デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
5款 韓国興業株式会社
■綱文

第16巻 p.589-600(DK160096k) ページ画像

明治37年9月6日(1904年)

是日韓国興業株式会社設立セラレ、栄一推サレテ監督トナル。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK160096k-0001)
第16巻 p.589 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳            (渋沢子爵家所蔵)
  民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
一韓国興業株式会社監督 卅七年九月 四十二年六月六日辞任
○中略
    以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


中外商業新報 第六七五六号 明治三七年七月一〇日 ○韓国興業株式会社創立(DK160096k-0002)
第16巻 p.589-592 ページ画像

中外商業新報  第六七五六号 明治三七年七月一〇日
    ○韓国興業株式会社創立
帝国の発展と共に韓国経営は愈々刻下の急務たるを以て、予て同国に関係深き第一銀行の重役諸氏其他の有志家相謀り韓国興業会社設立の計画を講し、専門家をして夫々調査を遂しめつゝありしに、愈右調査も結了し前途益々有望なるを確むるに至しかば今回之が創立を企画するに至れり、其設立趣意及目論見等左の如し
    韓国興業株式会社設立趣意書
 韓国の内地を開発して農業の改良を計り物産の増殖を奨励するは我国の責務にして、日韓貿易を発達せしむる唯一の策なり、然るに従来韓国に於ける本邦の経営は専ら居留地の小区域に限界せられ内地拓殖の事業の如き未た睹るへきものあらす、抑も韓国の地沃野広茫到る所殖産興業の途ありて本邦人の施設を待つもの尠からす、苟も経国の事業に志あるものは進て韓国経営の途を講し、農業を勧め利源を啓きて日韓貿易の発達に資せさるへからす、因て玆に同志相議り韓国興業株式会社を設立し、韓国の土地に対して金融の便を開き大に農耕の模範を示して産業の進歩を計らんと欲す、冀くは同感の諸君別冊示す所の目論見書・予算書及定款草案等を閲覧し此趣旨を賛成せられ奮て株主たらんことを
  明治卅七年七月十一日         発起人
    韓国興業株式会社目論見書
 第一条 当会社の目的は韓国に於て農業を営み土地に対する金融の便を開き、且次条の手続により同国農産物の改良増加を促し以て日韓貿易を発達せしむるにあり
 第二条 韓国農業の改良を図らんか為め模範農場を設置し、韓人の依頼に応して土地の鑑定、田畑の整理、種苗・肥料の撰択を為すこと
 第三条 殖林・養蚕・牧畜の事業及ひ灌漑・排水の工事に関し韓人の依頼に応して其の模範を示し、又は之れを指導誘掖すること
 - 第16巻 p.590 -ページ画像 
 第四条 当会社の資本金は一百万円と定め、其四分の一の払込を了したるとき直に事業に着手し、業務の拡張に伴ひ漸次残額の払込を為さしむべし
 第五条 資本金第一回払込金二十五万円は概略左の如く分配すべし
   一金十二万円    金融部資金
   一金十万円    農業部資金
   一金二万円    模範農場資金
   一金一万円    諸準備金
    合計金二十五万円
 第六条 当会社は本店を東京に置き韓国各地に支店又は代理店を設くべし
 第七条 当会社資本総額の内其半数は発起人に於て引受け、残半数は一般公衆より募集すへし
 第八条 当会社創立に関する諸経費は大約金五千円と定め、会社成立の上其費額を報告し認承を受くへし
    韓国興業株式会社定款草案
      第一章 総則
 第一条 当会社は韓国の利源を開発し日韓の貿易を奨励する為め、左の事業を営むを以て目的とす
  一、韓国内の土地を担保とし貸附金を為すこと
  二、韓国内地に於て土地を買入れ又は租借して農業を営み又は之を小作せしむること
  三、韓国農事改良に関する各種の模範事業を営むこと
  四、前三項の事業を助成すへき業務を経営すること
 第二条 当会社は韓国興業株式会社と称す
 第三条 当会社の資本金は一百万円とす
 第四条 当会社は本店を東京市に置き、支店を韓国内枢要の地に設置す、其設置変更は取締役会の決議に一任す
 第五条 当会社の公告は本店所轄登記所の公示する新聞紙に掲載すへし
      第二章 株式
 第六条 当会社の株式は一万株に分ち、一株の金額を一百円とす
 第七条 当会社の株式は一株毎に株券一通を作る、但其株券は記名式とす
 第八条 当会社の株式は、其四分の一を払込み、未払込金払込の方法・期節は取締役会の決議に一任す
 第九条 当会社の株式を売買譲与したるときは名義書換の請求書を作り、株券を添へて当会社へ差出し株主名簿に登録を請ひ、且其株券に証印を受くへし
  前項の場合に於ては株券一通毎に金十銭の手数料を徴収す
 第十条 当会社の株券を損傷・紛失又は滅失せしときは其事由を明記し、保証人連署の証書を差出し、新株券の交附を請求することを得、但紛失又は滅失の場合に於ては其旨を公告し、三ケ月を経て尚発見せさるときは新株券を交附すへし
 - 第16巻 p.591 -ページ画像 
  前項の場合に於ては株券一通毎に金二十銭の手数料と公告料とを徴収す
 第十一条 当会社の株券は定時総会前に於て三十日以内相当の期間を定め之を公告して其書換を停止す
      第三章 役員
 第十二条 総会に於て五十株以上を所有する株主中より三名以上の取締役及二名以上の監査役を総会に於て選定す
 第十三条 取締役の任期は三ケ年とし、監査役の任期は一ケ年とす但再選に当ることを得
  補欠の為め選任せられたる取締役の任期は前任者の任期の残期間とす
 第十四条 取締役・監査役在任中欠員を生するも法定の数を欠かす且事務に差支なきときは、次の定時総会まで補欠選挙を猶予することを得
 第十五条 取締役は互選を以て社長一名を選挙す
  社長は取締役会及株主総会の議長に任す、但し社長事故あるときは取締役中の一名之に代はることを得
 第十六条 取締役は其在任中、自己所有の当会社株式五十株を監査役に供託すべし
      第四章 総会
 第十七条 定時総会は毎年四月に開き、臨時総会は必要の場合に之を開く
 第十八条 総会に於ては予め株主に通知したる事項の外他の議事に渉ることを得す
 第十九条 株主は代理人に委任して議決権を行ふことを得、但代理人は当会社の株主に限る
 第二十条 総会の決議に於て可否同数なるときは議長之を裁決す
 第二十一条 総会に於て決議したる事項は之を記録し、取締役・監査役署名して之を保存す
      第五章 計算
 第二十二条 当会社は毎年三月の終に於て諸勘定を決算し諸報告を調製す
 第二十三条 当会社の損益計算は、毎期総益金より諸経費及損失金等を引去りたるものゝ内より、其百分の十以上の積立金及百分の十に当る金額を役員賞与及ひ交際費として扣除し、其残額を株主に配当すへし、但計算の都合に依り次期へ繰越金をなすことを得
      第六章 附則
 第二十四条 当会社設立の上会社の負担に帰すべき創立費用は金五千円迄とす
                      発起人
    韓国興業株式会社営業予算書
 第一回払込金を左の如く分割す
  一金十二万円          金融部資金
  一金十万円           農業部資金
 - 第16巻 p.592 -ページ画像 
  一金二万円           模範農場資金
  一金一万円           諸準備金
   合計金二十五万円
 右之方針を以て一ケ年間資金を運用するとして損益を按するに左の割合を得
      損失之部
  一金五千円           給料旅費
  一金三千円           諸雑費
   合計金八千円
      利益之部
  一金一万八千円         金融部利益
  一金二万千円          農業部利益
   合計金三万九千円
    内
  金八千円            損失
    差引
  金三万千円           純益金
  払込金二十五万円に対し年一割二歩四厘に当る


中外商業新報 第六七六二号 明治三七年七月一七日 ○韓国興業会社株式歓迎(DK160096k-0003)
第16巻 p.592 ページ画像

中外商業新報  第六七六二号 明治三七年七月一七日
     ○韓国興業会社株式歓迎
韓国内の土地貸付農業耕作を目的とし、第一銀行重役及有志家の発起に係る韓国興業株式会社創立のことは其詳細を去十日の本紙に記載せしが、右計画のこと伝はるや同会社将来の大に有望なるを認知し、未だ公然株式募集に着手せざるに拘らず引受希望者頗る多数にして到底悉く之に応ずること能はざる程なりと云ふ、従つて同会社資本金百万円は一般より之れを募集することなく忽ちにして満株超過すべき好況にて、目下発起人等に付き協議中なれば近日中に決定すべく、然る上は着々創立手続きを尽し、来る八月には創業総会をも開き諸般の準備成ると共に、九月には事業を開始するに至る筈なりと云ふ


中外商業新報 第六七六八号 明治三七年七月二四日 ○韓国興業会社発起人会(DK160096k-0004)
第16巻 p.592-593 ページ画像

中外商業新報  第六七六八号 明治三七年七月二四日
    ○韓国興業会社発起人会
韓国興業株式会社設立は非常の好況を以て歓迎せられ発起準備も着々進行し、発起人も渋沢男爵・大倉喜八郎・浅野総一郎・大橋新太郎・服部金太郎・西園寺公成・佐々木勇之助・日下義雄・土岐僙・添田寿一・岡本善七・渡辺嘉一・茂木保平・渡辺福三郎・安部幸兵衛・平沼延二郎・増田増蔵・朝田又七氏等に決定したるを以て、昨二十三日午後一時より第一銀行内に発起人会を開き、右発起人中大倉・浅野・大橋・服部及第一銀行重役諸氏等列席の上、発起人の引受株其他創立上の事務に関し打合せを為す所ありたり、而して右発起人の引受けたる株数は既に六千株に達したる由にて、発起人以外の人にして既に引受を申込めるもの又多数あれば、是等に向つては直に申込の手続を履ましむることとし、是にて所要の株数二万株は一般に募集せずして満株
 - 第16巻 p.593 -ページ画像 
にならんとする状況なりと云ふ、尚朝鮮に於ける関係者よりも続々と賛同を為し、株式引受を希望するもの少からざれば同国よりの申込を待ち、来月十日前後迄には全部の株式申込を取纏め其上は直に創立の進行を計り、予記の如く九月には開業する筈也


竜門雑誌 第一九四号・第二六―二七頁 明治三七年七月 ○韓国興業会社創立計画(DK160096k-0005)
第16巻 p.593 ページ画像

竜門雑誌  第一九四号・第二六―二七頁 明治三七年七月
○韓国興業会社創立計画 韓国の経営に関して既に朝野の有志者間に於ても種々計画する所ある由なるが、第一銀行にては久しく同国と金融上至大の関係を有すると、又其行員中には朝鮮の事情に精通せる士多きを以て、行内の有志者相謀りて韓国経営に関する諸般の調査を為し、青淵先生指導の下に韓国興業会社なる株式会社を組織し有力なる実業家を発起人として広く株主を内地及び韓国在留民間に募り、着々韓国経営の実を挙ぐる方針にて此程漸く一切の調査計画成り、趣意書及目論見書等を夫々配布したる由、資本金は一百万円にして之を一万株に分ち一株百円として資本金の半額は発起人に於て引受け、残半額を一般公衆より募集し設立当時に四分の一を払込ましめ取敢へず之を以て事業に着手する筈なりと、其趣意書及び目論見書・予算等の概要左の如し○趣意書・目論見書・予算書略ス


東京経済雑誌 第五〇巻第一二四五号・第二三〇―二三一頁 明治三七年七月三〇日 ○韓国興業会社の成立(DK160096k-0006)
第16巻 p.593 ページ画像

東京経済雑誌  第五〇巻第一二四五号・第二三〇―二三一頁 明治三七年七月三〇日
○韓国興業会社の成立 ○中略愈々去る廿一日に至り第一銀行内に於て発起人総会を開き、諸般の打合せを為したり、尤も内部に於て既に諸事纏まり居りし為め格別の事もなく、無事総会を終り株式の募集に着手することゝなりたるが、総株数の半数は発起人に於て引受くる筈なる上に各方面より続々株式の引受申込あるを以て、実際広く一般より募集する額は余り多からざる可きも、猶ほ株式引受を希望するものは八月十日迄に日本橋区兜町第一銀行内韓国興業株式会社創立事務所宛申込む可しとなり


東京経済雑誌 第五〇巻第一二四七号・第三一九頁 明治三七年八月十三日 ○韓国興業会社(DK160096k-0007)
第16巻 p.593 ページ画像

東京経済雑誌  第五〇巻第一二四七号・第三一九頁 明治三七年八月十三日
○韓国興業会社 は第一銀行員有志其発企人となり、資本金を百万円とし其四分一の払込あれば直ちに事業に着手し、本店を東京に置き支店又は代理店を朝鮮に設け、渋沢男の監督の下に開始せらるべしといふ、而して其の経営すべき事業は左の如し
 一韓国に於て農業を営み、土地に対する金融の便を開き、且次条の手続により、同国農産物の改良増加を促し、以て日韓貿易を発達せしむるに在り
 一韓国農業の改良を図らんが為めに模範農場を設置し、韓人の依頼に応じて土地の鑑定、田畑の整理、種苗・肥料等の選択を為すこと
 一殖林・養蚕・牧畜の事及び灌漑排水の工事に関し、韓人の依頼に応じて其模範を示し、又は之を指導誘掖すること
事業は頗る困難なるべし、然れども韓国の事情に通じ、同国に信用厚き第一銀行員諸氏の企業なれば成効するに相違なかるべし

 - 第16巻 p.594 -ページ画像 

銀行通信録 第三八巻第二二六号・第九七―九八頁 明治三七年八月 ○韓国興業株式会社(DK160096k-0008)
第16巻 p.594 ページ画像

銀行通信録  第三八巻第二二六号・第九七―九八頁 明治三七年八月
    ○韓国興業株式会社
第一銀行関係者の主唱にて韓国に不動産抵当銀行を設立するの内議ある趣は既に之を記せしが(第三十七巻六二五頁)右の経画は愈々熟して渋沢男指導の下に韓国興業会社なる株式会社を組織し、有力なる実業家を発起人として広く株主を内地及韓国在留人中より募集し以て七月十一日趣意書及目論見書等を配布したり、資本金は百万円にして之を一万株に分ち、一株百円として資本金の半額は、発起人に於て引受け、残半額を一般公衆より募集し、設立当時に四分の一を払込ましめ之を以て事業に着手する見込なり、趣意書及目論見書左の如し○趣意書・目論見書略ス


中外商業新報 第六八〇六号 明治三七年九月七日 ○韓国興業会社創業総会(DK160096k-0009)
第16巻 p.594 ページ画像

中外商業新報  第六八〇六号 明治三七年九月七日
    ○韓国興業会社創業総会
韓国興業株式会社は第一回払込も終了したるを以て、昨六日第一銀行内に創業総会を開き創業に関する報告をなしたる後、重役の選挙を行ひ取締役及監査役を左の如く定めたり
 取締役  尾高次郎  日下義雄   大橋新太郎
 監査役  土岐僙   服部金太郎
尚取締役の互選を以て尾高氏を専務取締役に選定したるが、同氏は技師加藤末郎(元農商務省技師)を伴ひ近日渡韓し直に開業する筈なりと云ふ


銀行通信録 第三八巻第二二七号・第六四頁 明治三七年九月 ○韓国興業会社創業総会(DK160096k-0010)
第16巻 p.594 ページ画像

銀行通信録  第三八巻第二二七号・第六四頁 明治三七年九月
    ○韓国興業会社創業総会
韓国興業株式会社にては既に第一回株金払込結了したるを以て、九月六日第一銀行内に創業総会を開き創業に関する報告を為したる後、重役の選挙を行ひたるに、取締役には尾高次郎・日下義雄・大橋新太郎三氏、監査役には土岐僙・服部金太郎両氏当選し、尚取締役の互選を以て尾高氏を専務取締役に選定せり


竜門雑誌 第一九六号・第二四頁 明治三七年九月 ○韓国興業会社創立総会(DK160096k-0011)
第16巻 p.594-595 ページ画像

竜門雑誌  第一九六号・第二四頁 明治三七年九月
○韓国興業会社創立総会 既に本誌前々号に詳細を記したる韓国興業株式会社にては愈々第一回株金払込結了したるを以て、九月六日第一銀行内に創立総会を開き創業に関する報告を為したる後、重役の選挙を行ひたるに取締役には尾高次郎・日下義雄・大橋新太郎三氏、監査役には土岐僙・服部金太郎両氏当選し、又満場一致を以て青淵先生を監督に推戴することに決せり、尚取締役の互選を以て尾高氏を専務取締役に選定し、本社を東京に、支店を韓国京城に置くことゝし、其専務取締役たる尾高次郎氏は技師を伴ひ別項記載の如く韓国に向て出立せられたり、因に記す同社の技師長は先頃迄農商務省技師たりし加藤末郎、同技師は同省農務局技手たりし宇都曾一両氏にして共に今回同会社に招聘せられ本月八日農商務省を辞し、尾高氏と同行渡韓せられ
 - 第16巻 p.595 -ページ画像 
たり


(八十島親徳)日録 明治三七年(DK160096k-0012)
第16巻 p.595 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治三七年   (八十島親義氏所蔵)
七月五日 快晴
○上略
午後王子行、男爵殆全快共云フヘキ容体、已ニ一昨日より入浴ヲ始メ、又昨日ヨリ一日一会《(回)》ハ米飯ヲ用ヒラル、多クハ床ヲ離レ快談セラル、未看護婦附添服薬吸入等ノ手続ハナセリ
今後ハ全ク命ヲ拾ヒシモノト思ヒ、之ヲ一段落トシテ可成雑務ヲサケ大要ノ事務ニノミ従事ノ覚悟決心ヲ定メタレハ、計画中ノ韓国興業会社ノ如キモ、情ニ於テハ忍ヒサレトモ責任アル重役タル位置ハ断ル決心ナド御話アリ、七時半帰着○下略


渋沢栄一書翰 野口弥三宛(明治三七年)八月一〇日(DK160096k-0013)
第16巻 p.595 ページ画像

渋沢栄一書翰 野口弥三宛(明治三七年)八月一〇日   (野口弥三氏所蔵)
○上略
韓国興業会社之成立も近々相運可申此事業ニ付而ハ貴方抔ニも追々御助力可相願と存候御含置可被下候、いつれ来月初旬ニハ重役等も出来之上誰か早々貴方へ罷出候義と存候、右等拝答旁取交申上度 匆々不一
  八月十日                渋沢栄一
    野口弥三様
        拝復


渋沢栄一書翰 渋沢篤二宛(明治三七年)八月二〇日(DK160096k-0014)
第16巻 p.595-596 ページ画像

渋沢栄一書翰 渋沢篤二宛(明治三七年)八月二〇日   (渋沢子爵家所蔵)
○上略
八十島樹次郎事ニ付而ハ昨日佐々木と打合候処ニてハ是非とも大坂紡績之方へ任用候様と申談置候、乍去今日之御書状ニてハ親徳ニ於ても新設之韓国興業会社之方所望之由ニて本人も同様なるへくと申事、然る上ハ致方無之ニ付尚其辺清麿氏へ御相談被成大紡之方ハ別ニ人撰候外有之間敷候、佐々木支配人ハ四日市之清水百太郎ハ如何と被申候由ニ候処、清麿氏ハ余り懇望ニも無之口気ニ付、樹次郎にして調談出来兼候ハヽ別ニ清麿其外大紡会社之人ニ人撰為致候方可然歟と存候
○中略
  八月廿日
                       栄一
    篤二殿
  ○中略
  十六日附尾高次郎より一書送来、興業会社株式割付之摸様及其人名表まて封入有之候、総会ハ多分来月初旬ニ可相成、夫まてニハ老生も必ス帰京之積ニ付其段御通し置可被下候、依而尾高ヘハ別ニ返書不致候是又御伝声頼上候

渋沢篤二殿 要件親展 同栄一
 - 第16巻 p.596 -ページ画像 
封 従芦之湯 八月廿日裁


渋沢栄一書翰 木村雄次宛(明治三七年)一〇月一一日(DK160096k-0015)
第16巻 p.596 ページ画像

渋沢栄一書翰 木村雄次宛(明治三七年)一〇月一一日   (木村雄次氏所蔵)
○上略
韓国興業会社創立ニ付而ハ尾高・加藤出張ニ付既ニ御面会可被成、貴地方面ニ於る施設ニ付而ハ御添心も可相願と存候、精々御助力可被下候
○中略
  十月十一日
                      渋沢栄一
    木村雄次様


渋沢栄一書翰 佐々木勇之助宛(明治三七年)一一月二日(DK160096k-0016)
第16巻 p.596 ページ画像

渋沢栄一書翰  佐々木勇之助宛(明治三七年)一一月二日 (佐々木勇之助氏所蔵)
  明治卅□年十一月二日
○中略
興業会社事務ニ付而も北韓を度外ニ置候ハ却而不利益云々此程尾高より来状有之候、何れ之地方ニても事業ニ適当候を以て好適地と可致義ニ付、其辺ハ専務者之考定ニ任せ候事と存候
○中略
                     渋沢栄一
    佐々木勇之助様
          梧下
○下略


渋沢栄一書翰 野口弥三宛(明治三七年)一一月二日(DK160096k-0017)
第16巻 p.596 ページ画像

渋沢栄一書翰  野口弥三宛(明治三七年)一一月二日  (野口弥三氏所蔵)
○上略
興業会社之事ニ付而ハ尾高より再度来状有之、同氏平壌地方旅行後之意見として北韓之土地を閑却候ハ是迄とても大ニ不注意なりしと申意味之来状有之候、依而佐々木氏一覧之考案も承合度書中申通置候、右書中兼二浦ニ於る我政府之着手経営云々申来候得共、何様之方法ニて何等之設備いたし候義に候哉、佐々木・清水両君とも御話合之上相分り候ハヽ御詳報可被下候、尾高ハ既ニ帰途ニ就き候事と存し返書も差出不申候得共、幸ニ尚仁川ニて御逢ニ候ハヽ篤と御聞合之上、将来如何なる点まで相進候哉御熟知被成置度と存候
○中略
                      渋沢栄一
    野口弥三様
○下略
  ○封筒ニ「十一月二日」ト記セリ。


渋沢栄一書翰 佐々木勇之助宛(明治三七年)一一月二五日(DK160096k-0018)
第16巻 p.596-597 ページ画像

渋沢栄一書翰  佐々木勇之助宛(明治三七年)一一月二五日
                  (佐々木勇之助氏所蔵)
○上略
 - 第16巻 p.597 -ページ画像 
興業会社之要務ニ付而ハ尾高帰京後再三重役会相開き韓国之実況も縷述いたし要領ハ決定仕候、岡部氏も帰京昨日尾高ハ面会済ニ付結氷之恐も有之候間一日も早く出立之義申出候ニ付、貴台御帰京まて相待候様今朝も申談置候得共、只今大坂より電話之趣も有之候間、今夕尾高ハ当地出立大坂ニて拝眉候様可相成と存候、老生ハ可成丈其始を慎重ニ致候様毎々尾高ニ注意いたし置、重役会等へハ稍手を尽し候見込書も提出し、其議決を得候様為致候得共、兎角軽卒ニ失する懸念有之候ニ付、もしも当初ニ蹶跌等不相生様此上とも御添心被下度候、但北韓ニ対する経営ニ付而ハ加藤等も実地見分之上如何ニも見込ある土地と鑑定之上ハ差支ハ無之と老生も同意せし義ニ御坐候、右等不取敢要件申上度、余ハ近日拝眉万御伺可申上候 匆々不一
  十一月廿五日
                        渋沢栄一
    佐々木勇之助様
○下略


渋沢栄一書翰 野口弥三宛(明治三七年)一二月三一日(DK160096k-0019)
第16巻 p.597 ページ画像

渋沢栄一書翰  野口弥三宛(明治三七年)一二月三一日  (野口弥三氏所蔵)
○上略 尾高ハ興業会社之義ニ付出張種々御幇助相願候事と存候、同会社事業も詰り本行別働隊とも可申程ニ付、貴方ニ相生し候用向ハ適当之御助力被成下度候、近頃ハ同人も平壌・鎮南浦等へ罷越候由、同地方ニ於ても出張所員ニ助力相頼候事と存候、是又貴方よりも御申添被下精精補助せられ候様致度候
○中略
  十二月三十一日
                        渋沢栄一
    野口弥三様
        梧下


渋沢栄一書翰 木村雄次宛(明治三七年)一二月三一日(DK160096k-0020)
第16巻 p.597 ページ画像

渋沢栄一書翰  木村雄次宛(明治三七年)一二月三一日  (木村雄次氏所蔵)
○上略
興業会社も創業之際ニて尾高も屡往来之必要有之、一月ニ相成候ハヾ一時帰京更ニ出張候様可相成と存候、貴方ニ於て同会社之事務相生し候ハヽ御添心被下候様頼上候
○中略
  十二月三十一日
                        渋沢栄一
    木村雄次様
        拝復
○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK160096k-0021)
第16巻 p.597-599 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十二日 晴 風ナシ
○上略 加藤末郎来訪韓国興業会社ノ事業着手ノ次第ヲ聴ク、十六日東京ニテ面会ヲ約シテ去ル○下略
 - 第16巻 p.598 -ページ画像 
  ○栄一当時大磯長生館ニアリ。
  ○中略。
一月十六日 曇 軽暖
○上略 韓国興業会社技師加藤氏来リ談ス、十九日ヲ以テ重役会議ヲ開キテ爾後ノ景況ヲ報告スヘキ事ト定ム
○下略
  ○中略。
一月十九日 曇 風ナシ
○上略
午前十時第一銀行ニ出勤シ韓国興業会社重役会ヲ開ク、日下義雄・土岐僙・佐々木勇之助氏等来会ス、技師加藤氏在韓中取扱ヒタル事務概況ヲ報告シ北韓土地ニ関スル将来施設ノ方針ヲ議ス、畢テ第一銀行重役会ヲ開ク、京城支店ヨリ来電ニ関スル要件ヲ議決ス
○下略
  ○中略。
一月二十五日 曇 風寒シ
○上略 午前十時第一銀行ニ出勤シ、加藤末郎韓国行ニ関スル要務ヲ談シ書状ヲ交付ス○下略
  ○中略。
二月十八日 晴 風寒シ
○上略
第一銀行ニ抵リ興業会社ノ重役会ヲ開キ、尾高次郎滞韓中取扱ヒタル事務ノ報告ヲ受ク
○下略
  ○中略。
三月八日 晴 風ナシ
○上略
午前九時過目賀田氏ヲ訪ヒ種々ノ事務ヲ談話シ、銀行関係ノ事及興業会社創立ノ目的又ハ将来ノ施設ニ関スル意見ヲ詳叙ス
○下略
三月九日 晴 風ナシ
○上略 尾高次郎来リ興業会社ノ要務ヲ談ス○下略
  ○中略。
四月一日 雨 軽暖
○上略
韓国尾高ヨリ書状来ル、加藤末郎ヨリノ来書ヲ落手ス
○下略
  ○中略。
四月十七日 雨 風寒シ
○上略 再ヒ事務所ニ抵リ韓国尾高・目賀田・加藤等ヘ書状ヲ発ス○下略
  ○中略。
四月二十七日 曇 風強シ
○上略 午後二時過キ第一銀行ニ抵リ韓国興業会社重役会ニ出席ス、尾高次郎ヨリ韓国滞在中ノ景況ヲ報告ス、畢テ第一銀行重役会ヲ開キ要務
 - 第16巻 p.599 -ページ画像 
ヲ議決ス○下略
四月二十八日 曇 風ナシ
○上略 第一銀行ニ出勤シ韓国興業会社ノ総会ニ出席ス○下略
  ○中略。
五月六日 晴 風強シ
○上略 九時前帝国ホテルニ抵リ林公使ニ面会シテ銀行事務及興業会社ノ事又ハ鉱山採掘権ノ事ヲ談シ、頃日大隈伯ト談話セシ韓国特許云々ノ事ヲ談話ス○下略
  ○中略。
六月五日 曇 風ナシ
○上略 午前十時第一銀行ニ出勤シ韓国興業会社重役会ニ列ス○下略
  ○中略。
七月一日 曇 冷気
○上略
此日韓国興業会社重役会ヲ第一銀行ニ於テ開ク
○下略
  ○中略。
八月十日 晴 清暑
○上略 十二時第一銀行ニ於テ午飧シ食後重役会ヲ開ク、畢テ韓国興業会社重役会ヲ銀行ニ開ク○下略


渋沢栄一書翰 亀島豊治宛(明治三八年)四月五日(DK160096k-0022)
第16巻 p.599 ページ画像

渋沢栄一書翰  亀島豊治宛(明治三八年)四月五日   (亀島豊治氏所蔵)
○上略
興業会社事務ニ付而ハ貴地ニハ相応之仕事相生候見込無之哉、尾高・加藤両氏抔と其中御熟議可被成候
○中略
  四月廿五日               渋沢栄一
    亀島豊治様
        拝答


渋沢栄一書翰 亀島豊治宛(明治三八年)五月二二日(DK160096k-0023)
第16巻 p.599 ページ画像

渋沢栄一書翰  亀島豊治宛(明治三八年)五月二二日  (亀島豊治氏所蔵)
○上略
興業会社之事務ニ付而も其中貴地ニ必要相生し候ハヽ、尾高等罷出可申、併目下ハ北部之経営ニ尽力致居候間当分余リ各地ヘ手を出し候事ハ有之間敷と存候
○中略
  五月廿二日              渋沢栄一
    亀島豊治様
        拝答



〔参考〕竜門雑誌 第一二二号・第二四―二八頁 明治三一年七月 ○韓国所見(青淵先生)(DK160096k-0024)
第16巻 p.599-600 ページ画像

竜門雑誌  第一二二号・第二四―二八頁 明治三一年七月
    ○韓国所見(青淵先生)
 本篇は青淵先生が六月十五日東京交換所組合銀行有志者招待宴席に於て談話せられたる所なり
 - 第16巻 p.600 -ページ画像 
○中略
◎結論 要するに韓国は全く農業時代の国にして未だ工業経済若くは商業経済の時代に達せさるものなり、而して韓人の性質は従順にして特に労力に堪ゆる質あり、然れとも惜むらくは彼等は敢為の気堪忍の念なきなり、余が有形無形の上より観察せる処より顧みて日本との関係を見るに、其交通は二千年以上に亘り上代に在りては彼等が寧ろ我国に対して侵略を逞ふせしことありしやも知るへからす、然れとも神功皇后の三韓征伐より以後我国は引続き彼国に対し進取的政略を採り来り、近来特に盛なりといふべし、而して向後如何なる方針を以て之に処すべきや是れ吾人の最も注意すべき要点なりとす、余を以て之を見れば我邦の対韓政略将来勉て侵略意念を止め誘導的開発を事とし、彼国の耕作方法及養蚕等を進歩せしめ其生産物を我に購取し、我国の製造物を輸送して彼に売拡くるを得策とせん、即ち侵略的時代を経過せる今日に於て通商上充分に行働するは吾人商業家の任なるべし、実に明治廿七年以来韓国の風雲は種々なる変化を為せり、今後又如何なる成行を見るや知るべからされとも彼等は今日我邦に依頼するの最も便なるを知るものゝ如し、朝令暮改漂々然たる彼等のことなれは元より今日の状態を以て将来を推すべからざるも、自今彼我商業上の関係愈々拡大なるを得は是れ両国の利益を鞏固にし国交を親密ならしむるを得べきなり、要するに吾人商業に従事する者は我国家の利益と併馳せしむる様個人の業に於て勉て進取を謀りたきなり、果して然らは吾人が韓国に対する経営は小にしては個人の利益を進むるのみならす、大にしては実に我国力を振張するものといふべし、上述の如く同国は陋隘汚穢の土地なるも余は英仏の如き文明国に至れるより大に愉快を感じたりき、何となれは、韓国は我国人民が誘導開発すべき土地にして、諸種の事物我に依頼するもの多きか故に、恰も我は彼の母国の如き感あるを以てなり