デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

9章 一般財政経済問題
2節 日露戦後経営
■綱文

第23巻 p.657-677(DK230067k) ページ画像

明治38年9月(1905年)

是月以降栄一、屡々日露戦争後ノ財政経済経営ニ関スル意見ヲ雑誌・新聞ニ発表スルト共ニ、商業会議所聯合会・竜門社等ニ於テ演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK230067k-0001)
第23巻 p.657 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
九月二十三日 晴 清暑
○上略 十一時井上伯ヲ内田山邸ニ訪ヒ、戦後経済ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
九月二十九日 曇 秋冷
○上略 十二時第一銀行ニ於テ午飧シ、食後新聞紙探訪者ノ訪問ニ接シテ日英同盟ニ関スル意見及戦後経営ニ付テノ意見ヲ述フ ○下略
   ○中略。
十二月二十八日 曇 寒
○上略
午前時事新報社員及銀行通信録記者ニ戦後経済ニ関スル意見ヲ演説ス ○下略
十二月二十九日 雪 寒甚シ
○上略 午飧後事務所ニ抵リ ○中略 畢テ中央新聞社員ニ戦後経営ノ意見ヲ述フ ○下略


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK230067k-0002)
第23巻 p.657 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
一月三日 快晴 風ナシ           起床六時三十分 就蓐十一時三十分
○上略
実業日本社員来ル、戦後経営談ヲ為ス、蓋シ雑誌ニ記載スル為メ増田氏ノ請ニ依ルナリ ○下略
   ○中略。
一月五日 曇 風ナシ            起床七時三十分 就蓐十一時三十分
○上略
午前都倉氏ヨリ送越セル戦後経営ニ関スル意見ノ筆記ヲ修正シテ、大磯ナル同氏ノ寓居ニ送致ス○下略


実業之日本 第八巻第一九号・第四―六頁 明治三八年九月一五日 戦後経営難きにあらず(渋沢栄一)(DK230067k-0003)
第23巻 p.657-659 ページ画像

実業之日本  第八巻第一九号・第四―六頁 明治三八年九月一五日
    戦後経営難きにあらず (渋沢栄一)
     恨事は則恨事也
今回の媾和成立に就ては、余程人心も激昂し攻撃非難の声も高きやうなり、談判の遣り方に於ては遜譲節度彼の如きまでならずとも宜かりしならん、外交の懸引今少しく巧妙にも遣られ得たるならんと思ふ、媾和全権の行為又は元老・閣員の態度は政治上より云へば勿論非難すべき点多からん、顧みれば一昨年の夏、日露の外交切迫し、正に破裂
 - 第23巻 p.658 -ページ画像 
せんとするの当時、余等実業家は当局者に向ひ戦争に至らざるやう口を極めて勧告したれども、朝鮮の主権は露国の為め妨害せられ、満洲の撤兵も実行するに至らざる形勢を見たれば、最早平生穏和を主義とせる余も、昔時の攘夷論を持出すの止むなき場合となり、九月頃と覚ゆ、銀行家の集会席上戦ひの避くべからざる所以を述べたりしが、当時の余の意見は朝鮮の優占権を得て満洲より露兵の撤退をなさしめんと欲するに過ぎずして、全く国家自衛の念より出で、決して国家の領土を拡め償金を得んと欲したる所以にてはあらざりき。是れ則ち予一人の意見のみにてはなかりしならん、然るに今や此目的は滞りなく貫徹し、朝鮮の宗主権を収め、又満洲撤兵・門戸開放も決定せられ、東清鉄道を不十分ながら割取し、租借地を承継し、沿海洲の漁業権も獲取し得たれば、開戦の主旨は正に確実に達し得たりと謂ふも不可なからんか。去りとて連戦連勝の結果、我国民の希望は増大し、又長期の戦争に亘りたる事とて国家の事情は今玆に成立せる媾和条件にて満足して可なるや、其条件は果して国民の希望に副ふべきやは一の疑問ならん、或は小村全権が「否」の一字で遣り通し、袂を払つて去ることは為すに為し得られざるに非ざりしやも知るべからず、然る場合には縁日の植木屋と一般、後から声掛け袖引き留め来るやうの事なしとも限られず、只だ幾重にも遺憾なるは樺太を折半して漸く其一を得たる一事なり、這は何とか今少く色を附けられたらんに五十度以南を得て承諾せし事は千秋の恨事なり。之を概括して云へば今回の媾和は戦争の主眼目的は達し得たれども、其遣方は決して成功したるものとは云ふべからず。彼の御用新聞が、光栄と伴ひ利益と伴ふ平和を得たり。是れ戦功の結果なり、祝すべく慶すべく大成功をなせり、国民は小村高平両全権に感謝すべしと謳歌する声に対しては、只々一言「馬鹿云へ」と言ひたからずや。
     戦後の発展難きにあらず
併し此際実業家としては、余りに誹謗を極め国家が直に滅亡せしが如く国民に思はしむるは国内一般の人気を害する耳ならず、延ては外国に対しても却て国家の威信を失ふなきかを恐る、願くは此際大に注意して国家を誤るなからんやう致したきものなり、且条件は不満足なるも、左して失望し、歎声を洩らすべきにあらず、成程一般の人気悪しく、公債の応募額も減少し、事業も突飛の勃興を見ず、金融も多少引締り、全体の購買力も過大の進捗を見るなく、概して沈み勝ちとなるべけんも、之が為め決して我国家の実力の減ずるを見ることあらざるべく、今後相応に事業も振興すべし。金融も昨今当座預金の引出多く日本銀行を始め一般に貸し渋り、稍々逼迫の姿あるも、必らずしも失望すべからず、近時大に外国資本の注入せらるゝの気運に達し、鉱山鉄道に対しては外国人の資本を投ずるもの続々として現はれ、国内の購買力減ずる事ありとも外国よりの注文品は既に今日に於ても増加し且将来にも増加の傾向あり。此際我国民が同心協力して国力の涵養に務めば、外債を償却し戦勝後の発展をなすこと難事と云ふべからず。
     如何にして戦後の富強を図るべき乎
今日国民の考ふべきは、媾和の不成功に歎声を発せんよりも、今後如
 - 第23巻 p.659 -ページ画像 
何にして国を富ますべきかを考慮するを肝要なりとす。況んや朝鮮は我勢力圏内に帰したれば、同国の利源を開発し、例へば鉄道の如きも京釜鉄道事業を拡張して、京義鉄道と合し、又た鉱山令も布かれんとする際なれば、鉱山採掘にも着手し、銀行も奨励して設立せしめ、又満洲に対しても昨今工芸品の輸出盛んなれば、之を伸張して、綿布其他を売込み、鉱山を開掘し、沿海の航業をも拡張すべし、尤も不満足なる媾和の為め一般に予期したる如く新設事業の勃興を見ること無かるべきも、此れ却て国として利益あるやも知るべからず。寧ろ手控勝ち引締め勝ちにして日清戦役後の廿九・卅年頃の大失敗を重ねざる様務めたきものなり。今日は我国民は人道のため暫らく不満足を忍び、償金も許してやり、樺太も半分割譲してやりたりと、寛大の態度を示し、挙国一致して国力の涵養に一意専心せんこと肝要なるべし。


時事新報 第七八七三号 明治三八年九月二二日 戦後の経済界(上)(渋沢栄一氏談)(DK230067k-0004)
第23巻 p.659-660 ページ画像

時事新報  第七八七三号 明治三八年九月二二日
    戦後の経済界(上) (渋沢栄一氏談)
戦後の反動 色々考へて見ましたけれども、好い思案とてはありません、併し此戦後の経営に就て第一に心配に思はるゝのは、どうしても原動が大きければ反動も強いと云ふことは理勢免れぬ事であります、明治二十七・八年の日清戦争の跡に徴しても明白な次第で、彼の時の原動は今日程大きくなかツたけれども尚いろいろな面倒を惹起した、夫れに比較すれば殆ど何十倍と云ふ此大戦争、戦後と云はず現に此経済界に種々なる変調を起して居るが、戦ひの熄むと同時に生じ来るべき経済界の有様はどうであらうかと云ふことは甚だ想像に苦まざるを得ぬ
最も懸念すべき点 一般の人気は償金を取り得なんだ、講和条件は甚だ帝国の為めに屈辱的の講和であると云うて悲観の極、興奮的態度に出づると云ふ位までに行走ツて居るやうですけれども、自身等は勿論満足の講和条件とは思はぬが、併し償金が取れぬから今後の経済界が甚だ困難に陥いるであらうと云ふ議論はしたくない、又左様な念慮も持ちたくない、何故なれば、固より償金を取りたい為めに戦争をしたのではない、開戦の当初に方り彼をして城下の盟を為さしむる迄に圧迫を加ふるは容易な事ではあるまい、或は遂に満足に戦費を回収することが出来ずに終りはせぬかと云ふ虞を懐いた位ですから、償金が取れぬからと云うて今更ら将来の経済界を悲観する程の事もないけれども、併し戦争の為めに変調を来たしたる此経済界を如何にして工合好く恢復して行くかと云ふことは、此経済界に取りて最も懸念の点であらうと思ふ
軍事的変調の調和 第一に此軍事的活動に伴うて種々なる方面に種々なる事業が勃興されて居る、例へば砲兵工廠の如き、火薬製造の如き軍事に直接の関係ある事業は勿論、其他紡績事業なり、或は製麻事業なり、数へ来れば斯の如き種類の商工業で軍事的活動の為めに予想以外の繁昌を現はしたものは幾らもあるだらうと思ふ、此等の諸事業は戦争の終局と共に俄に変化を惹起して或は不要の労働者を生じ、事業其物も戦時の盛況を持続する能はずして大いに沈衰の状態に陥いりは
 - 第23巻 p.660 -ページ画像 
せぬか、或は紡績事業の如きは一方に海外輸出を進めて行くことが出来るか知らんけれども、戦時の盛況を持続し得るや否やは甚だ懸念に堪へぬ、一方から考へれば戦時自然に拡張されたものは戦後経営の一として其力を他の方面に用ひて急激の変化を避くるやうな策を講ずるは刻下の急務であるですけれども、其力を使用し運転する資本は何処に之を求むるかと一歩を進めて考ふれば、戦後多費の経済界に取りては容易な事ではなからうと思ふ、彼を思ひ此を想へば、サア戦争が済んだ、平和が克復した、是から事業を起す時機だと云ふてムヤミに煽てる所ではない、成べく突飛の猛進を戒めて行きたいと云ふ感念を起さゞるを得ぬ、何人も仕事を慎ませたいと云ふ観念を有すると同時に相当の仕事を見付けて戦時同様の景気を継続させたいと思はぬ者はあるまいけれども、此両者は並行し兼ねる事ですから、執れドチラかに傾かざるを得んと云ふ成行になりはせぬかと甚だ懸念せざるを得ぬ、マア私共には極く大きい財政・経済を引括りたる意見はチヨツと匆卒に立て兼ねますから、先づ自身等が関係ある此普通の営業上に就て意見を云ふ外はない
内債よりは外債 併し戦時財政の結了を告ぐる迄には尚ほ相当の国債は発行しなければなりますまい、或は内国債を起すが宜いか外債を募るが宜いかと云ふ考を附けねばならぬ必要を生ずるでせう、今日の場合で内国債に拠るとすれば必ず少なくも第四回・第五回の国債条件と同じにするか、若くは更に其割合例へば利率を増すとか発行価格を減ずるとかしなければ、オイソレと応じないだらうと思ふ、最も第四回五回の国庫債券は一億三千万円余外国人の手に移つて居ると云ひますから、政府が四回・五回若くは其以上の条件で発行したならば外国に売れもしませうけれども、斯くては其実内国人が仲次をするに過ぎぬ結果になりはせぬか、其結果から見れば直接に外国債を募るよりか条件を悪くしたと云ふ丈けで、国庫の側から見れば条件を悪くした丈け損をする訳です、故に自分等は、此場合国債募集の必要ありとすれば之を内債に求めず外債に拠る方が利益ではないかと思ふ


時事新報 第七八七五号 明治三八年九月二四日 戦後の経済界(下)(渋沢栄一氏談)(DK230067k-0005)
第23巻 p.660-662 ページ画像

時事新報 第七八七五号 明治三八年九月二四日
    戦後の経済界(下) (渋沢栄一氏談)
在外資金の始末 国債は外債に拠るとして、玆に一ツ気遣はしいのは今海外に在る所の金は三回・四回を合せて殆ど四億円余あるでせう、第四回の三千万磅には少しも手を着けぬ許りでない、まだ三回の分も幾分か残つて居るでせう、然るに更に是れから先の戦後経営に就ての資金も共に外債に拠るとすれば、今年なり来年なり一・二年の間は始終輸入品に対する代金の仕払は為替に由らず海外に在る金で補ふやうになるから、悪く云ふと輸入を奨励するやうな関係を生じ輸入を便利ならしむる結果を生じはせぬか、すると輸入の増加するに従ひ漸く通貨を減ずると同時に物価の下落を来たし、形勢玆に一転して、外国の品が這入ツて来んと云ふ原則がです、今言ふやうな訳であると云ふと其原則が当て箝らぬやうになる、併し是れも仕方がない訳で、若し其海外に在る金を持つて来て自ら兌換券を増発するやうになれば経済界
 - 第23巻 p.661 -ページ画像 
は益々悪くなる許りですから、止むを得ず今言ふやうな繰合をして行くより仕方がない、左すれば海外の金は持つて来て悪るし、置いて悪るし、如何にせば可なりやと云ふに、斯くすれば宜いと断言は出来ぬ只之に対して政府なり日本銀行なり又我々関係者が注意に注意を加へ弊害を少なからしむる事を努むる外はない
事業経営の便 只戦後仕事をするに就て心強く思ふのは、所謂内外経済共通の意味が余程強くなツて来た一事であるです、既に炭礦・鉄道の如きは外資借入の相談熟し、又左様に話は進んでは居ませんけれども現に九州鉄道なり山陽鉄道なり、是から先の事業を起す為に相当の条件で外資を入れやうと思へば左迄苦まずに借入れ得る丈けの途は開けてある、其他北海道の或石炭事業を営む人が外国人と相談して資本を入れると云ふ計画をして居ると云ふ話を聞きました、果して其事が成功するかドウか解らぬが、是れも決して架空の話ではないやうに見える、啻に社会に充分の信用ある者のみならず、左迄でない者にも今申すやうな話が彼処にも此処にも生じて来ると云ふのは、経済上の共通を謀る上に於て誠に頼もしき現象で、是れと云ふのも必畢我海陸軍の連戦連捷の賜ものであると云ツて宜からうと思ふ、但し経済共通の途が開けたからと云つて若し其資金を誤つて入れ若くは甚だしき悪い条件で入れるやうな事であると却て国家経済を害するやうになるから此等も財政上の金融と同様に微細の注意を払はにやならぬと思ふ
日清戦後の経過 之を要するに、是から先の成行はドウかと云ふと、私は右様な変調に出遇つた跡始末であるから必らず困難が起るであらう、事に依つたら工業者若くは商売人に破綻を生ずる者もあらうし、金融も逼迫するでせう、明治廿七・八年役の後はドウかと云ふと、三十年頃より金融漸く逼迫して三十一年には情けない有様になつた、二年には多少緩みましたが折柄兌換券の膨脹が又一種の原因を成して、復た三十三年には金融が酷く詰つて来たやうに記憶して居ります、彼の時の一上一下の有様を今玆に悉く繰返して数へ上げる程記憶して居りませんけれども、概略今のやうな有様であつたです、或は其困難の間には余程の遣損ひもあつたらうし、手違ひもあつたらうけれども、併し差引いて末はドウかと云ふと、国の力は若しアヽ云ふことがなかりせば順に行つたかドウかと云へば、困難は困難であつたが各種の事物の発達は之を十年前に比較すれば著しき進歩で、寧ろ其困難が大に助けたと云つて宜い、即ち戦争の与へたる影響は種々なる弊害を現はしたけれども、社会百般の事物を著しく発達せしめたと云ふことは事実である、或は其中には償金を取つたから夫等が助けを与へたと評論する人もありませう、勿論私も三億以上の償金が日本の富に与かり関せぬとは云はぬ、けれども其金額丈けでは日清戦後の発達を説き明かすに足らぬと思ふ、今度の戦役はソレに数倍した戦役であると同時に其影響も亦大きいに違ひないが、併し今後十年の星霜を幸にエライ蹉跌なく経過し行くことが出来たならば、三十七年に二十七年を顧みる如く四十八年乃至五十年に今日を回顧したならば、戦後の困難は非常であつたが日本の富は是程に増した、貿易高は二倍に進んだとか、鉄道は倍に延びたとか、将に謡ふことが出来ぬことはなからうと思ふ、
 - 第23巻 p.662 -ページ画像 
故に我々は戦後の困難は何処までも覚悟せねばならんけれども、只其困難のみを数へて悲観するやうな心持は持ちたくない、飽迄も此困難の瀬戸を切抜けて、彼岸に達する途を講ずるは刻下の急務と心得て居ります
朝鮮の富源開発 も一ツ附け加へてお話したいのは、内地に於ての仕事のみならず海外に対する経営も忽せにしてはならぬ、目下朝鮮の仕事は鉄道と銀行と海運であるが、是から先き彼の国の鉱山には望みがありはせぬか、自分等の力では及ばぬが日本人はモウ少し力を入れて朝鮮の富源を開発したら宜からうと望んで居るです、併し彼処に向つてゞす、今後鉱業はドウするとか其他の製作物に就てドウすると云ふことは私共には目前考が附かぬ、只農事改良は是非日本人の手で遣りたいと思ふ、鉱山も亦然り、朝鮮人に任して置くより日本人が一個人なり会社なり見込が附いたら大方針を立てゝ、出来得べくんば成べく一主権の下に集めたいけれども、若しソウ行かずば出来得る丈け互に聯絡を通じて遣つて見たいと思ふ、私も韓国興業会社と云ふものを起して居るけれども、農業の事はなかなか一年や二年では一向効能を見ることが出来ませぬ、且つ仕事も小さいから何等の効能も見えまいと思ふけれども、無きに優ると思ツて遣りつゝあるのです、次に
満洲経営 ですが是れはドウ云ふことが宜いか、余程仕事も大きくなり事柄も面倒だらうと思ふ、但し私はマダ一度も支那地方の実地を踏んだ事もなし、之に対し漠然たる意見を云ふのも余り軽卒の嫌ひがありますで、手を着けにやアならぬとは無論思慮して居りますけれども斯る仕事が望みがあるだらうと云ふ断案は下せない、其中幸に身体でもよく、当年若くは来春行つて見たら、好い思案が付かぬ迄も或は意見を云へるかも知れぬ、遺憾ながら此問題は他日に譲る外はありませぬ、最後に
経営の一 として望んで置きたいのは我経済界の仕組を成べく大きく仕向けると云ふ一事です、紡績会社も出来る限りは合同し、銀行にまれ他の商売会社にまれ工業会社にまれ、成るべく利害を一にし歴史を同うするものは徐々に纏めて大きくすると云ふ仕組は、最も今日に心掛けなくてはならぬ必要の事だらうと思ふ、但し各々組立が違ふから突当つて見ると利害の関係からソウ容易く行かぬ、私も二・三の事に就て其計画をして或は旨く行ツたのもあり遣り損うて無効に終ツたのもありますが、是れは私許りでなく戦後経営に志ある人は是非此経済機関を大きくすると云ふことに一臂の力を添へて貰ひたいと思ふ


竜門雑誌 第二一二号・第一―六頁 明治三九年一月 ○青淵先生の戦後経営及成功談(DK230067k-0006)
第23巻 p.662-666 ページ画像

竜門雑誌  第二一二号・第一―六頁 明治三九年一月
    ○青淵先生の戦後経営及成功談
 本編は昨三十八年十一月五日本社秋期総集会に於ける青淵先生の演説筆記なり
昨日来の雨天が如何と思ひましたら、幸に好天気を得て此の秋期の総会を賑かに開かれましたのは、御一同と共に喜ばしき次第でございます、唯今森山君からして旅順及び日本海の海戦を詳密に御話を戴きまして、御同様平日至て内輪の働きを致して居ります者が今日は俄かに
 - 第23巻 p.663 -ページ画像 
勇壮な活溌な観念を惹起す様になりました、同君の御話は而も実地に身其事を踏みましてのでございますから、吾々新聞の号外に見ましたとは違ひ、殊に感情を強う致しまして誠に感謝に堪へぬのでございます、実に殆んど二年に近い此の大戦争が、海陸の諸将校及び下士卒に至るまで、勇武絶倫なる力を以て着々勝を占めました為めに、満足なる平和の克復を見ましたのは国家の幸慶此の上もございませぬ、畢竟斯る結果を得ましたのも即ち海に陸に強い力を以て謂ゆる世界の舞台に古今未曾有の大勝利を博した故であると考へますと、吾々国民は此の諸将校及び総ての軍人に対して厚く感謝を致さねばならぬことと思います、宜なり頃日来の満都挙つて海軍の凱旋に対する歓迎、さもあるべきことと存じます次第でございます、斯の如く御目出度い平和を見ました暁に、此処に御集りの竜門社の諸君は是れから謂ゆる平和の戦争に従事すべき職分であるから、斯様に平和は克復したが此の後の実業界の進歩は左までゞないと申されたならば殆んど始めあつて終ないやうなことになりはせぬかと考へますると、海陸の武勲の大なるに対して吾々の責任が更に重くなつたやうな観念が起ります、偖戦後の経営が肝要だといふことは誰も申しますが、之れを如何にして宜しいかと云ふことは甚だ論断はし難いと思ひます、元来此の戦後の経営といふ言葉に就て論じて見ると、何も戦後だから特に此の経営を如何にしたら宜からうといふ疑はない筈で、平時でも戦争中でもいつでも世の中の進歩、実業の発達には同じ道行を以て努めなければならぬが、殊に戦後の経営を如何にしたら宜からうかと云ふ問題の生ずるは、宜しく是は謂れあることと考へねばならぬのであります、なぜ戦後の経営に左様な考をせねばならぬのであるか、もし戦後の経営は如何にしたら宜からうかといふならば、同しく平時の経営は如何にしたら宜からうか又戦争中の経営は如何にしたら宜からうか、皆な斉しく研究を要すべきであるのに、特に戦後の経営のみ如何にしたら宜からうかといふ考の生ずることは如何なる理由であるか、是は一つ考究する必要がありはしまいかと思ふのです、勿論世の進歩を謀り実業の発達を努むるといふことはいつでも同じことである、平日でも戦争中でも決して其間に昼寝をして居つてはいかぬ、ボンヤリして居つてはならぬといふことは論を待たぬのであるが、兎に角に戦後の経営を如何にしたら宜からうといふは是は特に考究する必要があると私は思ふのです、私の按ずる所によると、取も直さず人の身体に二十五歳が厄年であるとか四十二歳が厄年であるとか云ふことがあるが、丁度さういふ場合に適当したものと考へて宜しい、仮に明治二十七・八年の戦争の有様を考へて見ましても、日本といふ一の健全なる体格が而も順当に発達して大に面目を改むへき場合であつた、即ち人の二十四・五歳の成人になりかゝつて来た時といふて宜しい、斯る場合には必ず身体に変更を来して是までよりは大に食量も進んで来るとか、或は気力も壮んになるとかさういふやうな次第で種々の変化を生する故に、是から先の身体は如何に経営したら宜からうか、養生なり摂生なり種々なる点に一層の注意をせねばならぬ、戦後経営といふのは即ちさういふ時代である、平日は先づ同じ有様に経過して行くものですから、特に其経営
 - 第23巻 p.664 -ページ画像 
を別段に工夫せねばならぬといふことはなく、唯相当に勉強さへして行けば宜いけれども、前に申すやうな変化の時に際しては公私の位置ともに相違を生じて来る、世の中に対する面目も変つて来る、即ち吾吾の気位も異なつて来るやうになる、此に於て戦後経営甚だ必要であるといふことが生ずるのである、殊に吾々商工業者は政治界のことには関係せぬで宜しいと自分は平素主張して居るものであるが、戦後経営に対してはドウしても財政と経済を共に考究して、其宜しきを得るといふやうにならなければ将来の国家に甚だ恐るべきことがありはせぬかと自分は思ふのであります、平時其権衡を保つて居る間に於ては唯その事に勤めて居れば宜しいけれども、変化を来す場合は特に注意を要するのである、即ち取も直さず二十七年の日清戦役以後は国家の財政はドウなつたか、九千万の歳出入が俄に二億万以上に相成つたといふ程の大変革を来した、然らば三十七・八年戦後も矢張之に類する程の歳出入を進める場合になるのであらう、此に於て政府の財政と一般の経済が能く権衡を得ませぬと、即ち戦後の養生に大層良い食料は得たが為めに食傷をしたとか又は摂生を誤つて大に身体に欠点を惹起したといふやうなことがないとは申されぬと深く恐れますのでございます、強大なる武力を以て国家をして斯の如き優勢の位置に進めた海陸軍の威力は誠に喜ばしい次第であるが、丁度今森山君の最後に述べられた如くに、畢竟左様に軍人が外へ出て働き得られたのも軍人ばかりが戦争に勝つたのではないぞよ、内に居つて鍬柄を握つて居つた者も能く戦争の性質を弁へて、後援を与へたから戦争に勝つたのであるぞよと言れましたが、誠に至当の御言葉にて自分等も常に其事を企望して居ります、吾々たとひ内に居つて算盤を弾いて居つても矢張砲弾の中に居つて働くものと考へ、鍬柄を握つて居つても共に戦争をする者と思ふて下さるといふやうに、謂ゆる相待て国が進んで行きたいものと思ふのでございます、故に此の平和克復後の経営に対して吾々共の希望する所は、国家の財政に偏重偏軽のないやうに致したいと思ふ即ち此軍事又は総ての政治に対して力を張ると同様に、国家の血液を増す所の実力の発達に対して大に闕如して居るものを補ふといふことがございませぬと、或は恐る此の戦後の経営に就て車を片廻りさせるやうになつて、表は大層立派になつたが内の力は大に衰へたといふやうなことが出来はせぬか、是は尤も懸念する所でございます、自己の力の足らぬ故に唯商工業へ余分の力を与へて欲しいといふ嘆声を発することとばかり御聴なしなされぬ様に望みます、如何にも軍人の働きは顕はれたが実業家の力は伸びぬ、若し一歩進めて言つたならば政治界と雖も軍人に対しては後へに瞠若たらざるを得ぬかも知れませぬ、実に我国の陸に海に軍事の発達といふものゝ甚だ盛大なるのは此の上もない喜ばしいことであるが、さて其の喜びが唯軍事の発達する為めに軍事に力を集め軍人の勢ひが強い為めに軍備にのみ全を見るといふ様になつたならば、之を人体に譬ふれば益々頭部が強壮になつて手足は愈々衰頽し、甚だしきは此の日本をして福助のやうな体格にせしむるといふ虞がありはせぬかと私は杞憂に堪えぬのでございます、故に此の戦後の経営に対しては前にも申す通り人ならば其身体の変更を来
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す時、即ち日本といふ国体に大に変更を来す時である、其昔し開港の頃には半開国とも言はれたらう、数年前までも未だ決して一等国といふ位置を許されなかつたのが、殆んど其の場合に至るといふ今日でございますれば、切に此の将来の財政経済に就て十分の注意を以て、国力の配合が彼れに厚くして此に薄いといふことのないやうに只管希望して止まぬのでございます、果して其の正鵠を得ましたならば実に此の軍事の大成功が、引続いて吾々実業界にも将来に成功を見るやうに至らしむることであらうと思ふのでございます
続いて此の成功といふことに就いて一言を試みます、近頃能く新聞・雑誌其他に成功した成功せぬといふ事が見えますが、此の成功といふ文字は如何なる意味を寓するか、又此の成功といふものは如何なる事柄を指すか、即ち何を成功といひ何を不成功といふか、一の断案を下して見たいと思ふのでございます、詰り如何なる是れ之を成功といふべきかと云ふ問題です、成功といふ文字は吾々が日々に用ゆる解釈に依ると、殆んど事が成就して利益が多ければ成功だといふやうに聞える、而して其文字は色々のことに使用される、例へば今日の竜門社の会でも天気が好くて、幸に森山君も御出になり、風も吹かない、皆さんも大勢来た、アヽ成功だと、斯う言へば成功といふ字が極く易くなる、併し又或る場合には成功に恐ろしい難儀のことがある、例へば赤穂義士の四十七人が讐を取つて腹を切つてしまつた、あれは決して失敗とは言へぬでせう、成功と言はなければなりますまい、如何となれば二百年後まで人口に膾炙して、実に忠臣であつた孝子であつたと言はれるのである、故に大石内蔵之助は成功者である、併し其の人は如何であるか、此の位難儀の事はない、誰もちよつと指を傷めてさへ痛苦に思ふのを、腹を切るのですから、而も父子兄弟屍を並べて死んでしまつた、けれども是は成功だ、得たことのない成功である、失敗の成功……失敗の成功といふ言葉はおかしいが……もう一つ近い例をいふと楠正成が湊川で討死したのは失敗であるか、足利尊氏が十三代の覇権を握つたのが成功であるか、是も一の問題であらうと思ふ、蓋し成功といふ文字の解釈に依つては足利尊氏も成功と言へるだらうが、或る点から言ふたら楠正成が寧ろ成功だと言へるだらう、如何となれば爾来四・五百年の間の天下の人心挙つて楠正成に向つて尊氏に背くといふことから論じたならば楠は成功して尊氏は失敗したといふても宜いやうになる、吾々の此の実業界に於てもさういふ場合が大にあると考へねばならぬのです、例へば道理に依つて破れることは破れても失敗ではないのだ、道理に依らずに富んだのは、富んでも成功ではないのだと私は先づ考へねばなるまいと思ふ、若し之をして唯成功といふものが富を成したに就てのみあるものだとなつたならば、遂には盗賊熊坂長範も尚ほ成功と之を強弁せねばならぬやうになる、斯く申すと或は不幸に終つた人の申訳の言葉に都合が好くなるやうになるが、平常怠つたり又は挙措を誤つて不幸の境遇に陥つて己れは成功したと皆さんに自慢せいといふ訳ではないから其の誤解は皆さんに御注意を願いたい、故に此の成功といふ文字は甚だ解釈に苦しむ、詰り之を断案して申すならば、道理に依つて行へば即ち其の行つたことが仮令破
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れても成功だ、もし戦争ならば敗れても亦成功だ、楠正成が湊川に於て今日の場合己れが死なねば南朝の天子を保護することは出来ぬ、尊王の気風を維持することは出来ぬと覚悟して、謂ゆる見切つて其節に死んだのであらうと思ふのです、若し兵力が強かつたなら必ず勝つたでありませうけれども、如何せん兵力が少い、併し其場合に節に死ななんだならば、益々後醍醐帝をして安んじ奉ることが出来ないと覚悟したから、遂に一身を犠牲にしたのである、其の事の成る成らぬをば第二に置いて、臣たるの職を尽したのである、其の至誠を尽して謂ゆる仁を求めて仁を得たのである、恰も孔子が伯夷叔斉の問に対して曰「古之賢人也曰怨乎孔子曰求仁得仁又何怨」といふやうな境遇に終つたのであらうと思ふ、果して然らば其も成功といふて宜しいと思います、故に此の成功といふ文字に対しては、余程解釈を詳しく致さぬといふと大なる誤解を生ずる様になる、甚しきは唯一時の利益を得たいばかりを成功とするのは、即ち成功を解釈することの不成功になりはせぬかと私は恐るゝのでございます、而して此成功に於て何処から見ても議論のない、誰が論じて非難のなかつた成功といふものが今日一つある、それは何かといふと今般の海軍の戦争の結果です、実に戦へば必ず勝ち攻むれば必ず取り、而して其精神が如何にも誠実で、其注意が如何にも周到で、其の行為が如何にも巧妙で、楠正成の成功は不幸なる成功であるが、大幸福なる成功は今度の海軍海戦と申して宜からうと私は思ふのでございます、成功の字義の考究は向後尚ほ諸君と共に致して置きたいと思ひますから、諸君も此の字義に就ての考究をなすつて、私の此の企望を成功せしむるやうにありたいと思ふのでございます(拍手喝采)


実業之日本 第九巻第二号・第一三―二一頁 明治三九年一月一五日 今後の財政経済策(男爵渋沢栄一)(DK230067k-0007)
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実業之日本  第九巻第二号・第一三―二一頁 明治三九年一月一五日
    今後の財政経済策 (男爵 渋沢栄一)
     光栄と憂慮ある三十九年
烏兎匆々、吾人爰に光栄ある明治三十九年を迎ふ。回顧すれば一昨年の新年は日露の関係切迫し密雲惨憺東洋の天を蔽ひしが、二月には終に開戦となり、爾来海陸共に連戦連勝、二ケ年の久しきに弥り、国威の宣揚・国力の発展を以て平和を克復するを得たり。ポーツマウスの談判は多少国民の間に不満を醸さゞるにあらざりしも、又手段方法の如何によりては、或は更に有利なる条件を結び得たりしなるべしと雖も、斯の如きは是れ死児の令を算するに均しく、兎も角平和の、戦勝の名誉を飾られて回復したり。過去二ケ年間戦争に忙殺せられたる国民は爰に最も光輝ある平和の新年を迎へ、実業的に大に発展すべき機会に接するを得たり。
然れども吾人は爰に光輝ある明治三十九年を迎ふると共に、仰いて前途の大勢を察するときは、転た憂慮の念なき能はざるなり。日露戦争は帝国の地位を昂め名誉を発揚したりと雖も、実業上に於ても亦之に相当するの発達を為すべきの責任を生じたればなり。実業界は戦争の為め種々なる打撃を受け、変調を来たすべき因を蒔かれたるにも拘らず、幸にして金融逼迫・利子騰貴・大不景気を免かるゝを得たり。是
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れ総体の事物が発達したるにも由るべしと雖も、実は一の僥倖に止まり、我経済界は未だ斯の如き大戦争に際し余裕の綽々たるものあるにあらざりしなり。即ち今後の経済としては其基礎を鞏ふし其発達を図り以て武力上に於ける帝国の地位に伴ふを期せざるべからざるなり。戦後経営は是に於てか最も重要な問題たらすんばあらず。
新年の光栄を喜ぶと共に、吾人は顧みて吾人実業家の双肩に懸れる今後の極めて重大なるを想ふて、殊に多大の感慨と憂慮なき能はず。
     戦後経営の真義
戦後経営とは世人の常に口にする常套語なり、然れども戦後経営の真義は何を示すものなるか、何が故に必要なるかに至ては世上之を究めたるもの多からざるが如し。実業家は平時に於てもはた又戦時に於ても、其業務とする所に勤勉なるべきは敢て異なることなし。経済界の仕事は平時に於ても戦時に於ても或は戦後に於ても、殆ど二六時中異なるべきの理なし、而も特に戦後経営を口にし戦後経済の施設に重を置く所以は何ぞや。
想ふに人の一生を通じて観察すれば、少年は壮年となり、壮年過ぎて老年来る、其間身体の組織は常に変調を来たし生理作用均しからず。此時に際し能く其摂生に努め発育に注意するにあらざれば不測の変を生じ、或は健康を損じ、甚しきは生を失ふことすらなきにあらず。戦後の経営は猶ほ斯の如きか。
戦争に由て生じたるべき財政経済界の変調に処して能く之を調和摂理するにあり。吾人は遠く之が例証を海外古今に求めざるも、近く日清戦役の前後に照らして察するを得、明治二十五・六年迄の国庫の歳出入は各僅に六・七千万の間を上下するに過ざりしが、戦後の二十九年には一億六千八百余万円に激増し、尋て約三億の巨額に達せり。是れ一に日清戦争に伴ふて生じたる財政上の大変革にして、其影響は延て経済界に大変革を与ふるを免れざりき。爾来経済界は種々の困難ありしも幸に其良知能より自然の発達を得て、十年の後二ケ年の久しきに弥れる大戦争の負担に堪ふべき実力を養成したりと雖も、其被むりたる損失に至りては亦実に尠きにあらざりき、当時変革の際に於て之に処するに宜しきを得たらんには、日清戦後の我経済界は彼が如き悲惨の打撃を受けずして更に良好なる発達を遂け得べかりしなり。今や我普通財政は出入各四億を越へ、二十九年に比するも三倍に近く、二十五・六年に比すれば実に五・六倍の多に達せり。戦争の結果とは云へ我財政上に於ける変革は蓋し甚大なるものと云はざる可らず。殷鑑遠からず日清戦役後にあり。是に於て所謂戦後経営なるものは、今日戦後の大変革に際し財政と経済の調和を図り其発達進歩を期するに於て必要欠くべからざるものたらずんばあらず。
吾人は此意味に於て戦後経営を説き而して其必要を感ずる特に深し。
     (一) 財政上の施設
此論点の結果として、吾人は勢ひ財政問題の論究を必要とせざる能はず、吾人は不肖ながらも籍を実業界の一に列するもの、妄りに財政を論議して快とするものにあらず、又議員の如く政府攻撃を以て政略の一とするものにあらざるなり。然れども財政問題は単に財政其物の得
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失たるのみならず、延て一般経済界に影響し、進ては国家盛衰の端を胚胎するもの、局に経済界の実際に当り、親しく其影響を感ずるもの何ぞ黙して其趨く所に任ずるに忍びんや。吾人の財政を論ずる豈に議論を弄せんとするものならんや。
明治三十九年度の財政計画は、其大体を発表せられたるも詳細を悉すに至らず、従て吾人未だ充分に之を評論する能はずと雖も、単に此計画のみを以て見るも実業発達の方面に於て遺憾の点なき能はず。予算案は尚戦時の状態を襲用するものと称し、資金の配給に於て依然軍事を主とし実業方面に至ては殆ど見るべきものなし。日清戦役後は資金の配給を誤り軍事を主とし経済を客としたりし為め総ての事物は権衡を失し、一たびは大不景気を受け、大に発達すべき実業をして頓挫せしむるに至れり、今次の経営に於ても亦当年の方策を襲用し、軍事及び普通行政費に多くの資金を配当し、而して国家の生命血液たるべき実業発達の経費に欠くる所あらんか、国力を増加すべき方面の力を失ひ、国力を消すべき方面は愈々増大し、国力は武備に伴はず、武力に於て光誉ある国となるも、平和の戦争に於ては常に敗者の地に立たざるを得ざるに至らざるなきか、是れ三十九年度の予算概案を見て吾人の憂慮する所なり。
吾人は必らずしも軍備の充実を否認するものにあらず、帝国の地位に応じ自衛に必要なる設備は之を已むを得ずとするも、由来軍備は国力の充実を経て始めて活動するものなり、国力充実せずんば軍備独り整ふあるも一の形骸に止まり何等の効果あることなし、顧みて我経済界を見るに、軍事上の発達顕著なるに反し尚比較的幼稚の域を免れず、政府の施設経営に待つべきもの頗る多し、例へば海陸聯絡工事の如きは資本を要すること大に、個人若くは会社が微力を以て営利的に経営するに適せざるもの、即ち政府の力を以て相当年限内に完成を期せざるべからず。港湾の如きも二・三修築せられたるあるも、今後発達すべき経済界の趨勢に照らして尚大に改良刷新するを要するものあり、若し夫れ鉄道に至ては国内枢要の地を通じて布設せられつゝあるも、其聯絡は尚不完全にして東奥・北陸の如き要部にして尚中断せられつつあるものあり、此等は工事の大、利益の点等より個人会社の能くする所にあらず、且つ現在の鉄道会社は多数の小組織より成り、相互の聯絡を欠き統一を失ひ、運輸の便少く賃銭亦不廉なるを免れず、為めに発達すべく増進すべき事業にして長く恵沢に浴する能はざるもの少からず、例へば生糸・石炭の運賃の如き其一例たり、此等は運輸の便に乏しきことなるのみならず、賃銭も亦常に不当に不廉たり、中には一・二会社の低廉なる賃銭を以て商工業者の便利を計るものなきにあらざるも、局部に止まり大体に於ては頗る不廉に失し、独占的交通機関として産業開発の大旨に反するもの少からず。此等は政府自ら進て経営すべく又は国有其他の方法に由て統一整理すべく、少くとも重要産業に対しては運輸の便、運賃の低減を断行せざるべからず。従来の如く政府率先して賃率の引上を行ひ、民設会社をして範を爰に取らしむる如きは深く之を戒め、進て自ら之を軽減し、且つ他会社に命じて同じく引下を行はしめざるべからず、斯の如きは一の港湾・鉄道に止
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まらず、国家の力にあらざれば施設経営の行はれずして実業上極めて重要なるもの尚頗る多し、此等は平時に於ても国家の当然勤むべき所にして、戦後財政経済の大変革を享けたる場合に於て吾人は特に切要を感ぜずんばあらず、若し夫れ不幸にして政府の方針前記の如く戦後経営を以て軍事上に専注すべきものなりとすれば、此等切要なる設備は長く抛棄せられ国家は武力に長して国力に欠くるの不具者たらざるを得ず、是れ豈に戦後経営の目的ならんや。論じて爰に至れば政府歳入の増加若くは維持は避くべからざるべし。吾人は産業開発の為め敢て之を甘諾せんとするものなり、政府の歳入が四億以上に増加したるは過去十年前に比し突飛の観なき能はずと雖も、之を生産的に使用し経済力の増進を計り以て国力の充実を期するに於ては、歳出増加は決して憂ふるに足らざるべし。妄りに歳出の減少を期して収入を不生産的に使用するが如くんば、国民の負担は軽きを得べきが如くして、実は経済の萎靡を招き国力の不足を来たさずんばあらず。吾人は今後の財政策として主力を軍事的方面に注ぐことなく、多少歳入の増加を必要とすることあるも是非共経済的設備を充分ならしめ、以て戦後財政界に於ける大変革に備ふるあらんを望む。
      実業に対する政府の態度
転して政府当局の実業界に対する態度を見るに、亦大に吾人の意を得ざるものあり。当局者は常に実業の肝要なるを称すと雖も、真個に之が発達に関して意を致さんとせざるが如し。曾て日露戦争中、国庫債券の募集に際しては口を挙国一致の必要に藉り銀行業者其他の実業家を集めて募集の時期・条件等を協定したり、而も平和克復し実業上の活動を要すること愈々切なるに及び、予等の編成、国力の配給に付ては独自断定して実業家の意見を聴かんとするなし。債券の募集には或は挙国一致を要するものありしならん、独り戦後の経営に関しては挙国一致を要することなきか。最も重要なるべき実業の発達に関し其利害得失の存ずる所を究めて施設経営するあるべきは、戦後経営上の第一要義に非ずや。当局者が前後其態度を二・三にするは吾人の甚だ遺憾とする所なり。予算の編成は当局の権内に属し、之を実業家に商は其義務とする所にあらざるは勿論なり。而も債券の募集に際し之を実業家と協定するも亦権義にあらざるなり、一は之を行ひ一は之を行はさるは豈に口を挙国一致に藉るものにあらずや、戦後経営として実業の重要を否認せんとするものにあらずや。
且つ夫れ実業家は常に専ら其業に追はれて、政治上関係するの遑なきものなり、或は帝国議会の議員たるものなきにあらずと雖も極めて少数に過ぎず、従て其多数者に就て政府之に相談し其意見の存する所を聴きて参酌するあるべきは、実業発達上の要事にして、誠意に実業発達を期するものの決して之を避くべきにあらざるなり。諮問の機関としては商業会議所あり、銀行集会所あり、政府にして実業界の意見を酌まんと欲すれば毫も不便を感ずるなかるべし、而して租税其他の問題は常に実業上の発達に影響し、親しく従事するものゝ見解は国力発展の上に欠くべからざる事たり。当局者が此見易きの理を誤り、而して専断決行せんとする風あるは、其実業の必要を認むると称するに照
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らして吾人其意を忖度するに苦しまざるを得ず。
想ふに本誌の発刊に先ち桂内閣の交迭或は之あらん、後継内閣にして真に実業を重ずるに意あらば根底より財政の計画を変更して、以て国力充実の途に資金を配給すべきなり。事若し爰に出でず口を政務の多忙に藉りて之を改めんと欲せずんば、其方針とする所知るべきのみ。国運の進歩の為め吾人之を惜まずんばあらず
     (二) 経費節減
曠古の大戦勝の後に際し、曠古の事業を行はんと欲せば当局者たるもの先づ其心を刷新し経費に大節減を加ふる所なかるべからず、国家は対外の大戦に於て国運を堵したり。之が戦後の経営を完ふせんと欲せば経費の節減は蓋し当然と云ふべし。吾人の見る所に依れば冗費として節し得べきもの数百万円の多に達す、政府にして虚心坦懐、曠古の大事業を行ふに際し、自ら戒め冗費を節約して赤心を表示せば、国民亦感激して力を奮て其等に勤むべきなり。之に反し政府の各個人に対する報酬は寧ろ少きに過ぎ其地位と体面とを保つに足らざるが如し。吾人は個人に厚ふし而して冗費とする所を節すれば尚数百万円を得るに苦まざるべし。
今や内閣交迭の機に際す、須く組織の変更に乗じ大刷新を加へ以て政府の執務をして勇邁果断の行為に出でしむべきなり、是れ新内閣が戦後経営の第一着手として国民の耳目を新にすべきもの、政策として採るべきものあると共に、戦後経営の実を挙げんとするの第一歩たらずんばあらず。
     (三) 外国貿易政策
最近数年間の外国貿易表を閲みするに、輸出入共に著しき増進を示せると共に輸入超過は頻年著しき速度を以て増進しつゝあり。三十三年には八千二百万円の巨額に上り、後一時減退したるも亦爾来増加し、三十六年には二千七百万円となり、三十七年には五千二百万円となり昨三十八年には激増して一億六千九百万円に達し、貿易の趨勢は大逆調を呈するに至りぬ。加ふるに国庫債券の海外に発売せられたるもの亦頗る多額に達したれば、正金の流出は今後愈々大を加ふるなるべし貿易の逆勢は一は戦事需要品の輸入激増、通貨膨脹に伴へる物価騰貴にも因るべしと雖も、外債の海外市場に残存して貿易の差額を決済したるにも因らずんばあらず。今後尚軍隊引揚げの為め巨資を要すべきを以て外債の募集は止むを得ずと雖も、之を海外に留めて貿易のバランスを決済する如くなれば蓋し輸入激増の風を養はずんばあらず、是に於てか吾人は、外国輸入品に対し直接間接を問はず便宜を与ふるが如き方法は可成之を除き、輸出品は力めて之を増加し以て貿易上の平調を期せんと欲す。
輸入防遏の方法としては一方には関税を利用して外品を防ぎ、他方には内地製品の発達を奨励するにあり。例へば鉄・砂糖・石油等輸入の重要品は需要年々増進するのみにして事業は内地に発達せず、為めに輸入額は年々其数を加ふるあるのみ。此等の輸入品に対しては海関税率を更定し、出来得る限り外国輸入品に重税を課して輸入の減少を計らんを望む。但し税率は列国の協定を要するもの多きを以て直に之を
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実行する能はさるも、出来得る範囲内に於て内地の製作品に及ぶべき丈けの助力を与ふるを必要とす。而して他方には内地に事業を創始し発達せしめ、以て海外品の競争に対抗を図るべきなり。例へば今日及び将来に於て最も需要の大にして且つ大となるべき製鉄事業の如きも現在の枝光製鉄所を拡張し又は別に之を創設し、原料は之を内国の供給に待つ能はざれば清・韓等に調査して適当なる良鉱を選定し、之が一手供給を受くるを約束すること現在の大冶鉄鉱に於けるが如くし、以て製品の供給を多大ならしむべく、而して政府は収支相償ふを限度とし、或は多少の損失を受くるあるも国力発展の為め暫く之を忍びて力めて内国需要者に供給すべきなり。果して然らば斯業は久からずして大に発達し、内国鉄業の発達は一時製鉄所に於ける不利益を補ふて余あるべきなり。斯の如き方法は独り製鉄事業のみならず、有ゆる重要輸入品に応用して多大の効果を奏するを得べし。
輸出品も亦之が増進を奨励するときは、効果見るべきもの少からず、例へば輸出金額の最も大なる生糸に付て見るも、運輸の便を加へ運賃を低減するときは前途尚多望なりと云ふべし、吾人の知る所を以てするも運輸上の不便大なるは明白なる事実なり、近時篠の井線が諏訪の岡谷まで聯絡を得、諏訪製糸家は大に便利を得たりと雖も、尚運賃の不廉に苦めり。其他の生産品も亦運送其他の不便なる事情あるを以て発達を障害せらるゝもの尠からざるべく、吾人は少くとも海外輸出品だけなりとも運輸を便にし運賃を低減し、障害を防ぎ以て其増進を期せんを望む。
輸入の防禦と輸出の増進とは、二重に輸入超過を抑制するに足る、上下心を一にして此方策の実行に努めんか、或は以て貿易上の不平均を除くを得べきなり。
     (四) 外資利用上の戒心
外資輸入は吾人が数年来希望し計画し来れる所、幸にして最近に至り続々之が輸入を見るに至れり。是れ日露戦争の結果帝国の信用が海外に於て大に高められたるに由ること勿論なりと雖も、又実に過去数年間吾人実業家が微力ながらも之が基礎を築きたるに由らずんばあらず即ち鉄道工場の抵当法の如き外資流入の溝渠は戦時中既に開通せられ今日に至り戦勝の名誉と共に之が実行を見るに至りしものなり。
斯の如く外国輸入は吾人の熱心に唱道し微力を尽したる所、今日始めて成功の端緒を見るに至りしは吾人の大に喜ぶ所なり、然れども外資の流入漸く熾盛ならんとするに当り、曩に最も熱心に唱道したる吾人は、却て其前途を憂ひ用途を誤るなきを望まざるを得ず。蓋し成名毎在窮苦日。敗事多因得意時。とは支那人の歌ひし所、言陳しと雖も特に今の時に切実なるを想ふ。久しく資本の欠乏に苦しみ、特に戦時企業を中止したる我邦人は、平和と共に新事業の計画・旧事業の拡張を欲し、而して外国人は有利なる事業だにあらば喜で資本供給の任に当らんとし、来るを待つに遑なく進て供給者たらんとするの状あり。換言すれば需要者と供給者とは互に其希望を一決せるもの、是れ豈に事を敗るべき得意の時にあらずして何ぞ。資本供給の容易なるに乗じて妄りに不急不要の事業を計画し外資を輸入するときは、幸にして成功
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するも利益を挙ぐること多からず、不幸失敗するが如きことあれば事業の不成は勿論、永く信用を外人に失はずんばあらず。吾人の経験する所に依れば確実有利なる事業すらも之を成功せしむること容易ならず、少しく不安心なる事業は失敗するもの十の八・九に居る、而して得意のときは独り確実なる事業計画を以て甘ずる能はず、勢に乗じて更に進て不安心の事業に着手するを常とす。即ち今日の外資輸入は最も失敗し易かるべき不安心の事業に対し最も輸入し易き傾向を生ずるものにして、事業家たるものゝ深く戒心を要する所なり。
斯く云へばとて吾人は敢て外資輸入を否認せんとするものにあらず、曩に熱心に之が必要を説き之が方法を講じたるの精神は、今日尚依然として異なることなし、吾人の所見前日と異ならざるが為め特に警戒の切要なるを信ずるのみ。曾て維新の初め帝国実業の発達を企図し、専ら合本組織の必要を説くや、世人は挙て会社を設立し、而して多数者の中には基礎薄弱なるもの少からず、不景気の襲来と共に続々悲況に陥るや世上或は之を以て合本組織の罪となし、之を好まざらんとするの風ありき。然れども是れ豈に合本組織の罪ならんや。之を応用するものゝ方法宜しきを得ざればなり。是れ正に船の顛覆を見て其発明者を咎むると異なることなし、寧ろ滑稽笑ふべきなり。然れども世上這般の人々乏しからず、吾人が外資輸入を熱望し、而して今日之が用途に戒心を求むるもの亦此理に外ならず、基礎確実にして前途有利の見込あるものは須らく外資を利用して事業の開張を計るべし。基礎の不安なるものゝ外資輸入は会々以て事業の困難と外人の不信用を招くに過ぎざるものあればなり。吾人は呉々も我実業界が外資利用の途に於て、万々遺算なきを期待せざるを得ず。
     (五) 満韓の経営
日韓の関係は昨年十一月の日韓協約を以て確立し、我政府は新に韓国に統監府を置き、政治上特に外交其他の事業は遺憾なく統一され各自区々の施設を戒むることゝなり、対韓の経営は面目を一新せんとするものあり。従て今日に於て吾人の最も急務とするものは、交通機関の統一にあり、京釜鉄道は会社の経営によりて経済開発を目的とすと雖も、京義鉄道は純然たる軍用を目的とし経済的観念は殆ど之を度外に附せり、韓国縦断の交通機関は斯の如き性質の全く異なれる二ケの鉄道より成り、其聯絡も亦未だ充分と称するを得ず。此二線は今後之を民間に払下げて営業組織とすべきか、はた又之を官有として軍用を主とすべきか、此等に関しては吾人未だ聞く所なし。且つ夫れ京義鉄道は更に之を満洲の野に延長して東清鉄道に聯絡し、依て以て北京及び清国の中原に通ぜざるべからず、奉天・安東県間は軽便軍用鉄道ありと雖も、果して満韓貫通の中央線たるべきものなるか明ならず。此等の諸線は線路の不完全なるのみならず、其目的・性質区々にして一ならず、従て多大の希望を嘱し効果を収むること殆ど難に似たり。想ふに満韓鉄道をして首尾貫通して活動せしめんと欲せば、此等の鉄道は総て拊て一丸となし、少くとも一丸たるべき組織となし、以て交通機関たるの任務を発揮せしめざる可らず。是れ満韓経営上の第一義となす。
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金融機関を整へ内地に普通せしむるは鉄道に次で必要の措置とす。近時韓国に於る手形の濫発、穀作の不良、不景気の襲来等に苦しみ、人を我国に派して救済の法を講ずるありと雖も、此の如きは畢竟一時的現象にして深く憂ふるに足らざるべし。蓋し韓国の手形は両班なるもの、資本主として商人の背後に立ち、商人をして手形を発行せしめ而して仕払を自ら引受くるものなり。而して手形の発行は往々にして実力以上に達し、一万円の資力あるもの或は一万五・六千円を発行し、以て融通を便にするは各地免れざるの数なり。近時幣制改革の挙あるや、旧来の白銅貨は総て之を引換ふることとなり、手形の所持者は一時に振出人に取付け、為めに忽ち仕払を停止するの已なきに至り、手形の濫発、金融の逼迫を来たしたりと雖も、病因既に明にして病根と称すべき程のものにあらず、従て幣制改革成り秩序回復するときは、此等の不況も漸くにして掃除せらるべきなり。従て貨幣整理と共に金融機関を整備し内地に普通せしむるときは、商業取引も円滑となり且つ増進するを得べきなり。
農業に至ては邦人既に各方面より着手せるものあり、或は地所を買ひ或は耕作・排水・灌漑等種々の設備を加へつゝあり、逐次発達の見込あり、只相互の間に何等の聯絡なく統一なきを以て、適当なる方法の下に聯絡を通じ以て韓国利源の開発に従はんことを望む。
満州に至りては余未だ親しく調査の機を得ず、之が経営を説くに憚る所ありと雖も前記鉄道の統一は必らず断行する所あるを要す、旧来の東清鉄道は我国に譲与せられたれは、満韓を通じて清国本部に達する幹線と相並て統一的経営をなし以て其効果を発揮せざるべからず。
鉄道の整理と共に、海上交通も亦之を増加し且つ整理せざるべからず是れ満州開発の大要件たればなり。
戦後経営として吾人が我朝野人士に希望する所、以上所説の如し。而して就中関係の最も重大なるものを財政問題とす。経済夫れ自身が自己の力のみを以て盛なる能はざるが如く、財政も亦其根底に於て発達したる経済を有するにあらざれば鞏固なりと云ふべからず、財政と経済とは相俟発達すべきものたり、而して今や財政は戦争の為めに大変革を受け、延て影響を経済界に及さんとす。経済界の変調を避け其基礎を鞏固にし大に発展せしめんと欲せば、第一に財政問題に於て経済に助力を与ふる所なかるべからず、是に於てか吾人は財政上資金の配給を誤ることなく、以て国力充実の根本に培ふことに遺算なきを望まざるべからず。
此方針を持し而して進むにあらざれば戦後経営は決して其実を挙ぐる能はざるなり。


銀行通信録 第四一巻第二四三号 明治三九年一月一五日 ○戦後財政及経済談(渋沢栄一)(DK230067k-0008)
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銀行通信録  第四一巻第二四三号 明治三九年一月一五日
    ○戦後財政及経済談 (渋沢栄一)
烏兎匆々玆に旧年を送りて新陽を迎ふ、回顧すれば明治三十七八年は我国民に取りて心労多くして紛糾雑錯せる歳なりき、即ち開戦の初に当りては日露両国の間密雲蟠りて容易に霽れず、又平和談判開始せらるゝに及びては其成行如何に懸念し、条約の内容世に漏るゝや其不満
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足なるに憤叫し、尋で軍隊の凱旋、祝勝の宴会等匆々の内に日月を経過し、国民は更に其堵に安んじ其業に従ふを得ざりしなり、而して経済界は其影響を受け金利の変動、物価の騰貴等、其他種々なる変調を現はしたりと雖も、幸に大に憂慮すべき程の大変動を来すに至らざりき、是れ一には我国に於ける総てが事物の発達せし結果なるべしとは云へ、又一には僥倖なる点もありしならん、然れども曠古の大戦役は我国力に対し何等かの影響なくして已むべきに非ざるなり、蓋し戦勝の利益は多多之あるべしと雖も亦之に伴ふ余弊なしとせず、戦勝の余栄は我国をして列強の班に加はらしめたるも、之と同時に又一方に於て我が国民は、戦争の為めに一億六千万円の増税に加ふるに内債四億八千万円・外債十億七千万円、都合十五億五千万円の新公債を負担せり、而して平和条約の条項に就ては十分なる満足を表する能はざるべきも、韓国に向つては恐らくは是以上を望むべからざるべく、又清国との談判も既に結了し其条項も既に公表せられたることなれば、爰に於てか満韓の経営は我前途に横はれり、戦後の経済界を如何にすべきかの大問題は我国民の肩上に墜落し来れり
戦後の経営とは何人も口にする所なるも、予は第一に戦後の経営なる語に攻究を要すべきものあるを覚ゆ、何となれば経済界に経営の必要なるは戦時と平時とを択ぶべきにあらず、二六時中常に其必要ありて特に戦後に於て急に其必要を生せしにあらざればなり、然るに此点に関し世人の言論未だ其要を得ざるかの感あり、惟ふに平和時代にありては凡そ一定の度ありと雖も、一旦平和克復の後に於ては恰も少年か青年となり壮者が老境に赴かんとするが如し、所謂過渡の時代に属するが故に此際に於ける衛生と健康とに就きては特に注意を要すべきものあり、是に由て之を見るに戦後の経営とは経済界の経営必要なりとの意にはあらずして、経済界自体に対して周到なる注意を要すとの意なりと解すべきなり、既に然りとすれば戦後の経営は、唯民間の経済に対してのみ論ずべきにあらずして国家の財政をも亦併せて之を論ずべし、独り実業界の奮励をのみ責むべきにあらざるなり、試に之を既往の事例に徴せんに、明治二十七八年の戦役後我経済界は其影響を被りて種々なる変調を現はし、種々なる弊害を生したれども、其間に於て利益する所亦尠からざりき、是れ一には実業界の黽勉に依るべしと雖、要するに爾来十年間に世人一般の良智良能発達し、社会の事物著しく進歩し、其結果今回世界の強国たる露国と戦ふこと二十箇月に及ぶも、為めに経済界は毫も動揺する所なかりしなり、然れども日清戦争の後に於て今少しく良衛生法を以て我経済界に臨みたらんか、其結果や更に著しきものありしならん、左れば日露戦争後に於ては日清戦争後の例に鑑み、用意周到一層国力の発展を図らざるべからざるなり然るに政府の為す所を見るに此点に於て大に注意の到らざるものあるが如し、即ち口に実業の重要なるを唱ふるも実に之を行はざるなり、試に明治三十九年度の予算に就き之を詳査せよ、凡そ国家の財政を定むるや通常費には幾許、軍事費には幾許、又実業の発達に資する為に幾許、何々には幾許と夫々其費途を指定することなるが、今回の予算を見るに、国力を増加する方面には力を用ゆること甚だ少なくして、
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寧ろ反て国力を減ずべき方面に力を注げるかの観なきにあらず、斯の如くんば国の健康は害せられ、為めに武力に勝つも平和に負くるの虞なしとせざるのみならず、一国の経営上より見るも軍事と商事とを対比し、彼は大に備はりて此は頗る欠くるの観あるは、国家の為め大に憂ふべきことと謂はざるを得ず、顧ふに軍備の拡張整理は固より其必要あるべしと雖も、国力を顧みずして之を拡張し以て其経費を俄に膨脹せしむるの政策は切に之を避けざるべからず、又公債整理に於ても勉めて徐々に之を行ふて其目的を達すべき方法あるべく、為めに必ずしも一時に大なる歳入の増加を計るの必要なかるべきなり
蓋し吾人商工業者の其戦後経営を論するや、素より我本領に重きを置くべしと雖も、只無意識に之を言ふにあらず、縦令身親しく政治に干与せずと雖も念頭全く政治の観念、軍事の思想を離れたるにあらざるなり、勿論歳計予算の編制の如きは局外者の濫に容喙すべからざることなるべしと雖も、戦後国家経営の大計を定むる際に於ては政府も多少民間の意見を参酌する所ありて然るべきことゝ思惟す、然るに戦時中は熾に官民一致を唱へ、公債募集に際しては実業者の援助を借らんことを切望しながら、戦後国力の発展を図る際に方りては何等の相談なきのみか、進んで其意見を披陳するも一顧だも与へざるが如き有様なるは、甚だ宜を得ざることゝ謂はざるべからず
又戦後の経営に関し我国の国力は何程までの負担に堪え得るやに就きては、十分に攻察を為すを要し軽々に之を定むべきにあらず、縦令歳出の増加必要にして戦時税の如きは之を継続せざるべからずとするも亦深く其の徴収方法を攻究せざるべからず、中には随分悪税も少なからずして、現に手形課税の如き、当時予は当路に向ひ其悪税たる所以を述べ之が撤廃を求めたるも、当局は単に行懸り上仕方なしとの根拠なき理由の下に之を郤けられたりき、然れども戦後税法の改正に至りては十分なる調査・講究を尽されたきものなり、次に希望して已まざるものは通常政費の節約なり、元来政府の仕事には冗費多きを常とすれば十分研究を凝らし之を省かざるべからず、当局者に於て十分此点に注意したらんには、尚数百万円若くは夫以上を節約することを得べきなり、而して予の所謂節約とは、必ずしも官吏の俸給を減せよと云ふにはあらず、予は寧ろ現今の俸給を以て薄きに過ぎたりと為すものにして、却て官庁分課編制の変更に依りて十分に節約の余地ありと信ずるものなり
以上予は財政に関する希望を述べ終りたれば是より経済界に対する私見を述ぶべし、凡そ経済上流通貨幣の膨脹は種々の余弊を生ずるものなるを以て、切に之を避け之が収縮を努めざるべからず、又之と同時に戦後に於ては常に貿易上輸入を増加せしむるを例とするものなれば輸入に便利を与ふるが如き方法は厳に之を芟除せざるべからず、而して今後我国は戦後経営の為に要する費用多くして外国に資金を仰ぐの必要あるも、之を我国に齎らし来らんか自然兌換券の増発を促し、為めに百害涌出すべきを以て已むを得ず之を外国に留め置き、之に依り貿易の決済を為す方法を採らざるべからざるも、而も亦之か為め輸入を便にし之を奨励するの結果に陥ることを免かるべからず、近年輸入
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超過の趨勢滔々として殆んど底止する所を知らず、今後に於ても尚此勢を持続すべきは明白なるが、是れ一には鉄類・砂糖・石油其他種々の商品に対し内地の需要年々増加するに、一方に於て生産の之に伴はざる結果なるべきも、要するに通貨の膨脹と輸入の超過とは戦後に於て事実上免かれ難き現象なれば、此際努めて之を防ぐの方策を講ずるの要あり、其方法の一は工業品に対し関税の力を以て之を防ぐにあり即ち協定税は当分致方なしとするも、其以外のものは之を引上ぐべく之と同時に内地の工業を奨励して製鉄所の如きは一層之を拡張し、其他の諸工業も及ぶ限り力を致し其発達を図るべきなり、又輸入の防遏と共に他の一方に於ては輸出奨励の途を啓かざるべからず、而して其方法としては生産事業の発達を謀るは勿論のことながら、殖産の原料は多く運搬に依りて巨費を要するものなれば、産業の発達を謀らんと欲せば勢ひ運輸の便利と運賃の低減とを謀らざるべからず、鉄道の敷設、港湾の修築固より其必要あるべきも、現在の儘に於ても政府の意を致すべき所猶頗る多し、即ち鉄道運賃の如き一体に高きに過ぎて為めに産業者を苦むること少なからず、故に政府は其経営に係る官線の運賃を減ずると共に、其監督権に依り私設鉄道に命令を下して其運賃を低減せしむべきなり、兎に角輸出貿易に就ては政府当局に於ても、今日まで全く奨励を努めざるにはあらざりしも今後は一層其力を用ひられたく、若し十分に輸出の増加を謀ることなからんか年々生ずる輸入超過の為め頗る寒心すべき結果を致すべく、或は之が為め我兌換制度の基礎を弱くするの虞なしとせざるなり
戦後に於て為すべきの事業は官民共に多々之あるべし、而して其資金に就ては戦勝の賜として経済共通の喜ばしき現象現れ来り、外資は陸続我国に輸入されんとする有様なれば復た其欠乏を憂ふるの虞なく、外資に依りて十分に之を経営し得べきも、唯玆に杞憂に堪えざるは資本利用の途開けたるが為め自然喰過の勢を馴致し、之が為め我経済の健康を害することなきやにあり、予は元来経済共通論者にして従来外資輸入を称道せしも、今日は反て外資の喰過及資本の利用を謬りて之を不確実なる事業に放下し、他日契約の履行を怠たりて外人の信用を失墜し、為めに後患を胎さんことを惧るゝに至れり、予は商工業者が此点に留意し、以て外資輸入論者をして後日世の攻撃の衢に立たしめざらんことを切望して已まざるなり
既に外資輸入の途は開けたり、而して将来内地に於て為すべき事業は殆ど枚挙に遑あらざるも、要するに輸出を奨励し輸入を減退するの方法に力を尽さざるべからず、官民共に然り、我金融論者に於ても貿易の発達に資する所あらんことを期すべきなり
満韓の経営に関しては、韓国に在りては既に統監府も新設されたることなれば、政治上の仕事は独り外交に止まらず其他の庶政漸く統一を見るべきも、経済界の仕事に関しても亦種々統一を謀るべきものあり鉄道の如き確に一問題にして、例へば京義線の如き、将来も軍事鉄道として之を経営すべきか或は商業鉄道に変更すべきか、若し商業鉄道とすれば現今の設備にては到底不十分なるべし、又京釜鉄道と京義鉄道との連絡、或は進みて東清鉄道との連絡をも謀らざるべからず、是
 - 第23巻 p.677 -ページ画像 
れ等は皆研究を要する問題にして、其他財政に於ても実業に於ても、現今の組織は総て不備なるを以て、将来改善を施すべきもの頗る多かるべきなり、目下韓国の経済界は農作の凶歉と手形の濫発とに依り恐慌の姿なるも、是れ一時の現象にして、貨幣の整理成りたる上は韓国の事物は漸を以て進歩すべきも、第一に運輸交通機関の統一完備と、第二に金融機関の発達とを謀り、然る後其他に及ばざるべからず、又農業に於ても耕作の仕方、小作の方法、水利の疏通、収穫物売買の手続等に関し種々改善すべきものあるべく、之を要するに我同胞は韓国民に対して勉めて利己的観念を離れ、彼れも益し我も利するの方法を採るに於ては遠からずして大に改良の実を挙ぐべきなり、兎に角経済界の大動脈たる運輸・交通と金融との発達とを謀らば韓国の進歩蓋し疑なかるべし、而して金融に関しては予は力の及ぶ限り之に努力せんことを欲するものなり
満洲に就ては未だ実地に踏査せざるのみならず、又予の力未だ此地に及ばざれば実際に就ては是と云ふ確定せる意見なきも、清国との協約も既に成り其の発表を見たることなれば、他日之に就き意見を述ぶるの機あるべしと信ず
之を要するに財政は経済と其力を均一にせざるべからず、故に政府は政治に尽すと共に、又実業に其力を借さゞるべからず、特に戦後に於ては国家の援護に依り発達すべき民間事業頗る多し、蓋し財政と経済とは其性質固より別立すべきものにあらずして、両々相助け相援き以て国家の繁栄を謀るべく、其間離るべからざる密接の関係あり、冀くは政事家に於ても我々と共に、此点に就き周到なる注意あらんことを切に望みて已まざるなり
   ○栄一、明治三十八年十月四日、第十四回商業会議所聯合会ニ於テ戦後経営ニ付キ演説セリ。本資料第二十二巻所収「商業会議所聯合会」明治三十八年十月四日ノ条参照。