デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

明治19年11月27日（1886年）

是ヨリ先英国汽船ノルマントン号紀州大島附近ニテ沈没シ日本人乗客二十余名溺死ス。当会、此悲惨事ニ鑑ミ益田孝・益田克徳ノ建案ニ基キ航海取締法制定ノ儀ヲ審議シ、是日栄一当会会頭トシテ該法制定ヲ外務大臣伯爵井上馨・逓信大臣榎本武揚ニ建議ス。

東京商工会議事要件録　　第二二号・第一四―三九頁　明治一九年一二月三日刊
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　　第十一定式会
　　　　　　　　　　（明治十九年十一月十六日午後六時開会）
　　第廿二臨時会
　　　　会員出席スル者　○四十五名
○上略
次ニ会長（渋沢栄一）ハ第三号議案（航海取締ノ儀ニ付建議）ヲ議スベキ旨ヲ告ゲ書記ヲシテ之ヲ朗読セシム
（第三号議案）
　　　　○航海取締ノ儀ニ付建議
頃日紀州大島沖ニ起リタル英国滊船ノルマントン号沈没ノ事ハ実ニ我商工業ノ前途ニ容易ナラザル関係ヲ有スルモノニシテ苟モ本会ニ於テハ黙視スベカラザル事ト存候
中外諸新聞紙ノ報スル所ニ拠レハ右遭難ニ際シ同船乗組船員三十九名ノ中船長及二十六名ノ水夫ハ皆其生命ノ安全ヲ得タルニ拘ラス、船客日本人二十三名ハ悉ク溺死シテ一名モ助カリタル者無之趣、是実ニ未曾有ノ惨事ナリト謂フベシ、而シテ其船長ドレーキ氏ハ神戸英国領事裁判所ノ審問ニ於テ全ク其責ナキモノト認定セラレタル趣ナルガ、今熟々時ノ事情ヲ細察スルニ頗ル疑フベキ痕跡ナキニ非ラスト雖モ、其判定ノ当否ハ敢テ玆ニ論究スルヲ要セス、只本会ハ相当ノ方法ヲ規画シ我商工業前途ノ為メニ将来日本ノ沿海ニ斯ノ如キ危害ノ跡ヲ絶タシメン事ヲ期セサル可ラサルナリ
今回日本ノ沿海ニノルマントン号沈没ノ如キ惨禍ヲ来シタルハ畢竟不時ノ天災ニヨルモノナルベシト雖モ、深ク其本源ヲ尋ルトキハ我国ニ於テ航海上未ダ完全ナル取締法ノ制定アラザルニ由ル儀ト存候、故ニ本会ニ於テハ差向キ其筋ニ向テ凡日本沿海ヲ航行スル船舶ハ其外国船ト日本船トヲ問ハス日本政府ニ於テ必ス其船舶ノ乗客ヲ保護スルノ資格ヲ有スルヤ否ヤヲ撿査シ、若シ適当ノ資格ヲ有セザル者ハ乗客ヲ乗組マシムル事ヲ許サスト云フノ法律ヲ制定セラレ度旨ヲ建議致度希望仕候、且ツ海外諸国ノ法律ハ今回ノノルマントン号沈没ノ如キ変事ノ起ルニ際シテ其被害者ニ如何ナル保護ヲ与フルカヲ調査スルハ、我商工業前途ノ為メ危害ヲ予防スルノ方法ヲ規画スルニ於テ最モ緊要ナル事項ト存候
今ヤ中外ノ交際ハ日ヲ逐テ頻繁ヲ加ヘ内地雑居モ漸ク将サニ行ハレントスルノ気運ニ際シ、将来日本ノ沿海ニ於テ我人命財産ヲ外国船ニ托スルノ機会続々起ルヘキハ必然ニシテ、此際ニ当リ予メ危害ヲ防クノ方法ヲ規画スルハ実ニ本会ノ本分ト存候間、何卒至急之ヲ議題トシテ衆議ニ附セラレ度切望仕候、但シ以上ハ本員等希望ノ要領ヲ略叙スルニ止リ候儀ニ付若シ本件ニシテ幸ニ議題タルヲ得ハ委細ハ猶議場ニ於テ充分陳述可仕候、此段建議仕候也
　　明治十九年十一月十日　　十六番会員　　　益田克徳
　　　　　　　　　　　　　　五十八番会員　　益田孝
　　東京商工会々頭
　　　　渋沢栄一殿
会長（渋沢栄一）ハ本案ノ要旨ヲ説明シ且ツ曰ク、今回紀州大島沖ニ於テ起リタル英国滊船「ノルマントン」号沈没ノ事ハ実ニ未曾有
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ノ惨事ニシテ就中西洋人ハ多クハ皆助命シテ東洋人ハ殆ド皆溺死シタル如キハ其形跡頗ル疑フベキモノアリ、然レトモ此等ノ事ニ就テハ既ニ政府ニ於テモ至当ノ手続ヲ尽サルベケレバ本会ノ敢テ其間ニ喙ヲ容ルヽヲ要セズ、只本会ハ我国商工業ノ為メニ将来日本ノ沿海ニ今回ノ如キ惨事ヲ再演セシメザラン事ヲ企図スベキノミ、而シテ建議者ノ本案ヲ提出シタルノ精神モ亦此要旨ニ外ナラザレバ各員先ヅ此趣旨ヲ了解シ、然ル後本案ヲ審議セラレン事ヲ望ム
五十八番（益田孝）曰ク、余ガ本案ヲ提出シタルハ畢竟将来我ガ商工業ノ為メニ相当ノ航海取締法ヲ施設セラレン事ヲ希望スルニ外ナラザルナリ、抑モ「ノルマントン」号沈没事件ハ実ニ近時ノ一大惨事ニシテ之ヲ聞ク者ハ此溺死人ノ不幸ヲ悲マザルハナク又船長等ノ所為ヲ憤懣セザル者ナカルベシ、左レバ政府ニ於テハ既ニ兵庫県知事ニ訓令ヲ伝ヘ該船長ノ所為ヲ殺人罪トシテ英国領事庁ニ求刑セシメ、民間ニ於テモ遺族ヲ扶助シテ損害要償ノ私訴ヲ起サシメントスル者モアル趣ナレハ、今日民刑上ニ関スル救護ノ道ニ就テハ最早遺憾トスベキ所ナキガ如シ、然レトモ若シ唯ダ過去ノ損害ヲ救護スルニ止マリテ将来ノ危害ヲ予防スルノ方法ヲ求メザルニ於テハ、他日再ビ今回ノ如キ惨事ヲ我ガ沿海ニ生ズル事ナキヲ保セザルナリ、蓋シ従来外国ノ荷物船ニ乗客ヲ載セテ我ガ沿海ヲ航行スル事其例不少、此等ノ船舶ハ客室及食料等ノ用意備ハラザルガ故ニ周旋屋ニ誘ハレテ之ニ乗込ミタル船客中ニハ種々ノ困難ニ遭遇シタル事少カラザリシガ、遂ニ今日ニ至リ二十五名ノ船客皆海中ニ溺死スルノ不幸ヲ見ルニ至レリ、而シテ「ノルマントン」号沈没ノ際ニハ西洋人ハ悉ク助命シテ東洋人ハ大抵溺死シタルハ其形跡頗ル怪シムベキモノアルガ如シト雖トモ、是レ西洋人タルガ故ニ助命シ東洋人タルガ故ニ溺死シタルニアラズシテ、畢竟該船ハ荷物船ニシテ乗客救助ノ方法等毫モ備ハラザルヨリ偶々難破ニ際シテ遂ニ此ノ惨禍ヲ来シタルモノナラン、果シテ然ラバ今回ノ惨事ハ荷物船ニ旅客ヲ搭載シタル不注意ニ基因スルモノニシテ敢テ外人ヲ怨ミ外国船ヲ憎悪スベキニアラザルナリ、故ニ今後ノ策タル只速ニ航海取締法ヲ施設シテ以テ荷物船ト乗客船トノ資格ヲ明カニシ、以テ将来ノ危害ヲ予防スルニ若クモノナシト信ズ、現ニ香港・新嘉坡等ノ諸開港場ニ於テハ此取締法ヲ実行シ荷物船ハ其船体堅牢ニシテ老練ノ船長之ニ乗込ムト雖モ決シテ之ニ船客ヲ乗込マシムル事ヲ許サズト云フ、是レ荷物船ハ乗客ニ適当ナラズシテ一朝難破ニ罹ル時ハ乗客保護ノ途ヲ全フスル事能ハザルガ故ナルヘシ、我国ニ於テモ明治十八年八月ヨリ船舶撿査規則ヲ実施セラルヽト雖モ、要スルニ唯ダ其航海ニ堪ユルヤ否ヤヲ撿査セラルヽニ止マリ、其乗客ニ適スルヤ否ヤニ就テハ全ク撿査セラルヽ事ナシ、既ニ内国船ニ対シテ此取締法ナシ、況ンヤ今新ニ此取締法ヲ定メ外国船ヲシテ之ニ服従セシムル事ハ蓋シ至難ノ事ナルベシ、然レトモ思フニ今後内外ノ交通益々頻繁ヲ加フルニ際シ、斯ノ如キ取締法ヲ設クルハ結局彼我ノ利益ナレバ必ズシモ之
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ヲ実施シ難シト云フベカラズ、現ニ香港ノ如キハ此ノ取締法ヲ厳ニ実行スルガ故ニ有名ノ飛脚船ニシテ其撿査ヲ厭忌シ、同港ニ寄港セズシテ直ニ我ガ沿海ヲ航行スルモノアリト聞ク、果シテ然ラバ我国ニ於テモ速ニ此取締法ヲ制定スルハ豈ニ目下ノ一大急務ニ非ズヤ、蓋シ目下我国ノ沿海ニ乗客ヲ載スルモノハ重ニ滊船ニシテ帆船ノ如キハ僅ニ小笠原島ヘ航行スル位ニ止マリ、日本形船ノ如キハ殆ド乗客ヲ載スル事ナシ、故ニ此滊船ニ対シテ適当ノ取締法ヲ行フ時ハ充分其目的ヲ達スルヲ得ベシ、尤此取締法ヲ内国船ニ実行スルハ容易ナルベシト雖モ、之ヲ外国船ニ適用スルニ至リテハ事内外ニ交渉スルガ故ニ実施上多少ノ困難ナキ能ハザルベシ然レトモ航海取締法ハ仮令今回ノ変事ナキモ早晩之ヲ施設セザル可ラザルモノナレバ、今回ノ変事ヲ機会トシテ其筋ヨリ之ガ実施ヲ諸外国ニ照会セラルレバ彼レト雖モ必ズ之ヲ肯諾セザルノ理由ナカルベシ、嗚呼我同胞二十五名ノ溺死ハ実ニ悲ムベシ、然レトモ今回ノ惨事アリタルガ為メニ此貴重ナル取締法ノ実施ヲ見ルニ至ラバ聊カ死者ヲシテ地下ニ瞑目セシムルヲ得ベキ歟、以上ハ余ガ本案ヲ提出シタル概略ノ理由ナルガ、猶其詳細ハ十六番（益田克徳）ヨリ更ニ之ヲ陳述スベシ
十六番（益田克徳）曰ク、本案ノ要旨ハ過刻来会長及五十八番（益田孝）ガ陳述シタル如ク、畢竟相当ノ取締法ヲ施設シテ将来ノ危害ヲ予防セン事ヲ望ムニ外ナラズ、蓋シ今回ノ変事ニ就テハ諸新聞紙ノ報道スル如ク其形跡怪訝ニ堪ヘザル者甚ダ多シ、熟々航海史ヲ案ズルニ古来船舶航行ノ際海賊ノ襲撃若クハ船員ノ悪行其他或数多ノ原因ヨリシテ人命ヲ損シタルノ例ハ殆ド枚挙スルニ遑アラズト雖トモ、今回ノ変事ノ如ク乗客皆溺死シテ船員独リ其生ヲ得タルガ如キ例ハ未ダ曾テ見ザル処ナリ、而シテ英国領事庁ニ於テハ審問ノ末船長ニ過失ノ責ナシト裁決シタルノミナラズ併テ其ノ行為ヲ称賛シタルガ如キハ余ノ最モ解セザル所ナリ、余ハ今更ニ不審ニ堪ヘザル二三ノ事実ヲ歴挙センニ、船長ハ事ノ急ナルヲ知リ自ラ日本乗客ノ室ニ赴キテ百方端舟ニ乗移ラン事ヲ勧メタレトモ日本乗客ハ室内ニ群居シテ遂ニ其命ニ従ハザリシト陳弁シタリ然レトモ凡ソ死ニ瀕シテ猶救護ヲ拒ムガ如キハ人ノ天性ニ於テ有ルベキノ理ナシ、若シ之レアリトセバ動物学者ガ論定シタル人ノ天性ニハ死ヲ好ムノ特性アリト謂ハザル可ラズ、然レトモ今仮リニ一歩ヲ譲リ日本乗客ハ真ニ船長ノ命ニ従ハズ自ラ死ニ就クヲ覚悟シタリトスルモ、之ヲ見捨テヽ顧ミズ独リ自ラ其生命ノ安全ヲ計ルガ如キハ果シテ船長タル者ノ職務ヲ完フシタル者ト云フベキ乎、例ヘバ火災アリ一老母火中ニ端座シテ殆ド将ニ焼死セントスルニ当リ其子之ニ向ツテ火ヲ避ケン事ヲ勧告スレトモ頑然トシテ其ノ勧告ニ従ハザリシ事アリト仮定セヨ、此場合ニ当リ其ノ勧告ニ従ハザルノ故ヲ以テ之ヲ救護セザルガ如キハ子タル者ノ道ニアラザルナリ、寔ニ子タル者ハ強テ手ヲ援キテ之ヲ火中ヨリ引出シ以テ其ノ生命ヲ救助スベキナリ、然ルニ船長ドレーキ氏ノ如キハ日本乗客カ其命ニ従ハザリシトテ遂ニ之ヲ救助セズ恬然トシテ恥
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ヅル色ナキハ豈ニ咄々怪事ニアラズヤ、又船長ハ乗客中ニ英語ヲ解スル者ナカリシヲ以テ救助ノ意ヲ充分ニ伝フル事能ハズ随テ其生命ヲ完フセシムル能ハザリシト陳弁スレトモ、同船ニハ海軍見習生ラシキ者二名乗込ミ居リ現ニ端舟ノ引卸シニ就テハ種々尽力シタル趣ナレハ救助ノ意ヲ充分ニ伝達スル事能ハザルガ如キハ万万有ルマジキ筈ナリ、今仮リニ言語不通ノ為メニ充分救助ノ意ヲ通スル能ハザリシトスルモ他ニ之ヲ救助スルノ方便少キニアラザルベシ、然ルニ言語不通ヲ口実トシテ之ヲ救助セザリシガ如キハ豈ニ不可思議千万ナラズヤ、又聞ク処ニ拠レバ凡ソ難破船ノ際ニハ船長ハ第一ニ乗客ヲ救助シ次ニ乗込船員ヲ救助シ最後ニ自ラ其本船ヲ去ル事航海上ノ通則ナリト云ヘリ、然ルニ今回ノ変事ニ際シテハ船長先ヅ本船ヲ去リ乗込船員引続キテ端舟ニ乗移リ遂ニ乗客二十五名ヲ本船ニ放棄シタルモノニシテ其形跡全ク航海上ノ通則ニ違反スルモノアリ、又船長ハ正確ノ海図ヲ携帯シタリト法庭ニ於テ陳弁シタレトモ聞ク処ニヨレバ船長ハ西ニ流ルヽ潮水ヲ東ニ流ルヽモノト誤認シ強テ船体ヲ進行セシメタルヨリ遂ニ此災厄ヲ来シタルモノナリト云ヘリ、果シテ然ラバ是レ正確ノ海図ヲ携帯セザリシ実証ニシテ航海ニ必要ナル器具ヲ用意セザリシモノト云ハザルヲ得ス、又日本乗客ノ外ニ印度火夫十二名ノ死亡アリ、其中三名ハ辛フシテ端舟ニ乗移リタレトモ疲労シテ端舟中ニ死亡シ他ノ三名ハ精神錯乱シテ本船ニ於テ自殺シ、而シテ其他ノ六名ハ本船ヲ離ルヽ事ヲ拒ミ日本乗客ト同ジク溺死シタリト云ヘリ、夫レ死ヲ避ケ生ニ就クハ人ノ常情ナルニ、本船ニ於テ自殺シ若クハ本船ヲ離ルヽ事ヲ拒ンデ溺死シタリト云フハ其形跡甚ダ怪シムベキナリ、殊ニ印度火夫ノ如キハ平生苦役ニ慣熟セルノミナラズ此際過度ノ労働ヲ為シタル事ナキニ疲労シテ端舟中ニ死去シタリト云フモ亦甚ダ奇怪ナラズヤ、又本船備附ノ端舟ハ七隻アリタルニ此中僅ニ三艘ヲ卸シタルノミニシテ其他ノ四艘ニハ更ニ手ヲ着ケザリシハ何故ゾヤ、本船ガ暗礁ニ乗上ゲタルヨリ遂ニ沈没スル迄ニハ四十分余ノ間隙アリタル趣ナレバ他ノ四艘ノ端舟ヲ卸シテ乗客ヲ救助スルノ余裕ナキニ非ザルベシ、然ルニ事玆ニ出デザリシハ寧ロ船長ノ怠慢ト云フベキノミ、要スルニ今回ノ変事ニ就テハ其形跡怪ムベキモノ少カラズ、又船長ノ行為ニ就キ非難スヘキモノモ少シトセザルナリ、今日ニ当リ若シ此等ノ事ヲ等閑ニ附シ去リ敢テ将来ノ危害ヲ予防スルノ方法ヲ求メザルニ於テハ他日内外ノ交通益々頻繁ヲ加ヘ、我々実業者ガ其生命貨物ヲ外国船ニ托スル事益々増加スルニ当リテ種々ノ災害ヲ来ス事アルベシ、是レ余ガ今日ニ当リ航海取締法ノ施設ヲ切望スル所以ナリ、又斯ヽル場合ニ於テハ英国ノ法律ハ其被害者ニ如何ナル保護ヲ与ヘラルヽヤ即チ船長ノ所為果シテ怠慢ナリトスルトキハ被害者ノ遺族ハ民事上ノ訴ヲ起シ得ルヤ、又其適当ナル法庭ハ何レニアルヤ、其陪審官ハ如何ナル資格ヲ要スルヤ等ノ如キ要点ヲ此際取調ヘ置ク事ハ後来ノ危害ヲ予防スルノ計画上最モ大切ナル参考タルベク、且ツ乗客船取締規則ノ義ニ付テモ外国ニ於テ実行スル乗客証書ノ振
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合等モ取調置度ニ付此等ハ委員ヲ設ケ海外諸国ノ法例ニ就キ充分之ヲ調査セシメン事ヲ望ム
会長（渋沢栄一）曰ク、本案ノ趣旨ハ過刻来建議者ガ陳述シタル説明ニヨリテ充分明瞭ナルヲ得タリト雖トモ余ハ猶玆ニ一言スベシ、過刻モ既ニ陳述シタルガ如ク今回ノ変事ニ就テハ其形跡怪ムヘキモノ少カラス、就中我同胞二十五名ノ乗客ガ皆悉ク紀海ノ魚腹ニ葬ラレタルガ如キハ実ニ未曾有ノ惨事ニシテ之ヲ聞ク者誰レカ憤怨ノ情ヲ起サヾランヤ、然リト雖トモ本案ハ元来此憤怨ヲ霽スノ趣旨ヨリ起リタルニアラズシテ只将来ノ危害ヲ予防スルノ趣旨ヨリ起リタルモノナレバ各員之ヲ了知セラレン事ヲ望ム、蓋シ乗客ノ為メニ一命ヲ抛ツハ海員ノ名誉ニシテ往年英国滊船某号ガ亜弗利加ノ沿海ヲ航行スルニ際シ誤テ暗礁ニ乗上ゲ、事既ニ危キニ迫リタレバ船長以下百余名ノ船員等ハ数名ノ乗客ヲ救助センガ為メニ皆悉ク海中ニ溺死シタル趣ナルガ、此事タル今日ニ至ルモ海員ノ美徳トシテ世人ノ常ニ称賛スル所ナリ、今回ノ変事ノ如キ彼ノ船長ドレーキ氏ガ日本人ニ旧怨アリテ故意ニ為シタルモノニアラザルベシト雖トモ、畢竟日本人ヲ貨物視スルヨリ致シタル結果ト謂ハザルベカラズ、兎ニ角斯ヽル事件ハ前途商業上ニ容易ナラザル関係ヲ有スルニ付此際相当ノ取締法ヲ定メテ以テ将来ノ危害ヲ予防スルハ実ニ目下ノ急務ナリト云フベシ、尤モ此事ハ内外ニ交渉スルガ故ニ之ヲ実施スルニ当リテハ多少困難ノ事情アルベシト雖トモ、今日ニ当リ本会希望ノ要旨ヲ建議シ置カバ他日条約改正ノ節ニモ大ニ其筋ノ参考トナルベキ事アルベシト信ズ
八十七番（森島松兵衛）曰ク、余ハ今回ノ変事ヲ聞キ条約改正ノ益々今日ニ必要ナル事ヲ感ジタルガ、今建議者ノ説明ヲ聴クニ及ビ差向キ本案ノ要旨ヲ上申スルノ適当ナル事ヲ発明シタリ、但シ我政府ハ速ニ航海取締法ヲ施設シテ内外船舶ヲ規制シ得ベキヤ、此点ニ就テハ聊カ懸念ニ堪ヘザルナリ
十六番（益田克徳）曰ク、航海取締法ヲ設ケテ以テ内外諸船舶ヲ規制スルハ独立国ニ必要ノ権利ナリトス、我国ニ於テハ従来此取締法ナク只僅ニ五百石積以上ノ日本形船ヲ禁スル位ニ止マリ、日本形船ノ溺死者ハ全ク之ヲ介意セザル程ナレバ今日ニ当リ速ニ此取締法ヲ設クルハ最モ肝要ノ事件ナリトス、但シ此事ハ内外ニ交陟《（渉）》スルガ故ニ実施上多少ノ困難アルベシト雖トモ、此事タル結局彼我公共ノ利益ヲ保全スル為メナレバ必スシモ之ヲ実行シ難シト謂フベカラザルナリ
六十六番（柴原武雄）曰ク、余ハ本案ヲ賛成ス、而シテ本案ハ目下至急ヲ要スル事項ナレバ差向キ其要旨ヲ上申シ詳細ノ条項ハ委員ヲ設ケテ丁寧ニ調査シ追テ之ヲ上申スル事ト致シタシ、又諸新聞紙ノ報道ニヨレバ船長ハ初メ日本乗客十三名ト思ヒシニ其後二十三名タルヲ発見セリト云フ、是畢竟周旋屋ガ過分ノ口銭ヲ貪ランガ為メニ人員ヲ詐称シタルニ因ルモノニシテ周旋屋ガ乗客ヲ取扱フノ方法亦甚ダ不規則ナリト云フベシ、就テハ余ハ本案ヲ建議スルニ当リ併セテ周旋屋取締法ノ事ヲモ上申セン事ヲ望ム
 - 第18巻 p.569 -ページ画像 
八十六番（雨宮綾太郎）曰ク、今回ノ変事ヲ聞ク者ハ誰レカ慷慨憤怨ノ情ヲ起サザランヤ、余ノ如キモ此変事ニ就テハ無量ノ感慨ナキニ非ズト雖トモ今玆ニ之ヲ吐露スルヲ欲セズ、只我商工業前途ノ為メニ聊カ一言スベシ、蓋シ今回ノ変事ハ我商工業ノ前途ニ至大ノ関係ヲ有スルモノニシテ若シ之ヲ等閑ニ附シ去リ将来ノ危害ヲ予防スルノ方法ヲ施設セザルニ於テハ、我邦人ガ外国船ヲ厭忌スルノ情ハ日ニ益々深キヲ加ヘ遂ニ内外ノ通商ニ非常ノ妨害ヲ来ス事アルベシ、故ニ余ハ今日ニ当リ航海取締法ノ施設ヲ希望スルハ最モ必要ノ建議ナリト思考ス、尤モ今日此取締法ヲ実施スルニ当リテハ八十七番等ノ懸念アルベシト雖トモ、今仮ニ外人ガ此法ノ実施ヲ肯諾セサル事アリトスルモ条約改正会議ノ節多少当局者ノ注意ヲ促シ、結局其稗益少カラサルヘキニ付余ハ速ニ委員ヲ設ケテ本案ヲ調査シ至急其筋ヘ上申セン事ヲ希望ス
本案ニ就テハ右ノ外猶多少ノ論議アリシガ要スルニ原案ニ不同意ノ者一人モナク、遂ニ本件ハ至急ヲ要スル事項ナルニ付其建議案ハ理事本員ニ於テ起草シ、直ニ外務・逓信両大臣ニ上呈シ、猶海外諸国ニ於ケル取締法ノ実況ハ委員ヲ設ケテ之ヲ調査セシメ調成次第更ニ之ヲ上呈スルニ決ス
○中略
　　会長ハ其後委員トシテ左ノ七名ヲ指名シタリ
　　　　　　　　　　　　　四番　　　　　林賢徳
　　　　　　　　　　　　　十四番　　　　青木貞三
　　　　　　　　　　　　　十六番　　　　益田克徳
　　　　　　　　　　　　　二十五番　　　丹羽雄九郎
　　　　　　　　　　　　　四十三番　　　梅浦精一
　　　　　　　　　　　　　八十番　　　　吉川泰二郎
　　　　　　　　　　　　　八十一番　　　阿部泰蔵
　　又建議案ハ其後理事本員ニ於テ起草シ、十一月二十七日附ヲ以テ之ヲ外務・逓信両大臣ニ進達シタリ、依テ其全文ハ参考部第六号ニ載ス）

東京商工会議事要件録　　第二二号・第五六―六〇頁　明治一九年一二月三日刊
　○参考部
（第六号）
　　　　○航海上取締法ノ儀ニ付建議
是迄我国ノ沿海ニ於テ船舶ノ難破ニ罹リタル事其例不少ト雖トモ、今回紀州大島沖ニ起リタル英国滊船ノルマントン号沈没ノ如キ最モ惨状ヲ極メタルモノハ未ダ曾テ有ラザル所ニシテ、苟モ其遭難ノ顛末ヲ聞ク者ハ中外人ヲ問ハズ共ニ酸鼻ニ堪ザル所ニ御座候
今回我国ノ沿海ニ斯ヽル惨事ヲ現出シタルハ畢竟不時ノ天災ニヨルモノナルヘシト雖トモ、熟々溯リテ其本源ヲ尋ヌル時ハ我国ニ於テ航海上未ダ完全ナル取締法ノ制定アラザルニ由ルモノト謂ハザルヲ得ズ、蓋シ航海上厳正ノ取締法ヲ要スルコトハ今改メテ申上候迄モ無之、既ニ我政府ニ於テハ明治十七年十二月廿七日付太政官布告第三十号ヲ以
 - 第18巻 p.570 -ページ画像 
テ西洋形船舶撿査規則ヲ定メラレ、現ニ明治十八年七月以来之ヲ実行セラルヽト雖トモ、要スルニ只各船舶ニ就キ航海ノ適否ヲ撿査セラルルニ止マリテ其乗客ヲ載スルノ適否ヲ撿査スル事ニ就テハ未ダ別段ノ取締法ヲ施設セラレザルガ故ニ、是迄我国ノ沿海ニ於テ貨物積載ノミヲ目的トシテ搆造シタル船舶ニ乗客ヲ載セテ航行スル事其例不少、元来斯ノ如キ船舶ハ乗客ニ適当ナル資格ヲ有セザルガ故ニ其船体機関等ハ能ク航海ニ堪フルトスルモ一朝難破ニ罹ル時ハ勢乗客保護ノ道ヲ全フスル事能ハス、即チ今回ノ惨事モ畢竟夫ノノルマントン号ノ如キ乗客ニ適当ナラザル船舶ニ乗客ヲ載スルヲ得セシメタルヨリ致シタルモノト思考仕候
今ヤ中外ノ貿易ハ日ヲ逐フテ進歩シ内地雑居モ漸ク将ニ行ハレントスルノ気運ニ際シ、将来我国沿海ノ航行益々頻繁ヲ加フベキハ必然ナルニ斯ヽル惨事ヲシテ続々前途ニ起ラシムル時ハ之ガ為メ中外貿易ノ進歩ヲ障害スル事不少奉存候、現ニ西洋諸州ハ勿論東洋ニアリテモ新嘉坡及ヒ香港等ハ乗客船ニ関シ厳正ナル取締法ヲ実施スル所ト承及候、依テ我国ニ於テモ此際航海上ニ相当ノ取締法ヲ規画セラレ自今我国ノ沿海ヲ航行スル船舶ハ、其外国船ト日本船トヲ問ハズ乗客ニ適当ナル資格ヲ有セザルモノハ乗客ヲ載スル事ヲ禁止セラレ度切望仕候、果シテ然ル時ハ能ク危害ヲ未然ニ防キ将来我国ノ航運ヲシテ益々安全ヲ得セシメ結局中外貿易ノ発達ヲ助長スルノ効不少ト確信仕候、尤現今海外諸国ニ於テ施行スル航海取締法ノ実況ハ目下本会ニ於テ調査中ニ付追テ調成ノ上ハ御参考ノ為メ更ニ上陳可仕候、此段建議仕候也
　　明治十九年十一月廿七日　東京商工会々頭　渋沢栄一
　　　　外務大臣　伯爵　井上馨殿
　　　　逓信大臣　　　　榎本武揚殿

東京商工会議事要件録　　第二三号・第一〇―一四頁　明治二〇年三月二二日刊
　　第十二定式会　　（明治二十年二月廿六日午後四時三十分開会）
　　　　会員出席スル者　○五十六名
○上略
次ニ会長（渋沢栄一）ハ規程第五章第二十二条ニヨリ明治十九年下半季間定式事務ノ成跡ヲ報告ス
　　自昭和十九年七月至同年十二月　半季間事務報告
○中略
　　　　政府ヘ建議　　　四件
○中略
○航海取締ノ義ニ付外務・逓信両大臣ヘ建議
　　本件ハ五十八番益田孝及十六番益田克徳ノ建議ニ係リ、其要旨ハ今回日本ノ沿海ニノルマントン号沈没ノ如キ惨禍ヲ来シタルハ畢竟我国ニ於テ航海上完全ナル取締法ナキニ由ル義ニ付、自今日本沿海ヲ航行スル船舶ハ其外国船ト日本船トヲ問ハズ其船舶ノ乗客ヲ保護スルニ足ルヤ否ヤヲ撿査シ、適当ノ資格ヲ有セザルモノハ乗客ヲ乗組マシムル事ヲ禁止セラレタシ、且ツ海外諸国ノ法律ハ今回ノルマントン号沈没ノ如キ場合ニハ其被害者ニ如何ナル保護
 - 第18巻 p.571 -ページ画像 
ヲ与フルカ等ハ甚ダ必要ノ事項ナルニ付委員ヲ撰デ之ヲ調査セシムベシト云フニアリ、即チ十一月十六日第廿二臨時会ニ於テ之ヲ審議シタルニ全会異議ナク之ヲ可決シタルニ付其草案ハ理事本員ニ於テ之ヲ起草シ、同月廿七日附ヲ以テ之ヲ外務・逓信両大臣閣下ヘ進達シ猶会長ハ其後之ニ関スル海外諸国ノ法例等ヲ調査セシメン為メ左ノ七名ノ委員ヲ指名シタルガ、其調査ハ未タ本季中完了セザルニ付其顛末ハ追テ次季ヲ期シテ報告スベシ
　　　　　　　　　　　　　四番　　　　　林賢徳
　　　　　　　　　　　　　十四番　　　　青木貞三
　　　　　　　　　　　　　十六番　　　　益田克徳
　　　　　　　　　　　　　二十五番　　　丹羽雄九郎
　　　　　　　　　　　　　四十三番　　　梅浦精一
　　　　　　　　　　　　　八十番　　　　吉川泰二郎
　　　　　　　　　　　　　八十一番　　　阿部泰蔵

内外新報　　第四四五号　明治一九年一〇月三〇日
　　　　英船の沈没
神戸港居留地英七番コーンス商館の取扱ひに係る英汽船ノルマントン号は去る廿三日午後三時神戸へ向け横浜を開帆せしが、日本の乗客廿五名其他雑貨を搭載して航海中其翌廿四日は朝より雨降り午後に至り風暴れ波高く夜に入りては暗黒にて咫尺を弁ずる能はず進航頗る困難なりしが、同夜八時過ぎ図らずも紀州大島の東灯台鹿島と云ふ処の暗礁に乗上げたれば船長ヅラーク氏を始め乗組員一同大に驚き種々機関を操りて漸く船体を礁上より引下すことを得たれども、最初礁に触れたる時船の横腹に大なる突き傷を生じたれば是より汐船中に衝き入りて看る看る沈没すべき有様なれば、乗組一同は上を下へと騒動し叫喚大叫喚実に目も当てられぬ許なり、甲板上に居たる洋人・支那人等はソレとて速かにバツテーラを切卸し手早くこれに乗り移り陸地を指して漕ぎ出でたり、船長ヅラーク氏もバツテーラに乗りて此の災を遁れたり、此の時無慙にも船は全く沈み了れり、又遁れ後れし洋人四名は海中に浮つ沈みつ漂ふを幸ひ熊野の漁船が通り掛りてこれを救ひけるが乗組員八名と日本乗客二十五名の内一人助かりしのみにて余は皆船中に残て溺死したりと云ふ。　○下略

東京日日新聞　　第四四九七号　明治一九年一一月七日
　　　　英国滊船ノルマントン号の沈没日本乗客の溺死
横浜居留地三十六番館英人アダムソンベラ商会ノ持船ノルマントン号が船長ジヨンウヰリヤムドレイク氏の指揮に依り、去る廿三日に横浜を抜錨し神戸に向け進行中、同廿五日午前一時頃なりけるが紀州大島沖に於て風雨に逢ひ其の航路を過ちて塩の岬近傍なる暗礁に乗り揚げ船底を損傷して潮水の浸入を防せぐ能ハず終に同船ハ沈没したり、乗客及び乗組人の安危如何を尋ぬるに日本人乗客二十三名ハ悉く溺死し水夫十三人も亦た溺死したるが船長ハ恙なく二十六名の水夫も亦た助かりたり、吾曹は此の変事を電報に得て取り敢えず本紙に掲載し、又
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た溺死人の属籍姓名をも聞き得たるがまゝ之れを去る卅一日本紙の附録に登載して読者に報道したり、吾曹ハ当時此変報に接して心陰かに疑なき能ハず、如何に危急の際なれバとて日本人の乗客ハ悉く溺死し船長始め水夫ハ多く安全なりしハ甚だ其の意を得ず、然れども万一航海中激浪怒濤の為めに乗客を救助すべき端舟をも奪ひ去られ、船長以下乗客水夫共に悉く単身波濤の中に沈没したるに際し船長以下水夫等ハ平生の技倆に依り僅かに一生を万死の中に拾ひ得たるも日本人を救助するに力及バざりしやも保し難けれバ、吾曹ハ其の事実を詳知せざる間ハ頓かに口を開きて其疑を記する能ハざりしなり、然りと雖ども設ひ左る状況なりしにもせよ船長ドレイク氏以下二十六名の水夫も助かりたる程の事なれバ一人や二人の日本乗客とても助からざりしと云ふの理もあるべからず、又た一人や二人の日本乗客を助け得ざりしと云ふの理もあるべからざれば吾曹ハ尚ほ尚ほ疑団を脳裏に固くして其の再報の至るを待ち設けたり
然るに今や神戸港に於てハ本月一日より英国領事館に於て船長以下海員の審問を開かれたるに、船長ドレイク氏ハ審判廷に於て陳述しけるハ、本船風波の難に遇ひ剰へ暗礁に乗り揚げ船底を傷け潮水船内に浸入して之れを防せぐに道なけれバ、端舟を下ろさしめて日本乗客に乗り移りを諭したり、然れども日本人ハ之れに応ぜず、兎角する中に船体益々沈みけれバ再たび日本乗客に乗り移りを勧めたれども亦た応ぜざりけれバ、止むを得ず船長以下小舟に乗り移りたるに、顧れバ本船も乗客も共に沈没して見えずなりぬ、右に付き小舟に乗り移りたる船長以下ハ其の朝九時に無事串本浦に上陸し夫より神戸に参りたりと陳述せり、而して其の陳述の事実も果して信実なりと認められけん、一昨日神戸よりメイル新聞に電報したる報道に依れバその審問の終結に於て船長ドレイク氏ハ全く責なきものと認定せられたりと云へり、乗客を残らず溺死せしめ自ら生命を全くししたる船長《（衍）》が其の責なしと判定せられたるハ固より確と認めたる適証に依り斯くハ判定せられたるものなるべけれバ吾曹ハ公明なる英国領事庁審問委員の判定に対して啄を容れざるべしと雖も、此不幸の一事に就き事実船長に責なかりしハ英国滊船会社に取りてハ却て不幸にして、又た英人ハ申すに及バず外人一般に対しても不幸なりしものと云ハざるを得ざるなり、蓋し我日本人ハ将来に不安の念を外国船に懐き、事危急に際してハ生命を托するに足らざるなりと妄信せしむるも吾曹ハ之れが為めに弁護するの辞抦を有せざるが故なり
吾曹曾て之れを外国の海員に聞く、万一海上危急の事ある時ハ先づ貨物を投じて船体の救助を謀り、尚ほ止むを得ざれバ先づ乗客を救助し然る後ち水夫等の船員を救助し最後に於て船長ハ本船を離るゝを以て本務とせり、故に船長先づ溺れて海員之れに次ぎ乗客之れに次ぐハ其順序にして之れに違背するを以て海員たるものゝ無上の恥辱となすと云へり、固より正道に於て然らざるべからざる儀なり、然るに今回ノルマントン号沈没の際の如きハ先づ助かりたるハ船長ドレイク氏にして次に水夫なるが上にも日本乗客ハ悉く溺死せり、如何に日本人ハ無智なるにもせよ危に臨みて危きを知らず助けを得て助けを仮ることを
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知らざる程の白痴瘋癲にハよもあるまじ、然れバ則ち船長が陳述の事実ハ設ひ真実にして全く其責なき者とするも、日本人の無智なる眼識より考ふれバ当時西洋人の乗客なりしならんにハ助かりしものを、日本人なりしが故に屍を魚腹に葬られしにハ非ずやとの疑念を生ぜしむることなしとも保すべからざるなり、評するもの或ハ云ふ、凡そ外国船舶に乗り込むものハ概ね下等の人民にして船賃も随て廉なれバ外人ハ乗客を以て之れを遇せず荷物同様の取扱を為せり、故に其危急に際しても之れを処するにも亦荷物を処すると同一にして其死生存亡ハ更に問ふ処に非ざるなりと云へり、吾曹ハ固より此言を信せず、設ひ賃銭の廉なれバ通常の乗客を遇すると同一の待遇をなす能ハずとハ云へ危急の際に臨みてハ其の本務を弁ずる外国船長にして之れを人間視せざる事のあるべき歟、又耶蘇教を信ずる外国船長にして人命を軽しとするものあらんや、又斯る違倫の待遇を為したる船長を認めて公明な
る審問委員ハ其責なしと判定せんや、然りと雖も愚昧なる日本人が斯る疑を懐くに至るも吾曹が為めに弁ずるの辞を有せざるなり、今や条約改正も将に其成を告げんとし、外国船舶の我沿海を航行するも益々頻繁なるべく、我日本人の生命を外国船舶に依托するの機会も亦屡々なるべきの時に際し、外人ハ日本乗客を処すること荷物の如し其危急に臨みても亦之れを視ること荷物の如しと妄信せしむるハ吾曹外人の為めに甚だ之れを惜しむなり、斯る疑念の尚ほ今日に存するに当りて今回ノルマントン船長ドレイク氏の審問に凡て其責なしと判定せられたるハ益々無智日本人の疑念を固結せしむるの機会を与へたる如くなれバ吾曹が之れを外人の為めに惜しむも亦偶然に非ざるなり、外人若し此疑を解脱せんと欲せバ将来益々深く自ら戒むる処ありて可なり、吾曹は我同胞廿三名が溺死の不幸を愍れみ其告ぐる所なきを悼み聊か一言して注意を外人に求むること爾り

東京経済雑誌　　第三四三号・第六九二―六九三頁　明治一九年一一月二〇日
　　　　○英船ノルマントン号沈没事件彙報
英船ノルマントン号の沈没せるに際し船長以下二十六名の船員は無事安全なりしに拘らず其乗客たる廿五名の日本人は不幸にも皆悉く溺死せることは実に航海史上絶無罕有の一珍事にして人の最も怪訝する所なるに、英国領事館に於ては審問を開き幾もなくして船長等は全く責任なき者也との判決を下せり、左なきだに悲憤慷慨に堪えさりける朝野の人心は此案外なる判決に逢ふて如何で激昂せさるべき、毎日の新聞紙面は悲壮淋漓の論説と義気勃然たる記事とを以て半は掩はるゝ事にして真に此一事は英人の面目に拭ふへからさるの汚点を加へ、其信用を地に墜したることは彼れ外国人さへ認識する所、我輩は唯邦人の為めに之を痛むのみならず英国人の為めに深く其不幸を哀まさるを得さるなり、現に横浜なるメール新聞を始めとしてヘラルド、ガゼツト兵庫ニユース等熟れも皆口を極めて此事を痛論し、領事庁裁判に不同意を表せさるなきを観ても其事情の一斑を窺ふを得へく、殊にメール記者の如きは論議剴切頗る観るへき者あるが、同記者は又過る十三日の紙上に於て論じて曰く
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（上略）船長及ひ其他役員の意念は仮令非難を容るべき者にあらずとするも其行為の結果は非常の恥辱と謂ふべし、思ふに日本人は船長及び水夫が各自の不幸を免れながら日本人の男女二十余人を沈没船の中に残して去りたることに就ては無限の感慨を懐かざる可らず、此事に就ては最早彼此議論を為すを要せず実際の実事が恐るべきの能弁を以て世界公衆に事の当否を話すべし云々
異邦人且つ然り、況んや同胞兄弟の義ある同国人たる者に於てをや、其刺激せらるゝの一層深かりしは当然の事にして大鳥圭介君の如きは早くも時事新報に書を寄せて世人の注意を促し、世論を喚起すへきを慫慂せり
○下略

東京経済雑誌　　第三四三号・第七〇〇―七〇一頁　明治一九年一一月二〇日
　　　　○英国ノルマントン号に関する東京商工会の意見
既に前項に記するが如く東京商工会は去十六日に臨時会を開きてノルマントン号沈没事件に関する議事をも審議したるが今当日議決の模様によりて同会の意見なりと云ふを聞くに、抑も今回紀海に於て起りたるノルマントン号沈没一件は近時の一大惨事にして之を聞く者は溺死人の不幸を悲みて而して船長等の行為を怒らざるはなし、去れば政府に於ては既に訓令を兵庫県知事に伝へ右船長を殺人罪として神戸英国領事庁に求刑せしめ民間に於ては遺族を扶助して損害要償の私訴を起さんとする者あり、故に民事及刑事上の事に就ては殆ど遺憾とすへきものなきが如し、此際本会希望の要旨は政府に於て航海取締法を制定し、我が沿海を航行する内外船舶に就き能く乗客を搭載するに堪ゆる資格あるや否や等を審査し、今回の如き惨禍を我が海上に再びせしめざらんことを望むに在るのみ、蓋し我が商工会は府下商工業者より組成するものにして苟も商工業に関係する事件は決して之を黙止すべきにあらず、今回の沈没事件の如き我が国権上に至大の関係あるべきは勿論なれども我が商工業の前途に就ても亦容易ならざる関係あるべしと思はる、今や当局に於ては条約改正会議を開かれ内地雑居を見るの日も亦将に遠からざらんとするの今日なれば、将来内外人の交通益々頻繁を加へ我が生命財産を外船に托するの機会続々起生すべきは弁を待たざるなり、此時に当り速に相当の航海取締法を施設して能く船舶を撿査するにあらずんば他日又今回の如き惨禍を我沿海に再演し之が為に内外貿易の進歩を沮滞するの必無を保せず、是れ本会が敢て航海取締法の施設を要望する所以なり云々」と云ふに有るか如し、流石は実際家の集合躰だけありて其の議論着実に其の用意周到なりと云ふべし

渋沢栄一書翰　　萩原源太郎宛　（明治二〇年）一月六日　　　（萩原英一氏所蔵）
拝見仕候、然者ノルマントン起訴一条ニ付醵金之事ハ費用決算出来候ハヽ早々御示し被下度候、若其経費高小額ニ候ハヽ強而今日百弐拾五円を出金為致候ニも及間敷ニ付、割合上之高丈申遣候方可然と存候ニ付、別紙ハ先御差止被下度候　○中略
 - 第18巻 p.575 -ページ画像 
一月六日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　渋沢栄一
　　萩原源太郎様

渋沢栄一書翰　　萩原源太郎宛　（明治二〇年一月カ）三一日　　　（萩原英一氏所蔵）
○上略
ノルマントン醵金之事ハ富田・奈良原・川村も稍同意之様子ニ付同しく集合之方可然、尤も既ニ其経費決算も出来候筈ニ付早々益田克徳氏へ御聞合之上決算出来候ハヽ集合ニテ差引相立残余返却之手配もいたし度存候
是等之取扱ハ可成丈早く片付不申而ハ追ニ追日勝之ものニ付貴兄より益田へ至急御掛合可被下候
別紙廻議案小印済返上仕候、右申上候　匆々白
　　三十一日　　　　　　　　　　　　　　　　栄一
　　　　萩原様