デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
3款 東京商業会議所
■綱文

第21巻 p.424-428(DK210072k) ページ画像

明治32年2月21日(1899年)

是ヨリ先当会議所、栄一ヲ委員長トスル委員会ニヨリテ第五回内国勧業博覧会ノ開催地ニ就キ調査中ナリシガ、是日栄一当会議所会頭トシテ、同博覧会開催地ヲ東京ニ定メンコトヲ内閣総理大臣侯爵山県有朋・農商務大臣曾禰荒助ニ建議シ、貴族院議長公爵近衛篤麿・衆議院議長片岡健吉ニ請願ス。次イデ同月二十五日、松田東京市長ト共ニ曽禰・山県両大臣ニ面会シテ、当会議所トシテノ企望ヲ縷陳ス。


■資料

東京商業会議所月報 第七七号・第一五―一六頁 明治三二年一月 【○同月 ○明治三一年…】(DK210072k-0001)
第21巻 p.424 ページ画像

東京商業会議所月報  第七七号・第一五―一六頁 明治三二年一月
○同月 ○明治三一年一二月二十三日、本会議所ニ於テ第七十七回ノ臨時会議ヲ開ク、当日ノ出席者ハ左ノ如シ
 武田忠臣君 ○外二十一名氏名略
午後六時開議、会頭渋沢栄一君事故アリ欠席セラレシニ依リ、副会頭大江卓君議長席ニ着キ、左ノ件々ヲ議事ニ附シ、午後七時二十分閉会セリ
○中略
 一第五回内国勧業博覧会開設地ノ義ニ付建議ノ件 (会員提出)
本件ハ会員町田徳之助君ノ建議ニ係リ、其要旨ハ、第五回内国勧業博覧会ノ開設地ヲ東京ニ定メラルヽ様其筋ニ建議・請願スヘシト云フニ在リ、審議ノ末議長指名ノ委員九名ニ其調査ヲ附託スルニ決シ、議長ハ左ノ諸君ヲ委員ニ指名セリ
                   渋沢栄一君
                   雨宮綾太郎君
                   町田徳之助君
                   林九兵衛君
                   松本忠次郎君
                   森村市左衛門君
                   野中万助君
                   末延道成君
                   池田謙三君


東京商業会議所月報 第七八号・第三頁 明治三二年二月 【○同月 ○一月十四日…】(DK210072k-0002)
第21巻 p.424 ページ画像

東京商業会議所月報  第七八号・第三頁 明治三二年二月
○同月 ○一月十四日午後三時、本会議所ニ於テ第五回内国勧業博覧会開設地ノ件調査委員会議ヲ開キ、委員長ヲ選挙セシニ、其結果左ノ如クニテ、午後四時閉会ス
               委員長 渋沢栄一君
 - 第21巻 p.425 -ページ画像 


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK210072k-0003)
第21巻 p.425 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十四日 晴
○上略
午後 ○中略 東京商業会議所ニ抵リ、議事ヲ開ク、夜九時帰宅ス


東京商業会議所月報 第七九号・第九頁 明治三二年三月 【○同月同日 ○二月二…】(DK210072k-0004)
第21巻 p.425 ページ画像

東京商業会議所月報  第七九号・第九頁 明治三二年三月
○同月同日 ○二月二日 第五回内国勧業博覧会開設地ノ件ニ付、東京市長ヨリ照会書ヲ接受ス(照会書ノ全文ハ参照ノ部第五号ニ掲載ス)


東京商業会議所月報 第七九号・第一三頁 明治三二年三月 【○参照第五号 明治三十二年二…】(DK210072k-0005)
第21巻 p.425 ページ画像

東京商業会議所月報  第七九号・第一三頁 明治三二年三月
○参照第五号
 明治三十二年二月二日、第五回内国勧業博覧会開設地ノ件ニ関シ、東京市長ヨリ接受シタル照会書ノ全文ハ左ノ如シ
第五回内国勧業博覧会ノ儀ニ付大阪市ハ専ラ同市ニ於テ開設センコトヲ希望シ、以テ目下種々ノ計画中ノ由ニ伝聞ス、果シテ事此ニ出ンカ本市ノ利益上ニ影響ヲ及ホス太タ大ナリ、殊ニ改正条約実施・内地雑居後ニ於ケル第一期ノ開設ニ属スルヲ以テ、我帝国ノ首府タル本市ニ於テスルノ適当ナリト認メ、曩ニ東京市会ハ満場ノ一致ヲ以テ之ヲ議決シ、爾来着々計画準備中ニ有之、貴会議所ニ於テモ素ヨリ御同感ト推察致候間、本市公益ノ為メ本件ニ対シ充分御尽力相成度希望ノ至リニ不堪候 草々敬具
  明治三十二年二月二日
           東京市参事会東京市長 松田秀雄
    東京商業会議所会頭 渋沢栄一殿


東京商業会議所月報 第七九号・第八―九頁 明治三二年三月 【○同月 ○二月七日午…】(DK210072k-0006)
第21巻 p.425 ページ画像

東京商業会議所月報  第七九号・第八―九頁 明治三二年三月
○同月 ○二月七日午前九時、本会議所ニ於テ委員会議ヲ開キ、第五回内国勧業博覧会開設地ノ件ヲ審議シ、正午閉会ス
○同月十三日午後四時、本会議所ニ於テ委員会議ヲ開キ、第五回内国勧業博覧会開設地ノ件ヲ審議シ、午後六時閉会ス


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK210072k-0007)
第21巻 p.425 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
二月七日 曇夕雨
○上略 午後一時商業会議所ニ抵リ博覧会開設ニ関スル委員会ニ列ス ○下略
   ○中略。
二月二十日
○上略 四時商業会議所ニ於テ臨時会ヲ開ク博覧会ノ事 ○中略 ヲ議決ス ○下略


東京商業会議所月報 第七九号・第八頁 明治三二年三月 【○同月 ○二月二十日…】(DK210072k-0008)
第21巻 p.425-426 ページ画像

東京商業会議所月報  第七九号・第八頁 明治三二年三月
○同月 ○二月二十日、本会議所ニ於テ第八十一回臨時会議ヲ開ク、当日ノ出席者ハ左ノ如シ
 八尾新助君 ○外十七名氏名略
午後五時開議、会頭渋沢栄一君議長席ニ着キ、左ノ件々ヲ議事ニ附シ
 - 第21巻 p.426 -ページ画像 
午後五時三十分閉会ス
 一第五回内国勧業博覧会開設地ノ件調査報告 (委員会議提出)
本件ハ全会一致ヲ以テ委員報告ノ如ク可決シ、本件ニ関スル運動ハ役員会議ニ一任スルニ決ス


東京商業会議所月報 第七九号・第九頁 明治三二年三月 【○同月 ○二月二十一日、第五…】(DK210072k-0009)
第21巻 p.426 ページ画像

東京商業会議所月報  第七九号・第九頁 明治三二年三月
○同月 ○二月二十一日、第五回内国勧業博覧会開設地ノ件ニ付内閣総理大臣ト農商務大臣ニ建議書ヲ、貴族・衆議両院ニ請願書ヲ進達ス(建議書・請願書ノ全文ハ参照ノ部第三号ニ掲載ス)
○中略
○同月同日 ○二月二二日 第五回内国勧業博覧会開設地ノ件ニ付、東京市長ヘ回報書ヲ発送ス


東京商業会議所月報 第七九号・第一一頁 明治三二年三月 【○参照第三号 明治三十二年二…】(DK210072k-0010)
第21巻 p.426 ページ画像

東京商業会議所月報  第七九号・第一一頁 明治三二年三月
○参照第三号
 明治三十二年二月二十日第八十一回臨時会議ノ決議ニ依リ、第五回内国勧業博覧会開催地ノ義ニ付、同二十一日附ヲ以テ、内閣総理・農商務両大臣ニ進達セシ建議書、貴族・衆議両院ニ呈出セシ請願書全文左ノ如シ
    第五回内国勧業博覧会開設地ノ義ニ付建議(請願)
第五回内国勧業博覧会ハ曩ニ勅令ヲ以テ延期セラレタルモ、政府ノ内議ハ来明治三十五年ヲ以テ開設セラルヽニ在リト聞ク、惟フニ同会ハ其名ハ内国勧業博覧会ナリト雖トモ、内地雑居実行セラレ且ツ東洋ノ局面一変シタル後ニ於ケル初度ノ博覧会ナレハ、外人ノ注目ヲ惹クコト従来開設セル勧業博覧会ト同一視ス可ラス、従テ其面目ノ刷新スヘキモノアルヘク、其規摸ノ廓恢スヘキモノアルヘク、之カ開設地ノ如キモ、四民輻湊ノ中心ニシテ百貨聚散ノ要衝タル帝国ノ首府ニ卜定セラルヽノ外ナカルヘキハ本会議所ノ固ク信シテ疑ハサル所ナリ(願クハ閣下速ニ其開設ノ計画ニ着手シ、我東京市ヲ以テ之カ開設地ト定メラレンコトヲ)(願クハ貴院当局ヲシテ速ニ其開設ノ計画ニ着手セシメ我東京市ヲ以テ之カ開設地ト定メラレンコトヲ)
右本会議所ノ決議ニ依リ建議(請願)仕候也
  明治三十二年二月二十一日
            東京商業会議所会頭 渋沢栄一
    内閣総理大臣 侯爵 山県有朋殿
    農商務大臣     曾禰荒助殿
    貴族院議長  公爵 近衛篤麿殿
    衆議院議長     片岡健吉殿


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK210072k-0011)
第21巻 p.426-427 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
二月廿五日 晴
○上略 午前十時過東京商業会議所ニ於テ役員会ヲ開ク ○中略 右役員会畢テ後、博覧会開設地ノ事ニ付、市会議員町田氏及横浜商業会議所ヨリ出京スル委員四名ニ面会シテ、向後運動ノ手続ヲ協議ス、午後 ○中略 二時
 - 第21巻 p.427 -ページ画像 
帝国議会ニ至リテ、博覧会ノ事ニ関スル運動ヲ為ス、松田市長ト共ニ右件ニ関シテ、曾根農商務大臣《(禰)》・山県総理大臣ニ面会シテ、東京商業会議所ヲ代表シテ企望ヲ縷陳ス ○下略
   ○中略。
二月廿八日 曇
○上略 十一時貴族院ニ抵リ、博覧会ノ事ヲ談シ、午後一時帰宅ス ○下略
   ○右建議ハ実現セズ。第五回内国勧業博覧会ハ明治三十六年三月一日ヨリ七月三十一日マデ大阪ニ於テ開催セラル。(第五回内国勧業博覧会事務報告)



〔参考〕東京経済雑誌 第三九巻第九六八号・第三九四―三九五頁 明治三二年三月四日 ○博覧会開設地点に関する東京・大阪の競争(DK210072k-0012)
第21巻 p.427-428 ページ画像

東京経済雑誌  第三九巻第九六八号・第三九四―三九五頁 明治三二年三月四日
    ○博覧会開設地点に関する東京・大阪の競争
内国勧業博覧会の開設地点を定むるは全く政府の権内に在り、議会は政府の要求すべき博覧会の経費に対して賛否を与ふべきのみなりと雖も、議会は即ち輿論の府たるを以て、輿望の在る所を表明して建議書を政府に提出し、以て開設地点に関し政府の採択を請ふは亦議会の当然尽すべきの任なり、是れ来る明治三十五年を期して開設せられんとする第五回内国勧業博覧会の開設地点に関し建議案の衆議院に提出せられたる所以にして、其の建議案二あり、一は藤金作氏外十一名の提出に係り、大阪に開設せられんことを主張し、一は星亨氏外十三名の提出に係り、東京に開設せられんことを主張せるを以て、其の主旨は全く相反するものなり
大阪を可とする建議案の提出者は、去明治二十五年八月中時の農商務次官(西村捨三氏)が京都・大阪両府知事に宛たる親展書に於て、第四回以後の開設地に就ては三府輪環の順序に依り、開設の事に内決相成候、其主旨は即ち勧業博覧会の開設地を一定候ては勧業の本旨を全ふし能はざるの嫌なきにあらず、且つ地を換へて開設相成度旨各所より建議の次第も有之候、政府に於ても之を是認相成候義に有之候、其輪環開設の順序に就ては、先づ第四回を京都に、第五回を大阪に開設し、爾後更に東京に復する次第にして、其第四回は来二十九年に開設可相成内決に候条、此旨特に及内示候也とあるを引抄して最大論拠と為せり、此の親展書に対し東京市長松田秀雄氏は、当時東京市会に於て調査委員を選挙して調査せしめ、委員より市会に報告せし議事筆記を引抄して、其の事実にあらざる旨を証明せり、曰く
 委員は第四回に限り東京市に開設せざる理由を問ひしに、大臣は第四回は元来明治廿九年に開設すべきが当然なれども、二十八年は 桓武天皇遷都千百年に相当し、京都に於て其式を挙行せらるゝ筈なるを以て、一ケ年を繰上け特に京都市に開設することゝなりたる旨を答へたり、委員は其他には理由なきやと問ひしに、大臣は先づ右の理由に外ならずと申され、次に今後は三府輪番に開設せらるゝやと問ひしに、明治二十九年の開設に就ては其説もありしが、明治二十八年に繰上げたる際には決して左様の取極めなしと答へられしを以て、委員は右順番開設は閣議に於て内決せし旨山田大阪府知事より同地商業会議所会頭に宛発したる書面の写を示して其実否を確めしに、大臣は三府順番開設のことたる全く立消となりたれば、此書
 - 第21巻 p.428 -ページ画像 
面の事実も自然廃止と承知ありたしと答弁ありき
是に依りて見れば、三府輪番に博覧会を開設するの議は嘗て一たび起りたるには相違なきも、忽ちにして其の議は消滅せしものなり、好しや消滅せずとするも之を論拠として建議案を提出するは其の手続を誤りたるものと謂はざるへからす、何となれば是れ宜しく政府に質問して、政府は今日に於ても其の内定を主持せらるゝや否やを確むべきものなればなり、且夫れ政府は此の内定を固守すべき義務あるものにあらず、況や当局者は既に交迭せるに於てをや、故に開設地を大坂に定むへき乎、将た東京に決すべき乎の問題は、何れに開設すれば経済上最も利便なるや、又何れに開設すれば博覧会の目的を達するに近きやを決するにあり、東京は全国の首府にして、帝室玆に在り、中央政府玆に在り、而して海内人民の輻輳すべき所なれば、開設地点として大阪に優るや比較するを要せず、又審査委員の如きも多く在東京の官民より出づべきを以て、地方に開設するに於ては、此等の委員を派遣せざるべからず、随ひて東京に於る常職は曠廃せざるべからず、且旅費も日当も支給せざるべからざるを以て、大阪に開設するときは東京に開設するよりも不経済たるべきや、第四回博覧会を京都に開設したる前例に徴して疑ふべからず、余輩は地力的感情を避け、正理に拠りて東京を選定すべきことを主張するものなり