デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
14款 棉花栽培協会
■綱文

第16巻 p.659-667(DK160111k) ページ画像

明治39年4月13日(1906年)

前年七月、韓国ニ於テ陸地棉栽培奨励ノタメ、原敬・野田卯太郎等率先シテ棉花栽培協会ヲ設立ス。是日同協会総会ニ於テ栄一選バレテ同協会評議員トナル。同協会ハ明治四十五年三月其全事業ヲ朝鮮総督府ニ引継グト共ニ解散ス。


■資料

大日本紡績聯合会月報 第一五二号・第二三―二四頁 明治三八年四月 棉花栽培協会創立協議会(DK160111k-0001)
第16巻 p.659 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一五二号・第二三―二四頁 明治三八年四月
棉花栽培協会創立協議会 四月十二日午前十一時より芝愛宕山東京ホテル楼上に開会、政友会側よりは、原・大岡・杉田・栗原・改野・奥野・野田・森本・秋岡・萩野・岡崎・栗塚の諸氏、進歩党側よりは鳩山・大石・守屋・加藤・関・波多野・青地・江藤・角田の諸氏及酒匂農務局長・森田商工局長・月田農商務技師並に本会書記長等出席、同会創立に関し種々審議すると共に、前記二局長、一技師より政府か過般来人を派して調査せしめたる結果を質し、結局同会の創立は広く一般の賛助を得さるへからさると、且は政府を始め貴族院議員其他実業団体に向つても交渉の必要あるを以て、近日中日を期して之か発会式を挙け、役員其他の選挙も同時に之を行ふ事に決し、午後一時三十分散会したり


大日本紡績聯合会月報 第一五五号・第二〇―二一頁 明治三八年七月 ◎棉花栽培協会創立総会(DK160111k-0002)
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大日本紡績聯合会月報 第一五五号・第二〇―二一頁 明治三八年七月
    ◎棉花栽培協会創立総会
棉花栽培協会は本月廿五日、東京芝愛宕山上東京ホテルに於て開会、出席者は貴衆両院議員、農務・商工局長、紡績聯合会上京委員及実業家等数十名にして、荻野芳蔵氏《(萩野芳蔵カ)》より創立中の経過報告あり、座長に谷森貴族院議員を推薦し、規約を議定す、尋て役員選挙に移り、座長及ひ原敬・大石正巳・朝吹英二の四氏を指名委員とし、左の評議員及理事を指名報告せり
 理事 野田卯太郎 荻野芳蔵
    角田真平  青地雄太郎
    庄司乙吉
次に西ケ原農事試験所技師安藤農学士より左の報告あり
 今般の試作は重に韓国棉花生産地の中心とも言ふへき栄山江流域につき力を尽したり、即ち木浦・自防浦・栄山浦・羅州・先州等の数ケ所に試作を実施せり、其方法は米国各種の陸地線及韓国在来種等十数種《(棉)》を各種の栽培法に依り夫々試験的に播種したり(洛東江流域大邱及密陽、金州附近は来年度に於て試作の筈)是に依り本年秋季の収穫期には更に渡韓の上充分其結果に付調査の上報告すへし
 而して韓国の棉花は其在来種のものにつき調査するに、其栽培の方
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法甚た幼稚にして、肥料の如き最初播種の時僅に一回種実と同量位の少しはかりの肥料を施すに拘らす其品質は米国種と同様のものを生産し、其収獲は約我一反歩につき二百斤なりとす、今在来のものにつき少しく其栽培法を改良すれは充分の成績を得へく、若し米国種等の如き改良種に依るときは韓国の農作物中比較的有利のものとなるや疑なし、又作付反別の増加の如きも適当なる奨励の方法を行ふときは同国重要物産となり、我国に輸入し以て我工業の原料とせは、彼我相利する処少なからすと確信す云々
尚ほ谷口房蔵氏は英・仏・伊・白・葡・露諸国に於ける実例を列挙し重要なる棉業の原料を自国の勢力国内《(圏カ)》に於て供給するの必要なる所以を説き、協会の発達を切望するとの演説をなし散会したりといふ


大日本紡績聯合会月報 第一五六号・第七―一一頁 明治三八年八月 棉花栽培協会の創立総会に於て(谷口房蔵君演説)(DK160111k-0003)
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大日本紡績聯合会月報 第一五六号・第七―一一頁 明治三八年八月
    棉花栽培協会の創立総会に於て(谷口房蔵君演説)
会長並に紳士諸君
 棉花栽培協会の創立は当協会の事業に密接の関係を有する我々紡績業者の深く以て歓ひとなす所にして、此機会に於て棉業政策に関し予て懐抱する卑見を陳述することを得るは予の最も光栄とする所なり
 惟ふに我国の如き位置・形勢の邦国に在りては工業を以て立国の基礎となさゞるべからざるは何人も異論なき所なるべし、然らば如何なる種類の工業が最も主要なる工業として発達進歩せしむるの必要ありやと言ふに、蓋し衣・食・住なる人間生活の三大要素中「衣」に関する工業なるべしと信ず、宜なるかな欧米列国に於て絹・棉・毛の織物に関する工業は殆んど其国の工業中に在りて首位を占めざることなきや、特に棉業は英・米の両国に於て最も重要なる工業を以て目せらるるのみならず、仏・独・瑞・白の如き工業国は勿論、下つて墺・伊・西・葡・露に於ても主要工業として官民の保護注目を惹かざるなし
 多く絹布・毛布に依頼する欧米に於てさへ斯の如しとせば棉布を以て殆んど唯一の衣服となせる亜細亜国民に在ては棉業は其生命なりと称するも不可なかるべし、然るに支那・印度の如き現在に於ける大産棉地を有し、且此両国以外亜細亜の大部分は産棉地帯に属するに拘はらず、其棉業の発達欧米列国に比し尚ほ遠く及ばざるは甚だ遺憾ならずとせんや、我国の如きは内地の需要以外支那・朝鮮及南洋諸島等棉製品に向つて無限の需要力ある好得意を近き対岸に有するを以て、棉業の発達にして将来如何なる程度に達するとも其方法宜きに適せば販路に困しむが如きことは決して之なかるべし、況んや工業の原動力たる水力若くば燃料は潤沢にして、工賃亦甚だ低廉なり、加ふるに棉業に重大なる関係を有する温度及湿度の如きも其の中庸を得たるを以て原料棉花の一点を除きては我国は棉業国として申分なき国柄なりと言ふを得べし
 此原料棉花は古来我国にも自国産のものなきにあらざるも、憾らくは器械紡績の原料たるに適せず、且其価格比軟的不廉なるを以て、紡績工業の創始以来其原料は主として之を海外に仰きしかば、其結果内地の棉作は甚しく衰退するに至れり
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 我国にして将来棉業国として大発展をなさんとするには原棉を自国に於て産出するにあらざれば其目的を達すること能はざるや否やは甚だ重大なる問題にして、英国の如きは米国に於ける紡績業の驚くべき発達と原棉価格の暴騰とに苦しみ、近来此問題の解決に付て囂しき輿論を惹起し、遂に学者及当業者より成れる一隊の視察員を米国に派遣したることありしが、其結果必ずしも自国産棉を有せざるも優に棉業国として覇を称するを得べしとの結論に到着したるが如し
 予は此結論の適否に向つて今何等の断定を下さんと欲するものにあらず、又其必要なかるべしと信ず、然れども爰に一言を要するハ、最近数年間に於て欧洲の列国が各其力を極め競つて各自の領域若くは勢力圏内に原棉の植付を奨励し、其熱心盛大の状況近来の経済史中に於て特筆に値するものあること是なり、而して英国の如きは其創始者にして又最も熱心なる国なることを知らば、此問題を解決するに於て思半に過ぐるものあらん
 固より米国に於ける原棉需要の増進及之が為めに生じたる原棉の欠乏に乗じ、奇利を博せんとせる投機商の人為相場が殆んど意想外の苦痛を数年間引続きて彼等に与へたることは其原因の一部たるに相違なしと雖ども、自国若くは其領域内に産棉地を有せざることの不利益を適切に認識するに至りたるもの其主因たるや疑なし、殊に近来各国とも競ふて工業に対し保護政策を執るの傾嚮愈々著しきを加ふるに至りて、国家経済に重大なる関係を有する主要工業の原料問題を閑却すること能はざるべきは言を俟たざるに因るならん
 我国に於ける外国棉の試作は今日までの経歴に於ては必竟失敗たるを免れざりき、然るに今や朝鮮と我国との関係は彼の如く結び付けられたり、従来同国に於ける棉花の栽培は其地積狭小なるが為め固より少量なるも、其方法の幼稚且つ極めて不完全なるを以てして猶且良好なる棉花を産したれば、耕圃の拡大と共に耕作上之に施すに適当の方法を以てせば必らず多大の供給をなすことを得るに至るべきを信ず、然らば我国は今日の如く其原料を遠く印度・米国より取るを須ひず、近く之を国内同様の地より獲て之より製したる棉物を更らに近接の諸国に輸販すとせば、世界棉製品の競販地たる亜細亜に於て遠来の製品に打勝ち得ること決して難からざるべし、よし仮りに産額が左る多額に達せずとするも、是等の棉花は地理上其他の関係より自然挙げて我国の需要に供せられ、他国に輸販せらるゝが如きことなかるべく、随て世界に於ける棉花の価格騰貴する場合にも独り我国の市場は此独占的供給あるを以て昂低の影響自ら少かる可く、其利益蓋し意想の外に存するものあるべし
 予は予の説を終るに先ち少しく欧洲列国の棉花栽培協会及棉作奨励に関する状況を述べ、諸君の参考に供せんとす
 英国に於ける棉花栽培協会は一九〇一年の初めオルダム商業会議所の総会に方り、棉花の供給を増加すべき方策に関し論議したるに起因し、越て一九〇二年六月マンチエスター市に於て、発会式を挙行したり、当時協会の資金は五拾万円に過ぎざりしが、一九〇三年の十月に至り規模拡張の必要を感じ資金を倍加せり、然るに米棉の暴騰は益々
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其事業の拡張を促がしたるを以て、終に昨年八月に至り其資金を五百万円に増加し、英国皇室の特許状を得て其組織を更めたり、而して今や協会の事業は試験時代を過ぎ実用的大規模を以て経営するの時期に達せり、今日迄に同協会が棉作を奨励保護したる地域は、印度・西印度・英領ギヤナ・亜弗利加の北部を除きたる爾余の英領諸殖民地、濠洲・錫蘭・フヒジー・ボルネオ及緬甸の各地に渉り、鉄道の敷設・土地の貸与・作地の灌漑・種子機械の給与・繰棉及俵装場の設置及運賃の低減に加へ、産棉の数量品質に依り賞金及賞牌を附与する等、百方耕作者に向つて保護奨励の策を講じ、今や協会は進んで其産棉を輸販するが為めに商業的事務を開始するの必要に迫らるゝに至れり
 独逸に於ては原棉供給の必要に迫られ、一九〇〇年の十一月に至り殖民地農事調査委員会は起つて一隊の棉業調査委員を西部亜弗利加殖民地トゴに派遣せしが、此委員は引続き東部亜弗利加及其他の独逸殖民地を巡歴せり、トゴ地方に於ては奨励の結果一九〇四年に於て弐拾万封度の収穫ありしが、本年度に於ては少くとも其五倍の収穫あるべしと云ふ、而して独逸の奨励方法は頗る組織的にして、鉄道を敷き、市場を開き、繰棉場及俵装所を設け、米国より教師を聘して学校を開き、外国産及土産の種子を頒与し、品評会を開きて産品の改良を促がし、鉄道運賃及船賃の大割引をなさしめて輸出棉花を奨励し、棉作者の会合を開きて耕作法の研究をなさしめ、医師・獣医及び植物学者を派して人畜の衛生及棉樹の発育に関する必要の研究をなさしむる等、其用意の周到なる洵に感ずべきものあり、而して亜弗利加に於ける独領殖民地の外ニユーギニヤ・小亜細亜・モロツコ・南ブラジル・ボル子オ等に於ても独逸人の経営に属せる商社の手を経て種々なる方法の下に棉作の奨励をなせり
 仏蘭西に於ては諸殖民地中スウダン・ダホメイ及マダカスガルの三殖民地最も棉花の耕作に適し、西部亜弗利加の仏領殖民地にも亦適当なる耕地少なしとせす、是に於て官民六百名より成れる殖民地棉花栽培協会は組織せられ、棉作の奨励・繰棉及俵装の方法・運賃の低減・産棉の改良、種子の分配等に付き研究を為し、尚ほ各殖民地総督の援助を得て旺んに栽培の方法を講じ居れり
 伊太利に於ては資金を募集してソマリランド及アビシニヤの自国領地に於て棉花を試作したりしが、是等殖民地の総督及有力なる植物学者の尽力により好果を奏したるを以て、資金弐拾参万円の会社を組織して専ら耕作に従事し、土民及企業家に向つて棉作の模範を示し奨励に資せんとせり
 白耳義に於ては其殖民地コンゴーフリーステーツに於て棉作を奨励するが為めに、種子及び繰棉俵装に必要なる器具の雛形を下付し、且政府の費用を以て経験家を派遣し、又棉作に関する諸種の注意書を配付したり
 葡萄牙に於ては五十年来既に亜弗利加殖民地に棉花を耕作し来りしが、其事業は更に発達せずして寧ろ退歩の徴あり、然るに近年米棉の暴騰に苦しめる結果是等棉作地の再興を図り、自国所用の棉花供給を潤沢ならしめんが為め有志者及企業家の輩は熱心に之が方法を講究中
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なり
 露西亜に於ては高加索地方及ターキスタンに於て棉作を奨励したる結果大に其産額を増加し、米棉の輸入を激少するに至り、遠からずして全く之れを防遏し得るに至らんとするの勢ありと云ふ
 前述の如く欧洲の各国が此重要工業の原料に向つて官民共に多大なる注意を払ひつゝあるの事実は、如何に原棉供給問題の重大なるやを証明して余りありと信ず
 我棉花栽培協会の前途には為す可きこと尚甚だ多し、希くば諸君の御尽力に依り健全なる発達をなし、其目的を達せんことを是予の諸君と共に切望する所なり


大日本紡績聯合会月報 第一五九号・第二四頁 明治三八年一一月 △韓国棉花栽培実施(DK160111k-0004)
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大日本紡績聯合会月報 第一五九号・第二四頁 明治三八年一一月
△韓国棉花栽培実施 棉花栽培協会理事萩野芳蔵氏は過般韓国に赴き韓廷大臣を訪問して棉花栽培の利益を説き、其奨励実施を勧誘し、荻原代理公使を介して公然交渉する所あり、若松木浦領事も亦入京して公使に同意見を提出したるか、韓国政府に於ても棉花栽培は国家の最大利益事業なるを認め、今回愈々左の協定を承認することに決したりと云ふ
 一、韓国政府は全羅道地方に於て三十箇所に棉花栽培種子園を設置する事
 一、韓国政府は財政顧問本部の承認を経て該事業に対し三箇年計画を以て経営費七万円乃至十万円を支出する事
 一、棉花栽培協会は本事業に対し責任を帯て最善最良の注意及援助を与ふる事
 一、種子園は其棉花種子を全国に広播する事


大日本紡績聯合会月報 第一六一号・第三九―四〇頁 明治三九年一月 ◎棉花栽培協会雑記(DK160111k-0005)
第16巻 p.663 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一六一号・第三九―四〇頁 明治三九年一月
    ◎棉花栽培協会雑記
本月十日午後六時より東京ホテルに於て棉花栽培協会理事会を開き、野田卯太郎・角田真平・青地雄太郎・荻野芳蔵の諸氏出席し、兼て三井物産会社を経て米国へ注文したる棉種到着したるに付き韓国へ送付すへき件、本月二十日過に総会を開くの件、韓国に於ける同協会の農園に技手二名を派遣するの件等を協議し、九時頃散会したるか、右二名の技手は翌十一日出発渡韓したり
又今回左記の諸氏入会に付次会の大会に於て評議員に推選せらるゝことゝなるへしと云ふ
 参議大臣朴斉純・農商工部大臣権重顕・同協弁李範丸《李範九》・内部大臣李趾鎔・同協弁李鳳来・官内大臣李載克・同協弁閔景植・学部大臣李完用・同協弁李準栄・軍部大臣李根沢・同協弁李熙斗・法部大臣季夏栄・政府財政顧問目賀田種太郎・宮内府顧問加藤増雄・警務顧問丸山重俊・農工局長徐内粛・務安監理幹昌洙


大日本紡績聯合会月報 第一六四号・第一九―二〇頁 明治三九年五月 ◎棉花栽培協会総会(DK160111k-0006)
第16巻 p.663-664 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一六四号・第一九―二〇頁 明治三九年五月
    ◎棉花栽培協会総会
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棉花栽培協会は十三日○四月午後四時より芝公園三縁亭に於て評議員会を開きたり、出席者は原内相・松平男爵・本田農学博士・月田・安藤両農商務技師・朝吹英二其外関係各代議士等三十余名にして先つ角田真平氏開会の辞を述へ、同氏の推薦にて松平男爵会長席に着き、荻野芳蔵氏より会務及会計報告あり、次て議事に入り
一第一回総会延期事後承諾を求むる件
一韓国全羅道羅州郡伏岩面に種子園設置事後承諾を求むる件
一韓国全羅道霊岩郡霊岩及同南平郡曠壇の荒蕪地を開墾し種子園とする件
一韓国政府より棉花栽培種圃の事業委托命令を交附せられたるに依り之れが受書を差出したる事後承諾を求むる件
一採種場に関する諸般の設備は韓国政府及ひ統監府と協議を為し、臨機の処置を要するを以て其経営は之れを理事に一任する件
一本年五月より韓国木浦に本協会出張所設置の件
一本会の事業発達に尽力したる目賀田種太郎・若松兎三郎両氏に左の感謝状を送る件
 棉花栽培協会は目賀田種太郎君(若松兎三郎君)が本協会の事業に多大の援助を与へられたるを感謝し玆に評議員会の決議を以て謝意を表す
以上議案は何れも承認に決し、次て角田理事より新入会員を、荻野理事より韓国政府より申込みたる評議員及理事を披露し、評議員会を終り、引続き総会を開き各議案とも評議員会決定通り可決し、次て役員選挙に移り、原氏の発議にて何れも重任に決し、尚ほ今後増加するの必要あらは会頭及理事に一任することゝ決し会を閉ち、別室に於て晩餐を倶にし、午後五時過き散会せり
当日追加推薦せられたる評議員左の如し
  朴斉純   権重顕   李範九
  李址鎔   李鳳来   李載克
  閔景植   李準栄   李根沢
  李照斗   季夏栄   目賀田種太郎
  加藤増雄  丸山重俊  鶴原定吉
  木内重四郎 本田幸介  俵孫一
  金山尚志  倉地鉄吉  児玉季雄
  中村彦   若松兎三郎 三浦直次郎
  渋沢栄一  尾高治郎《(尾高次郎)》 国分象太郎
  鍋島桂次郎 佐々友房  石塚重平


大日本紡績聯合会月報 第一八四号・第一八頁 明治四〇年一二月 ◎棉花栽培協会評議員会(DK160111k-0007)
第16巻 p.664-665 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一八四号・第一八頁 明治四〇年一二月
◎棉花栽培協会評議員会 韓国棉花栽培協会にては本月二日午後三時より東京三縁亭に於て評議員会を開き、出席者は目賀田種太郎男・杉田定一・谷森真男・小池靖一・加藤政之助・野田卯太郎・改野耕三・角田真平氏等五十余名にして、角田理事開会の挨拶をなし、谷森氏を推して座長と為し、荻野理事より会務を、加藤氏より棉採種圃実地視察を各報告し、次で角田理事の提議にて同会事業の遂行に功労ありし
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目賀田男に感謝状及紀念品を贈呈するに決し、斯くて議事を了りたる後目賀田男演説を為し、後晩餐を共にして七時散会したり


大日本紡績聯合会月報 第二一五号・第二四―二五頁 明治四三年七月 棉花栽培協会総会(DK160111k-0008)
第16巻 p.665 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二一五号・第二四―二五頁 明治四三年七月
◎棉花栽培協会総会 七月五日午後四時より芝三緑亭に於て開会、目賀田男・原敬・浅田徳則・改野耕三・野田卯太郎・秋岡義一・上野安太郎等の諸氏数十名出席し、過般暹羅より帰朝したる藤井兼一氏の同国に於ける棉花栽培に関する詳細なる説明ありたる後総会に移り、浅田徳則氏座長席に着き、野田氏より韓国に於ける棉花栽培の将来に就て希望を陳べ、会長より会務並に会計の報告ありて役員の改選を行ひ理事野田卯太郎・角田真平・青地雄太郎・庄司乙吉の四氏再任の外秋岡義一氏改野氏に代りて理事となり、総会を終りて後別室に於て立食の饗応あり、七時散会せり


大日本紡績聯合会月報 第二三五号・第二四頁 明治四五年三月 ◎棉花栽培協会解散式(DK160111k-0009)
第16巻 p.665 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第二三五号・第二四頁 明治四五年三月
◎棉花栽培協会解散式 朝鮮に於ける棉花栽培の為めに去る三十八年四月創立《(七)》せる棉花栽培協会は昨年十二月総会の決議に基き、今回其事業の経営を朝鮮総督府に引継ぐ事となり、本月一日午後三時より、築地精養軒に於て解散式を挙行し、理事角田真平氏の式辞に次で来賓目賀田男・木内重四郎・和田豊治氏等の演説あり、尚朝鮮総督府に於ける棉花栽培奨励計画の概略は左の如しと云ふ
 一、四十五年度に於ては棉株種圃の増設を計り、現在勧業模範場木浦支場に属する二十ケ所の外、新に全羅南道に十ケ所を設置し、特に棉作の勧誘奨励に便ならしめんが為め従来の組織を変更し、之を凡て其の所在地各道庁の所管に移すこととせり、而して今後木浦支場は棉作に就ては、試験調査の外主として米国産馴化用種子を買収して其の馴化に勉め、陵地棉の普及と同時に在来棉の栽培改良に当らしむ
 二、従来陸地棉の栽培に熱心なる者に対しては農具を給して之が奨励をなし来りしも、本年度よりは更に一層奨励の途を講じ、其産出僅少にして販路を求むるに困難なる地方に対しては特に多少の運賃を補助し、其他棉花耕作上一般に肥料施用の必要を示さんが為に其の栽培に特別熱心なる者には肥料の補助をもなす見込なり
 三、四十四年度棉作奨励に関する予算は総計六万千八百五十四円なりしも、本年度に於ては植付反別の増加と組織変更との結果総計十二万二千八十一円を計上し、前年度に比較し六万二百二十七円を増加することゝなれり



〔参考〕陸地棉栽培沿革史 陸地棉栽培十週年紀念会編 第三九―四二頁 大正六年四月刊(DK160111k-0010)
第16巻 p.665-667 ページ画像

陸地棉栽培沿革史 陸地棉栽培十週年紀念会編
               第三九―四二頁 大正六年四月刊
○第二編 第一章 陸地棉試作時代
    第三節 棉花栽培協会
 若松領事に依りて試作せられたる陸地棉試作の結果有望と認めらるるものあるより、我邦朝野の有志は韓国に於ける棉作の将来の決して
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等閑視すべからざることを認識するに至りたり。於玆明治三十八年三月原敬・大石正巳・野田卯太郎・萩野芳蔵等の諸氏相議り、欧洲諸国の例に鑑みて棉花栽培協会の設立に着手したり、四月十二日創立協議会を東京ホテルに開き、前記諸氏及び角田真平・青地雄太郎・大岡育造・鳩山和夫・関直彦・波多野伝三郎・森本駿・秋岡義一・岡崎邦輔・江藤新作・栗塚省吾・庄司乙吉等主として衆議院に於ける各党代議士及大日本紡績聯合会関係の諸氏会同し、農商務省よりは農務局長酒匂常明・商工局長森田茂吉・農商務技師月田藤三郎の諸氏出席し、創立の趣旨・方法・順序等に就て協議せり、越へて七月二十五日創立総会の《(を)》帝国ホテルに開き、貴衆両院議員・農商務当局者・紡績聯合会委員及び実業家等有志者数十名出席し、其成立を告げて左の趣旨書及び規約書を発表したり
    棉花栽培協会趣旨書(抄録)
 予輩窃に謂へらく、韓国と我国とは隣接の境に在りて運輸交通の便亳も内地と異らず。而して同国は棉花の栽培に適し、其産棉の如き品質極めて良好にして、米国種と伯仲の間に在り。若し其栽培を奨励し、其品質を改良し、産額の増加を図らば以て我棉業需要の一部に充つるに足れり。之を既往に徴するに年々の産額も亦た漸く多きを加ふるを見る。是れ豈に天の我国棉業に寄与する良錫にあらずとせんや。由来韓国の利源を開発するは、我国の当に尽すべき任務なり。而して同国に於ける棉花の産出愈々多ければ我国は其供給を遠く海外諸国に仰ぐの必要なく、価格及び運賃の低廉なる原料を使用するを得べし。為めに享くる処の彼我の利益は、決して尠少にあらず。独り韓園の利源を開発し、我国棉業の進歩に便あるのみならず棉花の如きは海外市価の変動甚しきを以て、若し韓国に於ける産棉にして、我国棉業の一部に充つるを得るまでに発達せば、因て以て海外市価の変動より来るべき影響を牽制し、我国棉業独立の基礎始めて安固なるを得べし。洵に一挙両全の策にして、両も韓国棉花の発達は亳も我国農産に阻害を与ふるの虞なし云々
    棉花栽培協会規約
 第一条 本会は棉花栽培協会と称す
 第二条 本会は韓国に於ける棉花の改良繁殖を図るを以て目的とす
 第三条 会員たらんとする者は会員二名以上の紹介を以て申込み、評議員会の承認を受くるを要す
 第四条 本会は毎年一回総会を開く
 第五条 会頭・評議員・理事若干名を置き会務を処理す
 第六条 会頭は評議員会に於て推薦し、評議員・理事は総会に於て選挙す
 第七条 会費は徴集せず篤志者の義捐金を以て之に充つ
斯くて評議員数十名を挙げ、理事として野田卯太郎・角田真平・青地雄太郎・萩野芳蔵・庄司乙吉の諸氏当選し、浦上格氏を事務主任としたるが、其後在京城帝国公使館の斡旋に依り韓国要路の大官及び韓国に於ける我官民の重なる諸氏を評議員又は理事に推薦し、更に其後評議員を諸方面より網羅して会の行動を敏活にしたり、而して同協会
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は創立以来明治四十五年三月まで約七箇年間、韓国に於ける陸地棉栽培奨励事業に努力して其効果を挙げ、其事業を朝鮮総督府に引継ぐと共に解散したり。解散後大正二年一月、理事野田卯太郎・角田真平・青地雄太郎・庄司乙吉の四氏に対しては、在職中の功労に依り賞勲局より銀杯を下賜せられたり