デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第20巻 p.11-98(DK200004k) ページ画像

明治25年6月6日(1892年)

是ヨリ先当会議所、目下施行延期中ナル商法ニ修正ヲ加ヘン為メ委員ヲ挙ゲ法学博士梅謙次郎ヲ聘シテ之ヲ研究ス。是日栄一当会議所会頭トシテ司法大臣子爵田中不二麿・農商務大臣河野敏鎌ニ其修正意見ヲ具陳ス。


■資料

第一回東京商業会議所事務報告 第一〇頁 明治二五年四月刊(DK200004k-0001)
第20巻 p.11-12 ページ画像

第一回東京商業会議所事務報告  第一〇頁 明治二五年四月刊
一商法修正ノ儀ニ付会員益田孝君外五名ヨリ建議ノ件
 本件ハ明治二十四年十月十五日会員益田孝・益田克徳・中野武営・佐久間貞一・大倉喜八郎・村田雷蔵諸君ヨリノ建議ニ係リ、其要旨ハ商法中実際ニ適セザル箇条少カラザルヲ以テ、此際調査委員ヲ撰定シ該法ノ条項ヲ調査セシメ、修正ノ意見ヲ定メテ其筋ヘ建議スベシト云フニ在リ、依テ同年十一月十四日第九回ノ臨時会議ニ附シタルニ、委員十名ヲ撰ヒ調査セシムル事ニ決シ、即チ投票ヲ以テ左ノ諸君ヲ撰挙シタリ
                   益田孝君
                   渋沢栄一君
                   奥三郎兵衛君
                   中野武営君
                   大倉喜八郎君
                   佐久間貞一君
                   梅浦精一君
                   益田克徳君
                   太田実君
                   村田雷蔵君
 - 第20巻 p.12 -ページ画像 
 其後委員ハ顧問トシテ適任ノ法律家ヲ聘セン事ヲ請求シタルニ付、即チ法学博士梅謙次郎氏ニ依嘱シ、目下委員ニ於テ其修正案調査中ニ付、追テ其報告ヲ待チテ更ニ会議ニ附スル見込ナリ
一商法修正ノ儀ニ付益田孝君外二十四名ヨリ建議ノ件
 本件ハ会員益田孝・小林義則・鈴木亮蔵・説田彦助・半田善八・柴田藤兵衛・方波見平兵衛・大住喜右衛門・森岡平右衛門・徳田孝平中沢彦吉・小松正一・守田重次郎・高島勘六・松本伊兵衛・田中佐次兵衛・高木与兵衛・藤田武次郎・太田実・大倉喜八郎・橋本辰三郎・金沢三右衛門・伊井吉之助・加藤忠蔵・小布施新三郎諸君ヨリノ建議ニ係リ、其要旨ハ商法ノ修正ハ極メテ緊要ノ件ナルニ付、政府ニ於テ一日モ早ク其準備ニ着手セラレン事ヲ其筋ヘ建議シタシト云フニ在リ、然ルニ其後会員益田孝君外五名ヨリ提出シタル商法修正ノ建議可決シタルヲ以テ、本件ノ建議者ハ之ヲ撤回シタリ


渋沢栄一書翰 穂積陳重宛 (明治二十四年)一一月二七日(DK200004k-0002)
第20巻 p.12 ページ画像

渋沢栄一書翰  穂積陳重宛 (明治二十四年)一一月二七日  (穂積男爵家所蔵)
拝啓然者過日御内話申上候商業会議所ニ於て此度商法修正之意見提出致度ニ付其調査委員之集会ニて右顧問として梅氏を相願度と申事ニ決定仕候、就而ハ此取調ニ関し其報酬等も如何ニ致候而可然哉、又右調査手続も何様之手順ニ可致哉、兎ニ角表向同氏ヘ依頼之事を申入承諾之上ハ近日一夕梅氏及委員一同相会し右等打合之上取極申度、尤も前書報酬も可成ハ格別之高ニ不相成様致度と存候ニ付同氏ニも余り数多之時日を労せしめさる様と存候、就而ハ其詳細御内談之為萩原源太郎さし上候間御聞取被下、尚貴兄より梅氏ヘ懇親上御相談被下其回答模様早々御申越可被下候右拝願如此御坐候 匆々不一
  十一月廿七日              渋沢栄一
    穂積陳重様


第二回東京商業会議所事務報告 第三―一三頁 明治二六年四月刊(DK200004k-0003)
第20巻 p.12-13 ページ画像

第二回東京商業会議所事務報告  第三―一三頁 明治二六年四月刊
一商法修正ノ義ニ付司法・農商務両大臣ヘ建議及貴族・衆議両院ヘ請願ノ件
 本件ハ前回ニ報告シタルカ如ク、其後委員ニ於テ屡々会議ヲ開キ、商法ノ全編ニ付キ修正ヲ要スル条項ヲ審議シ、其修正案及建議請願書案ヲ草シ報告シタルニ付、明治二十五年六月三日第十三回ノ臨時会議ニ付シ其可決ヲ経、同月六日ヲ以テ左ノ如ク之ヲ田中司法大臣及河野農商務大臣ヘ建議シ、且ツ貴族院及衆議院ヘ請願シタリ
    商法ノ修正ヲ要スル義ニ付建議
 商法ヲ制定シテ之ヲ施行スルハ商業上ノ信用ヲ保護シ其取引ヲ確実ニスル所以ニシテ我政府ガ明治二十三年三月法律第三十二号ヲ以テ商法ヲ発布セラレタルモ蓋シ此意ニ外ナラザルベシ、然リト雖トモ本会議所ノ審案スル所ニ拠レバ夫ノ商法中ニハ往々慣習ニ背馳シ実際ニ適応セサルノ規定少シトセズ、今若シ修正ヲ加ヘズシテ俄カニ之ヲ実施スルニ於テハ大ニ我商業ノ秩序ヲ攪乱シ商人ヲシテ非常ノ困厄ヲ感セシメ其極却テ意外ノ結果ヲ生スル事ナシトセズ、是ヲ以
 - 第20巻 p.13 -ページ画像 
テ本会議所ハ其修正ヲ切望シ爾来黽勉怠ラズ之ヲ実際ニ質シ之ヲ法理ニ諮ヒ別冊修正案 ○次掲ヲ調成シテ敢テ之ヲ閣下ニ呈ス、閣下本会議所ノ意見ヲ採納セラレ速ニ之ヲ修正シ実施セラレン事希望ノ至ニ堪ヘズ
 右本会議所ノ決議ニ依リ謹テ建議仕候也
  明治二十五年六月六日
            東京商業会議所会頭 渋沢栄一
    司法大臣  子爵 田中不二麿殿
    農商務大臣 河野敏鎌殿
   帝国議会ヘノ請願書案ハ本案中建議ノ文字ヲ総テ請願ト改メ閣下ヲ貴院ト改ム


商法及商法施行条例修正案 東京商業会議所編 明治二五年六月刊(DK200004k-0004)
第20巻 p.13-98 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕竜門雑誌 第四八一号・第一九七頁 昭和三年一〇月 青淵先生と法制(高根義人)(DK200004k-0005)
第20巻 p.98 ページ画像

竜門雑誌  第四八一号・第一九七頁 昭和三年一〇月
    青淵先生と法制 (高根義人)
 青淵先生と法制事業の関係につき述べよとのことにつき追憶して見ると、明治二十六・七年の頃東京商業会議所の法典調査委員会で当時会頭であられし先生と法律的事項につき談論する機会を得て、先生は法律的素質を多大に有せらるゝと感じたことを想ひ出した。此委員会は其頃已に公布され未だ実施されぬ民法・商法を研究して、修正意見を纏めるために設けられたもので、最初に前文部大臣で当時第一銀行行員たりし水野錬太郎氏が出席せられて居たが、農商務省に任官せらるゝので余が代ることになつた。毎週一回午後四時頃から十時頃まで法典の逐条研究をして各自修正意見を提出する仕組であつた。余は明治二十九年五月後任を志田鉀太郎氏に譲つて洋行するまで毎回出席して居つた。その時の委員は十名と覚ゆ。其中勉強して出席されたのは荘田平五郎・豊川良平・阿部泰蔵・加藤正治・大江卓等の諸氏で、先生は会頭として大抵の用事を押切つて出席せられた。何れも当時実業界一方の雄鎮たる人々とて、議論も中々盛んであつた。加藤・荘田の両氏は尤も理窟に長じ、其議論は理路井然数学者の難問題を解くが如き趣があつた。大江氏は往々奇抜の説を吐いて人を驚し、阿部氏は堅実真面目にして保険家らしき論をされた。其間に在つて先生は論理は飽くまで之を徹底せしめんとすると同時に、曲折せる事情を遺憾なく参考して、常に中正の帰着点を発見せんと試みられた ○下略