
十二月廿八日 日曜 寒シ
○上略若主人ノ命ニ依リ昼頃兜町ニ出勤、三本木ヨリ上京中ノ木村銀平ヘ移住民飢渇善後処置等ニ付談合シ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三七年(DK150079k-0017)
第15巻 p.647 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三七年 (八十島親義氏所蔵)
六月廿九日 快晴 大ニ暑シ
○上略午後五時半辞シ若主人ト共ニ本郷ヨリ電車ニテ深川ニ至ル、今夜ハ芝崎保太郎氏ヲ招キ三本木農場ニ関スル意見ヲ聞ク為也、十一時帰宅
○下略


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK150079k-0018)
第15巻 p.647 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三八年 (八十島親義氏所蔵)
二月廿五日 晴
○上略十時出勤目下十勝開墾社ノ小田信樹氏・三本木ノ木村銀平上京中ニ付昼飯会ヲ銀行クラブニ開カル、植村澄三郎氏ヲ相客シ、男爵若主人尾高・松平及小生列席ス、昨年ハ稀ナル豊年ニシテ両社共当リ年ナリ、午後六時過帰宅


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK150079k-0019)
第15巻 p.647 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三九年 (八十島親義氏所蔵)
十一月十九日 曇午後雨
今日ハ事務所ヘ出勤セズ、兼テ男爵ノ命ニヨリ早朝ヨリ車ヲ駆リ、駒場農科大学内ニ、助教授農場長原熙氏ノ宅ヲ訪ヒ、芝崎保太郎ト共ニ三本木農場ノ実況ヲ談ス、氏ニハ此度三本木ノ実地視察ヲ依頼シタルニ依リテ也、同地主任者木村銀平モ適任ナラズ芝崎モ見込乏敷、兎モ角経営方法ニ苦ムニツキ松井学長ノ推薦ニヨリ此原氏ニ診察ヲ求ムル事ニナシタル也、実地ノ才幹アル有為ノ人物ト見受ク、要領ヲヨク聞取ラレタリ○下略
   ○中略。
十二月廿七日 晴
○上略午後五時ヨリ同族会議開会○中略其他三本木農場将来ノ経営法ハ原熙氏ノ意見ヲ酙酌《(斟)》シテ来年ヨリ多少ノ刷新ヲ加フル事等議決セリ○下略


(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK150079k-0020)
第15巻 p.647-648 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治四〇年 (渋沢子爵家所蔵)
七月四日 晴
 - 第15巻 p.648 -ページ画像 
例刻出勤、原熙氏ノ推薦ニ依リ滋賀県農事試験場技師ヲ辞シテ渋沢三本木農場長ノ任ニ就ク事トナリタル金子熊一氏昨日上京、本日来訪ニ付諸事打合ヲ為ス○下略
七月五日 晴
例刻出勤、今日ハ原熙氏・金子熊一氏・木村銀平等皆会シ、主人・若主人ヨリ兜町ニ於昼飯ヲ饗サレ、尾高氏及予モ同席ス、原氏ニハ改メテ顧問ノ嘱托、金子氏ハ場長ノ辞令交付、尚赴任後ノ心得等ニツキ訓諭アリ
○中略
金子氏明夕出発三本木ヘ赴任、予モ視察カタガタ同氏紹介且引継ニ立会フ為メ、八日出発三本木ニ赴ク事トナル○下略
七月八日 雨
○上略
   七月八日夕七時半上野発ニテ三本木ニ旅行ス、之ハ金子熊一氏新ニ農場長ニ採用サレシニツキ旧主任木村銀平トノ間ノ引継ニ立会ヒ、且土地ノ人ニ紹介シ、又序ニ久シブリ実地ヲ視察スル為也○中略
八日 夕七時半上野発寝台車
九日 午後二時古間木着、馬車及騎馬ニテ四時半農場着、少息ノ上六時三本木町ニ投宿
十日 滞在、事務引継ニ立会ヒ夕稲吉視察
十一日 同上、午前小作人ヲ召集シ主任更迭披露及訓示演説ヲ為ス、午後新旧場長ヲ伴ヒ官署・学校・会社・個人等歴訪、夜開墾社ヨリ招宴
十二日 終日旧株地ヲ視察
十三日 新株地視察ノ上午後二時古間木発四時青森着市街ヲ視察一泊
十四日 午前六時青森発奥羽線ニテ六時過山形着一泊
十五日 午前七時山形発福島岩沼ヲ経九時半湯本着一泊
十六日 朝白煉瓦工場ニ臨ミ午前十時発車四時帰着
○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK150079k-0021)
第15巻 p.648 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四〇年 (渋沢子爵家所蔵)
九月十日 晴暑 起床六時三十分
○上略三本木農場ヲ管理スル金子某ノ来訪ニ接シ、農場ノ近況ヲ詳悉ス
○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK150079k-0022)
第15巻 p.648 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四一年 (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 曇寒
○上略三本木開墾会社杉山克己氏来話ス○下略


(八十島親徳) 日録 明治四一年(DK150079k-0023)
第15巻 p.648-649 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治四一年 (八十島親義氏所蔵)
二月十三日 晴
○上略夜三会堂ニ至リ原熙氏・金子熊一氏ト相会シ三本木農場本年度新株地松種播種其他計画上ノ事ニ付ユルユル打合ヲ為ス、原氏ハ中々熱
 - 第15巻 p.649 -ページ画像 
心ニ精心《(神)》ヲ注ク《(ギ)》呉ル、其性質ハ何事ニモ意見アリ議論アル事足立太郎前川益以ノタイプ也、十時過帰宅
   ○中略。
二月十七日 曇
朝例刻出勤、青淵先生ハ聊下痢ノ為出勤無シ、終日多忙、夕刻ヨリ綱町若主人ノ仮寓ニ被招、三本木ヨリ上京中ノ金子熊一氏ノ為ニ一小晩餐ヲ設ケラレシニテ予ト橋本明六氏同席ス、十時半帰宅ス○下略