デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
4款 商業会議所聯合会
■綱文

第22巻 p.903-913(DK220076k) ページ画像

明治38年10月4日(1905年)

是日栄一、東京商業会議所ニ於テ開催サレタル第十四回定期会ニ臨席シ、日露戦争後ノ経済経営ニ関シ一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK220076k-0001)
第22巻 p.903 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
十月四日 晴 秋冷
○上略 午前十時東京商業会議所ニ抵リ、聯合会ノ請求ニ応シテ戦後ノ経済ニ関スル意見ヲ演説ス ○下略


明治三十八年十月開設 第十四回商業会議所聯合会報告 第一二頁 刊(DK220076k-0002)
第22巻 p.903 ページ画像

明治三十八年十月開設
第十四回商業会議所聯合会報告  第一二頁 刊
    ○渋沢男爵・大隈伯爵ノ臨場
十月四日渋沢男爵臨場、十月五日大隈伯爵臨場、共ニ一場ノ演説ヲ為シタリ


明治三十八年十月開設 第十四回商業会議所聯合会議事速記録 第四六頁 刊(DK220076k-0003)
第22巻 p.903-904 ページ画像

明治三十八年十月開設
第十四回商業会議所聯合会議事速記録  第四六頁 刊
明治三十八年十月四日午前十時二十五分開議
  出席委員     六十六名 ○氏名略
○上略
○会長(東京、中野武営君) ○中略 渋沢男爵ガ御出ニナツテ居リマスカ
 - 第22巻 p.904 -ページ画像 
ラ此席ヘ御案内ヲ致サウト考ヘマスガ、チヨツト御待チヲ願ヒマス
○会長(東京、中野武営君) 諸君、渋沢男爵閣下ヲ御紹介申シマス
   (渋沢男爵演説巻尾)


明治三十八年十月開設 第十四回商業会議所聯合会議事速記録 第一五六―一七五頁 刊(DK220076k-0004)
第22巻 p.904-913 ページ画像

明治三十八年十月開設
第十四回商業会議所聯合会議事速記録
                   第一五六―一七五頁 刊
    男爵渋沢栄一君演説 (十月四日)
久々デ御意ヲ得マスル、斯カル序ニ申上グルモ甚ダ失礼ナ訳デゴザイマスケレドモ、私モ昨年病気ノ為メニ会議所ノ議員ヲ辞退致シマシテ爾来マダ始メテ御目通リ致ス諸君モ御参集ノ方々ノ中ニアラウト思ヒマスルデゴザイマス、本会議所ノ議員タル際ニハ永ク御懇命ヲ蒙リマシタ、拝眉ノ序ヲ以テ先ヅ第一ニ其御礼ヲ申上ゲマス、併シ私モ会議所ハ辞シマシテモ、相変ラズ商工業者ノ一人デ居リマスカラ、此末トモ以前ノ如ク御懇親ヲ御願ヒ申上ゲマス、今般ハ聯合会ノ御開設ニ付イテ、臨時御参集ニナラレマシタ趣キハ、新聞デ拝承致シテ居リマシテ、段々国家ノ為メ御苦労ヲ深ク感謝致シテ居リマスル次第デゴザイマス、右ニ就キマシテ此時節柄未来ノ財政経済ニ大ニ考慮ヲ要スルト云フカラ致シテ、本聯合会ニモ種々御討議モアラセラレ、其続キ私如キ良イ思案モゴザイマセヌ者ニマデ希望ヲ申述ベロト云フ、昨日全会ノ御決議ノ趣キデ、大阪商業会議所会頭土居君カラ此席ヘ出マスヤウニト云フ御通知ヲ得マシテゴザイマス、此議員ニ加ツテ居リマス時カラシテ、余リ多分ノ効能モゴザイマセヌ私ガ、殊ニ暫ク会議所ニハ関係ヲ致シ居リマセヌヤウナ訳デ、聯合会ノ開設スラ新聞デ拝承スル位ナ訳デスカラ、突然ト斯ル席ヘ出マシテ、何等良イ説ヲ申上ゲルコトモ出来得マイト大ニ憂懼ハ致シマシタケレドモ、併ナガラ仮令良イ思案ガナイニモセヨ、前ニモ申ス此実業上ニ従事シテヰル者ハ未来ノ国家ノ経済財政ニ対シテ必ズ希望ナキ能ハズ、殊ニ諸君ガ御攻究ノ上其筋々ニ御持出シナサラウト云フ其参考ニ供セラレルト云フコトデアレバ、仮令名案卓説デナクテモ、若シ或ハ其御参考ノ一助ニナツタラ、実ニ本望ト考ヘマスレバ、本分トシテ辞退致スコトデハナイト斯ウ考ヘマシタカラ、甚ダ平凡ナ愚見デ、決シテ此会場ヲ益スルモノデハナカラウト恐懼ニ堪エマセヌガ、推シテ罷出マシタ次第デゴザイマス、但シ前以テ承知致シタカラト云フテモ、然迄ノ用意ノ届クモノデハゴザイマセヌ、根ガ大問題デゴザイマスカラ――ケレド若シ数日前ニ承知シタナラバ、多少数字ノ調査等モナシ得ラレルデアリマセウガ、昨日承ツテ今日出ルト云フノデゴザイマスルデ、唯平生自身ノ思ツテ居ツタ点ヲ玆ニ申上ゲルニ過ギマセヌデ、甚ダ卑近ナル愚説ト他日ノ御笑ヒヲ買ウダラウト恐レマスケレドモ、前ニモ申ス通リ衷情止ミ難ク申上ゲルダケデゴザイマスカラ、唯御参考ニナシ下サルコトヲ希望致スノデゴザイマス、一年有余ノ国ノ大難デ実ニ全力ヲ戦争ニ尽シテ、資財ト申シ、人命ト申シ、容易ナラザル困苦ニ堪ヘテ、幸ニ満足ナル勝利ヲ得タ暁ニ平和ガ克復スル場合ニ至リマシテ、其平和克復ノ箇条ニ対シテハ、多少世ノ中ニ不満ヲ唱ヘル点ノアリマスノハ吾々ノ心ニモ蓋シ同感ヲ表センナラヌ事ト考ヘマスノデゴザイマス、去ナガラ平
 - 第22巻 p.905 -ページ画像 
和条約ガ愈々御批准ニ相成ル如何ハ、マダ今日ニ吾々ノ敢テ玆ニ喋々スル場合デハナカラウト思ヒマスガ、既ニ此ニ至ツタ暁ハ、必ズ平和ハ克復シテ戦後経営ニ吾々ハ最モ考案ヲ尽サネバナラヌ今日ト考ヘルノデゴザイマス、デ此場合ニ想ヒ起シマスルト、丁度似タ有様ハ、明治二十八年日清戦争ノ相済ミマシタ後ニ、吾々商工業者ハ如何ニ考ヘタカト云フ事ヲ繰返シマスルト、思半バニ過ギルコトガアラウト考ヘマスノデゴザイマス、御列席ノ奥田君ハ其当時名古屋ニ聯合会ヲ開カレマシタカラ、定メテ善ク御記憶ガアラウト思フ、当時名古屋ノ聯合会ニ東京ノ商業会議所ヲ代表シテ私ガ参上シマシタ、其時ガ恰モ日清戦役後デアツテ戦後経営ニ付テノ一問題ガ起リマシテゴザイマシタ、戦後ニ於テハ何レ政治上ノ施設・兵備ノ拡張・実業ノ発達、其他色々アリマシタ国民多数ノ意念ガ強ク感触シテ、其ノ希望ノ著シク進ンダノハ何レニ在ツタト云ヘバ、兵備ノ拡張・軍制ノ整頓ト云フコトニ力ガ強クシテ、吾々実業者ノ憂慮ニハ或ハ国力ノ権衡ヲ誤リハセヌカト考ヘル程デアツタ、故ニ吾々実業家ノ方面トシテハドウゾ其国力ニモ均等ノ機会ヲ得テ――(何カ各国ノ条約ノ言葉ヲ使フヤウデスケレドモ)併セ進ミ並ビ馳セルト云フヤウニ行キタイト希望スルガ今日ニ相当デアラウト考ヘマシタ、例ヘバ其頃ノ歳入予算ハ多分一億円以内デアツタト記憶致シテ居リマシタガ、未来ハ決シテソレニ止マルモノデナカラウ、或ハ倍スルカ幾割増スカト云フヤウナコトハ、戦後ノ経営トシテ止ムヲ得ヌデアラウガ、若シ其歳入ヲ増スト云フナレバ、国力ハ如何デアルカト云フコトヲ先ヅ第一ニ攻究シ、而シテ其増ス所ノモノハ如何ナル方面ヨリ徴収スト云フコトデ定ムルノガ相当デアル、勿論軍備モ必要デアリ、政治ノ綱目モ上ラネバナラヌカラ、ソレニ対スル費用ハ大ニ其前ヨリ増スデアラウケレドモ、実業ノ発達ニ対シテハ欠如スルト云フヤウニナラレタラ、所謂車ガ片廻リスル訳ニナルカラ即チ権衡ヲ失フト云フコトニナル、是ハ甚ダ吾々ノ恐ルベキ所デアルト云フ趣意デ、名古屋ノ聯合会ニ於テハ一同種々協議シマシタ、其際別ニ議案トシテ提出ハサレマセナンダ、唯大趣意ガ議決サレテ、右ノ方針ニ依ツテ、各会議所ハ更ニ能ク攻究シテ銘々所見ヲ其筋ニ陳述致サウト云フコトニ決定シタト覚エテ居リマスル、其後東京商業会議所ハ二十八年ノ冬、若クハ二十九年ノ春頃ニ種々ナル議案ニ依ツテ、政治・軍事ニ対スル国費ノ分配方ノ意見ヲ具シテ陳情致シタコトガアツタヤウニ記憶致シテ居リマス、但シ其時分ノ案ガ果シテ適当デアツタカ或ハ正鵠ヲ失ツテ居ツタカハ、私ガ玆ニ申述ベル限リデゴザイマセヌケレドモ、如何ニ其時分ニ全国商業会議所ガ戦後ノ経営ニ付イテ憂慮シタト云フコトハ、既ニ業ニ前例ノアル事デゴザイマス、併シ前ニモ申ス通リ、今般ハ又其事柄ガ数層大キイ、戦争ノ継続モ更ニ長イ戦費ノ支出モ数倍ヲ加ヘタ高デアツテ、而シテ其講和ノ結了スル所ハ前ト較ベルト甚ダ望ミ通リデナイトスレバ、未来ノ経営ハ更ニ吾々ノ困難ヲ感ゼネバナラヌト云フコトハ実ニ止ムヲ得ヌノデゴザイマス、偖此戦後経営ニ対シテハ之ヲ悲観シマスルト大ニ悲観ノ説ヲ述ベ得ラレルヤウニナリマス、又一方カラ之ヲ楽観ニ見テ往キマシタナラバ、ナニソンナニ心配ハナイト言ヒ得ル点モアラウカト考ヘル、第一ニ楽観
 - 第22巻 p.906 -ページ画像 
説ヲ簡単ニ申サウナラバ、現ニ御互ニ昨年ノ初メ戦争ヲ開ク頃、若クハ国庫債券ヲ初メテ募集スルト云フ時ニ、吾々経済社会ノ力ガ如何ニ応ジ得ラレルカト云フ想像ハ、決シテ五回迄発行セラレタ国庫債券ガ斯ノ如クニ数倍ノ応募ヲ為シ、斯ノ如クニ都合好ク結了シテ、而シテ経済界ニ聊モ変調ハナカツタト云フコトハ人間トシテハ殆ント予期シナカツタノデアリマス、此席ニ列スル諸君ハ先ヅ世ノ中ニ於テ御互ニ幾ラカ先キニ目ノ見ヘル人ト申シテ宜カラウト思フガ、其善ク見ル諸君スラ必ズ大ニ意外ダツタト云ハレタニ相違ナイ、自分等ハ実ニ喫驚リ致シタ位デゴザイマス、サスレバ明治二十七・八年頃トハ日本ノ実力ハ大ニ増シテ居ルノデ其国富モ大ニ加ツテ居ルノダ、曾テ明治二十九年ニ東京商業会議所ガ極ク空想ニ我邦ノ富力ヲ考察スル為メ種々ナル調査委員ヲ立テヽ調ベマシタ時ニ、此数字ハ審ニ記憶致シマセヌケレドモ、何デモ百二・三十億ト見テ宜カラウト云フ説デアツタト覚ヘテ居ル、ソコデ其富力カラシテ他ノ国々ナドノ比例ニ依ツテ国費ヲ割リ出スト、ドウモ二億以内デナケレバ完全ダト言ヘヌ、然ルニ当時ノ歳出ハ大ニ二億ヲ超過スルユヘニ富ノ度合ニ対シテ支出ガ多ウ過ギルダカラシテ政府ハ大ニ之ニ鑑ミテ歳出ヲ減少セネバナラヌト云フ趣意ヲ論述シタコトヲ記憶シテ居リマス、蓋シ其百二・三十億以内ト言ツタノハ誠ニ空漠ナル調査デアリマシテ、勿論其当ヲ得ナカツタカモ知ラヌ、此程或ル雑誌ニ或ル人ノ説ヲ戴セテアリマシタガ、其国富ノ高ハ二百三十億ト云フ数字ガ書イテアツタ――是モ果シテドウデアルカ或ハ空想デ其数字ニ正確ナル根拠ハナカラウト思ヒマスガ、蓋シ百数十億ト云フモノガ二百数十億ト進歩シタカモ知レナイ、其二百三十億ト調査シタ人ノ説ニハ、我邦ノ国費ハ六億位マデノ支出ニハ国民ノ力ガ堪ヘ得ルト書イテアツタ、蓋シ是モ決シテ無責任ナル一個人ノ説デハナイヤウニ覚エテ居リマス、果シテ其説ガ楽観デアルカナイカハ分リマセヌガ、若シ左様ニマデ国ノ富力ガアルト想像シテモ大ナル過デナイト考ヘレバ、例ヘバ開戦以来ノ総計十六・七億ノ軍費ヲ三十年ニ償還ストスレバ、一年ニ一億万以上ノ高ニテ元利ヲ完済シ得ラレルト云フコトヲ大蔵省ノ人ノ説ニ聞イタヤウデアリマスケレドモ、縦シソレダケノモノヲ従来ノ国家ノ通常経費ニ加ヘルトシタ所ガ、マダマダ余程余力ヲ持ツテ居ル、軍備拡張ニモ応ジ得ラレル、実業発達ノ原資モ十分アルト言ヒ得ルコトモ決シテ出来ヌデハナカラウト思フノデアリマス、故ニ楽観的ニ物ヲ考ヘテ見マスルト、未来ノ財政経済何ノ憂フベキコトカハト、随分放言モ出来得ルヤウニ思フノデス、去ナガラ今日左様ナ気楽ナル考ヲ以テ将来ヲ処理スルト云フコトハ、蓋シ甚ダ危険デアラウト自分ハ思ヒマス、又之ヲ悲観シテ論ジマスルト云フト既ニ十六・七億ノ軍費ガアル、之ヲ完済スルマデニハ更ニ種々ノ増費ヲ要スルデアラウ、又海外ヨリ募集シタ公債ニ対シテモ年々一億ニ近キ正金ハ利息トシテモ出サネバナラヌノデアル、二度ノ戦時税デ一億五・六千万ノ増加ト云フモノハ、殆ド悪税ヲ以テ充サレテ居ル、為メニ一般ノ商工業ニハ余程変調ヲ来シテ居ル、況ンヤ当年ノ農業ト云フモノハ、実ニ不作デアル、彼是レ以テ未来ヲ考察シテ往クト如何ニシタラ宜カラウカ、年々輸入ガ超過スル、正金ハ出テ行ク、今日ハ外債
 - 第22巻 p.907 -ページ画像 
ニ依ツテ僅ニ之ヲ弥縫シテ居ルケレドモ、其弥縫ノ方法ガ尽キタナラバ終ニハ兌換制度デスラ危イトマデ考ヘネバナラヌ、而シテ一般ノ人気ハ兎角進ムニノミ鋭イ現象ガ多イ、今日ノ儘ニ放任シテ往ツタナラバ、国家ハ殆ド財政上ニ破滅セヌトハ言ハレヌト、斯ウ云フ議論モ随分言ヒ得ルト思フ、故ニ此ノ悲観楽観ハドチラカラ論ジテモ十分説ハアル、蓋シ事物ガ大キウゴザイマスカラ立テベキ論拠モ双方ニ十分アル、ケレドモ私共ノ考ヘマス所デハ、前ノ悲観ニ過ギルモ間違デアルト云フテ楽観ニ安ンズルハ尚宜シキヲ得ヌノデアル、之ヲ折衷シタ考案ヲ以テ将来ヲ処理スル外ナカラウカト思フノデゴザイマス、何レ此将来ヲ処理スルト云フニ付テハ、先ヅ第一ニ財政ニ対スル希望ヲ申サネバナラヌヤウニナリマセウ、蓋シ是ハ或ハ政治的考案ニ渉リマスカラ、私共実業家トシテ考ヘマスレバ、少シ軌道ヲ外レルヤウナ言論ナルカモ知レマセヌケレドモ、第一ニ此現在ノ戦費ニ対スル内外ノ公債ハ如何ニ処理シテ往ツタラ宜カラウカ、是モ希望ノ一ツトシテ玆ニ見込ヲ述ベテ見ザルヲ得ヌト思ヒマスガ、自分等ノ考ヘル所デハ到底整理ヲセネバナラヌデアラウガ、三十年ガ相当デアルカ、五十年ガ相当デアルカ、其年限ハ今俄ニ断案ハ出来マセヌケレドモ、思フニ急激ニ完済セヌデモ宜クハナイカ、縦シ之ヲ整理スルトシテモ、其向フノ年限ヲ二十年・二十五年ト云フガ如キ、短イ期間ニ目的ヲ立テズニ、モウ少シ長イ目的ヲ以テ整理スルト云フコトハ出来得ルデアラウト思フ然ル上カラニハ、此軍費ニ対スル国家ノ債務ヲ償還スルニ付テ、年々ニ国費ヲ大ニ徴収スルト云フコトニマデセヌデモ、長イ年限ヲ以テ之ヲ償却シテ往クト云フ方法ヲ講ズルナラバ、是カラ先キノ歳入ヲ其為メニ俄ニ大額ヲ増サネバナラヌト云フ程ニセヌ手段ガアルデハアルマイカ、又此軍備拡張ト云フ事ニ対シテガ大ナル問題ニナリハシマイカト思ヒマスノデゴザイマスガ、是等ニ就テハ私共ガ愚見ヲ述ベルト云フテモ、殆ド無経験ナ事柄デアル、無経験所デハナイ、全ク知ラヌ事柄デアル、去ナガラ之ヲ大体カラ申シテ見タナラバ、今般日露ノ戦争ニ対シテ最モ完全ナル功ヲ奏シタノハ軍事デアルト云フコトハ吾々満腹ノ意念ヲ以テ称揚スルガ、サレバト云ツテ、是カラ先キニ軍備サヘ拡張スレバ此日本ハ満足デアル、軍事ダケガ日本ノ精神デアルト云フヤウニナレバ、終ニハ大ニ国ヲ誤ルモノデアル、世界ハ何ント我邦ヲ見ルカトマデ論ジタクナル、果シテ然ラバ、如何程強イ力ガアツテモ此鋒先ヲ少シ納メルト云フ観念ヲ私ハ軍事界ノ人々ニ持ツテモライタイト思フデゴザイマス(拍手起ル)若シ左様ニ強力アル上ニ、尚虎ニ翼ヲ添エル如ク強クスルト云ツタラ、ソレコソ一方カラハ黄禍説ヲ蜂起セシムルト云フヤウニナリハセヌカトマデ杞憂スルノデゴザイマス此故ニ吾々ハ今日此軍備拡張ニ対スル費用ハ、余程精査シテ相当ナル節約ヲ加ヘシメルヤウニ、吾々ノ精神ト言論ヨリシテ其向キノ人ニ、成程尤ダト聞カセルダケノ事ハ蓋シ吾々ノ責任トシテ勉メネバナラヌトマデ信ズルノデゴザイマス、斯ウ考ヘテ見マシタナラバ、此軍備ニ対スル費用モ多少増サネバナリマスマイケレド、一時ニ増大ニセズニ大ニ節約シ得ル途ガアリマシヤウ、又仮令師団ヲ増シテモ、此師団ヲ増スニ付テモ相当ナル方法ヲ以テ其費用ヲ軽減シ、既ニ両三日前ノ或
 - 第22巻 p.908 -ページ画像 
ル新聞ニ散見スル二年兵役ト云フ論ナドハ果シテ行レルコトカ行ハレザルコトカ、私ハ玆ニ断言スル明識ヲ有チマセヌケレドモ、一方ニ増サネバナラヌト云フコトニ対シテ、一方ニハ節約ヲ加ヘルト云フ方法ガ講ジ得ラレヌモノデハナカラウト考ヘルノデアリマス、加之政府ニ対シテ此際ニ強ク希望シテ宜カラウト思フノハ、政費ノ節減デアラウト思ヒマス(拍手起ル)今迄政費節減、政費節減ト云フコトハ、殆ド口癖ニナツテ誰モ言ヒマスガ、其実行十分ニ見エヌヤウニ思フ、機会ガナケレバドウシテモ強イ改革ヲナシ得ラレヌハ是ハ人間ノ弱点、御互ヒ皆然リ、併シ斯カル場合ニハモウ必ズ廟堂ノ人モ十分ニ之ヲ観念シテ、果断ニ為シ得ラレル時ト思フカラ、今日政府ニ向ツテ大ニ節約ヲ加ヘロト云フコトハ、吾々カラ希望ヲ述ベルニ憚リガナカラウト思フ、否唯希望ヲ述ベルニ止メタクナイ、是非共実行ヲセシメタイト私ハ切望シテ止マナイノデゴザイマス(拍手起ル)斯ク一方ニ種々ナルモノニ節約ヲ加ヘ、又止メ得ラレルト思フ冗費ハ努メテ節約スルト云フ如ク致シテ往キマシタナラバ、蓋シ従前ノ歳出二億三・四千万ト云フ金額デ、将来ヲ維持スルト云フコトハ出来ルニ相違ナイケレドモ、曾テ明治二十八年カラ二十九年ニ掛テノ予算ガ八千万カラ一億九千万ニ進ンダ様ナル割合ニ増加セシメンデモ、国ノ経済ヲ維持スルト云フコトハ決シテ難イ事デハナカラウト思フノデゴザイマス、而シテ、ソレニ対スル費途ハドウ云フモノデ充テルカト云ツタラ、現在ノ戦時税ヲ其儘ニ用ヰルト云フコトハ、是亦出来ヌノデアリマセウ、是非其方法ヲ調査シテ之ヲ修正スト云フコトヲセネバナラヌト思フ、蓋シ是等ノ事ハ私ニハドウモ今玆ニ斯クシタラ宜カラウト云フ定説ハ申述ベ兼ネマスルデス、ガ何レ其財源ヲ見付ケネバナラヌ、デ詰リ之ヲ戦時税ニ似タヤウナモノニシテ往クカ何レニスルカト云フコトハ、併セテ攻究ヲ要シマスガ、何レニシテモ一ヲ二ニスルト云フ如ク費途ヲ加ヘマセヌマデモ、国家ヲ経営シテ往クニ足ルダケノコトデアラウト私ハ考ヘルノデゴザイマス、是ハ唯通常政治ニ対スル愚見ヲ申上ゲマシタノデスガ、更ニ国家ノ富ヲ増スト云フ方法ニ付テハ如何ニシタラ宜カラウカト、此考察モ付ケテ見ネバナラヌト思フノデゴザイマス、今日ノ如ク輸入ガ年々増加シテ来ルト云フコトハ、蓋シ内国ニ於テ流通貨幣ノ高ガ多クナレバ物価ガ上ル、又外国債ニ依ツテ為替デ物ヲ取寄セル為メニ却テ輸入ヲ奨励スルヤウニナルノミナラズ、戦時ニ於テハドウシテモ海外カラ買入レルモノガ甚ダ多イ、政府ニノミ多イノデハナイ其余響民間モ総テノ需用品ガ多イ、夫レ故ニ年々斯ノ如ク輸入超過、輸入超過ト云フ声バカリ聞キマス、実ニ止ムヲ得ヌコトデハアルケレドモ、是ハ御互ニ余程深ク考ヘテ、此部分ハ必ズ内国デ出来ル、此部分ハ輸入ヲ仰ガヌデモ往ケルト云フコトヲ、一般カラ能ク調査シ且ツ注意シテ輸入ノ減少ヲ努メネバ、終ニハ国ノ力ガ到頭外国ノ品物ヲ買フニ追倒サレテ仕舞フトマデ言ハネバナラヌヤウニ思ヒマス、サレバト云フテ、一切外国ノ品物ヲ買ハヌヤウニ、所謂首ヲ縊ツテ倹約ト心得ルガ如キ愚昧ナル政策ヲ執ラウト云フコトハ、決シテ出来マセヌ、ソレハモウ悲観ノ最上点ニナルノデスカラ、左様ナ愚説ハ私ハ望ミマセヌケレドモ、如何ニ進ンデ取ル考ヲ有ツテモ、斯様ニマデ輸入ヲ超
 - 第22巻 p.909 -ページ画像 
過セシメヌ工風ハ共ニ攻究シタイモノデアリマス、先ツ重ナル種類ニ就テ考ヘテ見タナラバ、例ヘバ鉄ハドウ云フ有様デアルカ、砂糖ハ如何デアル、油ハ如何デアルト、各種ノ商品ニ付イテ其因ツテ来ル所以ト費消シテ往ク有様トヲ善ク調査シテ、之ニ応ズル予防ノ出来ルモノハ努メテスルト云フコトハ、決シテ其ノ方法ノナイデハナカラウト思ヒマス、但シ其事柄ニ付テハ唯此民業ノミデ必ズ満足デナイ点モアリマセウ、故ニ夫等ノ廉ニ付イテハ政府ニ斯ウ云フ方法ヲ設ケナケレバナラヌ、斯カル制度モ必要デアルト云フコトモ、斯ウ云フ機会ニ十分調査シテ其意見ヲ述ベタイヤウニ自分ハ考ヘマス、同時ニ又反対ノ此輸出品ニ対スル事柄デアリマス、今迄此輸出ニ付テハ奨励モ致シ来ツテハ居リマスモノヽ、或ハマダ完全ナラヌト云フ嫌ヒガナイトハ申セヌカト思ヒマスノデゴザイマス、生糸一物ニ取ツテモ、二十年此方殆ド十層倍以上ニ進ンデ居リマスルヤウニ考ヘマス、随分盛ナリト言ツテ宜シイ、昨年ハ横浜ノ輸出ガ二十万梱ニ近イデス、明治十三年頃ニ調ベタ所デハ、僅ニ三万五・六千梱シカ輸出ガナカツタノデス、併シ此生糸ノ製造ニ付イテ、内ニ此生産力ヲ助ケル為メニ十分力ガ尽シテアルカト云フト、或ハ繭ノ運搬ノ費用ガ大変多イトカ、ソレニ対シテ鉄道ノ賃銀ノ割合ガ他ノ品物ヨリハ甚ダ高イトカ、種々ナル欠点ガアラウト私ハ思フノデゴザイマス、故ニ是等モ篤ト調査シテ、生産ノ増殖ヲ勉メテ往キマシタナラバ、年一年ニ超過スルコトハ、蓋シ難イ事ヂヤナイダラウト思ヒマス、又紡績糸及各種ノ木綿反物ガ幸ニ近頃支那・朝鮮ニ大ニ出テ往クヤウニナリマシタ、殊ニ織布ハ余程盛ンニ販路ハ開ケタヤウニハゴザイマスガ、朝鮮ニ於テハ殆ド日本ガ此貿易ノ主権ヲ持ツテ居ルト言ツテモ宜イデセウガ、支那ニ於テハ亜米利加ニ譲ルコト数等デアラウト私ハ思フ、其事業モ私ハ甚ダ素人デアリマシテ、細カニ調査モセズ、自身デ一反モ取扱ツタコトハゴザイマセヌケレドモ、段々聞ク所ニ依ルト、殆ド支那ニ於テハ亜米利加ガ十ヲ以テ数ヘラルレバ此方ハ五ニモ数ヘラレヌ、漸ク隷属シテ商売シテ居ルニ過ギヌヤウニ思ハレマス、是等ハ其当業者ガ、モウ少シ注意シテ支那ニ対シテ亜米利加ト相当ナル競争ヲシテ、益々販路ヲ拡メルト云フコトニ、是非セシメテ見タイヤウニ思フノデゴザイマス、右等ニ就テモ玆ニ戦後ノ経営トシテ私ガ特ニ希望シマスノハ鉄道ノ便利デアリマス幸ヒ韓国デハ京釜モ京義モ稍々連絡シ得ルヤウニ相成リマシタガ、アノ鉄道ヲシテ果シテ軍事必要ダケノ鉄道ニ終ラシムルナラバ、四・五千万円ノ金ヲ私共カラ言ヘバ殆ド朝鮮ノ地中ニ敷イテ、世界ニ唯我邦ノ武力ノ強サヲ衒フニ過ギヌ材料ニナリハセヌカ、若シ商売ニ必要トスルナラバ、今ノ設備デハ決シテ満足デナイト申サニヤナラヌデハアリマスマイカ、又此鉄道ヲシテ義州ニ止メタナラバ、如何ナル効能ヲ有スルカ、モウ一歩進ンデ東清鉄道ニ連絡セシムルニハ如何ナル方法ニ依ツタラ宜シイカ、地ノ利ヲ知ラヌカラ私ハ玆ニ明言ハ出来マセヌケレドモ、相当ナ連絡ヲサセルト云フコトハ必要デアル、アレマデニ致シタ鉄道ヲ若シ此儘置クナラバ、仏造ツテ目開カヌト云フコトヲ言ハナケレバナラヌト考ヘマス、而シテサウ云フヤウナ設備ガ完全シテ往キマセナンダラ、前ニ申ス商品ノ力モ随ツテ伸ビルコトハ出来ヌト
 - 第22巻 p.910 -ページ画像 
申サネバナラヌト思ヒマス、故ニ是等ノ事ハ此戦後ノ経営トシテ、或ハ満韓経営トシテ斯クアリタイ、斯ク進メタイト云フコトヲ本会議所ニ於テ考案ヲ尽サレ提出サレルノハ、甚ダ望マシイコトヽ考ヘマス、私ハ前ニ申述ベタ輸出品ノ奨励ニ付テ、併セテ玆ニ申上ゲタイノハ鉄道ニ関スル経営デス、是ハ独リ満韓ノ鉄道バカリデハアリマセヌ、内地ノ鉄道モ――一般デス、蓋シ此鉄道ト云フモノハ実ニ運輸交通ノ大動脈デアル、故ニ此事業ニ対シテハ国家ハ大ニ力ヲ尽シテ、既ニ各種ノ鉄道ニ対シテ相当ナル保護法ヲ以テ成立セシメテアル、然ルニ此鉄道ガ種々ナル商品ニ対シテノ力ノ用ヰ方ハ甚ダ薄イト思フ、或ハ自家ノ経営ニノミ注意シ自家ノ利益サヘ増セバ宜イト云フ営業ニ終ル嫌ヒガアリハ致シマセヌカ、若シ果シテ個人ノ自由営業即チ氷屋ガ店ヲ出シタトカ、汁粉屋ガ開店シタトカ云フノト同様ナモノナラバ、国家ガ左様ニ力ヲ入レル必要ハナイノデアル、若シ国家ガソレダケノ力ヲ入レル必要ガアルナラバ、或種類ニ対シテハ其鉄道自身ガ利益ヲ損セヌ限リハ、大ニ其品物ノ発達シ得ル度合ニ力ヲ添ヘテ、運輸交通ノ便ヲ計ラネバ、鉄道ヲシテ完全ニ国ノ富ヲ進メル機関タラシムルコトガ出来ヌトマデ言ヒタイノデアリマス、一言ニ申スト云フト、或種類ニ対シテノ運賃ハ、モウ一層大ニ引下ケベキタケノ義務ガアルノニ、鉄道デハ余計取ツタ方ガ都合ガ好イカラ、高イ賃銀ヲ収メテ居ルト云フ、右様ニ経過サレテ居リハセヌカト言ヒタイノデゴザイマス、右等方法ヲ攻究シテ、独リ商品其物ニノミ奨励ヲ与ルノデナク、之ニ関スルモノニ相当ナル力ヲ添ヘネバ、決シテ此輸出奨励ト云フコトモ完全ナル功ハ奏シ得ラレマスマイカラ、私ハ先ヅ鉄道ダケヲ論ジマシタケレドモ、他ニモサウ云フ例ガ大ニアリハセヌカト考ヘマスルデ、是非此輸出ヲシテ今一層進ミ得ルヤウニ致サネバ、国ノ富ヲ進メルト云フコトハ甚ダ難イデハナイカト思ヒマスノデゴザイマス、是等ノ事ハ即チ政治上ノ行為ト、御互ノ自力ヲ以テスル経営ト、此二ツガ相待ツテ宜シキヲ得ネバ、決シテ十分ナ功ハ奏シマセヌカラ、若シ此会議所聯合会トシテ御意見ヲ述ベルト云フトキニ際シテハ、先ヅ政府ノ職分ニ属スルコトヲ御申述ベニナルノデアラウト考ヘマスケレドモ、斯カル機会ニハ御互ニ申合セテ、政府部内ニ於テハ斯ク斯ク、吾々ノ本分ニ付テハ斯様斯様ト云フマデニ御攻究ヲナシ下サレタナラ、ソレコソ一般ノ商工業者ノ為メ此上モナク満足スル所デアラウト、私ハ希望致スノデゴザイマス、更ニ一方満・韓ニ対スル経営ニ付聊カ愚見ヲ申添ヘテ置キタイヤウニ考ヘマス、満・韓ト一口ニ申シマシテモ、私ハ支那地方ハ一向存ジマセヌ、為メニ此満洲ノ経営ニ付テハ、実ハ何等ノ愚見ヲ呈スルコトモ出来マセヌデゴザイマス、ガ前ニモ申シマシタ鉄道ノ十分ナル連絡ヲ取ルトカ、或ハ又海運ニ対シテモ現今ノ儘デハ往ケマスマイカラ更ニ相当ナル設備ヲ加ヘナケレバナラヌト云フコトハ殆ド明カナル事実デアラウカト思ハレマス、ガ何レノ場所ガ一番要所デ、ドウ云フ事業ニ力ヲ尽シテ宜カラウト云フコトハ、玆ニ明言スルコトガナシ得ラレマセヌ、前ニ申ス如ク地ノ利モ一向存ジマセヌ為メニ――唯従来ノ関係ヲ以テ、紡績糸又ハ織布ナドヲ彼ノ地ヘ売込ムコトニ於テハ、殆ド端緒ガ開ケテアル、モウ一歩進メバ決シテ他ノ国々ニ負ケ
 - 第22巻 p.911 -ページ画像 
ヌダケノ進ミヲナシ得ラレルト思ヒマスカラ、大ニ攻究シテ見タイモノデアル、其他絹織物ナドニ於テモ、随分販売ニ手ヲ着ケテアル、現ニ此御席ニ御列坐ノ方ニモ種々尽力ナサレテアルト私ハ御見受ケスルデゴザイマス、故ニ他ノ商売品モソレソレ其途ガ付キテ進ムヨウニアリタイト思ヒマスガ、唯大ニ力ヲ入レタイト云フ彼ノ鉄道ノ如キハ、一朝一夕ニナシ得ラレマイト思フノデアリマス、朝鮮ニ於ケル事業ニ付テハ私ハモウ、順序立ツテ居ルト云フテモ宜イト考ヘルノデゴザイマス、現ニ国家経済ノ根源タルベキ貨幣制度ガ極ク紊乱シ、補助貨幣ヲ濫発致シタ為メニ、価格モ定リナイ有様デアツタガ、幸ニ目賀田財政顧問ハ鋭意之ヲ改良スルコトニ力ヲ尽サレテ、自分ノ管理スル第一銀行ガ其命ヲ受ケテ、今頻ニ交換シツヽ居リマスルデゴザイマス、其事ハ先ヅ漸ク方付イタト申シテ宜シイ、此補助貨幣ノ事ガ整理スルト詰リ朝鮮ノ本位貨幣ハ全ク日本ト同一ニナリマスカラ、先ヅ貨幣ノ手続ハ済ンダト言ツテ宜シイノデゴザイマス、更ニ租税ノ改正ト云フヤウナコトモ致サネバナリマスマイ、其他種々ナル政治上ノ改良ヲ加ヘルコトモ多イデセウガ、第一ニ朝鮮ニ対シテ早ク根本ヲ堅メタイト思フノハ、其所有権ヲ安固ニシテヤルノデゴザイマス、尤モ彼ノ国民ハ多クハ貧窮ナ人デスカラ僅カシカ財産ガナイデセウガ、其財産ガ我物ト安ンジテ居ラレヌガアノ国ノ弊竇デアル、此弊竇ガ朝鮮ヲ益々貧困タラシムル原因デアラウト私ハ思フ、其昔シ私共ガ既ニ業ニ之ニ類セシ困難ニ遭ツタ人間デスカラ別シテ其感ガ深イ、多クハ御若イ方々デスカラ、サウ云フコトハ余リ御記憶ガナイデセウガ、王政復古セヌ前藩々ノ時分ニハ、御用金ト云フモノガ(サウ屡々デナカツタガ)アル頃デスカラ一般ノ民間ノ思入リガ所謂生ニ聊セズ業ニ安ンゼザル有様ハ余程アツタ、ソレデスカラ甚シキハ成丈己レノ富ヲ世間ニ押隠スヤウナ考ヲ有ツテ世ノ中ニ立ツタモノデアル、酷イ掠奪的タル用金デハナイガ、日本デスラソンナコトガアツタ、然ルニ朝鮮ニハ少シ金ガアルト取ツテ仕舞フヤウナ仕組ニナツテヰルモノデスカラ、殆ド富ト云フ観念ハ人ノ頭ニナイ、随ツテ勉強ト云フコトモ誰レニモアリハセヌノデアリマスカラ、ドウシテモ此所有ノ安固ヲ与ヘルコトヲヤラナケレバ、朝鮮ノ人気ヲ引立テルト云フコトハ出来マイト思ヒマス、幸ニ其弊ガ絶テバ朝鮮ノ目今ハ農業主義デ進ンデ行クコトハ出来得ルダラウ、極ク気候モ好シ、地味モ好シ、唯養蚕ナドガ甚ダ乏シイ国デ、出来ル地味、出来ル風土ヲ持チ居リナガラ実ニ幼稚ナモノデゴザイマス是等ハ繁殖セシムル手段ガ幾ラモアルト思ヒマス、殊ニ朝鮮ハ金産出ノ国デ石金・砂金共ニ各地ニ富デ居リマス、是等ニ対シテマダ日本カラソレ程手ガ付テハオリマセヌケレドモ、何レ鉱業条例モ近ク施行サレルト云フコトデス、幸ニ諸君ハ朝鮮ニ対シテ鉱山ニ御着目ナサルコトヲ私ハ御勧メ申上ゲタイ位ニ考ヘルノデゴザイマス、農業ニ付テハ追々ニ其土地ヲ購買スル人モアリ農業改良ニ手ヲ着ケタ人モゴザイマシテ、是モマダ緒ニ付イタト申サレマセヌケレドモ、数年ノ間ニ多少面目ヲ改ムルマデニ至ラウト思ハレマスノデゴザイマス、果シテ日本風ノ農業ガ数年間ニ行ハレテ往キマシタナラバ、其収獲ハ現在朝鮮ノヤツテ居ルヨリハ或ハ倍蓰スルト言ヒ得ルデゴザイマセウ、サレバ其
 - 第22巻 p.912 -ページ画像 
生産物ガ増ス……生産物ガ増スト費消力ガ殖エル、費消力ガ殖エルト日本ノ工業品ガ十分売レテ行ク、其有様ハ謂ハユル影ノ形ニ従フ如ク進ンデ行クニ相違ナイノデゴザイマスカラ、先ヅ彼ノ国ニ対シテノ事業ハ、未来沢山ノ金ヲ使フ程ノ資本モ要セズシテ、追々改良スル途ハ着々アラウト思ヒマス、去ナガラ前ニモ申ス如ク、鉄道ノ経営トカ、若クハ港湾ノ改良トカ、其他鉱山トカ云フ事業ハ独リ朝鮮ノミナラズ満州ニ対シテモ決シテ唯丹誠ノミデ功ヲ奏スルモノデハナイ、大ニ資本ヲ要スルモノデアル、併シ是モ相当ナ仕事デゴザイマシタラ、私ハ決シテ我ガ内国ノ資本バカリヲ以テ之ニ応ズルト云フ、狭イ考ヲ有タヌデモ、資本ハ世界共通ノモノデ、欧米ノ金ガ幾ラデモ吾々ノ手ニ支配サレテ相当ナル仕事ニ放資サレルコトハ、蓋シ難イ事デハナカラウト思ヒマス、此事ニ付イテ序ナガラ一言申上ゲナケレバナラヌノハ、丁度明治三十五年ニ私ハ久々デ海外ヲ漫遊致シタイト云フ企ヲ思ヒ立マシテ、折柄其春東京ニ商業会議所ノ聯合会ガ開カレマシテ、其聯合会ノ御決議デ、未来ノ商業ヲ是非欧羅巴・亜米利加ト一層密着セネバナラヌ、幸ニ東京商業会議所ノ会頭タル渋沢ガ海外ヲ旅行スルノデアルカラ、此漫遊ヲ機会トシテ日本ノ商工業者ノ意思ヲ欧米ノ商工業社会ニ十分疏通セシムルヤウニシタイト云フ御決議ガアツテ、其事ヲ私ヘ御付託ニナリマシテゴザイマス、私ハ謹ンデ委托ヲ受ケテ、其趣意ヲ精々海外ニ疏通シテ意思ノ貫通ニ努メテ見マスルト申上ゲテ出立致シタノデゴザイマシタ、而シテ日本ヲ立チマシタノハ其年ノ五月十五日デアツタガ神戸ニ帰着シタノハ其年ノ十月三十日デアリマシタ、先ヅ出掛ケニ亜米利加、夫レヨリ英吉利、独乙或ハ白耳義、或ハ仏蘭西此四・五ケ国ヘハ稍々其意思ヲ通徹致シマシタ積リデアツタ、但シ微力ナ私ガ殊ニ言語モ通ゼヌ短イ時間ノ経過デスカラ、其効能ハ甚ダ微微タルモノデアリマシタラウ、去ナガラ其後総テノ方面ノ進歩ガ実ニ意外ニ早カツタ為メニ、其時ノ希望ハ、私ノ力ノ甚ダ微々タルニ拘ハラス、諸君ノ希望ハ自然ト海外ニ通徹致シテ居ツタノト、其後ニ好イ機会ガ段々進ンデ来タノトデ、今日渋沢ノ手ニ依ツテ斯様ナ仕事ガ現ハレタトハ申上兼ネマスガ、蓋シ聯合会ノ希望ハ十分ニ通徹シテ、欧米ノ商工業者ノ日本ニ対スル安心ガ強マツタ、日本ニ対スル放資ノ観念ガ其時分カラ見ルト大ニ進ンデ来タト云フコトハ、事実ガ証明スルヤウニ相成ツタノデゴザイマス、私ハ当時帰国ノ際ニモ斯様々々ナ務メヲ致シマシタト云フ報告ハ致シ置キマシテ、何レ他日其効能ガアラウト考ヘマスト申シタガ、実ハ自分ノ予期ヨリハ早ク其効能ガ今日ニ見エタト申シテ宜シカラウト思イマスカラ、其機会ニ於テ諸君ニ申上ゲラレルノハ、誠ニ仕合デアルト思ヒマスノデゴザイマス、故ニ日本内地ノ仕事ニ対シ、若クハ満・韓ノ事業ニ対シ、相当ナル資金ヲ要スルトキハ、私ハ其資本ニ付イテサウマデ困ルト云フ言ヲ言ハヌデモ宜シカラウト思フノデゴザイマス、但シ其事柄ノ甚ダ着実デアル、又善良デアルト云フノ識別ハ、御互ニ攻究セネバナリマセヌノハ論ヲ俟タヌノデスガ、資本共通ノ出来得ヌ昔シトハ大分違フ場合ニナツタト云フコトハ、此戦後ノ経営ニ吾々ノ力ヲ強ウセシムルト云フコトヲ申上ゲルニ足ルト思フノデゴザイマス、之ヲ要スルニ、十年ノ昔シヲ顧ミ
 - 第22巻 p.913 -ページ画像 
マスルト前来陳述致シタ通リデアツタガ、十年ノ後ノ日本ハ開戦後一年半余ノ実際ニ於テ、我商工業界ノ力ノ大ニ進ンデ居ツタノガ吾々ノ予期ヨリモ大ナルモノデアツタト云フコトハ、諸君ノ目前ニ御覧ナサレタ所デアル、ソコデ第二ノ二十八年ヲ又繰リ返サナケレバナラヌ今日デスカラ、或ハ其後三十一年若クハ三十三年頃経済界ノ困難ニ付テ当時ノ政治上ノ所作ガ善クナイトカ、或ハ日本銀行ノ兌換券ノ増加ガ適当ナ所置デナカツタトカ云フ議論モアツタ、為メニ多少金融界ニ逼迫ト云フヤウナ有様モ見エマシタケレドモ、詰リ十年ノ間ヲ顧ミルト吾々ノ経済界ハ実ニ発達シテ、此日露ノ戦争ニ対シテハ吾々ノ予期以外ノ結果ガ現ハレタ、若シ幸ニ此順序ヲ以テ往クナラバ、而シテ此聯合会ノ十分ナル御調査デ、且ツ力アル御建議ニ依ツテ、政府モ亦之ヲ大ニ諒トシテ、其要旨ヲ採用セラレ、財政上ノ措置ヲ過チナカラシムルコトヲ得タナラバ、最前ノ十年ヨリモ爾後ノ十年ハ大ニ進ミ得ラレルト云フコトモ、今日ハ予言スルヲ憚ラヌコトト思ヒマス、果シテ然ラバ、前ニモ申ス通リ唯悲観ノミ考ヘテ、此世ノ中ヲ歎息ニ終ルト云フコトハ、吾々ノ採ラヌ所デアラウト思ヒマス、ケレドモ又楽観シテ唯勢ニ乗ズルト云フコトハ御互ニ最モ慎ムベキコトデアルカラ、要スルニ之ヲ折衷シタ思案ヲ以テ、宜シキヲ制スルヤウニアリタイト考ヘマスノデゴザイマス、誠ニ前後約リマセヌ、意見ヲ陳述致シテ清聴ヲ涜シマシタガ、勿論自分ガ熱心ニ我カ所見ヲ十分ニ申上ゲタイト思フノデアリマス
   (拍手起ル)