デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 養育院其他
1款 東京市養育院
■綱文

第24巻 p.170-176(DK240016k) ページ画像

明治29年3月31日(1896年)

本所長岡町ノ当院設備ハ狭隘トナレルヲ以テ、移転ノ儀起リ、明治二十六年三月十三日大塚辻町ニ敷地ヲ購入ス。同二十七年一日二十五日 皇后陛下ヨリ移転新築費トシテ金二千円ヲ賜フ。同二十九年三月新築成リ、是日移転ス。栄一、当院委員長トシテ尽力ス。


■資料

養育院六十年史 東京市養育院編 第三七六―三八五頁 昭和八年三月刊(DK240016k-0001)
第24巻 p.170-174 ページ画像

養育院六十年史 東京市養育院編  第三七六―三八五頁 昭和八年三月刊
 ○第五章 東京市営時代
    第六節 本所より大塚へ
 本所長岡町の養育院建物は事業縮小期に際し、僅に百五十人の窮民を収容する目的を以て設計されたものである。然るに収容の窮民は逐年増加して二百三十余名に上り、これに行旅病者・棄児等を加ふれば六百余名を算するに至つた。為めに家屋の狭隘に苦しむのみならず、旧屋の修繕に成りしものもありて腐朽破損せる所多く、敷地も亦卑湿にして頗る健康に害あり、これを以て明治二十四年(一八九一)来、委員の間に高燥の地を卜して、他に移転すべき議が起つた。爾来屡々土地を捜索して、終に小石川区大塚辻町に壱万余坪の地を選び、二十六年(一八九三)三月十三日、市会の議決を経てこれを購求した。尋て技師妻木頼黄は特志を以て新築の設計を担当され、同年十月十八日を以て、市会は養育院新築議案及市費より新築費として金八千円補助の件を可決した。こゝに於て同年十二月、渋沢委員長より市参事会知事を経て、左の哀願書を皇后宮大夫に提出した。
  此に貧病無告の窮民の為に誠恐誠惶頓首百拝して懇願し奉る趣旨は、東京市養育院新築移転に関し
 聖恩の恵賜を仰き願ひ奉る事
  東京市養育院は今日にして漸く其適当の地所家屋を得て、聊か其目的を達するの歩に進み候と与に、将に其基本財産を減少すへき
 - 第24巻 p.171 -ページ画像 
状況に傾き候事尤も本院の憂苦に堪へさる所に候間、此の懇願を捧け奉る儀に御座候、抑も本院現住の敷地たる僅に二千九百余坪に過きす、去る明治十八年玆に移転の初に於ては、事業就緒の際たりしを以て、未た其不便を痛く感する程にては無之候ひしか、爾来救済の実行を勉むるに随ひて家屋の増築を為し、目下に至りては敷地内殆と空地を剰さゝるに至り候、殊に平常院内に起居するの入院者等は、尽く是れ不具癈疾若しくは難病疲憊にして、鰥寡孤独たるの輩のみに候へは、平時に在りては運動行歩の地を与へ、非常に在りては避難逃災の地を備ふること尤も緊要に候へとも、今は其余地とても無御座、加ふるに該地たる人煙稠密の間に接し、地湿ひ気蒸して健康を敗り候を以て、到底本院永住の地に非さるに由り、熟議を経たるの末、本年の初に小石川区大塚辻町に於て壱万余坪の地所を撰定し、尋て新築の工事に着手し移転すへきに決定仕候、然るに此の地所購入家屋新築二項の合計概算金四万余円を要し候に付、其内より現在地所家屋売却代価金壱万三千円、及市費より補助すへき金八千円を控除するも、尚残額壱万九千余円を不足なりとし、此の不足は本院の基本財産中より支出せさる可らさるの事情に迫り候、夫れ本院の基本財産たる多年の辛苦経営を以て之を累積し、忝くも年々御下附の
 恩賜金を第一とし奉り、或は慈善会の収入、或は愛憫者の寄贈金、若くは経費の残余等を集め、今日に於ては漸く拾参万余円を貯蓄いたし、即ち此金額より生する所の利子を以て本院の経費に充て以て此の無告の窮民を救済するの事実に御座候、然るに今此の基本財産中より直に壱万九千余円を支出せは、経費の出途自から減縮するか為に勢ひ収養の上に及ひて、数十人の窮民を院外に出し凍饑倒死の惨に罹らしめさるを得す、殊更近時窮民の告くるに道なくして入院を哀願するもの荐に増加し、現に数十名の滞願者あるは本院の常観に御座候、若し経費の許す所に候はゞ、此の輩の哀願を納れて収養せんことこそ本意に候へ、仮令尽く収養せんこと能はす候迄も、本院移転に付其基本財産を減するか為に入院者を減数せんは寔に無慙の事にして、実に為すに忍ひさる所に候、依て新築移転の不足金額は是を基本財産より支出することを止め偏く世上の慈恵者に向ひ其義捐を乞ひて以て之に充んと冀ひ候、此時に当り恐多き御事には御座候へ共
 恩賜の聖沢を以て、先つ此の無告の窮民を湿し給ふの光輝を得るに非されは以て一般の慈恵心を喚起すること能はすと深く察知仕候間、此の懇願を捧け奉り候、仰き冀くは無上の
 聖慈を垂させ給ひ、特別の御詮議を以て此の新築移転費に向ひて若干の金額を御下附あらせ給へ、然る時は世上の慈悲者挙て
 聖恩の涯なきに感泣し、各々応分の喜捨を為し、是に由りて本院は基本財産を減すること無くして以て新築移転の目的を達し、無告の窮民其恩恵に浴すること必定に御座候、此の情状を賢察あらせられて、御前然るへく御執奏被下度、只管奉願候也
   明治二十六年十二月
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             東京市養育院委員長 渋沢栄一
    皇后宮大夫 子爵 香川敬三殿
越えて明治二十七年(一八九四)一月二十五日、府知事より左の通り達せられた。
 皇后陛下 思召を以て、其院移転新築費として金弐千円御下賜相成たる旨宮内省より被相達候条、此旨相心得へし
こゝに委員等は感激措く所を知らず、辱なく拝戴の手続を了したのであつた。更に同年二月、市内有志各位へ左の書面を送りて、新築費の寄附を乞ふ所あつた。
 既に其食を与へ其衣を給す、何そ其仁慈の心を拡め之をして雨露に濡れ風雪に曝さるゝの苦現を免れしめさる、本院新築移転の挙実に是か為なるのみ、抑も本院創始の事情は蓋し貴下の詳悉せらるゝ所たるを以て敢て贅説せす、去る明治十八年に現住の地即ち本所区長岡町に本院を設置し、漸次に無告の窮民を収養してより、其事業の挙るに随て其数を増加し、目下在院の人員は六百人に内外す、而して其地坪は僅に二千九百坪に過きさるを以て、今日に於ては院内復増築すへきの空地を剰さゝるに及へり
 此の収養に係れる六百余人は如何なる輩そや、其身曾て遊惰にして其恒産を失ひたる徒にも非す、或は長病の為に疲憊し、或は不具の為に轗軻し、若くは鰥寡、若くは孤独にして江湖の広きも親戚所縁の以て之を救助する者なく、空く窮途に彷徨し坐して饑寒に斃るゝを俟てる無告の窮民なり、此の憫むへき窮民を収養すること無んは則ち止まん、苟も之を収養して人類相憐むの慈恵を行ふ以上は、貴下の仁愛なる、胡為そ其惻隠の心を進めて彼輩をして其所を得せしめさる、請ふ本院の現状を見よ、平時に於ては新鮮の大気をたに呼吸せしむるの余地なく、非常に際しては其災害を避けしむるの剰地なし、爾のみならず土地卑湿にして天雨ふれは潦水汎濫し、天霽るれは水気蒸騰し、加ふるに近時漸く人煙稠密の境となれるを以て、到底本院永住の地に非さるなり、是に於てか今般更に小石川区大塚辻町に壱万余坪の地を撰定し、尋て工事の設計を為し新築移転の事に決したり
 此の移転の費額は地所購入・家屋建築の二項を合計して概算金四万余円を要す、而して本院現在の地所家屋を売却して金壱万参千円を得、また市費より金八千円の補充を得て之に供するも尚壱万九千余円の不足を見るものなり、此の不足を補塡するは唯々貴下の仁慈に訴へて急に周くするの恵を依頼するに在るのみ
 本院に於ては今や聊の基本財産を所有せさるに非す、然れとも此の基本財産は本院か多年拮据経営して之を蓄積する所にして、即ち収養窮民か依て以て衣食する所の源泉なり、若し此の中を割きて新築移転費の不足を補塡せは、明日よりして院内の窮民は其衣食を覓むるに所なく、其欠乏の為に再ひ院外に出されて街頭路傍に吟ふの不幸に陥らんは必定なり、是れ本院か如何なる事情あるも基本財産を割きて之に供すること能はさる所以なり、且夫本院の新築たる、敢て壮麗を事とするに非す、彼窮民をして起居の所を得せしむるに足
 - 第24巻 p.173 -ページ画像 
るを以て設計の目的として将来本院経済の許すに従つて収養の数を増加するに臨み、復其狭隘を感するの患なきを期するに在り、故に其建築たる固より質約の極を旨とし、究竟衣食と住居とを苟全せん事を冀ふ而已
 本院は、此の事情を表白して遍く社会に対ひ其仁慈を望み、已に陳情の書を帝室を《(に)》捧けて謹みて 聖恩を乞ひ奉りたるに、畏くも 皇后陛下には直に御垂聴あらせ玉ひて、恩賜を此の新築移転費の内に下し置れたり、於戯 陛下の恩賜は即ち慈恵を御率先あるの聖挙なり、本院此の恩に感泣して玆に大方の貴紳・貴夫人に該費補塡の喜捨を乞ひ、乃ち貴下に冀ふに此の事を以てす、貴下願くは無告の窮民の為に仁慈の心を拡め、若干の金円を寄せて此の新築移転の事を成さしめよ、其の成ると成らさるとは実に貴下の賛否に在るのみ
 夫れ人生の際会は各々一ならす、貴賤貧富自から其分ありと雖も、等しく是れ国土に生息する人類なり、而して其一は無告の窮阨に沈淪し、其一は安楽の栄華を愛用す、其余裕を以て他の困難を救済するに非すんは、何を以て富貴の実を保有するとせんや、洵に仁慈の心を以てせは貴賤の徒も豈に一髪一毛の分つへき無からんや、況や貴下に於てをや、謹て貴下の寄贈を本院に致されて移転の業を賛助あらんことを請ふ、某等悃願の至に堪へす 頓首
  明治二十七年三月三十日
         東京市養育院常設委員 侯爵 伊達宗徳
         同             中島行孝
         同             仁杉英
         同             伊沢修二
         同             西村虎四郎
         同          子爵 松平定教
         同      委員長    渋沢栄一
          殿
 右新築に関する収支概算左の如し
      収入
 一、金参万六千六百拾参円六拾参銭七厘 収入
    内
   金壱万参千百九拾六円弐拾四銭   在来地所家屋売却代見積
   金弐千円             宮内省下賜金
   金壱万参千四百拾七円参拾九銭七厘 寄附金
   金八千円             市費より補充金受入
      支出
 一、金四万弐百四拾七円拾参銭七厘   建築費
    内
   金壱万弐千円           敷地購入費
   金弐万四千百円参拾九銭壱厘    新築費
   金弐千九百九拾五円五銭四厘    移転費
   金五百四拾壱円六拾九銭弐厘    改築費
   金六百拾円            需用費
 - 第24巻 p.174 -ページ画像 
  収支差引不足額金参千六百参拾参円五拾銭
 斯の如く、優渥なる皇后陛下の御恩賜を始め、市費の補助、並に篤志家各位の多大なる後援によりて資金も漸次蓄積するに至りしより、明治二十八年(一八九五)十二月大塚辻町に急遽本院建築を起工し、翌二十九年(一八九六)三月略竣工したるを以て、同月二十三日左の上申を為した。
 本院新築家屋も新築の分は既に竣工致し、竈のみは未た着手にも相成不申候処、現住地は既に二十八年中に移転すべき見込にて二・三年来修繕相加不申、為めに家根洩り壁崩れ畳破れ、最早竈出来迄移転の猶予も難相成候に付、来る二十七日より三十一日の間を期し移転候様御許可相成度、委員会の議決を経此段上申候也
これに対し左の通り指令された。
                    東京市養育院
 明治二十九年三月二十三日甲第十三号上申、其院移転の件聞届く
   明治二十九年三月二十五日
             東京市参事会
              東京府知事 侯爵 久我通久
 斯くて三月三十一日、本院は大塚辻町に移転することを得た。移転後は逐年隆々として発展膨脹し、全く往時の面目を一新するに至つたのである。


東京市養育院第廿三回年報 第二二―二三頁 明治二八年四月刊 本院新築ノ事(DK240016k-0002)
第24巻 p.174 ページ画像

東京市養育院第廿三回年報  第二二―二三頁 明治二八年四月刊
    ○本院新築ノ事
一本院新築費ノ内ヘ
 皇后陛下ヨリ金弐千円御下附有ラセラレ、又市費ヨリ金八千円ヲ補充シ、又慈善有志家ノ寄附金ヲ募リタル次第モ既ニ皆前年報ニ記載セシカ、其寄附金募集ノ本年度ニ渉ルモノ、及ヒ新築ノ模様ハ左ノ如シ
 本院カ寄附金募集ニ着手セシハ廿七年四月ニシテ、爾来本年度内ニ募集シタル金額ハ合計壱万参千参百八拾参円参拾九銭七厘、此寄附人員弐千八百九拾九人ナリ ○下略


(香川敬三) 書翰 渋沢栄一宛 (明治二七年)一月一六日(DK240016k-0003)
第24巻 p.174-175 ページ画像

(香川敬三) 書翰  渋沢栄一宛 (明治二七年)一月一六日
                     (渋沢子爵家所蔵)
  一昨日参館之節、被下金額不申上候事ヲ御不満足ニ思召候哉、右不申上ハ被下物之数ヲ前以申上候道理も無之候間、不申上候事ニ御坐候也
拝啓、然者兼而御願出相成候養育院移転費補助トシテ被下金之義、本日東京府知事宮内省ヘ呼出シ
皇后陛下より金弐千円被下候、定而御承知と存候得共為念得貴意候、弐千円ナレハ先上々、老兄先日御申聞も相貫き、小生も安堵致候
一先日小生参館致候処、御不在ニ付一筆差上置候、書中之義ハ御一覧に而御承知ト存候、右書中之義ニ付御意見も候ハヽ相伺度、御返報ヲ奉煩候旨申上置候得共、今日まて何等之御返事も無之、右ニ付而者何
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カ御不満足之件有之、小生ヘ御返事無之事歟ト痛心致候、左も無之候ハヽ小生より御返事ヲ請願致置候間、是非何とか御返書可然之筈と存候前件一応相伺候間、御代筆ニ而も宜敷、御一筆御報奉煩候 敬具
  一月十六日
                         敬三
    渋沢栄一様
       侍史


執事日記 明治二五年(DK240016k-0004)
第24巻 p.175 ページ画像

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東京市養育院創立五十周年記念回顧五十年 渋沢栄一述 第一四―一八頁 大正一一年一一月刊(DK240016k-0005)
第24巻 p.175-176 ページ画像

東京市養育院創立五十周年記念回顧五十年 渋沢栄一述  第一四―一八頁 大正一一年一一月刊
    八 移転拡張――本所から大塚へ
一体本所長岡町に移転した当時、即ち明治十九年の初には、恰度府営廃止後、私人の事業として余等同志が之れを引受けてから間もない時代で、規模も亦た極めて小なりし頃であつたから、収容人員の如きも一日平均の現在者は二百人以上三百人未満であつたが、其後間もなく行旅病人や棄児の入院が増加して、遂に明治二十三年末頃には四百人台を突破し、到底五百坪内外の収容室には之れを起居せしむることが出来ないやうになつたのである、加之大体此長岡町の建物と云ふものが全然新築のものではなく、一部は古家を修繕したものに過ぎなかつたから、二十三・四年の頃に至つては腐朽破損甚だしく、且つ其構造余りに不完全で、其上土地が水場で雨が降ると直ぐに下水が氾濫し、霽れると汚水が蒸騰して、臭気鼻をつくと云ふ為体であつたので、遂に他へ移転拡張を行ふの必要を認め、斯くて明治二十四年五月本院常設委員会では、高燥にして人家稠密ならざる衛生的の地を撰びて移転を行ふことを議決した、其後、市内及び近郊に渉りて諸方の土地を探がした末、遂に小石川区大塚辻町に一万余坪の好適地を発見し、同二十六年三月市会の議決を経、金壱万弐千百円を養育院基本金中より支出して之れを買ひ入れた、此土地こそ現在の大塚本院の所在地であつて、今や其附近は交通の便開けて四通八達熱閙の巷と変じたが、買収当時は之れを形容して言へば「不見人煙空見花」と云ふやうな人間離れのした寂しい場所であつた、偖て右の如くにして、土地は買入れたが次は建築である、之れは長岡町の敷地及び建物を壱万参千余円で売払ひ、尚ほ不足の分は養育院基本金を支出して支弁する積りであつたが、多額の基本金を費消することは爾後入院者救助費に支障を来たすの虞れがあるので、市経済より八千円だけ建築費補充として受入れることになり、其れに皇后陛下より特別の思召を以て本院移転新築費中へ賜はつた金弐千円と、有志寄附金五千円を加へ、合計二万八千余円の資源を得たので、之れで大塚辻町の敷地に千五百余坪の新築を為すことゝなつたのである、新築に就ては衛生・教育等の関係上注意を要すべきもの甚だ多かつたので、常設委員会では各部の位置やら全体の体裁など細大となく研究を遂げ、設計上の事は故工学博士妻木頼黄
 - 第24巻 p.176 -ページ画像 
氏が余と昵懇の間柄であつた為め特志を以て一切担当して呉れたのである、斯くて博士の設計に基き前述の通り工費二万八千余円を以て明治二十七年十二月中に工を起し翌二十八年六月竣工したので、二十九年三月末に本所長岡町を引払ひ約六百人の収容者を引具して大塚に移転したのである、然かも当時は市内の交通も不便極はまるものであつたから、収容者の移送の如きも重病者は担架で運んだが、稍や歩行に堪ゆる者は本所竪川河岸から大伝馬船数隻に乗せ、大川を横切り神田川筋を遡りて小石川市兵衛河岸に上陸させて、其処から大塚まで歩るかせたと云ふやうな有様で、思へば実に今昔の感に堪へないのである



〔参考〕風俗画報 第三五六号・第八頁 明治四〇年一月 楽翁公と養育院(DK240016k-0006)
第24巻 p.176 ページ画像

風俗画報  第三五六号・第八頁 明治四〇年一月
△楽翁公と養育院 養育院が松平定信、即ち白川楽翁公と因縁浅からざるは、前述の如し。その上現在院地の一部は、その松平家の地所たりしと云へるが如き、明治の窮民貧児はなほ直接にも公の余沢に浴しつゝあり。その南隣の屋敷は、今も松平家の別墅として、蓊鬱たる老松二本を、此方より望むべく、また門内に一本の銀杏樹あり。これ公の遺物なりと伝ふ。また公が如何に民政に心を砕きしか、その閣老たりし時、府民の安穏ならん事を神に祈り、一身を捧げて盟ひたりといふ願文あり。この写しを軸物にものし、養育院の楼上に掲げあり
 天明八年正月二日松平越中守義、奉懸一命心願仕候、当年米穀融通宜く格別之高直無之、下々難義不仕、安堵静謐仕、並に金穀御融通宜、御威信御仁恵下々へ行届き候様に、越中守一命は勿論之事、妻子之一命にも奉懸候而必死に奉心願候事、右条々不相調、下々困窮御威信御仁徳不行届、人々解体仕候義に御座候はば、只今之内に私死去仕候様に奉願候、生ながらへ候ても中興之功出来不仕、汚名相流し候よりは、只今之英功を養家之幸並に一時之忠に仕候へば、死去仕候方反て忠孝に相叶ひ候義と存候、右之仕合に付以御憐愍金穀融通、下々不及困窮、御威信御仁恵行届、中興全く成就之義偏に奉心願候 敬白
こは谷中吉祥院の蔵たりしを、明治十三年これを養育院に寄附せんと府庁に願ひ出でたるに、松平家当主より、都合ありて、その願書を取消されしを以て、時の養育院幹事阪本源平氏紀念の為に、これを増写して本院に蔵置せるものなりとぞ